映画評

五郎の 入り口に戻る
日付:2011/7/10
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950 円-Part13(Part12へ |Part14)

アナと雪の女王-FROZEN(2014/04/06)(1000円)

今日の一言:女の子のあこがれとは

ディズニーである。予告編からは期待感が伝わってこない。とはいえ子供は面白いというし、友達も「最後がこう来たか、と思った」というから観に行った。

冒頭から正統的ディズニー全開かと思えば少し雰囲気が違う。映画を通して流れるのは「相手の話を聞かずがなりたてる」こと。冷凍ビームを使える姉と妹が遊んでいて、調子に乗りすぎた妹に姉の冷凍ビームが命中。大事には至らなかったものの姉の冷凍ビームを恐れた両親は姉を隔離する。

両親たる王様夫婦が亡くなったため、姉が国をつぐことになる。妹はかっこいいプリンスと一目惚れで婚約する。それを姉に拒絶されると「なんで結婚しちゃいけないの!なんでなんで!」と喚き立てる。

そこで冷凍ビームを使ってしまった姉は一人山の中に氷の宮殿を造り住む。ご飯とかトイレとかどうするのかと聞いてはいけない。これはファンタジーなのだ。ところが姉の冷凍ビームは今や国全体を覆う。7月だというのに吹雪。困った妹は姉のところに「お願い」にいく。その間、国の全ては「一目惚れの男」に放り投げる。あれこれの末ようやく姉と再会。ところがまたもや話を聞かず「どうしてどうして!」とわめくものだから冷凍ビームを食らってしまう。お前ら落ち着いて話せよ、と思った所でしょうがない。これが女性の憧れの姿というものなのだろうか。人の話に一切耳を貸さず、相手が同意しなければ悪意をぶつけまくる。

それからいろいろあって話は収まるところに収まる。こう書くと良い所がないようだが、この値段にする理由はちゃんとある。確かに最後のオチの付け方はよかった。この映画でそれなりに描かれていたのは、成るほどその愛情だけだ。そう考えると冷凍ビームの拡散というのは姉の心の温度と比例しているのだな。(とはいえ妹はその後またもや正統的ディズニー恋愛に夢中だが)

もう一つはCG。私はSIGGRAPH的細かい技法には価値を見いださない人だが、それでもこの映画のCGには驚嘆させられた。顔のソバカスや、肩の辺りの赤いぼつぼつまでちゃんと描かれており、雪が舞う所とかヨタヨタ歩くシーンとかそれだけで芸になると思わせられた。素人が観てもそう思うのだからプロが観たら卒倒するのかもしれん。

見終わってこれは

「Pixarのエッセンスを吸い取ったディズニーの作品」

ではないかと思いあたる。ラセター達をこちらに専念させ、大きなプロットを作らせる。CG技術はPixarの先鋭を当てた。それゆえPixarは今年作品を公開することができないし、Pixarブランドで出てくる物はゴミばかり。「メリダ」も本当ならこれくらいにできた筈ではなかったのか。これがディズニーランドの威力か。


ウォルト・ディズニーの約束-SAVING MR. BANKS(2014/03/21)

今日の一言:例によって邦題が悪い

邦題はわけがわからないが、原題も中身を知らないとわけがわからない。メリーポピンズの原作者と、その映画化を望むウォルト・ディズニーの御話。

この原作者というのがとてもエキセントリックな女性。新しい作品を書くつもりは無いが貯金が切れた。なので映画化の話に乗るしかないのだが当日になって「行かないわ」とか言い出す。こういう駄々っ子みたいな態度が許されるのは、ベストセラー作家ならではだろうな。

彼女のキーキーわめき声と交互に映し出されるのが彼女が小さい時の様子。彼女の父はアル中で、仕事を首になってばかりの男だった。その駄目人間ぶりがこれでもかと映し出される。映画の中盤では「なぜこの映画を見てしまったのだろう」とたっぷり後悔する。駄々っ子おばさんと駄目親父の姿を見る為に1800円払ったのか、と。

結論はわかってる。最後はうまくいくに決まっている。とはいえディズニー映画だからいくつか重要なところは放り投げたまま。最初「ミュージカルは絶対駄目」といっていたのはどこに行ったのか。そしてなぜウォルトは彼女をワールドプレミアに招待しないのか。こういう「些細な点」は置きっぱなしである。

