日付:2000/8/1
2000/8/31今日は8月最後の日であります。そして昨日は良い日でありました。なぜならこのサイトに関してメールがいただけたからです。
そして昨日起こったもう一つの良いことは、Yahooに「ネットワークについて」が登録されたことであります。おかげでヒット数は跳ねあがりましたが、一ページ目しか読んでもらえないのが少し残念なところです。しかしながら内容を考えればそれ以上望むのが今私が働いている会社-N○○ソフトクラスの
「身の程知らず」
であるのも確かなのですが。
私は昼休みにいくつかのサイトを循環いたします。それらのサイトはだいたい
「私が徘徊する個人のサイトs」
にのっているのです。昨日そのうちの一つにある文章が載りました。
私はその方の顔を観たこともないのですが、それを読んで少し心配になりました。かといって赤の他人に限りなく近い私に何ができるはずもありません。
私も時々このサイトにそうした内容を書くことがあります。顔を見たことがない相手ですら心配になるくらいですから、私を知っている人が読んだら如何様に思うか。そんなことを少し考えました。
Clintonに「海の底から石頭」を追加。
夕暮れは本当に早くなりました。以前は帰るときまだ熱い夕日をあびていたものですが、今見えるのは残光に照らされる雲の赤い色です。もっとも暑いことには変わりがないのですが。
どうもここのところ、この日記に書けるような事象が起こりません。。。というのは嘘で昨日は初めて
「きじ焼き丼」
を食べました。大変おいしゅうございました。世の中には本当においしい食べ物がたくさんございます。大坪家では出された物を残している限りにおいて次の食事がでない不文律がございまして、そのおかげで、基本的に嫌いな物、食べられないものは存在しないのであります。おかげで世の中の「おいしい物」の数はずいぶんと増えたように思います。どっかのグループの歌ではありませんが
「お父様。お母様。感謝します」
であります。しかしこう考えると親のおかげによっている物の多さに驚かされるのです。まあ文句をつけるとすれば、軽肥満体質でございましょうか。まあこれは自分の意志でなんとでもなる(はず)のものですから、親に文句を付けるのは筋違いというものでございます。
徘徊する個人のサイトsに「人生目分量組合」を追加。
今年になりましてから、一年に一度行われる行事はすべて
「20世紀最後の」
という形容詞がつくのであります。しかしそれがどうしたというのでありましょうか。どうせなら割引かおまけでもつけてほしいものでありますが。
会社でふと気がつくと、よくもこれだけ何もしないで毎日を過ごせる物だと感心してしまいます。前の会社でも同じ様な目には何度かあいましたが、当時は机の上でインターネットをあされる環境がございませんでしたから、その苦痛は何倍でもありました。今はまあ仕事に関係あるかどうかは別として、とにかくなんらかの知識はたまっていくのであります。おかげさまで
「相対性理論のわかりやすい説明の仕方」
であるとか
「エコノミストと疑似科学者の類似性」
であるとか
「証券トレーダーと野獣もしくは金魚の類似について」
などについてあれこれの言葉が頭にたまっていきます。もっともこうした話題というのは日常生活で口にすることはできず、このサイトに書き散らすだけなのですが。
しかしこのサイトを作ることが人生における大きな項目の一つになっていることを考えれば、こうした企業内失業生活もかなり有意義とということができるわけです。というわけで状況がそうであるならば私も
「20世紀最後の企業内失業者生活」
を満喫するとしますか。
徘徊する個人のサイトsに「チューリップ満開」を追加。一人の人間のいろいろな表情が見えるような気がいたします。
暑さはかわらずとも、夜になると虫の音が聞こえるのは確かであります。
さて、気温が高く湿度が高い楽しい日々が続く今日この頃、皆様いかがおすごしでしょうか。猫柳の大坪です。
夏休みも終わりですね。という言葉が私に当てはまったのはすでに20年前のことでございましたか。
しかしなんですね。仕事は何もないし、世の中には有給休暇なるものがあるのですから、残暑休みをとってもいいわけですよね。
残暑休みか、秋休みかどうか知りませんが、私はとるつもりです。
昨日はまたまた久しぶりに楽しい宴会でありました。同席してくれた方に感謝の念を捧げるものです。
もっともご機嫌で飲み過ぎ、帰りの地下鉄を無意味に数回往復してしまったのはご愛敬というものです。家に帰ると暗闇の中に光る目が。
そこにいたのは大坪家の新メンバー、犬の「アイちゃん」であります。彼の行動を観るところ
「世の中に悪意を持った人などいない」
という前提に基づいて生きている気がします。その日初めて顔を見た男が夜中に現れたというのに吠えもせず、ごろんとひっくりかえって腹をさらけ出し
