8月の邂逅

日付:2001/8/8

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横浜から車に乗って

人間の頭に浮かぶ想念というのは、一日の時間帯によって大幅に異なる。たとえば私が失業し仕事を探していたときのことである。内定をもらっている2社のどちらにしようか迷う。一社は堅実な選択、もう一社は少しリスキーだとしよう。朝方私は堅実な会社にしようと思う。昼間何かをしていてそのことを忘れ、そして夕飯を食ってから寝るまでの間は、妙にハイな気分になりもう一社のリスキーな方でいいではないか、よし。明日連絡をしようと考える。そして目覚めると共に考えは堅実な会社の方に戻る。以下同文である。

目が覚めたのは6時であったろうか。昨日床についたのは1時過ぎ。今日はどんなに余裕をみても午前10時に家を出ればよい。あと4時間もある。今起きるのは馬鹿げている。しかし目をつぶっても眠りは再び私に訪れてはくれない。しかし立ち上がるほど血圧も上昇していない。所謂布団の中で

「今日さぼっちゃおうかな。どうせ会社いったってろくなことないんだし」

と半ば真面目にさぼりを考えているような状態である。

どうしようかなぁなどと考えているうちに、私の脳裏に昨日の出来事がよみがえりだした。そして昨日の晩あれほどご機嫌だった私は、強烈な自己嫌悪に襲われたのである。何てことをしでかしたのか。皆初めて会った人ばかりではないか。その人たちを前に血など流しながら音曲に会わせ膝を叩き続けるなどこれは正気の沙汰ではない。寝たままじっと手を見る。それが夢であってくれれば良いという勝手な想念をうち砕くがごとくバンドエイドはそこに張られている。覆水は盆に返らず、こぼれたミルクを嘆いてもなんともならず、そして行ってしまった蛮行は元に戻らない。後悔というのはその定義によって先には立たない物なのだが、それが私の嫌悪を一層悪化させる。

布団をかぶってみようにも夏の気温はそれを許さない。しょうがないから布団を微妙に抱えてうだうだ考える。うえーん。なんということだ。何の面目ありてか彼らにまみえん。そうだ。

「すいませーん。今日二日酔いっすー。動けないっすー」

と言って行方をくらましてしまおうか。そうだそうだ。そうしよう。そしてカラオケもビールも血染めのズボンも無い世界に飛び立とう。これからはそうした俗事とは離れた場所で心静かな生活を送ろう。

こんな事を半ば真面目に考えられるのが寝起きの夢うつつ状態の恐ろしいところだがだんだん頭が覚醒するにつれ、思考力が戻ってくる。んなことできるわけないじゃないか。箱根の宿を予約したのは私であり、クーポンを持っているのは私であり、宿の場所を知っているのは私だけなのだ。一人彼方に行ってどうする。AB氏とST氏は路頭に迷ってしまうではないか。頭は確かに多少痛い。しかしそれは私の行動を制限する程ではない。

せめて体力を回復すべくもう少し眠ることはできないか。しかし頭は痛み体は重いのに眠気は私に訪れないのである。何をしているのか自分でもわからないのだがとにかく時間が過ぎる。一泊の用意をすると家を出る。

待ち合わせ場所についたのは10時58分頃。いつも異常に時間の余裕を持つ五郎ちゃんとしては珍しい遅さである。財布の中の現金が心細くなってきたのでお金をおろそうかと思ったのだがそれはかなわぬ夢のようだ。さて、11時になったのだが誰も現れない。多少不安がよぎる。地図を見ると関内駅には二つ改札があることに気がつく。カレーミュージアムに近いのはこちらなのだが、反対側の改札に集まっている可能性も皆無ではない。こういう脅迫観念に襲われても今は携帯電話という文明の利器があるのだ。ありがとうIT革命。というわけで私はAB氏に電話を掛ける。いまガード下をくぐっている辺りだと返事がある。

彼は車だからついたとしても駐車場を探すのにいくばくかの時間が必要であろうなどと思いながらPalmで雑文など読んでいる。そのうち誰かが私に声をかける。そちらを向いたが誰だかわからない。

