日付:1999/10/11
1080円-Part2リプレイスメント-The Replacements(2000/11/26)
映画を観る前に、ある人からこの映画に関する噂を聞いた
「タイタニックの後のディカプリオの主演映画ビーチは”何これ?”というできだった。そしてMatrixの後のキアヌ・リーブスの主演映画であるリプレイスメントも同じ様なもの」
私はその評価を下した人に異を唱えるつもりは全くない。しかし私がこの映画に1080円の評価を下すにはちゃんと理由がある。
1)私はFootball(サッカーではありませんよ、American Footballですよ)を大変愛している。
2)私はアメリカ的お馬鹿映画、それに数々の音楽を愛している。
NFL(米国のプロフットボールリーグ)で選手がストに入った。残り4試合で3勝すればプレーオフ出場が決まる。さてどうする。
そこでThe Replacements-臨時雇いといえばいいだろうか-の選手がかきあつめられる、という設定から想像されるすべての事が想像される通りに起こる。珍プレー、思わぬ活躍、横やり、最後の勝利、それに恋愛。そのバックにはご機嫌なナンバーがばんばんかかる。
そ の描き方は私の好きなお馬鹿さかげんだ。何故かプレーヤーがストに入ったと同時にチアリーダーも新規募集をやっている。「とにかく踊れる人を」ということ でストリップバーのお姉さん達をやとったはいいが、その色っぽい踊りに気をそらされ、相手チームはペナルティ。こんなことは絶対にNFLではあり得ない。 しかしこの映画ではそうしたお馬鹿なシーンも腹を抱えて笑ってみることができる。いつも筋が通らないストーリーに目くじらを立てる私が何故そう笑えるか。
米 国のプロスポーツの厳しさは日本の比ではない。すごい戦力をかかえ3年優勝できない監督の首がつながったまま、なんてことは天と地がひっくり返ってもあり 得ない。そして現実のReplacementの生活というのは過酷だ。いつお呼びがかかるかわからないそのときに向けてひたすらコンディションを維持す る。もちろん給料も生活の保障も何もない。お呼びがかかっても次の試合に雇ってもらえるかすらわからない。
この映画はその 事実をちゃんとふまえた上であえてお馬鹿な要素を盛り込んでいるように思えるからだ。彼らは大活躍をするが所詮は臨時雇いにすぎない。ストが終わると同時 に全員解雇、そしてあっさりロッカーを片づけ家路につく。そういう現実の厳しさを基線においた上でのお馬鹿な話の数々はそれこそ爆笑したり、はらはらどき どきしながら見ることができる。
あるいはこうも思う。現実と違う映画の中だけでも彼らに対して華やかな場を与えたかったのではなかろうかと。
しかしFootballについて私のように理不尽な思い入れを持っていなければ、ばこれほど馬鹿馬鹿しい(これは良くない意味で)映画もないだろう。だからこの映画を万人に勧めはしないが、前記2条件に当てはまると思う人は見て損はないと思う。
子供の頃、TVで結構戦争映画を観た気がする。最近も戦争映画は作られているものの、幼い頃観たようなたとえば
「一本の映画の戦闘シーンを使って2本の映画を作る」
といった安易な物にはお目にかからない。この分野で安直なパターンはすでにできってしまっているから、今から戦争映画を作るとなれば、よほど考えなくてはならない。(日本は別だが)
この映画の評判が高いことは知っていた。しかし予告編を見てもさっぱり筋の想像がつかない。やたらと魚雷は命中するのだが、沈んでいくのは全部ドイツのUボートだ。しかし映画はアメリカ映画。これはいかなることか。
想像力というものは、戦争映画のように安直なパターンが枯れてしまったテーマからも素晴らしいストーリーを築き上げる。それが単に
「ひねってみました」
と いうものではなく、戦闘シーンにより一層の緊迫感を与え、「人間の物語」としての深みをましているのは見事。特殊作戦がまさに成功しようという瞬間、U ボートからの攻撃にさらされる。別のUボートに乗り移っている米国人達が生き残る方法はただ一つ。潜行して反撃すること。しかしこのラベルはなんて書いて あるんだ。
