映画評
五郎の 入り口に戻る
日付:2011/7/10
1800円|1080円|950 円|560円|-1800 円|値段別題 名一覧 | Title Index
950 円-Part15(Part14へ | Part16へ)
グランド・フィナーレ-YOUTH(2016/5/6)(1000円)
今日の一言:皆老いる
マイケル・ケイン主演。さすがに老けた。そりゃ観客たる私がこれだけ老けたんだから。
スイスにある保養地?で登場人物が現れ断片的な会話を交わす。ケインは引退した音楽家。英国女王の演奏依頼をなぜか断り続けている。その親友は脚本家。その他いろいろ。彼と娘、そして妻の物語が少しずつ明らかになっていくが、とりたててイベントがあるわけではない。とはいえじっと画面をみつめ、早送りを一度も使わなかったのも確か。
観ているうちにカルテットを思い出す。思えばあれを見たのも飛行機の上だったか。つまり飛行機の上でなければ私が見ないような映画。特に筋があるわけでもなく、最後は唐突だが嫌いではない。とはいえ仏僧の空中浮揚は余分だ。親友の行動も唐突だが、彼らの関係を描くためには必要だったと思うことにしよう。私が知らないだけでいろいろな映画が作られているのだな、とそんなことを考える。
ちなみに肝心のSimple Song-指揮を依頼される-はそんなにSimpleでない。いや、難しいのはわかるよ。ならいっそ一部しか演奏させないとかさ。
とかなんとか書きながら帰りの飛行機でもう一度見たのもたしか。しかも一度も早送りせず。ということは私はこの映画が気に入ったということだ。
アーロと少年-THE GOOD DINOSAUR(2016/3/20)
今日の一言:作り直したらしいけど
この映画は一度迷走し袋小路にはまり込み、そしてシンプルな物語として再生したとのこと。
その経緯を知れば、大筋がシンプルなのは頷ける。恐竜の少年が家から遠く流され、子犬のような人間と旅をして家に帰るだけの物語。とはいえいろいろなエピソードが散りばめられ、そして何よりも異常に発達したピクサーのCGはそれをある程度金の取れる芸にしている。
迷走し、作り直した挙句何もなくなってしまったファンタスティック・フォーを思い起こす。それよりははるかに優れた映画になってはいるが、どことなく物足りなさを感じるのも確か。映画を見ている間中ずっと気になっていたのだが、主役たる足長竜の造形がイマイチではなかろうか。なんともいえず平板。「じゃあお前作ってみろ」と言われると、当然できないんのだが粘土で作られたようなそれは「いつものピクサー」ならもう少しなんとかしたのではないかな、とも思う。
メリダとおそろしの森でも同じような迷走、スタッフ入れ替えがあったと聞く。そしてそれをうかがわせる「おそらくこの場面は再起動前から残っていたのではなかろうか」と思われる場面がいくつかあった。すごい崖によじ登るところとかね。凝った場面なのに物語の中で浮いている。
この映画では自分の「アシスタント」の説明にやたら時間を取るわりに、あまり役にたっていないトリケラトプスの親戚のようなやつがそれではないかと思う。想像するに彼は「前のストーリー」では違う役割を与えられていたのではなかろうか。
ここまで作り直すのは大変だったと思うが、それだけで力尽きてしまったか。当初の予算以上の売り上げは上げたが、リメイクする費用まではカバーできなかったという。映画のでき自体もそんな印象を持った。
ザ・ブリザード-The finest hours(2016/2/28)
今日の一言:リメイク希望
映画の冒頭みなれたシンデレラ城が映される。なんとこれはディズニーであった。この映画をディズニーで作るにはいろいろな物語があったんだろうな。
などと考えてしまうのは、内容がイマイチだからだ。下敷きとなった現実の事件は、沿岸警備隊の伝説ともなっているらしい。だから普通に作っても感動するはずだし、実際二つに折れた船の中はなかなか良い。しかしどうしようもない演出が山盛りで「あーはいはい」になってしまうのが惜しいところ。
