日付:1998/10/16
何故いつもダイエット飲料(ダイエットペプシ)を飲もうとするのですか?
何故いつも写真に写るときに変な顔(あるいはポーズ)をするのですか?
何故「猫柳、花丸木」と口走ったり、メールの冒頭に使ったりするのですか?
何故いきなり遠吠えをしたり、メールの署名に「大坪@わおーん」と書くのですか?
何故U.C.Berkeleyという名前をみると発狂するのですか?
何故五郎という名前なのですか?五男ですか?これは私が物心ついて以来何百回と繰り返された質問ですが、確かに初めて私の名前を聞く人にとっては、どうしても聞きたくなる疑問でしょう。
私の父は中部電力という会社に勤めていました。そして私が産まれた当時、井上五郎さんという大変偉い社長さんがいました。私の父はまあその当時はぺーぺーの身だったのでしょうが、その社長さんを大変尊敬していたのです。
そこに長男の私がぽっこり誕生です。父はさっそく尊敬する社長から無断で名前を拝借して「五郎」と名付けたのです。
さて私がお会いする機会のないまま、井上五郎さんは亡くなってしまいました。しかし私の祖父と井上五郎さんは知り合いだったのです。祖父の葬式に井上五郎さんの奥様がいらしていて、私は父に挨拶させられました。何と言ったらいいものやら。正確には覚えていませんが「初めまして。五郎ともうします。勝手にご主人の名前を拝借しております」とでも答えたと記憶しております。
これも大変よく聞かれる質問です。私が考えているよりも四六時中サスペンダーをしている人は世の中に多くないようです。私がStanfordにいたとき、同じ学科でGoro Otsuboという名前を知らなくても「サスペンダーをしているアジア人」といえば通じた、という話があるくらいです。
さて、私がベルトというものに別れを告げて、サスペンダーを使い始めたのは、多分昭和が終わりに近付いたころだと思います。当時私は24-25歳でした。
私は基本的に母親に「おしりが下についてるわね」と言われるような短足です。まあ時々からかいのネタになることはあっても、基本的にあまり気にはしていなかったのですが。ところがある年を境に「足が異常に短い」と言われる頻度が向上したのです。どうしてでしょう?
私は今でこそ自分の体重を大変気にするようになりましたが、若い頃は全くそんなことを気にすることはなかったのです。(この経緯については「なぜこのページを作ったか」を参照ください)
ところが時の流れという物は大抵の場合容赦なく訪れる物です。いつしか私は「はっ」と気が付くと腹の周りにたくさんの脂肪を蓄える身分となっていました。
それだけでも問題は大きいのですが、この現象は副次的にいろいろな困難を私にもたらしたのです。そのうちの一つに「ベルトでズボンを止めようとする位置が、従来より下に移動した」ことがあげられます。
具体的に説明しましょう。私が体重を気にせずにすんでいた頃は、私のズボンはしかるべき位置で止まっていました。ベルトが比較的上方の腹のくぼみに引っかかっていたからです。
しかし腹の周りに脂肪がたまるにつれて、、、その上方の「くぼみ」は「だらしないふくらみ」へと変化し、結果としてベルトはそこから一段低い位置でしかとまらなくなったわけです。
当時の私は大げさな表現を使えば「袴をひきずるように、ズボンのすそを引きずっていた」ことになります。そしてただでさえ足の短い私は、その短足さを更に強調して歩き回ることになりました。必然的に他人から「足短いんじゃない?」と言われる頻度も増えたわけです。
さて私は考えました。どうも他人から「足の長さについて」コメントをしばしば受けるのは楽しくない。おまけにズボンを上の位置で止めようとして(無駄な)努力をするのはうっとうしいし、大体あまり格好のいいものではない。
だいたい何故ベルトなんかでズボンが下がるのを防止しなくちゃいけないんだ?ズボンが下に落ちるのを防ごうと思ったら上に引っ張るのが素直な考え方で、横に締め付けるなんてことを誰が考えたんだろう?
