「ぼかりす」について今の時点でわかっている事

2008-04-30 00:00



事の始まりは「はてなブックマーク」でこの動画を観た事だった。


<script type="text/javascript" src="http://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm3128145" charset="utf-8"></script>


D


私のブックマークは4番目「この「声」はなんなんだ。釣りなのか?ブレークスルーなのか?」と書いた。本当にその正体がわからなかったのだ。




翌朝動画を訪れてみると、ほぼ正体が判明していた。インターネットの人力検索は偉大だ。




どうやらこれは、「VocaListener」(略して「ぼかりす」^^;)と呼ばれる技術が用いられているらしい。詳細は謎で、いったい何をどうしたらこうなるのかは皆目不明。とりあえずググッてみたところ、2008年5月28日(水)に開催される「第75回音楽情報科学研究会」で研究成果として発表されるらしい。また、うp主コメ欄には「これからもロングバージョンとか別の曲とか、どんどん投稿していきたいと思います・・・」と書いてあるので、詳細は次第に明らかになるかと思われ。これは大注目でつな。

>初音ミクみく 出た!科学の限界を超えた新技術「VocaListener」による神調教ミク!初音ミクみく 出た!科学の限界を超えた新技術「VocaListener」による神調教ミク!


First Authorが中野氏であることは承知した上で、これをやった人たちを「後藤一派」と表記させていただく。


「彼らの犯行」であることはまず間違いないと思う。なぜかと言えば、本歌がRWC研究用音楽データベースのものだからだ。普通にニコニコ動画とかみていても、まずこのRWCという言葉に出くわす事は無い。研究用途だからだ。


さて、いきなりここで話は「研究」について


私が研究にかかわっていたころ「花も実もあるインタフェースが目標」と言っていた。あるいは「素人を驚かせ、玄人をうならせる研究が目標」と。


私が自分でやったことは結局この域に達しなかったわけだが、後藤一派の研究は見事にこの言葉を実現している。この動画がニコニコで話題になっており、そして多分ほとんどの人がこれをまねできない事が何よりの証拠。


今の時点でこのVocaListenerの機能を推定してみる。


人間の歌唱から、Vocaloid用の「調教パラメータ」を抽出するプログラム。この抽出結果と、Vocaloidの通常入力(先ほどの動画で画面に表示されている類い)を合わせることで、Vocaloidに人間のような声で歌唱させることを可能とする。


となると(勝手に話を進めるが)頭に浮かぶ疑問はいくつかある。「玄人をうならせる」面では私にコメントのしようはないので「素人を喜ばせる」観点から書く。



これらは「素人が喜ぶかどうか」に大きく関わってくる事柄だ。この二つの質問に対する答えがNoであればそれは「神調教ツール」。公開されれば影響は計り知れない。しかし仮に質問への答えがYesであり、「初音ミクへのボイスチェンジャー」だとするとその有用性はかなり限定される。


この疑問はこれから他の楽曲がアップロードされるに従い、明らかになると思われる。最終的には研究会を待たねばならないが。


仮に今後RWCにある曲ばかりアップロードされるとすれば、このプログラムの有用性もその範囲、ということになる。


では「みくみく」の人間っぽい歌唱がアップロードされたらどうなるか?


私がツールを持っていれば「みくみくを歌ってみた」の中から上手なものを選び、そこからパラメータを抽出する。しかし真面目な研究者である後藤一派にはこれはできまい。みも知らぬ人の「歌ってみた」から勝手にパラメータを抽出して公開することは先ほど揚げた疑問から難しいのではなかろうか。


いずれにせよ今後の展開に要注目である。


---


後藤一派の研究は本当にすごいなあ。。俺は結局3流だったなあ。。




温故知新

2008-04-26 00:00




アレキサンダー・グラハム・ベルは初めて電話を発明したが、電報と比べて不都合とだという非難に、絶え間なく悩まされた。今日では、ほとんどどんな場合にも電話の優位性は明らかだが、当時はそうではなかったのだ。


