2016-10-31 06:58
本来これは完璧なタイミングとなったはずだった。
Appleが、2016年10月31日から、ビンテージ製品とオブソリート製品に、iPhone 4、MacBook Air (13-inch, Late 2010)、AirMac Extreme 802.11n (第 3 世代)、Time Capsule 802.11n (第 2 世代)を追加することが分かりました。
引用元:Apple、ビンテージに、MacBook Air (13-inch, Late 2010)などを追加予定(2016/10/31から) | サポート | Macお宝鑑定団 blog(羅針盤)
この文章を打っているMacはビンテージ品になったとのこと。言葉は美しいが要するに「もう面倒はみないよ」ということ。そりゃ6年もたてばねえ。
時を同じくして、新しいMac Bookが発表された。
シンプルで、薄くて、軽くて、それでいて大胆。過去25年間のApple製ノートPCの多くがそうであったように、新しいMacBook Proも、ノートPCの新しいスタンダードとなり、遠からずすべての周辺機器がThunderbolt 3で提供される未来を期待したい。
引用元:最小のボディーに最大の挑戦:林信行の新型「MacBook Pro」最速レビュー (3/3) - ITmedia PC USER
視力が弱っている身としては、15インチを無理してでも購入しようと考えていた。そのためのバッグも考えていた。
問題は
今ひとつ「よし、いますぐ購入だ」という気分にならない、ということ。いや、こんなことを書いていても故障すれば(もう修理はできないから)買い換えることになるのだけど。
今回ひっそりとMac Book Air11インチが消えている。Mac Book Air13インチが新しくなる、という噂はあったもののただ値下げされただけのよう。そもそもよりAirらしいMac Bookが存在する以上Mac Book Airには「廉価版」としての意味しか存在していない。となるとMac Bookが拡充されてもいいのではないか。
とかなんとか考えていて私が欲しかったのは
「14インチMacBook」
だったことに気がついた。忘れている人が多いと思うが、Mac Bookの前身、iBookには12インチモデルと14インチモデルがあった。当時まだ老眼でなかった私は
「なぜ14インチがあるのだろう」
と思っていた。今ならわかる。字がでかくないと困るのだ。でもってMac Bookが12インチと14インチ、Mac Book Proが13インチと15インチならきっちり1インチ縮小版で話が揃う。(なんのことだ)
今のところMac Bookは春にアップデートされている。今回発表されたMac Book ProのキーボードはMac Bookのそれより大幅に改良されているとのこと。であれば、来春にはMac Bookのアップデートがあってもおかしくない。Tim、お願いだ。ここで14インチを追加してくれ。USB Type-Cを二つに増やして。出たらすぐ買うから。
というわけで、私のビンテージMac Book Airは年を越すことになる。春になればきっと(狂信的Apple原理主義者はこうやってずるずる期限を伸ばすことを厭わない)
2016-10-21 06:55
長らく名前だけ知られていた任天堂の新型ゲーム機が発表された。
VIDEO
WiiからWii Uをへてここにたどり着いた。まずハードウェアはきっと良くできているのだと思う。遅延の少ないコントローラーとの通信、複数台でのゲームプレー、信頼性の高いコネクタ機構など難問は山積みだが、きっと任天堂ならそこはうまくやるだろう。
ムービーでは任天堂がいくつかの点を売り込もうとしていると推測できる。
・一台で据え置きも、携帯型もできます。
・Switch機構でどんどん変形します。
・複数台でつないで皆で楽しく遊ぶこともできます。
・据え置きでプレー、携帯に移行がスムーズにできます。
問題は最後の点だ。下に引用した写真を見て欲しい。この男は素晴らしい雄大な景色の中で背中を丸め込んで小さな画面に見いっている。
任天堂はこんな人間を増やしたいのか?結果的にそうならないと困るのはわかるが、これが届けるべきメッセージなのか?
