国家存亡の危機

2005-12-26 07:16

最近愛読しているLife is beautifulの「ディベートは楽しくするもの したいもの」より

関社長に言わせると、日本人には、ネットの世界であれリアルの世界であれ、自分の意見を否定されるとそれを自分の人格を全否定されたと誤解して、怒ってしまったり、しょげてしまう人が多いと言う。

これには全く同感だ。別の例を挙げよう。

Stanford Univ.とCalは犬猿の仲である。Footballのシーズン最終戦はそれは盛り上がるわけです。お互いをののしってね。

でも観客席では、両校のファンは不思議なくらい平和に共存している。片方が喜ぶ場面では片方はしょげるのだが、だからといって喧嘩になることはない。皆

「これはスポーツなんだから。お互いをののしりあうのは、楽しむためのスパイス」

と認識しているのだろう。

Stanfordが勝つほうがもちろん望ましいのだが、CALが勝ったところで(たぶん)地球が終わるわけでもなければファンの人格が否定されるわけでもない。こういう余裕を持った態度というのは米国の文化から学びたい点の一つだ。

ディベートでも同じことが言えるのではないか。異なる意見が存在して当然と考えていれば、反対だろうが賛成だろうが意見を交わせばよい。反対されたからといって地球が終わるわけじゃないんだから。

今の掲示板は知らないけど、その昔news groupを愛読していたころ、英語でのnews groupに比べ、日本語のそれはどうも議論が浅いしすぐ感情的になるのが気になっていた。これもなんでも「国家存亡の危機」といきりたってしまう日本人の性向が関係しているのでは、と思う。


紅白歌合戦

2005-12-25 10:00



去年はマツケンサンバだけみたかった。


今年はみのもんたの顔をみたくないので見ない。NHKのなりふりかまわなさぶりはここ数年加速している気がする。




2001年宇宙の旅

2005-12-24 06:17

の小説版を読む。子守の合間に。

最初に読んだときはその未来の設定に何の違和感も覚えなかったが、2005年ともなるとさすがにいくつかの点が気になる。部屋にタイプライターがあったりね。

あとはディスカバリー号の中で飛行士達が電子的に転送されてきた新聞を読むシーン。小説の中ではまともな新聞だけ読んでいるのだが、今ならば絶対2chもチェックするはずだ。「ボーマンだけが帰還することを願うスレ」とか「ディスカバリー号は存在しない!」とか「木星計画をガンダム風に語れ」いろいろなスレッドをチェックするだろう。時にはそっと書き込みもするが、「神」と呼ばれるような行為はやはりはばかられるのであった。

映画の方ではやはりCGの異常な発達が気になる点。これだけCGが発達したのは偶然だったのだろうか必然だったのだろうか。今読んでいるiConとかからかいま見えるのは、それがほぼ偶然の連続によるものだった、ということだが。興味から必然性のない進歩がおこる。みんなが「おわっ」と思う。人と金が集まり発達する。

この「おわっ」というのががあると思いもしない領域が発達していったりするのだろうか。五十嵐氏のTeddyはスケッチベースの3Dモデリングという分野を活性化させた。今言われているインターネットだってそうに違いない。昔の地味なText baseからこんな状態になったのはブラウザを初めて見た人がみんな「おわっ」となったからだ。(だと思う)

もう一つこの小説を書いている時点で予測がつかなかっただろうことは、お互いに接続する手段を手に入れた時、これだけの人間がこれだけの情報を公開するという現象だ。理屈で考えれば確かに馬鹿げている。そんなもの書いたって誰が読むんだ?他人にそんな文章読ませて何の得があるんだ?しかし結果はごらんの通り。今や大抵の質問にはGoogle様が回答してくださる。これは正に驚くべきことではないだろうか。

などと真面目な話になってきたし、長くなりそうなのでとりあえずここまで。



12月も後半になると

2005-12-21 05:03



Mac World Expo @ San Fransiscoが近づいてくる。楽しみだなあ。今年は何が発表されるだろう。


Intel Macが発表されるかとか発表されないとか、、果たしてどちらだろう。個人的には早く出して欲しい。しかしこればっかりは。。わからんなあ。


私の様なMac Userではない人たちにとってはiPodの新型がでるかどうか、が関心の的だろう。思えば世の中変わったなあ。Mac WorldはMac User以外にとってあまり意味のないイベントだったのだが。


