題名:Making of my homepage

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日付:1999/10/1

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1999/10/1

1999/10/8

1999/10/11

1999/10/19

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1999/11/7

1999/11/14

1999/11/20

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1999/10/1

「秋になると金も払わないのに涼しくなってありがたいな」とは私の父の言葉だ。その言葉が実感できる今日この頃。

久々に出張で米国に行った。しかし何をしたわけでもない。ただただ時間を拘束され、黙って座っていた。歩いて5分のところにあるコンピューター屋に行くこともできなかった。去年の今頃は個人的な旅行で米国に行き、とても幸せだった。この差が給料というものか。しかし帰りの飛行機の中で面白い人と話すことができた。

この顛末はそのうち文章にするつもりである。

最近カナダや米国のベンチャー企業の人たちと会う機会があった。彼らは明確な目的を持ち、そしてそれに向かって全力で進んでいる。日本のTraditionalな企業の力学というのはその正反対だ。ただ漠然と存在し、(ほとんど)動かないこと、何も新しい事をしないことにその存在価値がある。

対極にある二つの文化が会議で対面しているのを見るのは1度や2度ならば大変興味深い。最初は蜜月の様に見えてもその後に何が待っているか知っている身としては多少彼らが気の毒にもなるのだが。私は明確な目的をもってそれに向かって地道に努力している人が好きだ。自分にできないことだから。だから彼らが失望したりいらだったりする姿はあまり見たくないのだが。

個人的な方はといえば、This is terrible.としか言いようがない。実際この米国出張がなければこのMaking of my homepageはこの一言しか書くことはなかったのだ。

 

1999/10/8

いきなり夏から冬になった。衣替えなどとんでもないな、と思っていたら朝晩は寒いほどだ。

表紙を少し変えてみた。今まで「この画像はファイルばかり大きくて意味がない」とか「この題名の絵の余白が大きいのはなんとかならないものか」と思っていたのをなおしてみた。でもそのうちまたころりとかわるかもしれない。なんとなく変えたいイメージはあるのだが、腕も具体化する想像力もおいつかないようだ。

あるホームページの「ホームページバトル」というのに参加した。参加ページをならべて「いいと思った方に投票してください」というきわめてシンプルなゲームだ。私は1回戦負けだったが、見知らぬ方が30人以上も私に投票してくれた、というのは実生活に置き換えてみるときちょっとうれしくなることである。こうした駄文を書いて紙でくばっても30人の人に見てもらえることすらおぼつかない。私に投票してくれた人からメールがもらえたのはもっとうれしかった。

ふと一年前の事を考えたりもする。最初の日に説明を受けて、驚愕したのが遠い昔のようであり、昨日のことのようであり。今から考えれば初日に説明があるだけでもましなほうだったのだ。(少なくともこの会社では)派遣はなくなったがやっていることは相変わらず靴磨きだ。

最近「荘子」をまた読み返している。自分が年をとるとともに、何度でも読み返し、新しい発見ができる本というのはそう多くない。

 

1999/10/11

理由は全くわからないが体が重い。仕事を何もせずに毎日定時退社と言うのに。

3連休に代休をつけて4連休にした。旅行に出ようと、Macintoshをかついで電車にのったが、電車にのれば居眠り、宿につけば寝通しでただ宿代と電車代を余分に払っているようなものだ。

では一日ねてみようかと思えば、外はとても寝ていられないほどいい天気。外にでてみてぼけた顔を疲れた足をひきずって歩き回っては見るが。

街を歩いてみるのもそんなに悪いことではない。いろいろな格好をした人が居て興味はつきない。最近は特に若い女性の熱意に感心している。名古屋のほうにいけば相変わらず白い長い靴下をはいた高校生をたくさんみかける。彼女たちは夏の間もあの靴下をはいていた。最近はいいのかもしれないが、酷暑の名古屋であの靴下の中は異常な高温になっていたのではなかろうか。靴下にどのような思い入れがあるか知らないが、こもる熱気にもめげず長靴下をはき続ける彼女たちの熱意には全く頭が下がる思いである。

もう少し年があがると、今度は高下駄のようなそこの高いブーツをはいた女性を時々見かける。私は彼女たちに対して好悪いりまじった感情を抱いている。

「好」の方から書いてみよう。なんといっても彼女たちの格好は興味深い。足下をみればまるで彼女たちがはいている高下駄ブーツは馬の蹄のようだ。さすがに安定が悪いせいかそこの方が広くなっているものもあり、ますます蹄っぽい。また顔をあげれば、中にはカウボーイハットをかぶっている女性もいる。足は馬で上はカウボーイ、まるでケンタウロスのような半人半馬の姿であり、なんとなく見ていると愉快な気分にさせてくれる。いっそのこと靴の底に蹄鉄でもうち、中を空洞にすれば歩くたびに馬のような「かっぽれかっぽれ」という音がたって(少なくとも私にとっては)より好ましいのであるが。まあこれは人の足の話だから私が要望をだせることでもない。

