五郎の 入り口に戻る
日付:2008/4/1
1800円|1080円|950 円|560円|-1800 円|値段別題
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この映画は私に合わないようです。最初に時計を見たのは開始40分で、残り50分もあるのかと絶望的な気持ちになった。
映画の冒頭、男は延々と1920年代のパリに憧れる気持ちを語る。そして結婚したらパリに住もう、と。女のほうは「何を馬鹿な事をいっ ているの」と一喝する。それから女の両親と一緒に食事をしたり、昔の友達夫婦?とであったり。
ここらへん、制作者は全力で「登場人物全員に対する嫌悪感」をかきたてる。「私の記憶が正しければ」と前置きして蘊蓄を述べながら、間 違っていても絶対訂正しないどっかの教授。それにひっつく主人公の婚約者。その父親の神経に障る事を
「いいんだ。意見の違いはあるものさ」
と無神経にぺらぺらと言い放つ主人公。誰も相手の言葉を聞いちゃいない。ひたすら自分の願望をわめきちらす。いや、みんなすごい演技 だ。見ているうちに胃がむかついてくる。それとともに「なんでこの二人が結婚するんだ?」と誰もが思うだろう。そりゃ二人の勝手だけど さ。でもって登場人物二人がその「あまりにも明白な事実」に気がつくのに90分もかかるわけだ。
映画の最後、主人公が急に正気に返る。
「昔のパリがよかったなんていうのは感傷的な幻想にすぎない」
いや、そんなことは最初から解ってるんですけど。というわけで、正気に返った主人公がカリフォルニアでの生業に戻るかといえば、そんな ことはなくて結局「あこがれのパリ」に浸るのであった。
「昔はよかった」
と
「観光で行った外国の都市は素敵。住みたいわ」
は私には同じに思えるが、この映画の制作者にとっては違うことなのだろう。
アメリカ人がフランスに抱く複雑な感情が映像になった結果がこれだろうか。どこかで見たような顔がごろごろ出てくるので、それを見てい て楽しいという人もいるだろう。不幸にして私はそう思えなかった。この映画をみた唯一の収穫は、いろいろ名前が挙がった「文人」たちにつ いて調べてみよう、という意欲がわいたことくらいか。
映画が始まる。頭のいかれた男の行動が延々描写される。5分でうんざりする。人間はそろいもそろって頭からっぽ。仰々しい機械がたくさ ん出てくるが、やたら細かいだけで迫力も驚きも無い。
そのうち気がつく。ああ、これは「トランスフォーマー」だ。(後で知ったのだ が制作会社が同じだった)
そうと解れば「細かいこと」を気にするのは止めよう(この文章の末尾にまとめて書いておくが)宇宙の彼方からエイリアンがやってきまし た。イージス艦3隻だけがそいつらが作ったバリアの中に閉じ込められました。時間までになんとかしないと大変なことになります。さあ、が んばって地球を救おう。
主人公の男を一言で言えば狂人。(途中から話の都合上とっても立派になるが)主人公のガールフレンドはアメリカ人が見れば「セクシー」 と思うであろう容姿。彼女の父親でなくても、この狂人の何がいいのかと不思議に思うところ。イージス艦には乗組員が山ほどいるはずにも関 わらずどんな場面でも同じ3人くらいのメンツしかでてこない。おもしろかったのは、日本人がやたらと格好いい役をやらせてもらうこと。世 界のリーダーたるアメリカ軍人が日本人に艦長席を譲るシーンには驚愕した。ひょっとして日本で金かせごうとか思ってる?
おバカ映画だからストーリはどうでもいいが、40cm砲の砲撃はもっと派手にやってほしかった。46cm砲が碌に機能しなかったことに 不満を感じる日本人としては、もっとボコスコに打ちまくってほしいわけだ。敵のなんとかを穴だらけにし、オアフ島の山頂を火の海にするく らい。
とかなんとかやっているうちに映画は平和な結末を迎える。しかし駄目映画の常としてすっきり終わるなんてことはない。蛇足だが、ジョ ン・ケイジ(ピーター・マクニコル)が米国政府高官をやっているのには笑った。しばらく観ない間に老けたなあ。
--(以下「細かい」ところ)--
・もしかして他の恒星って太陽系のすぐそばにあると思ってる?電波送って5時間くらいで届くと思ってる?