でもいいんだ。新しいのがでても買えないし。。512M iPod Shuffleで十分なのさ。。nanoなんか欲しくないやい。




BillとSteve

2005-12-19 08:27


天才ビル・ゲイツがスティーブ・ジョブズのようなカリスマになれない理由

この記事では、ビルとスティーブがそれぞれ大学で行ったスピーチを比較している。

私はJobsを一度だけ間近でみたことがある。Next Worldとかいう誰がいるのかわからないイベントを開いている会場にたまたま立ち寄ったのだ(多分友達とSan Fransisco観光でもしていたのではなかろうか)そこにひげを生やしたJobsがいた。

友達は「サインをもらおうか」と言ったが、私はただ歩き去った。当時の私はあまりJobsが好きではなかったからだ。Nextは一部のマニアの間で熱狂的に支持されていたが、私には何が良いのかわからなかったし。(とはいいつつも、学校であれこれやるときはNextを端末として愛用していた。操作系がmacににた感じで使いやすかったからだ)

当時のJobsがどのような状態にあったか今ではiConを読み知ることができる。彼はまだどん底にいたわけではない。それからさらに状況は悪化し、そして多くの幸運と彼の努力によりPixarは成功、JobsはAppleへの返り咲きを果たす。

最近の彼は眼鏡をかけ、頭ははげあがっている。しかし1984年、Macを紹介したときのJobsよりも最近のJobsの方が格段に良い顔をしていると思う。プレゼンにも余計な飾りが取れ、自信と確信がうかがえる。

未だに自分の伝記が気に入らなければその出版社の本を全てApple Storeから引き上げさせるような性格ではある。しかし彼がたどってきた道を考えるとき、そこから彼は何かを学んだのではなかろうかと思わずにはいられない。

そうであってこそ、Stanfordでのスピーチも深い意味あいを持って聞くことができるわけだ。若いころのハンサムなJobsにはこのスピーチはできなかったに違いない。

一方のビルだが。。いいんじゃない。金儲け上手だし。仕事一生懸命やっているようだし。会社で使うならなんといってもWindowsでしょう。個人では絶対使わないけどね。両方が適度にまざった今の状態、というのは実は結構快適だったりする。


アクセス解析

2005-12-18 12:09



ここに書いてある内容にどうやって飛んできたか、、とアクセス解析結果を見てみる。


検索エンジンから飛んでくる人もいるのだが、検索ワードによってはかなり下位のほうにこのページがヒットすることもあるわけだ。例えば380件目とか。


それでも飛んでくる人がいる、というのはどういうことだろう。一つ考えられるのは、世の中で製品がどのように受け止められているのか半ば職業として調べている人がいるのではないか、ということだ。


だって普通の人は製品名を入力した後380件まで見ないと思う。さて、正解はいかに。




「次世代」ゲーム機の行く末

2005-12-16 07:10



Xbox 360の消費電力と騒音を調べる


ただ、やはり消費電力と騒音に関しては気になるところだ。特にゲームをプレイしている時にドライブから発生する騒音はかなり気になる。これは、ぜひとも改善して欲しい点だと言える。消費電力に関しては、3コアのマルチプロセッサに、ATIの最新GPUという構成を考えれば、この程度に収まっている、という言い方も可能だろう。これだけ高精細な3Dグラフィックスを再生する、ということを考えると、PC並の消費電力というのは致し方ないとも言える。