「腹をなでろ」
と催促する始末です。これほど番犬に向かない犬もいないのではないでしょうか。
そして本日は月一回恒例のバンドの練習であります。私をご機嫌にしてくれるものはいくつかありますが、この
「楽しい宴会の翌日にバンド練習」
というものも、その最たる物のうちの一つではないかと思うのです。
「残暑」という言葉を聞けば、「真夏」というものよりは少しは暑さがやわらぐことを期待するのが人の情というものでございましょう。
それがここのところの
「ぎゃんぐあ。。どんどんどんどん。ずずずずず。がんがんがん。」
という感じのこの熱気は一体なんなのでございましょうか。
さて、ここ数日弟が送ってくれましたモーニング娘とやらのビデオクリップをMacintoshにインストールして観ております。クリップによって微妙に人数やら顔やらが違うようですが、そんなことは私にはどうでもよろしい。彼女たちの
「Loveマシーン」
は歴史に残る名曲だと思っております。もう少し早く日本の景気が回復したとすれば彼女たちに
「国民栄誉賞」
を送るのが適当と考えておりましたが。
ノートパソコンで曲を聴けば、音だけでなく映像も楽しむことができる、というメリットがございます。従っていつも通勤電車の中で聴く/観ておるのですが、問題が一つ。
画像の後ろからはレクター博士が赤い瞳をこちらにむけております。
彼の瞳に見つめられるといい年してモーニング娘を見聞きし喜んでいる自分がとてつもない阿呆に思え、思わずゴルトベルグ変奏曲に音楽を切り替えてしまいます。ただこの曲を聴くと思わず人の顔にかみついてみようか、と思うのが難ですが。
というのは冗談でございます。私に人を食べる趣味はありませんから大丈夫ですよ。
昨日は初めていつもいくデパートの地下で「牛肉柔らか煮丼」なるものを食べました。大変おいしゅうございました。
昨日の朝、駅に向かう途中いくつか面白い光景を目にしました。まずいきなり歩道の上に男女が座って半ば抱き合っておりました。コンビニで買った漫画を歩きながら読んでいたため、一体彼らがいかなる経緯で歩道上で抱き合うことになったのかは不明であるのが残念です。
そして駅に近づくと、ガードレールの上に座っている金髪の女性(もちろんアジア人ですが)二人に推定年齢77才(根拠なし)ほどの男性が話しかけておりました。彼はナンパをしておったのでありましょうか。女が死ぬまで女であるように、男も死ぬまで男なのであります。それを考えれば
「俺は悟りを開いた。もう合コンだ、なんだとは縁をきり、御仏の心にすがり、心静かに一生を終えようと思う」
などというたわけた言葉は口にしない、と最近考えているのですが。逆にそうしたたわけたセリフがはけるのも贅沢な話かもしれない、とも考えたりするのです。
9月1日公開予定の新作の推敲に忙しい毎日です。一応書き上げたのはいいが、今ひとつぴんとしないできであるのは、元となる出来事が今ひとつの結果に終わったからでありましょうか。9月1日に間に合わせるべく急いでいるのはまるで夏休みの宿題を片づけるかのようですが。
さて、昨日は生まれて初めてカルビクッパなるものを食べました。大変おいしゅうございました。
世の中においしい食べ物がたくさんあるのは大変うれしいことです。いろいろな食べ物を発明してくれた人に感謝を捧げるのです。
さて、私先週床屋にいきまして、髪の毛をちょんちょこりんに切りました。そりゃ若い頃は
「ああ。こんなに短くなった。これでどうやって人前に出ろというのか」
などと鏡をみて長嘆息したものですが、この年になりますと
「まだ髪あるかな。おおあるある。No Problem」
となってしまいます。
現在の髪型を言葉で表せば
「坊ちゃん刈り」
となるでしょうか。
話は変わりますが、最近ひげを剃る間隔というのがとても長くなっております。理由は面倒だからです。若い頃は3週間に一度ひげを剃れば足りる男と言われていたのですが、世の中には
「頭の毛一定の法則」
なるものがありまして、髪の毛が減少すると髭は増える運命にあります。従って私はいま無精ひげを生やした状態にあります。
帰りにコンビニによって、ダイエットコークをしこたま買い込みます。そこにある鏡をひょいとのぞきました。
歳に似合わない坊ちゃん刈り、それに中途半端に生えた髭。
それがなんともいえず
「ホモ」
の雰囲気をかもしだしている、と考えたのは私が神経質になっているからでありましょうか。
私はホモではありません。念のため。女性が大好きで、男はあまり近くによってほしいとおもっていないのです。
私がまだ独身で居るのは、私の了見が狭いからであって、私が愛する人との結婚が日本の法律で許されないからではないのです。
書けば書くほどどつぼにはまる、という事はいくつか世の中に存在しております。
久しぶりに「今週の蒼天航路」を追記いたしました。
友遠方より来る。また楽しからずや。でしたっけ?
