President of the United States

2016-05-31 06:49

合衆国大統領。この言葉がもつ意味は、おそらく今後1年で大きく変わる。

好ましい

引用元:日本経済新聞

そうか、クリントンがなんとなく気に入らない、と思っていたのは俺だけではなかったのだな。

自ら選んだこととはいえ、米国民は

「うんことゲロの選択」

を迫られる。そしてどちらが選出されようが今後最低4年間はどちらかの顔をテレビで見続けるわけだ。

Apple TVにトランプの顔が出るたび娘が

「消え失せろ!」

という。なんでオバマさんがやっちゃいけないの?と聞かれる。おそらくこの問いは世界中で何千回も発せられているに違いない。

早稲田大学社会科学部の有馬哲夫教授(メディア研究)は言う。

「オバマに突きつけたいのは、どうして原爆を落とさないで日本を降伏させる選択肢を取らなかったのか、ということ。その理由を説明する責任はあるでしょう」

引用元:得意の“謝罪要求”をしない朝日新聞 広島訪問でオバマ大統領がすべきこと (デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

オバマの広島での演説は見事だった。この大学教授のコメントとオバマのスピーチを比べると、テラフォーマーズとズートピアくらいの差がある。でもってその次の大統領がトランプかクリントンというのも歴史の皮肉というもの。

こうなったときのために、不動の官僚機構があると考えよう。わが国だって鳩山と菅が首相をやっても滅びなかったんだから。心配は合衆国大統領は日本の総理大臣とは比べものにならない権限を持っているということ。しかしここは彼らと彼女たちにがんばってもらわなくてはならない。それは文字どおり「世界を救う仕事」なのだ。

しかしあれだね。トランプの後では合衆国大統領が戦闘機にのって宇宙人をやっつける映画は作られないだろうな。


Windows Phoneの歌

2016-05-30 13:01

私は3年前こう書いた。

IDCという調査会社が「2015年にはWindowsPhoneがiPhoneのシェアを上回る!」と言った記事は大きく報道された。この時は2015年に20.9%のシェアをとり、iOSの15.3%を楽に上回ると言ったのだそうな。

米調査会社IDCは9日、2011年から2015年までの世界のスマートフォンの販売台数に関する予測レポートを発表した。同社は、3月末に発表したレポートに続いて、今回も2015年にはWindows PhoneがAndroidに続いて大きなシェアを占めることになると予測している。

via: 「Windows Phone、2015年にシェア第2位に」とIDC - 一部で疑問の声も - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

あまり報道されなかったのは、IDCがその予想を「修正」し続けていることだ。まずオリジナルのレポートのすぐ後にIDCはその値を修正した。2016年にWindows Phoneのシェアは19.2%ということになった。

次に昨年末、密かにこんな修正を行ったようだ。

IDC now says it expects Windows Phone to post 11.4 percent market share in 2016, in third place behind Android (63.8 percent) and iOS (19.1 percent).

via: IDC cuts Windows Phone forecast, now sees Microsoft in third place in 2016 - GeekWire

今度は2016年に11.4%だそうだ。この様子は私に「カーナビの予想到着時間」を思い出させる。最初はちょっとした条件変化で数十分揺れる。しかし目的地が近づくにつれ精度は向上し(当たり前だ)最後には必ず予想と実際の到着時刻は一致する。(これも当たり前だ)

引用元:ごんざれふ

でもって最新の予想によれば、Windows Phoneの2016年のシェアは1.6%,2020年には0.9%なんだそうな。

IDCがこの予想を発表したのは3月3日。それからMicrosoftはガラケー部門の売却を発表し、そして先日こういうアナウンスがあった。

Microsoftが、最大1850人の人員削減を含むスマートフォンハードウェア部門の縮小計画を発表した。ナデラCEOは「電話事業では差別化できる分野にフォーカスする」としている。Windows & Devicesの責任者であるテリー・マイヤーソン氏は社内メモで、「縮小するが撤退はしない」「素晴らしい新端末を開発する」と語った。

引用元:Microsoft、スマートフォン部門で1850人削減 「撤退はしない」とマイヤーソン氏 - ITmedia ニュース

となると2020年の0.9%というシェアも怪しいものだが、まあそこは問うまい。先日のMicrosfot Buildでも全くWindows Phoneが触れられなかったことからこうした結末は予想されてはいた。とはいえ実際に発表されるとなんとなく寂しくなる。「縮小はするが撤退はしない」とはいうものの何をどうするんだろうね。同じようなことを言っていたPanasonicにならい

弱っちい「豆腐」パッドじゃねえ! 「タフ」パッドだ!