最後のスプラトゥーンのチーム戦はいいと思う。そのまえにバスケットをやっている男たちが、ゲームで遊ぶところがある。ここはぎりぎりOK。しかしなぜこの大自然の中で(以下繰り返し)
飛行機に乗る前、飛行機の中、飛行機から降りてからずっとゲームをプレーする男の顔が最後に大写しになる。
任天堂はこんな人間を増やしたいのか?現実世界を忘れただ小さな画面の中に没頭する「ゲーム中毒」としか形容しようのない人間を。
少なくとも私がこのビデオから受け取ったメッセージは「Switchが築くディストピア」。スマホにはゲームコントローラーがないからそこで差別化するとか意図はわかるけど。
2016-10-20 06:56
最近将棋のファンである。自分はとっても弱いのだが、見るのが楽しい。PCソフト同士の対戦には全く興味がないから、人の物語が興味深いのだろう。
今回は羽生善治という将棋界の永世鬼畜眼鏡に、7大タイトルのひとつ「王位」の座をかけて木村一基八段という将棋の強いおじさんが挑戦した大会でした。7番勝負でここまで3勝3敗の五分。羽生さんは今日が46歳の誕生日。かずきは43歳。年齢だけで見れば大学の先輩後輩くらいのわずかな差ですが、タイトル保有歴は96期対0期という悪魔的な差があります。ちなみに将棋のタイトルは1期でも取れれば十分に歴史に名を残せる大棋士です。ここで一度羽生さんという悪魔について「悪魔じゃん」という認識を改めてください。
引用元:羽生善治とかいう鬼みたいな将棋の天才と木村一基という愛すべき将棋の強いおじさんの話:たろちんのブロマガ - ブロマガ
将棋はPCのほうが強いとか全くどうでもいいことである。100m走るならバイクのほうが早い。計算だってコンピューターのほうが早い。そんなことになんの意味があるのか。
将棋を生業としている人にもいろいろな人がいる。プロ野球に比べれば、知性を感じる人が多いように思うのは多分錯覚ではあるまい。とはいえやはりどの世界にもバカはいる。
私は、連盟から上記疑惑を持たれたので、平成28年10月11日及び12日において、連盟からの要望がなかったにもかかわらず、自ら保有するノートパソコン2台、デスクトップパソコン2台、スマートフォンの全アプリを撮影した画像を提出しています。これら資料を精査してもらえれば、私の身の潔白が晴れることだと信じていました
引用元:将棋:三浦九段がソフト使用疑惑否定 反論文書全文 - 毎日新聞
弁明したい気持ちはわかるが、このコメントは自分の「違反行為」を立証したも同然である。アプリを撮影した画像など提出してなんの証拠になるのか。というかそんなものを提出するということは、自ら疑惑を証明したに等しい。(連盟からの要望がないのはあたりまえだ)
出てきた情報からの推測だが、100%黒の証拠はないがいろいろ証言は上がってきている。週刊誌もかぎつけたらしい、であれば竜王戦に出すわけにはいかない。別の理由で出場停止にするから、3ヶ月大人しくしてろ、ということだったのではなかろうか。
現実に直面している人間が下す苦渋の選択、と言うやつである。悪魔の証明がどうとか推定無罪がどうとかいっている人間は競技場に立ったことがない人間なのだろう。
でもって「将棋バカ」はそれが理解できなかったらしい。ホームランをたくさん打っても、誰もが憧れる将棋のタイトルを獲得しても実生活で賢明に振る舞えるわけではない。うがった見方をすれば、こういう騒動が起きるのも「人間のストーリー」としての将棋の楽しみ方ではあるか。
2016-10-19 06:50
昨日こんな記事を見つけた。
ハーバード大の社会心理学教授、ダニエル・ギルバートは次のように述べた。*1
人間はコントロールへの情熱を持ってこの世に生まれ、持ったままこの世から去っていく。
生まれてから去るまでの間にコントロールする能力を失うと、惨めな気分になり、途方に暮れ、絶望し、陰鬱になることがわかっている。死んでしまうことさえある。
引用元:仕事において「裁量がない」時の精神的負担は、想像するよりも遥かに大きい。 | Books&Apps
読んで思い出すのはNTTソフトウェアという集団にいた時のことだ。30年以上のサラリーマン人生の中で
「会社に行っても意味がない」