遠くでなくてもしばらく会っていなかった友達と会える、というのはとてもうれしいことです。
あんたはこのページを読んでいないと思う。だが書いておく。私は折に触れこの言葉を思い出す。
「何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々もそうあって当然と思っている」
そしてレクター博士のこの言葉
「君がいた方がこの世の中は興味深い」
涼しくなったと思ったのはやはりペテンでした。温度はともかく、湿気は私をノックアウトしようとしています。そしてマーフィーがほほえむとき、うちのアパートの数少ないうれしい設備、エアコンは人を陥れるように調子が悪くなってくれるのです。
それでもうちの母が
「秋の日はつるべ落とし」
と言っていたのを思い出すような日暮れの早さですが。
考えてみれば、ここは、本来「タグって何?という人間がホームページを作るドキュメンタリー」のはずだったのですが、いつのまにか
「おお。今日はどうやっても落ちがつかない」
と頭を抱えるようになってしまいました。どうしてか、といえば最近私が徘徊しているサイトの影響なのです。
それらのサイトはたぶん私には書けないConciseにして「読ませる」日記を載せています。それらを読み、さんざん笑った後に、
「それにひきかえこのサイトは」
と他人のような顔をして自分の「書庫日記」を読み返してみます。
すると私が愛して巡回しているサイトとほど笑えはしないが、この文章もなんとも奇妙なものであることに気がつきます。であればこの日記を公共のインターネットで公開しているのもそれほど世間様に対して申し訳ない、と思う必要もなさそうですが。
22日は更新の日です。体重グラフはよくないです。とにかく食べないこと。意志を試されていると考えましょう。ランキングは相変わらず書評が好調。いったいこれはなんとしたこか。。映画評より上であることはもちろんのことあいかわらず「書庫日記」よりも上なのです。SETIもばりばりと続いています。Twin PowerMacが動き始めてから解析量が上がったのはいいのですが、電話代も馬鹿になりません。
私が使っているMacintoshのデスクトップピクチャには、1998年の5月に旅行に行ったとき、明け方にとった街の風景をはっておりました。灰色だけど静かな夜明け。
それを昨日から"HANNIBAL"のポスターに変えました。闇の中から赤い瞳がこちらをじっと見つめています。しばらく彼の目を見ていることにしましょう。少なくともこの映画が公開され、それが期待はずれ(或意味期待通り)の結果に終わるまでは私は私が読みとったところのレクターの姿をこのポスターに重ねることができるのです。
仮に私が近い将来何かの猟期犯罪に巻き込まれることがあれば、無責任にして自由を謳歌する人たちはこの記述をみてうれしそうに雄叫びをあげることでしょう。
大丈夫ですよ。私は臆病ななまけものですから。
昨日は映画を観ました。その感想は映画評-TAXi2をごらんください。
映画が終わると午後の5時。この時期冷房の効いた場所から外に出るときには反射的に身構えます。Brutalな熱気に対して身と心を準備するわけです。
しかしさすがにいつまでもこのBrutal Heatが続かない、というのは確かなのでありましょう。日が短くなりつつあることには気がついていますが(考えてみれば今は4月下旬と同じ日の長さなのであります)空気にはどこか秋の気配があるのであります。
4年前ある人から8月9日もらったメールに
「もう夏は終わりかしら」
という文句があり、
「もう10日をすぎたのにまだ夏は続いて居るぞ」
と思った物ですが、さすがに高校野球とともに、夏もお休みのようです。しかしそう思っていると
「がつん」
と熱気が来るのも確かなのですが。
昨日はいきなり思い立って、それまで何週間もかけて(実働日数は少ないですが)作っていたTwin Power Macをいきなり全面改装いたしました。材料を買ってきて、昼寝もしてつくりあげるのに一日弱。勘所が解ると作業というのはかくも効率化されるか、と感嘆するほどであります。この顛末はまたいつか「私のMacintosh」に書くのでありましょう。
というわけで、昨日は人様のお目にかけられるようなことが何もおこらなかったのであります。30後半の男が背中を丸めてそこらへんに切りくずをまきちらしながら一心不乱にMacintoshの怪しげなフレームを作っている姿等は自分がやっていてその姿が見えないからよいようなもの、とても正視できたものではない、という気がいたします。
とはいっても少しは何かはしております。買い物の帰りに私が考える「天国にもっとも近い場所」インターネットつきの漫画喫茶に行って参りました。先日行ったときはあまり気にならなかったのですが昨日行った場所はかなり混んでおりまして、周りには同じくインターネットサーフィンを楽しんでいる男性が多数おりました。