一般向けスマホから撤退し、業務用端末に注力しているパナソニック。同社が過酷な環境で働く人に向けて提供しているノートPC、タブレット製品シリーズ『タフパッド』ブランドに5インチと7インチ級の新タブレットが加わります。

このうち5インチのモデルについては『音声通話可能な頑丈タブレット』と位置付けられており、事実上のパナソニック製新型タフネススマホと呼んでいいものになっています。

引用元:吹っ切れたパナソニック! デザイン性を捨てた頑丈スマホ『タフパッド』を発売|タブロイド|オトコをアゲるスマホニュース

こんなのを出してみるとか?通話もできるSurface!とかどうでしょうかね。

というかそのMicrosoft Surfaceも前途が見えなくなっている。同じくモバイル向けCPUの分野でARMに挑んでいたIntelがAtomの開発中止を発表した。

PCWorldの報道によると、Intelはモバイル向けにコードネーム「Sofia」「Broxton」として開発していたAtomプロセッサの開発をキャンセルしたことを、広報担当者が認めたそうです。
Intelの広報担当者はこれらのAtomプロセッサについて、より収益性が高く、我々の戦略を進める商品開発にリソースを再配置したとコメント。

引用元:IntelがAtomプロセッサの新規開発中止、スマホやタブレットから撤退か - エキサイトニュース

Atomの中止はそれを使っていたSurface(Proじゃないほう)にも大きな影響を与えずにはいられない。日本のIntelの人が

「Intelは勝つまでやります!」

と威勢良く断言していた。確かに随分長い間がんばったと思う。しかし世の中ありあまる金と技術があってもなんともならないことがある。

結論はこうだ。モバイルの世界とPCの世界を連続的につなごうとするIntelとMicrosoftの挑戦は結局失敗に終わった。本当に難しいものだ。PCで覇権を握っているIntel CPUとバイナリ互換できます!OSも親和性があり両方に使えるアプリがすぐに開発できます!と言えば確かによさそうに思える。それを論理的に否定するのはむづかしい。

しかし現実は常に予想と論理を裏切る。何度も書いたことだが、IDCを笑うのは簡単だ。じゃあお前がもっとまともな予想ができたのか、と問われれば下を向くしかない。


It's contents, Stupid!

2016-05-27 06:52

問い:VRはいつ普及すると思いますか?

答え:3ヶ月後から300年後

これは誰かの「人工知能はいつ実現すると思いますか」に対する答えの変形版。何が言いたいかというと

「問題はハードウェアではない(ハードウェアに問題がないとは言っていない)VRで見るコンテンツなんだよ、バカ!」

(ちなみにこの文章はこれの改変だから、「表現に品がない」と怒らないように)

何を言っているかわからない、という人は現状で最高のリソースをつぎ込んでつくられたこの動画を見よう。

みえない場合はリンク先でみてね。

Google I/Oで製作者の人も言っていたが、従来の映画の延長線上で考えた場合の一番の問題は

「製作者がユーザの視点をコントルールできないこと」

にある。宇宙人が主人公の前に劇的な登場をしたとき、ユーザは足元に転がっている石を見ているかもしれない。いや、それが現実世界だろう、という指摘はごもっともだが製作者としてはたまったものではない。映画であれほど神経と労力を使って制御される「カメラの位置、アングル」のコントロールが全く欠落してしまい、ユーザの好き勝手に委ねられる。この問題は「時間が解決する」といった類のものではない。

ちなみに上のビデオはChromeで再生するとちゃんと視点移動が可能なコンテンツになる。しかしSafariでは

「アジの開き」

のような変な動画になる。皮肉なことに「実際に何がおこっているのか」をちゃんと理解できるのは「アジの開き」のほうだ。実際Chromeでこの動画を見たとき、私にはさっぱり内容がわからなかった。わー、視点移動できるんだ。すごいなーとあちこち見回している間も、筋は勝手に進んで行く。

いや、それは従来の延長線上で考えているからいけないので、あってもっと斬新な発想が必要だ、というのならその斬新な発想を形にしてみせてもらいたい。

こういうことだ。VRがすごいというなら、まず「確かにそうだ」と思えるコンテンツを出せ。これもどこかで読んだが

「Google I/Oで見せたVRのデモは、所詮Wiiのデモの劣化版だった」

苦労してヘッドセットをかぶり「わーすごいねー」という驚きを30秒以上持続させられる方法を誰かが見つけない限り、VRは普及することはない。そしてその「革新」がいつ起こるかは誰にもわからない。


デンソー流の仕事

2016-05-26 06:46

今日書くことは、昨日の続きである。



自動車業界のイットへの取り組み

2016-05-25 07:50

表題で「イット」と言っているのは、ITである。


韓非子の教え

2016-05-24 07:02

確かこんなくだりがあったと記憶している。人が上司に対して述べることをじっと聴く。それとは別にその人間がどのような「行動」をしているのかをこっそり観察する。その一致度合いを測る、と。