要求仕様の探検学 D.C.ゴーズ、G.M.ワインバーグ著







この本の日本語版は1993年に発刊されている。2008年の現在、携帯電話におけるコミュニケーション手段が、音声ではなくどちらかといえば電報に近いメールに置き換わりつつあることは興味深い。


ここから学べることは何だろう?ある手段は、別の手段によって置き換えられるかもしれない。その過程においては「何も新しい物に変える理由はないよ。だって。。」と変化に抵抗する人たちが理由を並べ立てるのが常だ。


いくつかの場合において、結局新しい手段が勝利を収め、変化に抵抗していた人たちの言い草は「笑い話」として記憶されるようになる。


しかし


多分、それを「笑い話」にしてしまうのは間違っている。というかもったいない話なのだ。きっとその中には見過ごすことのできない真実が存在している。そして技術的進歩か、社会的変化かそれらの複合した条件が変化することにより、その「笑い話」が説得力を持つようになることもありえるのだろう。


となればだ


「新しいアイディア」を出す時に「今ではお笑い話になった」ロジックを掘り返してみるのも一つの方法ではなかろうか。




perfume v.s. 初音ミク

2008-04-23 00:00



先日音楽会議にでていたとき、私の前に座った人がこんなことを言った。


「初音ミクの声は人間っぽくないって言われるけど、perfumeの声の方がよっぽど機械的だ」


左様か、と思い「ちょこれいと でっすこ」という曲を聴いた。確かにそうだ。その声はぶ厚い効果の下に塗りこめられている。初音ミクの「神調教」の方が(比較すれば)はるかに人間らしく聞こえる。


などと考えているところにこうした文章をみつける。


なぜそうなっているかというと、その法体系や倫理体系を造り、支持している人間たちが、「他人は哲学的ゾンビではない」という根拠のない信仰、そして、「二次元美少女には感情やクオリアはない」という根拠のない信仰を抱いているからです。それらはどちらも「信仰」でしかありません。だから、もし、二次元美少女の感情やクオリアの実在を「信仰」しているアニオタがいたとしたとしても、それは単なる「信仰」の違いでしかないとしか言えません。

「人間の少女には心がある」のと同じ意味で「二次元のアニメ美少女にも心がある」かもしれないよ - 分裂勘違い君劇場 「人間の少女には心がある」のと同じ意味で「二次元のアニメ美少女にも心がある」かもしれないよ - 分裂勘違い君劇場


「意識」とは「知性」とは何かについては専門家の間でも活発な議論がなされていると聞く。私が気にいっているのはCaltechの下條教授の本に書いてあったこの定義(手元に本がないのでうろ覚え。間違っていたらごめんなさい)


「意識も知性もそれを観察している人間の側にある」


きわめて単純な機構(センサーとモーターが基本的に直結されている)ロボットの行動を「観て」、人間は「ああ、助け合っているな」と考え、ロボットに「知性」を見る。対象物の「意識」を客観的指標で(例えば脳波のパルスで)観察する方法が存在しない以上、我々が日常生活考える「他人の意識」というものは己の主観の投影でしかない。


そう考えるとだよ


perfumeというアイドルグループと、初音ミクのどちらに「意識」や「感情」を感じるか、という問題が頭に浮かぶわけだ。




私はperfumeなるグループ名で活動している女性たちがどのような人間なのか全く知らない。知っているのは彼女たちが歌い、踊る姿、声だけだ。


そして私の考えでは「アイドル」の仕事は、いい言葉で言えば「夢を売る」こと。悪い言葉で言えば「妄想をかきたて金を払わせること」だ。つまり彼女たちがどんな人間であるか、などはどうでもいいこと。「視聴者」が彼女たちに抱くイメージだけが問題なのだ。(これはおじさんが子供のころから変わらない)


これが先ほど私が述べた「意識」の定義と合致していることに気がついただろうか?


恥を承知でかくが、いい年をしいたおじさんでありながらVocaloidの動画をみていると涙腺が緩むことがある。例えばこの曲


<script type="text/javascript" src="http://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm2860554" charset="utf-8"></script>


D


私はVocaloidに感情をみているか、あるいはそれを作った人たちの感情を見ているか。いずれにしてもこちらの感情がゆさぶられることは確かである。


となるとだよ


perfumeに声援を送るのと、初音ミクに入れ込むのとどちらが「健康的」なのだろうか?