この「結構いい年をした男が並んでひたすらインターネットサーフィンをやっている」というのも後ろから見ると結構絵にならない光景であります。ちらっとみたところそれぞれやっていることはまちまちで、アイドルの画像を次々表示している人。なにやら一生懸命検索している人。チャットに熱中しているらしき人。
チャットというのは私は生まれてから2度ほどしかやったことがないのです。しかしふと考えてしまったのは、たとえば文字の上では
「なーんちゃって!冗談だぴょーん」
などと打っている。そのときの実際の人間は背中を少し丸め、無表情で画面を見つめている、なんてことは結構頻繁に起こっていることなのではありますまいか。
いや。何をやろうと本人の自由なのですが、かくのごとく頭の中で考えている内容と顔、姿勢が遊離していくと、それこそ自律神経失調症などになりはしまいかと余計な心配をしてしまうのです。いやこれまた別に私の自律神経が調子を失うわけではないのでいいのですが。
さて、一日中インターネットサーフィンをして暇をつぶしている私ですが、一応給料をもらっているみでございますから、就業時間中は真面目な(あるいは真面目と思える)サイトしか観ないのでございます。もちろんJFKの暗殺に関する情報を集めたサイトを巡ることや、オスカー2が弾道ミサイル原潜ではなく、巡航ミサイル原潜であることを確認するのが業務上にどのような必要性を持っているかは、私のみぞ知るところですが。
さて昼休みになりますと私の昼食は5分で終わります。残りの55分は居眠りするか趣味のサイトのサーフィンに使えるのであります。
少し前は「映画評」のサイトを巡っておりました。最近は「私が徘徊する個人のサイトs」に乗っているサイト、およびそこからリンクされているサイトを巡っているのであります。
これらのサイトに観られる個性-私はこの言葉はあまり使わないのですが-には本当に驚かされる事があります。もっとも本人がどう考えているかはわからないが個性のかけらもないサイトにはその数十倍も存在しているのですが。
そうですよ。これは昨日と同じネタです。しかし同じネタを二日続けて書くほど私には印象的な事実なのです。
さて、昨日は私が所属する部(総勢11名ほどですが)を社内報に載せるための写真撮影がありました。長であるところの部長が
「女性に囲まれたい」
と言い、全く乗り気でない女性ふたりを脇に従え正面中央に座りました。
残りのメンバーはその3人から2m以上離れて近づこうとしませんでした。そしてカメラガールの
「表情が硬いですね。笑って笑って」
という声に答えてGoofy Faceをしたのは私一人でありました。
実は私は写真に写るときのGoofy FaceやGoofy Pauseに関しては十年以上の経験を持っております。カメラガールを喜ばせる為にその鍛え抜いた技を披露することもできたのですが、周りのあまりの堅さにそれらを披露する機会を逸したのが残念です。
こうしたふと生じる個人が自由にふるまう時間-職場の引っ越しというのもよい機会ですが-に職場の建前を離れた本当の人間同士の関係が現れるのはとても興味深いことだと思っております。
徘徊する個人のサイトsに「Otearai Web」を追加。
容赦なく日がすぎていきます。始まった8月ももう中をすぎました。
世間様ではお盆休みなるものがあったようですが、所謂コンピューターシステム業界というのは、世間様がお休みの時に働く業界ですので、私は出社しているのです。もっとも仕事は何もしていませんが。
最近雑文系のサイトを巡っていると、世の中には「たぶんそれを表現するのに適当な言葉がない」才能を持っている人がたくさんいることに気がつくのです。強いていえばむかし「はみだしYouとPia」を読んだときに感じたおもしろさと共通しているのでしょうか。
Web Siteというのは広く読んでもらえる性質を持っている反面、記録として後に残らない、という面を持っております。このWeb Siteというものがどのような将来を持つのかわかりませんが、今花咲いている「まだ名のない」才能を示すサイトをなんとか後世に残す手段がないものか、などと考えてたりもしますが。
Clintonに「親愛なる金正日将軍」を追加。どう考えても金正日は不当に良い方向に評価されている気がするのですが。
不思議な事ですが、異常な程よく眠れます。疲労病というのがあるそうですが、そうでなければこの疲れは一体なんなのでございましょう。
幼い頃
「甲子園が終わると夏が終わる」
という言葉を雑誌で読んだことがあります。それからというもの、甲子園がさっさと終わってくれるのを心待ちにしている、というのも確かなのですが。
自分が歳を取るにつれ、だんだんと
