映画評:ハートロッカー

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祝!アカデミー賞たくさん受賞。ということで本家より転載

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アカデミー作品賞をアバターと争っていると聞いて観に行った。

見終わっての感想は

"冗談だろ"

イラク駐留米軍の爆発物処理班。最初のシーケンスで隊長というかリーダーが爆死する。この場面ですでに私は映画から脱落。やっていることはよくわかるが、スクリーンから全然緊張感が伝わってこないのだ。リアルに真面目にやっているとは思うのだけど。

いや、作品賞とか監督賞とかたくさん候補になっているらしいからそのうち面白くなるのだ、と自分に言い聞かせる。ブラボー中隊が任務完了までにあと何日と映し出される。ふーん。となりの人間が携帯の画面をのぞき込むが別に批難する気にもなれない。

見ているうち

"早くここからだしてくれ"

という気にはぜんぜんなれなかった。観客を戦場につれていく、という点ではアカデミー賞とは全く無縁だったジャーヘッドに遥かに劣る。

なぜ私がついていけなかったのかの理由を言語化することはできないが、実際そうだからしょうがない。理由のひとつは"肝心なところをセリフでだらだら説明しよう"であるかもしれない。最後の任務が終了した直後、その後などセリフでぐだぐだ説明する。他にも

"わかりやすい死亡フラグを立てまくる軍医"

とか。神経質でわめきまわり同情し難い隊員とか。

かくして

"この映画のどこがアカデミー会員に受けたのか"

が最大の謎として残る。そう思ったのは私だけではないようで、エンドクレジットが流れ出した途端多くの観客が席をたったことを付記しておく。

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実話のもつ緊迫感、という点では、ジャーヘッドだけではなくUnited 93に比べるべくもない。しかし何がそれらとの違いか、ということになると私にはわからない。

人がくだす評価というのはしょせんこのようなものだ。何が良くて何が悪いかは"審査員"が決めることだし、こうした問題に関していえば客観的な基準すらない。

というわけでことしも"ごんざれふ大賞"を、と考えるが、、、まじめにやろうかな。

家庭のリビングに大型ディスプレイがおいてある。それは一体何をするべきなのか。

過去においてこの設問に対する答えは簡単だった。どこかから配信されてくる美しい映像を映し出す。できるだけ大型の画面で、できるだけ安価に。

しかし不幸にしてその方向に進んでいけば幸せが得られる時代は終を告げた。どんな機器にも、定められた方向に線を延長していけば-つまり自分がどちらに向かっているか気にせずにひたすら努力すれば-報われる、という幸せな時期が存在する。そしてそれがいつか終を告げるのも古今東西一貫した真実だ。

さて、表題の設問に戻る。"リビングにある大型ディスプレイは何をすべきかのか"

ひとつの答え-あるいは提案と呼ぶべきか-がこの文章である。

ちなみに、私が数年前から暖めている商品のアイデアがあるので、ここで披露しよう。題して「おかえりなさいテレビ」。ターゲットは、毎日のように9時とか10時にならないと家に帰らない・帰れない会社員。わざわざ番組予約をして見るほどテレビは好きではないが、まわりの話題についていけるぐらいは、ドラマとかニュースとかスポーツ番組は見ておきたい、と感じている人たち。

 操作はいたって簡単。家に帰ったら、スイッチをオンにするだけ。いきなりその日のテレビ番組のダイジェストが始まる。流れている映像に興味がなければ「スキップ」ボタンを押す、興味があれば「しばらく見る」ボタンを押す。それだけだ。最初はあまり賢くないが、使っているうちにだんだんと「この人は野球が好きだな」とか、「キムタクのファンなんだな」と理解して、ダイジェストの内容が充実してくる。その人が平均して何時ぐらいにテレビを消すのか(=寝るのか)も認識して、家に帰った時間から計算して適当な長さに編集してくれる。

Life is beautiful から引用

ターゲットを設定し、"つかれたオヤジ"に要求する操作を

電源On

だけに絞ることは正しい。また簡単なフィードバックを得るという方向性も良いだろう。


しかし私はこの提案に賛成しかねる。これは私が常々批判している

"タコツボ製造機"

になると考えるからだ。
野球ファンだと判断したプログラムはひたすら野球の中継、ニュースだけを編集してつかれたオヤジに送り続ける。しかしある日オヤジは気がつく。何も画面に映らなくなったのだ。どうしたことか、と彼は仕事中に2chを覗く。

そして初めて知るのだ。世間がプロ野球というものに対する関心を失っていたことを。(参考情報)

"売れる""売れない"で言えば、この構想に基づく受像機は"売れる"のかもしれない。しかし私の考えではそれは人間に幸せをもたらさない。

"常日頃見ているものと似たものをみたい"

などというのは人間の欲求のほんの一部でしかない。誰かがつけっぱなしにしたTVをふと見て全く新しい分野に目覚めることはないだろうか?