戦闘シーンは途絶えることなく緊張感を持って続いていく。それとともに懸命に戦いぬく人間達の物語も。友達を大切にし、兄のように慕われる存在であった-確かに良い奴だ-副長は、必要とあれば冷静に過酷な命令を下せる
「艦長」
に成長していく。Commander, 指揮官というものはこうでなくてはならない、ということを久しぶりに見た気がする。こうした表現に対してなんと言われようと気にしないが、これはまさに「男の映画」だ。
昔ブルースリーの映画を観ると、映画館をでるときにはそばに棒があれば振り回さんばかりに目つきが変わっており、高倉なにがしのやくざ映画を観た観客は肩で風を切って歩いている、と聞いたことがある。
私はと言えば映画館を出たとき、少し
「艦長」
のまなざしを思い出していた。そうした私の姿はきっとハタからみれば滑稽に見えただろうが、こんな気分にさせてくれる映画も久しぶりだ。
マネートレーダー銀行崩壊-Rogue Trader(2000/8/6)
「恐い映画」だった。
世界で一番古いPrivateの銀行を破産に追い込んだ男の物語。確かに自分の利益だけを考えたとは言える。しかし所謂「私腹を肥やす」というのとは違った理由で投機的な取引にはまっていく男を ユアン・マクレガーが見事に演じている。
その演技は実に見事で、見ている私まで胃が痛くなってくるかのようだ。映画が進むにつれてなる回数が増える電話の音とともにこちらも逃げ出したくなってくる。
また彼の美しく献身的な妻が所詮は「他人」でしかないことを思い知らせる場面も背筋を寒くさせる。彼が
「僕は能力がない。首になるかもしれない」
と単なる愚痴ではなく、深い悩みを秘めた顔で言うのに対し
「大丈夫よ。あなたには才能があるわ」
と笑顔で答える。その笑顔は大変美しい。しかし言うに言えない心の悩みを察してあげることもなく、彼がもっとも聞きたくないであろう言葉を投げかけてしまうのだ。
所詮人間は一人で生まれ、一人で死んでいくものだと頭で解っていても、時には
「私の口に言えない悩みを察してほしい」
と思うこともあるものだが、そんなことを他人-それが恋人や妻であっても-に求めるのは所詮無い物ねだりというものなのだが。
同じサラリーマンとして見た時にはまた別の思いがうかぶ。この銀行の上司、上層部はみな大変理解がある。上司が部下に対する時に
「能力があると見なされる人間にはあまり干渉しない」
というのも一つの原則であるように思え、彼らはそれを忠実に守ったがために銀行を破産においやってしまうのだ。
そして虚業で大儲けをし、
「こんなに儲かるなら、他の業務はやめるか」
と言い放つ頭取。バブルに踊り、そして破滅したのは日本企業だけではなかった。
残念なのは、何故かは知らねど全体の作りが安っぽく思えることだ。米国ではケーブルTVで放映されただけ、とのことだが、そう思うと確かにTVドラマのようにも見える。取り上げた題材、それに好演があるだけにもったいない気がする。
最後にちょっと話がそれる。今ニューエコノミーだ、IT革命だの騒いでいる連中の中にも同じ気分を味わう人間(それはもうかなりの数で存在すると思うが)は相当数に上るだろう。
Toy Story2 トイストーリー2(2000/3/17)
この映画のレビューをTVで観たのは昨年のことであった。米国出張中にCNNか何かでやっていた記憶がある。
最後に解説者はこう言っていた。
「Toy Story 3はまだか?」
私も映画を見終わった時に同じ気持ちになった。
子 供のころにこの映画を観ていたら、きっとおもちゃがすてられなくなったのではないかと思う。(母に黙って捨てられるのは別として)しかし子供はいつか大人 になり、そしておもちゃは一番の友達ではなくなってしまう。ふたたび人形に話しかけてくれるのはたぶん何十年も後のことだ。
