2010-02-26 07:16
疲れ切り人生がいやになった日は本家から転載。
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最初に機内で見たときは
"なんだか地味な画面だなあ。主役も腹のでたおっさんだし"
と思って数分でやめてしまった。
それから一月程してまた飛行機にのる。するとまたやっている。一度見てみるか。すると最初のクレジットで主役がマット・デイモンである ことを知る。ううむ。見事に体重を増やしたなあ。驚いていると監督がソダーバーグであることを知る。これは見なくては。
主人公は食品工場に務めている男。生産ラインに細菌が混入するトラブルに悩まされている。ところがある日
"日本企業から電話があった。 細菌混入は奴らのサボタージュだった。解決に10億円を要求してきた"
と上役に報告する。その調査にFBIが関与してきたところから話が大きくなる。そうか、日本企業は悪いヤツだ、と思うが 主人公の態度にはどこかひっかかるものがある。どうなるのかな、と見ていると彼はFBIにこっそりと語り始める。日本企業からの脅迫などとはケタの違う大きな犯罪について。
をを、これは企業犯罪と戦う勇気ある個人の物語か、と思うがそれで落ち着くわけでもない。音楽が妙にコメディタッチなのだ。 会社に強制捜査が入る場面でも、なんだか陽気な音楽が流れている。これはどうしたことか。すると
"会社の犯罪を勇気を持って暴く"
はずの主人公にもなんだか妙な点があることに気がつく。そもそもこの男は何をしていたのだ。
そこから軽快な音楽をバックに話は妙な方へ妙な方へ展開を続け、ついにはデイモンの"正体"が明かされる。
英語のWikipediaを見てみると、デイモン演じる男、事件が実在のものであったことがわかる。しかし右往左往し続ける登場人物たちの姿は、一歩離れてみればコメディとしか言いようがない。軽快な音楽をバックに語るしかないのだ。企業と戦う個人の姿を真面目に描いた映画エ リン・ブロコビッチを作った監督は、この事件をそう受け取ったのだろう。
かくして最初"なんだか地味"と思った映画は"なるほど。ソダーバーグが作るわけだ"と納得のエンディングを迎える。私は知らなかったけど、これ日本でも公開されてたんですね。
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地味だけど楽しい映画。ソダーバーグは本当にいろいろな映画を撮る人だな。
2010-02-25 08:08
いや、もうつり気味に何を書いても誰も読んでいないことを確信しているので、書いてしまうのだ。
研究といってもいろいろな種類があることは承知している。その中で私が目指しているのは"SF"だ。
ここで私はSFという言葉をどのような意味で用いているか。
既存の科学法則、科学技術に最低限の反則を持ち込み、その上で何がおこるか、どのような世界が展開するかを記述する
というのをSFとよぼう。
私が作ろうとしているものもスタンスは同じだ。今ないものだから、それが存在していないのには理由がある。誰もが気がついていない、早い者勝ちというのは私が目指すところではない。そういうのは、スピード自慢のベンチャー会社に目指してもらえばよい。
システムを構成する技術に最小限の反則を持ち込む、つまりまだ一般に使用するには制限が多い(スケーラビリティ、保守性、その他において)技術を利用することで、どのような世界を開くことができるのか、それを示し、その開かれる世界が興味深いことが重要だと思うのだ。
もしその世界が興味深いものであるならば、その"反則"を取り除くにはどうすればいいか、という次の質問が提起されることになる。
その"反則を取り除く"というのは私にとって話の半分でしかない。その結果もたらされる"物語"が興味深くなければならないのだ。
などと何を書いているんだろうねえ。。
2010-02-12 08:30
というわけで本家から転載
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予告編を見る。ラグビーワールドカップまで一年というのに、南アフリカは国際試合で惨敗する。しかし話からして一年後には彼らが優勝するに決まっているのだ。
と いうわけで映画のお約束としてこんな話になるのだろう。まず人種対立があるが、それを乗り越える。鬼コーチが来てチームを鍛え直す。ワールドカップでは" 予想外"の快進撃を続ける。さあ、明日は決勝だ、というところで思わぬ問題が持ち上がる。案の定決勝は苦しい戦いとなる。しかし後半になり、チームの心が ひとつの奇跡を呼ぶ。そしてあのダメチームは奇跡の優勝を成し遂げるのであった。。
この映画にはそうした要素がひとつもない。秘訣もなければ必殺技もない。代わりに存在しているのは、ネルソン・マンデラである。おそらくこの映画の製作者は、その姿を真面目に、丁寧に描けば私が妄想したような映画のお約束事は不要だと考えたのだろう。
27 年自分を投獄した白人"ども"ではあるが、彼らは祖国を運営していくのに必要不可欠。マンデラは南アフリカの大統領として、私怨を超えたところ で天下と対峙している。そしてアパルトヘイトの象徴と思われていたラグビーチームの名前、カラーをそのままに、新しい南アフリカの象徴としてワールドカッ プ制覇を期待する。
モーガン・フリーマンの演技がすばらしい。みているうち
"これに引換え我が国の政治屋は"
と何度も思うことになる。
"I am the master of my fate:
I am the captain of my soul."
