題名:映画評

五郎の入り口に戻る

日付:1998/3/8

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950円-Part4 (Part3へ | Part5へ)

カレンダーガールズ-Calender Girls(2004/6/12)

悪くはない。ただもっと良くなったのかもしれないと思う。

イギリスの小さな町。ある女性の旦那が白血病で亡くなった。彼のために病院にソファを寄付したい。その費用捻出のため町の女性達がカレンダーのヌードモデルになることを計画する。

あれやこれやの困難を乗り越えてカレンダーを作るあたりまでが半分くらい。そこから有名になり多少調子に乗りすぎてみたり仲直りしたりが半分くらい。女性達は皆50を超えているという設定なのだがさすがに綺麗に撮られているしその元気さは悪くない。しかし終わりが今ひとつばたばたしていたり、旦那を亡くした女性の気持ちが繰り返しになっていたり。結果として「今ひとつ」という感じを抱いたのは正直なところだ。こうして何か書こうとしてもこれ以上言葉がでてこない、ということはやはり印象に残っていないのか。

女性達に言いたい放題言われ、いたたまれなくなって部屋をでるカメラマンとかもっとうまく描ける要素はあったと思うのだけど。


ホーンテッド・マンション-The Haunted Mansion(2004/4/30)

ディズニーのアトラクションをベースにした映画、というとパイレーツ・オブ・カリビアンなんぞが思い浮かべられる。あちらは予想外に面白いと感じたが、こちらはまあ予想通りだった。

仕事一筋の不動産セールスマン(エディーマーフィー)が家族と共に幽霊屋敷で災難に巻き込まれる。。私は大変な恐がりだがこれくらいなら大丈夫、なはずだったがゾンビ映画、ドーン・オブ・ザ・デッドの予告編を観たせいか、

「幽霊にかまれるとゾンビになるのではないか」

などという考えにとりつかれる。おちつけ、これはディズニー映画だからHappy Endに決まって居るではないか。

などと自分に言い聞かせている間に話は淡々とすすみ、危機を乗り越え、仕事にのめり込みすぎていたセールスマンも反省してよき父親に戻る。これではあまりにもパターン通りでないか。あくびはでないし、いらつく場面はないのだが、これほど想像通りの映画というのも珍しい。クレジットロールの後に一シーンあるが、それも「だから何?」というものだし。

クレジットの最後にこういう文字がでる。

"You watched the movie. Now ride the ride"(かなりうろ覚え)

ってそりゃあディズニーとしてはそういいたいのだろうけど。


オーシャン・オブ・ファイア-Hidalogo(2004/4/25)

Native Americanと白人を両親に持つ男が野生馬-マスタングと砂漠を横断するレースに挑む。正義の味方アメリカ人はアラブの地においても卑怯なアラブ人の策略をはねのけ並み居る血統正しいアラブ馬をけちらし正々堂々と勝利、アラブの親玉とも仲良くなりました、というほど単純な物語ではない。

そうではないのだが、如何せん砂漠のレースが映像的に単調だ。いやまあ何も無く何もおこらない孤独で過酷な道のりなのだろうけどね。あくびは出ないが、手に汗握ることなく淡々と映画は進み終わった。中だるみも有るけど、値段を落としたくなるほどひどくはないし。最後の追い込みと星条旗ではなく自分の旗をかかげるところはよかったと思うけど。

汚いアラゴルンのスタイル以外何故か格好良く見えない不思議な俳優ヴィゴ・モーテンセンが主役。唯一面白かったのは親分の娘と何かしただろう、と言われ去勢の危機に瀕する男が

「OK牧場の決闘について聞きたくないか?」

とかなんとか話をつないで難を逃れようとするところ。をを、ここからアラビアン・ナイトの世界に突入かと思えばもちろんそんなことはないのだが。


真珠の耳飾りの少女-Girl with a pearl earring(2004/4/18)

有名なフェルメールの絵を題材とした映画。この絵のモデルが誰かは本当のところは不明らしいのだが、映画ではフェルメール家に来た使用人(見習い)がモデルでした、ということになっている。

基本的にはそれだけで何も起こらない映画だ。後から思い返せばそれなりに(密やかな形であれ)エピソードが盛り込まれていたことに気がつくのだが、映画はただ淡々と進んだように思える。主人公の女性、それにコリン・ファースの演技からは、たとえば芸術にかける狂気や思いもしない美術的感性に目覚めるとまどいといった物を感じることはできない。凡人たるフェルメールの奥さんはよくわかったけどね。取り乱す気持ちはわかるけど、あの絵を見て