と思いズル休みをしたのは、あの集団に所属していた時だけである。最初の半年はNTTデータに奴隷として出され、あとの1年少しは電電公社の老人たちの世話をしていた。文字通りの「カバン持ち」をやらせてもらったのもNTTソフトウェア時代の貴重な経験。
あの頃の私はいまより物理的に若く、残業もほとんどなかったが(電電公社老人の世話の時は)今よりもくたばっていた。考えてみれば、三菱重工で働いていたときも半分くらいは「廃人」と化していたな。
この「快適に暮らすために必要なコントロールの量」には人によって差異がある。私は多分三菱重工にはいった同期の中でもかなりそれが多い方だったと思う。何をコントロールとみなすか、みなさないか、というのも人によって異なるのだろう。異なることは悪いことではない。問題は個人の必要量と環境とのミスマッチ。それを知るまで随分時間がかかったな。
2016-10-18 07:26
Appleが独自の自動車を作ろうという計画は頓挫に近くなっているようだ。
Mansfield explained that he had examined the project and determined that Apple should move from building an outright competitor to Tesla Motors Inc. to an underlying self-driving platform.
引用元:How Apple Scaled Back Its Titanic Plan to Take on Detroit - Bloomberg
このプロジェクトが難航していることは何度か伝えられて来た。半分引退していたマンスフィールドを呼び戻し、検討させた結果は
「テスラの競争相手を作るのではなく、自動運転のプラットフォームを作る」
ということになったらしい。それはあたかもMac OS Coplandの開発を放棄した時のように思える。なぜここで即時中止の判断をしないかはわからないが、あるいは自動運転プラットフォームの進展に何か可能性があるのかもしれない。もしこの報道が正しいとすると、Appleにとってメインの目的は「自動運転」であり、電気自動車はそれを乗せるためのプラットフォームにすぎないのだな。
いつものことながら、ある製品とかサービスがヒットすると「成功の秘訣」というわけで、その会社のやり方は全て称揚の対象となる。しかし打率10割の会社は存在しない。必ず失敗はある。Googleの自動車プロジェクトも頓挫が伝えられている。GoogleはともかくAppleは「今更参入は無理」と言われていた携帯電話に見事に参入した実績をもっている。それが自動車への参入に失敗したのはなぜか。
いつの日か誰かがこの内幕を本にしてくれないだろうかと思う。Appleの成功物語と同じくらい、そこには学ぶべき事柄があるように想像するのだ。
そして私はまた気を長くもって自動車とそれを取り巻く環境が変化するのを待つことになる。生きているうちに、惑星トヨタが崩壊するところを見たかったが、それは叶わぬ夢かもしれない。
2016-10-13 07:47
ネット上には大量のどうでもいい言説が存在する。しかしネットがなければおそらく一生触らなかった言説にも出会える。最近知ったこの言葉にもおそらくネットがなければ出会うことはなかっただろう。
種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)
そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです
引用元:弱者を抹殺する。不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂けれ... - Yahoo!知恵袋
歳をとると実感するのだが、この言葉は正しい。賞賛されようが、批難されようがとにかく自分が適した場所を見つけた者が、そこで生き残る。
ネットの世界では憎悪を掻き立てることで名声をなし、そして比較的少数ではあるが、自らの生存に十分な数の支持者という「ニッチ」を発見する人がいる。イケダなんとかとかという人もその一人だろう。彼の言葉と、それに反応する人を見るたび、私は幼いころトイレにあったリーダーズ・ダイジェストで読んだ以下のこぼれ話を思い出す。
