iPadを少なくとも一台は買うつもりなのだが

2010-01-29 06:50

まず最初につり気味の宣言を

"これは初めて登場した真の"パーソナルコンピュータ"だ!"

こういうことだ。やれ動画編集だとか、Javaでプログラミングだとかそういうギークが使うコンピュータは今までに山ほど存在した。

しかし

"真のパーソナルコンピュータ"。誰もが簡単に楽しんで使うことのできるコンピュータは今まで存在しなかったのだ(それを称した製品はこれまた山ほどあるが)

ギークはいいんだよ。LinuxでもMac osでも使ってれば。でも今までそうじゃない人たちにリーチで来たコンピュータはなかったのだ。

昨日見た記事で一番共感したのがこれ

そうなんです、これはアップルが世のPCユーザーに突きつけた挑戦状! もうiPadだけで、PCなんてオサラバなのさ。さらば、Windowsよ...

ではでは、

via: [ #iPad ]ネットブックもノートPCも死んだ! まさにPCライクなiPadの魅力を徹底解説 : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン), ガジェット情報満載ブログ

ボタンをおせば一瞬で起動。マルチタクスだの、タスクマネージャだの厄介なことはなし。ボタンをおせば、楽しいアプリケーションが起動。音楽が聞けて写真を楽しめて。そしてそのうち絵本がでてくれないかと思っているのだ。

こんな楽しいコンピュータがこれまでにあったか?


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いろいろな記事をよみ"iPhoneで十分"としている人は、主に一人での使用を念頭に置いていることが読み取れる。

私はこれを子供たちに使わせるつもりだ。まだ幼稚園にかよっている子供たち。いろんなゲームで遊んだり、Youtubeの動画をみたり、あるいは文字入力ができるようになればインターネットをみてもらってもいい。

二人できっといろいろ楽しいことを発見してくれるだろう。絵本を読んでもらってもいい。そして子供たちにMacやWindowsは使えないが、iphoneならつかえるのだ。ということはiPadも使えるということ。

可能であれば母にも使ってもらいたい。メールとWebが見られればいいのよ、と常々言っている母に。ついでにこれで写真も見てください。

もうVistaなんか使わなくても大丈夫。これ一つで母がやりたいことは全部ok。


またある人が書いていたが、これはPhoto standとしても使えるはずだ。となれば絶対実家に一台は必要だな。

自分でも不思議なのだが、iPadをみていると"こんな使い方があるかもしれない。こんな楽しいことができそうだ"という想像がどんどん膨らむ。H/Wだけみればたしかにサイズ4倍のiPhone。しかしこの差異はなんだ?

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しかしそのためには障害が。

Appleが意図的にFlashをサポートしていなのはわかる。その志はいかにもAppleらしい。

しかし

そのため子供たちにとってのキラーコンテンツ、Goromi-Tubeが動かないのだ。こいつは困った。

子供向け無料ゲームがFlashで作られていることにはまあ目をつぶることができるが、Goromi-tubeが動かないのは困る。iPhone上のYoutubeアプリとGoromi-Tubeではユーザ体験に差があるのだ。横目でみながら次を選択、ができない。

さて、どうしたものか。。でもなあ。。なんとかしたい。

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ちなみに昨日読んだ中で一番的外れと思ったのがこれ



特別驚くような点は見当たらない。3G通信機能がオプションになっていることもあり、"でかいiPod touch"という感じだ。もうひとひねりあるのではないか、と思っていた身としては、ちょっと肩すかしの感もある。


via: 元麻布春男のWatchTower:iPadは"でかいiPod touch"なのか、あるいは...... (1/2) - ITmedia +D PC USER

いやさ、大きさがVaio-Xに近いって、、何みてるの?


iPadをみていて思ったこと

2010-01-28 07:42

たぶん他にも書いている人がいると思うが

"これはうちの母親に持たせる最適のPCではないか?"