などと字面で見れば"ケッ"と思うが、27年投獄されそれでもくじけなかった人間の口からでればデイモンならずとも何かを考えるわけだ。(ちなみにこの詩はオクラホマシティ連邦ビル爆破事件で死刑になった犯人も遺書の中で引用したらしいが。)
かくして映画は実在の人物とシーンを映しながら静かに終わる。(映画らしいことは)何も起こらなかったのに何かを観客の心に残しながら。さすがはイーストウッドというべきか。
とほめながら、スタジアム上空を飛ぶ飛行機のシーンは、演出、映像ともに稚拙だった。あれはいったいなんだったのだろう。(元となる事実はあるらしいが)
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イーストウッドの映画は見た後"どーん"となることが多いのだが、この映画にはそうした要素はない。
この映画を見た後何を調べたかといえば、南アフリカの現状は"これでもよかった"といえるものなのか、なんらかの失政に帰することができるものなのか、という点である。
2chにヨハネスブルグのコピペが張られるようになってから久しい。いつかNHKでやっていたドキュメンタリーでは、モールに頼んでもいない警備会社が入り込み、警備会社同士でいさかいを起こすシーンが写されていた。
ブラッドダイアモンドではTIA,This is Africaという言葉が何度も出てくる。そうつぶやくしかない現状は南アフリカでも同じことなのか。私がであった南アフリカ人(白人でたった二人だが)はとても親切で礼儀正しい人だった。
AIDSの感染率が20%をこえ、平均寿命が40歳を切るといわれている現状はどのように考えればいいのか。この映画で描かれている人たちはそのような現状に関係があるのかないのか、そんなことをしばらく調べていた。
2010-02-12 08:07
まず最初に引用
なんというか、いまさら感たっぷりなのですが、プラナフ・ミストリーさんのSixthSenseテクノロジーがやっぱりすごいですね。
ちょっとビデオが長いので後回しにしていたのですが、見始めたら一気でしたよ・・・。もうすでに見ている人も多いでしょうが、まだ見ていない人はぜひどうぞ。テンションがうなぎのぼりになること間違いなしです。
via: プラナフ・ミストリーさんのSixthSenseテクノロジーで鳥肌がたった件・・・ - IDEA*IDEA ~ 百式管理人のライフハックブログ
というわけで田口氏のテンションをあげたビデオを見る。いかにもMIT Media Labo風な研究だなと思い調べてみればやっぱりそうだった。
この方向性は、もう10年以上前からずっと試行錯誤が続いている。この研究は
"ここまでやるか"
と
"デモのアイディア"
で卓越しているが、本質的に新しいものは何もない、、、と私などは思ってしまう。
というか山ほど作られたこういうデモがなぜ現実世界に一歩も足を踏み入れることができないか。そろそろそこらへんをちゃんとまとめて考察すべきと思うのだ。
観点としてはこうだ。これは技術の進歩-たとえば携帯型の燃料電池やプロジェクタのさらなる小型化-によって解決される問題なのか。そうではないのか。
まず実世界のオブジェクトを"間違えず"認識するところで躓く。どうしましょうか。RFIDのタグでも埋め込みましょうか。でも離れていたら誤認識の問題がありますよね。
どうします?そこをデモのお約束ですっとばして"これが未来だ"と言われてもねえ。
また"空中に文字をかく"のは一度やってみれば、その不自然さが分かる。デモ以外で2度とやろうとは思わない。その理由はどこにあるのか?
