日付:2001/3/3
1800円 | 1080円 | 950円 | 560円 | -1800円 |値段別題名一覧 | Title Index
1080円-Part3 (Part2へ) (Part4へ)もう最近ではFull CGで制作された映画である、ということは話題にも売りにもならない。大切なのはその内容。緑色で腹の出た怪物が成り行きから王女様を助けに行く。
ありふれたおとぎ話の基本ストーリーをちゃんと笑いと少しの感銘を織り込んで映画にしているのがお見事。しゃべってばかりのロバとShrekの会話もいいと思うし、運命の人とキスした後のお姫様もきれいに見えてくるのが不思議なところ。
中でも私が一番気に入ったのは最後にみんなで歌い踊りながら二人を送り出す場面かもしれない。I'm a believerという歌に併せておとぎ話の登場人物たちの大騒動が描かれるそのシーンは
「ロックだか、ポップだかという音楽は偉大な発明であることよ」
などと私に考えさせたりする。
こうした「醜い」ヒーローをちゃんと描く、というのはなかなか難しい技だと思う。やたら目のでかい人間ばかりが登場する某国のアニメの及ぶところではないのかもしれない。映画が終わった後私もだが映画館にたくさんいた子供たちも結構ご機嫌な気分になったのではなかろうか。あ、ちなみに珍しく吹き替え版でみました。時間があわなかったもので。でもそこそこよかったです。でも英語版の声の出演を観ると、やはり字幕で観たかった、というのも本当のところ。
ハリー・ポッターと賢者の石 HARRY POTTER AND THE PHILOSOPHER'S STONE (2001/12/11)
小説が話題になっていた頃からこの物語についてはあれこれ読んでいた。しかし結局本は読んでいないのである。映画評によっては
「本を読んでから観た方が良い」
というものもあったのだが。
大きな劇場が満員になると映画の始まり。スピーディーに次から次へと物語が展開していく。仲良し、いやな奴、悪役、そうした人たちを描きながら。筋がどうとか語りたいことがどうとか余計なことを考えずに。本を読み出すと止まらなくなると聞いたことがあるが映画もちゃんとそうした雰囲気を持っている。しかしどうもあれこれの感想を聞くにつけ、この映画に関しては「読んでから観る」が正解のような気もするのだが。
とはいえご機嫌であることに変わりはない。唯一の懸念点というのが、
「俳優たちが成長してしまうだろうに、続編はどうするのだろうか」
である。なかなか見事な演技を見せる彼と彼女たちは一番変化の激しい年代だ。おそらく3年後には「をを、あの少年(少女)が」と思うほど大人っぽくなってしまうと思うのだが。
テイラー・オブ・パナマ-The Tailor of Panama(2001/7/8)
米国からパナマ運河が返還された後のパナマに「飛ばされた」MI-6の諜報員。ジェームス・ボンドの役者さんが演じている。彼は好調の時にはボンドばりの魅力を発揮し、女性とねんごろになる。あたかも女性は
「悪い奴」
と知りながら惹かれてしまうように。
もう一人の主役はパナマのテーラー。彼は仕立屋だが仕立てるのは洋服ばかりではない。この二人それぞれの利害からとんでもない話がでっち上げられ、話は米国国防総省にまで持ち込まれる。そこで
「パナマからの撤退が軍歴中唯一の撤退」
という将軍が短い演説をし、でっちあげの話は二人のコントロールを離れ、とりかえしのつかないところまで大きくなる。状況がどうしようもなくなると好調の時あれほど魅力たっぷりに見えたボンド氏はとたんに
「小物ぶり」
をかもしだしてしまう。この落差は見事だ。女性に対する神通力もすっかり消えてしまうのだが、それでも最後まで自分のスタイルを保ち続けるのはこれまた見事。テーラー、そしてその妻は友達のため、家族のため、そして無意味な破滅を避けるため奮闘を続ける。ご都合主義に陥ることなくそれぞれのキャラクターを最後まで保ちながらだ。
かくしてこの映画は派手さは少しも無いが、どこか「上等さ。上品さ」を感じさせてくれる。こういう映画が作れるというのは、制作側に相当の余裕がないと難しかろうなどと小手先の売り文句にあきあきしている私などは考えたりするのだが。
デンジャラスビューティー-Miss Congeniality(2001/6/10)
日本の宣伝では「これぞ、新世紀の美人道」とかわけのわからない言葉が並んでいるが、原題はいわばミス好感度という意味らしい。