初音ミクというキャラクターはその作り手によって実に様々な顔を見せる。コミカルなものあり、シリアスなものあり。私には「彼女」のほうがよほど興味深く思える。perfumeのように「作り手の意図」が透けて見える「人間」に比べれば。


もう一つおじさんらしい意見を書いておく。perfumeのような人間が演じている「アイドル」の問題点だ。幼いころ「フィンガー5」なるグループがいた。「かっこいいね。こんなのなりたいなあ」と言ったところ、母は「こんなの、学校も行かなくて良くない」と言った。それを聞いてかなりびっくりした。


しかしこの年になると母の言っていたことが正解だったと分かるのだ。モーニング娘。なるグループの後藤、辻、加護の運命を知るにつれその思いは強まる。


であれば、「人間」ではなく、2次元のキャラクターをアイドルとしているほうが、社会としても「健康的」なのではなかろうか。




「良い製品」を作るために必要なこと

2008-04-21 00:00



アマチュアは、流行ってる音楽を分析してコピーするとか、どうやってたくさんの人に聴いてもらえるか、すごく企画しているかもしれないけど。でも本当のミュージシャンは、たぶん完全に、自分の心から出てきた音楽を作っているから。「ついてきてくれるファンがいればいい。いなくてもしょうがない」っていう。自分に正直でないと、音楽はつくれないから。

「アラ探しより“面白い探し”のほうがいいじゃん」:NBonline(日経ビジネス オンライン)「アラ探しより“面白い探し”のほうがいいじゃん」:NBonline(日経ビジネス オンライン)


さて今日の問題です。「良い製品」を作るためにはどうすればよいでしょう?


近年この問題には二つの全く異なる解答が存在しているように思う。



  1. 市場を分析し、ニーズを把握し、ターゲットとするユーザ層をきっちりと想定した上で商品を企画する

  2. 自分が本当に作りたいと思えるものを作りなさい


この二つの声がどう位置づけられるべきなのか、私はずっと考え続けている。前者の声は「表の声」であり、本に書いてある。しかし近年後者の声があちこちで聞こえるようになってきている。一つだけ確かなのは後者の作り方でなければ商品に「魂」がこもらない、ということだ。


いまだうまく言語化できないのだが、「説明がきちんとできる」製品と「魂がこもった」製品の間には大きな差があると思う。





今日書いたことは自分でもまだ考え中の内容だ。「説明がきちんとできる製品作り」に関する本は多いから、「魂がこもった製品作り」に関して私が見聞きしたことを列挙しておしまいにする。




そのスティーブとたまたま「マイクロソフトとアップルのどこが違うか」という話題になった時に、彼が言った言葉が今でも心に残っている。 「マイクロソフトのプロダクツにはソウル(魂)が無い」 この言葉には本当にまいってしまった。

Life is beautiful: ソウル(魂)のあるもの作りLife is beautiful: ソウル(魂)のあるもの作り



アップルのデザイナーはどの製品についてもまったく異なるモックアップを10は作る。Lopp 曰く、「3つがよく見えるようにあと7つ」作るのではない。そんなことならみんながやっているだろう。そうではなくて、まったく制限を設けず心行くまでデザインさせたものを10作るのだ。それから何か月もかけて3つに絞り込む。そして最後に3つの中からこれはと思うものを決めるのだ。

アップルのデザインはこうやる・・・ « maclalalaアップルのデザインはこうやる・・・ « maclalala



"We do no market research. We don't hire consultants. The only consultants I've ever hired in my 10 years is one firm to analyze Gateway's retail strategy so I would not make some of the same mistakes they made [when launching Apple's retail stores]. But we never hire consultants, per se. We just want to make great products.