どうすれば解決できるのか?こうした問題をまじめに位置付け解決策を見出すのは研究じゃないんでしょうか。
2010-02-10 06:56
というわけで言ってきたのだ。
孫社長の意見に私は賛成だ。SmartPhoneとらくらくホン、この二つにはさまれたガラケーにはたして未来はあるのだろうか。またガラケー開発最前線で戦っている人たちはどのように考えているのだろうか。
当日私が考えたことは
"ガラケー開発者に迷いはない"
ということだ。印象的な部分だけ書いておく。この先を読んでくれる人に私の異常なスタンスを書いておく。私はiPhone原理主義者であり、会場で"Smartphoneだけ使っている人"として手をあげた数少ないうちのひとりであり、F-04B知らない人、といわれ手をあげたほんの数名のうちの一人である。
会場につくと、名前のチェック。そのあと胸から富士通の名札を下げた人たちからサブウェイサンドイッチと水を渡される。遅くまでありがたいことです。
始まるまでしばしぱくぱく食べる。久しぶりだなあ。夜遅い(私にとっては)集まりにこういうのはありがたいなあ。
例によっていつもの事務連絡。本日しゃべる方は"ポロリ"が多い人なので、リアルタイムのustream,とかはなし。twitterも少し時間差をつけてね、とお知らせがある。
事前課題として"ケータイカメラ"の新しい使い方が募集されていた。その中から9種類のアイディアが紹介される。あまり頭に残っていないので省略。
そのあと"富士通が考える未来のケータイ"という題で富士通の人が講演をする。
まず最初にでてくるのが
"スマートフォンは話題にはなっているが、シェアはたったの2.3%"というチャートだ。つまりそんなものは気にする必要はない。主力はケータイだ、と言いたいのだろう。(少なくともこの後の説明で、スマートフォンとの関係を意識した説明は一切なかった)
でもってケータイの世界では次の5つの変化が起きているのだそうな。
"超"常時携帯:つまり水につっこんでも、泥にまみれても大丈夫です。富士通ならどんなケータイでも防水、防塵にできます!
日本語入力技術:富士通は実はソフトをやっている人が多いんです!PC向けに何十年も開発してきた手書き文字入力がケータイにのりました!
能力補完計画:らくらくホンむけに、マイクを二つ付け、バックグラウンドノイズを消す技術を搭載しました!
ヒューマンセトリック:半年前からこう言い始めました。人間の嗜好、興味をインテリジェントに解析し、情報を提示するんです!具体例は何か?ケータイを腰につけてゴルフスイングをすると、振動パターンから、スイングへのアドバイスをしてくれるんです!(会場で"ゴルフをする人"と聞いて手をあげたのは私の視界内では一人だったが)
インフラの変化:LTEです!早いんです。すごいんです!
さあこれからは未発表、未発売の技術です!
セパレートケータイ世界初です。取り外せると何がすごい?たとえば、店で服をカメラでとりながら、電話で相談できるんです。
プロジェクタ搭載:ケータイにプロジェクタがつくんです!本体を振り、プロジェクタに写した画面でボーリングゲームができるんです!
3D表示:みんなアバターみましたよね。ケータイも3Dになるんです!
わくわくしませんか?