この映画で主人公はその問題につきあたる。そしてとりあえずの解決を見たものの、問題は依然として存在している。そこがToy Story3で描かれるのか、あるいは別の視点から描かれるのか。今から楽しみだ(私はもうToy Story3が作られるものと決めてかかっているのだが)
観ていて、この映画を作った人たちは本当に「良い映画」を作ろうとしたのだ、ということが伝わってくる気がした。この作品は第一作と同じくすべてCGで作られているのだが、そんなことは付随的なことだ。
日 本のアニメを観ていると時として「凝ったアニメを作ろう」とした作品に出会う。どこの動きがどうだとか、光の使い方がどうだとか、設定が緻密に作られてい るとか。そうした気持ちで作品を作れば最高に成功しても「凝ったアニメ」ができあがるだけ。人の心を動かす映画はできはしない。
最後のクレジットとともに流れる「NG集」で死ぬほど笑わせてもらった。CGで作ったのに何故NG集が?私にはこの映画を作った人たちが本当にこの作品を、そして登場するキャラクターを愛している気持ちの表れとして作ったと思えるのだが。
The world is not enoght ワールド イズノット イナフ(2000/2/27)
この映画は観ているうちからいろいろなつっこみが頭の中に浮かぶ。
「世界中捜したってあんなセクシーな核物理学者はいねー」とか
「あんな山の中で作業していて、あんなダイナマイトボディの女性がうろちょろしてたら気がちってしょうがねー」とか。
そんなことを考えながら結末が解っていてもはらはらどきどき、ときどきお笑いもはいって見ることができる。前作をみて「007とは所詮こんなものであろうか」と思ったが、今回のは「これこそ007映画の面目躍如」、というところであろうか。
ある雑誌によれば、演技ができないのはボンドガールの伝統ということらしい。胸にソフトボールを二つぶらさげたような核物理学者はともかくとして、ソフィ・マルソーがもう少しがんばるともっとすばらしい映画になったかもしれない。彼女は物語のキーを握っているのだ。
そう考えれば悪役の主役も「痛みを全く感じない、日毎に強くなる男」という設定を今ひとつ生かしていないような、、などとあれこれ理屈で考えればいくらでもあらはあるが、「あーおもしろかった」と観た後に思えるのは見事な技なのであろうか。
The Sixth Sense-シックス・センス(1999/11/21)
この映画は最初観るつもりがなかった。この映画の宣伝文句には「死者をみることができる少年」というフレーズがある。なんという恐い言葉だろうか。そして私は大変小心者だ。(未だにエクソシストをちゃんと見たことがないのである)
あ る日看板の前を通ったとき「この映画には”ある秘密”があります。そしてそれを映画を観ていない人に決して話さないでください」と小さく書いてある文句に 気がついた。そして「?」と思ったのである。そう思ってあれこれ観てみると、米国の興行成績ランキングでもかなり長い間Top10にいるようだ。これは観 る価値があるかな。
晴れた11月の日曜日。私はこの映画を見に行った。理由はしらないが、児童ばかりが多い。(高校生以下は児童と呼ぶのだそうだが)彼らは大変うるさい。そしてそのうるささは映画が始まって数分の間は続いていた。
しかしそれから最後のクレジットが流れるまで児童達は静かに見ていた。
「恐い?」確かに恐い。しかしそれは私が目を覆うようなものではない。死者を観ることのできる少年。そして彼を助けようとする精神科医の物語が淡々と進んでいく。そして「ある秘密」が。
私 もこの「ある秘密」を尊重しようと思う。だからそのことにはふれない。映画の脚本の見事な技という気がする。もし貴方が私のように映画の細かいところを気 にする人間であれば、貴方はその「映画の中のかすかなきしみ」に耳を傾けるべきだ。それは手抜きではない。うまくいけば「秘密」がわかるかもしれない。あ るいはわからなくても、観終わった後にこの映画の細かいシーンまでが実にうまく計算されて作られていたことに気がつくだろう。