では「悪」とは何か。彼女たちの高下駄をみていると元が柔道少年の私としては「足払い」をかけたい衝動に駆られるからだ。柔道の技の基本というのは相手のバランスがくずれたところで技をかけるところにある。彼女たちの高下駄は実に不安定そうだ。高下駄を注視している間に、相手の腕と襟をつかみ、思い切り足を払い、すると彼女たちの足は高下駄もろとも宙に舞う。。という妄想にしばらくひたってしまうのである。

もちろんそんなことを実際にやれば警察行きは免れない。従って私は来年はこの高下駄がすたってくれることを祈るしかないのであるが。

 

1999/10/19

またもや表紙を変更した。前から「日本語は縦書きだよな」と思っていたことを実行に移してみたのだが、どうにも中途半端に終わらざるをえないのは、HTMLで書いている以上しょうがないことか。またタイトルは大抵のホームページで上か左上にあるので(横書きでは、文頭は左上にくるから当然だが)ひねくれもものの私は右上にしてみた。もっともこの配置だと小さい画面ではタイトルが見えないが。

夏からいきなり冬になった。そして私は例によって例のごとく鼻風邪をひいてしまった。いつものことだがこうなるとくしゃみと鼻水が止まらない。仕事は何もしていないのでその方面の支障はないのだが、いつもながら健康は失うとそのありがたさがわかる。さっさと布団をかぶって寝ることにしよう。

ある男の勧めに従って、毎日腹筋をしているおかげで腰痛の機嫌は少しいいようだ。ありがたやありがたや。

去年の今頃、会社のパソコンのデスクトップにかざってあった文字は「臥薪嘗胆」だった。今は項羽が漢にかこまれたときの歌である。「力は山を抜き、気は世をおおう。時利あらざり、推行かず。推行かざるを如何せん。虞や虞や、汝を如何せん」(記憶で書いているので漢字は間違っていると思うが)もっとも私には虞と呼べる相手はいないが。

 

1999/11/1

11月は好きではない。寒いし日が短い。しかし前の会社にいればもっと寒くて日が短いDetroitにまだいるころだ。それにくらべればましか。

秋になると葉が全部落ちて木の幹だけが立っている。

言うことは言ったからもうやることはないのだが。

めずらしく一週間に二つ新作がでた。しかし考えてみれば「マキアヴェッリと私」は1年以上前に書き始めた物だが。おまけに題名一覧に載っていないが通算でもこの文章は30位にはいっているのだ。さて、いよいよ新潮社にプリントアウトして送る、、、というのが当初の目標だったのだが、、、、

最近プログラムばかり作っていて文章の更新がおろそかになりがち。その割にはこのMaking of My homepageだけは律儀に更新しているのは何故だろう。プログラム制作は一段落したから今度は文章を書くかな。

きっと開き直った頃に良いことがおこるでしょ。無我になったときにしか良いことは起こらないとは私の信条の一つだが、逆に言うと「無我になっても良いことが起こるとは限らない」とも言える。

さて、本来だったらもうこの文章は書き終えてアップしているはずなのだが、Niftyのサーバーはお亡くなりになったままだ。だからこうしてだらだらと書いている。今日は一日ねていた。何もしなかった。思い返せば10代のころ、そして20代のころ私の休日の過ごし方はほとんどこのようだった。それがもったいなく感じるのは何故だろう?理由は明白。

この数ヶ月電話はほとんどパソコン通信+インターネットの為だけに使われている。電話線の上を音声がとびかったことはほとんどないのだ。今をさることAbout10年前、私がいた寮には公衆電話が3台しかなかった。そして私はそのうちの一つを長い間独占する青年だった。一体何を考えて何を話していたのやら。それからしばらくして、各自の部屋に電話がひけるようになり、さらに数年後には携帯電話なるものが普及しだした。だから当時の独身寮の電話に関する話というのは今はもう年寄りの退屈な昔話でしかない。「若者に通じないコンピューター・オフィス用語」の続編として「年寄りの退屈な昔話」でも作ってみるか。

そういえば昔は女子寮に住む女の子に連絡をつけるのは、至難の業だった。その一部は「YZ姉妹」にもでてくる。仮に電話が通じたとしても、長話は厳禁であった。彼女たちの側にも電話回線はたくさんなかったのだ。携帯なるものが発明された今ではあの苦労話は遠い世界のことのように思われるかもしれない。しかしながら道具立ては変わったが男女の間のややこしい話というのは本質的に人類の曙から変わっていないのではないかと思える。もっともこちらは私にとって遠い世界の物語になりつつあるが。