エンドロールでは実際に彼女が録音させていた声が流れる。そこではこの映画の「虚構」も明らかかになる。「あんた読みなさい」とか作家が言うが、脚本家が「虐待だ」とかちょっと冗談っぽく言うのだ。そうした雰囲気は映画からは感じられなかった。つまり彼女は確かに変な女性だったかもしれないが、おそらくもっとリアルで人間らしさがあったと思うのだ。しかしディズニーの手にかかればこの通り。

とはいえ、トム・ハンクスが語る「ディズニーの理想」は悪くない。願わくば彼の後継者達もその心意気を継承してくれたなら、と思うがそういうのは難しいのだろう。あと作家の専属運転手のエピソードもよい。そしてなぜ原題がこうなっているのか、なぜ延々と駄目親父を映し出したのかは最後に明らかになる。その語り方は少しよかった。だからこの値段にしておく。


ホビット 竜に奪われた王国-THE HOBBIT: THE DESOLATION OF SMAUG(2014/03/01)

今日の一言:エンドロールが流れ出した瞬間、後ろに座っていた若い女性が「マジかよ」と言いました。

というわけでホビットである。ピータージャクソンである。3部作である。前作のおかげで心の準備は万全。どれだけ敵が襲ってこようが、断崖絶壁から落ちようが「良い者」は絶対死なないことがわかっているから気楽な物だ。また展開が遅いのも織り込み済みである。とはいえ「さあこれから」というところでいきなりエンドロールだから、「マジかよ」と言いたくなる気持ちも解る。

前作に比べれば、いきなり「関係ない岩男の殴り合い」とか無い分だけましだとは思うが、かといって「手に汗握る」というわけではない。前回の設定を全部忘れて「えーっとこの人だれだっけ」から始まるのもお約束。等と期待値が下がっているのは良い事なのだろう。

オーランド・ブルームは可愛い女性に惚れていることになっているらしいのだが、画面からそれは伝わってこない。またその女の子は、ホビット御一行のイケメンを気に入っているらしいのだが「イケメンはいいっすねえ」としかいいようもない。種族の壁を超え、「イケメンである」こと以外彼女が惚れる要素がどこにあるというのか。ドラゴンがホビット御一行の事情について妙に詳しいのもなんだか違和感があるのだが、まあ細かいことは問わない。要するに

「CGで作った仮想世界のアクション集」

といった趣。人はまあつけたしなわけだ。こう書くとどうでもいい映画、という気もするがそれにしては飽きずに観たのは確か。と上映時間を調べてみれば今回は「たったの」2時間41分なのだな。というかこの話って2時間50分の2本くらいにまとめたほうがよかったのでは。


エンダーのゲーム-ENDER'S GAME(2014/01/18)

今日の一言:この映画を見て、我が国(USA)の行ってきた対外戦争のどこをどうモデル化しているかについて300語以内で記述しなさい(10点)

映画が始まる。その昔地球は異星人の侵攻を受けたが、なんとか撃退した。しかし敵はまだ侵攻を諦めないでいる。でもって何故か戦いには子供が向いているのだそうな。というわけで子供達はタブレットのゲームに熱中している。主人公と思しき少年には、素質があるということらしい。ハリソンフォードがあれやこれや言う。彼はとんとん拍子に出世する。その間中「君は特別だ」ということになっている。「実は僕には世界を変える秘めた力が宿っているんだ」というセカイ系の設定は洋の東西を問わず子供に受けるのだろう。こういう妄想を抱けなくなったのはいつからかな、などと考える。

ここらへんの描写は「米国版、夏休み子供向け映画」でしかない。そのうち挫折があるが、きっと最後は敵をやっつけてメダタシなのだと思っているとちょっと話が変な方向に進みだす。

敵は確かに軍備を増強しているが、今の所侵攻の気配はない。しかし「将来の戦争に全て勝つ」ため敵を根こそぎ殲滅することを計画しているらしい。なんだこれは。アメリカにしてもやりすぎではないか。というか最近はアメリカの戦争も大分「文明的」になったが。

さて、なんだかんだの後にエンダーは見事戦いに勝利する。敵は殲滅された。しかしこれでいいのか。疑問をもった後のエンダーの行動は地獄の黙示録にあった「銃で撃っておいてバンドエイドを与える」とか「原爆落としておいて復興支援する」(これは私が考えた)やりかたではないか、と観る事もできる。しかし散々虐殺しておいて「僕たちに必要な事は愛し合う事だったんだ」とめそめそする某国の宇宙戦艦よりマシではないか、と言う事もできる。