そ の「秘密」はあざやかで、まるで柔道で実にきれいな技をかけられて負けたときのような気がする。相手がちょっと動いたと思うと、自分は畳の上に寝ている。 そして主審の手が上がっている。何がおこったんだ?と、まわりをきょろきょろする。あざやかな「技」というのはこういうものだ。
そ の「技」の他にもこの映画では、男女、あるいは親子の間の愛情-お互いを思いやるという形での-が描かれる。それはなかなか身につまされたり、心に迫った りする。しかしその見事な技のせいであろうか、今ひとつ心に残りにくい。しかしこの映画を一度観る価値はあると保証する。2度観る価値があるかどうかは人 によるだろう。謎解きの鍵を捜しながら2度目を楽しむ、という方法もあるかもしれない。
ちなみに後で知ったのだが、この映画にでてくる少年は、私が最近愛しているAlly McBealで、癌で死んでしまう少年を演じていた。この映画の演技もすばらしかったが、ドラマでの演技も見事であったが。彼の将来が楽しみだ。
Enemy of the state エネミーオブアメリカ(1999/5/15)
映画を見終わって、歩きながら考えていた。この映画ならNSAの職員が見ても結構楽しめるかもしれないな。
思 いがけないことからNSAにおっかけまわされる男の話。技術的な話や、その他の点では結構大嘘も多い(と思う)任意のポイントを任意の時間に顔を識別でき る精度で衛星がとらえられる技術があれば、誰がユーゴスラビアで中国大使館など爆撃したりするものか。中国の学生デモでは「大使館爆撃は米国が故意にやっ たことだ」という観測も流れたようだが、こうした映画を真にうけてのことかもしれない。おまけに衛星からの映像にたよっていたら雲がでていたら商売あがっ たりになってしまうではないか。
しかしまあそんなことは映画だから気にしない、と思わせてしまうほど、全編テンポよく流れ ていく。それに脚本もよくできている。こうした一種の謎解きは、あまり平坦では面白くないが、こりすぎてもついていけなくなる。この映画は十分なひねりと 単純さがあり、最後まであきずに見せてくれる。
だからきっと本物のNSA職員が見て「あんなに立派な衛星を持っていたり、あんなに権限があれば苦労はせんわい」とぶつぶつ思ったとしても、まあそこはそれとしてはらはらどきどき見ることができると想像したりするのだ。
NSA というのは内容が全く秘密なこともあって、何でもできると世間で思われている節がある。私だって内容について何か知っているわけではないが、この映画にで てくるNSAはまるでCIAかFBIのようだ。実際NSAにここまでやられてはFBIとしょっちゅう戦争になってしまうではないか。とはいっても実際に何 が起こっているのかは私が知ったところではない。武力にたよらず国を守ろうと思えば、こうした機関が日本にあってもいい気がするのだが、お人好し国家の日 本ではこうした組織は存在し得ないのかもしれない。
蛇足だが映画に出てくるイタリアン・マフィアがしきっているレストラン というのは実際に行ったことがあるので、(この映画にでてくる場所ではないが)なんとなく雰囲気はわかる。そこは廃墟のようなデトロイト・ダウンタウン で、傷一つついていなかった。ダウンタウンを廃墟にした連中も避けて通るイタリアン・マフィアということなのだそうだ。食事はすばらしかったが、彼らに関 してはこの映画にでてくる姿はそうはずれていないのかもしれない。
The Truman Show トルーマンショウ(1998/11/29)
かの有名なJim Carrey主演ということで、コメディと思った人も多かろう。もっとも有名な映画なので「コメディではない」ということも大変広く宣伝されているのであるが。
産まれたときからLive Showの主役として生きている(本人だけは知らないが)男の物語。ある日「何かがおかしい」と気が付き始める。さて結末は。