人間世界の知恵というものは、別にハーバード大学の教授に教わらなくても数千年も前から対して変わっていない。というわけで今日は「企業は2種類のアンケートを(それと知らないように)とるといいのではないか」というお話。

アンケートを取るのが好きな人がいる。長年サラリーマンをやっている私としては、多少なりとも個人が特定される可能性がある場合

「期待されている答えを推測し、それにほぼ沿った結果」

を回答する。そうしておけば波風は立たないしアンケートを実施した人もハッピーになれる。仮に本当のことを答えれば最悪の場合「全社集会でお説教」が行われるかもしれない。そんなことは避けるのが「知恵」というもの。誰もアンケートで「改善意見」など誰も求めていない。「従業員は意欲的で、上司と経営人を信頼しています」という結果がでればよい。

でもって

これは難しいのだが、それと「匿名性が保障されたアンケート」を別途取得する。これは推測だが、その両者の「一致度」は企業の状態について面白いデータを提供してくれるのではないか。

いや、なんでこんなことを言い出したかというと

私は今回の三菱自動車の不正事件を機に、これまでの再発防止策のあり方を根本的に見直すべきだと思っています。日本企業の再発防止策は空理・空論・建前ばかりで、実効性や実利に乏しいものばかり。だから再発防止策が機能しないんです。

引用元:「再発防止策」はなぜ機能しないのか (3ページ目):日経ビジネスオンライン

このセンセイの言葉が「問題点の指摘ばかりで何一つ具体的な提案がない」ことにイラっとしたからなんだけどね。

デンソーでは「ヒラメ」という言葉がよく使われるらしい。要するに下はみないで上司の意向だけを気にして生きる人たちのことだとか。サラリーマンとしては それが正しい態度だと思う。これはどういうことか?

私のような底辺サラリーマンは「言葉」は参考程度に聞いておき、実際に何が行われているかを注意深く観察する。端的に言えば、どういう人間が経営者から評価されるのかをだ。

そして

「ああいうのがいいわけね」とわかれば、それに即した行動をとる。少なくともそれに逆らうことは避ける。嘘つきで部下や同僚から嫌われる人間が出世すれば「なるほど、あいいうのがいいわけね」となる。

臣下が君主に取り入ろうとして本性を現さないことが君主の大きな悩みである。そこで君主は自分の好悪を臣下に知られないようにしなければならない。君主の思っていることが分からなければ、臣下に取り入る隙を与えずにすむ。

引用元:韓非子 - Wikipedia

というわけで警察大学校のセンセイも韓非子の引用くらいして、「問題だ問題だ」と叫ぶばかりでなく、何か提案してはいかがでしょうか?文句言うだけなら2chですら褒めてもらえないよ。ああ、そうか警察大学校のセンセイには誰も本当のことを言わないか。


三菱の相川社長がやったこと

2016-05-20 06:56

....すいません。三菱重工から落ちこぼれた私にはこれ以上嘘はつけません。これから書くのは

「三菱自動車の相川社長が最近やったこと」

ではなく

「三菱重工業の相川社長(親父のほう)が20年ほど前にやったこと」

である。

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相川くんは、私がいた航空宇宙部門の長と社長の座を争っていた。航空宇宙部門の長が社長に内定した、という報道もでたのだが、結局相川君が社長になった。今から考えればそれが掲載されたのが当時から「クオリティペーパー」だった日経、ということから何かを察しても良かったはずだ。

相川君は社長就任以来ずっと航空宇宙部門を目の仇にしていた。君たちの生産性は銀座のバーのママ以下だ、とかあれこれ批判していた。

彼が何を根拠にそう言っていたのかヒラの私にはわからない。なんで貴様らこんなに利益がでないんだ。コストがかかりすぎている。そもそもこんなに残業する必要があるのか?と「チャレンジ」を要求されたのが、私がいた工場の長である。

そして正しい三菱の幹部である工場の長はお触れをだした。

「これからは残業無し。定時で帰れ」

注意すべきは「仕事を終えなくてもいい」とは言わなかったこと。つまりそれまで月何十時間やっていた残業を0にしなさい。ただし仕事は今まで通りやってね、と命令したわけである。

「これはどういうことですか」と課長に聞きに言った人間もいた。私は傍で聞いていたが、当時の課長は

「私はとにかく残業を0にしろ。作業効率を上げればできる、としか聞いていない」

と繰り返していた。さすが三菱の管理職。

当時設計部門は平均で月50時間は残業していたと思う。それだけの時間を「作業効率を上げれば削減できる」と言われてもねえ。皆どうしていたのだろう。これは想像だが、ほとんどの人は肩をすくめて定時刻にタイムレコーダーを押していたのではないだろうか。無料で会社に奉仕し、帰宅時に事故が起これば全て自己責任とするのが正しい三菱社員の姿だった。(最近はシステムが変わったそうだが)