サード(第3子)とはなんなのかとか、なんでエンダーが出世すると周りの「落ちこぼれ仲間」までえらくなるのか、とか突っ込みどころは満載である。しかし前半で感じた「子供の妄想爆発映画」とはちょっと違ったストーリーに少し感心した。これなら「大人」の俳優達が妙に豪華なのも納得である。下手に子供受けを狙わず、大人向けに徹したほうがおもしろかったんじゃないかな、と思いながら映画館を後にする。


ローン・レンジャー-The Lone Ranger(2013/08/04)

予告を観る。そもそもジョニー・デップがネイティブ・アメリカンというのはいかがなものかと思うし、(後から知ったのだが、デップはネイティブ・アメリカンの血も入ってるのだな。反省その1)ブラッカイマーである。まあ時間つぶしに観てみるか。

見終わってみれば、そのまんまであった。いつものブラッカイマー映画。しかし値段分(米国の$9だが)は確かに楽しめた。

法律命で、銃の携帯を拒否している男がならず者の捜索に行く。待ち伏せにあい一同皆殺し。なぜか生き残った男はマスクをつけネイティブ・アメリカンとくんで悪い奴をやっつけるのであった。

そういうお話だから、主人公には絶対弾があたらない。しかしそれにちゃんと説明(というほどのものではないけど)をつけているのは偉いぞ。フィナーレは古典的なウィリアムテルの音楽とともにもうそりゃやりたい放題。楽しければいいじゃない、と言われてるようだし、実際そこそこ楽しい。白馬はどこにでも現れるが、細かいこと言わない。そこまで十分変なシーンをみせて「地ならし」してたし。冒険活劇なんだし。

主演女優はちょっとクセのある顔だが、なかなかにAttractive。ヘレナ・ボナム=カーターはいつもの怪演だが、面白い役柄なんだからもっとうまく使ってやれよ、とか日本人が作ったんじゃないかと思うほどのモニュメントバレーへの執着ぶりとか(後からこジョン・フォード・ポイントとかあるじゃないかと気がつき反省その2)突っ込みどころは満載だし、どう考えても長いのだがそれでも値段分(しつこいようだが$9分)楽しませる手腕には感服せざるを得ない。というかこういうことを書くとは夢にも思わなかったが、今のピクサーより、はるかにこちらのほうがましだ。

をを、そうだ。なぜこの音楽に聞き覚えがあるかといえば、「俺たちひょうきん族」のオープニングだ。


カルテット!人生のオペラハウス-QUARTET(2013/06/09)

音楽家だけが集まる老人ホーム。そこにある女性が入所してくる。彼女は車の中でひたすら誰かに謝っている。ボケているわけではないので安心しよう。

彼女は有名なソリストとのこと。来ただけで、入所している人達から拍手を送られるほどの大物らしいが、主人公(?)の男とは過去になにかあったようす。男は「これで平和な老後もおしまいだ」とかわめきちらす。

そのわりには、その後あまり困った事にはならない。元ソリストはどうやら感情の起伏が激しいらしく、機嫌が悪いとあれこれどなりちらす。しかしその後我に返って「ごめんなさい」という。マシだとも言えるし、きっぱりと避けられないだけタチが悪いとも言える。

あれこれやったあげく、「カルテットで歌いましょう」と言われる。しかし過去に栄光があったが故、年老いた今歌うのは勇気がいること。なのだが、こういう場合は「歌うんだ馬鹿」というのが正しいのだろう。同じ阿呆なら踊らにゃ、というやつだ。

主役4人は最後まで歌わない。歌っている場所が遠景になり歌声が流れるだけである。他にもクラシックの名曲が何曲も演奏される。静かな映画だが悪い感じはしない。タイトルロールを見返してダスティンホフマンが監督だったことを知る。でもって問題児のお姉さんは、ハリポタにでてきた猫の先生だったのだな。


LAギャングストーリー-Gang Squad(2013/5/11)(1000円)

一言:アメリカの正義全開

戦争は終わった。しかしLos Angelsはギャングに支配されようとしていた。警察の偉いさんは主人公に「ギャングのトップを倒せ」と命令を下す。誰も証言しないから裁判が機能しないのだ。というわけで捜査も裁判も何もなしのギャングに対する戦争が始まる。ここらへんイングロリアス・バスターズのブラピチームを思い出す。