・恒星間飛行を苦もなく行える科学力のある敵が、地球を周回している衛星にぶつかるって冗談ですか。
・トマホークってどうやって敵にぶつかるか知ってる?レーダー効かないで飛ばしたら、適当に石投げたとのとおなじだよ。
・でもって、トマホークで2発で撃破できるなら、あんなに苦労しなくてもいいんじゃん。5インチ砲でも結構効果ある筈。
・戦艦の乗組員って何人いるか知ってる?10人くらいで動かせると思ってる?
・記念艦に実弾搭載する馬鹿がどこに居る?
・巨大エイリアンシップが海面でどったん、ばったんやってるのに至近距離にいる小さなボートが大して揺れてないのは何故?さっさとボー
トひっくり返してこいつらを海に沈めてくれ、という私の声が聞こえなかったの?
・艦隊の提督が、飛行甲板で命令くだしてちゃいかんだろう。飛行甲板に突っ立ってると死ぬよ。
アカデミー賞をずいぶん受賞したと聞く。私に言える事は
「冗談だろ」
冒頭の無声映画のシーンだけで退屈してしまった。いや、まだ始まったばかりではないかと自分に言い聞かせる。ハリウッドが無声映画から トーキーに移行する時期、なぜか「トーキーはおもちゃだ」と無声映画にしがみつき没落したかつてのスター。彼と関連するひょんなきっかけ でスターになった女性。
観ている間何度も寝そうになる。そういえば1970年代にTVでこんなの観たような気がするなあ。あるいは少女漫画でもこんなの読んだ な。多分1980年代。しかし今は21世紀。この時代にあえて作るからにはきっと何かやってくれるにちがいない、、と自分にいいきかせる があまり自信はない。
そもそも彼はなぜトーキーを拒絶するのか。彼女はなぜそう都合良くスターになるのか。全てをかけた乾坤一擲の映画がなぜあんな惨めなエ ンディングなのか。そんなことを問うてはいけないか。運転手は好きな役者がやっている。犬も可愛いが実家の駄犬アイ、ジロのほうが数倍か わいいぞ。
今更こんな「過去のハリウッド映画のパロディ」みたいなもんつくって何がうれしいのか。オチを観て
「これだけっすか?」
と唖然とする。最後に
「あんたの気持ちなんかどうでもいいのよ。あんたが出れば儲かる企画を考えついたんだから。やるのやらないの!」
と女性がタンカを切る、、とかなら少しは観た気になれたかもしれないが。もっと解らないのはフランス映画なのだが、言語は全て(字幕、 クレジットに至るまで)英語なのだ。これはいったいなんなのか。小劇場でこっそり上映するのならわかるけど。
アカデミー賞に投票権を持っている人達が、この映画の何をもってあれこれ受賞させたのか是非聞いてみたい。というかRotten tomatoesを観ると、この映画の何かが米国人の心にアピールするらしいのだが、それはなんなのか。
「これが映画の原点だ!これがわからないものに映画を見る資格はない!」
とか衒学的な自己満足に浸れる、とかアメリカ人が常に複雑な感情(半分はコンプレックス)を抱いているフランスが「アメリカ映画」を 作って「くれた」のがうれしかったのか。。
アカデミー賞にずいぶんノミネートされていたと聞く。私に言える事は
「冗談だろ」
冒頭の長いシーケンスだけで退屈してしまった。いや、まだ始まったばかりではないかと自分に言い聞かせる。ファンタジー調のちょっと作 られたパリの風景。しかし登場人物はみんな英語で喋るから安心しよう。(誰が)
主人公のお父さんたるジュード・ロウは不慮の死を遂げる。しかし主人公は
「この機械人形を修理すれば、きっとお父さんのメッセージが」
と信じ込む。無茶苦茶である。そもそもお父さんが作ったもんじゃないし。ここまで聞くと最近観たあの映画を思い出すでしょ。しかしこの映画は上を行っていた。
彼は誰にも知られず駅で生活している。つまり盗みを働いているわけだ。天敵は鉄道警備員。それとは別におもちゃ屋のじいちゃんにも妙に
嫌われる。何故なのか。
主人公のパートナーになる女の子は多分ルックスでえらんだと思うが、ハリーポッター3、4作あたりのエマワトソンより演技が下手。(あ るいは監督がそうDirectionしたのか)後で調べればキック・アスの 女の子ではないか。ということはやっぱり監督の問題か。。ここはエル・ファニングとかもってこんかい。
そのうち筋は無茶苦茶になりだす。「奇跡的な出会い」はあまりにもあたりまえ。その辻褄を合わせるためだけにクリストファー・リー演じ る図書館の司書?が登場するのだが、最後にはそれでも間に合わなくなる。最初じっちゃんに奪われ、主人公があれほど固執していた手帳は、 途中でどっかに消える。それでも機械人形は動きだす。そこにとっても無駄な「絶望」が挟まれたり、とか。
