日付:2000/7/1
2000/7/31一日寝ていれば外に歩きに行けるかと思ったが、昨日も寝たおしてしまった。というわけでかなり疲れがたまっているということがわかった。問題は原因がわからないことだ。手がしびれるのはなぜなのか。
とはいっても買い物にお出かけはしたのである。少なくとも名古屋に比べると東京の方が少しは涼しいような気がする。
初めて東京にでてきたとき、9月に
「あれっ。夏はいつ来たんだ」
と思ったのも嘘ではないのだが。
地震がひどく多い。最近は「地震速報」の文字がでても
「ああ。また三宅島か新島か」
と思うほどだが、これが落ち着いてくれればいいいものの。
昨日は一日見事なくらいに寝ていた。理由はわからないが疲れがたまっていたのだと思う。どうもここ数日この日記を書くのも大変だとは思っていたのだが。
実際先週は会社で(仕事がないのはいつものことだが)駄文を執筆する気力もなく、ひたすらインターネットであちこち巡っていた。それも新しいジャンルを開拓する力もなく、ただいつも回っているサイトをぐるぐるしていた。自分で気がつく、気がつかないを別としてこういう事を始めたら疲れたサインなのだなあと覚えて置くことにしよう。
というわけで今日も明日も書き足すのはお休みです。とはいっても日記はだらだらと続くことでしょう。
というわけで今日のだらだら。私のアパートの近くにあるそば屋件あれこれの食事屋には一人メインの接客係というか横文字で書けばウェイトレスがいる。彼女はやたらと丁寧な言葉
「はーい。おまたせしましたー。ごゆっくりー。すいませーん」
と語尾をのばして演歌のように言う。勘定を払うときには
「はーい。735円になります。すいませーん」
最初にははーい、最後には必ず「すいませーん」がつく。もっとも彼女が私に対して何か謝罪する理由があると考えるのは間違いだ。
私はこのそば屋を結構愛しているが、入ったとたんに「はーい」が聞こえてくると軽くため息をつくのも確かなのだが。いや。確かに近くにある食事屋というのはありがたいし、そんなに味も悪くない。私は接客用の機械的な笑顔を大変恐れている(Smile参照)が、機械的な「すいませーん」も同じくらい私をおびえさせるということなのだが。
さて、楽しい7月もあと1日。何が楽しいかは聞かないように。今のところ私にはわからないから。
さて、最近妙な情熱を傾けているのが、Twin Power Macの作成とこの日記だ。
前者の方は、まあ去年と今年の前半燃え上がっていたソフト関係に対する情熱がシフトした、と思えばよろしい。問題は後者である。あちこちのサイトをたどって世の中には面白い日記&雑文のページがあることを知ってしまった。となると
「これは一発私もがんばってみようか」
などと思ったりする。
すると目に入るものすべてが
「これはネタにならないか」
と思ったりして見るようになってしまうのだが。まあしかし
「今日は駅に妙にゲ○が多かった」
などという話は事実であっても人が読みたいとは思わないだろうし、自分で書いていても気持ちが悪くなる。昨日は他に何かあったかな。そうです。今日から9日間の夏休みです。
7月も終わりだ。夏休みがあったころは、この7月の間だけが
「おお。休みだ」
と実感がある期間であり、残りは結構「ずるずる」とすぎていった気がする。そして毎年
「7月中に宿題をやってしまおう」
と思い、8割方は成功するのだがやっかいな残り2割は結局最後の週まで残っていく。
最難関は習字であった。私はとにかく字が下手だから、習字は好きではない。それに加えて何故か母が介入してくる。一度は泣きながら書き直させられたのだが、それを今母に言うと
「あら。そんなことあったかしら」
といい気なもんだ。
今は宿題がないが会社から給料をもらっているから、一日8時間は机に座っている。ちなみに来週はうちの会社の夏休みである。
昨日はとても涼しくご機嫌であった。
ほっとするのはいいのだが、頭はからっぽになってこの日記に書くことも思い浮かばないような状況だ。
いつも毎日の日記を書いているのは会社に行く電車の中である。だからこの時点では会社で何が起こるかしらないわけだ。とはいっても何が起こっても大抵の場合ろくなことではなく、ほとんどの場合長く考えるべき価値もない事柄だ。
というわけでこの日記には会社の話を書かないのである。
逆に面白いこと、楽しいことはできれば覚えて置きたいので書いていいと思うのだが、そう考えてもネタがないことにはどうしようもない。