まず主人公がチームメンバーを選ぶ。それをサポートするのは身重の奥さん。いい奥さんもらったよなあ。しかし家族がいるのにギャングに闘争を挑んでいいのか。ああ、こんな解りやすい死亡フラグ。他にも死亡フラグとか裏切りフラグ(これは不発)とかいろいろ立ちまくる。

この主人公を観ていると、昔漫画パタリロでみた「文化広報局」チーフを思い出す。彼が立案した「敵に捕らわれた味方を救出する作戦」はこうだった。

「玄関からはいり、救出して外に出る。邪魔をする奴は殺す」

この映画にでてくるGang Squadの戦術もそれに近い。あまりに無茶苦茶だからメンバーの一員、色男からクレームがつくのだが「うまく行っただろ」の一言でおしまい。いやすがすがしい。

そもそも主人公の動機が「悪い奴は殺す」で基本的に迷いがない。変に気取ったりややこしいところを言わないのがよろしい。最初の作戦はひどいことになるが、そのあと順調に攻撃が成功する。観ている方は緊張する。そろそろ恐ろしい復讐がある筈なのだ。割を食ったのは最近よく観る脇役の人。まあもともと死亡フラグ立ってたからなあ。でもそれ以上に恐ろしいことにはならないので安心しよう。

最後には順当なHappy Endがやってくる。敵の反撃があまりに都合が良かったとは思うし、そもそもあの時代にあんな盗聴が可能だったのかとかも問わないことにしよう。(真空管の時代だからねえ)考えれば現代のアメリカが「敵」にやっていることはこれと同じだ。よその国だろうが遠慮なく軍隊を送り込み、裁判などにかけず血祭りに上げる。

単純と言えば単純。しかしここまで開き直られては突っ込む気にもならない。深い感動はないが、観ている間そこそこ楽しめたのは事実。ヒロインは綺麗だし、御相手する色男もなんだかんだで良い奴だったしね。


テッド-TED(2013/4/12)

今日の教訓:人間は駄目なものです。それでも友達で居られるのはすばらしい、と思いましょう。

誰も友達が居ない少年はクリスマスプレゼントにクマのぬいぐるみをもらう。流れ星に願いをかけたらクマがしゃべるようになりました。月日は流れ男は35歳。なぜかエキゾチックな美女と同棲して、レンタカー屋の店員をやっています。というかこの映画をみて知ったが、米国においてレンタカー屋の店員というのはあのように観られているのだな。

クマと男は中のよい友達。二人とも駄目人間です。麻薬をやって会社に遅れるなんて当たり前。彼女のほうは広告代理店でばりばりキャリアを積んで。ここで誰もが思うだろう。「なんでそんな男とつきあってるのか」

というわけでこの映画の難しいところは、完璧な駄目男ではなく「映画だから」というフィクション込みで「なるほど、彼女が惚れるのも無理は無い」と思わせなくてはいけないところ。私の考えではこの映画の制作者がその「困難」に正面から向き合ったとは思えない。確かにいい男だよ。でも35になって仕事さぼって麻薬やっている男がそんなにいいのかねえ。

ぬいぐるみたるテッドは駄目熊だから主人公をあれこれ誘う訳だが、確かにそれに乗るのは「自己責任」。まあここまで駄目男だと一生駄目男だが、それでもいいならご自由にというところか。最後の結婚式で女友達が「祝うフリするのって大変」と言う。観客たる私もそう思う。しかしまあ人間結局駄目でそれでもお互いののしりあったり心配しあったり、殴り合ったりできる友達がいるのはいいことだ、と思いましょう。

主演の女の人は変わった顔だなあと思ったらオズの人だった。駄目男はハプニングの人。気味が悪い親子の父親はどこかで観た事がある顔だが、たぶんプライベートライアンで記憶に残っているんじゃなかろうか。

ナレーションが突然暴走を始めるところとか、なんというか制作者のユーモアのセンスには理解しがたいところもあるが、まあこんな映画もいいのではないか。そう思い映画館を後にする。もう何年もきたことがないような「全席自由席。スクリーンには幕がかかっている」映画館を。


アウトローー-JACK REACHER(2013/2/10)(1000円)