やはり「既に存在しているゲームマニア」のための機械となっているような。。XBOX-3,PS-4はどこに向かうつもりなのだろう。


「これだけの性能を持っていれば、これくらい」なんてのは普通の人間にはどうでもいいこと。


そりゃ「映像がきれい」とか「処理能力が高い」とかいうのはわかりやすい指標だけど、指標そのものが間違っているのならばそんな数値を上げることに意味はないんだよ。




責任者の役割

2005-12-15 10:16



Life is beautifulよりリーダーシップについて思い出したこと


プロジェクトの責任者の仕事は、「プロジェクトの成功に必要な作業の手配をする」だけでは終わらず、それらの作業が確実に実行されるようにして結果を出してこそ初めて評価されるものだ、そしてうまく行かないことがあっても決して他人のせいにしてはいけない、という認識である。


私は入社2年目から5年目までとても怖い上司の下で働いていた。出張旅費の清算書を出すのもずいぶんと心の準備をしてからでなくてはできなかった。8時始業の会社だったから、7時半から机の上で寝ている。そして8時になり後ろを振り向いたときに上司が休みだったりしないかなあ、と毎日考えていた。


今でもあの上司が言ったことの7割はいいがかりだったと思っている。しかし根はいい人だったし、今にして思えばあの悲惨な3年間のおかげで少しはまともなサラリーマンになったのではないかと。(つまりあの経験がなければもっとひどかったということだが)


そのとき、このブログで書かれていることを何度も叩き込まれた。できない?どうしてだ。こういう手があるだろう。くだらない言い訳をしている暇があれば、なんでも可能な事をやれ。どうしても雨が必要だというなら、雨乞い踊りでも何でもしてから文句を言え、と。


私はあの上司に比べると確かに甘い。そしてそれは部下にとっていいことなのか悪いことなのか。最近の言葉で言えば「コーチング」で部下に気づかせる、ということなのだろうが、ばしばし叩いて叩き込むやり方だってやはり有効なのではないだろうか。


などと考えている暇があったら実践するべきか。




実験住宅「ユビキタスホーム」へ引っ越してみた

2005-12-14 10:05



Mycom PC 美崎さんの記事


風呂のお湯の温度を調整するのに大苦戦し、フィノはまるで言うことを聞かず、ユビキタスホームといっても住んでみればオール電化の家との違いは説明しにくいなぁ、などと思いながら、日々は過ぎていく。


なんでも


今回のユビキタスホームの滞在実験では、生活に必要なエアコンのコントロール、テレビの操作はすべてフィノを通して行うように、というルールが課せられた。


なのだそうな。これは悪夢だ。今の音声認識はメーカーカタログになんと描いてあろうがとにかく恐ろしい代物だ。そしてこの場合学習するのはロボットではなく、人間なのであった。人間はいつの間にか機械相手のしゃべり方を学習してしまう。


全く思いつきで物を書くが「学習できないインタフェース」というのはどうだろう。常に予想とずれた結果が返ってくるのだ。人間同士というのはそういう傾向があるのだろうか、ないのだろうか。




すべての真実

2005-12-14 08:14




「すべての真実は三つの段階を経て認知される。まず嘲笑、次に反論、そして最後は自明の事として扱われるのである」



ショーペンハウエルの言葉だそうな。Defying Gravity Newton テクノロジーの誕生より。


この言葉を何度か思い返すことがある。そしてこの言葉を唱えていた人間があまりよいマネージャーでなかったことも思い出す。


Newton開発を描いたこの本を読むと、いくつも失敗の原因を見ることができる。一つだけ挙げておくと


「新しいものは絶対にうまく動かない」


という原則を無視し、新しいものをいくつもつめこもうとした点だ。特に開発言語を新しくしてかつ同時に開発しようとしたのは大きな間違いだっただろう。


思えばその後に予告されながら崩壊の運命をたどったCoplandでも同じような言葉を聴いた。新しいものをつめこむのだ、と。新しいものを詰め込んだものは必ず失敗する。これはかなりの再現性をもつ法則としていいのではないかと思う。




幕末インターネット

2005-12-13 07:09



http://d.hatena.ne.jp/yinamoto/20051211#p1


いかん。笑ってしまった。朝誰もいないオフィスで。


そういえば今はなき抹風というサイトに


「平安時代の宮中というのはなんとなくネットを想起させるものがある気がするのでした。」という文章があった。


あのサイトは本当にすばらしかった。当時ゴレと名乗っていた作者は今どこで何をしているのだろうか。物語には


「埋もれた才能を見つけ出し抜擢する」


エピソードが山のようにある。しかし現実には埋もれているのはゴミばかり。しかし彼女がフリーターまがいの生活をしていたことを思うとき、そういうことは本当にあるのかもしれん、と考えたりする。