"Obscene"

の一言ですませちゃあ、そりゃ画家たる旦那に描いてはもらえないよ。

では全く見所が無いかと言えばそうではない。もし私のようにさらっとでもフェルメールの絵を見たことがあれば、特に前半の何カ所かで

「おわっ。そのまんまやんけっ」

と思わず心の中で叫ぶことだろう。フェルメールの絵に何度か登場しているアトリエ、あの左手の窓から入る光がそのままスクリーンの上に再現されたかのように感じる。(きちっと絵を見ている人がどう思うか知らないけど)あるいは登場人物の服装とか。オスカーの撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞にノミネートされるのも宜なるかな、である。

しかしなあ。あのパトロン、あの絵を自分の部屋に置いてまじまじと眺められるとは、、、なんとうらやましい。


ドラムライン-Drumline(2004/4/17)

米国のあるサイトでこの映画が「よくできたB級映画」と評されているのを観た。観終わった今確かにそうだと思う。

Atlanta A&Tのマーチングバンドに才能はあるが生意気で問題ばかりおこす新入生がはいってくる。。という設定から想像されるとおりのことが起こる。上級生との衝突。問題を起こしバンドから除名されるが、最終的には「心をいれかえ」復帰する。こう書くとあまりにもパターン通りと思うのだが、その節々がきちんと真面目に作られている。

問題児を外してドラムラインをくみたいというリーダーに対し、Directorは

「おまえがリーダーとして大丈夫だと思っていたのは、自分のドラムよりもドラムラインを愛しているからだった。それを失ったら問題児無しでも指導はできない」

と言う場面。気に入らない部下が居るとき、知らず知らずのうちにその欠点探しに熱中してしまい、グループの事を忘れる、というのは思い当たる節がぼこぼこしていることだ。あるいは問題児が簡単には復帰しないこと。最後の最後に復帰し勝利を収めるときも、その男のソロで勝ったりせずきちんとドラムラインとしての勝負で勝つこと。

もちろん都合のいい話だし、機能していない設定も多々あるのだが、厳しい現実をきちんと踏まえた上でのストーリーだから観ていていろいろ考えさせられるものがある。米国のCollegeにはいろいろな形で金の流れが結びついている。そしてそれは常に「勝利」を要求するのだ。

最後50000人の前で演奏するときDirectorが「一度フィールドに立ったらEnjoyしてほしい」という。この映画の中でのその言葉は馬鹿な日本人が勘違いして使うような「悪ふざけ」でも「他人の迷惑考えない子供っぽい行動」でもなく、きっちりとした意味を持って響く。

そうしたストーリーに加えてバンドの演奏シーンがすばらしい。最後のドラムライン対決では思わずからだが動いたし、何より女性Dancer達のかっこいいこと!これが大学生、という設定なんだからなあ。。などと思う私は幼少の頃からマーチングバンドって好きなのだけどその「偏見」を除いても確かに「よくできたB級映画」になっていると思う。

ちなみに

Stanfordのマーチングバンドは「悪ふざけ」と「他人に迷惑書ける」ことばかりやっている連中でした。UCLAのバンドはすばらしかったけど、きっと彼らもものすごく努力しているんだろうなあ。


X-MEN2(2004/4/9)[DVD](1000円)

X-メンシリーズ第2作。前作はなんだか普通のお話だったしなあ、、などとうだうだ考えていたら劇場公開中に見逃してしまった。というわけで空いた時間のDVD鑑賞。これが意外なことに前作よりもずっとおもしろかった。

今回はミュータント絶滅に執念を燃やす人間がでてくる。というわけでガンダルフ様の悪者ミュータントグループ(今回人数が減って二人+一人だけど)とピカード船長率いるいいものミュータントグループは一時的に共闘することになる。ほうほう。話をこう持って行くかと「チャプター飛ばし」機能をほとんど使うこともなく見続けることができた。

今回人間にいいように使われているミュータントの人がでてくる。アジア系の女性だがこの人台詞が一言もなかったような気が。。青いお姉ちゃんは人間としての素顔をみせるけど、この人青い顔して観客の想像をかき立てているほうがいいかもしれない、、とか。まあそんなことを考えながら平和にあくびもせず時間を過ごすことができた。さて、三作目はどうなるのでしょうか。やっぱり身を挺して仲間を救ったあのお姉さんが白いミュータントになって戻ってくるのでしょうか。