人間は

"自分が過去に見たのと類似のものをみたい"

という欲求と

"少し新しい物を知りたい"

という欲求の間で揺れ動いているものだと考える。実際Goromi-Tubeを使っていて最近多用するのは

"あなたへのおすすめ"

機能だ。(ちなみにこれはGoogle Accountを利用してログインしないと使えない)自分が"お気に入り"にいれた動画を見返すよりもその機能を使うことが遥かに多い。さらには"Other"機能を使うことも増えてきた。自分が今までに見たものとは全く違うもの、とにかく何か別のものをみせろ、という欲求は必ず存在しているし、"リビングに置かれた大型ディスプレイ"に必要な機能だと考えるのだ。

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とかなんとか文句ばかり書いていると

批判だけなら能なしサラリーマンでもできる

といわれてしまう。確かにそれは事実なのだが、"じゃあお前は何を提案するのだ"という問に対して(誰も聞かないと思うけど)二つ提案をしておく。

ひとつはGoromi-tube。基本的にこれは流しっぱなしである。アクセスすれば何かが始まり、延々動画が再生される。しかし"何か別の"とか"おすすめ"とかを選択できるようになっている。PC上のアプリなのでマウス操作が必要だが、家電に搭載されれば、少数キーのリモコンで容易に操作できるはずだ。(本当はこれを優雅に操作するためのリモコンについてもアイディアがあるのだが、それはまた別の機会に)

でもねえ、これ誰も使ってくれないんだよねえ。。というわけでアイディア倒れは明白。いいんだ、自分は楽しく使ってるから(と石を蹴る)

もうひとつは、いつぞやかのブロガーイベントで提案した

""

としての大型ディスプレイである。

ソーシャルメディアがここまで流行ったことは何を意味しているか。今やTVを見ていた時間はソーシャルメディアにアクセする時間に吸い取られてしまっているのだ。

それは

"自分が知っている人間が何を言っているか行っているか"

に人間はとても興味を持つ、ということではなかろうか。

であればだよ

TV局の下請け会社が心血をそそいで作った番組(-あるいはそのダイジェスト-)より、自分の子どもが昼間に"大型ディスプレイ"の前で何をしていたか、つかれたオヤジにとってはそちらのほうが心にしみるのではなかろうか。

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この文章で私は"TV"ではなく"リビングに置かれた大型ディスプレイ"という言葉を使っている。もうそう考えるべき時期ではないかと思うのだがいかがだろうか。

みんなで知恵を出し合おう

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というわけでいきなり引用

確かに「ユーザー・エクスペリエンス(おもてなし)」とか「ライフスタイルへのインパクト」重視のもの作りは、定量化ができなし、大失敗の可能性もあるので、「出る杭は打たれる」型の日本の会社では難しいのかも知れないが、そろそろ意識を切り替えないと手遅れになる。「ユーザーにどんな体験をしてほしいか」をまず第一に考え、カタログスペックにこだわらずに魂のこもった商品作りをする。

via: Life is beautiful: 私からの提案:おかえりなさいテレビ

中島氏の提案に対して、コメント欄でいくつか意見が寄せられている。
たとえばこんなものがある。

疲れて帰った時にTV見たいとは思いませんし、TVが勝手な基準で録画したのを見させられるくらいなら、全チャンネル丸撮りしたのをタイトルサーチした方がいいです。
番組を見る主導権は私にありますから。

via: Life is beautiful: 私からの提案:おかえりなさいテレビ

しかりこれも正しい意見だ。私が中島氏の提案にたいしてどのような意見を持ち、どのような提案をするかは近日中にここで述べるが、本日言いたいことはそのことではない。

こうした"魂のこもった製品"は合議制では生まれない、ということなのだ。いくつもの"正しい意見"の最小公倍数だか最大公約数をとっていった結果が日本の家電業界ではないのか。つまるところは