今朝電車で前の席にちょっと中国風の服をきた感じの面白い女性が座った。こっくりこっくり左右に振動していたので、大丈夫かと思って見てみるとふと体をまっすぐにし(思うに覚醒したのだろう)手首をぽきっぽきっとならした。
ひょっとするとほんまもののカンフー使いかもしれない。
いつも思うのだが夏風邪ほどばかばかしい病気はない。汗をだらだらと流しながら鼻水も出る、というのは実にふざけている。そして今はそれほどひどくはないが、確かに風邪をひいているのだ。
これというのも冷房という文明の利器を寝ている時に使おうとしたからだ。しかし冷房をかけなければ真夜中にうなぎ犬になった状態で目覚めるだけであるからして、大変難しい判断を迫られるわけだが。
幸いにして昨日の午後は大変涼しかった。そしてこの低い気温が今日も続くことを切に望むのであろうが。
などと気温が暑い日が続くと人生の一番の関心事項はその日の気温になってしまうのである。余計なことについて悩むことがなくなるのはいいとすべきか、あるいは必要な思考能力が落ちるのが問題とすべきか。
表紙がもう少しすっきりしないか、という妄想にとりつかれている。そのうちまた何かするかもしれない。
でたらめに暑い今日この頃、さらに灼熱の屋根裏部屋でTwin Power Macは暴走もせずに動いている。あれこれサイトをみると
「あまり暑い環境で使うと部品寿命が縮みます」
とか書かれているが、まあそれはそれ。ファンをかたっぱしから(といっても2カ所だけだが)とっぱらいヒートシンクの山になり静かに動いてくれたほうが私としてはありがたい。
今朝駅までてけとこ歩いているとき、立ちションをしているおじさんを見つけた。立ちションをしているときというのは周囲の気配に大変敏感になっているものだが、気がついたところで何もできないのがいらだたしい。一度出始めたものはなかなかとまらないし(そういえば中断させるとなんとかの訓練になるとか昔本で読んだなぁ。。。思えば遠くへ来たものだ)かといって相手の顔を見るのも恥ずかしい。とはいってそのまま平然と前を向いていられるわけではない。
彼はふとこちらの方に首を回しかけたがまた前を向いた。できるのはそれくらいのことだ。
「徘徊する個人のサイトs」に「プリケッツ団」を追加。毎日の日記がここまでおもしろくかけるものか、と感嘆させられる。
これも我と我が身が招いた結果。
といきなり意味不明の言葉で始まる今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。花丸木の大坪でございます。
思えば幼少の頃はクーラーとはお客様が来たときだけつける贅沢品であり、真夏にクーラーのない部屋で押入に頭をつっこんでお昼寝をすることができたとの同じ人間なのでありましょうか。この暑さに弱くなったことと言えば。
5月から毎日更新を目指してきましたが、大敵が現れました。この暑さです。頭が猫柳状態で書くことが思いつきません。
私は赤ん坊の頃、夕方になるとわーわー泣く子供でした。幼稚園の時の「将来なりたいもの」は「ヒラのサラリーマン」でした。偉くなると大変そうだからです。
胸のあたりをこん、こん、と叩いてみると中身がわかるのでしょうか。
異常に暑い今日この頃皆様いかがおすごしでしょうか。22日は父に言わせると
「いい暑さだな」
であり、母に言わせると
「燃えとった」
とのこと。
私もよれよれとなっているがこれまた結果は封筒の中に。
TVを見ていると沖縄サミットは小渕君の大ヒット作ではないかとつくづく思う。だいたい西洋の建築物を模倣した迎賓館など一度いけば十分だ。これからのサミットは是非ゴジラのように全国行脚にしてほしいものだ。次はやはり通天閣をバックに記念撮影ではなかろうか。
私のMacintoshに「Twin Power Mac G3+G4」を追加。ユーザーだけでなく、エンジニアが見れば驚嘆の念を禁じ得ないであろうPower Mac Cubeを見て私が何を考えたのか。
さて、酷暑の中。これまた暑い屋根裏部屋でPowerMac Twinはよく動いていると、、思ったらG3のほうが死んでいた。そしてグラフィックスカードのファンをヒートシンクに変えようと思った瞬間G4が死んだ。とはいっても熱暴走したとかそういうことではない。単にヒートシンクがチップにうまく張り付かないだけだなのだが。
