日付:1998/3/8
950円-Part3 (Part2へ | Part4へ)モンスターズ・インク-Monsters, Inc.(2002/4/7)
CGだけで制作されたアニメーション、などという文句も今や売りにはならない。アカデミー賞に新設された「長編アニメーション部門」をShreckと争う、という下馬評だったが。
観ているうちに子供の頃は寝床に入った後いろいろなものにおびえていたことを思い出す。怖い話を読むとトイレにいけなくなった。暗闇に何かがいるような気がして。今でも怖い話は苦手だがトイレくらいはいける。そうやって子供達をおびえさせるMonster達は実は子供達を死ぬほど恐れていた。なのにそのMonster達の社会に子供が迷い込んじゃったから大騒ぎ、という話なのだが。
子供は大変かわいく描かれているし、2枚目ではないモンスターも話がすすむにつれてかっこよく見せてしまうのもいつもながら見事な腕だと思う。またはらはらどきどきの追跡シーンではフルCGの利点を生かし結構迫力ある画面が展開される。(これは私が高所恐怖症なせいかもしれないが)
しかし同じくPixerが制作したToy Story2などに比べると今ひとつストーリーが浅いようだ。悪役というか敵役がでてきはするのだが、それはストーリーの展開には役だっても感動を増してくれるわけではない。最後にはいつもの「あるはずのないNG集」が流れるがこれも今ひとつ笑えないのもどうしてだろう。
主役のモンスターは毛で覆われており、これをCGで表現するのは大変なのだそうな。そこに費やした労力の分、話が薄くなったかなあとあるはずのない関連を考えたりもするのだが。
息子の部屋 - LA STANZA DEL FIGLIO (2002/2/11)
普通に悩みや問題や楽しいことを抱えた一家。そこの息子がある日事故で亡くなってしまう。
たとえば日本流に安っぽく作ろうと思えば、映画の1/3は涙と怒号と叫び声でうめつくされ、最後には「救い」をもたらすようなエピソードが付け加えられるだろう。ハリウッド流に悪のりして作れば、息子の死には実は陰謀が絡んでおり、父親がその悪の組織と戦う、あるいは潜水用具のメーカーを相手に巨額の訴訟を起こす、とか。
この映画にはそうした「起伏をつけてみました」という要素はいっさいない。淡々と事故前のありふれた家族、そして事故後に残された家族が描かれる。それを観ているとこんな事を考え出す。家族の死、そして家族それぞれの生き方というものは本来「映画的な」過剰な演出などとは無関係のところにあるものではないか、と。
特に筋があるわけではなく、見せ場があるわけでもない。しかし死んだ息子は画面から消え去り、後に残された生ある家族はお互い支えながらも一人一人歩いて行こうとする。そんな登場人物の気持ちが伝わってくるような。こうした人間達の姿を真面目に一本の映画としてまとめ上げるのは見事な腕というべきか。
グッドバイ・ガール-the goodbye girl(2002/1/31)
New Yorkでおかしな境遇の二人が出会い恋に落ちる。
1977年だからもう25年前の作品ということになる。母と娘がコーラの缶を開ける時プルトップを缶から外すのが「をを」と思わせる。(今のようになったのは何年前のことなのだろう)しかしそんなことはどうでもいいことだ。
ハンサムでもマッチョでもない主演男優だが確かに見事な演技だと思う。それに子役のキャラクターと演技も。その母親の女優さんもそんなに美人というわけではないけどどっかAttractiveな。そんなことを考えているといつのまにか引き込まれ、最後まで観てしまう。そんな感じの映画。
二人がいい感じになってHappy Endかと思えばまだ終わらない。彼女は今まで二人の男に逃げられているのだ。であれば母と娘が「新しい父親」がくることに身構えるのも当然。そしてかの男はそうした「危機」も最後にきっちりと閉めてくれる。なるほど。これはHappyな映画だ。この終わり方の開けっぴろげなHappyさが、少し昔の映画、というところなのかもしれない。
映画にチャレンジする男を送り出すときに母親が「アカデミー賞を取ってね」という。まさかこの映画を作っている時本当にアカデミー主演男優賞を受賞すると思っていたわけでもあるまいが。
恋におぼれて-Addicted to love(2002/1/14)