Steve Jobs speaks outSteve Jobs speaks out




「壁」はなんのために存在するのか

2008-04-17 00:00



例によってランディ・パウシュ教授の最終講義から





(子供のころディズニーランドに行って)こんなすごいところにきたことがない、と思った。そして「もっとここにいたい」と思う代わりに「こんなものを作りたい」と思った。


それから苦労してカーネギーメロンでPh.D.を取った。これさえあれば何でもできると思っていたのさ。急いでディズニーのイマジニア(アトラクションなどを企画するエンジニア)*1に応募した。その結果今まで受け取ったことのないような素晴らしい「あんたなんかお呼びじゃない」レターをもらった。どんな文面だったかというと「応募書類を慎重に検討いたしましたが、あなたの能力に見合ったポジションがありません」。「道を掃除する人たち」で有名な場所からこんな手紙を受け取ったらどんな気持ちになるか想像して欲しい。


というわけでちょっと挫折を味わった。しかし覚えておいて欲しい。「壁」があるのにはちゃんと理由がある。「壁」は人を通さないためにあるんじゃない。どれだけ真剣に「目的を達成したい」と思っているか試すためにある。真剣さが足りない人たちはそこでおしまい。つまり「壁」は他の人を通さないためにある。



少し前には日本中で入社式が行われ、退屈な話がたくさん製造されたと思う。最近、Steve JobsのStanfordでのスピーチと、このパウシュ教授の最終講義さえあれば、そうしたくだらないお話をほとんど不要にできるのではないかとまじめに考えている。まあ、世の中には話をしたい人がたくさんいるからそういうわけにもいかないのだろう。


この後、パウシュ教授は自分でも思ってみなかった道を通って、ディズニーのイマジニアとして働くチャンスを得る。そこでこんなことを言われたのだそうな。





最初にイマジニアに行った時、彼女は私を"Dressed me down”*2した人の一人だった。彼女はこういった「あなたアラジンプロジェクトで働くんだって?何ができるの?」それにこう答えたよ「僕はComputer Scienceで終身在職権を持っている教授だよ」それに対して彼女はこういった「それはいいこと、教授君。でもそんなことを聞いてるんじゃないの。あなた何ができるの?」



いや、素晴らしい。この「あなた何ができるの?」という問いは時折自分の中で繰り返そうと思う。




*1:この訳はhttp://mediasabor.jp/2007/10/post_233.htmlから


*2:ここの訳わかりません。意味はなんとなくわかるけど




for the love, not for the money

2008-04-16 00:00



Lessig「著作権廃止論者が増加している・・・著作権が意図するものそれ自体を拒否する世代だ。著作権を拒否し、著作権法なぞ無視されて当然のクソだと考える。」

Larry Lessig:法律は創造性を窒息させる « maclalalaLarry Lessig:法律は創造性を窒息させる « maclalala


このプレゼンテーションを見ていて、二つの言葉が心に残ったので書いておく。


一つは





Read Only CultureからRead Write Cultureへ





作ったものを著作権でがちがちに固め、一度閲覧するたびに金を払え、というのが今までの、そして今某国での権威が目指している方向。


しかし今インターネットで起こっていることはまさにRead Write Cultureだ。誰もが製作物を目にしたり、聞いたりできる。それに触発されてまた新しいコンテンツが製作される。


ここで私は貧弱な音楽の知識を掘り返して次のことを書く。今日本で著作権ガチガチの世界を実現しようとしている人たちはまさしくこのRead onlyの世界を目指しているのだと思う。彼らの掲げる標語はCulture First


美しい言葉だ。そしてそれを聞いて私はこう考える。数百年の時をこえ、全く文化的背景の異なる世界で育った私にもモーツァルトの音楽の素晴らしさは分かる。しかし彼が曲を作っているときJASRACは存在していなかったぞ、と。


そしてモーツァルトの書簡集にこんなフレーズがあったことを思い出すのだ。狙ったところで聴衆が喝采したため、最後にもう一度そのフレーズを繰り返さなくてはならなかった、と。つまり当時は「クラシック音楽」であってもRead Writeの作品だったのだ。この場合Writeするのは聴衆である。


もう一つ心に残った言葉は本日の題名





for the love, not for the money.