「ずいぶんおっさんやな」
と思っていた人が自分より年下になっていく、という事に愕然とします。一番最初は高校球児。次には大部分の若手の芸能人。ついには幾人かの国会議員。
そして最近はゴルゴ13が自分よりも年下なのではないか、と漠然と考えているのです。
会社にいる人間の10人のうち5−6人の頭がおかしいと思えば文句を言います。
会社にいる人間の10人のうち8人まで頭がおかしいと思えば黙って自分の体をいとえます。
文化大革命を周恩来とトウショウヘイが生き延びなければ何が起こっていたでしょうか。
などとめずらしく会社のことに言及する書庫日記ですが、これは大変珍しいことなのです。
さて、3日間睡魔と戦いながら研修をやっていましたが、明日からはまた一日中インターネットサーフィンをして時間をつぶす日がまいります。
おっといけませんねえ。会社以外の事と言えば、、、、少しは眠れるのかな。あるいは不眠症なのかな。楽しい事と言えば。。えーっと。。少しは涼しくなってきたと思いませんか?でも同じく日も短くなってきているのです。
そうだ。ようやく形になってきたTwin PowerMacをビデオの上にのせたらこれがはかったようにピッタリのサイズなのです。そして足下が広くなりました。
でもなあ。。3度ほど作り直したTwin power Macのケースの形今ひとつしゃきっとしないんだよなあ。。
Maybe I should shut up here.
先日実家に帰ったとき父がノルマンディー上陸作戦の記録映画をみて
「勝った方はいいわな。俺は負けた方だったからな」
と言っていました。
終戦の日、光復節、VJ Day。呼び方は色々あり、感慨も人により様々でしょう。このサイトでも書いていることですが、けんかは無数にあっても殺し合わなくてすむのはなんとうれしいことか。しかしそれだけでは殺しあいが無くならないのもこの世の事実なのですが。
恒例のあれこれ更新です。体重グラフはすっかり76でおちついてしまいました。とはいってもこれが適正体重とは全く言えないのであります。ランキングはちょっと妙な感じがします。相変わらず書評がずいぶんとうえに居るのはどういうことか。なんとこの「書庫日記」よりも上なのです。
SETIもしゅくしゅくと続いています。2年の予定で始まったこのプロジェクトもまだまだ続くとのこと。主にSETI@home専用マシンとなっているTwin Power Macも元気に解析を続けています。
最近新作どころか更新もいいかげんな五郎の部に比べて、父である重遠の部はいっきに2作新作がでました。「2000年東北遺跡巡り」それに「アトラス山脈とサハラ砂漠のモロッコ王国」であります。父に見せてもらったサハラ砂漠のビデオにはそれはそれはたくさんの砂がありましたが。
昨日実家に犬が来ました。名前はまだ知りません。
姉のところの2番目の子供がかわいがって抱いておりました。その間家族は大騒ぎで檻を組み立てていました。
この次実家に帰る時にはどのようになっているでありましょうか。私は彼か彼女かも知らないのですが、家になついているでしょうか。
少しすずしいのですが、果たしてこれが続いてくれるのでしょうか。
たらったらったらったウナギのダンス
ウナギはどのように踊るのでございましょうか。仮に「ウナギ」が「うさぎ」の間違いだとしてもウサギはどうやって踊るのでございましょうか。
父は私のことを「ウナギ」と呼んだことがありますが、一応私には脚もあるのです。
昨晩は久しぶりに男友達同士で飲んでカラオケ大騒ぎでございました。たとえば合コンの2次会などもカラオケに行くよい機会ではありますが、知り合って間もない女性達の前でパンクロックを歌いまくれば場が引くのは水が高きから低きに流れるがごときものでございます。従いまして気をつかわずに趣味に走った歌を歌いまくれる場というのは大変貴重な物でございます。
たとえば「勝手にシンドバッド」からはすでに20年近い歳月が流れているわけでございます。これから20年後、私が60に手が届く歳になったとき、まだカラオケで
「今何時?」
と歌えるものでございましょうか。そして昨日一緒に騒いだ仲間は20年後にも同じくらい馬鹿げた騒ぎを一緒にしてくれるものでありましょうか。その年まで或程度健康に生きていたとすれば、私があの歌を歌いたいと思うのは結構確実なのですが。
ここ数日、暑さのせいか、あるいは恒例の不眠症のせいか、とにかくあまり眠れない症状にみまわれています。先日某ホテルに泊まったとき、最近のエアコンには
「ゆるやか冷房」
とかなんとか、とにかく寝ている間につけておいても大丈夫な機能があるようなのです。ところが全自動ならぬ
「全手動洗濯機」
がついているようなアパートですから、エアコンも旧式であり、そんな便利はものはございません。結果として、寝るとき冷房をつけていれば、数時間後には