かざりっけの全くないFBI捜査官がひょんなことからミスコンテストに潜入することになる。あれこれ美しく変身し、あれやこれやのトラブルがあり、でもって最後は大団円になるとは誰もが予想するところ。そしてその通りの事は起こるのだが、それだけではない。ちょっとしたトラブルから仕事を干されてしまったコンテストのコンサルタント。彼女を磨くことは彼にとってのチャレンジでもある。何を望むかと問われれば"World Peace"とばかり答える出場者達、お互いに競いつつも、化粧の仕方がわからない主人公によってたかってメイクをしてあげる。彼らはちゃんと人間として描かれており、それは主人公たる捜査官も同様だ。最後に残った5人のうちの一人としてインタビューに答えるところは、映画の内容とも、主人公のキャラクターとも合致してなかなか見事。主演のSandla Bullockは決して整った美人顔ではないと思うのだがお約束通りどっかんといった後のラブシーンでははっとするような表情を見せてくれる。そしてコンテストが終わった翌日50名の代表から彼女がMiss Congenialityに選ばれるシーンはちょっといいなあと思ってしまう。
かくして私は予想よりもこの映画が気に入ってしまったことを認めなくてはならない。ストレートに人間を描いたコメディとして楽しめる映画なのに、何故こういうキワモノ的な、内容と関係ないコピーで売ろうとするかなあ、などと妙なところで不満を感じたりしてしまうのだが。
タイタンズを忘れない-Remember the Titans(2001/5/3)
公開前から@Niftyのアメリカンフットボールフォーラム(掲示板のようなもの)で話題になっていた映画である。一番のおすすめFootball映画だと。
1971年-これがそれほど昔では無いことに注意するべきだ。私は既に8歳になっていた-ヴァージニア州で黒人と白人の高校が合併された。そのFootballのチームを舞台に葛藤が、そして勝利が描かれる。
あるいは人によってはこれは遠い国の昔の物語としてとらえるかもしれない。しかし私は半ば確信している。人間は差別が大好きな動物であると。肌の色が一緒であれば、性別や入社の年度でも部署や派閥の名前でもなんでもよい。とにかくそこに線を引ける物があれば線を引き相手を自分とは別物と見ようとする。
そこをどのように乗り越えようとしたか。Based on true storyであるから皆が簡単に大団円とはならない。最後まで黒人と融和しない白人。能力はすばらしいがアサイメントに従わない黒人。合宿で融和したように見えた彼らはまた差別が残る街に戻って分裂しかかる。Rememer the Titansという題名自体が、今も人種間の衝突があることを示しているのだ。
しかしHead Coachは彼らを共通の目標-勝利-に向けさせることで見事に強力なチームを作り上げた。それは試合での勝利であるとともに、彼ら自身の人生における勝利でもある。
あるいはこの映画に米国スポーツの姿-厳しさ-を見ることもできる。冒頭Head Coachはこういう
「ここには民主主義はない。独裁主義だ。俺が法律だ」
勝てば彼の給料は上がる。負けが続けばたちまちクビ。彼の栄光はそうした冷徹な現実の上に成り立っているのだ。
このように色々なことを考えさせる映画だが、ディズニー映画だから少し綺麗過ぎるのかな、もう少し良い映画になった可能性があったのではないか、と思ったりもする。またFootballを知っている方が楽しめる事は言うまでもない。試合前のフィルム交換を拒否するとはどういうことか。最後のプレーは何故相手の裏をかけたか。こういうFootballの知識を当然の前提とした映画を観ると、それが米国の文化の一部となっているとしみじみ思う。
しかしそんな余計な事を考えずに観る価値のある数少ない映画のうちの一本であることに変わりはない。親愛なるClintonの言葉とされている
「私たちはこの若者達から多くを学ぶことができるはずだ」
という宣伝文句もそれほど空疎に響かない。
この日何を見ようかずいぶん迷った。ゴールデウィークの初日。何か平和な映画を観たい。まだ私の心身はそれほど回復していないのだ。なのにやっているのはスターリングラードとかトラフィックとか平和とはほど遠い題名ばかり。ええい。開始時刻を10分過ぎてしまっているが、まだ予告編をやっている方にかけるか。
映画が終わった後隣の母娘が
「ちょっとおとぎ話みたいだけど良い話しだったね」
と感想を述べていた。私も全く同感だ。ある保守的なフランスの田舎町に母と娘が移り住みチョコレート屋を始める。そこから起こるあれこれの騒動が描かれるわけだ。それは確かに映画であり虚構の物語なのだが、それでも見終わった後私を少しご機嫌にしてくれる。