世間から批難され、落ち込んでいる男を、友達がプロレスに連れて来た。悪役レスラーがブーイングを浴びせらえている。
「みろよ、あんなに嫌われてるじゃないか」
すると落ち込んでいる男が答える
「でもその男をみるために、こんなに人が来ているじゃないか」
最近話題になったこの人もおそらくは自分に快適なニッチを見つけていたのだろう。
長谷川さんの19日付のブログ記事をめぐっては、全国腎臓病協議会(全腎協)が9月23日に抗議文を公開し、謝罪を要求しているが、長谷川さんは「謝罪については断固拒否する」と語った。
引用元:全文表示 | 長谷川豊氏、「人工透析」ブログの「真意」語る 全腎協の謝罪要求は「断固拒否」 : J-CASTニュース
この事件が起こるまで、彼は週に八本のレギュラーを持ち、おそらくは私よりずっと稼いでいたのだ。
テレビというのは興味深い世界で、どうも「実は誰からも嫌われている人間」がどうにかすると生き残れる世界でもあるらしい。何がテレビというニッチに適合するのか部外者にはわからないのだが、みのもんた、とか今では張本とか、和田アキ子とかどこに需要があるのか理解できない人がちゃんと生き残っている。このアナウンサー氏もそうした一人だったのだろう。
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別にライオンがタツノオトシゴより偉いわけではない。こう考えることは私のようなダメ人間にはなにがしかのなぐさめにはなる。振り返ってみれば私も潮が引けば消える潮溜まりをぴょんぴょんしながらなんとかこの年まで生き残って来たということか。もう少しがんばることにしよう。潮溜まりをぴょんぴょんしながら。
2016-10-12 07:07
そりゃまあ大きな会社で出世し、いろんな会社で「成功」すれば「正義は我にあり」とも思うわねえ。
月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき。
引用元:【炎上、謝罪、逃亡】「100時間残業で自殺は情けない」長谷川秀夫の経歴にお察し | SairiMedia
(もし浪人してなければ)私より二つ年上か。自分は有能で正しいことをしているから評価され、教授職にもついた、と頭から信じ込んでいたんだろうなあ。
多分同じことを言っている「昭和のおじさん」は大きな企業の上の方とか大学にたくさんいるのだと思う。この教授はそれをソーシャルメディアで発言してしまうほど愚かだったというだけで。
武蔵野大学はこの教授を処分するつもりらしい。まあ今までに随分稼いだだろうから失職してもちゃんと食っていけるだろう。ただ(これは繰り返しになるが)私が不思議なのは、同じ大学教授のこの人は元気に教授職を続けている、ということ。
【学部4年次生の皆さんへ】3月22日開催の「卒業おめでとう祝賀パーティ」は、
出欠締切日前ですが、定員に達しましたので、1月7日ハガキ到着分で締め切らせて 頂きました。締切以後にご連絡頂いた方で、残念ながらご参加頂けない方にも不参加の旨のご通知をお送りしますので必ずご確認ください。
https://twitter.com/rikkyouniv/status/685389667768766464
【上記に付いたレス(例)】
ガー。 @guardy0322 17:18 - 2016年1月11日
@rikkyouniv こんな○○○○を雇ってる時点で○○大学だよな。 #立教大学
https://twitter.com/guardy0322/status/686462064282316800
引用元:U-1速報 : ”香山リカを雇う立教大学”が『猛批判を喰らいまくる』悲惨な事態に。香山リカの悪行を突きつけられまくり
ああ、大学教授という職の不思議さは私の理解を超えている。この二人の教授を分かつものは一体なんなのだろうか。
2016-10-03 07:12
映画「シン・ゴジラ」をまだ見ていないとすれば、あなたは人生の価値の1/5くらいを損なっている。今からすぐ最寄りの映画館に行きなさい。そして「巨災対」 ー映画『シン・ゴジラ』劇中に登場する組織『巨大不明生物特設災害対策本部』の略称(引用元 )ー に注意を払いなさい。
そして職場に巨災対を設置すべき。えっ何を迷っているのですか。ほれ、ゴジラはすぐそこに。
