日付:2000/5/1
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2000/5/31明日は引っ越しである。といっても転居するわけでも、このWeb Siteのアドレスが変わるわけでもない。アクセス解析CGIを設置しているcool.ne.jpのサーバーを移動するのである。であるからして、このサイトを訪れてくれる奇特な方々は何の変化も感じないであろう。
毎日更新もなんとか2週間は続いた。さて、どこまで続くことやら。
SETI@Support Ver0.74のトラブルが相変わらずフランスのユーザーから報告されている。開発環境であるところのMacintoshバージョンだけで発生するというのも皮肉なものだ。この数日の私の心境は曹操の言い方を借りれば
「我が腹わたはちぎらるる思い」
となろうか。もう今のCode Warrierに見切りをつけて、バージョンを変えることにした。はっきりとした理由がわからずに動かなくなるのはこれで2度目だ。おまけに私のマシン上では再現しないと来ている。再現しない問題ほどやっかいなものはない。
Break Freeを歌うQueenの姿に(再び)思いをはせたりする。次に人前で歌うときは女装でもしてみるか。まともな女装でなく、笑いをとる、"Looks Stupid"な女装ができれば、私も少しはまともな芸人ということになるのだが。
学校に行っているころであれば衣替えの季節だ。今の会社ではこのばかばかしい布を首にさげていなければならない。それが金をもらう方法であるならば止む終えないのだが。
暑い。しょうがいないこととはいいながら。
5月も終わりだ。そして時が過ぎるのはいつも同じだとすれば、問題は私のほうにある。
今は亡きQueen-フレディ・マーキュリーが歌うBreak Freeのビデオを見る。あのGreatにして変態を極めたバンドはみな女装をして見事な音楽を奏でる。彼らの音楽に心を動かされ、そして少しでも「芸」というものに思いを巡らせたことがある人間であれば、彼らの姿をみて感動を禁じ得まい。この素晴らしいバンドがここまでやるか、と。
私は決して彼ほど見事な歌を歌うことはできないだろうが、その芸に徹する志は見習いたい物だ。
体重が増えていると体が自分でぶよついて気持ち悪い。いたるところ気持ち悪いのだが、とくに首がいやだ。摂取カロリーが減っているとすれば、年を取り消費カロリーが減少しているのか。
私のアパートの目覚まし時計が何故かならなくなってからというもの、私の目覚ましは5時20分に動き出すNiftyにアクセスするモデムの音だ。今朝は久しぶりのその音を聞いた。つまり途中何度か目がさめたものの5時20分まで寝ていたことになる。これで不眠症も一段落になってくれるとありがたいのだが。
週があけた。天気が悪い、ということは今の私にとっては歓迎すべき状況だ。
GSISとSETI@Supportのダブルのバグがレポートされて、泡を食っている。
私は今大阪にいる。昨日はフェルメールの絵に再び相対することになった。確かに前回「天秤を持つ女」を見逃したのは愚かだった。このような絵が存在していること、またこのような絵を描く人間が存在したこと、それに私がそれを再び目にすることができたことはありがたいことだ。もし私が成功裏に引退にまでこぎつけたら、残りのフェルメール(一枚盗難にあったものがあるようだが)を見ることを目標の一つにしようか。
久しぶりに映画を観た。ミッション・ツー・マースである。私がどのような感想をいだいたかは、映画評をご覧ください。
また週があける。何がおこっているのかいないのか。
さて、私は新幹線にのって大阪に向かっている。ゴールデウィークに見逃した「天秤を持つ女」をみるためだ。
昨日は東京ビジネスショウに行って来た。何に驚いたといって、自分の足が動かなくなっているのに驚いた。最近妙な不眠症になっていることは自覚していたし、昨日の朝も3時にめざめた。体調がいいとは思っていないが、広い会場を歩いているうちに杖がほしいと思うようになった。なんなんだこれは。
どうも私は展示会に向いていないようだ。人があまりいないブースなんかがあると気の毒になってしまう。かといってそうしたブースに全部はいっていては身が持たないから客引きをしている人と目を合わせないように足早に立ち去る。となるとなんだか良心の呵責にさいなまれる。それでなくても私の足は鉛のように重い。早々に引き上げた。
いきなり話題が変わるが、書評に「毛沢東語録」を追加。ものの本によれば、文革期には日本でも毛語録を持っていた人間が結構いたそうだ。この本を読んでみるとそういった人たちはきっととても幸せな人生をおくったのだろうな、と思う。
さて、新しいGSIS Ver0.2とそれに合わせたSETI@Support Ver0.74のリリースである。願わくばこれまた世間様に迷惑をかけるバグの少ないことを。GSISについては幸いなことにいろいろのフィードバックをもらっている。そして何故多くのソフトに"quickstart"という簡単版の説明書がついているかもなんとなく解る気がする。長々と説明を書いたところで読んでもらえるとは期待できないようだ。
昨日ひさしぶりにアメリカのベンチャー企業の連中に会った。彼らはとてもフランクで、馬鹿話をしていても結構楽しい。この会社で交わされる多くの日本語の会話よりも彼らとの英語での会話の方が意味がとれるのは或意味皮肉なことだ。会議の冒頭年輩のほうに
"So, how are you doing ?"