 私が他人として客観的に今の自分を見れば「ゾンビのような奴。自分が死んでいるのに気がついていない」と評するところだ。

 

1999/11/7

ここ数週間で3回ほど午後10時すぎに数度なって切れる電話があった。間違い電話にしては出ないうちに切れるのが妙だ。かといって私をよく知っている人間でないことも確かだ。私は午後10時をすぎればかなりの確率で寝ているのである。もっともそれを知ってのいやがらせ、という説も成り立つかもしれない。

しかしよほど暇な人でもない限り私にいやがらせの電話をかけようとは思わないだろう。だいたい本格的に寝ている時は、気がつきもしないのだからいやがらせのかいがないではないか。では何だろう?

いつか読んだ漫画に「間違い電話+無言電話」というのがあった。「電話番号くらい確かめてからいやがらせをしろ!」とかけれられた方がどなっている図柄だ。今度かかってきたらがんばってHung upするまえにとってそう答えてやろうか。とはいっても気になるほどの頻度ではないからどなるもの大人げない気もする。まあ眠いからほおっておくか。

番号は間違っていないのだが、今まで何度か「○○さんお願いします」と全く別の名前をつげられたことがあった。この電話番号を前に使っていた人(あるいは家族)はなかなか社交的だったのだろうか、などと考えたりもする。あるいは若い女性の声で「○○さんお願いします」と男性の名前を頼まれると、こいつは罪作りな男だったのだろうかとも考える。他にNumber Displayの記録を見ると平日の昼間に何度か電話がある。これらはすべて私が知る限りマンションのセールスの類だ。

最近なんとかアクセス解析を自前でやるべくCGIの制作にいそしんでいる。今使っているところは月1300円で安くはないし、検索エンジンで飛んできたとしても、どんなキーワードでヒットしたかもわからないからだ。なんとか動くスクリプトは(本を見ながら)書けた。あとはサーバーを捜すだけだが。アメリカのフリーのサーバーで試験をし、「よし。これで運用だ」と思ったらその瞬間アカウントを取り消されてしまった。何かが彼らのお気に召さなかったらしい。結局日本の有料サーバーに申し込み中だが。

最近Ally McBealというアメリカのドラマばかり見ている。日本では「アリー・Myラブ」とか言ってNHKで放映しているが、それほど大きな話題にもなっていないようだ。

このドラマは分類で行けばコメディである。しかしそのストーリーの構成、出演者の演技は実に見事だ。Computer Graphicsを使ったおちゃらけシーンも入るがそれらはちゃんとストーリーの中にとけ込んでいる。笑いのおこるシーンの中にもきっちりと人間を描いている。ストーリーの展開はユニークで、3年目のシーズンが始まったところだが、どう展開していくのか予測もつかない。そして面白いとすればそれは大人の笑いなのだと思う。

私は日本のドラマはほとんどみることができない人間だ。しかしたまにチャンネルをパチパチと回してみたりすると(この表現自体死語かもしれないが)数秒見ただけで何度も見たような類型的なシーンに出会う。誰かが泣いているか怒っているかむきになっているか。皆がいがみ合う。必ず誰かが困っていく。とても定型的だ。「こういう描き方があったか」と驚かされるような深みにはなかなか出会えない。しかしこれこそが日本人の心をくすぐる要素なのかもしれない。同じ言葉、同じメロディが延々と続く演歌の世界なのだ。

ようやく先日表紙のカウンターが4000を越えました。皆様のご愛読感謝いたします。

 

1999/11/14

寒くなり不眠症が復活のきざしをみせている。何かの本で読んだ話だが、ある文豪は「冬になったら一旦死んで、春に復活できたらいいのに」といったそうだ。30をすぎてからというもの寒さがやたらと応えるようになった私にはその男の言葉がなんとなく「そうだそうだ」と思えるのだが。

しかし不眠症の原因はそれだけではない。原因ははっきりとわかっているし、それに対処もしている。だから今は待つしかない。復活を待ちつつ冬眠している場合ではないのだ。

「仕事をしていないと人間だめになる」というのはうちの父の名言のうちの一つだ。とにかく今の会社にはいってから仕事は何一つしていないので、今や私の髀肉はだぶついてぶよぶよであり、人間もだいぶだめになっている気がする。