フォーン・ブース - PHONE BOOTH(2003/11/24)

映画の冒頭、派手なスーツに身をかためた主人公が携帯で嘘800まじえた会話をしながらNew Yorkを歩いていく。そこを観れば誰もが

「この男は軽薄で中身のない広告屋だ」

と思う。

たまたま鳴った公衆電話にでたその男は姿の見えぬ狙撃手に狙われる。目的は何なのか。どうすればこの状況から脱出できるのか。一つのアイディアと一つの地点だけを使った映像が81分にまとめられる。あくびもせず、時計を見ずに最後まで観ることができたのは確か。

しかし脚本の根っこがなんともならない。一度目に主人公が携帯に手を伸ばしたときは警告の射撃が来た。をを、謎のスナイパーはそこまでお見通しか。しかし2度目には何もこない。「この結末はどうなるのだろう」と観客が身を乗り出すのをよそ目に脚本家はストーリーを放り出し、最後は無茶苦茶になる。

終わってみれば一つの疑問が頭に浮かぶ。映画の冒頭から主人公を含む誰もがわかっている事を、彼の口から言わせるだけのために二人殺したわけですか。そもそも何故こんなどこにでもいるような男とどうでもいい嘘を追い回す必要があったのか。スナイパーの理不尽な狂気を描くのならそれでもよかったのかもしれないが、そういう映画でもないようだし。

かくしてYahooの映画評で見た「傑作になったかもしれなかったのに」という文字だけが頭に残ることになる。


ジョニー・イングリッシュ- JOHNNY ENGLISH (2003/10/5)(1000円)

950円の部にいれてあるが、限りなく1080円に近い950円である。

ローワン・アトキンソン主演のスパイコメディ。Beanはたいそう性にあわなかった私だがこれは面白い。爆笑する場面は一カ所しかなかったし(それも日本人でなければ笑わないようなところだ)「後ろで何が起こっているか気がつかないで気取っている」ギャグが多少多すぎた感はあるがそれでも結構ケラケラ観ることができた。

登場人物で特に気に入ったのはアシスタントというか相棒のBoughである。半開きの口でJohnny Englishが巻き起こした混乱の後始末を一生懸命こなす。その割にはボスに対する尊敬の念を持ち続けているのも愉快。

お話はフランス人のある男が英国の王になろうとする。それをなんとか阻止しなければ、、というもの。ヨーロッパの王様というのはいろんな国の人がなったりしているから、こうした映画がコメディとして成り立つのだろう。日本の天皇が退位して韓国人の実業家が代わりに即位、なんてのは知能指数0のTV番組でも許されまい。最後にその陰謀が暴かれる部分もありきたりな「どっかん一発」とか「悪事を納めたビデオを一般公開」ではないのもの好ましい。

かくして観ている間頭を使わず楽しく過ごすことができた。誰にでも勧めるわけではないが、もしこれのPart2が作られたとしたら見に行くと思う。


座頭市(2003/9/15)

不思議な映画だ。全編通して950円のできというわけではない。1800円払ってもいいところと「金返せ」と言いたくなるようなところが混在している。

盲目の剣士座頭市。勝新太郎とかいう人が演じたその物語は記憶の中にぼんやりあるだけ。今や殆どの人は昔の座頭市を知らないのだから素直に作ればよいのに。この映画で座頭市は金髪である。この事実に制作者は何らかの意図をもたせたのかもしれないが、ストーリー上は何の意味もない。

他にも無駄としか思えないシーンはいくつもある。ガダルカナル・タカの出演シーン全部。雨中の回想シーンの7割、それにタップダンスのソロシーンをカットすればいい映画になったのになあ。。最後に歓喜の踊りを入れるのは悪い考えではないと思うが、撮影が悪いのか振り付けが悪いのか踊り手が悪いのか。River Danceなどと比べてどうにも力強さに欠ける。ならばいっそなかったほうがよかったのかもしれない。

それ以外の場面は確かに面白い。迫力とスピードにあふれた斬り合い、無駄で鬱陶しい説明を一切省いたストーリーは、最近CGとやたら面倒な主張を持った映画ばかり観ていた身にはとても新鮮に映る。娯楽チャンバラ映画、それで十分ではないかと。斬り合いの後累々とする死体の山を妙に冷静に眺められてしまう。