と聞かれた。
この問いに対する答えは一種類しかしらない。私は
"Fine"
と言った。しかしその後に視線を落としながら
"I guess so"
とつけくわた。彼らはケラケラ笑った。
日本語であれば最低の気分の時でもアルカイックスマイルを浮かべて「まあなんとかやらせてもらってますわ」と言うことができるが、私のつたない英語ではうまく心中をCover upすることはできない。
最後会議が終わったときにまた同じ質問をされたが、また視線を落としながら"fine,,fine.."と言うことしかできなかった。
夜があければまた日付が変わっている。Walk this way, old man .
昨日4時半まで寝られたと思ってよろこんでいたら、今日は朝の2時にめがさめた。なんのことやら。何がおかしいのやら。
この会社にきてから脳の活動レベルを意図的に最低にまで落とす技を身につけた。そうしておけば、会議でどれほど馬鹿げたことが言われたり、行われたりしていても気にならない。この技を身につける前はいちいち怒ったり情けなくなったりしたものだが。マルクス・アウレリウスの自省録にも、他人にたいしていらいらする自分に投げかけた言葉がいくつもある。かの皇帝も悩んだのだろう。
毎日更新にしているこの頃だが、前は
「毎月1,8,15,22日(体重グラフを更新する日だが)にはどこかの更新をしよう。」
と思っていた。ところが毎日更新にしたとたん、もっと頻繁にどこかを更新せねば、という強迫観念にとらわれ始めた。
だから、というわけではないのだが、先週お休みした「今週の蒼天航路」を更新。
今日は日差しが強烈だ。きっと昼は暑くなるに違いない。もっとも外にはほとんど出ないから関係はないのだが。朝晩が涼しいのがうれしいが、これもあと少しの間だけのことか。
便りがないのが悪い便り、ということか。
一番耐えられないのは結果が悪いことではなくて結果がでないことだ。
思えば私も望みが少なくなったものだが、本当にそうなのだろうか。
などと冒頭から妙な事を書いている今日この頃ですが、皆様いかがおすごしでしょうか。体重も順当に増えていますが、朝めざめるのは3時から4時半にまで改善されました。あと一息で本来の5時半になるかもしれません。
ふと思ったのだが、最近こうやって日記のように書いている。ついでに頭に浮かんだこともふと書いているのだから、そのうち同じ内容が何度かでてくるかもしれない。まあ現実の会話もそんなものだからいいか。
高校時代の友達に
「あ。その話2度目」
と的確に指摘してくれる人がいた。当時より物忘れはひどくなっていることを思えば、今は「同じ話を2度しない」のではなくて、「そうやってちゃんと指摘してくれる友達がいない」のであろうか。
ここ一月以上映画を観ていないことに気がついた(何故こんなことが言えるかというと、映画評を書いていないからなのだが)American Beauty, Mission to Marsなど見たい映画はいくつかあるのだが、体が重くて休日に持ち上がらないのはつらいところだ。もっともそれは先週実家にいたからであって、今のアパートであれば晴れた日中は部屋に居られないような状態だからいやがおうでも外にでるのだが。
昨日は丁寧にこのサイトを読んでくれる人が二人もいたようだ。ヒット数が一日のものとしては記録的な値になった。時々思わぬドメインから「大坪五郎」という名前で検索がかかる。これはどんな人がみているのだろう、などとたまには別の事を考えるのもいいものだが。
他の人にとってどうかわからないのだが、曇りが続いているのは私にとってはありがたい。帰って扉をあけたときのあの「むわっ」という熱気が少ないからだ。
からだがひどく疲労していることに気がつく。明け方に目覚める不眠症は少しよくなったのだが。足がむくんでいるのかやたらと靴をはいていることがつらく感じられる。
昨日は久しぶりに吉野屋の牛丼を食べた。別に吉野屋の宣伝をするわけではないが、この牛丼という食べ物にはあれこれ思い入れがある。普段そんなに食べたいとも思わないのだが、いざ食べられない環境に移ると、なんとなく懐かしくなる。留学して1年半たったとき、Los Angelsで吉野屋をみつけて驚喜し、大盛りを食べてもまだ足らず、普通盛りまで食べてしまった。そのときの心残りと言えば、生卵がなかったことだが、米国では卵はあまり生でたべないようなのでしょうがない(ロッキーは別としてだが)