恒例のあれこれ更新の日である。体重はおちついてきてはいるが、この先夏ばてと休みがどう影響するか心配である。SETI Situationは順当に進捗中。これからはG4も解析に加わることになる。大坪家ランキングでは映画評がのびている。やはり「滞貨一掃」がきいたのか。しかしこれからしばらく見たい映画がないのも事実なのだが。
朝はうなぎ犬になってめざめる。
おとといの晩、それに昨日一日は私が何よりも愛している惰眠をさぼってまで(このさぼるという表現には問題があるかもしれないが)ひたすらTwinPowerMacG3+G4の作成にいそしんでいた。
いくたの切りくずと「壊してしまったか」という恐怖との後に本当に構想通りの物が動き出す、というのはちょっと信じがたいが喜ばしいことだ。この顛末はそのうち「私のMacintosh」に書くだろう。
今回は奮発してDVD-ROM+CD-Rをつけてある。栄えある私が所有する最初のDVDは当初予定していたモーニング娘を僅差でふりきったRiver Danceである。いつもながらプロの芸というのは小うるさい私の心の声を黙らせて画面に向かわせる。群舞、ソロの踊り、それに音楽までもが一人一人が本物もプロであることを問いかけてくる。クーラーをかけていても汗が流れるような日に背筋を寒くさせるような芸はそうたくさんあるわけではない。
去年だか一昨年だか日本にも来たはずだが、対して評判にならなかったのはどういうことか。
「かわいー」
とか
「えー」(不満を表す声)
と叫ぶところがなかったのがいけなかったのだろうか。
さて、何の日か今ひとつわからないがとにかく今日会社に行かなくていいのはありがたいことだ。会社にいても一日インターネットで遊んでいるか、会議にでて理解できない空気の振動を感じているかどちらかなのだから。
昨日はまじかにせまったMac World Expoの情報サイトの情報を見比べていた。ここ数日いろんな噂が流れていたが、結果から見れば日本の「Macお宝鑑定団」というサイトが一番最初に正しい情報をつかんでいたようだ。その後某サイトに新機種の正しい画像(間違った画像やら想像図は山のようにアップされたいたのだが)がアップロードされたがAppleからの抗議によりたちまち消えることになった。
さて、そうした騒ぎの末新しく発表されたMac Cubeはまたもや他社の先を行く物となった。「かわいい」iMacを発表。売り上げを伸ばしたところで他の会社が同じく「かわいい」パソコンを出す。それが成功せず「かわいいブームはもう終わり」という記事が出始めたところで今度はまた今までのものと全く違うコンセプトを極めた機種の発表だ。こういう芸当ができる会社は今のところそう多くはない。人間の頭の構造がそう変わらないとすれば、こういうことができる会社とできない会社の差はなんなのか。
「世間をあっと驚かせる新製品がだせないものか」
と考えている経営者の皆様は自分が何を言っているか理解しているか、また自分が本当にそれを望んでいるか自問自答するのもいい頭の体操になるかもしれません。両手に握りしめているおもちゃを離そうともせず
「新しいおもちゃがもてないよう」
と泣くのは赤ん坊のすることであり、成人のすることではないと世間では言われます。実際にはそうではないのですが。
昨日は会社帰りに買い物をして、吉野屋でちんけん定食を食べた。
吉野屋は女性が一人でははいりにく場所、と言われている。しかし昨日私がすわってほどなく夏らしい格好をした大変かわいらしい女性が隣にすとっと座り
「牛鮭定食」
と言った。
周りの男どもの動揺を彼女が感じていたかどうか定かではないが、彼女は本来牛丼の上にのっているものをでれっとゴハンの上に載せておいしそうに食べ出した。
私は目の前のけんちん定食をぱくつきながらも隣の彼女の様子を視界の端でちらちら見ていた。世の中様子が変わったのかと店内を見回してみるが、彼女以外に女性はいない。
食べ終わると外に出た。こうしたちょっと変わったことは監獄生活の私にとって結構うれしいことだたったりする。それにけんちん定食はなかなか野菜もとれるし、安くて速くてありがたい。
唯一の問題は大変暖まることだ。これが冬であれば身も心もぽかぽかなものを。梅雨明けのむっとする熱気の中では全身ウナギ犬のようになりながら家路につくしかないのだが。
Clinton-食品をつくる仕事を追加。