ニコニコ動画で何故作品を公表するか?なぜなら自分がその作品を(他人がそのできばえをどう思おうと)愛しているからだ。金とは関係ない。


そしてニコニコ動画は匿名性と、金銭の切り離しを徹底させることでこのfor the love, not for the moneyをうまく実現しているように思うのだ。


ちなみにこのプレゼンで主張されていることは、「著作権なんかなくしてしまえ」というExtremeな主張ではない。バランスさせることを主張している。その言葉を聴いていてふと思った。考えてみればWeb上のサービスというのはなんでも「無料」で提供することでうまくやっているではないか。もちろんかつて「無料でPC提供」とやって失敗した企業もあったけど、例えばGoogleがやっているように「ある程度のトラフィックまでは無料。商用利用はライセンス締結」でちゃんと商売になっているではないか。これも一つのバランスのさせかただと思う。


また、ちなみにこのプレゼンでは、かつて米国の最高裁に持ち込まれた訴訟がでてくる。二人の農夫が「自分たちの農場の上空を飛行機が飛ぶのはけしからん。権利の侵害だ。」と申し立てたらしい。(私のヒアリングが間違っていなければ)


さらにちなみにこのプレゼンの中ででてくるRemixには爆笑させられた。いや、素晴らしい。Bushとブレアのデュエットととは。。


<object width="425" height="336"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/nupdcGwIG-g"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/nupdcGwIG-g" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="425" height="336" FlashVars="movie_url=http://d.hatena.ne.jp/video/youtube/nupdcGwIG-g"></embed></object>


D


<object width="425" height="336"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/eB6vPwwBGGs"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/eB6vPwwBGGs" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="425" height="336" FlashVars="movie_url=http://d.hatena.ne.jp/video/youtube/eB6vPwwBGGs"></embed></object>


D




米国の超一流大学であることの強み

2008-04-09 00:00



ランディ・パウシュ教授の最終講義より。昨日聞いて印象に残ったところ。



このコースはとてもシンプルだ。異なる学部(Department)から集めらた学生をランダムに選んだ4名で一チームにする。そしてプロジェクトごとにチームを組みかえる。プロジェクトの期間は2週間。だから何かをして、何かを作って、それを発表して、チームのメンバーをシャッフルして3人の新しい仲間と同じ事をするわけだ。二週間ごとにそれをするから一学期の間に5回プロジェクトをする。


最初の年に”how much of a tiger by the tail we had”*1かは言葉に尽くし難い。自分でもできるかどうか知りたくて講義を作った。当時は3Dグラフィックスでどうやってテクスチャマッピングをするか分かり始めたころで、まあまあの物ができるようになったところだった。そして当時のコンピュータは今から見ればとても貧弱なものだった。だけどやってみようと思った。




新しくカーネギーメロンに移ってきてから、いろんな学生を集めるために異なる学部の講義リストに載せてほしいと何回か電話をした。そして24時間以内には5つの学部でこのコースがリストに載っていた。


私はこの大学が大好きだ。驚くべき場所だ。そして集まった学生は「何を作ればいいんですか?」と聞いた。私は「知るわけないだろ」と答えた。何でも好きなものを作れ。ただしルールが二つある。銃を撃ちまくるものとポルノは禁止だ。これらに対して私が反対しているからではない。もうVRでやられているだろう?(聴衆の笑い声)そして19歳の男がこの二つを禁止したとき、全くアイディアなしになってしまうのを知ったら驚くと思うよ(聴衆の笑い声と拍手)




とにかくコースを始めた。最初の課題を与えると彼らは2週間後に戻ってきた。その結果をみて私はぶっとんだ。彼らの成果は私の予想をはるかに超えていたからだ。プロセスはイマジニアのVRラボのものをまねたものだったが、学部生が今より貧弱なツールで何ができるか私にもわからなかった。しかし最初の課題の結果はあまりにもすばらしく、教授を10年やっていて初めて私は「次に何をしたらいいかわからない」状態になった。