性格が完全に破綻している女性が主人公の婚約者。そりゃ夫(になる人)が出動するたび、沿岸警備隊の上司に文句を言うようじゃ、とても妻は務まらんわな。後から調べてみれば、主役の男性に妻がいたことは事実なのだが、その行動は全くのフィクション。本当は妻の人はこの日風邪ひいて寝ていたんだそうな。となるとこの異常な行動の数々は「面白い」と思って脚本家が作り上げたことになる。何をどうしたらそう思えるのか。
最後に船が羅針盤もなく帰ろうとしていると知り、皆が車で波止場に集まる。女性がヘッドライトをつけるまで、皆ヘッドライトを消してぼーっとしている。なんだこれは。そもそもあんたたち波止場に何しに集まったの?他にも救助艇が最初に難所を越えるところがどう考えても長すぎるとか、同じ映像を使っても編集変えるだけでもっとマシな映画になったのではなかろうか。
というわけで誰か真面目にリメイクしてくれないかと思うのだ。皆に好かれてはいないが、冷静に船の指揮をとる男とかかっこいいのだけど。この悲劇の本となった「いきなり船が折れる」というのは機械工学の方で知っていた。それはただの事実として読んでいたのだが、現実世界で起こっていたことはこれだったのだな、と勉強にはなるけども。
白鯨との闘い-IN THE HEART OF THE SEA(2016/2/3)
今日の一言:あまり白くない白鯨
いや、「白鯨」読んだことないんだけどね。後で知ったのだが、この映画がベースにしているのは「白鯨」ではなく「白鯨」の元になった実話について書かれた本なのだそうな。ああ、ややこしい。
というわけでこの映画では白鯨があまりでてこない。もちろん船を沈めたりあれこれするのだがそもそもあまり白くないし。日本人として鯨油をとってしまって後は捨てるのは「もったいない」としか思えないがまあそれは関係ない。
家柄だけで船長に任命された男と、その下で働くたたき上げの航海士。その衝突とか描こうとしたのだろうが、あまり機能しているように思えない。だって船長ただの馬鹿なんだもん。クジラが全く取れず追い込まれている精神状態とか描くことができたら印象も変わったのだろうけど。
ボート3隻で漂流し始めると様々な困難が起こる。そこでいきなり主人公の幼馴染が登場し、負傷している。そういう人がいるなら前もって説明してくれないと。でもって瀕死だから水をあげたかと思えば、結構後までちゃんと生きている。残念ながらこの映画は全編こんな形。つまり素材は悪くなかったと思うのだが、どうにも荒い。
なぜか「絶好のチャンス」を提供してくれる白鯨にとどめをささなかったり、最後があまりきれいにまとまるから政治的に正しいおとぎ話かと思えば、原作はものすごいドキュメンタリーなのだそうな。とはいえこの映画に書かれたことが全部本当かどうかはわからない。調べてみれば海水からプランクトンをとるとかいろいろサバイバル術はあるのだなあ、とそんな興味の入り口にはなってくれたが。
今日の一言:後半謎の大失速
結構好きだったダニエル・クレイグの007シリーズも終わりなのだそうな。映画の冒頭メキシコシティで行われているDay of the deadのお祭りが長回しで描かれる。この緊張感。なんで小銃撃っただけで大爆発が起こり建物が崩壊するかよくわかんないけど、まあそこは007だから。
でもってイギリスに帰ると、00プログラムを潰そうとしているのがシャーロックの敵役モリアーティ。でもってボンドのお友達はこの前シャーロックことチューリングを尋問していた男。いやすばらしい。英国の名優勢揃いではないか。ボンドが殺した男の妻がモニカ・ベルッチ。さすがに老けたがそれでも美しい。そのうち超悪の秘密組織の存在が明らかになる。そのボスがクリストフ・ヴァルツ。大ボスに似つかわしくないにやけた小男から恐怖を感じさせる演技は見事。
ってな状態で途中まではとっても緊張感のある場面が続く。おかしいなあ。なぜ米国での評判がイマイチだったんだろう、と思っているとだんだん話が崩壊していく。ヴァルツの「細いドリルによる処刑」をうやむやのうちに躱しあっさり抜け出すのはまあいいとして、なぜ敵の基地が簡単に大爆発する?これってものすごく強い悪の組織じゃなかったっけ?