"結局おもしろくない製品"

のオンパレードである。

今までと違っているということは失敗の可能性も高い、ということである。しかしそれを"社内の合意をとるためにまとめる"のではなく、反社会的ではない最小限のエッジを丸めた形でそのまま世の中に出す。

Googleのサービスもいつも議論のネタになるが、結局検索もGoogle mapもGmailも大変普及している。AppleのiPhoneが出た時に

"頭のいい人たち"

がどのような批判をしていたかはこのブログでも何度も取り上げた。しかし結果はどうだろうか?

となるとたとえば

"日本でもハード込みで新しいサービスを手掛けるベンチャーがガンガンでてきてほしい"

ということになるのかもしれないが、CEREVoのあり様を見ていると、、、と考えてはいかんのだな。

というわけで多くの人の共感を呼んでいるこの記事

技術部長:プラットフォームですか

副社長:まだ分からんのか、Androidだよ。うちのテレビにAndroidを載せて、我が社のテレビを「クラウド化」するんだ。「クラウド・テレビ」の時代のリーダーシップを取るんだ。

技術部長:「クラウド・テレビ」ですか。それとAndroidとどう関連するんですか?

via: Life is beautiful: とある家電メーカーでの会話:クラウドテレビ編

冗談抜きに

"おかしい。うちの会社の最高機密が漏れている"

と思った人は多かろう。この記事を読んでちょっとだけ苦笑し、そのあとこの記事と同じことを始められる人は日本の大企業で出世する資格を持っている。

ノモンハンの後にジューコフが言った言葉は現在も当てはまると多くの人が指摘するところではあるが、変化は一向に起きない。ニュースを見ていても最近日本の家電メーカーの影はすっかり薄くなった。90年代の絶頂期を知っている身としてはいささかさびしい思いもするが、まあ人ごとなので気にしない。その頃はソニーがAppleを買収するかということが本気で論じられていたのだ。

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さて、話かわって

質問はずばり「薄型テレビ・デジカメ・DVDレコーダに続く、次の三種の神器は何?」である。

via: Life is beautiful: 意見・アイデア募集:次の「三種の神器」は何?

に私はこう答えた

・個人用携帯情報機器(これは現在iPhoneがその役割を担っている)
・家庭用据え付け情報機器(これには誰も成功していない)
・オヤジ用一人になれる場所製造機(誰か作って)

その変化が望ましいものかどうかは別として、マスメディアに費やされる時間は減少し、ソーシャルネットに費やされる時間が増加していることは間違いないだろう。それがどこかで止まるのかどちらからが消えてしまうのかは今のところわからない。

1番目と2番目はそうしたソーシャルメディアの端末であるが、性質が異なっている。個人で持ち運ぶものと、家庭に(つまりかつてはTVがあった位置に)座るものは違うのだ。そして2番目の情報機器の正解はいまだ誰も知らない。目指しているメーカはたくさんあるが、誰も成功していないのだ。家族がみんなで楽しめるもの。それはなんでしょうかね。

3番目は私が切に望んでいるもの。何度か指摘したことだが、数10年前はオフィスを離れれば仕事から離れることができた。今はどこでもメールやら電話がチェックできてしまう。私のような怠け者には耐えがたい。

とはいえ"皆で50年代に戻ろう"という呼びかけは無意味だ。さて、情報のアクセスを可能にしながらオヤジが閉じこもるにはどういう方法があるでしょうか。。という問題意識だけは持っているのだが。

映画評:しあわせの隠れ場所

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つかれて人生がいやになった時は本家から転載

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私にとって地雷源と化しているサンドラ某だが、アカデミー賞主演女優賞の候補になったと聞いたので観に行った。

見終わっての感想は

"冗談だろ"

行き場所がなくさまよっていた高校生を、ある裕福な夫妻が迎え入れる。彼の勉強の面倒をみてやり、ようやくフットボールに入部が認めら れる。大活躍して大学からスカウトが山ほどくる。しかしDivision 1Aに入部するためにはまだ点数が足りない。必死に勉強してようやく合格したと思えば、、