さてこのような妙な理屈をこねまわしたあげく、ある日私は決心しました。産まれて初めて(というか少なくとも物心が付いてからは初めてです)サスペンダーを購入し、会社に着用して行ったのです。
初日はかなりの緊張感と共にすぎました。いつ上司に呼ばれて「ちょっとその格好だけどね。。」と言われるかと私は大変気にしていたのです。しかしこれは今から考えれば馬鹿げた心配でした。サスペンダーをしていようがベルトをしていようが、どちらにしても私の格好というのは正しい○○重工社員がするものとはかけはなれていたからです。いまさらベルトをサスペンダーに替えたくらいで文句をいいたくなるような暇な上司もいなかったのでした。
さてそうはしたものの、出張でスーツを着用する際にサスペンダーを使用して良いかどうかについてはまだためらいがあったのです。最初の数ヶ月はスーツ着用の際にはベルトを使用していました。しかしそのうちスーツを着ていればサスペンダーは誰の目にも触れない、という事実に気が付きました。こうなれば結論は明白です。私はベルトという物にさよならを告げたのでした。
しかしながら後で気が付いたことですが、この考え方には欠点がありました。私は普段スーツを着ない人なものですから、少しでも場がリラックスると必ず上着を脱ぎます。私が留学の本社面接で待合室にいるときもその状態でした。その結果として本社の人事課から「つりズボンしてへらへらしたのが来たけど、あいつはなんなんだ」という問い合わせが来た、ということはサスペンダーをインフォーマルと見る文化が一部に存在していることを示していると思えます。
さてそれからというもの、サスペンダーをすることが不要で、不可能な下半身を覆う着物-スポーツウェアとか、ジョギパンとか-を着用する時を除いて、全ての場合にサスペンダーを使用しています。一度「ベルトにチャレンジしなさい」といわれて、ベルトをプレゼントされたこともありますが、結局一度も使っていません。
その後の世間様の受けなどはどうだったでしょうか?少なくとも私の耳に入ってくる限りでは評判は悪くないようです。また私は全体的に顔から体からのっぺりした構造をしているので、縦に2本線を入れてアクセントとするのは悪いことではない、と自分でも思っています。
ではベルトをしないことによるディメリットはあったのでしょうか?ベルトを通して固定することを想定している物入れなどは当然のことながら使用できなくなります。しかしまあこうした物入れを避けて通るのはそう難しいことではないのでした。従って今のところ明白で、サスペンダーの着用について再考を迫られるような問題には直面しないでいます。
さて前述した「ベルトよりもサスペンダーのほうが下に落ちようとするズボンの位置を固定するためには理にかなっている」という理論ですが、平成10年になって思わぬ欠陥があることが判明しました。平成10年度宇宙飛行士の募集に応募した際、友達から「もし合格したら宇宙ステーションでもサスペンダーをしてください」というメールをもらってふと考え込みました。
宇宙ステーションにおいても果たしてサスペンダーの方がベルトよりも合理的と言えるだろうか?答えはNoです。先ほどの私の理論は、ズボンを放置しておけば下に向かう、すなわち重力の存在を前提としているからです。
うーむ。万が一宇宙飛行士になったら、いろいろ考えなくては、、、と考えている間に不合格通知が来たので、とりあえずその問題は杞憂となったのですが。
これもよく聞かれる質問です(もっともそうだからここに書いてあるわけですが)
ちょうど私がベルトをしていたころ、私は腕時計を腕につけていました(あたりまえだ)ところが結構腕に何かついていると「うっとうしい」と思う私は、何かあるとやたらその時計を外して置いていたのです。
さて私が間抜けなことに関しては今更述べる必要もありません。間抜けな人間がやたらと時計を外してそこらへんに置くと何がおこるか?やたらとなくすわけです。入社2年目の年は4-5個の時計を無くしてしまいました。
私が買う時計は一番安いシリーズか、あるいは何かの気のむきようではりこんでも大体1万円以下です。しかし一年に4-5個も買い換えるとなるとその出費は馬鹿にならないものがあります。これはいけない。なんとか別の時計の付け方を開発する必要がある。。と考えた私は、サスペンダーを常用するようになり役目が無くなってしまっていたベルトを通す穴に着目しました。ここに時計を通して止めると、まあ時間を見るときはちょっと下の方をみればよいし、うっとうしいと思って外すこともなく。それから時計をなくす回数は激減したのです。
「激減」ということは時々なくすということです。私が買っている安物の時計は、その構造上ベルトの位置に着けて動いていると時々バンドが外れることがあるのです。すると時計はまたもやそこらへんにまきちらされることになります。これについてはいろいろ解決策を模索しているのですが未だに完全に解決されてはいません。一時細い針金でバンドを止めようとしたのですが、あまりに見た目が悪いので断念してしまいました。
結果として未だに年に一個くらいは時計をなくすわけです。これが将来改善されることになるのか、このままなのかは未だに不明確です。
何故いつもダイエット飲料(ダイエットペプシ)を飲もうとするのですか?