綺麗なねえちゃんが「ついてけません」というところで「さては彼女が真の大ボスか」とドキドキしたのだが、そういうこともない(をっと、ネタバレしてしまった)最後のヴァルツとの対決は
「あのー何があったんでしょうか」
と聞きたくなる。まるでシナリオになる前の落書きで作ったような。この加速する崩壊ぶりは一体なんなのか首をひねっている間にクレイグはいい旦那になるのだった、、て、おい。
いろいろな利害がからむ「名作シリーズ」ともなると変な横やりとかいろいろあるんだろうな、と想像するしかない。それほど前作まで+本作の前半と後半が乖離している。まあ次のシリーズに期待しましょ、とあっさり言えるのが007のいいところだが。
今日の一言:古典に正面から取り組みました
というわけでシンデレラである。予告編からは面白いとも面白くないともわからないが、Rotten Tomatoesでの評判は妙によろしい。ではみにいこうかな、と思っていたところ娘が友達と見に行った。そして「お父さん。あれはお金払わなくていい」と言われる。うむ。娘がそういうのならそうしよう。というわけで飛行機の中ならただで心置きなく見られるわけである。
娘よりは感動したというのが正直な感想。誰もが知っている古典に正面から取り組み、それなりに大人の鑑賞に堪える物語にしたのはさすが。結局一番悪いのはシンデレラの親父。嫁さんが死んで後妻をもらうのはいいとしよう。ならばなぜもっと良い人を選ばない。というか娘と「お母さん素敵だったね」とか言っているくらいならそもそもなんで結婚するんだ。お前が妙な再婚をしなければ話は丸くおさまっていたじゃないか。(継母と二人の娘の運命は結局同じだし)
まあしょうがないよね。子供向けの話を大人にも見られるようにするために誰かにしわ寄せがいくのは。というわけで、気の毒な親父には悪者なってもらって心安らかに王子とシンデレラのいちゃつきぶりを鑑賞しましょう。というか国じゅうから熱意あふれる若い女性を集めといて、最初から最後まで一人としか話ししないってそれはどうなのよ。まあいいや。こういう話だから男はみんなバカだ。(いや、王子はそれなりにがんばっちゃいると思うけど)
主役のシンデレラは絶世の美女ではないが、愛嬌がある顔立ちで時々美しく見える、という実にはまり役の人。武闘会じゃなくて舞踏会に登場するシーンは「うむ。これなら負けてもしょうがないな」と利害のない第3者は納得させられる。圧倒的な力の差を描くのはさすがに十八番というべきか。
ケイト・ブランシェット演じる継母もちゃんとそれなりに筋のとおったキャラクター。娘二人がAKBみたいなのはまあしょうがないか。というわけで娘がもう少し大きくなったらこの映画の面白さが語り合えるといいなあと思うのでありました。(その頃そもそも口を聞いてもらえるかどうかは問わないとして)
ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密-NIGHT AT THE MUSEUM: SECRET OF THE TOMB(2015/3/22)(1000円)
今日の一言:"It's all dumb, but fun." 引用元:Rotten tomatoes
私にとって「全く意外」におもしろかったシリーズ完結編。そうだよ。もうこれは作れないんだ。
例の自然史博物館にNew Yorkのお偉いさんを招いたパーティーで「いつもの面々」が妙な行動をとる。どうも石板の調子がおかしい。というわけで大英博物館にきました。
そのメインストーリーに、スティーラーの子供が進路について悩む姿がサブストーリー。スティーラー節全開である。そして「こんなバカな子供向け映画」と思いつつも感動するのもいつものこと。
全2作に比べるとやはりどこか脚本が甘いような気もする。スティーラー似のネアンデルタールはどこか浮いているし、アーサー王の部下が暴れ出したり、いきなり改心するのもよくわからん。ヒュージャックマンの登場には驚いたけどね。そういえば映画好き向けの内輪受けもちょっと気になった。Dirty Dancingとか(笑ったのだけど)あとせかっく英国に行ったのにそれ由来のギャグが少なかったし。
しかしそんな「粗探し」もセオドア・ルーズベルトことロビン・ウィリアムスの
「休ませてくれ」
で全部チャラ。調べてみれば彼にとってこれが遺作となったのだな。(そのあとドキュメンタリーと声役はあったようだが)
かくして私が好きなシリーズは恒例のダンスシーンで大団円を迎える。(ノリノリのエジプト王が愉快だ)うちの子供が高校出てからDJになりたい、といっても相談にのってやろう、と考えながら。
エクソダス:神と王-EXODUS: GODS AND KINGS(2015/2/1)
今日の一言:モーゼス。人類共通の敵はヤハウェだと思わないか?一緒に戦おう!