私はといえば、当時から正しい三菱の社員ではなかった。激怒したのである。(若くもあった)仕事が終わろうが終わるまいが定時に帰っていたか、あるいは別の方法をとっていたか。仕事が行き詰まっていた時、別の課の課長が相談に乗ってくれるという。待っており定時になったが課長は来ない。残業するな、という命令だからしかたない。帰ると、後でその課長は「あの野郎、帰りやがった」と激怒していたそうである。おかげで私はその課長に大そう嫌われ、昇進が遅れることとなった。

上位者が開けた穴を平社員が血と肉で自発的に埋めるのは日本の組織の大原則。設計部門はそれで済んだが、おさまらないのは現場部門である。労組の人の言葉によれば

「ものすごく士気が下がった」

とのこと。というわけで労組新聞によれば事業所との懇談会でこの「残業禁止令」が話題になった。まず会社側の返答だが

「当初の意図はなるべく定時内で仕事をしよう、というものだった。その指示が伝わっていくうち、強制力をもつニュアンスととらえられてしまったのではないか」

というものだった。さすが三菱の管理職。これくらいのことを顔を赤らめずに言えるようでなければ、務まらない。しかしさすがにここで馴れ合っていては存在意義が問われると思ったのだろう。会社の御用組合と言われていた労組にしては珍しく追求が続き、最後にこう詰め寄った。

「いろいろ説明を受けたが、なぜ残業を0にしなくてはならなかったか納得できない」

それに対して、とうとう会社側も白旗を揚げた

「多少の焦りがあったのも確かであり、申し訳ありませんでした」

と言った(と少なくとも労組新聞には書いてあった)

ちなみに工場の長は

「やればできるじゃないか」

と相川社長からお褒めの言葉を賜ったという噂が流れていた。

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「とにかく燃費(目標)を達成しろ。やり方はお前らが考えろ」

 燃費不正が明らかになって約1カ月。三菱自動車がようやく不正に至る経緯を明らかにした。発端の「eKワゴン」の開発過程で、開発部門の上層部が、燃費のとりまとめを行う性能実験部にプレッシャーをかけていたという。

引用元:燃費目標「とにかく達成しろ」 三菱自上層部が圧力:朝日新聞デジタル

20年の時を超え、社長が親から子に代替わりしても企業の体質というものは変わらない。不可能な目標を押し付け「やり方はお前らが考えろ」というのはおそらく日本的大企業の伝統なのではあるまいか。あるいは帝国陸軍の伝統でもあるか。かくしてこのような言葉が生まれる。

第一性能実験部長「私は最早燃費目標は断念すべき時機であると咽喉まで出かかったが、どうしても言葉に出すことができなかった。私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである」(牟田口と河辺は同罪だよね

引用元:はてなブックマーク - 燃費目標「とにかく達成しろ」 三菱自上層部が圧力:朝日新聞デジタル

「諸君、性能実験部は、社命に背き燃費を偽装した。資金がないから燃費目標達成は出来んと言って勝手に偽りよった。これが三菱か」牟田口廉也がみてる

引用元:はてなブックマーク - 燃費目標「とにかく達成しろ」 三菱自上層部が圧力:朝日新聞デジタル

弾薬も食料も送らず「インパールを攻略せよ」という電文だけを送り続ける牟田口の姿は三菱自動車幹部の姿とぴったり重なる。

三菱グループの幹部は、「三菱自動車はけしからん」とか言っているようだが、とりあえず自分の顔を鏡で見てごらん、と言っておく。他人を非難するのは簡単で楽しいことだが、自分が同じことをしていない、という保証には全くならない。



Alan Kayの言葉(断片)

2016-05-19 07:04

というわけでCHI2016シリーズである。Alan Kayともう一人の対談を紹介するとき、司会者は

「Alanは”人に考えさせる人”だ」

と言った。そのときはふーんと思っていたが、CHIの報告をしていると結局自分がAlan Kayの言葉ばかりについて語っていることに気がつく。

というわけで、聞き取れた断片をつらつらと。(一部他の人のtweetの引用)

・昨日学生たちと数時間一緒に過ごししていた。エンゲルバートについて聞いたら「マウスで何かした人でしょう」くらいの認識しかないのに驚いた。

・エンゲルバートが書いた1962年のARPAへのproposalをよむべきだ。読んでいないなら、CHIについて語るべきではない。それはまるで物理を専攻しているのにニュートンの法則を知らないようなものだ。

・悪いインタフェースについていくら語っても、良いインタフェースはできない。下手な絵をいくら見ても、素晴らしい絵は描けないだろう?