という実話に基づくお話なのだそうな。コメディではないのだが、やっていることはいつものサンドラ某のラブコメと一緒。全く型通り。で あるからして、成功の途中でなにか"困難"が来るはずだと思う。あれこれ想像しながら身構えているとそれは、、どうでもいいものだった。そこからの"回復"もあっさりと。

途中本物のCollege Footballのコーチが山ほど登場し、手馴れた"高校生へのスカウト"を演じる。流石に"演技慣れ"している人たちだが、こういう"素人出演の内輪受け"を延々観させられても観客-特に日本 の観客-は退屈するだけだ。

また何が気持ち悪いといって、裕福な夫妻が完璧に"良い人"なのだな。それだけではたらず(これもサンドラ某にはいつものことだが)セ リフで"私は良い人なのだ"と宣言しなくては気が済まない。

"私が彼の人生を変えてるんじゃないの。彼が私の人生を変えてるの"

というセリフ自体はいいも のだと思うが、映画の中では完全に浮いている。世の中には自分のベッドを持ったことがない人がいることを知り、自分が行ったことのない治安の悪いエリアに行くことがそんなにすごいことなのか。

ディ パーテッドが作品賞をとる世の中であるからして、この映画のサンドラ某が主演女優賞をとっても驚かない。しかしその背後に何があるかは知りたい気がする。とか書きながらノミネート一覧を見てみれば、、何?作品賞にもノミネート?

とはいえ

米国の大学でFootballをするということがどんなことが垣間見られるのは面白い。成績が一定以上じゃないと入部すらできない。("協力"をほのめかす場面もあるが)これは見習ってもいい部分ではないかと思うのだが。

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サンドラ某の演技が、、よかったんですかねえ。私にはわかりませんでしたが。

作品として、、おもしろいんですかねえこれが。作品賞ノミネートも冗談としか思えない。いやだって、グラン・トリノが(去年だけど)作品賞にノミネートされてないんだよ?

私にとってはNotre DameのHead Coachである、ルー・ホルツがこんなところにいたのか、というのが唯一の驚きか。

サンドラ某の日本公開映画は、軒並み560円以下(私にとっては)なのだが、こうして映画が作り続けられること自体、彼女が成功していることを意味しているのだろう。

学校の勉強は役に立たない?

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昨日はここで読むことができた記事である。今はログインが必要なのでうろ覚えでかく。

Q:今から卒業までに何を勉強すればいいでしょうか
A:学校で学んだことは、実践の現場では役に立ちません。したがって思考方法とか発想法とか、ほにゃらかを学んでください。

よく聞く言葉だ。

さて、同じくよく聞く言葉として

"社会にでると、学生のころもっと勉強しておけばよかったと思う"

というものがある。私に限って言えば、社会にでてから勉強したいことが増えた。思わぬ理由で再び学生になったわけだが、その時履修したosi 7layersに関する講義は今でも役にたっている。

この二つの"よく聞く言葉"は矛盾している。

これにはいくつかの理由があるのだろう。

・そもそも"仕事"というのは実に多岐にわたっている。きわめてせまい専門知識を要求される分野もきっとあるのだろう。そうした場面で学校の勉強が役に立たない、というのは理解できる。

・逆に少なくとも私が経験してきたいくつかの仕事では何が必要になるかは前もって全く予想できないことが多かった。学校をでて15年もしてエントロピーとエンタルピーとかいう言葉を聞くなど誰が予想できただろうか?

完全に頭から抜けてしまった項目も多い。しかし一度社会人になった後意識的に履修した科目はいずれも-少なくとも基礎としては-役にたっている。債権を購入するとはどういうことか。RDBとはどんなものか。(そういえば当時はo-r mapperなんて言葉はなかったな)統計の考え方とは。Micro Economicsとはどんな学問なのか

というわけで

もし私が同じ問いをなげかけられたとしたらこう答えると思う。

A:自分に全く縁がなかったけど、名前だけは知っている分野についてどんなことが行われているか、どのようなものの考え方をしているかわかる程度に学んではいかがでしょう。そうした知識はいろいろな形で役に立ちます。

ちなみにMicro Economicsが、operations Researchもはだしで逃げ出すほど難しい数学を使っているのを知った時には軽いカルチャーショックを受けた。またそれが難しいだけで何の役にも立たないことも実に興味深かった。