それがAB氏であるとの確証を得たのは数秒後である。私は人の顔を覚えるのが得意では無いのだが(では何を覚えるのが得意というのだろう)それにしてもこれはいかなる事か。しばらく話すとその原因が判明した。彼は二日酔いに苦しんでいたのである。集合時間を午後2時にすればよかったなあとか言ってしゃがんでいる。顔をみればうっすらと無精ひげ。そこからは昨日会ったときに感じられた精気が全くかけている。

二人になったからにはPalmなど見て文章を読みふけるのは間違っているだろうか。しかし座り込んでいるAB氏をみると話しかけるのもはばかられる。まあ二日酔いの良いところと言うのは時間が経過すれば(もちろん飲まないという前提の上だが)必ず治るところだ。というわけで私はそのまま雑文読みを続ける。

しばらくしてHB氏、AI氏、KP氏が到着する。では、ということになるのだが、まずAB氏の車を止める場所を探さねばならん。目的とするカレーミュージアムはここから歩いていける場所にあるのだ。AB氏は一人歩き出すがその後をAI氏が追う。残った3人はカレーミュージアムにてけてけと歩いていく。

店の前についてみると既にして長い行列ができている。ぼんやりと立ちながらあれこれ話す。列が進みそろそろ中にはいるかというところで車を止めに行った両名がおいついた。ここには数軒のカレー屋がはいっており、以前来たことがあるHB氏の弁によると「半分カレー」なるものを注文して複数軒のカレーを回ることもできるのだそうな。というわけで一軒目は分かれて注文。2軒目で合流ということになる。

あれこれの論議は全くしないで我々が「一軒目」として選んだのは「海軍カレー」を食べさせてくれるところである。行列に並んでいる間あれこれ話をする。私は

「雑文を書く人に見られる傾向について」

全く定量的な事実の裏付けがないいくつかの仮設を持っている。そのうちの一つに「カレーと雑文の関係について」というのがある。私が愛読する雑文には「インディ」というカレー屋が何度か出てくる。KP氏にそのことについて訊ねると

「ああ。土佐堀通りをいってどっかのところにあるんですよ。」

といってインディのカレー100円割引券を見せてくれた。をを。これがあの有名なインディの割引券か。今にして初めて思い当たることなのだがその時の私の様子はハタからみて異様な物であったに違いない。KP氏の財布から取り出された結構古いと思えるインディーの割引券3枚綴り。一応

「裏面の期限内有効」

となっているのだが、裏をみてもなんの期限も表記されていない。つまりインディ或限り永遠に使えるのだ。その3枚綴りを観ながら、そうかあ、ずっと使えるのかあ、などと感心しているのである。いい年をした男がだ。

今回の集まりには色々な人が参加していたのだが、あえて共通のキーワードを探すとすれば、「雑文」と言うことになるのだろうか。それに関する-あるいは知っていないと何のことか解らない-言葉はこの数日の会話の中でいくつか使われていたと思う。この「インディ」もそうだし、

「旧Keith邸のツアー」

「おお。エレベータでダブルクリックが効く」

という言葉を聞いてもそれが何を意味しているか解らなかったであろう。それどころか「この人は一体。。」と思ったかもしれない。感動、あるいは

「笑いというものは地域性やら民族性やら宗教観を共有する者にしかできぬものであるのか」

というのもそうした雑文の一つからの剽窃なのであるが。

さて、順番はいつしか到来し我々の前には海軍カレーが運ばれてきた。この店は海軍カレーだけをもっぱら取り扱っているのだから、出てくるのは早い早い。へらへらと食べ終わるとHB氏の携帯にメールが入る。別の店にAB氏と入っているAI氏からのものだ。内容は

「とてもからい」

とのこと。

そこを出てしばらく待つと彼らと合流する。AB氏はここでリタイアである。二日酔いの体にカレーが効いたのかとにかく体の線がどことなく薄くなっている。そこらへんを徘徊しているサリーを着たお姉さんに

「救護室みたいなところはないですか」

と聞くといずこかへ消えていった。

さて残った我々は2軒目のカレー屋に向かうこととなる。なんでも「名古屋カレー」なるものを食べさせてくれるらしいのだが、名古屋在住多分30年以上に渡る私は「名古屋カレー」なるものの存在を知らない。多少の不安をかかえながらも列に並ぶ。なんと50分待ちとのこと。店内は船と波止場のような設定になっており、定期的に天井に花火が映し出される。壁からはマスコットキャラクターの象とおぼしきものが首をふり時々「ぱおーん」とか鳴くのだがその声を聞いているとそいつの頭を思い切り殴りたくなってしまうのは何故であろう。