というわけでCGてんこもりで作られた「十戒」である。チャールトンヘストンのそれは幼い頃TVで見た。
こういう「誰もが知っているストーリー」を映画化するのは難しいのだと思う。この映画での新機軸は「モーゼスは妻と子供を心から愛する家庭人でもありました」というもの。チャレンジは評価するにしてもあまり効果的とは思えない。そこだけ全体から浮いてるし。
映画を見ながら考えた。もともと旧約聖書というのはものすごいローカル宗教のためにかかれた書物ではなかったか。この映画に示される「選民意識」は21世紀の今から見ると異常としか思えない。「自分の民」を400年放っておき、その積もり積もった恨みを晴らす「天罰」は、CGてんこ盛りの映像と組み合わせると
「地球を攻めてくる悪い宇宙人」
の仕業としか思えない。カエルとハエはいいにしても、親を残したまま子供だけを皆殺しにするなんてのは、人間のやることではない(神様です)この映画で一番説得力のあったセリフはファラオの
「そんな神を信じる狂信者共!」
だし、それに誰が反論できるというのか。今は自分の民とか言ってるけどさ、きっとそのうち刃は自分たちに向かってくるよ。そう、敵はヤハウェ。というわけで冒頭に書いたシーンが頭の中を回り続けるわけだ。
昔の十戒ではユル・ブリンナーがファラオをやっていて妙にかっこよかった記憶がある。それを考えれば今度の王様は適役だろう。楽天の会長とも、野球の田中某とも思えるその容姿は、就任式でのおどおどした演技ともあいまって見事なダメ王様。他の人は全然印象に残らない。昔のでは「モーゼスがいなくなった瞬間あっというまに堕落する民」に感銘を受けたが、今回のではそういう描写もないし。
ヤハウェの鬼畜な行動(神様です)に全部持って行かれたのだろうか。こういう神様に比べれば、日本の神様は雷落とすくらいで平和なものだ。
インターステラー-Interstellar(2014/11/24)
今日の一言:バカ女の出てくる映画は苦手。だらだら長い映画はもっと苦手。
地球で砂漠化が進み、穀物が採れなくなってきている。(その割には食糧危機的な描写が少ないのはどうしてだろう)もはや大学は学生をとらず、高校をでたらみんなで農夫になりましょう!といったところで主人公の家に妙な現象が起こる。仔細は省いてとにかく元パイロットの親父は可愛い娘を残して別の太陽系に向かう。人類が生き延びられる場所を探すために。
最初この娘がCGで合成されたアン・ハサウェイだと思っていた。そうだったらよかったのになあ。予告編にはでてこないがハサウェイはちゃんと大人の役ででてくる。そしてものすごいバカである。何か物理的な危機が迫って「さっさと宇宙船に戻れ」と言われた時「あとちょっと」と無駄なことをして危機を招くのは女性の様式美というやつなのだろうか。(ゼロ・グラヴィティのサンドラ某といい)そのあと「愛はすごいの!私にはわかるの!」と真顔で主張してみたり、いやハサウェイにぴったりの役柄だと思うんだけどね。
とかツッコミをいれていたのは映画の半ばまでで、マット・デイモンが登場し「ものすごい科学者兼冒険家」に似つかわしくない変な行為を始めたあたりからどうでもよくなった。話はダラダラ続く。しかしハリウッドの人って、人工衛星とか宇宙ステーションとか常に「上向きの噴射」をしていてそれが停まるとおっこちると信じているんだろうか。あと地球での描写だけど、「太陽電池駆動のジェットエンジン」ってなんだよ。確かにあの面積でずっと滞空していられるならものすごい効率の太陽電池だわな。
ブラックホールに突っ込んでも細かいことは言わずに生還するのは映画のお約束だから問わないが、ものすごく貴重で大切なトウモロコシ畠を燃やされた兄が、妹になーんにも言いもしなければ、殴りもしないのはどうなのよ。普通そこは一発で射殺でしょう。(この妹も旦那の「急げ!」という言葉を無視してのんびり荷物などひっくり返しているし)かつて地球上の人類は死滅するのであった。
もうなんというか映画作っているほうも頭がかなり煮詰まっていたとしか思えない。それからも映画はだらだら続く。私も娘を持つ父親だから再会の場面では(理屈を超えて)ちょっと心が動いたのは事実だが、話はまだ終わらない。
長年映画をみていて「終わりがだらだらする映画はダメ映画」という経験則を作り上げたのだが、それを強化する例がまた一つ増えた。ゴミ映画とは思わないが(ハサウェイを除いて)内容を1/3にして作り直すといいのではなかろうか。映画の途中からおしっこに行きたくて最後まで見るのが大変だったしね。
イコライザー-THE EQUALIZER(2014/11/9)
今日の一言:まさかシリーズ化しようとしてないよね?