ここで休憩時間。前の画面には、LTEがあたりまえになった世界で新しいサービスを考えましょう、という文字が書いてある。
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この"世界初!"とか"業界初!"とかいうのをやたら並べるのは日本の大手メーカーの得意技である。特徴のある技術で世界一、というわけだ。
世界初!とうたえる技術が何一つないiPhoneが業界にどのような衝撃を巻き起こしていようが、たかが2.3%のさらに数分の一の話さ。話題になっているだけで大したことはない。そう考えているのだろう。実際プレゼンをした人に迷いはなく言葉には力があった。観客たる私にはそれが伝わらなかっただけで。
それが何の意味があるのかわからない"技術"をひたすらならべて、その結果はどうだったのか?自分たちは何を作りたいのか。ケータイがある世界はどんな風であるべきなのか。そんな問いはとりあげられたこともないのだろう。
ではその"すばらしい技術"はどうなのか?
一例として"手書き文字入力"を取り上げよう。歴史のある分野だから、富士通でも内部的に膨大な蓄積があるのだろう。
しかし
一度でも手書きで日本語を入力したことがある人は、その欠点に気がつくはずだ。漢字は画数が多い。それを全部入力するのは苦痛でしかない。精度云々の問題だけではないのだ。
ではどうするか
せっかくタブレットではなく、液晶画面に文字を書いているのだから、入力候補文字の形状を画面上に提示し、その文字の形の要所要所だけを指定すれば、簡単に難しい漢字が入力できる。これなら親指連打より簡単です!そこまでやってようやく"技術"の意味があると思うのだが、そうした考えは全く感じられなかった。社内の研究発表会では"世界一の認識精度!"とやるんだろうけど、問題はそこだけじゃないよ。
もう一つ聞きたいことがある
セパレートケータイ、プロジェクタケータイ大いに結構なことだ。
でもって富士通の中の人は、これ使ってるんだよね?
発売前らしいけど、社内には何台もあるよね。是非日常どんな風に使っているか。今まで使っていたケータイから試作機に乗り換えた人の生の感想を聞きたかったな、と思う。
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後半の会議は誰かがブログにまとめてくれるだろう、ということで家路につく。ポストイットケータイのアイディアは面白い。質問にもあったが、多くのユーザがハードウェア的に一番不満に思っているのは電池だと思う。
画面の中に表示される世界では、米国に太刀打ちできないとすれば、日本人らしい細やかさをいかしたらくらくホン、あるいはハードウェアの革新にフォーカスする、というのは一つの行き方だ。それこそ
"電池不要"
のケータイは大きな反響を呼ぶと思うが。というか、それくらいばかげたことを徹底してやらないと、とチンピラエンジニアは考える。
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プレゼンの最初のほうで
"Smartphone使っている人"
と聞かれると概算だが会場の半分以上の人が手をあげた。その次に
"SmartPhoneだけ使っている人"
と聞かれると、ほんの数本だけ手が挙がった。ええ、みんな2台もちですか?この日一番の驚きはこの結果だったかもしれない。
2010-02-09 08:09
とはいうものの今日書きたいのは映画評ではない。(近日中に本家およびここにアップロードするつもりだが)
この詩は映画の中でとても効果的に使われている。
そして何年間にも渡る脅迫も
Finds and shall find me unafraid.
私が今も恐れてなどいないことを思い知るだろう
It matters not how strait the gate,
その門がいかに狭きものであろうと
How charged with punishments the scroll,
どうして裁きのままに罰を受けることができようか
I am the master of my fate:
私は我が運命の主であり
I am the captain of my soul.