「この風はなんとかならないか」
と目覚め、そして2度と眠れないのであります。
まあしかしこの不眠も悪いことばかりではなく、眠れない時間を使って、Twin PowrMacの「薄いケース」もようやく完成に近づきました。ここにくるまでいくつの構想を没にしたことか。あるいか今完成しようとしているケースも、そう遠くないうちに
「没構想」
の仲間入りをするのかもしれませんが。
さて、そんな日々ではありますが、先日当Web Siteを観た方からメールをいただくことができました。この「メールをもらう」というのは実に偉大なことでして、ほとんどすべての場合に私をご機嫌にしてくれるわけです。
「IT革命」
という言葉が意味するところの95%ははったりではないかと常日頃考えている私ですが、こうして見ず知らずの人に文章を読んでいただき、時々メールをいただける。この事実だけで
「私にとってこのITなるあやしげな言葉は大変な意味を持っている」
ということにしておけるのです。
さて、ここしばらくの間で2回も
「時間を一時間間違えて泡を食う」
というのをやっております。もっとも遅刻する方ではなくて、余裕をもちすぎるほうなので大事にはいたっておりません。しかし自分が間抜けでないと思ったことはないとはいえ、これほどまでに馬鹿げた間違いを2度もやらかす、というのは本当に何かが(私の頭ですが)おかしくなっているかもしれません。
今日は金曜日。しばらく前から実行していることですが
「朝には甘い物を一個買う」
のと
「晩飯は隣の駅の中華屋で”肉レバー丼」
という楽しい食べ物の日なのであります。思えば金曜日の朝にたべるあんパンもしくはなんらかの菓子パンを心の支えに毎週の死体演技生活を堪え忍んでいるものなのですが。
「今日はつらいが明日はあんパンだ」
と。
以前はこしあんがたっぷりと入ったあんパンがお気に入りでありました。このこしあんの量は実に偉大なものでしありまして、私を大変幸せな気分にしてくれたものです。ところが一月前ほどからそのパンを見かけなくなりました。この菓子パンというのは米国にいるとき
「もっとも食べたくなる日本の食品」
の一つなのでありますとともに、その製品サイクルの短さには驚かされることがあります。
かのあんパンを見かけなくなってからと言う物、私の人生は少しだけ余計に楽しくなくなりました。簡単に幸せになれる男は、簡単に幸せでなくもなれる、ということなのであります。
それでは昨日に引き続き私のささやかな幸せの話を。そうでない話は朝の8時から夕方5時の間に掃いて捨てるほど存在していますから。
いつも昼飯はコンビニオニギリ一個に500mlのペットボトルと決まっております。ここ一週間は
「和風シーチキン」
のおにぎりを食べております。最初表示を観たときは
「シーチキンが和風?なんだか妙な味かも」
と思った物ですが、一口食べたとき、私は通常勤務時間帯には滅多に味会わない幸せを感じたのであります。シーチキンとおそらくは軽いしょうゆ味がこれほどまでに私を幸せにしてくれるとは。あるいはこれまた私が
「簡単に幸せになれる」
たちなだけやもしれませんが。
東北旅行の間何故自分が何もしていないのにこんなに疲れているか不思議でした。しかし今監獄生活に戻ると理由は自明であります。役者が死体の役を演じようとすれば、それはかなりの苦労でありましょう。そして私も同じであります。
昨夜は一度寝付いたのですが、稲妻の光と音で目が覚めました。暑いと思いエアコンのみよこん(リモコンのことです)を何度も操作するが反応がない。ふと気がつけば24時間SETI@homeの計算をやっているはずのTwin PowerMacも静かになっている。
ここに来てから初めての停電です。しばらく暗い中で稲妻の光と音を感じていました。間隔が短いと空気が裂けるような音。遠い音はぼんやりとしております。冷蔵庫もとまったので、これほど部屋が静かになったことはなかったように思え。
その間久しぶりにいとこから電話をもらったり、楽しい経験でした。それにノートパソコンはバッテリがあるから停電時のろうそく代わりにも使えることを発見したのが収穫でしたが。
先日映画上映までの時間待ちに、インターネットカフェなるところを利用いたしました。
冷房が効いており、ソフトドリンクは飲み放題。ということは冷たいお茶をいくら飲んでもよいのであります。(私としてはダイエットコークもしくはダイエットペプシがあれば120点というところででしたが)そして一時間400円でインターネットも使い放題。
どうにも効きの悪い冷房をつけながら汗を流し、電話代を気にしながらネット接続し、重いペプシを汗を流しながらコンビニから運んでいる普段の生活を思うとき、私にとってはまさに天国のように感じたわけであります。
ずいぶんと欲望が少なく簡単に天国に行ける人間、という気もいたしましたが。