さて、昨日オークションで買いそろえた(+あれこれ買った)部品がそろい、とうとう大坪家でPowerMac G4/350(ケース以外)が動き出した。ということで本当にPowerMac G4+7500計画が始動するわけだが。。本当に動くのだろうか。。
梅雨があけてどっと暑い。とはいっても私は実は生まれてこのかた梅雨なる物を意識したことがない。雨を大変嫌うたちだから(傘を持つのがきらいだからだ)梅雨を嫌ってもいいと思うのだが、何故だろう。
雨が上がればどっと暑くなる。そして夏に雨が降らないわけではない。となれば何が梅雨というのだろう。この暑い暑い気候もあと2ヶ月の辛抱か。
暑い夏に判断をするとろくなことにならない、というのは2年前に骨身にしみて痛感した。しかしこの夏にはあれこれの判断が迫ってくる気がする。
今日も駅までてれてれ歩く間に一人おじさんが寝ているのを発見した。日に焼けたアスファルトの上は暑いのか、マンションのホールのようなところで靴を抜いで寝ていた。彼がそうしたくなるのがわかるような昨今の気温だが。
昨日は月一の練習でご機嫌であった。今やうちのバンドはQueenとEric Claptonだけになった感があるのだがご機嫌なことには変わりがない。偉大な音楽を作ってくれる人がいて、その音楽を一緒に演奏できる友達がいる、というのはありがたいことだ。
さて、朝駅にてくてくと歩いていくと結構歩道で寝ている人に出くわす。たぶん寝ていると思うので別にさわらない。寝ている人は大抵の場合やすらかというか普通の顔をして寝ているが、きっと歩道は固いのではないかと思う。たぶんねごこちはあまりよくなかろう。しかし動かないからきっと眠いのだろう。
しかしもしあの中の人の誰かが死んでいたら私はそれを知ることがあるのだろうか。
さて、昨日いきなり思い立って前からあったリンク集から「徘徊する個人のサイトs」をわけることにした。ちなみに最後の「s」は複数形のつもりである。
たんたんとこの書庫日記だけが更新される日々が続きますが、皆様お元気でしょうか。実は一つClintonに書くネタを思いついているのだが。。。こういうのは勢いがないと書けないですね。
さて、先日発見した面白いサイトからリンクをたどり、あれやこれやの楽しいサイトを見ている今日この頃です。そろそろリンク集に「私が喜んで巡回するサイト群」でも作ろうかな、と思う。そうしておけば、インターネットを始めた友人に
「今度面白いサイトのURLを送るね」などといちいち言わなくてもすむではないか。
ふと考えると今は自分が使っているブックマークをぜーんぶ公開してもそれほど問題が無いことに気がつく。3年ほどまえ、アメリカで
「ローカルコール使い放題」
の環境に居たときは、狂ったようにHなサイトを巡ったりしていたものだった。そしてなんらかのきっかけで人にブックマークを見られることをずいぶんと恐れていた物だが。
しかし最近全く見なくなってしまった。(本当の事をいえば、数ヶ月に一度あやしげなキーワードで検索をかけることもあるのだが)何故だろう?別にホモに転向した、というわけではありません。考えてみればホモ・レズ用のHサイトってのもきっとどこかにはあるんだろうな。。その世界について「知識として」勉強したい、と思ってもホモのエロ本など本屋で手に取ってみるわけにはいかない。第一に人に見られたくないし、第二に肩にぽんと手をかけられ、振り向けば
「やあ!」
などと言われたら恐ろしいではないか。
しかしネットであれば心おきなく研究ができる、というものである。「恐い物見たさ」というのもあるし、世の中にはいろいろな世界がある、と知ることはそんなに悪いことではない、と最近思っているからなのだが。
さて、あれこれ更新の日である。体重は今ひとつといったところ。減りそうで減らない。しかし馬鹿食いもあまりできなくなってきているのだが。
ランキングは先月とだいぶ様子が違う。映画評が好調。逆に特に英語版のSETI@Supportの落ちが著しい。総ヒット数自体はとんでもない数を記録した先月にくらべあまり減っているわけではないのだが。
SETI@Support Situationも更新だが、あいかわらずGaussian Scoreの最大値は0.5だ。これを越えるようなものに出会いたいものだが。
昨日は木曜日だったが、蒼天航路は休載だった。というわけで代わりにちょっとここにてれてれと書いてみよう。
ハリー・ポッターという子供向けの本が欧米(英語圏)で大人気のようである。著者は子持ちで独り身の女性。本が売れるまでは生活保護を受けていたという。