記憶をあれこれたどってみるのだが、某お茶の宣伝以外でメグ・ライアンを観るのは初めてではないかと思う。都会にいってしまった恋人に振られた男。ストーカーになってみたら、元恋人の彼氏にもストーカー(もちろん女性だ)がついていた。さて、二人で仲良く彼らを別れさせましょう。
ストーリーは単純というかなんというか。唯一記憶に残るのが
「俺はフランスではただの男だが、アメリカではスーパーマンだ」
という台詞。その昔アメリカでフランス人と話していた時のこと、アメリカ人のフランス人に対する感情についてどう思う?と聞かれこう答えた
"Complex and superiority"(「コンプレックスと優越感」と言ったつもり)
相手は「そうだな」と同意してくれた。そんんことを思い出す。
それ以外はとりたてて言うことのない話だが、メグ・ライアンは確かにこうしたラブコメディに似合っていると思う。いろいろな表情をチャーミングに浮かべて。この道で有名になるだけのことはあるわけだ。
そんなことを考えているうち映画はめでたく大団円を迎える。心に何が残るわけではないが、きれいな映像とメグライアンの笑顔くらいはなんとなく覚えている。
ソードフィッシュ-Swordfish(2001/11/18)
よくできた映画だと思う。題名からして目黒やら英国の複葉雷撃機を思い出す必要はない。映画の宣伝文句には
「最初の10分であなたはもうだまされている」
とかなんとか書いてあるが、だまされたかどうかは別として
「これはどんな話か?」
と観客の注意を十分に引きつけるような展開はなかなか見事。きれいな女性、伝説のハッカーと家族愛、Lots of action,カースタントに鉄砲がばりばり。こうした映画ではタネが全部あかされたところで失速することもあるが、この映画は最後まできちんと見ることができる。
しかし特に最後の方、頭に飛来するのはこの考えだった。
「この映画は2001年9月11日より以前に作られ、公開されたに違いない」
軽快に見事に悪役を演じるトラボルタは、テロに正面から武力で対抗する集団のボスなのだ。そして最後の場面ではビン・ラディンをモデルにしたとおぼしき男がヨット上で爆殺される。あの事件の前だったらこうした設定も台詞も「映画の中のもの」と思って気楽に見ることができたのだろう。ビルで会議をやっている。ふと気がつくと窓の外にはバスが迫ってくる。そこから落ちた人間は空中で爆発、ビルの壁面に火炎が走る。
あの事件の映像を見て「映画のよう」と一瞬でも思った人は多かろう。今や私はこの映画を見て悪寒を感じるのだ。あの恐ろしい事件と光景は々のものの感じ方にも長く黒い陰を落としていることに気がつく。であるからして、純粋に映画として楽しめなかったというのが本当のところなのだが。
スィート・ノベンバー-Sweet November(2001/11/3)
正義のヒーローから連続殺人鬼、フットボールプレーヤーまでいろんな役をやってしまうキアヌ君が主演。予告編から察するに、いきなり出会ったちょっとミステリアスな女性と
「11月一月だけ恋人として暮らす」
とかなんとかいう設定の様。
ここまで聞くと頭の中にざーっとストーリーが浮かぶ。きっとどちらかが余命幾許もないのだ、とかいやになるほど甘いいちゃつきのシーンが続くのだろうか、とか最後どちらかが死ぬ時にはこれでもか、という感動強要があるのだろうか、とか。
さて、映画が始まるとそうした「ありふれた予想」とは違いストーリーはしっかりと進んでいく。甘過ぎず馬鹿馬鹿し過ぎずなくなかなか興味深い。主人公の二人は最後まで少しすれちがったまま。そして愛情に対する姿勢はどこか変わっている。同意するしないは別として、「変わっている」と考えるとすればそれはなぜだろう、と考えてみたり。しかしそれが今一歩感動に結びつかないのはどうしてか。
キアヌ君の演技が平板なのだろうか。他の役者が演じれば良かったのだろうか、あるいは脚本をもう一歩洗練させる必要があったのだろうか。あれこれ考えるているうちになんとも「惜しいなあ」という気になってくる。もう少し慎重に育てれば結構おもしろい映画になったかもしれないのに。
ブリジット・ジョーンズの日記-Bridget Jones's Diary(2001/9/29)
「なぜ有名女優がさえない本屋の店主に恋をするのか解らない」
という感想を聞いたことがあった。この映画を観て逆の事を考える。
32−33歳でちょっと太りすぎ。お酒とたばこを控えなくちゃという女性があれやこれやと奮闘する。映画の冒頭で
All by myself. I don't wanna be..