いきなり引用から始める

革新的な着想を生み出すのは、エンジニアであろうとマーケティング担当者であろうと、デザイナであろうと構わない。ただ、その人が深い洞察力をもって問題を理解し、新たな着想に至ることができるかどうかが問題である。そのための素材として、ユーザー調査にもとづく問題点の把握は有用であると考える。

via: ノーマンの間違い - 創造的ユーザビリティと標準的ユーザビリティ/HCD-Net通信 #19 | Web担当者Forum

私はノーマンの意見により共感を覚える。"ユーザ調査による問題点の把握"なんかいくらしたって革新的な発想には結びつかない。それはほとどの場合"より速く、快適に乗れる馬車"を生み出すだけなのだ。

黒須氏の意見に説得力がないのは、実例が伴っていないからではないかと思う。逆にノーマンの意見をサポートする実例は歴史をみれば事欠かない。

・ライト兄弟も、リリエンタールもユーザ調査なんかしなかった。というかあの時点でどれだけユーザ調査やったところで"空を飛ぶ"ニーズなんか生まれるはずはなかった

・パーソナルコンピュータの出現もユーザのニーズに基づくものではない。

・何度か書いた昔話だが、Googleが生まれる直前"検索エンジンの競争は終わった。これからはポータルとしてどれだけ使いやすいかが重要だ"という意見が支配的だった。あの時点で"よりよい検索エンジン"の必要性にたどりついていた人がどれだけいたのか

その発想を生み出すのが誰でも構わない、というのには半分だけ同意するのだが、、まあそれは別の話。

というわけで黒須氏も自分の主張をサポートする実例を挙げてはいかがなものかなあ、と思った次第である。

映画評:インフォーマント!

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疲れ切り人生がいやになった日は本家から転載。

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最初に機内で見たときは

"なんだか地味な画面だなあ。主役も腹のでたおっさんだし"

と思って数分でやめてしまった。

それから一月程してまた飛行機にのる。するとまたやっている。一度見てみるか。すると最初のクレジットで主役がマット・デイモンである ことを知る。ううむ。見事に体重を増やしたなあ。驚いていると監督がソダーバーグであることを知る。これは見なくては。

主人公は食品工場に務めている男。生産ラインに細菌が混入するトラブルに悩まされている。ところがある日

"日本企業から電話があった。 細菌混入は奴らのサボタージュだった。解決に10億円を要求してきた"

と上役に報告する。その調査にFBIが関与してきたところから話が大きくなる。そうか、日本企業は悪いヤツだ、と思うが 主人公の態度にはどこかひっかかるものがある。どうなるのかな、と見ていると彼はFBIにこっそりと語り始める。日本企業からの脅迫などとはケタの違う大きな犯罪について。

をを、これは企業犯罪と戦う勇気ある個人の物語か、と思うがそれで落ち着くわけでもない。音楽が妙にコメディタッチなのだ。 会社に強制捜査が入る場面でも、なんだか陽気な音楽が流れている。これはどうしたことか。すると

"会社の犯罪を勇気を持って暴く"

はずの主人公にもなんだか妙な点があることに気がつく。そもそもこの男は何をしていたのだ。

そこから軽快な音楽をバックに話は妙な方へ妙な方へ展開を続け、ついにはデイモンの"正体"が明かされる。

英語のWikipediaを見てみると、デイモン演じる男、事件が実在のものであったことがわかる。しかし右往左往し続ける登場人物たちの姿は、一歩離れてみればコメディとしか言いようがない。軽快な音楽をバックに語るしかないのだ。企業と戦う個人の姿を真面目に描いた映画エ リン・ブロコビッチを作った監督は、この事件をそう受け取ったのだろう。

かくして最初"なんだか地味"と思った映画は"なるほど。ソダーバーグが作るわけだ"と納得のエンディングを迎える。私は知らなかったけど、これ日本でも公開されてたんですね。

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地味だけど楽しい映画。ソダーバーグは本当にいろいろな映画を撮る人だな。

目指すところはSF

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いや、もうつり気味に何を書いても誰も読んでいないことを確信しているので、書いてしまうのだ。