デンゼルワシントンは
「元特殊部隊とかそういう人で、今は引退。だけど正義のためにその力を使う」
という役は何度目なんだろうね。
今回救いたいのは歌手志望のロシア少女たるべきヒットガールじゃない、モレッツである。彼女はかつて美少女だったが、今は美女と呼ぶにしては肩周りががっちりしすぎている。しかしこれくらいの方が「歌手を夢見るちょっとかわいそうな女の子」にはぴったりかもしれん。
今回の悪役はロシアマフィア。送り込まれた男は元スペツナズの凄腕という設定なのだが、全くその腕を披露させてもらえないところが笑える。「最終決戦」では場所がワシントンが勤務しているホームセンターという「ホームフィールドアドバンテージ」を最大限に利用する。「大工道具」で殺されるとはまさか思っていなかっただろう。いずれにしても定義によってワシントンはターミネーター状態。
こういうお話のパターンとして、最初にワシントンが攻める。そのうち恐ろしい報復があるはずだと怖くなる。しかし気の毒な女の子が一人でるだけで(しかも目を覆うような状況ではない)済む。実際にメキシコとかで起こっていることははるかにひどいことだが、これはあくまでも「娯楽映画」なのだとちょっと安心する。
前半の静かな部分はとてもよかった。規則正しい生活を静かに続けるワシントンの姿は良い。しかし最後がだらだらと伸びる間に、値段はちょっと下がってしまう。そして最後のシーンを見ると冒頭書いたような懸念が頭をよぎるわけだ。ワシントンがずっと面倒をみていた同僚の扱いはよかったと思うけど。
もし次を作るとすれば、もっと短く、コンパクトにしてほしいと思うが作らないのが一番いいんだろうな。あと、ワシントンが随所でわざとらしくVAIOをロゴをみせながらノートPCを使うのが物悲しい。確かにこの映画はSONYだが、もうVAIOはSONYの製品ではないのだ。
今日の一言:ルーシーと言えば
I love Lucyでもなく、ダイヤモンドと空の上でもなく、人類の女性の祖先である。
というわけで頭空っぽ役がとってもよく似合うスカーレットヨハンソンが更にバカな男のせいで薬物の運び屋にされる。ところが下腹部をけられたもんだからそれが体内に流れ出し、脳みそが覚醒しちゃいました。
胸部がでっぱっていて金髪にしているからバカと決めつけるのは立派な偏見である。とはいえ難しいセリフを喋るヨハンソンを観ていると
「この人絶対実生活ではこの単語発音したことないだろうな」
と思うのを避けられぬ。小さい頃に聞いたような気がする「人類は脳の10%しかつかっていない」という俗説を元にベンソンの想像力は適当に飛翔する。そりゃあ100%になったら時間も空間もなんでもありですよ。
というわけで数人の学者を前にヨハンソンはあれこれ語る。あんたさ、その超能力で韓国人マフィアをまずやっつけろよ。そのあとでゆっくり語れば気の毒なフランス警察は死ななくてもすむじゃないか、などとヨハンソンもベッソンも聞いちゃいない。細けぇことはいいんだよ、はこの映画の基調である。時間もとびこえ、類人猿のLucyにご対面。実は2001年の石板でした、とか言われても「はあ。そうですか」以上の感想は持ち得ない。
とはいえ思うのだ、日本人がこの映画を作ったらきっとむやみやたらと力んだり、泣いたり、人類愛を説いた挙句世界を救ったりするに違いない、と。そう考えれば話が結局薬物密売組織との戦いだけに閉じているのも悪くない。この映画の「バカバカしさ」はどことなく清々しい。
というわけで「投げっぱなしジャーマンスープレックス」のエンディングにも目くじらをたてずこの値段をつけておく。上映時間が短いのも良いし。
大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院-DIE GROSSE STILLE/INTO GREAT SILENCE(2014/8/17)
今日の一言:確かに撮影はがんばりましたね
今日まで外部に公開されることのなかった「もっとも厳しい修道院」。そのドキュメンタリーといいたいところだが。