日本IBMの取り組み

2005-12-06 08:19

日本IBM、ユーザーの“使い勝手”を研究するラボを大和事業所に新設

日本IBM、研究開発施設「DCE イノベーションラボ」を新設

将来の携帯電話は、ギャル仕様も老人仕様も思いのまま?

ユーザーに応じてUIを切り替える。むかーしからある話だけど、何故これがはやらないのか。問題はどこにあるのか。

使用頻度に応じてメニュー項目を自動的に切り替える機能は全く使われなかった。一つには

「世界知である確率、統計と人間の感覚(生活知)の違い」

があるように思える。統計的に見ればあなたは99.6%このメニューしか使いません、といわれたところで0.4%に遭遇すると

「メニューはどこだ」

と不快に感じる。その不快感は、99.6%使用時の「便利さ」を吹き飛ばすほどだ、とかなんとか。

しかしIBMが携帯はともかくとして自動車内のUIに注力しているというのは面白い話だなあ。

ついでに

デザインセンターのオフィス風景。好きな模型などをデスクに飾ってよいという

がでてるけど、IDEOなんかに比べるととっても机を整然とならべて堅い感じだなあ。日本ではIDEOみたいなオフィスってできないのだろうか。


文章orデータのたどり方

2005-12-02 11:48

セルフ・トラックバック

この文章の中で最も印象深かったのは以下の部分

ブログは、ウェブ日記の延長のように発達してきたという部分があるのですが、最近になって私のブログに出くわした方に、あえて日付順に読むことを強制する必要もないと思うわけです。日付やカテゴリーやタイトルにとらわれずに、ふらふらとさまようような感じの読み方ができるようなブログにしたいなぁと、思うわけです。


ふらふらさまよう。人間の興味というのはぽんぽん飛び回りふらふらするものだ、というのがGoromiを作りながら認識したこと。

一つのサイト内に適用すれば、例えばブログの新しい読み方ができるのだろうか?はてなのキーワードつながりではなく、完全にばらしてしまっているGoromiではなく。人間はどのように並べたいものなのだろうか?

またもや話は変わるがそもそも何故このブログを書き出したかといえば、「あっつ、面白いものみつけたのにどこで見たか忘れた」ということが多々有るからだ。ブログに書いておけば自分で探せる。でもってひょっとしたら誰かの役に立つかもしれない。(実際私は他人のブログから多大な恩恵を受けている)

というわけでこの記事もちゃんと記録しておこう。




OSとは

2005-12-01 16:41



Google OS を妄想すると未来が見えてくる!?


この記事を読んで昔から


「OSとは」


という定義を読んで釈然としなかったもやもやが晴れたような気がした。


「戦うプログラマー」ではOSとはホテルのようなもので、客にいろいろなサービスを提供するものだ、と書かれていた記憶が有る。


それを読んで「なるほど」と思っても実際PCの中で何をしているかは(理屈でわかっちゃいるのだけど)私のような天ぷらプログラマにはしっくりこないかった。


しかし確かにそうだ。レイヤーこそ違え、Googleが目指しているものはOSの定義そのものだ。APIを公開し、一台のPCではなくインターネットという巨大な世界のサービスを提供しようとしている。


従来のPC上のOSと最も異なる点は、さまざまな情報に満ち溢れている点だろう。そしてその多種多様な(という言葉が適当かどうかもわからないほどの)情報に人間がどうやって接するべきか。どのようなインタフェースがありえるのか、というのが目下のところ私の興味対象。


GoromiとGardsをもう少し違った形で結び付けられないだろうか。。。ととりあえず妄想はしてみる。


話は突然変わるが


こういう意見に手軽に触れる事ができるようになったのは、、ありがたいことだなあ。