沈滞しているのかそうでないのか。頭の中で警鐘は鳴っているが今のところ何もすることはできない。
さて、「私の体重」を更新する日だが、どうもこのグラフに現れている以上に自分の体がたるんでいるような気がするのだが。。まさか体重計が壊れているわけでもあるまいし。
夏になるとパンツ一枚になる。となると自分の体もいやがおうでも目に入ってしまうわけで、現実と対面するのは大抵の場合あまり楽しいことではない。
「大坪家のHit数Ranking」も更新である。 最近CGIを設置しているcoolの調子が悪く、ログはとれているようだが、うまく取得できない(メールで送られてこない)そのせいだけかどうかは知らないがHit数は全般に低調である。
ついでに"My SETI situation"も更新。自分で勝手に決めた"Top Gaussian"は最近10個になってから増えない。このプロジェクトが終わるまでにはGaussian Scoreが1以上のデータに出くわしてみたいものだが。
ひさしぶりに5時頃まで眠ることができた。3時起きが(好んでやっているわけではないが)一週間続くと週末はよれよれである。
姉に「3時に目が覚める」と言ったら「それはストレスだよ」と断言された。姉の弁によれば、ゴールデンウィーク中は母親がみなストレスから体の不調を訴えるとのこと。私がどのようなゴールデンウィークをすごしたかは、6月1日公開予定の新作をお待ちください、と人に「お待ちください」というほど内容は無いのだが。
今週末は帰省して、お歌のお稽古である。考えてみればもう上は40に手がとどき、私とキーボードプレーヤーを除いてはみな父親になっているのだが、バンドをやっているときはそんなことは関係ない。Eric Claptionの曲が支配的になろうとするバンドにあって、私としては変態を極めたフレディ・マーキュリーに敬愛の念を抱くのである。もちろん敬愛の念を抱くのはその歌であり、変態を極めるところではないのだが。
ただ正直言えば自分のそう長くはない老い先を考えれば、変態の方も極めてみようかとも思ったりもする。
父上の新作「第二青冥寮の冬」を追加した。この前のオーストラリアが大変な長編だったのに比べて短編。私が書いた「若者に通じない用語-独身寮、公衆電話」と比べて読むのも乙なものかもしれません。(しかし乙とはなんなのだろう)
ちょうど帰ってきていた姉の子供達のおもちゃになって、疲れたが結構楽しかった。ついこないだまで床をはっていた一番上の姪が私を体当たりでふっとばすのだから、こちらも歳をとるわけだ。
涼しいどころかちょっと寒いくらいになってきた。思えば今から19年前、大学にはいって初めての学園祭の時はあわててトレーナーを買って着てたっけ。そういえばあの日はそれなりに思い出深い日だった。友達にさそわれて初めてダンパなるものにいって、それは私の「女の子に声をかける」の始めでもあったわけだ。
The first time is always the worst
の言葉通りの結果に終わったが。
恒例「3時起床」の変形不眠症はまだ続いている。おかげで昼間に何もできないのはとても困る。会社では仕事をしていないからいいのだが、休日の昼間に行動できないのは全くもったいない。ようやく体が動くようになったというのに。
「私のMacintosh」にPower Mac 7500を追加した。何故新たにMacintoshを購入したか?これには長い話が付属しているので文章を見てください。今はあのIIvi, IIvxを思い出させる外見をなんとかできないか、とアクリル板を工作する妄想にとらわれているのだが。
GSISはほとんど毎日アップデートしている。ロギング機能がちゃんと検証できれあ、それなりに使えるツールになると思っているのだが。しかしその影響でSETI@Support Ver0.75とFleet Commander Java Verison はとまったままだ。6月中には両方ともなんとかしたいものだが。
涼しいのがありがたい。暑いとどうしても頭がぼけておまけによけい寝られなくなる。
とはいっても恒例の「3時に目が覚める」はまだ続いてる。今日は悪いことにちょうど目が覚めたタイミングで夜間も動かしているプログラムが
「ぽん」