とにかく、女の子の面倒を見ている老夫婦(例のおもちゃ屋のじいちゃん)は決して映画を見てはいけないと言う。どうも映画に対してひど く悲しい過去があるようだ。それはなんなのか?映画に熱中するあまり、最愛の子供を失ったとかそういう悲しいことがあったのか。
その謎が明かされた時、こちらは
「そんな理由っすか?」
と唖然となる。後で調べてみればこのじいちゃんの物語はほぼ実話であったとのこと。描き方によっては「過去を消したがった理由」が悲劇 として受け取れたかもしれない。しかし私の口はぽかんと開いたままだ。
駄目映画らしく、そこからもだらだら話は続く。古い映画を劇中に挿入すること自体は悪くない。しかしCinema Paradisoのような感動は 湧かないし、じっちゃんも居心地悪そうに舞台上でうろちょろしている。それで「大団円」とか言われても。
アカデミー賞に投票権を持っている人達が、この映画の何をもってあちこちにノミネートしたのか是非聞いてみたい。というかRotten
tomatoesを観ると、この映画の何かが米国人の心にアピールするらしいのだが、それはなんなのか。
不思議な映画だった。豪華な出演者、金のかかったCG。それらを使いながら「面白い映画を作ろう」という意欲が欠片も見えな い。
ベースは馴染みの三銃士である。元銃士の息子が旅立つ時、親がこう諭す。
「面倒毎に巻き込まれろ。生きて、愛して、どうのこうの(もう忘れた)」
この息子はこの言葉を「文字通り」忠実に実行する。行く先々でぶつかったり、自分が泥をかけた相手に決闘をふっかける。狂人である。 「ただしイ ケメンに限る」は葵の御紋か。主人公が最初に決闘をふっかけた相手に射殺されていれば、私も無駄な時間をすごさずにすんだものを。
イングロリアスバスターズのクリストフ・ヴァルツがフランス国内の悪い権力者。もったいない。オーランドブルームは英国の悪い奴。せっ かく悪役に挑戦なのにさっぱりかっこよくない。最初一行が苦労してダビンチの設計図を盗む。それを英国が実用化したと思った ら、あっというまに両国にわらわら登場する。予告編でやけに景気よく見せてくれると思ったら、あまり価値がなかったわけね。
いや、最初から脳みそからっぽ映画だというのは予想していたことだから、「上空数百mから海面に落下しても、濡れただけでかすり傷一つ 負わない」のも「剣を飛ばされた主人公の手に、すっぽりと飛ばされた剣が戻ってくる」のも気にしないことにしよう。でもさあ、散々警備厳 重と煽っておいたロンドン塔に侵入するのにあの「簡単さ」はないでしょう。失敗に終わってもいいから、もう少し「考えてみました」という 努力の痕跡くらい残っていないのかしら。
さて、定義によってフランス王はノータリンで、王女はどことなく幼い。しかし意外なことに一番よかった(というか唯一見る価値があった と思うのは)この二人の「純愛」物語であった。脇役であるはずの従者が活躍するのは、、「まあいいかな」くらい。
続編への前振りをチラリ、どころか話は全然終わらない。こんなに風呂敷広げてどうやって続編作るつもりなのか。というかこれは単なる続
編の「プロモーション映像」だったのか。それなら内容の軽さも合点がいく、というもの。
早めに映画館についたので、ロビーで待つ。なんだかこけおどしのような音楽がじゃんじゃん漏れ聞こえてくるな。
それが静かになった、と思ったら人がぞろぞろでてくる。どうやら余韻に浸るような映画ではないようだ。
でもなあ。予告編はちょっとよかったし、アメリカでは公開直後結構人がはいったようだし、とか思いながら見始める。
アルツハイマーの新薬(どうもこれがただの薬ではなく、ウィルスらしい、というのは映画の後半になってようやく明らかになる)をチンパ ンジーに使ったらとっても賢くなりました。でもそのチンパンジーは突然あばれだしました。会議室に飛び込んだところで、警備員がばんば ん、と銃で撃ちました。
ちょっと待て。会議室には会社の幹部が何人もいるじゃないか。そこで銃をぶっぱなすの?アメリカでも酷すぎるんじゃない?しかしそのう ち悟るのだが、この映画はそんな「細かい」ことを気にしてはいけないのであった。
でもって実はそのチンパンジーは子供を守るためにオリから飛び出して暴れていたのでした、、って飛び出してなんで子供守れるんだよとか 気にしてはいけません。