という歌詞を熱唱するシーンは彼女よりかなり年上である男性の私にも結構身につまされる。
ハンサムなプレイボーイ(情けない男がはまり役のヒューグラントが好演している)と固くてちょっと変な感じの男の間であっちに行ったりこっちに来たり。しかしつまるところは一昔前の少女漫画の王道
「まあ。こんなにドジでブスでデブの私を”欠点も含めてそのままの君が好き”とこんな素敵な人が言ってくれるの」
ではないか、と考えたりもする。男女を問わず都合のいい妄想というのはこうしたもののようだが。
ではこの男は何故彼女に惚れるのかと思えば、一つのシーンが頭に浮かぶ。田舎のホテルでカップル同士ででっくわし、それぞれがボートにのるシーンだ。弁護士同士は「何かいい手はないか」と話している。対して主人公は明るく無邪気に太ってはしゃいでいる。その対比が彼女を魅力的に見せたのでしょうかねえ、と。
そのロジックには納得しかねる部分もあるが、そこそこ楽しく最後まで観られることは確か。成人女性が圧倒的に多数の劇場で一番大きな笑いが起こったのは
「黒いすけすけの勝負パンツか、そこまで持っていくためのシェイプ効果を持ったデカパンか」
とさんざん迷った末、選んだ後者を男に観られてしまうところ。私がけけけと笑ったのは
「彼の奥さんは日本人だったの。離婚したけど」
という部分で字幕には現れなかった「日本人」にかかる形容詞
"Cruel Race"
という言葉を聞いたところだが。
ミート・ザ・ペアレンツ-Meet the parents(2001/4/15)
今日の教訓-たばこは止めましょう
彼女にプロポーズするためには、まずお父さんの許可を得なくちゃ。そして娘と結婚したい、と言ってくる男は古今東西父親の敵である。(どうやらそうらしい)
従って大筋というものはまあだいたい皆が想像する様に進むわけだ。序盤はなかなか快調である。特に彼が最初に彼女の両親の家に行くところが面白い。
「なかなか話がはずまず気まずい」
という雰囲気が妙にリアルに描かれる。
そこからやることなす事裏目に出る、というお約束の展開になるのだが、実生活で「やることなすことうまくいかない」私としてはここらへんはちょっと
「あーやだやだ」
という感じになってくる。しかし最後にはなかなかうまくまとまる。シリアスになりすぎず軽くなりすぎず。なかなかHappyな気分になるわけだが一つだけ気になることがある。
この映画の製作者は航空会社に多分の反感を抱いているのではなかろうか。
ワッグ・ザ・ドッグ-Wag the dog(2001/3/18)
退任してなおスキャンダルのネタを提供しているClintonが在任中に製作された映画。TVでたまたま放映しているのを観た。
当時Clintonは自分の方がピンチになると意のままにミサイルをぶっぱなすので有名だった。もちろんそんな事を政府関係者が肯定するわけはないが、そのあまりのタイミングの良さに誰もが「攻撃により話をそらし保身を計っているのか」と思ったのではなかろうか。そこにこの映画の公開。そうした面で有名にはなったが、映画自体については大して評判になっていなかったので映画館に行こうとは思わなかった。しかし見始めると愛犬アイちゃんの「遊べー」という攻撃をてきとうにあしらいながら(彼はこの映画に振り回されはしなかったのだ)最後までみてしまった。
「戦争」というものに関する米国人の反応というのは、この映画に描かれているとおり、ちょっとパロディにしてやろうかと思うほど単純である。コソボだかどこかで捕虜になっていた兵士がDetroitに帰還したところをビデオで観たことがある。彼は地元のHeroになり、大パレードでお迎えだ。高校生はおそろいの服などきて下手な自作の歌と踊りでお出迎え。ばれる危険性さえ無視すれば(それが大きいのだが)彼らを演出してだますことなど赤子の手をひねるような物ではないか、とは誰もが思うのではあるまいか。
途中までは、「おお。なかなかよくできている」という感じで進んでいく。ダスティン・ホフマンがプロデューサー役で好演している。彼はなかなかいろんな役をこなす面白い役者だなぁと最近にして思う。また
「ほう。プロデューサーというのはこういう仕事をしているのか」
と勉強になった気にもなる。(真実の姿は知らないが)こうした企画をぶちあげ、才能をもった人間を集める役割というのは、別の分野でも使えるのではなかろうか。
しかし終盤で話がちょっとばたばたし、終わり方も「やっぱりこうですか」という感じで今ひとつ意外性がない。途中までのテンポがよかっただけに残念だ。もっと面白くなったかもしれない、という思いがどうしても残る。まあしかしTVでタダで観るのであれば「もうけたもうけた」と思うわけだ。
男女を問わず:主人公が男の場合は「勉強も出来ず、スポーツも今一な俺に、クラスで一番可愛くて勉強ができて人気抜群のあの娘が惚れてるって」である。本文に戻る