我が魂の指揮官なのだ
via: Invictus | 不 可 視 の 学 院
この言葉を27年間投獄され、大きな石を砕き続ける、という意味のない作業を強いられ続けた人間がつぶやけば、誰もが"をを"と思う。
しかしそれは話の半分でしかない。
この詩を遺書の中で引用した人がいる
この言葉は、死刑囚ティモシー・マクベイのものではなく、19世紀のイギリスの詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩「Invictus」の一節だった。Invictusとは、「征服されない」という意味に当たる。何故この詩ような他人の詩を、己の最期の言葉として、書き写し手渡したのかは不明だ。
via: 孤独なテロリストの自己
オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件を引き起こし、168名を殺した男だ。
"不屈の精神"と"完全な狂気"はある部分だけとれば大変よく似ている。それらを隔てるのは"現実からのフィードバックを受け止めることができるか否か"だけでしかない場合がある。
マンデラは前者であり、マクベイは後者だった。崇高な理想のために一身をささげる、という意味であれば911でWTCに突っ込んだ人間だって該当する。あるいはオウム真理教で殺人を続けた人間たちも。
「結局は自分の好きなことを貫き通したやつが勝つ」というのはよく言われることだ。そしてお笑い芸人を目指している生徒たちも、たいていはそういうもんだと信じていて、自分の好きなお笑いを貫こうとする。自分が面白いと思うネタを作ってくる。自分がやりたいお笑いをやる。
しかし、そういう生徒はことごとくウケないのだ。学校では月に一度、生徒たちによるライブを開催していて、そこでは見に来てくれたお客さんによる人気投票も行われているのだけれど、自分の好きなことを貫き通した生徒から順に、人気投票の下位から並んでいくのである。
via: 結局は自分の好きなことを貫き通したやつが負け - ハックルベリーに会いに行く
一読すると世間で言われていることと反対なようなこの文章も、つまるところ、自分の信念を貫くことと、現実からのフィードバックを両立させなけりゃだめだよ、ということなのではないかと考えたりする。
2010-02-05 07:47
疲れ切った週末は本家からの転載でお茶を濁す
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みているうちに何度も思う
"どうした。何があった、ピータージャクソン"
これがあの" The lord of the ring"を作った人間の作品だろうか?
予告編を見る。いきなり少女の声で"私は14歳で殺された"と告げられる。ううむ、ということはきっとゴーストのようなお話に違いない。あの世から少女が犯人を捕まえる手伝いをするのだ。
などと考えているうち映画が始まる。少女に不幸な運命が訪れることはわかっているのだが、前半はなかなか楽しい。しかし少女が憧れている上級生がどうして、彼女に近づいてくるのかさっぱりわからない。どうもいやな予感がする。
などと考えていると、彼女に降りかかる運命がネチネチネチネチと描かれる。原作の小説はもっと細かいらしいが、こういう場面は見ているのがつらくなる。
さ てそこからは喪失感と戦う家族が描かれる。というか描こうとしたのだろう。あの世とこの世の間に行った女の子はあれこれやっているが、基本的に現世には何 も手がだせないらしい。妻は家出をし、残った兄弟は悲しみと戦いながらも暮らしていく、と文字にすることはできるのだが、どうにもこうにも中途半端。主人 公のエキセントリックな祖母がでてくるのだが、それに何の意味があるのか。父親と母親の狂気に満ちた感情も見ている側に感じられないし。
そうこうしているうち、第6感により家族は真犯人を突き止める。(以下ネタばれ満載)
妹は危険をおかしてその男の家に侵入する。ところが(お約束通り)そこに犯人が帰ってきた。またここがいやらしいほどネチネチネチである。証拠見つけたらとっとと逃げろよ。いやそこはまだいい。命からがら犯人の手から逃れ家に戻れば、母親がかえってきてほのぼのしている。
ど うしてもここだけは理解ができない。殺人犯の手をからくも逃れてきた女の子が家族の顔をみたら、まずHelp ! Call the Police !とさけぶでしょ?殺されそうになったんだよ?自分の姉がどうされたか知ってるんだよ?せっかく帰ってきた母親がどうのこうのとか遠慮している場合じゃな いじゃない。かくして犯人は悠々と逃げ去りまた別の女の子が犠牲になるのであった。
それは主人公にも言える。現世に手出しができないかと 思えば、なぜか最後だけゴースト張りの乗り移りをやる。そこで犯人をつかまえるかと思えば、彼女が望むことは、、まあ14歳の女の子だからねえ。。かくして 犯人はまたもや悠々と逃げ去るのであった。最後にとってつけたような天罰が下るのだが、あんな天罰ならないほうがマシというもの。