今日の教訓:米国で複数人が銃の犠牲になる事件があったとしても「ああ、またいつもの」と思ってはいけません。

何者かがライフルで「ランダムに」5人を殺した。遺留品がたんまりあったのであっさりつかまった。よかったね。

とはもちろんならない。その男が呼んだのがJack Reacherことトム・クルーズ。ようするにトムが新しいヒーローシリーズを作ろうとしたわけか。

というわけでイーサン・ハントではなくJack Reacherである。銃も格闘もとにかく強く、頭は切れ、飲み屋にはいっていくだけで目があった女性が顔を赤らめる。いやわかりやすい。私はよくわからないが、米国女性的観点からみて今のトムも「目があっただけで顔を赤らめる」ほどハンサムという認識なのだろうかね。

でもってそんな単純な話のわけがないので、背後に悪い奴がいるわけだ。あーだこーだとその真実を暴いて行く。ものすごく良いわけではないが、そう悪くもない。最後の決着が簡単すぎるとは思うが(そもそもあの警官がなぜ、、は一言しか説明されない)まあそこそこ楽しんでみる事ができた。気の毒な女の子を除いてはそうひどいシーンもでてこないしね。(しかしこの女の子のシーケンスはいくらなんでも短絡思考すぎると思う。あんなんで容疑者とか)

思うに正当派デートムービーとはこういうものではなかろうか。もし女性が興味を持ってくれれば、男性はその質問に答える事で会話が進むし、あの弁護士微妙なルックスだよねえとか話も弾む。

というわけでこのシリーズ続くんだろうか。邦題はわけがわからないので、続編作る時に困ったりしないかなとか妙な心配をしながらも、続編がでたら見ると思う。でも一つアドバイスしておこう。トム。こういう内容なら90分にしなさい。無駄な場面が多かったように思うよ。指がどうのこうのとか,女の子をボカンとかね。

というわけであれこれ調べてみれば、、ええっ、あの銃砲店のオヤジってキルゴアなの?とか銃の乱射事件があるたびに「米国は銃を撃ち放題」と思ったりするが、彼の地でもやはり射撃場は嫌われる施設なのだな、とか妙なところで感心したり。


フラケン・ウィニー-FRANKENWEENIE(2012/12/29)

途中までは「をを、これは意外な傑作か」と思ったんだけどねえ。

映画が始まる前、場内が子供連れと若いカップルばかりであることに気がつく。いい年した男が一人で見ているなんてのは私だけだ。いや、うちの子供に「いっしょに見よう」と言ったら「怖そう」と断られたからなんだけどね。

彼と彼女がなぜ「怖そう」と思ったかといえば白黒だからだ。映画が始まってしばらく「白黒」がもつ意味について考えていた。色彩が余分になることもあるのではないか。色が減った分、筋であるとか映像の細かいところに意識が向くような気がする。であれば昔のように物理的な制約により白黒にするのではなく、金と手間をかけて白黒にするのもありかもしれん。(アーティストみたいな論外映画もあるが。)

そう考えていたのは、意外に話が面白いからだ。これなら子供達だけに見せておくのはもったいない。米国の田舎町の物語。主人公の少年は犬だけが友達であまり野球もしない。猫のうんこによるお告げで「今日何かがある」と言われたその日、犬は交通事故で死んでしまう。しかし「真の理科教師」から個体が死んでも神経は残っており、電気を流せば反応することを知ったのであった。

というところから犬が生き返る。その後のドタバタは「しばらく」悪くない。しかしその秘密が漏れ、なんでもかんでも生き返る辺りから話が「雑」になる。日本人であれば、ガメラとしか思えない巨大亀の姿にはにやっとするが面白いのはそれだけだ。巨大な墓からよみがえった何かは、なんなのかわからないまま消える。生き返る時のルールもわからんし、その前の設定とつながっている気もしない。可哀想な猫ちゃんは結局どうなったのか。つまるところ「とにかく騒いで落ちを付けました」としか思えないのだ。

かくして最終的な値段はここに落ち着いてしまう。最後にスパーキーを安らかに眠らせてやってもよかったと思うし、実際主人公はそう言うのだが結局安息を得る事はかなわない。ここらへん感動よりうんざりする、というのが本当のところだ。

やっぱりディズニーが一枚噛むと、ティム・バートンでもこんな話になっちゃうのかなあ。アリス・イン・ワンダーランドよりは「マシ」と思うが。


ホビット 思いがけない冒険-THE HOBBIT: AN UNEXPECTED JOURNEY(2012/12/28)

今日の一言:長い。つまらなくはないけど、とにかく長い。

Peter Jackson, You are in trouble.