こんな面白いシーンを作ることができる人だから、余分なシーンもきっと自分で気がつきながらやっていることではないのかなあ、、わざと「いやー、ちょっとつまんないシーンいれちゃいました。てへっ」という感じで。などと根拠のない想像をしながら映画館を後にする。

あっそうそう。最後のシーンも無駄。


メラニーは行く-sweet home ALABAMA(2003/7/5)

いつもながら日本で映画につけられる宣伝文句には困惑させられる事が多い。(これは政治的に正しい表現を使ったつもり)「女性好感度=100%!男性不満度=100%?」とか「座右の銘:過去は女の燃えるゴミ」とか本編と関係ない言葉をつけるのも全ては売るためということなのだろうが。

New Yorkで成功したデザイナーが市長のハンサムな息子からプロポーズされる。しかし彼女は故郷にまだ離婚していない旦那がいたのだった。。タイプは違うが素敵な男性二人から真摯に愛される。(貧乏くじをひかされる市長の息子もとてもいいやつなのだ)ってのは確かに女性にとって都合のよい妄想かもしれない。しかしこの映画からはブリジット・ジョーンズの日記に感じたような不快感は感じられない。

Sweet home Alabama-この原題を知ったとき「やっぱり田舎がいいよね」映画かと思った。しかしこの映画では別にNew Yorkがこけにされているわけでもなく、男性がこけにされているわけでもない。唯一こけにされているとすれば、それは大統領選出馬をもくろむ女性政治家だけだ。メラニーに向かい旦那がこう言う。

"You have root and wings"

君は根っこも翼も持っている。確かに彼女はそうした女性として描かれている。

見終わった後少しご機嫌な気分になっていることに気がつく。何故だろう、と考え出すとこの映画は細かいところにもずいぶん気を遣って作られているという気がしてくる。エンドクレジットに流れる「みんなのその後」。あれほどNY行きを渋っていたメラニーの両親も職場を見に来たのか。あるいはゲイであることをばらされた旧友が「相手」を見つけるところとか。高校時代の友達とのパーティーは観ている方にまで楽しさが伝わってくるよう。それはまさしく"Sweet home Alabama"だ。

ただ「アメリカはBeverly HillsとNew Yorkとグランドキャニオンで構成されている」と思っているかつての私のような人にはわかりにくい要素が多いかもしれない。Alabamaとは、南部とはどんなところか。メラニーがしゃべる英語が最初と最後で変わっている事もアメリカ人ならきっと面白く感じられるのだろう。それを感じられない日本で売るのが難しいのはわかるが「ただし、カレ氏とこの映画を観る時にはご注意を。男性にはちょっと刺激が強すぎかも。」などと中身と関係ない宣伝文句をつけるのはいかがなものでございましょうか。

ダイ・アナザー・デイ -DIE ANOTHER DAY (2003/3/16)

007である。今度の敵は北朝鮮の将軍様ではなくそのどら息子。

いきなり北朝鮮につかまった007は捕虜交換の形で戻ってくる。その後窮地に追い込まれるのだが、誰もそんなことは気にしちゃいない。キューバに行ってアイスランドに行って例のごとくの大活躍。アカデミー賞女優でありながらのボンド・ガール ハル・ベリーは強かったり少し間抜けだったり。

もう一人のお姉さんはなんだかぼやけた顔だなあと思っているうちに映画が終わってしまった。どんどんぱちぱち結構なことだが、Anti-007とも言うべきXXXを観た後では数々の新兵器もパロディのようにも見えてしまう。それでもおもしろかったことは間違いないからパチパチ手を叩こう。ただ007がサーフィンとパラシュートで大波を乗り切るシーンだけはとても最近の映画とは思えないほど稚拙な合成だったなあ。。(他に覚えていることはないのか)

この映画が公開されたとき北朝鮮(そのあと韓国も)は抗議の声明を出したという。これには私の友人の言葉を書いておこう。

「あれだけ有能に描いてもらったら名誉と思うべきだ」

あるいは褒めすぎだと思って照れたのかも知れない。あの国が映画のネタくらいで収まって欲しいと思うのも本当のところだ。


歌え!フィッシャーマン (2003/2/23)

ノルウェーの小さな街-今や魚処理工場が一つしかなく、その工場と商店がお互いを支え合っている-の住民による男性合唱団を描いたドキュメンタリー

余分なナレーションは一つも入らず、全て登場人物-合唱団の団員-によって語られる。最高齢者は96才。合唱団の人数と同じくらいの友達が死んだと語る。元薬物中毒だったがこの街に初めて根を下ろした男。車いすに乗った指揮者。彼らが淡々と合唱団、街の暮らしについて語る。