研究といってもいろいろな種類があることは承知している。その中で私が目指しているのは"SF"だ。

ここで私はSFという言葉をどのような意味で用いているか。

既存の科学法則、科学技術に最低限の反則を持ち込み、その上で何がおこるか、どのような世界が展開するかを記述する

というのをSFとよぼう。

私が作ろうとしているものもスタンスは同じだ。今ないものだから、それが存在していないのには理由がある。誰もが気がついていない、早い者勝ちというのは私が目指すところではない。そういうのは、スピード自慢のベンチャー会社に目指してもらえばよい。

システムを構成する技術に最小限の反則を持ち込む、つまりまだ一般に使用するには制限が多い(スケーラビリティ、保守性、その他において)技術を利用することで、どのような世界を開くことができるのか、それを示し、その開かれる世界が興味深いことが重要だと思うのだ。

もしその世界が興味深いものであるならば、その"反則"を取り除くにはどうすればいいか、という次の質問が提起されることになる。

その"反則を取り除く"というのは私にとって話の半分でしかない。その結果もたらされる"物語"が興味深くなければならないのだ。

などと何を書いているんだろうねえ。。

というわけで本家から転載

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予告編を見る。ラグビーワールドカップまで一年というのに、南アフリカは国際試合で惨敗する。しかし話からして一年後には彼らが優勝するに決まっているのだ。

と いうわけで映画のお約束としてこんな話になるのだろう。まず人種対立があるが、それを乗り越える。鬼コーチが来てチームを鍛え直す。ワールドカップでは" 予想外"の快進撃を続ける。さあ、明日は決勝だ、というところで思わぬ問題が持ち上がる。案の定決勝は苦しい戦いとなる。しかし後半になり、チームの心が ひとつの奇跡を呼ぶ。そしてあのダメチームは奇跡の優勝を成し遂げるのであった。。

この映画にはそうした要素がひとつもない。秘訣もなければ必殺技もない。代わりに存在しているのは、ネルソン・マンデラである。おそらくこの映画の製作者は、その姿を真面目に、丁寧に描けば私が妄想したような映画のお約束事は不要だと考えたのだろう。

27 年自分を投獄した白人"ども"ではあるが、彼らは祖国を運営していくのに必要不可欠。マンデラは南アフリカの大統領として、私怨を超えたところ で天下と対峙している。そしてアパルトヘイトの象徴と思われていたラグビーチームの名前、カラーをそのままに、新しい南アフリカの象徴としてワールドカッ プ制覇を期待する。

モーガン・フリーマンの演技がすばらしい。みているうち

"これに引換え我が国の政治屋は"

と何度も思うことになる。

"I am the master of my fate:
I am the captain of my soul."

などと字面で見れば"ケッ"と思うが、27年投獄されそれでもくじけなかった人間の口からでればデイモンならずとも何かを考えるわけだ。(ちなみにこの詩はオクラホマシティ連邦ビル爆破事件で死刑になった犯人も遺書の中で引用したらしいが。)

かくして映画は実在の人物とシーンを映しながら静かに終わる。(映画らしいことは)何も起こらなかったのに何かを観客の心に残しながら。さすがはイーストウッドというべきか。

とほめながら、スタジアム上空を飛ぶ飛行機のシーンは、演出、映像ともに稚拙だった。あれはいったいなんだったのだろう。(元となる事実はあるらしいが)
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イーストウッドの映画は見た後"どーん"となることが多いのだが、この映画にはそうした要素はない。

この映画を見た後何を調べたかといえば、南アフリカの現状は"これでもよかった"といえるものなのか、なんらかの失政に帰することができるものなのか、という点である。

2chにヨハネスブルグのコピペが張られるようになってから久しい。いつかNHKでやっていたドキュメンタリーでは、モールに頼んでもいない警備会社が入り込み、警備会社同士でいさかいを起こすシーンが写されていた。

ブラッドダイアモンドではTIA,This is Africaという言葉が何度も出てくる。そうつぶやくしかない現状は南アフリカでも同じことなのか。私がであった南アフリカ人(白人でたった二人だが)はとても親切で礼儀正しい人だった。

AIDSの感染率が20%をこえ、平均寿命が40歳を切るといわれている現状はどのように考えればいいのか。この映画で描かれている人たちはそのような現状に関係があるのかないのか、そんなことをしばらく調べていた。

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