撮影の条件として修道院が提示したのは音楽なし、ナレーションなし、照明なし。音楽、と照明はかまわん。問題はナレーションだ。修道院は「撮影を許可したもの」だけを撮らせる。修道士が1日のほとんどを一人で過ごす独房は撮影されない。(そこへ食事を届ける風景は何度もでてくるが)またこの修道院がどうやって収支を成り立たせているかも説明されない。撮影が許可されなくても、ナレーションがあればそうした疑問に迫ることはできたと思うのだが。しかし映し出された場面だけでもいくつか興味深い点がある。
日曜日のウォーキングの後だけ会話が許されているとのこと。その会話の平凡なこと。「⚫︎⚫︎修道院は手洗いが6っつもあるそうだ」「そもそも食事の前に手を洗うのか?」もう一つは最後の盲目の修道士へのインタビュー。神に近づくことだから死は喜ぶべきことだ。神のされることにはすべて理由がある、と「神の言葉」を「人間が語る」ことの傲慢さ。だからキリスト教徒には恐怖がないんだよ。この一言で、自分と宗教が異なる人は全部切り捨てる思い上がり。そりゃ現実と隔絶された独房で長い間「神様」と対峙していればこうなるわな。これを修道院側が意識したかどうかは知らんが。
そう思えば確かにある種のドキュメンタリーとして成功していると思う。仏陀が悟りを開くのに「苦行」は役に立たなかった。しかしそれとは関係なく、こいういう生活を送っている人がいる、という事実は伝わってくる。
また「音楽なし」も印象的。「普通の映画」でどれだけ観客がナレーションや音楽に頼り、本当の音、本当のシーンをみていないか考えさせられた。
などと見るべき点がないとは言わないがなぜこんなにも長いのか?もう「普段の映画では甘やかされている」ことはわかったらそろそろ終わっていただけませんかねえ。しかし次から次へとシーンが出てくる。(そんなはずがないと後ではわかるのだが)もうこの映画が終わらないのだ、と諦めた頃映画は冒頭にループしエンドクレジットが流れる。
監督は観客に責め苦を与えたか。想像するに「修道士たちの心持ちを観客に伝えるためにはこの長さが必要」とでも考えたのではないか。映画館はほぼ満員だったが、あちこちからすこやかな寝息が聞こえてきた。もうひとつの敵は「お腹がなる」こと。本当に静かな映画だからね。
今日の一言:大分がんばりました。もっとがんばりましょう。
映画好きの知り合いから「観といたほうがいいですよ」と言われた。つまり「観ないと損だ」とは言われなかったわけ。見終わってみれば、確かにそういう感じ。
映画の冒頭、雑誌の編集長とおぼしき女性が
「私結婚することにしました。相手はまだいません。健康でがんばるひとなら誰でもいいです」
と言う。彼女に憧れているとおぼしき男性が「社内で立候補は」と聞くが「社内の人は検討した結果不可です」と言い放つ。健康でがんばり屋さんならいいんじゃないのか、このゴミ女、と言ってはいけない。所詮女性の提示する条件なぞこんなものだ。
あこぎな商売を賢くやって儲けている男と、売れない役者の人生がひょんなところから入れ替わる。お互いが元の性格を残したまま他人の殻にはいる演技が見事。特に元あこぎな人の「ヤクザのエキストラ」の演技には感心させられた。あれだけ短い出番なのに強烈な印象を残す。上手な役者さんはすごいなあ。かくのごとくこれは主役男性二人の演技力を堪能する映画。観音顔の広末某はちょっとぼんやりした編集長で邪魔にならない。ヤクザというか悪い親玉にスーパーの店員さんもよい。つまり出演している役者さんたちは素晴らしく文句のつけようがない。ではどこが「もっとがんばりましょう」なのか。
時間をかけて練った筋書きとは言えるのだろうが、ちょっと「こねこね」しすぎたんだろうか、と思う。こねこねの巧みさはわかるが、それがこちらの感情にはつながっていない。この映画に真面目な感動を求めるというのは無理か。それだけの期待をかけてしまうほどよかった、という事もできるが。
最後に話は収まるところにおさまる。見終わってあの役者はきっと駄目な人生を続けるんだろうなあ、とか全く感じないのがやっぱり惜しい所か。ところで最後の変な抱擁ポーズはなんなんだ。
オール・ユー・ニード・イズ・キル-Edge of tomorrow(2014/6/24)(1000円)
今日の一言:侘び寂びはトムには無理か
予告編が印象的である。何故か理由はわからないが上陸戦闘の一日を繰り返しているトム。死ぬと最前線の部隊に放り込まれたところに戻っている。