さて、髀肉の話はもうよそう。冠なし婚あり、葬はなくて、お祭バンドと呼ばれる(これは私が勝手に呼んでいるのだが)Polypus & JMSだが、ひさびさに(実に一年半ぶりだが)人前でやる機会があるかもしれない。(もっともまだ不確定だが)いつのまにかボーカルが3人もいるバンドになったので、仲良くコーラスができる。(はずだ。音がはずれなければ)Glayから筋肉少女帯はてまたAerosmithまでというポリシーのないレパートリーを人前で披露できるかと思うと不安はぬぐえないが、まあなんとかなるだろう。姉のところの長女(つまり私の姪だが)はピアノの発表会で途中でつかえること2回。しかし動揺する様子をみじんもみせずに3回目でちゃんと演奏、堂々とおじぎをして帰ってきたことがある。彼女の叔父である私に同じ事ができないわけがない。

 

1999/11/21

11月の終わりはこんなに暖かかっただろか。。と思いながら日をすごしている。また仕事で米国にいくかもしれないが、日程は3泊1日である。仕事の必要性にせまられてとんぼ返りでアメリカ出張など珍しくもないが、私にとってその1日は黙って座っているだけなのだ。まあいまさらこれくらいのことでは驚かないが。N○○ではきっと出張には鞄持ちをつれていくのが必須になっているのだと思う。

などと考えていたら風邪を引いてしまった。のどがいたく、頭が痛い。風邪になるといつも「このひどい熱さえなんとかなれば」と思う。しかし熱がひいたからといってそんなに幸せになれるわけでもない。ただ考えようによっては、風邪をひいてひっくり返っている間はそのことだけが問題のような気がするから世の中の構図が少し単純に見えているかもしれない。近くまで迫っている問題まで気が回らないからだ。しかしその問題が無くなったわけではない。ちゃんとそこに少しずつ大きくなりながら座っている。気温は高く晴れたすばらしい週末に寝ているしかできることがない。

風邪のおかげで思考能力が落ちて何も意味があることが書けない、、というのはあまりに無責任なので、最近ふと考えたことを書いておく。

ある文章系の大変有名な(らしい。文章ばかりでありながら、表紙のカウンターが60万をこえているのだ)サイトにつきあたった。実際このサイトは短い間は大変楽しく読める。そしてそのサイトのオーナーはネット上で知り合った志を同じくする人たちに「弟子バナー」というものを配布し、「弟子というよりはアミーゴとしてお互いに切磋琢磨する」、ということをやっている。

その「弟子」たちのサイトを回ってみたが、やはり文章だけであろうが、そうでなかろうが、面白いサイトを作るのは難しい、ということはわかった。。。というのは考えたことの半分である。あとの半分はちょっと自分でも驚いたようなことだった。

私は「弟子をつくる」とか「他人の弟子であることを示すバナーを表紙にはる」という考えが全く浮かばないことに驚いたのである。強調して置くがその弟子バナーをくばったり、つけたりしている人を非難するつもりは毛頭ない。しかし自分がそんなことをするのは天と地がひっくり返ってもごめんだ、と思ったのである。これは自分にもちょっと驚きだった。やはり私にはちょっと変わったところがあるのかもしれない。

ちょっと前にも同じ様な驚きを経験したことがある。「蒼天航路」に関してインターネット上で開かれていた会議室で「仕えるなら劉備か、曹操か」などという会話を見ていたとき、自分の頭に浮かんだ考えに驚いた。私はどちらに仕える気も全く無かったのである。

自分の頭に浮かんだこの考えは自分にとって驚きであると同時に、よくよく考えてみれば私がこれまでつきあたってきた様々な事柄の説明になっている気もする。

そんな日曜日、StanfordはRose Bowlに行くことになった!これでここ数週間最低レベルにまで落ち込んでいた私の基礎代謝は一時的に5倍くらいに高まった。頭の中に「何も考えずに正月はLos Angelsだ」という考えがぐるぐる回って消えないのであるが。

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注釈

父の言葉:トピック一覧)父の名言は数は多くないが意味深いものが多い。本文に戻る

 

荘子:(参考文献参照)最近は原書だけでなく、解説のほうも読んでいるが本文に戻る 

 

無我になったときにしか良いことは起こらない:(トピック一覧)「無我になった」を「望みをすてた」と読み替えている。本文に戻る 

 

Ally McBeal(参考文献一覧):Making もののLife and Trials of Ally McBealもお気に入り。本文に戻る

 

日本のドラマはほとんどみることができない:(トピック一覧)3分以上見るとたいていの場合発狂してしまうのだが。本文に戻る

 

Polypus & JMS:(トピック一覧)はやいもので、もうすぐ結成10周年である。本文に戻る

蒼天航路:(参考文献参照)そうは言ってももしそういう状況に突き当たれば、どちらかの下っ端役人として「ぶつぶつ」言っている毎日を過ごす、と思うのだが。本文に戻る

曹操:(トピック一覧)あるいは真っ先に首が飛んでいたか。本文に戻る