題名:YZ姉妹(追加編)

五郎の入り口に戻る

日付:1998/1/25

まえがき  1章 2章 3章 おしまい おしまいの後に 4章 終章 蛇足編 あとがき 追加編 あとがき+登場人物のその後


追加編:その後に来たもの

1990年8月に某課AYAから大坪に宛てた手紙

”某課キャンプにYZ先生がくることになりました。五郎ちゃんがいなくなってからもYZ先生にあえるとは思ってなかったのでなんだか得した気分です”

 

1990年9月 YZ先生から大坪にきた手紙

”キャンプには東京娘にあえることだけを楽しみに参加しました。東京娘はいつも 私が男だったらなあと言います。”

 

1991年4月 YZ先生から大坪にきた手紙

”五郎ちゃんが日本にいたら話して見たいと思うことがたくさんあります。”

 

1991年7月 大坪とYZ先生の電話での会話

”まだまだ全然結婚するきなんかないわよ。五郎ちゃんこそ早く結婚したら?”

 

1991年11月 大坪とYZ先生の電話での会話

”Dちゃんから聞いてない?。あたし来年の4月に結婚するの。もう遊んだりはできないだろうけど お帰りなさいって言いたいから日本に戻ったら連絡してね。”

 

1991年12月 AYAからの手紙に同封されていたDの手紙

”YZ先生が来年の4月に結婚します。....この件は先生が自分自身で大坪さんに伝えたかったらしいが、連絡先がわからなかったようであります。 (最近電話してなかったでしょ!)

 

1992年4月X日。YZ先生の結婚式が南山教会で行われた。某社関係から出席したのはD とC。式が終わってみんなが挨拶をしようと並んでいた彼らは、その前に挨拶していたYZの教え子たちから”昔の男だ”と言われて閉口していたそうである。

 

その後彼女がどうしたか誰も知らない。知る手段もない。

 

追記:その後Dが聞いた情報によるともうすぐ最初の子供がうまれるのだそうである。

 

 次の章へ


注釈

手紙:この手紙は毎月彼女が送ってくれた給料明細に同封されていたものである。以下の手紙も同様。本文に戻る

 

電話での会話:YZ先生の同僚が留学して西海岸にいるので、遊びにくるとかいう話があっその打合せ。結局この話はなんだかわからないうちにボツになった。ちなみにこの同僚は留学にきて”やっぱりアメリカは開放的ね。自分でも信じられないようなことをするわ”とおっしゃっていたそうである。It's none of my businessであるが彼女はYellow CABという言葉の意味を知っているのだろうか。本文に戻る

 

連絡先がわからなかった:ちなみに私の住所はその年の4月から(手紙をもらったときから)かわっていない。ここは”面倒だった”と解釈するべきだろう。本文に戻る