キング・コングの時にも思ったけど、この男は何か問題を抱えているのではなかろうか。とにかく話が長い。それも話の展開に直接関係ないエピソードが多いがためである。例えば道中突然登場する「山男達の岩の投げ合い」とか。ゴブリン地下帝国の戦いではやたら飛んだりしているのでそのうち「まあどんな断崖絶壁から落ちても大丈夫だよね」と不感症になる。

もちろん全てのエピソードが話の筋につながっていなければならない、というわけではない。しかしそれがつもりつもって3時間も費やしてようやく

「目的地が遥か遠くに見えるところに到達しました」

はいくらなんでも展開が遅すぎやしないだろうか。

というか最後まで完結した話だと思っていたので「おい残り1時間でまだ入り口にも達してないんだけど」とうんざりし、ようやく竜が見えたところで3時間。はいおつかれさまでした。

いや、The Lord of the ringsの時も確かに長かったんだよ。でもそれを感じたことはなかった。この映画は今風の言い方で言えばチームビルディングでおしまい。しかしなぜ王様の息子がホビットをそんなに「頼りない」と思っていたかわからないし、逆にホビットがなぜこの旅に参加しようとしたかも実感できない。ただがっしり抱き合ってチーム完成ってのはどうなんだろう。それが短くて説明不足なのではなく、何の役に立つのかわからないエピソードてんこもりで長時間費やしたあげくわからないのだからたちが悪い。

「やたら要領を得ない話が長々続いたあげく、言いたかった事はそんだけですか」

という人の話を3時間聞かされたような気がするのだ。

舞台設定はThe Lord of the Ringsと同じなのでおなじみの面々が出てくる。とはいっても第一作から10年以上もたっている。そう考えるとケイト・ウィンスレットは本当に魔女かもしれん。(メイク+CGもあるのだろうが)エージェント・スミスも御元気そうでなにより。クリストファー・リーはさすがに衰えが隠せない、っていうか90歳!まだ現役だけど早く撮影しないと死んじゃうよ。というか本当に3部作作れるのだろうか。ちょっと心配になってきた。


人生の特等席-TROUBLE WITH THE CURVE(2012/11/30)(1000円)

Yahooのクリントイーストウッドインタビューから引用。

過去18年間、彼は製作サイドで僕と一緒に仕事をしてきたんだ。数年前に、いつか監督をやってみたいと言われ、それ以降いつもそういった機会があれば、と思っていたんだ。

引用元:『人生の特等席』クリント・イーストウッド 単独インタビュー - Yahoo!映画

見ている間中「なぜイーストウッドはこの映画にでたのだろう」と考えていた。映画の冒頭での会話部分がなんだか「学芸会」のように感じる。役者が大根のわけはないから、これは監督の問題なのだろう。

解りやすい「悪役」がおり、そいつらにいびられるが最後は見事に仕返しをして大団円。リアリティのないお決まりのパターンと批判もできようが悪い感じはしない。しかしイーストウッドが監督をしたときのような鋭さ、厳しさがあるわけでもない。

これはどういう訳か、と探してみれば冒頭の文章に出会うわけだ。なるほどね。長年いっしょに働いた仲間に監督デビューのチャンスを与えたと。

イーストウッドは年老いた野球のスカウト 。焦点は近づいたドラフトで誰を一位指名するか。高校生の強打者がいるのだがはたして彼は一位指名に値するのか。イーストウッドはそれを見極めなくてはならない。

その娘はあと一つ大きな案件を成功させればパートナーへの出世が約束されている弁護士。しかし父が視力を失いかかっている事を知る。ええい、こんなときに。

彼女は父の元に行く。それは長年一人で暮らす事を余儀なくされた彼女が父との時間を過ごすためでもある。

イーストウッドが昔スカウトした他チームのスカウトが娘の相手役として登場したり。まあ話からして

マネーボールくそくらえ。長年培われたスカウトの力量にかなうものなし」

となるのだが。

よく考えて書かれた脚本だと思うが特に最後がすこしバタバタしている。思い切って削ればもっとよい話になったのではないかな、などと無責任な観客は考えるのでした。

イーストウッドはグラン・トリノからまた一段と老けた。顔はどことなくサンクス・ギビングの七面鳥を思わせる。しかしその演技はすばらしい。特に目が見えなくて転んだり、車をぶつけたりするところはリアルだ。あといくつ彼の作品を見る事ができるだろう。

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注釈