Clintonに「8月9日」を追加いたしました。
夏も盛りの88夜というわけではありませんが、8がならんだ日なのであります。
さて、恒例のあれこれ更新であります。SETI@Situationは着実にずりずりのびていきます。今週から表示を実際のエリアに変更しました。無秩序に並んだ直線の束であってもこうやってみるとやはり規則性があることに気がつきます。
体重はまさしく膠着状態。しかし食欲が減っていることは確かですから、今後に多少期待したいとも思うのですが。ランキングは季節柄でしょうか「東北の夏祭り」がずいぶんと上位にいます。またようやく題名一覧にのせた「ネットワークについて」もかなりのヒット数です。
先日映画を見に行ったとき、チケットの窓口で
「一人お願いします」
と言ったら
「一般でよろしいでしょうか」
と聞き返されました。思うに新しくオープンしたばかりの映画館のようでしたから、そうしたことをきちんと確認するように教育がいきとどいている、というのがまっとうな答えなのでしょうが。
しかし私は料金表を眺めながら
「俺が一般でないとすれば一体なんなんだ」
としばらく沈思黙考したのであります。
まさか「小人」ではないでしょう。学校でてから15年もたった今では「学生」と観られることもあり得ない。となると
「シニア」
と観られたのでありましょうか。
8月も容赦なく日が過ぎていきます。そして今日からは久しぶりに会社というところに行くことになります。
休みと言うのは本当にありがたいものなのです。しかし自分が失業していた頃のこの時期はあまりHappyでなかったことを思えば、やはりあまり楽しくもない仕事があってこその休みのありがたさ、ということがいえるのでしょうか。
さて、休みに街をあるくと、男女のカップルで歩いている人間の数の多さに驚くことがあります。自分の人生を省み、そして一人でふらふらした回数、部屋で寝ていた時間と女性と一緒に歩いていた時間を考えるとき、その比較は何かを語っているように考えられるのですが。
しかしこのとても暑くて湿度が高い気候の中で男女、もしくは女性同士でどうやってあのようにくっついて居られるかは大変な謎なのであります。人間の体というのは大変な熱を発するものであります。映画Matrixではコンピューターが熱源にしようと思うほどの。これではまるで暑いさなかに懐炉を持っているようなものではありませぬか。おそらくこれは私の
「やっかみ」
だけで説明できることではないことのように思うのでありますが。
それとともにエリアによってはまだ生息している「ルーズソックス」なる被覆も夏の暑いときにはあまり目にしたくないものではあります。私は最近会社で顰蹙を買うこともいといもせずネクタイをせずにふらふらしております。そして首にまきつけた布を省略するだけでどれだけの涼しさが得られるかを知って驚いております。
それを思うときあの保温性能のよさそうな布を両足にまきつけることができるのは彼女たちが若いからでありましょうか。あるいは世の中には涼しさを求める心以上に強いものがあるということでありましょうか。
さて、かような暑い日の中、渋谷まで行って観た映画「マネートレーダー・銀行崩壊」を追記いたしました。サラリーマンにとって、真夏に観る格好の映画と思いますが。
日が過ぎるのは避けがたい事とはいいながら。しかしこうした日々をあと60回も繰り返せばうちの父が言うところの
「秋になると金もはらわんのに涼しくなってありがたいな」
ということになるのでありましょう。
従って日が過ぎるのは悪いことばかりではないのであります。いずれにしてもすぎていくものであれば、良い面に目を向けた方が健康上よろしい、というものでございます。
東北の夏祭りについて執筆を考えてはいるものの、頭がぼけて手が動かないのが困ったところです。
ひさしぶりに
「ただ座って呆然とTVを見るか、何もしない」
状態に陥りつつあります。
映画評に「リプリー」を追加。クレジットが流れた瞬間
「へっ?」
と思ったというのが本当のところなのですが。
I forgot to mention it.奇特にもこのページを読んでくださるかたから
「書庫日記が読めない」
とメールをいただきました。8月1日のことですが、この日は盛岡からアップデート分をアップロードしていたのです。ところが公衆電話カードの残りが大変ご機嫌に減っていってくれる。その数字を眺めながら必要なファイルをセレクトするのは私のような阿呆にはとても荷の重いことだったのです。
結果として起こったことは書庫日記のアップ忘れでございました。せっかく当サイトをご訪問いただきながら、
「ページがみつかりません」
という無情なページをお目にかけてしまった皆様。この場を借りて(誰から借りるというのだろう)お詫びを申し上げたいのです。