・startupはすばらしいが、それと大きな問題を混同してはならない。invention(発明) and innovation(革新)は全く違うものだということを認識しなければならない。

Alan Kay on limits of innovation in industry: "Startups are wonderful, but for crying out loud, don't make a religion out of it!" #chi2016

引用元:Andy J. Koさんのツイート

・素晴らしい研究者はtirilionを考える。1960年代の先人たちには確かにビジョンを作り上げそれを成し遂げた。でも今の多くの人は億単位の金のことばかり考えている。

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社内で報告をしたときまさに「インタフェース関連ってスタートアップがやればいいんじゃないか?」的な発言をした人がいた。というわけでAlan Kayの言葉と歴史を重ね合わせよう。

私が会社に入ったときやったFORTRAN講習では、紙にプログラムを書き、それをパンチカードに穴あけしてもらい「ジョブを流して」計算をした。当時大学の研究室にはPCがあったが、日本の大企業の計算機利用はそんなものだった。コンピュータとはまさしく「計算機」だったのだ。

その当時にエンゲルバートの論文のようなことを提唱するのは「頭がおかしい」としか言いようがない。しかし彼らは確かにそうしたビジョンを打ち立てた。

でもってXeroxのパロアルト研ではそうしたビジョンに基づく開発が行われていた。パロアルト研自体は十分に費用的に見合ったという議論もあるようだが、しかしAltoやSmalltalk自体は商業的に成功したとは言えないし、それだけでは世の中に何のインパクトも与えなかったかもしれない。

しかしあるベンチャー企業の人間がそれを見、そして「これは製品になる」と判断した。それから50年経って何が起こったかは皆様ご存知の通り。まさにtrillion $の産業が起こったのだ。

AppleはものすごいInventionを成し遂げた。しかし頭がおかしいApple原理主義者の私でも「GUIはジョブスが作った!」などと主張することはできない。それは60年代のビジョナリーなしには成しえなかったこと。彼らが打ち立てなビジョンがなかったとしたら、我々はまだApple 2を使っていたかもしれない。

ベンチャー企業はすばらしい。しかし定義によってベンチャーは目先の金を稼ぐことに集中しなければならない。そしてそうした方法で偉大な方向転換が成し遂げられることはありえない。つまり目先の利益から離れた研究と、新しいものを実用化して産業にするスタートアップは車の両輪であり、両方共必要であり、かつ全く異なるものなのだ。

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もう一つAlan Kayがぼそっと言っていたこと

・研究者がCHIに論文書いたり、peer reviewに精力を注ぎ込むことをやめれば、世界はもっとよくなるかもしれない。

なんでもそうだが、システムができると「そのシステムだけに最適化した人たち」が必ず現れる。今回

「CHIの厳正な査読プロセスを突破することはできるが、それだけしかできない」

研究を山ほど見た。それが生きて行くための重要な手段である人がたくさんいるのはわかるんだけどね。


CHI2016-Case Study: Organizational Change for Better UX

2016-05-18 07:05

あれこれ理由があってCHI2016という国際会議に行ってきた。いくつか興味深い点があったので、がんばって会社にレポートを書いた。予想したこととはいえ誰も読まない。もちろん私の文章力・理解力のなさ故だが。

というわけで、会社のサーバーの肥料にしておくのもなんなので、ぽちぽち書いていこうと思う。

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まず最初は二日目にあった表題のケーススタディから。このセッションの途中で発表者が「企業から来てる人。じゃあアカデミアから来てる人」と聴衆に手を上げさせた。このセッションでは圧倒的に企業から来ている人が多かった。

「型」を勝手につくりあげ、それにはまる度合いを競う、というのは何もわが国だけのお家芸ではない。CHIにも強烈な型がある。それについては別の機会で述べるが、それ故実際にものを作って世の中に問うている企業の人間としては

「だからなんなんだ。こんな特殊ケースの評価になんの意味があるんだ」

と言いたくなるような発表が多い。というわけでそうしたCHIsh(これは私の造語)なセッションに飽き飽きした企業参加者が集結したのではないかとかってに思っている。広い部屋ではなかったが、最後には立錐の余地もないほどたくさんん人が入っていた。発表者が何かいうと

「あるある」

と会場が一体となって同意するのが面白い。皆同じようなところで悩んでいるのだろう。

以下発表を聞きながらとったメモの清書。

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1)UX Strategy as a Kick-starter for Design Transformation in an Engineering Company
・ヘルシンキにあるUX関係のコンサル、デザインを提供する会社の事例発表。従業員300人ほどで、客先はnokia, amazon,etc..
・UXの改善を依頼されて客先に行ったが、それ以前の問題だらけなのに気がついた。
そのため、当初依頼されたものよりもっと長期間のプロセス改善を提案して実施。Senior vice presidentがプロジェクトのスポンサーだったのがよかった。

(発表後の質問):これはどうして可能となったか?