そこで師匠*2であるAndy Van Damに電話をした。




「彼らに2週間の課題を与えたら、一学期かかって作ったとしても全員にAをあげなくちゃいけないほどのすごいものを作ってきた。Sensei*3 どうしたらいいでしょうか?」




Andyはしばらく考えた後、こう答えた。明日クラスに戻り彼らの目を見ながらこういえばいい。「悪くないできだ。でももっといいものができるんじゃないか?」



カーネギー・メロンという名前を最初に聞いたとき


「メロンか。。」


と思った。しかしその後文句なしの超一流大学であることを学んだ。*4


この話を読むと驚く点がいくつかある。


まずあちこち電話しただけで、複数の学部から履修できる新しいコースを作れるとは。(日本の大学でこれをやろうと思ったらどれほど大変か私には全く知識がないけど、きっと大変なんじゃないかな)


また実際に学生がどんなものを作ったかは私にはわからないが、たった二週間で驚くものを作ってくる学生。(多少オーバーに言っている可能性を割り引いたとしてもだ)


そうした学生を世界中から集められるところが米国の超一流大学の強みだ。


自分が学生のころにこういう話を聞いていたら、「そういう環境で勉強したい」と思った,,,かもしれない。いや当時の私は「そう。すごいねー」とちょっと斜にかまえた態度で聞き流し、また同じ生活を続けたかもしれない。だから今ここにいるわけだが。




*1:訳がわかりません


*2:原文:Mentor どういう訳語がぴったりかな?


*3:原文まま。米国人が使うときにどういうニュアンスを持っているのかはよくわからない


*4:ピッツバーグは暑くて寒いけどね




今朝拾った自然石

2008-04-07 00:00



字幕つきバージョンで少しずつ聞き進めているランディ・パウシュ教授の最終講義。メモしたくなる事柄は多いが、今朝心に残ったのはこのフレーズ。





"Experience is what you get when you didn't get what you wanted"





パウシュ教授の子供のころの夢No.2はNFL(米国のプロフットボールリーグ)でプレーすることだった。子供のころはいったチームで一番からだが小さかった彼は結局NFLでプレーすることはなかった。


しかしそこから彼はExperience-経験を得た。それゆえ





"But football got me where I am today"





ということができたのだ。


自分を振り返れば、成功、順調なときに得るものは本当に少ない。それどこから自分の鼻が知らぬ間に高くなってとってもいやなやつになっていることが多い。


「すっこん」と転んだとき、痛むひざの傷を見ながらふと回りを見回す。すると世の中のことがもっとよく見えるような気がする。自分が走っているときには全く気が付かなかった「転んだ人」がたくさんいることに気が付く。「成功は俺の努力のせいさ」とか思っていたことが、ぜんぜんそうではなかったことに気が付く(こともある)。自分のおろかさを省みて、へそをかむ様な思いをすることもある。自分がどうするべきか立ち止まって(転んだからしばらくは歩けない)考えることにもなる。それをExperienceと呼ぼうか。


ちなみにパウシュ教授の前にスピーチをした人のDark Humorにも感服した。





「君は死んじゃいけないよ。だって僕の友達の平均IQが50は下がるじゃないか」


「そうだな。君にもっと賢い友人を紹介しなくちゃ」


というわけで(聴衆に向かって)皆さんはカーネギーメロンにいるから賢いわけだ。僕はホールの隅にいるから友達になりたい人は来てね。


(全て意訳)



仮に日本でこういう「最終講義」をやったときのことを考えてごらんなさいな。とにかく叫ぶでしょ、泣くでしょ?このDark Humorの後に続く言葉を聴くとパウシュ教授に対する友情、愛情があふれていることがわかる。でも彼は叫びも泣きもしない。


「邦画」の多くがキーキー泣きながらも観客に何の感動も与えず、「洋画」のいくつかは泣かなくても人に感動を与える、と私は思っているがそれはこんな「普通の人」のレベルからしてぜんぜん違うところに起因しているのかな、、と考えたりする。




『音楽会議3 sponsored by YAMAHA』に出席したよ

2008-04-05 00:00



というわけで音楽会議3sponsored byYAMAHAにいってきた。


さて、今回のお題は「一見音とは関係なさそうな( )を演奏可能とする」とかなんとかそういうもの。6名のグループで一つの結論をだすものと、個人のアイディア、両方とも3位まで表彰された。