周 りが全てFakeだという映画はいくつかあったような気がする。あるいは、そうしたFakeの世界が幸せな世界だと信じ込まされているような。。真実を探 し求める主人公と、それを阻止しようとする番組の制作者を観ていたら、THX1138をちょっと思い出した。あるいはカプリコン1とか。
結末はいくつか考えられる、、と映画を観ている最中に思っていた。主人公は管理されていない危険の待っている外の世界にそれを承知で出ていくのか。あるいは逆に元の鳥かごの中に安住することを選択するのか。
最 後のシーンがなければ、私が想像したパターンの中のどれかの映画、ということでおしまいだったかも知れない。しかしこの映画で本当に怖ろしく描かれている のは、好奇心のためなら人をモルモットにしたり、殺したりすることなど朝飯前の我々視聴者である。自分たちがしている事が何を意味するか深く考えもせず、 歓声を上げたり、涙を流したり。そして番組が終われば何もかも忘れて、次のチャンネルを回す。最後の数分のシーンはそうした背筋の寒くなるような視聴者の 無邪気な怖ろしい姿が描かれている。そしてそれを「需要があるから」と正当化しなんでも許されると思っているマスメディアの姿が。
こ の映画を観た後で、自分のまわりにもカメラがあるのではないか、と思った人はおおかろう。ふと自分の人生がライブショウだったら、と思ったりもする。退屈 なショウか面白いショウかは私が判断できるところではない。しかし自分にとって一番大切なショウであることは間違いない。
Starship Troopers(スターシップ・トゥルーパーズ):(1997/11/8)
予告編を観たときは、子供も楽しめるSFものかと思った。
例 によってCGを駆使したすばらしい映像はてんこ盛りである。しかしRatingがRになっていることからもわかるとおり、決して子供向けの映画ではない。 内容がシリアスというよりは、結構過激なシーンがでてくる。なぜか兵隊さんがシャワーをあびているシーンでは男女が並んでシャワーをあびているし(確かに アメリカあたりいつかそうなるかもしれないが)、巨大な昆虫におそわれる兵士達が死ぬシーンなどとても子供にはみせたくないようなものばかりだ。(もっと もこういう殺し方をまねする子供はいないだろうが)
ストーリーそのものは子供向けである。おまけに奇妙なコメディ的なシーンもところどころでてくる。だから制作者のバランス感覚がちょっと理解に苦しむところもある。。。しかし頭をつかわずに観ることができるし、なんたってCGがすばらしい冒険活劇なのだから。。
主人公の男性に片思いする女性が結構かわいい。また「軍隊から除隊したい」と主人公がいうのに対し「何も言わなくていいよ。帰っておいで」という両親が妙に印象的だ。当時私が会社に辞表を出していた身分だったからかもしれないが。
強力な昆虫にやられていく兵士達の姿を見ていると「なんで飛行機は使うのに戦車という便利なものを使わないんだ?」などとおたくっぽい疑問も頭に浮かんでしまう。しかしそういう野暮なことは言わないのが花だろう。
Conspiracy Theory(疑惑のセオリー):(1997/8/16)
ジュ リア・ロバーツ主演。米国で観たので正直言って筋を追うのが大変だった。ストーリーは結構起伏に富んでいておもしろい(この手の映画が好きな人にとっては ありふれているかもしれないが)そしてなによりもジュリア・ロバーツの瞳が印象的。いままであまり彼女を美人だと思わなかったが、この映画をみてから考え を改めた。
背景のNew Yorkは、例によってとても汚く危険な街に見える。主人公のタクシードライバーのような「変人」がうろちょろしている街なのだろう。人によってはあの街も楽しいところなのだろうが、私は願い下げである。
ただしこの映画自体はもちろんNew yorkを舞台にしなければ成立しない。どこかの田舎町ではだめである。とりたててすばらしいエピソードがあるわけでもないが、最後まで飽きさせず、ジュリア・ロバーツのすばらしい笑顔とともにこの映画を1080円分の価値があるものにしている。