さて、スパイダーマンでおなじみのお兄さんがその子供を預かってくれます。このシーザー君、親譲りでとっても頭が良い。人間の子供より 成長が早い。いつしか思春期になったシーザー君はいかにも「ティーンエージャー」というひねくれた顔を見せる。この映画の唯一の見物はこ こです。
でもっていろいろあってシーザーはチンパンジー収容施設に入れられる。そこで猿らしからぬ知的な会話をするオランウータンがいたり、と かまあ細かいことはいいんだよ。でもこの「話し相手」ってその後で全然生きてないんだよね。。
でもって後半は目覚めた猿達の大活躍なのだが、、所詮サンフランシスコにいる類人猿を全部集めても200匹も居ない。だからど うにも迫力に欠ける。でもって「お約束通り」人間は情けなくやられ、猿達はゴールデンゲートブリッジの北にある森に住み着きました。ここで人間の主人公 が
「家に帰ろう。僕が君たちを守る」
とかいうけど、頭の弱い人間の主人公以外誰一人としてそんな言葉を信じません。ってところでエンドロールが流れる。ちょっと待て。これ のどこが猿の惑星だ。そもそも類人猿は人間除いて絶滅危惧種だらけじゃないか。熱帯に生息する類人猿がそんな寒いところで生きられるのか とか、とか細かい事はいいとしてもどうやってこれが「猿の惑星」に繋がるのか。これでエンドロールはないだろう。
と思っていると、申し訳程度に「猿は元気ですが、人類は大変なことになりました」という説明が流れる。いや、だって最初の「薬」は適当
に扱ってたじゃない。バージョンが上がったとたんにそれですか、そうですか。「復活の日」のほうがまだ真面目に人類を絶滅させてたぞ。
思えば、そもそもブラッカイマー、プロデュースの「パイレーツ・オブ・カリビアン」に期待していたのはこんな映画だったのだ。
良い意味で期待を裏切られた第一作、ちょっと間延びしたけど面白かった第2作、あまりに落ちた第3作を経て
「まあこんなものか」
の第4作。よたよたしたスパロウ船長がちっともかっこ良く見えないのだが、まあこんなものか。
スペイン人、英国王直轄の艦隊、それに黒ひげが「永遠の命をもたらす泉」に向かう。しかし話を聞いてみると「永遠の命」というのは誇大 広告であると 気がつく。他人の寿命を加算できるだけなのだ。永遠に生きようと思えば永遠にここに行き続けなくちゃ。
などと考えているうちはまだ560円かな、と思っていた。
人間を襲う人魚と、信仰一筋イケメンとの恋物語。執拗に父親を慕ったり、スパロウと何かあったらしいが、さっぱり感情が伝わらないペネ ルペ・クル ス。話の都合でどこにでも現れる人魚とか。いや、期待はしてないから話が無茶苦茶なのはいいとして、クライマックスがあったかどうかもよ くわからんのは、 「頭使わない映画」としていかがなものか。続編への未練たらたらなのはわかったけど。
結局印象に残ったのは
「パエリアは食べないくせに、ローストビーフは大好物の人魚達」
の犠牲になった英国海軍軍人達の悲哀だけ。最後に人魚がイケメン宣教師をがぶりと一飲みにしてくれるような映画はそもそも期待してはい かんのだろう が。
そうそう。ポン・セ・デレオンと聞くたびにあのメロディが頭の中によみがえる。自分で吹いたことはないけど、前の学年はあれでコンクー ルでたんだ よ。
海岸に見知らぬ巨人が漂着する。どうすればいいのか。総力をあげ、地面に縛り付けよう。ところが巨人の力は想像を超えていた。緊縛 を解き、暴れ 出す。
いや、ここで怯んでは軍人とは言えない。将軍はただ一人突進すると槍を投げる。見事命中。巨人がひるんだ隙に
「奴を地面に倒せ」
と命令を出す。作戦は成功し、ようやく捕獲することに成功。
しかし能天気な王様が巨人に丸め込まれてしまう。あいつの言っている事はおおよそ辻褄の合わぬでたらめなのに。気がつけばヨーロッ パ風で美し かっ た町並みは巨人の
「俺様ポスター」
で埋め尽くされ、野蛮なニューヨークスタイルになってしまう。ああ、愛する祖国を救いたい。どうすればいいのか。巨人に対抗できる ロボットを作 り上げよう。設計図は解読できるが、資材がない。自国の王様が懐柔されてしまった以上、敵国に助けを 求めざるを得ない。これも国を愛するが故の行為だ。許せ祖国よ。完成したロボットには自ら乗り込み、決死の闘いを挑む。
激闘の末巨人を倒し、嘘を告白させた。これで皆目が覚めるだろう、と期待したのだが。。
というような話にしようとは思わんのだろうな。要約すれば