Webとメールさえできればいいのよ、とはよく言われること。過去にその機能を付加した家電製品はたくさんあったと思う。

しかしそれはあまりに使いにくかったり、最初は動いていても、最新のFlashに対応しないとか、最新のHTMLに対応しないとかで使えなくなってしまう。

しかしiPadなら違うぞ。Webとメールは使えるし、アップデートもされる。孫の写真も楽しく見ることができる。うちの父親は自分で文章書いたり写真を取り込んだり、、あれ、これiPadでもできるのかな。

キーボードをつければ、うちの母でも使えるに違いない、、、いや、この前DELLのPCにメールデータを移したり、慣れないVISTAで散々苦労した立場からすると、このiPadは両親に送る最高のコンピュータではないかと思うのだ。

あるいは小学校、幼稚園、中学校で子供たちがこのiPadに触っているところを想像するだけでもわくわくする。なによりも助かるのは、PC苦手、という先生たちではないか?フォルダがどうのこうのと考える必要はもうない。ただアプリをタッチして使えばいいのだ。

そう考えればiPadは、BobやAt easeが達成しようとして失敗した

"誰にでも簡単に使えるPC"

の最初の形ではないのか?


断片化、リアルタイム化が進む情報へのインタフェース

2010-01-27 07:07

近年インターネットと携帯情報端末の普及により、情報の形態として断片化、リアルタイム化が進んでいる。
具体例でいえば、人と人とのコミュニケーションに電話普及以前は手紙を用いた。"愛と死"ではカップルが何の用事を伝えるにも手紙を書いたことが記述されている。手紙は一定の形式をもっており、ある程度まとまった分量の文章を一定以上の間隔でしかやりとりすることができなかった。

次に携帯電話の普及によりメールが使われるようになった。メールの文章は、若年層ほど短文化し、頻繁に送受される、という調査結果が存在する(といいなあ)

さらにはTwitterの普及により、140文字以内と情報の長さに具体的な制限がつき、かつほぼリアルタイムに"つぶやく"ことが普及した。

このように情報の断片化、リアルタイム化の傾向ははっきりしているのだが、その情報とどのようにインタラクションするかについては試行錯誤が続いている。Twitterは非常に制限されたタイムラインというインタフェースを提供しているが、十分とは言えない。またある程度の間隔をもって更新される情報には有効に働いた検索という手段も、このように断片化、リアルタイム化する情報には有効に作用しえない。(ということを示した論文があるといいなあ)

この点において情報の特質を考慮した新しいインタフェースが提供されるべきではないだろうか。

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というようなことを半ばまじめに考えている。でもってGoromi-tubeなわけだ。必要なのは

・ずらっと並んだPlaylist
・検索結果を示す結果リスト

であり、Goromi-tubeでは前者が横にならび、後者が縦に並んでいる。というかどちらかというと後者に重きを置いていたのだが、重要なのは前者ではなかろうか

そんな問題意識を持っていたところに、いきなり前者の究極サービスが公開されてしまう

YouTube Music Discovery Project

がびーん

なぜがびーんとなるか。もちろんこのインタフェースにあれこれ文句をつけることはできる。しかしだねえ。

これはデータを全部もち、かつユーザの使用データをとれるGoogle=youtubeにしか提供できないサービスなのだ。外からこんなことをやろうとしてもできない。しくしく。

いや

こういう想定はどうだ。情報の断片化、リアルタイム化により、情報の全体図を得ることは誰にもできなくなってきている。そうした状況において、新しい情報を得るためのインタフェースが必要とされている。

とあおり文句だけは思いつくんだけどなあ。

必要なのは、前述した二つのリスト+それらを"変調"する仕組み。この"変調"という仕組みはGoromi-tubeに部分的に取り入れているのだが、それらが結構利用されていることに驚いている。

変調でひとつまとめようか。


ガラケー電話帳との戦い

2010-01-26 07:12

私自身はガラケーをほとんど使ったことがない人である。しかしある理由により、ウィルコムからSoftbankにアドレス帳のデータを移行しなければならないことになった。

Softbankのセールスマンはこういった

"ウィルコムからアドレス帳のデータをmicroSDに移してください。それをSoftbankケータイで読み込みます"

データの形式はなんだ?パスはどこに置けばいいのか?そんなことはすべてすっ飛ばしてこの指示である。私は言われた通り、ウィルコムのユーティリティでアドレス帳のデータを取り出し、microSDのトップにおいた。

それをSoftbankに持っていくと

"拡張子はなんですか?.add ? .txtにしてください。パスは、、うろ覚えですが、、○○だったかな"

ここまで聞いて、この人たちは何もしらない、ということがわかる。時間の無駄なのでにっこり笑って帰る。

PCに向かいGoogle先生に相談する。SoftbankのセールスマンなんかよりGoogle先生のほうがはるかに頼りになる。いくつかSuggestionがあることがわかる。

