題名:留学気づき事項

五郎の入り口に戻る

日付:1998/5/8

前書き

1章

2章

3章

4章

5章

6章

7章

最後に

後書き


2. 願書請求について

願書請求については、私はソ設のAR先生に多くを負っていたと言っても過言ではない。実のところ私は、当時一月渡米一月日本といったような生活をしていて、ほとんど何も考えていなかったからである。

ある日私が2回目の渡米から戻って、ほにょほにょしていたら、(多分6月か7月だったとおもう)AR先生が大学の一覧表を持ってきてくれて、これで願書請求を出すんだよーん。あとJPAAのフォームもスキャナで読み込んでMacのファイルにしてあるよん。と言ってくれた。渡に船とはこのこと。私は労せずして願書請求用のフォームと送り先一覧表を手にいれることになったのである。

この時点で、私の志望学科は、本当はComputer Scienceであった。ところがここから前後して、私は急に弱気になりだしたのである。Iさんの大学合格星とり表は以下の通りである。

合格:MIT(Aeronoutics & Astronautics),Stanford University(Aeronautics & Astronautcs),U.C.Berkeley(Mechanical Engineering) 

不合格:Princeton University(Mechanical and Aerospace Engineering), U.C.L.A(Electrical Engineering), U.S.C.(Electrical Engineering)

天下のMITとStanford に合格していながら、体育だけが有名の(?)U.C.L.A、University of Spoiled Childrenの異名をとるU.S.C.に不合格になる原因としては、出身学科と違うところに入るのが異様に難しいのではないか、と考えざるをえないのである。私は天下の機械工学科出身である。それでなくてもComputerScienceは人気学科である。などとつらつら考えるうちに、結局リストにある大学ほとんどに、Computer Science or Engineering,Mechanical EngineeringのJPAAフォームを送付することとしたのである。送付には社内で使用している海外向けの郵便ルートをそのまま使い、また同じ封筒に二つの学科へのJPAAフォームを同封してなにも考えずに送った。

一通り、願書請求を送付し終わった後で、ふと気がついてみると、私は志望校選定について自分で何も考えていないことに気がついた。ただAR先生からもらったリストにそって出しただけである。これではいけない。と少しは考えて、C3Iに関する論文集から大学の名前をひろってみた。出てきたのがMaryland 大学, The Johns Hopkins Unviersty,それともっとも恐れていたアラバマ大学ハンツビル校である。このうちThe Johns Hopkins に願書請求を出そうとしたが、調べてみるとOperations Researchの学科がありそうである。そこで何も考えずにORに願書を出した。それからまた私は一月渡米することとなった。そして再び願書のことについてはすっかり忘れてしまったのである。

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注釈

University of Spoiled Children:「甘やかされたガキどもの大学」のこと。留学に行ってわかったのだがこの名前は非常にあたっている。あるいは"USC"ならぬ"U$C"という表記もある。本文に戻る

 

アラバマ大学ハンツビル校:なぜこんなに恐れていたか。当時出張に行っていた会社がそのハンツビルにあるのである。ここは本当にどイナカでなんの楽しみもなければ、他にいくのも大変という土地であった。出張に行っている最中にI社員から「ここがいいんじゃないか」などとさんざんからかわれていたのである。

と当時は考えていた。しかし今思えばデトロイトに比べればハンツビルのほうが100倍もましである。本文に戻る