かくして冒頭に述べたような感想が繰り返し頭をよぎる。唯一の見どころは、"全米人間の屑選手権ブッチギリ優勝中"、スタンリー・トゥイッチ演じる犯人か。(いや、彼が演じているということは後で知ったのだが)
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祝!スタンリー・トゥイッチ アカデミー賞ノミネート
いや、すばらしいですよ彼の演技。夢にでてきそうな。今までとは違った"いやな男"を熱演。新境地を開いたか、ってこんな分野開かなくても、、とはいわんわな。
2chの情報によれば、犯人への"天罰"は観客に見せた反応をみて追加したのだそうな。どうりでとってつけたような場面なわけだ。しかし実際にはああやって次の人を殺すのだろうな。。これというのも妹と姉が悪い。
主人公の行動をみて"馬鹿なことを"というのは簡単なことだ。しかし彼女並みに馬鹿な行動はいくつもやった記憶がある。記憶に残っていないものはもっとあるだろう。彼女と私をわけたのは賢明さというより、偶然の要素が大きい。
などと書きたくなるようなイライラしてすかっとしない映画であった。"中間地帯"の映像も救いにはならない。
2010-02-04 13:32
ある時点を境に、私が表にだすソフトウェアの頭文字をGにすることにした。GLBrowser,Goromi,Gardsくらいかな?
一つだけ例外がある。SmartCalendar-Xだ。ある人が未踏ソフトウェアでSmartCalendar,SmartWriterというものを作ることになった。そのコンセプトがおもしろい、と思い半ば自発的に作り始めたプログラムだ。
そんな経緯もあって頭文字はGではない。しかし仕様的に参考にしたのは
"カレンダーのインタフェースで写真を閲覧する"
というところだけである。それはWindows版SmartCalendar(N)と比べてもらえればよくわかる。Windows版はWindows版を作った人(未踏に採択された人ではない)のコンセプトで作り上げられており、私のプログラムとはほとんど別物である。個人で金にもならないプログラムを作る楽しみというのは、仕様も実装も自分で行うことにある。
ある日SmartCalendarが何かの媒体で取り上げられているのを知った。画面はまごうかたないSmartCalendar-X。しかし"作った人"としてクレジットされていたのは、私の名前ではなかった。未踏に採択された人だった。
扱いから言えば確かにそうだ。私はいわば"富士ソフト"のような扱いになったわけだ。"仕様通り"ソフトを作った会社の名前が表にでることはめったにない。
その時SmartCalendar-Xという名前にしたことを少し後悔した。
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それから月日は流れ、昨日こんな記事がでていることを知った。
わかったことは、ソフトウェアについてである。ソフトを作ることは、とくに環境が充実している昨今では、とても簡単なのだ。誤解を怖れずにいえば、(ExcelやWindows、Mac OSやATOK、一太郎のような大規模なソフトは別として)、たいていのソフトのコアの部分は、1日くらいで作れるのではないか。特に、世にあるフリーウェア/シェアウェア程度であれば、デバッグやさまざまな付属機能は別とすれば、まず自分でも作れそうな気がするのだ。
via: 【PC Watch】 【特別レポート】続「PilePaperFile」 ~「欲しい」が止まず年間50本のソフトを開発
美崎さんならコアを一日でかける"簡単な"ソフトウェアを数カ月もかけて開発してどうもすいませんでしたねえ
今私はSmartCalendar-Xという名前をつけたことをとても後悔している。おそらくiPad上で写真+カレンダー+環境的コミュニケーションのソフトを作成するが、頭文字はGにしよう。Galendarとかね。
2010-02-04 07:32
どうしてこんなに想像が掻き立てられるのだる、と思う。
もっとも世の中にはこんなことを言っている人もいる。
これを持って何かをする自分が想像できない。今のところ自分を含めて誰かの何かをこれが解決してくれるとも思えない。
via: iPadって誰がどこでどうやって使うんだろう?ってちょっと考えてみたけど、ワタシにはよくわかんないや:THE SHOW MUST GO ON:ITmedia オルタナティブ・ブログ
逆の立場から書かれたものにはこんなのがある
コンピューティングというものを考えるとき、子供や高齢者のことは見落とされがちなのだが、iPadは、こうした「社会的格差」を解消する初めての製品になる可能性がある。『iPad』は、幼児がゲームで遊び、学習もできるコンピューターになるだろう。そして、おばあちゃんは電子メールを送り、ウェブを閲覧し、写真を編集するだろう。iPadは、現在市場にあるパソコンを駆逐するわけではないが、重要な新しいカテゴリーを生み出すマシンになると見られる。