そうした女性が一躍世界的なベストセラー作家になったのだからその人の言葉を聞いてみたい、と思っても無理はない。暇に飽かせてインターネットをあさり、見つけた彼女が語る「幸せのためのレシピ」は次の通り。
・まず自分が本当に好きな事を見つける。
・次にそれにお金を払ってくれる人を見つける。
彼女は子供のころからずっと物を書いていたとのこと。書く、ということは彼女にとって本当に好きなことだっただろう。成功者の戯言と言えるかもしれない。しかしこう文字にしてみると、「いいな」と思うところもある。しかし少し違和感を覚えるのも確かだ。何故か。
たとえば日本人の心の奥底に共感を呼んでいる(と私が信じる)「巨人の星」のレシピはこうなる。
・父が自分の目標をむりやりしめす。空にある適当な星を目指せと言われる。
・それに向かってまっしぐら。「楽しむ」などもってのほか。努力とは血と汗と涙と根性のこと。燃え尽きるまで走り続ける。
ちょっと古いが日本で記録的な視聴率をあげた「おしん」のレシピは(実はまともにみていないのだが)たぶんこんなところではないか。
・いじめられる。いじめられる。しいたげられる。
・耐える。耐える。耐える。
私はと言えば、頭の中に漠然とあるのはおよそ次のような考えである。
・まずお金を得る方法を見つける。
・それが複数ある場合には、自分が好きなことに近いものを選ぶ。ただ基本的に「お金を得る」というのは「つらく、楽しくないこと」だ、と思う。だから少しでも楽しければもうけもの。
これは基本的に「生活のレシピ」であり、「幸福のレシピ」でないことも確かなのだが。であればあまり「幸せ」にと思えるわけでないのももっともだ。最初からそれを目指していないのだから。しかしそれでも「まあ。このようなものか」と思えるところはありがたいところだが。
ちょっとまて。俺は幸せになることを目指していないのか。
昨日は本当に久しぶりに2時間だけ仕事をした。では他の時間何をしているかと言えば「ネットワークについて」の執筆に忙しいのである。ネットサーフィンも時間をつぶすのに有効だが、あまりにやりすぎて目が痛くなってしまった。
考えてみれば監獄で本を書いた人間は結構多い。ガンジー、ヒトラー、レーニン(?)日本にはいないのかな。では私が最初の「監獄で本を書いた日本人」になろうか。ちょっとまて。俺は別に監獄にいるわけではないぞ。。。たぶん。
しかし本当の私を観たことがない人は私が監獄にいないとどうやって確信することができるだろう。。。たぶん監獄からはメールが送れない。。Web Siteの原稿をアップすることもできない。ということはこの更新が続いている間はたぶん私は何らかのネットが使える環境にいる、ということだが。
昨今昼休みに趣味のページを徘徊していて、いくつか興味深いサイトにめぐりあうことができた。くだらないサイトをけなすのは簡単だが、学ぶことができるサイトがいくつもあるのは(もちろんくだらないサイトに比べて数はずっと少ないが)ありがたいことだ。
あれこれの日記を読むと俺の日記はちょっと固すぎるかと思うようになった。というわけで間抜けな記述もしてみようかと思うが、こればっかりは意識して出来ることではない。あるいはそんなことを心がけなくても人によってはこの書庫日記を読んで笑ってくれるかもしれない。自分が読み返えせば冷や汗がでるような「腰痛の歌」を読んで「爆笑した」という人は少なくとも私が知っているだけで二人いるのだ。あの腰痛からももうすぐ一年か。
7月もあっというまに1/3終わってしまった。速いこと。
過去一月の更新状況を見てみると、映画評と、Clintonと私のMacintoshがほとんどであることに気がつく。とはいっても書いていないわけではない。未だに完結をみない「Networkについて」もよたよたしながら書いてはいるし、新作にもとりくんでいる。しかしこの新作が思いもよらず時間を食っている。この年になって大学の時に使った電磁気の参考書をひっぱりだすとは思わなかった。
当時はとにかく公式を覚えて、問題の解き方を覚えることばかり考えていたのだろうか。だから何も頭に残っていない。今自分で文章を書こうとするといろいろ勉強しながら書いていることにも気がつくのだが。
こうした経験ができるきっかけが、このホームページなるものであることを思えば、私にとってインターネットの普及というのは大変うれしいものであったことになるが。