などという与太話はさておき、私には嘘をつく胆力がないので最初に白状する。書きたいことは
「職場にピクサーのブレイントラストを取り入れませんか?」
なぜ私はそう主張するのか。理由について述べる前に、まずブレイントラストとは何かについて。
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ブレイントラストとはピクサー/ディズニーが作品を磨くために行なっている会議のこと。ピクサーの過去の作品/ディズニーの最近の作品はすばらしいのだが、制作の最初の段階からそうだったわけではない。ブレイントラストという「磨く」プロセスを経て輝きだすのだそうな。ではそれはどのように行われるのか。いくつかの記事から引用すれば
・監督とプロデューサーが進捗状況を報告する。
・誰もが平等に発言権を持つが、ジョン・ラセターが気に入ったシーンや改良が必要だと思うテーマやアイデアを挙げると、そこから率直な意見が飛び交い始める。
・作品の強みや弱みについて、それぞれが自由に発言をする。
・悪いところ、抜けている点、わかりにくい点、意味をなさないとことを指摘する、ただし具体的に。
引用元:ピクサーとディズニーのストーリーの作り方はブレイントラストにあり! - ありんとこ
これだけだと「単なるレビューではないか」と思われるだろう。しかし重要な差異が存在している。
作品はあくまでも監督のもの。ブレイントラストは監督がプロジェクトの改善ために使う。つまりどのような意見がでようと、それの採否はあくまでも監督の判断。それゆえブレイントラストには権限をもたせていない。(権限をもたせた時は失敗した)また建設的批判を受け入れることができない監督にはブレイントラストは無力。
参加者は仮に「正解」と思える案を思いついたとしても、それを監督に「心から納得」させなくてはならない(権限によるものではなく)。そこまでが参加者の仕事。
それが批評と建設的な批評の違いです。批評すると同時に建設している。
どんな指摘をするにしても、相手を考えさせることが大事だと常に思っています。
だから学校の先生と同じことをします。
問題点を言い方を変えながら50回くらい指摘すると、そのうちどれかが響いて相手の目がぱっと開く。
「ああ、それやりたい」って思ってくれるんです。
引用元:ピクサーとディズニーのストーリーの作り方はブレイントラストにあり! - ありんとこ
さらにこの会議の主役が監督であることを示す一節を引用しよう。
「ブレイントラストが考える解決策は、おそらく監督やその制作チームが考える解決策ほど優れたものにはならないから」
引用元:BLOGS | クーリエ・ジャポン
レビューに参加するたび思うのだが、発表している人間は少なくともその問題について参加者とは比較にならないくらいの膨大な時間をかけ、考え抜いている。もちろん抜けもあるだろう。深く入り込んだゆえに混乱していることもあるかもしれない。しかしその場で数分聞いただけの人間が本当に「よりよい解決案」を思いつくのだろうか。しかし仮にその意見が「新たな解決策」ではなかったとしても、監督が考える手助けになることは期待できる。
このように見てくると、ブレイントラストが「指摘事項を的確に反映すること」を要求する通常のレビューとは異なることがわかるだろう。またブレーンストーミングとも違う。通称ブレストは参加者が自由に意見を出し合うだけ。主体がどこにあるのかはっきりしない。ブレントラストでは検討の対象になる(制作途中の)作品が存在し、それに対して意見が述べられる。
ブレイントラストの参加者は慎重に選ばれている
ブレイントラストのメンバーはストーリーテリングに深い造詣を持つ人ばかりで、たいていそのプロセスを自ら経験している
引用元:ピクサーとディズニーのストーリーの作り方はブレイントラストにあり! - ありんとこ
つまり自分で手を動かしていない人間をこの会議に加えてはならない。電話とメールで相手を「詰める」ことしかしない人間はそもそもお呼びではない。なぜか
信頼関係を築き、率直に話せるようになり、反撃を恐れず危惧や批判をできるようになり、建設的な批評の言葉遣いを覚えるまでには時間がかかる。
引用元:ピクサーとディズニーのストーリーの作り方はブレイントラストにあり! - ありんとこ