その個人賞を聞いていて私は深い憂鬱に沈んだ。3位のアイディアで音楽を奏でるのは「お箸」2位は「怒り」1位は「金融資産」だった。




私が考えたアイディアは


「その人の周りの風景の写真を変換した音楽でゆるくつながる人の輪」


この凡庸さ。私に考えつくのはこんなことか。




今回は各グループに一人づつくらいの割合でYAMAHAの社員が入っていた。とういことは相当の数の社員が参加していたということだ。


私がこれまでに勤務した会社は間違ってもこうしたイベントを主催しそうにないし、何かの間違いで主催したとしても集まったアイディアを


「あ、ファイルしといて」


と言っておしまいにするような会社だ。。。と会社の事をのろっている間に私は先人の知恵に学ぶべきだったのだ。


「人を呪わば穴二つ」


会社を呪っている間に私も「凡庸でつまらない」穴にしっかり落ちていたのだ。


個人賞を選ぶにあたり「圧倒的に多かったのは写真を使った物でした。ですから写真以外から選びました」といっていた。確かにそうだ。このご時世、写真を使う事など一番「誰もが考えそうなこと」ではないか。


というわけで今回の一番の収穫はこの深い自己嫌悪である。しかしこのブログを読んでくれている人にとっては、私の自己嫌悪などどうでもいいことだろう。


であるから私は心に棚*1を作り、勝手に思った事をかかねばならない。


---


私は今回を含め3回ほどYAMAHAの社員がプレゼンテーションするのを聞いた事がある。たった3回で結論を出すのは強引だと自覚しながらもこう思わざるを得ない。


YAMAHAの人たちは本当に音楽が好きで(私が聞いたのは全部音楽関係のプレゼンだったから)YAMAHAという会社が好きなのだな、と。


いや、そもそもそう思っている人間しか人前でプレゼンしないだろう、という意見もあろう。しかしこれで3回目の○○会議だが、振り返ってみればやはり会社によってカラーの違いというのはあるように思うのだ。


さて話が難しいのは。


その「真面目さ。音作りへの誇り」がうまく働く場合とそうでない場合があるように思える事だ。


今回の目玉は「ボーカロイドとボコーダーのオンラインサービス」だった。従来67万円以上かかっていたボコーダーの機能がオンラインで使えるというのは確かに「すごい」ことなのだろう。


しかしそれをどう使ったらいいのだろう?ここで当日ならった「ボコーダーができること」をあげると。



私はとっても発想が貧困な人なので、隣に座った人に「あれどうやって使いますかね」と聞いた。すると



なるほど。。しかし私が使うためにはもう少し想像力が必要なようだ。


Vocaloidのオンラインサービスも少し位置づけが難しいのかもしれない。結局多くの支持を集めるのは「調教」*2を極限までした曲。ただ「Vocaloidに歌わせてみました」というだけでは誰も聞いてくれない。


しかしOnlineで調教を極限までやるのは難しかろう。となるとこれは誰のためのものなのか。全くの直感だが、ユーザにとって不自由なところ、自由なところをもう少し動かした方がいいのだろうか。「みんなに音楽を楽しんでもらいたい」という情熱は痛いほど伝わってきた。しかしVocaloidの普及に初音ミクとニコニコ動画というYAMAHA以外の力が必要だったように、こうしたサービスを広く普及させるためには「真面目な音作り」の情熱とはちょっとずれたものが必要なのかもしれぬ。


いや、少し前に悟った事を思い出すべきだ。私の想像力がこの世の中の限界ではない。だいたい初音ミクのニュースを最初に観たときだって「このヲタ向けソフトは。。」と思ったではないか。


こうしたサービスを公開することにより、また明後日の方向へ進化が起こるかもしれないではないか。そのためにこうしたサービスを開発し、公開に向けて動くというのは素晴らしい事だ。