有給を含めて3連休は毎日映画をみていた。他にもいろいろしたのだが。良い映画2本に、期待はずれ1本というところか。映画評にエリン・ブロコビッチを追加。これで新内閣ではないが、「滞貨一掃」というところである。
最近思うがアカデミー賞受賞の映画、というのは(タイタニックや恋愛小説家のようなものもあるが)だいたいこちらの頭をぶっとばしてくれるようなものが多い。「これがアカデミーに選ばれないのはおかしい」と思える映画が少ない、ということはそうした「頭ふっとばし」の映画は一年に1−2本しかできないことを経験的に意味しているのかもしれない。
先が見えると思うか。そうではない。どちらにしても。今できることをやるしかできることはないのだ。
どっと疲れているが、明日からまたあの何もない会社だ。息を潜めて眠っているか。
疲れているがまだあるくことは出来る。
映画評にMI2ことMission Impossible 2を追加。最近評価額が1800円とー1800円が交互にでることが多いような気がする。そしてー1800円の絶対数も。
さて、あれこれ更新の日だ。「私の体重」は少しおちつく気配をみせている。必要としないものを食べればかえって胃が痛くなるだけ、ということが少しは学べるといいのだが。SETI Situationはシンボルのサイズを一回り小さくした。それでもほぼ観測エリアを埋め尽くすほどの数があることに気がつく。あと1年弱。私は面白い信号を見つけることができるだろうか。「大坪家ランキング」も更新。今のところいつも上位の作品が並んでいる、という気がするが。
映画評にAmerican Beautyを追加。毎年アカデミーを受賞する映画というのは一筋縄ではいかないものばかりだ。(タイタニックは別だが)
まだ7月だというのに台風がくる。子供のころは暴風警報がでると学校が休みになるのでうれしかったものだが。しかし何故かいつも日曜日に台風が来ていたような覚えもある。
16年前、大学4年生の夏。私は9月に大学院の入試を控えて「一応」勉強中だった。正直言えばLos Angelsオリンピックばかりみてろくに勉強していなかったのだが。
そしてその年の今日、7月7日、私は神田外語学院の女の子達と合コンだった。後日私の友達は私が合コンに行った、と聞くと
「おまえ大学院おちるな」
と言った。そして彼は正しかったわけだが。
私はそれまで入試といえば連戦連勝だったので、初めての「落第」はかなりこたえた。しかし起こったことはしょうがない。まだ脚で立っているならば、なんとかしなくてはいけない。そして今私はここにいる。もうあれから16年だ。うれしいことに過去の記憶はいやだったり、悲しかったりしたことから消えていく。今から16年後に今の事をどう考えることだろうか。
さてと。明日は有給休暇だ。実際何もしていないから、週休5日でもいいくらいだが。この生活も長いなあ。
昨日の晩はすさまじい雨がふった。その前に帰宅できたのは幸運だったが。
「米国の景気と為替の動向」というセミナーを聞きに行った。マクロ経済というものがいかにあほらしいものを含んでいるか、ということはよくわかった。ある男が口走っていたことは、論理の点からみれば疑似科学と呼ばれるものと同値である。しかし彼が科学ではなく経済を選んだ、というだけの理由で彼はそのでたらめをしゃべることで生計を立てることができるのだ。
経済に限らず、時々「講演」なる物を聞くと「なぜこのようなデタラメを人前で顔を赤らめずにしゃべることができるか。そして講演の代金を受け取ることができるか」と感心することがある。世の中の仕組みというのはなかなか興味深い。
私のMacintoshに-Power Mac 7500改 Part2を追加。本来であればここでこの構想は収束に向かうはずだった。。。ところが最近また発散の気配を見せているのだ。
July 4th is no longer American holiday. We can celebrate the new meaning of Independece day.(Independence day よりうろおぼえ)
封筒か電話かと思った結果は封筒だった。しかしそれは速達だった。
こういうやり方をするのは初めてだ。しかし私も年を取り何が殻か何が中身かを考えるようになったのだよ。Just keep on walking old man.