少し単調かなと思えたところでロシアのムルマンスクへの公演旅行が描かれる。自ら共産主義者だと名乗る男は皆にバスの中でからかわれ、独ソ戦の記念碑を見て涙を流す。それはどこかピントがずれていて滑稽に思える。いよいよ開演前。リハーサルでのできが悪く、皆がとても緊張した表情。「緊張する必要はないんだ」と何度も繰り返し語る男。この映画で一番よかったのはここだと思う。それ以外はセリフが決められていなかったとしても所詮彼らが語ったこと。人間しゃべることとやることは全然違う。ここでは彼らの本当の表情をかいま見ることができ、それ故に親しみもわいたと思う。

最後のシーン、吹雪の中路上で皆が歌う。まつげは氷り、鼻からはつららが下がっている。冒頭にあった同じようなシーンとは全く違う感慨をもって彼らの歌を聴くことが出来た。


たそがれ清兵衛(2002/12/28)

TVで映画評論家と称している人間が「絶対おすすめ!」と叫んでいたとしてもその信頼度は東スポ(中スポ、大スポetc)以下だということは誰もが知っている。では映画を観る際、何を参考にするかと言えば、インターネット上にある掲示板の類である。あからさまに関係者の宣伝と思われる書き込みもあるが、一般大衆の声はごまかせない。

さて、普段滅多に邦画は観ない私だが、この映画の評判はあちこちの掲示板で大変よろしい。これは一つ観てみるか、という気になった。

五十石の貧乏侍。妻は長年結核を患った後死に、残ったのはボケが進んだ母と二人の娘。虫かごを作ってなんとか食いしのぐ生活だがそれなりに楽しくやってます。そこに宮沢りえ演じる女性が手伝いに来てくれるようになり、家の中がぱーっと明るくなる。ここまでの描写はとても良かった。宮沢りえを写真以外で観るのは久しぶりだが、とても落ち着いた輝きをはなっており美しい。

そこに清兵衛の剣の腕を見込み藩命が下る。切腹を拒否し家に立てこもった男を殺せというのだ。ここからテンポが一気に悪くなりなんとも退屈になる。一つ一つのシーンで作り手側の魂胆が見え透いてしまうような。クライマックスたるべき斬り合いのシーンもなんとも迫力に欠け、面白い黒澤映画にあったような斬り合いのシーンはもう観られないのだろうか、そんなことを考える。

その後に来るラスト一つ前のシーン。ここはちょっといいなと思う。(宮沢りえあっての話だが)最後のシーンではそれまでナレーションをしていた女性がいかにも「女優でございます」といった笑顔を浮かべる。それ自身は観る価値があるのかもしれないが映画の他の部分とつながっている気がしない。

かくして「高校の文化祭で上映するにはもってこいだがなぁ」と妙な感想をいだきながら映画館を後にする。とてもまじめに作ってあるとは思うのだけど。


ショウタイム-Show time(2002/11/23)

ロバート・デニーロとエディマーフィーを出演させて刑事物を作ってみました。

それ以外の何物でもない映画。二人がいかにも映画という理由からコンビとなり、いかにも映画という事件をおっかけ、いかにも映画という結末を迎える。それは全く予想通りなのだが、あくびがでなかったことは確か。であるからこの値段を付けるわけだ。ただし他の人に勧めるかと言えば

「頭を全く使わずに時間をつぶしたいのだったらいいかも」

ということになるが。

この平和な映画の中で唯一見所に成り得たかもしれないのは、特にエディーマーフィーの

「素人がいかにもがんばって演技してますという演技」

(彼は俳優志望の警官という設定なのだ)だったかもしれない。しかし不幸にしてその演技は彼の地の演技と区別がつかないのであった。


ロード・トゥ・パーディション-ROAD TO PERDITION (2002/10/20)

ギャングの父と子供の物語。ある映画評には「米国版子連れ狼」とあるが私は子連れ狼がどんな話だったか知らないのだ。しかしべたべたとした親子の情や、やくざ同士(ギャング同士というべきか)の義理だかルールだかはなんとなく日本のそうした映画を思わせる。

