日付:2003/2/26
名古屋の珍スポットに行った時は実家に泊まる。「今日はこんなところに行ったんだよ」などという話をすると両親が言う。そういえば五色園という場所がある。あそこはかわっていたと。
母はそれに加えて
「さと(孫である)がどんなに喜ぶだろうと思って五色園に連れて行ったら”怖い怖い”と怖がられたからがっかりした」
と何度も言う。五色園は宗教公園と称され、本来怖い場所ではないはずだが当時はまつぼっくりを見ただけで怖いと言っていたさとだからなあ、、この場所の名前は何度も聞いたことはあったのだがなーんとなく行くのを後回しにしていた。しかしこれで次に行くところは決定。
名古屋駅で新幹線を降りると普通は家の最寄り駅まで直通の路線に乗る。しかし今日は別の路線にのり、さらにその名も「五色園」行きのバスに乗る。名前が名前だけに本数が少ないかと思えば、結構本数がある。何故だろう。
終点の五色園でおりる。さて、目的地たる五色園はどこか、と見回すことしばらく。なにやら重機械が工事をやっているところが入り口だと解った。他のサイトにある写真を見ると、ここの入り口には高速道路の入り口にあるような屋根があったらしいのだが、それを取り壊しているのだ。ああ、現場のお兄さん達が座っている。と観るとその奥に何か別の一団が座っている。
最初はなんとも思わなかったが、そのうち気がつく。ををあれがきっと噂に聞く人形の群れではなかろうか。
ここは広大な公園であり、人形でもって親鸞 に纏わるエピソードが再現されている。先ほど遠くに見えたのは月見の時に親鸞 が何かを言ったとかいうエピソード。次はなにやら信仰上の議論をやったというエピソードなのだが、片方の側の顔が結構怖い。
ちなみにこれらの人形はみな実際の人間より一回り大きい。聞くところによると「関ヶ原ウォーランド」の人形を作った人が作ったという。そう言われてみれば顔つきが似ている。
こんな調子であちこちに人形が点在している。道が綺麗に整備されているから車に乗ったまま廻ることを想定してはいるのだろうが、人形が道の近くばかりにあるとは限らない。看板があるから細い道をへいへい言いながら昇っていくといきなりこんなのが居る。
なんでも夫が信仰を禁じていたのだけど、妻は隠れてこっそり拝み続ける。それがばれてさあ大変。夫は妻をばっさり斬ってしまったけど、何故か生きていて、、とかいうエピソード。虚ろな目の妻が怖い。確かに自分の妻がこんな顔をしだしたら信仰を禁じたくもなるかもしれない。
というわけで、あっちこっち寄り道しながらこういう人形を観ていく。中にはこんなものもある。
不動明王らしいのだが、なぜか目が上下に散っている。おまけに手に持っているものはどう見ても大根にしか見えない。
さて、ここはちゃんとしたお寺であるから本堂もある。それ自体は最近できたものだし、別に変わったところはない。しかしその奥にはこんな像がある。
「明治大帝」(「明治天皇」ではない)と書かれた看板はあるが、説明はなにもない。おまけにこの写真に見えるようにかなり荒れ始めている。思うにどこか別のところにあった像を移してきたのではないかと思うがよく解らない。その前にはまた説明なしでこんな像がある。
子供らしき像を前に何かを語る武将。きっと謂われがあるのだろうが私には説明を見つけられなかった。
ここから先は山道をひたすら歩くことになる。道は一本ではなく、看板に従って歩いていくのだが果たして自分が見落としなしに回れているかどうかも不安になる。ここで
「すべての像を一番早く廻った人が勝ち」
とかいうレースでもやると面白いかもしれぬ、と考えながら歩く。階段をひーひー言いながら上がっていくとこんな建物がでてくる。
この建物六角形をしているのだが、中はのぞけない。そもそも本当の建物なのか、人形と同じくエピソードを語るためだけの物なのかはっきりしない。なんでもここで親鸞 は他力本願を深く信じるようになったとか説明にはあるのだが。
さらに行くと親鸞 に向かって山伏が手をついている場面がある。ようするに改心したらしいのだが、私はここであることを思いつく。人に手をついて謝ってもらうなど一生のうちに一度あるかないかのことだ。ここで親鸞 になりかわり山伏共を見下してみようではないかと。苦労して親鸞の前に立ってみる。
山伏共を見下ろしながら私は二つの計算違いに気がつく。第一に親鸞 は私より遙かに巨大であり、山伏どもの視線は私のはるか上にそれてしまっている。第二にこんな人形を前にいばってみたところで空しくなるだけなのだ。
ええい、と思い更に先に進む。すると「聖人狙撃」という恐ろしい題がついたエピソードがある。親鸞 はのんびりと歩いているがそこから少し昇ると藪の中に山伏が何人も
なかなかリアルである。そもそも何故この山伏達が親鸞 を襲うかと言えば、それまで自分たちに祈祷を頼みに来ていた人々がみな親鸞 のところに行ってしまったからだとのこと。なんと商売上の恨みではないか。その中のある人形はとてもリアルな顔つきで、個人的には今日のヒット作である。
そこから先に進むと入り口に戻る。やれ、全部みたことになるのかな、と思い地図を観れば、どうやら「日吉丸矢作橋出生の緒」とかいう人形を見落としているようだ。しかしそもそも親鸞 の業績を伝えるこの場所になぜ日吉丸(後の秀吉)のエピソードがある。まあ見落としてもいいことにしよう、と思うと再びバス停に向かう。五色園から乗ったのは私一人だが、終点の星ヶ丘ではたくさんの人がおりた。これは名古屋郊外の住宅地を通っていく重要路線なのであった。