とても暑いですね。かと言ってそう言えば涼しくなるわけでもありません。昨日はいったん寝たがウナギ犬のようになって、夜中に目覚めてしまった。こういうことを繰り返すとよれよれになるのだが。
冷房があるのはありがたいことだ。2年前は宇宙飛行士の一次選抜だったが、あの日もとても暑くてビールが大変うまかった。
映画評に「サイダー・ハウス・ルール」を追加。おとといみたGladiatorとは大違い。同じ「映画」といいながら、これほど感じられる「真面目さ」に違いがあるとは。
Macintosh系の情報サイトで、「新潟の燕にあるチタン製作技術をもった工場で、新しいノートブック型のMacintoshの筐体が作られている」という可能性が語られている。そこからチタンの発色技術について、それらの会社についてあれこれインターネットで調べた。
私は日本オラクルの社長がほとんど無一文からどんなに膨大な時価総額の会社を作った、という話を聞こうが、インターネットでありきたりのB to C企業が立ち上がる話を聞こうが、それらを私より若い人間が経営している、という話を聞こうが全く心を動かされない。自分がそれをやりたい、とも思わないし、彼らがどんなものを生活にもたらしてくれるのかなどと想像力を刺激されることもない。連中があぶく銭をつかみたければ勝手にそうすればよい。
しかしその企業のWeb Siteにのっているチタンの製造、発色技術にかける意気込み、そしてチタンのなんとも言えない発色を見るとき、これがどこの会社のマシンか知らないが(それがMacintoshであれば私はうれしいと思うが)使われることを想像し、「それがどんな製品になるのか。それはどんなにExcitingであろうか」と考えずには居られれない。胸に手を当てて考えれば自分が何を言っているか、聞こえるかもしれないのだが。
暑い暑い。だがこれはまだ本番ではない。子供の頃はなぜ暑さを感じなかったのだろう。
映画評に「グラディエーター-Gladiator」を追加。これから昼間はどうやっても部屋にはいられないのだから、外に出て何かをしよう。
とりあえずつのこの言うのはやめにしよう。体に悪い。
いっきに蒸し暑くなった。月があらたまり、今月の新作は温故知新の「ドキュメント1.11.1」である。当時は「相手が二六才」と聞いて驚いていたのだ。今だったら「なんて若いんだ」とおののくところだが。11年たち、みな親になったのだろうな。
「私の体重」も更新。とにかく食べる量を減らさなければ。もうそんなに食べなくていい、ということを自分に言い聞かせなければ。
六月の大坪家ヒット数は何故か記録的な数になった。グラフを見てもらうと今月のヒット数が群を抜いていることが解ると思う。何があったのだろう。時々私の名前や「大坪家の書庫」という名前で検索を書けてくる人がどういう人がいるたびに、この人はどのような人か、と考えずには居られないのだが。
My Seti Situaionもにぎやかになってきた。そろそろマークのサイズを一つ小さくするかな。
新作を書き出してはいるが、いつ収束するかわからなくなってきた。来月の新作に今から悩むような状況だ。そろそろ一月に一個新作、というのはあきらめようかな。
注釈