このプロセスが機能するためには、参加者の間に信頼関係が存在しなければならない。では信頼関係とは何か。それは
・どのような意見がでるにせよ、それが個人的な感情に基づくものではなく、良い作品を作るという一点からのものである。
・指摘する方も指摘される方も、映画を作る苦しさ、難しさ、そしてそれに批判を受けるつらさを身を持って理解している。
ことをお互いが当然のこととして信じられる関係ではなかろうか。
ブレイントラストでは「お互いが率直に意見を言い合うこと」が必要であり、難しいと強調されている。これを読んで私はGoogleでの有名な研究結果を思い出した。
そして、最後にGoogleがたどり着いた、成功するチームの共通点。
それは、心理学の専門用語では「心理的安全性」と呼ばれる、
「他者への心遣いや同情、あるいは配慮や共感」といったメンタルな要素だったのです。
「こんなことを言ったらチームメイトから馬鹿にされないだろうか」、あるいは「リーダーから叱られないだろうか」といった不安を感じる事が無い、
安らかな雰囲気をチーム内に育めるかどうか
本来の自分を曝け出すことができるかどうか
が成功の鍵なんだそうです。
引用元:Googleが調査した、成功する組織に共通しているたった1つの条件とは? – 株式会社ドラフト社長ブログ
つまりこのブレイントラストで示されている重要な要素は、Googleの研究結果で示されている「成功するチームに共通する唯一の特徴」そのもの。
もう一つ傍証をあげよう。集合知という言葉がある。複数人の知を「うまく」集めたものは個人の知を上回ることができる。しかし複数人を集め自由に発言させると結果は衆愚になりがちである。この二つを分かつものはなんなのか。
集合知とは謙虚から、
衆愚とは傲慢から生まれるものだと思った。
「分からない」を認め、
周囲に耳を傾け、
自分の確信を保留し、
不確定な事項を肯定的に受け入れる姿勢が集合知を生み出す。
逆に反発を恐れて集団内の不一致を隠し偽りの合意に走った時、
衆愚の罠に陥る。
引用元:【感想・ネタバレ】集合知の力、衆愚の罠 ― 人と組織にとって最もすばらしいことは何かのレビュー - 電子書籍ストア BookLive!
ここにも同じ要素が出てくる。集合知が機能するためには、それぞれが自分の意見を率直に述べることができなくてはならない。同調圧力が働いたり「みんな言っているから」という気持ちが出たり、述べられた意見に感情的に反発した瞬間に集合知は衆愚に変わる。ブレイントラストの、権威を持たせない、参加者を慎重に選ぶといった特徴は「衆愚」の罠を避けるためではないか。
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さて、ここで話は表題に戻る。なぜ私はこれを「巨災対」と名付けたか。
理由その1 :「巨災対」が観客の心を打ついくつかの要素がこのブレイントラストに含まれているから。以下に列挙する。
・巨災対は全員が出世とは無縁、加えて巨災対内の発言は評価と関係ないと宣言されている。
・人の足をひっぱったり、ぬけがけの功名を目指す見ていていらいらするようなキャラクターがいない。皆が「巨大生物による災害を食い止める」ただその一点に集中している。
・異なる見解の間の議論は行われているが、それは個人的感情、個人に対する攻撃とは切り離されている(例:安田課長の「ごめんなさい」)
・巨災対、そしてこの映画には自分は手を動かさないのに無責任な批判を繰り返す人間がいない。そうした人々は巨災対の面々が寝ている場面のバックグラウンドノイズとしてだけ存在する。
初めから自衛隊を投入して攻撃していれば惨禍は未然に防げたかもしれない。しかし、この物語にはそういったことを無責任な立場から告発するアウトサイダーは登場しない。
登場するのは、完璧ではなくてもなんとか事態を解決しようと試みつづけるインサイダーたちばかりである。
引用元:なぜ人がイチローになってから打席に立とうとするのか、『シン・ゴジラ』で説明するよ。:弱いなら弱いままで。:海燕のチャンネル(海燕) - ニコニコチャンネル:エンタメ
総理を含め誰もが完璧な判断を示すわけではない。しかし彼らと彼女たちは皆が責任を負い、事態に自ら取り組む。