さて、4人での会話が続くのだが、私は不安にかられだした。私は日本人であり日本語を母国語にする者であるのだが、時々ではあるが彼らがしゃべっている言葉が理解できない。しかしまさか"Pardon?"と聞き返すわけにいかない。この不安はその後も存在し続けたのだが、それが何であったかを知ったのはHB氏が書いたオフレポートを読んで後のことである。

---(引用ここから)---

 「(°д°)ウマー。」

 「(°д°)ウマー。」

 「(°д°)ウマー。」

 「……。」

大坪さん、ごめんなさい。みんなにちゃんねらーで。

---(引用ここまで)---

2ちゃんねるという或意味有名な掲示板の集合体のようなものがある。恐らくそこでは日々様々な言葉が生まれているのであろう。そして私にはその言葉-あるいは文化と読んでもいいだろうか-をしらなかったと。まさしく笑いとは文化を共有するものにしかできないものであるなあ。

思えばこれは米国で英語での会話に混ざっていた時と同じ様な状況やもしれん。言葉が解らない、文化が共有できないと言うことは何かと私を不安に陥れるものだし(全く気にしない人も多いし、それはとてもうらやましいことなのだが)こうなるとしゃべる方すらおかしくなる。KP氏がMacintoshユーザーであると聞き

「機種は何を使ってるんですか」

と私は発音したつもりだったのだが、KP氏は「えっ?」と聞き返した。この場合問題があるのは私の発音であり、KP氏のListening Capabilityではない。しかしこうしたことは異なる文化と出会う時にはよくあること。驚きと喜び、それに不安はいつもおててをつないで現れる。それがいやなら家で寝ていればいいのだ。

さて、そんなこんなと時間は過ぎていく。カレー屋に入る前からKP氏はこの店のウェイトレスのお姉さんに多大の感心を払っていた。彼女たちのコスチュームがお気に入りらしい。10000円しないデジカメを取り出すと撮ろうか撮るまいか逡巡を続ける。

「こういう店であるからして、堂々と頼めば二人ならんで撮ってもらえるのではなかろうか」

と提案したのだが、彼はあくまでの自分が能動的に撮影をすることにこだわるのである。その様子を言葉にすれば

「隠し撮り」

という言葉しか浮かばないのだが、正面に座ってその様子を見ていると妙にほほえましい。

さて、カレーを食べ終わるとAB氏の見舞いに行こうということになる。サリーを着たお姉さんに「かくかくしかじか」というと実に愛想良く我々を案内してくれた。店の中は異様な雰囲気なのだが扉をあければそこは普通のビルだ。そこには

「扉を開けたらすぐ閉める」

という貼り紙がしてある。確かにこの「普通のビル」の光景というのは興ざめなものかもしれない。こうやって救護室にいく人はよく居るんですか?と聞けば

「暑いところで長時間並んでいただくので、気分が悪くなる人は結構居る。ただし二日酔いにカレーを食べて気分が悪くなる人は滅多にいない」

ということであったのだが。

案内された部屋に入っていくと奥にいくつかしきられた部屋があり、そこで寝ているらしい。隣には机が並べられあれこれの恰好をした人たちがご飯を食べている。

扉を開けると布団にくるまって何かが寝ている。近づいてみればAB氏である。はろーと声を掛ける。彼が目を開ける。KP氏が写真を撮ろうとする。それを察知したAB氏は顔をゆがめながらも眼鏡を取り、髪を整え始めた。ううむ。この体調にしてこの執念。

もう少し寝ているということなので、我々は中をうろちょろすることとする。HB氏が500円だかなんだかで探偵セットを買う。なんでもこのミュージアムのそこかしこに点在しているヒントを集め、謎を解くと何かもらえるんだそうな。しかしながら我々が解読出来たのはその全体の謎の一部にすぎない。だってわかんないんだもん。例えば手引き書に「ここにヒントが」と書いてある無電室のような部屋がある。さて手がかりは、と観ればモールス信号を打電するキーが二つならんでおり、その下にはSOSに相当すると思われる符合が書いてある。まず適当に打ってみるとピーピーと鳴った後に