また先日とうとう表紙のカウンタが9000を越えました。いつも本サイトを訪問してくれる皆様。ありがとうございます。サイトを作ってから2年と半年。最初のころは
「このペースでは、そこに到達するまでおよそ数十年は要するのではないか」
と考えられていた10000という数字がが本当に実現できるのではないかと思うようになりました。今のペースですと9月の半ばころでございましょうか。
キーボードでは打てても、Via Voiceで入力しようとし、口に出すと妙に骨身にこたえる言葉もある、というのは興味深い事実であります。
おっとこれはちょっと楽観にすぎたようです。キーボードでうつのもあまり健康にいいとは言えないようでありますが。
さて、はじまったと思った8月もすでにしてすとすととすぎて行くのでございます。
こうして東北から関東地方に戻ってみると、やはりその暑さの質の違いに驚くのであります。昼日中の暑さは変わらないにしても朝晩の涼しさはやはり緯度の違いであろうかとも。
あまりに最近更新を怠っておりましたことに反省いたしまして、習わない英単語にVice Versaを追加いたしました。前から書こうとしていた内容ではあるのですが、今ひとつ落ちがつかずにのばしのばしとしておいたものでございます。
さて、また一からやりなおしでございます。夏はあまりいいことは起こりません。
さて、3泊4日の旅行も終わり、ひたすら居眠りしつつ列車にのっているはずの大坪でございますが、皆様いかがおすごしでしょうか。
思えば前東北に来たのはいつのことでしたでしょうか。それが学生のころであったか社会人になってからであったか思い出せないような過去なのでございますが、あの時の青森は涼しかった。夜に毛布を着て寝たことを鮮明に覚え居ております。
それが今回はいかなることか。太平洋高気圧だかフェーン現象だか存じ上げませんが、その気温たるや容赦なく疲れた足をひきずって歩く私をむち打ってくれるのでございます。
そうして健康に外を歩いた日ももう終わり、これからはまた元のパソコンオタクの生活に戻るのでございます。そしてこの日もあといかほど続くものでございましょうか。
さて、8月にはいってからというもの、私の文体が妙な丁寧語になっている事にお気づきのかたもいらっしゃろうかと存じます。何故と聞かないでください。Because私にもわからないからです。
暑さの厳しい折、皆様いかがおすごしでしょうか。関東地方より涼しかんべ、と思って青森まできたのに何故か当地の
「今年一番の暑さ」
に見回れてしまいました。熱波を呼ぶ男大坪でございます。
しかし旅行に来ているのにこの布団の恋しさはいかなるものなのでございましょうか。何故毎日会社で8時間座っているだけの仕事でこれほどまでに疲労するのでございましょうか。あるいはこれが齢を重ねる、ということなのでございましょうか。とすれば70を越えてあちこち世界中を旅行しまくっている父の息子にしてはちと老化が早すぎると思えるのでございますが。
ふと気がつけば書庫日記以外の更新を忘れて早一週間以上。いけませんね。節操のない話題が数少ない売り物のこのサイト(他の売り物が何かは聞かないように)そろそろどこか更新せねば、と気持ちだけは焦るのでございますが。
夏も盛りの八八夜。とはいったものの自分が何を書いているか今ひとつわからない大坪でございます。
月初めのあれこれ更新でございます。私の体重はごらんの通りの結果でございます。これではそう遠くないいつの日かやはり何かの病気をわずらうのでございましょうか。大坪家ランキングは先月に引き続き今月も結構なヒット数なのですが、果たして世間が休みにはいる今月はいかがなものでございましょうか。
そしてSETISituationは地道に更新が行われておりますが、やはり「あっ」と驚くような信号にはなかなか出会えない者でございます。であるからこそ根気よく解析を続ける意味もあろうかと思うのではありますが。
そして八月の新作は「ネットワークについて」でございます。これは実は新作どころではなく、一年以上前から書き始め、そして通算ランキングでも一三位に入っているのでございますが、未だその完結を見ていなかったものでございます。このたびそろそろ一区切りつけるべく記述を追加いたしまして、ようやく題名一覧にその名前が載ることとなりました。とはいっても今後も追記が必要な事にはかわりなく、自分の気まぐれな気力が奮い立つのを他人ごとのように考えているのではございますが。
さて、この文章をアップする頃私はどこにいるのでございましょうか。
注釈何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々もそうあって当然と思っている:(トピック一覧)もちろんこの言葉は私のオリジナルではない。ユリウス・カエサルの言葉である。本文に戻る