見終わって思う。何故これほど心に響く物が無いのだろう、と。最前列かつ端の方に座っていたがために画面はゆがんで見え、無理な姿勢で見続けたため最後には首がいたくなったがそれだけが理由とは思えない。家族が殺され逃亡しなければならないことについて子供が

「僕のせいだ」

と自分を責めるところ。つかの間の平和な日々。そこらでもっとメリハリがあってもいいと思うのだが映画は最初から最後まで淡々と単調子で進んでしまう。かくして死体が転がるシーンでも涙を流すよりは首を回し筋肉の疲れをとりたくなってしまうわけだ。

トム・ハンクスは常に眉間にしわを寄せしぶい父親兼殺し屋を好演していると思う。ポール・ニューマンは今ひとつ単調に見え、髪の毛が寂しくなりとうとう帽子をかぶらざるを得なくなったジュード・ロウ(相変わらず2枚目ではあるが)に至ってはほとんど付け足しのような役柄になっている。最後に彼がでてこなくても誰もそのことを気にもしなかったのではないかと思うほど。極めてまじめに造った映画という印象を受けるので金を返せとは思わないが。


スパイダーマン- SPIDER-MAN (2002/6/4)

最初のバットマン(映画)を観たのは何年前だったか。その異様な雰囲気に

「この国はどこかおかしいのではないか」

と真剣に考えた物だ。

その後聞いたところでは、かの国のコミックヒーローというのには脳天気なスーパーマンのようなものと、ダークな雰囲気に満ちた物があるとのこと。この映画がダーク一色とは思わないが、悪者をやっつけ、一般市民を救い出し拍手ぱちぱちで終わるような映画ではない。

スパイダーマンはビルの間をぴょんぴょんはねて大活躍だ。その映像は確かにすばらしく、高所恐怖症の私などは何度胃がひっくり返るような気分になったことか。それは胸がすっとするような光景かもしれないが、ストーリーはそう単純にはいかない。善と悪がすっぱりと切れず、愛が多ければ苦しみも増えるのもこの世の姿なのだろう。映画の最後には主人公がこう言う。

"This is my gift. This is my curse"(私の聞き取りが間違っていなければ)

それとは何の関係も無いのだが、何かの映画評で読んだ

「なぜヒロインがあんな不美人なんだ」

という意見には理があるように思える。


アトランティスのこころ -HEARTS IN ATLANTIS (2002/6/3)

予告編を観る。少年が住んでいる家の近くに老人がやってくる。その老人には不思議な力があるようだ。少年の楽しい夏の日が描かれ、そして何者かに追われていた老人は少年の努力にもかかわらずつれさられてしまう。

映画でもこれとほとんど同じ事が起こる。付け加わったのは少年の母親,それに彼が戦うべき暴漢だが、それはストーリーや全体のトーンに影響を与える物ではない。

なのに最後までしっかりと見入ってしまったのはどういうわけだろう。その夏とともに少年の日も終わった。明確な解りやすい主張も細かい説明もないまま映画は静かな余韻を心に残す。アンソニーホプキンスの控えめでありながらしっかりとした演技がそうさせているのか、あるいは監督の手腕か。子供の頃は全てが輝いていてまるでアトランティスのよう。私などは

「アトランティスとか言ったって、きっと日常生活は鬱陶しいことに満ちていたに違いないのだ」

などと思うがこれは私が大人かどうかは別としてもう子供ではない、ということなのだろう。観終わった後そんなことを考えた。


アザーズ-The OTHERS(2002/5/19)

カタカナにすると訳がわからないが、The othersとは「他の者達」とでも訳せばいいのか。こちらから観ればあちらが他の者、あちらから観ればこちらが他の者。

この題名の持つ意味がわかるのは映画を最後まで観てからである。つまり最後に種明かしがあるわけだ。その後で映画の細部を思い返し、

「をを。そういうことであったか。うまくできている」

とはこの映画に関してはあまり思わない。つまり今ひとつ話の作りが雑なように思えるのだ。ニコールキッドマンは熱演しているが、彼女の演技もやはり今ひとつなのかな、と思う。最初から最後まで緊張感が漂う。しかしそれだけでは2時間以上の映画をもたせることはできない。子供達への愛、それがあふれる故の狂気、少しほっとする場面、そうしたメリハリでもないと観ている方はだんだん疲れてくる。

そうはいうもの、適度にどきどきしながら最後まで観ることができたのは確か。トム・クルーズが制作者だけに名前を連ね、顔は出さなかったのは幸いなことであったか。


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注釈