答え:我々はexteremely luckyだった。問題を担当した副社長が問題を理解出来るだけ頭がいい人だった。

・客先が採用していた開発プロセスはウォーターフォールで、それ自体は悪くいないのだが、そもそも社員が数千人いるのに、Designerが一人しかいなかった。
(発表後の質問):何人デザイナーを雇えばいいか?

答え:可能な限り多く、としか言いようがない。あるいは全員にdesignerの一部を学ばせるとかの方法もある。

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2)Embedding User Understanding in the Corporate Culture: UX Research and Accessibility at Yahoo

・以前はresaerchをしている人間が各部署に分散していたが、組織的には一つにまとめた。ただし実際にはグループメンバーをそれぞれの組織に埋め込む形にしている。
・Accessibilityのチームは、開発を遅らせるのではなく事業部のpartnerになると宣言した。つまりやりたいことをなんでもやれ。Accessibilityを我々が担当すると。

こうした姿勢をとったことにより開発部隊との関係が改善し、実際の改善がうまく進むようになった。

所感:思うにAccessibilityのチームは彼らの目的に専念するあまり、事業部から嫌われていたのではなかろうか。やれデザインに口出しする、やれ開発の工数が増える、と。

・ユーザを招いて、デザイナー/エンジニアと一緒に製品を使ってもらうイベントを実施している。これにより、社内の人間がユーザが実際にどのように製品を使っているかを知ることができる。

・Resarch TeamのManagerがチェックする事Timing/Belief/Actionable/Surprise
リサーチチームの成功を測る指標。.Awareness(事業部はリサーチチームがあることを知っているか).Engagement(使ったことがあるか?) Quality(サービスの品質)Impact(事業にどういう影響があったか?)

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3)UX Expeditions in Business-to-Business Heavy Industry – Lessons Learned

フィンランドのお話。B to Bのビジネスであっても、Custmer experience からuser experienceに変換する必要がある。
また重工業もPproduct to service businessに変換しようとしている。
というわけで、そうした転換を支援するためのInfogprahicsを作った、という話。
将来的にはUser ExperienceからBrand experienceに向かいたい。

所感:やっていることは悪くないのだが、プレゼンが悪すぎる。Infographicsにある言葉をだらだら説明して終わり。「結局そのInfographis作っただけか?」という質問が飛び、「いやそんなことはない。私がやったあれこれの苦労をこの時間では説明できないだけ」とか言っていたが、だったら最初からそうした面白いエピソード、苦労話をプレゼンに盛り込めばいいのに。

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4)Why Designers Might Want to Redesign Company Processes to Get to Better UX Design – A Case Study

・大切なことはGet the champion。偉い人のサポートを得る事が第一。それがないならこうした企業文化を変えるような仕事は無理。

・担当した役員は、発表者に「結婚して」といった。他の役員はそれほど熱心ではなかった。

・もともとサイトのログイン画面を修正するという話だったが、6ヶ月のプロジェクトで一枚もデザイン画をかかなかった。対象となる会社はサイロだらけだった。なぜこんな変な設計になっている?と聞いても答えが返ってこないことが多かった。そうした問題の解消に全精力を費やした。

・サイトの全体図を張り出し、誰もが通るところにおいた。そのため、とてもたくさんの人と話をすることができた。こうしたアナログな手法が効果的だった。

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二つのプレゼンで強調されていたのは「企業文化を変えるためには、トップのコミットが必要」という点。私は長いサラリーマン人生でいくつか悟りを得たがその一つに

「会社は下からの意見では絶対に変わらない」

というものがある。もちろん経営者は「企業をよくするための社員のアイディア」を「熱望」するだろうけどね。そんなことはおこらないんだよ。

というわけで何か変化をもたらそうとすれば、リソースを動かす権限をもった人間のコミットが絶対に必要になる。逆にその会社の文化がゴミのままだとすれば、その会社の経営者がゴミだということだ。



生Alan Kayをみたよ

2016-05-17 06:58

10年以上ぶり2回目。前にIUIの招待講演で見たことがある。それから10年たち老けたはずなのだが、脚取りと口調は大変若々しい。

例によって「お前らあれこれ言ってるけど、そんなことは60年代にもう全部言われてたんだよ!」というAlan Kay節が炸裂する。私は頭を書きながら彼が紹介した論文をあれこれめくり始める。

さて

前に講演を聞いた時「なぜAlan Kayはこうも教育に入れ込んでいるのだろう」と不思議に思っていた。彼は今回司会者に「今一番大きな解決されていない問題は何か?」と聞かれてこう答えた

"teach how to be a good learner"

そしてこう付け加えた

"We want user interface to make us be different."