とエラーのビープ音を出してくれた。おかげでもう一度寝ようと思っても
「何がおかしいのだろうか」
と気になって眠れなくなってしまった。
このMaking of my homepageを毎日更新にしてから今日で4日目。(もっともこの事実に気がついた人がいるかどうかはわからないが)これで三日坊主はクリアしたことになる。鬱ぎみになると週刊でも書けなくなるが、ねがわくばこの更新が続くことを。
曇り空がありがたい今日この頃だが、1992年のように米ができなくても困る。そうはいっても心配するまでもなくそのうち耐え難く暑くなるとは思うのだが。
例によって朝の3時にめはさめたが、そのまま4時半まで寝たので調子は少しましだ。
GSISをまたもや改訂した。OS9を買ってきて試験したのはいいのだが、こんどは何故かJavaが動かなくなってしまった。困った困った。
Clintonに親愛なる森総理の「神の国」を追加。彼の総理としての命は短そうだが、思ったより長いかもしれない。
今週蒼天航路は掲載されたが、どうも最近「今週の蒼天航路」を書く気がしない。というわけで、これからは書きたくなったときだけ「今週の蒼天航路」を書くことにします。
私の中2階のエリアは屋根裏だからこの季節からは耐え難く暑くなってくる。だから曇りか雨の日に妙に好感をもつのだが。子供のころは何故暑さを感じなかったのだろう。
例によって朝3時に目が覚める。なんなんだこれは。
アクセス解析の調子が悪い。しかし私が知ることが出来ようが出来まいがこのWe bSiteに散在している文章を読んでくれる人がいる、というのはありがたいことだが。先日「暗号について」の感想メールをいただいた。ありがたやありがたや。
自省録にも「朝おきて仕事にいくのがつらい」という内容のものがいくつかある。そして他人にいらいらするな、それは自分の主観だけのことだ、と自分にいいきかせるものが。頭の中だけに存在しているものであれば、頭を振れば消えてくれるはずなのだが。
新しいプログラムGSISをリリースした。新しい物を世に放つときはいつもどきどきしている。願わくば人様に迷惑をかけるバグの少ないことを。
あるWeb Siteでこのページが評論のまな板にのせられているのを発見した。
「個人的にはおすすめ」とかなんとか書いてあったから褒め言葉だったのだろう。ありがたいことだ。私にとってはそれが褒め言葉であれ、けなし言葉であれとにかく読んでもらえることがうれしいことなので、それが褒め言葉であればうれしさは倍増である。
新しい文章を書き始めている。これが物になって最終的に発表できるかどうかはわからない。
マルクス・アウレリウスの自省録を読み始めている。顔も見たことがない男の悩みや心の叫びが聞こえてくるような。これに比べると毛沢東の毛語録なんぞは全く面白くない。もっとも毛語録を誇らしげに語れる方が世の中楽しみは多いのかもしれないが。
寝覚めの悪さは続いている。というか朝の3時頃目が覚めるのは何故だろう。
先日久しぶりに楽しい宴会に出席した。腹筋と顔の筋肉が引きつるほど笑ったのは久しぶりである。
この会社に来てからというもの、理解を超越した人達に出会うことが多いが、逆の意味で理解を超越した人に会うことができるのも事実だ。(後者のほうの数が圧倒的に少ないのはいたしかたないところだが)周りがいかに暗かろうと、そうした人たちと会えることの輝きが失せる物ではない。
少し会っただけで、いや会わなくても話を聞くだけで頭の裏に書いてある文字まで読めるような気がする人もいる一方で、会っていて思わずもう一歩近寄ってまじまじと眺めるのだが、それでも釈然としない、そういう印象を与える人もいる。いくら歳をとって世の中を解った風になったとしても後者の印象を受ける人がいなくならないのはありがたいことだ。
先日フェルメールの絵を観たときも同じ様な感じを受けた。今まで漫然と感じていた「絵を観る」ということが少し解ったような気がした物だが。
連休はあまり人にあわず一人でふらふらしていた。
パソコンおたくになったり、「ハンニバル」の影響をもろにうけて(私はミーハーなのだ)大阪と名古屋でフェルメールを観たりした。とりあえず天気はよいし、気候もよいのだが、なぜこんなことばかりしているのか。しかし他にできることがなければ止む終えないと言うところか。
最近ひどくねざめが悪い。
注釈