それは登場する人間の描き方が軽々しくおとぎ話に走ったりしないからかもしれない。妻に暴力を振るう男が居る。彼は村長によって「更正教育」を受け、スーツなど着込み花を持って逃げた奥さんを迎えに行くのだ。しかしそこで「めでたしめでたし」とはならない。どうしようもなく、どうにもならないことがたくさんあるのがこの世の中というもの。一見魔術を操るかのような主人公の女性は村長の頑なさに怒って銅像をけっとばし、娘の事を考え悩む。そして情けなく聖職者らしからぬ ロック魂 を持つ新任の神父だか牧師は最後に見事な説教をする。人の価値はどれだけ禁止したか、拒絶したかではなく、どれだけ受け入れたかで計ろうではないか、と。
映画らしい虚構の世界と、ついていけないご都合主義の間で微妙にバランスをとっているとでも言おうか。アカデミー賞をとりはしないがノミネートされる、というのが
「うんうん」
と思えたりする。
この映画を観た後にカレーを食べた。体重が気になる私であるから「野菜カレー」を選ぶべきなのだが、実際にオーダーしたのは「メンチカツカレー」。だってメンチカツカレーの見本がおいしそうに見えたんだもん。そしてこの映画を観た後であればなおさらだ。
ハート・オブ・ウーマン-What Women want(2001/3/3)
やたらともてる(と少なくとも自分は信じている)男がふとしたことから女性の心が声となって聞こえるようになってしまう。時あたかも自分のものと思っていたポジションに女性の上司が転職してきた直後の事であった。
こうかけば、何が起こるかは誰にでも解る。こういうシチュエーションはおそらく世界中の漫画や映画で何度も取り上げられたのだろうし、その中には素晴らしいものもひどいものもあっただろう。しかしこの映画はなかなかどうしてすばらしい出来と思うのだが。
この映画のどこがよいのだろう。私が「何が面白いのかさっぱりわからん」と思った 恋愛小説家 という映画で唯一光っていたのが、この映画の主演女優ヘレン・ハントだ。彼女はこの映画でも素晴らしい。とくにラストのシーン。表情を観ているだけで彼女の心が読めるか?読めないのか?とにかく私の目は彼女ばかり追っていたのだが。
それにメル・ギブソン演じる主人公もなかなか面白い。見た目はゴージャス。しかしいつも接している女性に心の中では罵声を浴びせかけられていることを知り、頭を抱えるなどは結構かわいいではないか。世の中には面と向かって(もちろん普通の声で)非難され、罵声をあびせられてもまったくこたえない人間-この文章を書いている時点での日本の総理などまずその筆頭格だが-もいるというのに。そんな能力が無くても、新任の上司に「明日の朝までに宣伝の企画を考えてこい」と言われ、箱に一杯つまった女性用品を試してみるところなどなかなかみあげたものだ。そう思うと彼の役柄になんとなく親しみを抱いたりする。彼は最後の場面で「俺が助けを求めに来た」という。私は理屈でこのセリフをちゃんと理解しているわけではない。しかし彼の言うことがなんとなく解るような気がする。
彼はこの映画の中で4人の女性にいろいろな形で接する。娘にはファーストネームで呼ばれ(父親とみなされていないのだ)、コピーライター志望の女性を面接もせずに却下し、コーヒー店の店員を一生懸命くどうこうとしていた男は相手の心の声を聞くことで相手を人間として尊重し接するようになる。とはいってもいいことばかりではない。
首尾良くコーヒー店のお姉さんとBed Inするのだが、一生懸命やっている最中に
「今日TV何やってるんだっけ」
とか
「感じてるフリをしなくちゃね。演技演技。」
とかいう声が聞こえてしまえば、気もそげるというもの。トイレで自分に気合いを入れ(偉いぞ)ことが終わった後
You are God of SEX (SEX God だったか?)
と賛辞を受けるのだが、私の見間違いでなければ、次のシーンに移る一瞬前に彼は
「やりきれない」
といった表情を見せる。男性ならこの気持ちがわかるでしょ。
かくの通り、他人の声が聞こえてしまうというのも楽なことではない。「 グリーンマイル 」という映画では他人の観た光景をまざまざと見てしまう男が「もう生きていたくない」と言う。逆にこの「能力」を使った底の浅いストーリーはいくらでも思いつく。そうした深みと浅さの間でこの映画は中庸を保ち、楽しさを持ちながら人間をちゃんと描いた素晴らしい出来だと思うのだが。
最後に全く余計な話し。この映画はカップル向きだと思う。しかし映画を見終わった後に彼氏の方が沈思黙考しているようであれば、それは何かを意味しているかもしれない。彼はこう自問自答しているかも。
「真面目にやらなくちゃ」
でもってその結果として一緒に映画を観た女性が、コーヒー店のウェイトレスの立場になるのか、上司の立場になるのかは私の知ったことではない。彼がいきなり
「俺はゲイだ」
と言いだしたとすれば、あなたは彼にとってウェイトレスさんなのです。