「返信がはいりました。読み上げます。”意味不明。意味不明。再度送信されたし”」

と言う。これはいかなる事かと思い、今度はちゃんとSOSと打ってみる。ところが全く同じ返答が返ってくる。ゆっくり丁寧に打てば良いかと思いやってみても結果は同じ事。しまいに我々は匙を投げた。

復活したAB氏と合流すると外に出る。そこで「風邪気味」とのことで午前中パスだったST氏と合流。喫茶店に行き今後の計画を考えるが二日酔いだの風邪だの膝が痛いだのでテーブルの半分はよれよれしている。一方KP氏はと言えば昨日泊まるべき家にいってさらにスコッチを飲んだとか。

時間のかからないところ、ということでランドマークタワーに行くことになる。AB氏の車で一同移動。上に登ってみるとなかなかの眺めだ。しかしここでまたAB氏は高所恐怖症との戦いに直面することとなる。他のメンバーが窓にへばりついている中を少し窓から離れて彼は歩き続ける。ここに登ったのは何度目かわからないが、結構周りに空き地があることに気がつく。これからさらなる発展を見せるのか、あるいはあの空き地はそのままになるのか。

KP氏とAB氏がなにやら橋の絵がかかれたものを買っているから何かを聞けば原稿用紙なのだそうだ。これまた雑文書きの性というものであろうか。その場を降りると我々は最後の見物を行うことになる。某サイトの掲示板で話題になっていたという半円形に分かれ向かい合った二つのエスカレーターだ。一同ぐいーんとあがるとそのままぐいーんと降りてくる。つまるところ乗っただけである。果たしてこれは繋がっているのだろうかそうでないのだろうか、繋がって居なければどうやって折り返しているのか、という議論がしばらくなされる。

そこで箱根に向かう3人は別れを告げるる。また機会がありましたら、ということでAB氏、ST氏、そして私は駐車場に向かう。途中「どの道を行こうかな」とST氏が問うとAB氏は「1mでも近い方」と答える。そこで私は彼の体調があまり好転していないことを知った。彼は二日酔いの他にもここ数日でたまった疲労にも襲われていたのだ。

3人をのせた車はナビ子ちゃんの指示に従い一路箱根を目指す。途中行き止まりにつきあたったり、渋滞に巻き込まれたりするがそのうちスムーズに動くようになった。高速をおりたところで運転手交代、最後の山道は私が運転する。AB氏に

「今日は飯食って風呂はいって、ぱたっと寝てくださいな」と言うと

「風呂ははいれないかもしれない」と答える。

こうしたシチュエーションで何よりもフラストレーションを与えるものは近くにきながら旅館が見つからないことかもしれない。しかしナビ子ちゃんの威力は偉大だ。最後は全く迷うことなく一直線に旅館についた。パンフレットにある

「大正天皇も泊まったことがある」

という言葉の通り古い大きな旅館である。

部屋に行くと荷物がおいてある。大坪様宛となっているが覚えがない。誰か他の大坪さんへの荷物であろうとあれこれ旅館の人と交渉する。ついでにAB氏、ST氏が「風邪薬はないですか」と頼むとちゃんと持ってきてくれた。その後夕食。AB氏は半分ほど食べたところで布団にもぐる。ST氏も風邪気味であるからぴんぴんしているは私だけである。お刺身を別料金でつけたのだが、あらかた私が食べてしまうこととなった。大変おいしゅうございました。

一通り食べ終わり、ST氏と雑文、雑文サイトについてあれこれ語っていると布団の中からAB氏も発言する。どのようなサイトがあり、どのように面白いか。おもしろさとはどういうことであろうか。静かな旅館の中で交わされる落ち着いた会話は私にとって予想外に楽しかった事の一つであったかもしれない。

 

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注釈

インディ:私は結局このカレー屋を訪れることになる。詳細については「2001年カレーの旅」参照。本文に戻る

エレベータでダブルクリック:「それだけは聞かんとってくれ第4回参照。本文に戻る

雑文の一つ:「それだけは聞かんとってくれ第108回参照。本文に戻る