こういったマシンが社会に与える影響のことを考えると、「単なる大きな『iPod touch』にすぎない」と評されがちなiPadが持つ、より大きな意味が見えてくる。それは、「みんなのためのコンピューター」だ。米Apple社が長年取り組んできた理想でもある。
via: 『iPad』はUIをどう変えるか:アラン・ケイが夢見たビジョン | WIRED VISION
後者の記事に乗っているDynabookの絵がiPad(の予想図)そのままであるのには驚く。Alan kayが実際に触ってみるまでiPadに対してコメントしない、としているのは賢明だ。しかし私のようなチンピラはすでにきゃーきゃー言っている。
ものすごい一般論で書くが、子供あるいはお年寄りが使うところに想像力が及ばない人、ビジネスパーソンである自分のことしか考えられない人は前者のような感想を述べることが多いように思う。単に中途半端にでかいiPhoneというわけだ。
しかし実家の両親のPCのメンテをし、家にかえれば子供達にやれYoutubeであれみせろ、iPhoneでこれみせろと言われる立場、あるいは子供もしくはお年寄りが使うPCについて少しでもまじめに考えたことがある人はiPadに大きな可能性を想像しているように思う。願わくば実物がその想像を裏切らないできであることを。
2010-02-03 14:21
かつてMac os 9およびMac os XにSherlockというアプリがあった。
Spotlightの登場とともに静かに消えていったが、当時私は
"結構これはいいのではないか"
と考えていた。
そもそもSherlockとはなんだったのか?一番わかりやすい説明は、コンピュータ内のファイルを探すアプリケーションだった。しかし探すのはファイルだけにとどまらなかった。
画面の上をみるといろいろなアイコンが並んでいることがわかる。飛行機の時間、オンライン書店の本、インターネット検索、そのほかいろいろなものが検索できたのだ。
しかも
そのインタフェースはHTMLではなく、そこから抽出した情報をコンパクトに見せるアプリケーションのようなものだった。
今にして思えば、これはiPhone/iPadでアプリを立ち上げ、そこから情報を閲覧する行為にとてもよく似ていたのである。
私個人はこのSherlockに大きな可能性を感じていた。HTMLは便利ではあるが、ある程度タスクが限定される際には最適なインタフェースとは言えない。そうした場合ならアプリケーションのほうがいいのではないか。
そしてその夢は今iPhone/iPadで現実のものになろうとしている。いや、楽しい。
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最近Goromi-tubeをiphone/iPadにいれることを考えている。そのままではできないので
Playlistをどうやって作り上げるか
にフォーカスしようとかんがえる。あれこれ頭の中で思い浮かべた後、純正のYoutubeアプリを見る。実によくできていることに気がつく。こういうのは自分で考えてみないとわからないことだ。
文句を言うなら、あの画面の大きさ、指という太いデバイスを用いたインタフェースを考え出せばい。それができないなら標準の部品に戻るしかない。。とかいろいろ
2010-02-02 08:45
いや、ビッグローブ社員のがんばりには敬意を表するが
モニターユーザーには、WebStationをリビングのフォトフレームから外出時のメールチェック、ニュースや天気などの情報収集まで、幅広く活用してもらい、屋内/屋外で持ち歩けるクラウドデバイスや大画面ならではの操作感、複雑な接続設定の自動化によるモバイルブロードバンドの利便性、生活シーンにおける新しい利用シーンなどを提案し、端末の操作性やサービスの受容性を検証する。
via: NECビッグローブ、Android搭載"クラウドデバイス"のモニター募集を開始 - ITmedia +D モバイル
このクラウドデバイスどこに作らせたのかな。そうだよね。iPadでできることの"ほとんど"はこれでできるよね。iPadなんてでっかいiPhoneだから何の新味もないよね。おまけにAndroidだからアプリを複数走らせることも可能だし。
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話はいきなり変わる。iPhone,iPadがシングルアプリしか走らせられないことに文句を言う人が多いのには少し驚いている。
いや、いいんだよ、マルチで走らせられるのって。8bit cpuの時代に"パーソナルユースではマルチなんていりません!"って言ってたころとは時代が違うんだから。
しかしAndorid端末を使っていて一番いらいらするのがこのマルチアプリだったりする。なんだか動作がおかしいなあ。今いくつ走ってるの?あれ、これ終了したんじゃなかったの?