「ジャック・ブラックの俺様妄想映画」
である。これを人に見せるためにジャック・ブラックが金を払うというならわかるが、金をとって見せるのは冗談であってほしい。ジャッ ク・ブラッ クのたるんだ顔、腹を散々見られ、トドメは
「俺様最高!」
のくだらない歌と踊りだ。この世界では、ブラック側の男は何もしなくても女性にキスしてもらえる。自分より巨大な敵に勇気と知恵を振り 絞って挑んだ 将軍は可哀想に悪者扱いだ。
子供向け映画だから、細かい事言いっこ無し?ゴールデンウィークだからか場内は親子連れで満員。でもみんな途中で飽きてたよ。
いや、ゴミ映画だと予想してはいたのだ。しかし1982年のTronを観に行った身としては、これも見ないわけにはいかないではない か。
調べてみれば3Dでしか上映しておらず300円余分に取られる。この3Dというのは全ての観客が絶滅を願っているシステムだと思う。個 人から出来る 限 り金を毟り取ろう、という制作側の意図はわかるのだが。
映画の冒頭
”意図的に2Dで撮影している部分もあるが、3Dメガネは最後までかけておいてね”
とか注意書きがでる。なんのことだ、と思う。しばらくして気がつく。現実世界の映像はほとんど2Dなのだ。メガネを外す。仮想世界に舞 台が移る。メ ガネをはめる。しかしバイクのアクションシーンも、ディスクを投げ合っての戦闘シーンも何がなにやらさっぱりわからない。
そのうちまたメガネを外す。するとほとんどの場面では言い訳程度に3Dが使われていることがわかる。ひどい場合は字幕だけが3D。
話はといえば、、、なんなんでしょうね。トロンというキャラクターが何度かでてくるのだが、それが何なのか最後まで観客にはわからな い。幼い主人公 を残し仮想世界に閉じ込められた父と子の感動の対面。しかし彼らの会話も何なのやら。幼稚ではないが、支離滅裂。3分後には話がくつが えってい るし。以前働いていた会社での上役との会話を思い出した。やたら”禅”とか聞きかじっただけの言葉を振り回すところとかそっくり。つけま つげの権化と ちょっと面白そうな悪役がでてくるが、その消え方があれでいいわけないだろう。
1982年のTronではエンドロールに漢字名がぞろぞろでてきた。結局CGで多くの場面を造ることができず、アニメーションだったと 知ったのは後 のことである。しかし何かしら将来に対する希望を持ったことは覚えている。
それから月日は流れ幾星霜。同じ題名を継承したのは夢も希望もなく、欲望だけは透けて見える代物だった。
とはいえ最後のシーンだけは気に入った。それまでずっと仮想世界の単調な景色に見慣れていた観客にとって実世界の多様性、複雑さは”新 鮮”にうつ る。しかしこの場面だけのために2100円取られるのは悪い冗談としか思えない。
一言で言えば
”米国の小学生妄想映画”
である。いや、実際に米国の小学生がどのような妄想を抱くかは知らんのだが。
難読症とか多動障害を持っている(ただしイケメン)パーシーはある日
”君は特別なんだ。君がなんとかしないと神々が戦争を始めて世界が無茶苦茶になってしまう”
と言われる。それからちょっとひょうきんな男、生意気な美少女戦士と旅に出て,,,
かの国の"小学生向け”イケメンとか美少女の基準もよく知らんのだが、多分この映画にでてくる人たちがそれに該当するのではなかろう か。
世界を救う使命に燃えたパーシーがどんな困難に立ち向かったかと言えば、とプリ ンス・オブ・ペルシャと略同一で(というかギリシャ神話
を下敷きにするとこのパータンしかないか)メデューサがでてきたり、 冥界に行ったり。パ
ターン通りはいいとしても、”おや”っと思わせてもらいたい、というのはヒネた大人の言いがかりだろうか。かくのごとく”何も感じない”
映画は普通560 円にするのだが、 -1800円にしようと思うのは何かが引っかかったのだろうな。
とっても期待していたのだ。ティム・バートンがアリスを映画化する。しかもいつものバートン組、ジョニー・デップにヘレナ・ボナム・ カーターもでている。それにこの奇妙な予告編はどうしたことだ。
わくわくしながらその時をまつ。すると見慣れた”シンデレラ城”の映像が。しまったこれはディズニー映画だったか。
というわけでヤケになった私は以下にあらすじを書いてしまう。見たくない人はここでお帰りください。
うさぎを追って穴に落ちたアリスには不可思議な出来事がふりかかる。わかったわ。
”カラスと机が似ているのはなぜ?”