これは要するに体重の増加を極端に怖れているがための行為です。実際甘い飲み物のカロリーというのは鳥肌がたつような偉大な数値です。
私が自分の体重に関して何をしたかについては、「なぜこのページを作ったか」を参照してください。
何故いつも写真に写るときに変な顔(及びポーズ)をするのですか?
これは正直言ってよく分かりません。大学の頃の写真には普通に写っているものもあるのですが、ここ数年はまともな写真を探すのが難しくなっています。(無いわけではありません)
もともとは「写真を撮ろうとするあの一瞬の緊張感が耐えられない」とか言った理由だったと思うのですが、今では半ば習慣、あるいは執念と化しています。
私が会社にはいって5年ほどの間同室であったHRという男も、写真に写るときは怒った顔か、あるいは妙に笑った顔の2パターンしかない男でした。彼の影響も少しはあったかもしれません。
実は先日見合い用のスナップ写真を送れ、といわれたのですがアルバムをひっくりかして愕然としました。まともな顔をして写っている写真が見つからないのです。しょうがないので比較的まとも、と思われる写真と友達の2次会でドラムをたたいているときの写真(さすがにこのときは変な顔をする余裕はなかった)を送りましたが。。この分では葬式の時の同じこんなんが生じることでしょう。とはいってもその時には私は死んでるわけで、まあ本人にとってはどうでもいいことなのですが。
「留学気づき事項」を参照ください。簡単に言えば「みんなが手を挙げるだろうと思って手を挙げて、あたりを見回したら手を挙げていたのは私だけだった」という表現が適当かと思います。
何故「猫柳、花丸木」と口走ったり、メールの冒頭に使ったりするのですか?
私は時々メールの冒頭に「猫柳と花丸木の花が咲き乱れる今日この頃、いかがおすごしでしょうか?デトロイトは氷につつまていますが、しかし彼らは咲いているのです」
などと書いてみたり、あるいは電話での返答に「猫柳」とか「花丸木」とか使ったりします。
さて私の友人は私のこういった類の奇行にはなれていて、特に何も言いません。ある人は私のメールの冒頭の何行かは「全く意味がない」と言いましたし、ある人は私の「猫柳」という返答を聞いて、それは「アロハ」と同じ意味ね、と軽くいなすわけです。
では一体この言葉はいつから使われて、かつどういう意味があるかですが、これは私にも正確なところはわかりません。
「猫柳」は天才バカボンという漫画のTV版の「柳の枝に。。」という歌詞から来た物と思います。花丸木にいたっては全く起源がわかりません。この言葉は世間でも時々耳にしますが、何か意味があるのでしょうか?かといってgooで「花丸木」というキーワードでいくつかのホームページがヒットすることも確かなのですが。
HappyDays24章にこの問題に対する解答があるので、ご参照ください。(ちなみに今であればここに列挙されている女性の中に、Jodie Foster, Julia Robertsもはいると思います。そして松島なにがしも追加いたしましょう。)
ちなみに私は美人は好きですが、面食いか?と聞かれれば「顔はいいにこしたことはない」と答えます。過去に好きになった女性を省みるとき、それが必ずしも世間的に美人(あるいは可愛い)と呼ばれる人ばかりではなかったことは確かです。
最近男女を問わずつくづく痛感するのは「人の話にちゃんと耳を傾ける人」は好きだな、、ということです。逆に言うと、人の言うことに耳を傾けず、自分のことばかりしゃべる人が世の中如何に多いか、ということでもあるのですが。
そして不思議な事に私が見た限りで最高に「人の話に耳を傾けない」人であっても「自分は人の意見を大変尊重する良いヤツだ」と思っているのです。というかこの点に関しては、だいたい自己評価と他人から見た評価は正反対だと思っても間違いないようです。
さて最近は三国志の中の曹操の正室が結構気に入っています。娼妓の出らしいのですが、三国志に残っている言動は実に立派で、腹が据わっています。こういう人がいればな、と思うこともありますが、まあ滅多に居ないから曹操の嫁になったとも言えますね。身分にとらわれず才覚を重んずる曹操の性質がこんなところにも出ているような気がします。