リソースが制限される携帯情報端末ではあっというまにリソース不足になる。つまるところは、"タスクマネージャー"をだして"不必要な"タスクを殺すことになる。
いつの日かAppleがマルチアプリをサポートする時、どのような解決策を提案してくるかなかなか楽しみだ。
2010-02-01 08:09
NHKドキュメンタリー"メイドインジャパンの命運"を見た。
その中で取り上げられていたものの一つがCELL REGZAだ。PS3で"有名"になったスーパープロセッサCELLを搭載。ハードディスクは3TB,チューナーは11個搭載。
"そんなもの本当につくるか"
と思うような製品を作るのはサムソンの十八番と聞いていたが、東芝もやるのだな。
でもってドキュメンタリー中で
"進行表がアップデートされてないじゃないですか"
"で、いつ物を見られるんですか?今日ですか?明日ですか?"
と詰問していた男がこんなことを言っている。(ソフトウェアを必死になって作っている人間相手にこんなこと言えば逆効果なのに)
開発のベースにあるのは、社長の大角(正明氏)が発表会でも申し上げた通り、テレビってワクワクするもの、感動してもらうものなんですよ。そうした思いをCELLで作ったら「究極にワクワクするテレビになった」というのがCELL REGZAです。
via: 究極に"ワクワクする"テレビ「CELL REGZA」はいかにして作られたか:インタビュー - CNET Japan
ぜひ聞いてみたいのだが、"TVの作り手"ではなく、"TVの使い手"がCELL REGZAをみてワクワクすると本気で思ってるのか?自分は100万出してこの製品を家に置いているのか?家族は本当にわくわくしているのか?
こんなガラクタをデザインしたのは誰だ?なぜそのデザイナーな顔をださないのだ。
私がこのドキュメンタリーを見るのと前後して発表された$499のiPadがどのようなワクワクを世界中にもたらしたか考えたことはあるのか?
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同じドキュメンタリーでは別のアプローチをとっているJVCケンウッドが紹介されていた。詳細は知らないが、ラジオでなにやらが配信されるボックスを作り各社にライセンスすることで儲けるとのこと。これもひとつのやり方だろう。
この両社に欠けているのは
"そもそもそれは面白いものなのか?"
という観点だ。いや、会社が存在する方法は何百通りもあるから、これがいいとは言わない。でも
今日の講演の最後の方のSJの言葉:「アップルはテクノロジーとリベラルアートの交差するところに立つ会社」。私の好きな言葉で、実は'99年のiMovie発表時にも言っている。横の @ 曰く「こういうのが日本のメーカーの人に一番、大事さわかってもらえない。」
via: Twitter / Nobuyuki Hayashi林信行: 今日の講演の最後の方のSJの言葉:「アップルはテクノ ...
を読むとき、思わず嘆息するのは私だけではないだろう。かつてはソニーがその位置にいたかもしれないが、、いや今は任天堂があるか。