の答えは
”勇気を奮って敵に立ち向かえ”
なの よ!(注:映画ではここまで言ってません)私が戦わないとこの世界が滅茶苦茶になってしまう!
使命に目覚めたアリスは剣をとり怪物をやっつけ、Wonderlandに平和をもたらす。そして
”自立しな くちゃ。女もこれからはビジネスよ。”
と中国に麻薬を売りつけるのであった。
原作は何度か読んだことがある。そこに正面から取り組まず、”13年後のアリス”に設定を移したこと自体は悪くないと思うのだ。しかし ながら。
原作の良さは”なんだかわからないけど、面白い”処にあったと思う。ところがディズニーの手にかかると”勇気をもって自立する女の物 語”という わかりやすいプロットにされてしまうのであった。
半分居眠りしながら考える。”なんだかわからないけど、面白い”といえば当代宮崎某の右にでる物はいない。彼がやる気になればなあ。。 そんなことは起こらなそうだが。
敵の最強キャラがさっぱり強そうじゃないし、そもそも途中ででてきた鳥とはまた別とか。まあ細かいことはいいよ。560円かなあ。
とか思っているうち、ディズニー節は最高潮に達する。ジョニーデップがくだらないダンスを。そこで私の中で何かがぶちっと切れる。いい 加減にしろ。
どんな原作でも”ディズニー”にしてしまうその強引さはなんと評すべきか。いや、それで商売がうまく行っているのならいいのだけどね。
この映画から0.5小さい8 1/2は未見。その私がこれを一言で表せば
”だめんずうぉーかーs+歌と踊り”
となる。主役はかつて巨匠と呼ばれた映画監督。しかし今や脚本を一行も書くことができない。なのに映画の撮影準備だけはどんどん進んで いく。いや、僕は病気なんだ。医者を呼んでくれ、綺麗な彼女、僕をなぐさめてくれ。
というわけでどうしようもないダメ男なのだが、世の中にはそうした男に自分から寄っていく女性もいるとのこと。というわけでアカデミー 賞クラスの美女がよってたかってあれこれするわけだ。
しかし所詮元がダメ男である。自分でも言うとおり頭の中身は10歳なので、自分の都合だけ考え相手がどうなろうと知ったことではない。 それはまあいいだろう。しかしこうした役柄は
”憎み切れないろくでなし”
でなければならんのではないか。この男には”憎み切れない”の部分が欠落している。結果としてみているほうも
”しょうがねえなあ”
という気分になれずただいやな感じだけが残るわけだ。ロバート・ダウニー・Jrとかが演じれば面白かったかもしれんが、それではイタリ アンにならぬか。
いや、もともとミュージカルだからストーリーに期待してはだめだ。歌と踊に期待、と思っていると最初のシーケンスで絶望す る。登場する美女が順番に顔見せしてくれるのだが、おもしろくないのだ。007の人ががんばっているのはわかる。しかし歌と踊りを見るの は辛かった。娼婦 の人がでてくる集団ダンスシー ンとか工夫していることは伝わってくるのだけど。
というわけで久々に観ている最中居眠りをしてしまった。映画の最後で監督は奇跡の復活を遂げるが、なぜ復活するかもさっぱりわからな い。 かくして私に とって唯一の見所は、ニコール・キッドマンの衰えぬ容姿(少しだけど)だけということになる。キャサリン・ゼタ=ジョーンズがオファーを 受けたが 蹴ったと聞いた。ある記事には
”こうした群像劇はどうしてもひとりの扱いが軽くなるから”
とあったが、単に脚本がゴミなのを見てとっただけではなかろうか。