NIXON(1998/3/?) (参考文献のページへ)
いまのところ唯一の「辞職した米国大統領」ニクソンを描いた映画。NHKの海外ドキュメンタリーでウォーターゲート事件の事を見てから、妙にこの事件とNIXONに興味を持った。
主演は私が敬愛するAnthony Hopkinsである。この映画においても彼の演技はすばらしい。彼は本当にどんな役でも演じてしまう。
こ の映画をみて、ニクソン個人のことをいろいろ考えた。物の本によると彼は確かに外交面でかなりの成果をあげている。(なんだかんだと言っても彼の代でよう やくベトナム戦争は終結したのだ)しかし多くの客観的事実が示しているように人間としてどこか欠けたところがあったことも確かなようだ。ウォーターゲート 事件とそれから明るみにでた数々の事実は彼が「自分に何が欠けているかわからず必要以上にあがいた」結果という気が漠然としている。
貧しい家庭から無名の大学へ、そして大統領に上り詰めるというのは一つのアメリカンドリームではあろう。そしてその破滅もまた何かを考えさせる。
長い映画であったが飽きずにみることができた。脚本も別途書籍として売り出されており、この映画のバックにどれほど多くの参考文献、インタビューなどがあったかを知ることができる興味深い資料となっている。
余 談であるが、「盗聴テープ」の速記録は非常に断片的な言葉が飛び交い、論理の流れも明確ではないわかりにくいものである。本当の日常会話を文章に落とすと このようなものかもしれない。映画や小説、漫画では登場人物が皆見事に論理的な会話をするが、本当の会話は論理的とは遠くかけ離れたものである。
時をかける少女(1983?) (参考文献へ)
原 田知世主演。大林宣彦監督。尾道3部作の第2作である。公開当初「これはいい」という感想と「なんなんだあれは」という感想がいりまじっていたと思う。こ の映画の題名を聞いたとき「タイムトラベラーの映画化か」と最初は思った。昔NHKでやったこの番組は結構我々のまわりで話題になっていたのだ。
さてこの映画のトーンはとても落ち着いてしっとりしている。新学年になった春先の学校という雰囲気がとてもよくでている。春先は何が始まるわけでもないのだが、軽い不安と軽い希望がいりまじる季節ではあった。社会にでてしまうと単に温かくなるだけなのだが。
この映画の原作となった小説も結構おもしろかったが、この映画にあふれているような情感はない。主演の原田知世の演技もすばらしい。うまいとか、下手とかいうことを超越して映画の雰囲気とよくマッチしている。
あと時が経った一連のシーンで、「いもしない孫のものを買い続ける老夫婦」の演技はすばらしいし、何かを考えさせられる。彼は記憶を消し去ったがそれでも人々の心に何かを残していったのだ。
で は何故この映画を1800円では無くて、1080円にいれるか?主演の男優が下手すぎるからだ。この映画に向けられた他の批判として、特撮が漫画チック だ、というのがあったと思うが、それは対して気にならない。しかし主演男優だけはなんともならない。彼はこの前後角川で制作した一連の作品に出演し、すべ ての映画をぶちこわしていたが、今何をしているのだろう。
余談を一つ。未来のシーンで、最初に鳴る電話が公開当初ずいぶん未来的に見えたものだ。今ではありふれた電話で「コードレスじゃない」などと思うだけだが。考えてみれば当時16歳だった女子高生も今は31歳か。
ちなみに(またまた)この映画の音楽はとても好きだ。サントラを買ったのだが、一番気に入った音楽がはいっていないので地団駄踏んだ覚えがある。
日本は別:よくもまあ、ああも同じような映画ばかり作れるものだ、とひたすら感心してしまうが。私が生きている間には日本の戦争映画はあのままかもしれない。本文に戻る
Commander, 指揮官:ちなみに上司、管理者はこの限りではないのはご承知の通り。本文に戻る