これを聞いて「なるほど」と合点がいった気がした。Computer Human Interactionの研究にはいろいろな側面がある。例えば「行なわなければいけない作業を便利にする」とか「人間の怠けたいという欲求に応える」とかだ。

しかし

「学ぶ」というのはそれらとは異なるものだとようやく気がついた。背中を上手にかける孫の手があれば、確かに背中の痒みはとれる。しかしそうなったとして得られるのは「一時の平安」でしかない。

これに対して「学ぶ」ことは、自分を変えていく、よりよくしていくという行為に他ならない。こうした観点からかれは「教育」というより「学び」にフォーカスしているのだな。

こうした「メタなそもそも論」は日本では概ね評判が悪い。どちらが原因が結果かはわからないがそれゆえ日本語ではなかなかこうした議論を聞くことができない。重い時差ボケと疲労に悩まされながらも、今回の出張にも意義があった、と考えることにしよう。


生マリッサ・メイヤーを見たよ

2016-05-16 06:46

諸事情がありCHI2016というカンファレンスに参加していた。火曜日から木曜日まで朝一番のイベントは招待講演である。でもって今日書きたいのはマリッサ・メイヤーとStanfordの教授の対談について。

親愛なるマリッサについてはこのブログで何度か言及している。とはいえ私が元にしているのは全て誰かが書いた情報。私は彼女の顔を見たこともない。その状態でいろいろ書くのはいかがなものか、とちょっとだけ考えないわけでもない。というわけでがんばって早起きして聞いた。

詩子

まず気がついたのは、彼女が異常な早口でしゃべること。とはいへ言葉の発音は明瞭なので聞き取ることはできる。。。と思っていた最初は。

膝にPCを乗せ彼女が面白いことを言ったら書き取ろうと思っていた。しかし結果としてあまり書き取ることはなかった。

おそらくは私のヒアリング能力が追いついてないためだと思う。しかしもしそれだけでないとすれば、彼女は何を言っているのかわからない。あれもあるよね。こういうことも言えます。べらべらべらと喋りまくるが結局何が言いたのかわからない。講演の間じゅう北米英語でよくつかわれる

bra bra bra

という文字が頭の中を巡り続ける。聞き取れてなおかつ特徴的だったと思うのは以下のやりとりである。

司会者が「変わっていく動機について」質問をする。教授はこう答える。そろそろ変えるべきだと思うこと、それに新しいことを学ぶのは楽しい。どうもこの教授は過去に専攻をだいぶ変えているようだ。

でもって次にメイヤーがこう述べる。「教授がサバティカルでgoogleにきたとき、検索結果にdo it differentlyとうボタンをつけることを提案した。それがいつも頭にある。」

まずとっさにこのエピソードを思い出した「頭の良さ」を感じる。さらに自分と並んで座っている教授を持ち上げる「賢さ」も感じる。しかし彼女は質問に対して全く答えていない。

彼女の講演からは、頭の良さ、回転の速さは感じられるがこういう人間を集団のトップに置くのは間違っていると考える。じゃあ誰だったらYahooを救えたのかという議論とは別に、このCEOの下で働かなくてはならない人には同情する。結局彼女がYahooのCEOになって何がしたかったのかはおそらく誰にもわからない。彼女はそういう人なのだと思う。


量産される最終兵器

2016-05-06 07:01

ディズニーがピクサーを買収したのがちょうど10年前。それからディズニーがどうやってピクサーを解体し自分たちの一部として組み込んだかの歴史はおそらく研究に値するものだと思う。買収直前に彼らがピクサーと張り合おうとしたチキン・リトルの酷さは今でも覚えている。それから10年かけ彼らはここまで到達した。私はFacebookにこう書いた。(一部改変)

家族でZootopia鑑賞。どこかでこんな宮崎駿の言葉を読んだ。

「フィルムのどこか途中から観始めても、力のある映画は、瞬時に何かが伝わって来る。数ショットの映像の連続だけで、作り手の思想、才能、覚悟、品格が、すべて伝わって来るのである。要するに、どこを切ってもたちまち当りかはずれか判ってしまう。まるで金太郎アメだ。B級C級は、どこを切ってもB級C級の顔しか出て来ない。」
(東宝レーザーディスク「生きる」解説より)