これは友達から訊かれたことです。これに対する解答は結構長いです。
小学生の昔から、自由な題の作文は結構好きでした。もっとも当時から、「交通事故」に関する映画を観た後に感想をかかされると「人形がはねられたりしてかっこよかった」と書くようなひねくれものでしたが。(子供心に「作文を書かせる側が何を期待しているか」がわかっていたのでしょう。もっともこの作文は母親参観の時にはりだされて、母親は大変はずかしい思いをしたそうです。曰く「この子アホじゃないかと思った」だそうですが。)
私が日記を書き始めたのは高校のころからです。当時は不定期に書いてましたが、大学にはいってからは結構まめに書いてます。
大学時代、一時期ミニコミ誌のサークルに入っていました。書いた文章は、「マイコン雑誌に関する書評」「演劇の評論」(これは評判が悪かったです)「僕の好きなRC-SUCCESSION」「ダンパドキュメンタリー」。こうやって題名を並べてみると今と同じ様な文章を書いてますね。日の目を見なかった文章も一つ書きました。友達が一回だけ発行した内輪のミニコミ誌に載るはずだった文章ですが。。彼が第2号さえ出していれば。これは結構自分でも気に入っていたのですが、今はどこにいったことやら。
大学時代の終わりに書いた「ぴあ」への投稿はこのホームページにも収録してます。(Pia1985年3月22日号を参照ください)
さて会社にはいって学生の頃のように文章を書くなんていう余裕はなくなっていました。特に私の場合文章を書こうと思えばワープロは必須だったのですが(字はとても汚いし、疲れるし)自分で使えるコンピュータが手に入ったのはほんの10年ほど前のことなのです。
さていろいろな理由から自分の机の上にコンピュータが載り、「YZ姉妹」を書いたのは平成元年のことでした。このいきさつは「YZ姉妹」の「おしまい章」をご覧ください。
それが内輪で結構うけたものだから、次々と書いてみたわけです。結果はご覧の通りです。
さて時々「私の文章は読みやすい」と言ってもらえることがあります。もともとこの質問をした友達は多分「どうやって読みやすい文章を書くようになったのか?」と訊きたかったのかとも思うのですが。
これに関しては「蒼天航路」の曹操の言葉をもって答えてみましょう
「言葉というものは学べるようでいて、ない者には永遠に身に付かぬのだ」
もし私の文章が読みやすい、と思っていただけるのであれば、重遠の部をちょっと読んでみてください。私の文章は、私が自分で努力して作ったものではなく、父からの遺伝であることがわかるでしょう。かといって山のように存在している誤字脱字を父のせいにするつもりはありません。これは私の性格のずさんさを表すものです。
つりズボンしてへらへらしたの:(トピック一覧)この事に関する詳細はトピック一覧経由「留学気づき事項」を参照ください。本文に戻る
平成10年度宇宙飛行士の募集に応募した:この件に関する異様に詳細な説明は「府中へ」をご覧ください。本文に戻る
人の言うことに耳を傾けず:(トピック一覧)いつかTVで「耳が二つあって、口がひとつなのは、人の話をよく聞くためだよ」と言っていた人が居ました。私の意見では、二つあってこの有様では、一つしかなかったらさぞかしやかましい世の中であっただろう、ってなところです。本文に戻る
曹操:(トピック一覧)三国志演義およびその亜流の三国志では悪役として書かれている人物。しかし正史の三国志に書かれている最初の正室を迎えにいく場面は結構素直だ。本文に戻る
日記:(トピック一覧)トピック一覧を観てもらうと、私がこのホームページに堆積している文章を書くのに、何度も日記から引用していることに気が付くと思う。本文に戻る
ダンパドキュメンタリー:この文章は「俺達に友情はない」を参照のこと。本文に戻る
蒼天航路:(参考文献一覧)私が知っている限り、正史の三国志にはこのセリフはない。本文に戻る