音作りへの真面目さを保ちながら、こうしたイベントを3回も主催し、広くアイディアを、ユーザの声を聞こうとしている。かつ社員も多数参加させているその姿勢には素直に頭が下がる。「素人に音作りの何がわかる」なんて態度は(きっと社内にそういう声もあるとは思うのだが)参加していたYAMAHAの社員の方からは微塵も感じられなかった。


---


あとは思いついたことをat random に。







今まで見つけた他の参加者のブログ(随時追加予定)


『音楽会議3 sponsored by YAMAHA』へ参加してきました (オンライン版初音ミクのデモ等々)


出た!イベント「音楽会議3」にて「On-line VOCALOID」が登場!


ボーカロイドのこれから(音楽会議3)


音楽会議3に行ってきました


音楽会議3(http://i-ro-ha.vox.com/library/post/音楽会議3.html)


音楽会議!!


On-line VOCALOIDのプロトタイプを見てきた


『音楽会議3 sponsored by YAMAHA』に参加しました。


音楽会議3とオートボコーダーボックス(ベータ)


「音楽会議3」sponsored by YAMAHA


「初音ミク」オンライン版登場!|




*1:炎の転校生より


*2:当日はこの言葉を使わないようにとても気を使っていたが




音楽会議3 sponsored by YAMAHAに出席するよ

2008-04-02 00:00



というわけで百式さん主催の音楽会議3 sponsored by YAMAHAに出席します。


さて、Vocaloidについてはいろいろと書きたいことがあるし、今までにも書いている。本日は「音楽会議に出席するにあたって私が考えていること」をば。


去年のことであったが、某学会の研究会に出席した。そのときYAMAHAの人がVocaloidについて発表した。うろ覚えではあるが発表した内容にこんなことが含まれていたと思う。



企業で働いているものとして、こうしたコメントが寄せられる背景ならびに、「解決策」はとても「実感」できるものである。費用対効果を問われることは多いし、それを合理的に考えようとすれば確かにこれは一つの方向性であろう。


しかし


「ニコニコ動画」という場を得てVocaloidが普及した結果、全く「あさっての方向」への進化が起こった。


確かに現状のVocaloidを人間のように歌わせようとすると手間がかかる。しかしそれゆえの「神調教」が生まれた。また歌詞を聞き取ることもできないので、コメントとして字幕を付与する「字幕職人」が生まれた。


また(私の考えでは)Vocaloidであればこそ「上手く歌える」曲もいくつか登場した。具体的には以下の二つ。


<script type="text/javascript" src="http://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm2397344" charset="utf-8"></script>


D


<script type="text/javascript" src="http://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm2053548" charset="utf-8"></script>


D


なぜこれを「Vocaloidならでは」と考えるか?


これらの曲を「人間が歌いました」という曲がいくつかアップロードされている。それらの多くが「声に感情を込めすぎている」ように思うのだ(*1)特に「サイハテ」について言えば、全く感情のこもらないカラリとしたVolcaloidの声だからこそ成立した「ポップなレクイエム」だと思う。


かくのごとく「プロには使ってもらえない」ソフトウェアが、インターネットを通じて多くの人に触れた結果おそらくは誰も予想していなかった明後日の方向への進化が起きた。私はこうした思いもかけない変化を見るのが好きだ。かくして今でも時間があれば、ニコニコ動画にアクセスし、「何か面白いことが起こっていないか」とあちこちを見続けるのだ。


と書いていて以前の音楽会議についてかかれたブログを見て知ったのだが。。


YAMAHAもMy Soundなる「音楽配信+コミュニティ」サイトを作っていたのだね。ブックマーク、リコメンド、購入サポート等々、機能もいたれりつくせりだ。なのに何故ニコニコ動画ばかりが栄えるのか。違法コンテンツ云々だけではないような気もする。かくのごとくWebのサービスは理屈どおりに行かないところが難しくかつ(野次馬としては)興味深い。




*1:それを推し進めて「演歌調で歌いました」なる名歌唱もあるが。ちなみにスローバラードのピアノバージョンもあり、こちらは感情をある程度込めても成立すると思う、と自己弁護をしてみる。