最初はあれこれやるのだが、そのうち静かに考えだす。どこかで観たと思ったらミッション:8ミニッツと同じ図柄だ。同じ一日を何度も繰り返すうち、英雄と称される女性と知り合いになり、彼女も同じ経験をしたことがあることを知る。
この女性が何とも言えず素晴らしい。というかこの女性をキャメロン・ディアズにした途端、この映画の価値は560円に堕ちるであろう。予告編から印象的と思っていたが本編をみてもやっぱり印象的だった。
途中でこの道を行くと彼女が死ぬと解っているトムが「意図的にのんびり」する場面がある。そこは静かな悲しみに満ちていてよかった。しかし最後が結局
「どっかん一発ハッピーエンド」
になってしまうのはいかんともしがたいか。そう思うと敵がMatrixシリーズの蛸型ロボットに似ているのも気になる。
原作というか原案は日本製なのだから、こういう作品こそ真面目に静かに大林宣彦あたりに作ってもらえんだろうか。デビッド・ボウイの息子でもいいけどさ。例えば主人公が永遠に一日を繰り返すことを選択する、なんてのもありかもしれん。怒号、悲鳴、叫び声が交差する戦場で主人公だけは眉も動かさずに座っている。今日はこの場所にしよう、と決めた場所で。
LEGO(R)ムービー-THE LEGO MOVIE(2014/05/09)
予告編から察するにLEGOの世界で、LEGOの登場人物があれこれやるお子様向け映画なのだろうなと思うし、少なくとも前半部分はそんな感じ。しかしお子様だけが喜ぶ映画かと言われればそうではない。大筋はよくある「平凡な僕が実は世界を救う特別な人だったんだって?」というもの。しかしストーリーの根底でちゃんと辻褄が(大人が観てもにやりとできるような意味で)あっている。
というか映画の冒頭からしてそうした「大人向けの不気味さ」はちゃんと描かれている。主人公は退屈な日常を送る。TVは洗脳のために存在し、少しの「逸脱」はすぐ報告するよう、マニュアルが決められている。なんだこの全体主義的な社会は。パターン通り主人公は自由を求める反逆者達からヒーローであると期待されるわけだが、、この全体主義と自由の戦いは映画の最後に「ほう」という形で現実の物となる。トイ・ストーリーと同じ世界観で、LEGOの世界ではおもちゃが自由に動いたりしゃべったりするが、人間がでてくるとLEGOはおもちゃに戻る。人間の子供がLEGOの世界に潜り込んだりはしない。そこらへんはちゃんとしている。
なぜ悪の親玉がそんなことをするのか、「幻のピース」の存在までちゃんと理屈を通しているのには感心した。飛行機の中で無料でこれが観られるのであれば文句は無い。
エージェント・ライアン-JACK RYAN: SHADOW RECRUIT(2014/05/07)
というわけでトムクランシーである。ソ連の戦略原潜に乗ったりしていたライアンの駆け出しの頃という設定。
話としてはものすごく正統派で、なぜ彼が海兵隊からCIAのエージェントになったのか。最初の事件はどのように起こったのかがどっかん、どっかんとともに描かれる。アクション映画だから
「ロシアの企業が買い占めたドルを売り出しただけで、ドルは崩壊します」
という単純な設定とか、それだけじゃあんまりなのでテロと組み合わせましょう。じゃあ犯人とカーチェイスしたりしましょう、といういつものハリウッド映画なのはお約束。あまり真面目に考えなければ、そここそこ筋は通っているし、テンポも悪くない。
ライアンのリハビリを担当し、後に恋人になる女性はちょっとエキゾチックな顔立ちだが、綺麗だなあと思えばキーラ・ナイトレーだった。(スタッフロールをみるまで気がつかなかった)というかこの人いくつなの、と調べてみればまだ29歳。ずいぶん若い頃から映画にでてたんだなあ。
ライアンの上司がケビン・コスナーで、ライアンはカーク船長(若い頃)か。大統領との面会の前にもいたずらっぽい微笑を浮かべているのがはまり役である。
ロシアの悪い奴の最後が何とも言えず情けないのだが、まあしかたがない。というわけでエージェントライアンは今日もアメリカの平和を守る為に戦うのでした。シリーズになったらDVDレンタルしてもいいかな、という印象。
注釈