この映画はどの場面を切り取っても、映像を作ろうという人間が学ぶべき内容に満ちあふれている。宮崎駿の対極にある作品ながら、その完成度には唖然とする他ない。
ベイマックスといい、こうしたレベルの作品を年に一本「量産」するシステムというのは恐るべきものだ。日本には個々の才能は存在しても、それをシステム化することができない。

引用元:大坪 五郎

主人公たるウサちゃんが、電車にのってズートピアに向かう場面一つとっても信じられないほどの「物量と才能」が注ぎ込まれていることが想像出来る。私みたいな素人がみてもそれに気づくのだからプロが見たらあの数十秒だけで卒倒するかもしれない。

予算が違う、というのが日本の映画関係者の恒例の言い訳。じゃあ彼らと彼女たちに予算を渡したらこの映像ができるのか?私は無理な方に賭ける。

予算をかけ、才能ある人材を大量に集めるだけでは何も達成されない。それをまとめあげ、一つの作品、あるいは製品に結実させるというのはとてつもなく困難な事。例をあげよう。かつて日本の家電メーカーにはありあまる予算があった。彼らは今と違って儲けていたのだ。そして日本の一流大学を優秀な成績で卒業した社員を大量に採用していた。当時のネームバリューがあれば、海外の優秀な人間を雇用することも可能だった。

その結果はどうだったか?

いや、これは別に日本のお家芸と誇るほど我が国にしか起こらない事象ではない。自動車のビックスリーとかGEとかありあまる金を人材を擁しながら没落した企業は世界中にゴマンとある。

しかし

日本に任天堂を除いては成功例がないことも確かだ。これはどういうことなのか?何が欠けているのだろう?この疑問はここ最近ずっと私の頭にとりついているが、答えは見えていない。



(待ちに待った)Appleの終わり

2016-05-02 07:07

私のように狂信的なApple原理主義者がいれば、「常にAppleはダメだ」という人もいる。多分後者の方が数が多い。そうした人たちにとって歓喜のニュースが流れた。

4月26日に発表したアップルの1〜3月期決算は、売上高が前年同期比13%減となった。iPhoneの販売台数が前年を割り、13年ぶりに減収となった。本命とする7の登場まであと数カ月。SEの品薄状況へ積極的に対応しなければ、懸念している顧客離れはさらに加速しかねない。

引用元:新型iPhone、世界で品薄のワケ (2ページ目):日経ビジネスオンライン

こういう文章を書いて給料をもらえるのはとてもうらやましい。でもって古参のApple原理主義者としてはこんな気持ちである。

We are underdog again

引用元:Joy of tech

(いい加減な訳) [Macユーザグループの会合で] みんなもしってのとおりAppleは2種類のiPhoneを発表した。 期待されていた安いモデルがでなかったからみんな、アップルは馬鹿なことをやったと言っている。 メディアの評価は渋く、株価は下がり、Androidファンは大喜び。NOKIAですら公式アカンとでネタにしている。インターネットでアップルは笑い者にされている。 君たちApple原理主義者はどう思う?
やった!俺達はまた負け犬だ!
90年代に戻ったみたいだ!古き良き時代が復活だ!
トップにいるのは面白く無い。いつでもかかってこい!
アップル対世界全体の戦い。やってやろうじゃないか!

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面白い記事を見つけた。

Or to put it another way, Apple's non-iPhone business is generating about $80 billion in revenue every year — roughly the same as Microsoft. The Mac generates $24 billion per year, and the iPad (at the moment) generates around $20 billion per year. Put together, that's roughly the revenue of Hewlett-Packard. Starbucks just reported its most recent quarterly revenue total: $5 billion, or roughly what the Mac generated in revenue last quarter. Facebook's blow-out quarter? $5.4 billion in revenue.

引用元:What does Apple look like without the iPhone? | iMore

適当な訳:別の見方をしてみよう。AppleのiPhone以外のビジネスの売り上げは年に8兆円。Macは年に2.4兆、iPadは2兆円。合わせるとHPの売り上げとほぼ等しい。スターバックスは直近のクォーターで5000億売り上げがあったがこれはほぼMacの先クォーターと等しい。Facebookが記録的な売り上げを記録したが、額は5400億だ。

書いていて思うのだが、私が愛する三菱重工の2015年度の売り上げ見通しは4.1兆。MacとiPadの売り上げを合わせたより小さいのだな。相川君が聞いたら発狂するような数値だ。

思えば遠くに来たものだなとつくづく思う。10年前、AppleはMacとiPodの会社だった。この10年間の変化を予測できた人間がいなかったのと同じように、次の10年を正しく予想できる人間もいない。あるいはAtariやAmigaのようになるかもしれない。

それでもおそらくAppleという名前は残り続けるだろう。そして原理主義者はその「残った何か」を愛でて楽しく暮らすことにしよう。