ブレイントラストの参加者に要求されるのもそうした態度である。建設的な批判を相手の立場になりながら行う。無責任な評論家 ーアウトサイダー的態度ー ではなく実際に制作の苦しみを分かち合うインサイダーとして発言することが求められている。
「スケジュールが守られてないじゃないですか!課題表が整理されていない!何をやってるんですか。説明してください!」
と相手を詰めるだけの人間はシン・ゴジラにもブレイントラストにも居場所がない。
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振り返って現実世界の会議はどうだろうか。自分で手を動かさず、現実を見ず、部下を詰めることしかしない「偉い人」が長々と演説をぶつのが当たり前になっていないだろうか?もしそうだとすれば、ブレイントラストを職場に導入することは有益と思うのは私だけではないと信じる。
とはいえ
我々日本人にとってブレイントラスト導入のハードルは高い。山本七平が喝破したように「空気」なる得体の知れないものがその場を支配し、それを読めないものは排斥されるのが我が国の特色。発言の際には「周りの空気を読み、それを壊さない」ことが第一に求められる。さらには肩書きの上下は身分の上下と同一視される。それゆえ上司は部下に長々と説教を垂れる。なぜなら身分が上だから。どこかのコンサルティングファームのスローガンとは反対に
「何を言ったかより、誰が言ったかだけが問われる」
のが日本の社会。いや(日本に比べれば)自由な意見が飛び交うアメリカの文化においても、そうした傾向を克服するのは容易ではなかった。
私たちは彼らに、会議室から上下関係を取り除くことが、このミーティングで重要な点であることを説明していました。ですが、何カ月か経って見てみると、メンバーは、自分の考えを口に出す前に、ジョン・ラセター(主任クリエイティブオフィサー)の考えを受け入れてしまうことが分かりました。それは、ブレイン・トラストの考えと逆行するやり方です。私たちは、なぜジョンの考えに従うことが、結果的にチームにとって害となるのかを説明しました。その後、彼らのやり方は改善されましたが、かなり高いレベルで運営できるようになるには、数年を要しました。私たちが互いに信頼していなかった、というのは理由として十分ではありません。信頼というのは、構築に時間がかかるものです。今では、ディズニーのミーティングは、すばらしい場へと変化しました。ですが、それに労力を要したことは事実です。
引用元:ピクサーの魔法は「新しいアイデアが守られる文化」にあり | ライフハッカー[日本版]
ディズニーへの導入に数年要するブレイントラストを果たして「空気」が場を支配する日本に導入できるだろうか。間違いなくそれは困難だろうし、日本独自の工夫も必要になると思う。それが「ブレイントラスト」ではなく「巨災対」を導入すべきかもう一つの理由。
理由その2 :もしブレントラストが日本に根付くことができるとすれば、それはピクサー/ディズニーのブレイントラストとは似て非なるものになっているに違いないから。
宴会の席で、上司が「無礼講でいこう」と言えば、それは「お前ら俺に気を使いもちあげろよ。俺の説教を黙って聞けよ」と解釈すべき日本において果たして率直で建設的なコミュニケーションが成立するだろうか?
いや、悲観的ばかりになる必要はない。もし巨災対の姿になんらかの羨ましさを感じるのであれば、それは我々がブレイントラストというピクサー/ディズニーの素晴らしい作品を産んだプロセスに潜在的に渇望している印かもしれない。
私たちは、アナ雪、ベイマックス、ズートピアという素晴らしい映画として、ブレイントラストの成果を目の当たりにしている。であれば、自分たちがそこから学び、取り入れることを考えるべき。もしあなたが
「ブレイントラストが日本では機能しない4っの理由」
を書くアウトサイダーではなく、
「現実の問題をなんとかしたい」と自ら行動するインサイダーならなおさらだ。
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ちょっとまて、理由が2つしなないではないか、と気がつく人(そもそも誰も表題なんか覚えてないと思うが)のために最後の理由を明かそう。なぜ「巨災対」などという言葉を使うのか。
理由その3 :流行りの言葉をいれて注目を浴びたい、というさもしい根性