結局行ったのは次の二つの方法である。

1)ウィルコムケータイに付属のユーティリティ(携帯マスターNX)を使って、csvおよびvcf(vCard形式)でアドレス帳データを吸い取る

2)Softbank携帯を操作して、アドレス帳のバックアップをsdカード上に作成する。それをPCでマウントし、どこに何があるかを確認する(取り扱い説明書にパスが書いてある。ちなみにセールスが言ったのは全くのデタラメだった)
それにならって.vcfファイルを置く。Softbankケータイを操作して読み込む

3) 2)の方法で、とりあえず移行はできたが、ヨミガナが反映されていない。これは困った。
別の方法として、my softbankのページより、y!電話帳バックアップというページにアクセスする。(ここでパスワードを調べるのにとても時間がかかった)そこで"PCにバックアップ"というメニューを選び、.csvファイルを仮にダウンロードする。

それを開いてみると、y!電話帳バックアップでどのようなフォーマットのcsvファイルを受け付けるかがわかる。ウィルコムから取り出した.csvファイルを加工してフォーマットを合わせる。(電話番号の頭の0が消えてしまうので結局VBScriptまで使うハメになった)

それをy!電話帳バックアップに読み込ませ、ケータイからデータを同期させる

これでなんとかデータ移行は完了。この過程でいくつかのことを発見した

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・セールスマンは回線を契約させるまでが商売。その後のアドレス帳移行などはウソでたらめをいってもokだと思っている。

・そもそも他キャリアへのアドレス帳移行などは一銭にもならないどころか損になることだから誰もまじめに取り組まない。

・2GBのmicroSDを近くの店で買うと560円。家の近所の電気屋で買うと1000円。ケータイショップには

"大幅値下げ!3480円"

と書いてあった。この価格差はなんなんだ。知らない人は買ってしまうのだろうな。しかし7倍はひどいなあ。


宣伝の意図は理解できるが

2010-01-25 07:46

恒例の○○認識の悪口を書こうのコーナーです。

この擬人化サービスの1例として鈴木氏は、キャラクターと対話をすることでユーザーの要求を満たすサービスを紹介。自分の星座を教えると占いをしてくれたり、好きな野球チームを教えてくれたりといった日常会話ができるほか、劇場のチケットを予約するなどのコンシェルジュ的なサービスも可能になるという。

via: Googleの「音声検索」とは違う:音声認識で人間並みのコミュニケーションが可能に――「AmiVoice」の未来 (1/2) - ITmedia +D モバイル

ベンチャー企業が宣伝としてこういうことを書くのは理解できるのだけどね。

"音声認識"と"人間並みのコミュニケーション"の間には深くて長い溝がある。というかほとんど別物と考えた方がよい。

前の会社にはいってすぐ"音声認識を担当しろ"と言われた。はて、どんな技術やら。最初はなかなか面白いと思えた。

しかしそのうち気がついたのだ。

仮に"完璧な音声認識技術"ができたとしよう。その状況はたとえば音声認識部分をキーボードからの文字入力でシミュレートすることが可能だ。

では、キーボードから文字入力をさせたとして、それが"人間並みのコミュニケーション"につながるのか?答えはばかばかしいほど明白である。

この会社が掲げる"10年後の世界"は10年前に見た"10年後の音声認識"となんら変わりがない。つまりこの業界はゆるやかな前進をしているだけで、誰も"人間並みのコミュニケーション"への道筋すら見つけられていない状況だ。

一人のユーザとしてその現実を喜んでいるわけではない。しかし現実は現実だ。


ガラケーすごい!とがんばってみたところで

2010-01-22 07:38

まず冒頭から引用

まぁずらずらっと羅列してみたが正直なところ、音楽プレイヤーの部分についてはiPhoneに敵う端末はないと思うが、インターネットマシンとしてみたときに日本のケータイの便利さはまだまだ群を抜いている。これは端末だけがすごいんじゃなく、日本のケータイインフラにコンテンツ側もきちんと対応してきた結果生まれた状況だ。

via: iPhone 3Gはインターネットマシンとして見ても微妙? ガラパゴス・ケータイはやっぱりすごかった - キャズムを超えろ!

少し前の記事で恐縮だが、いまだこういう意見は存在している。それにしては、昨今のiPhoneの普及(関東エリアだけらしいが)には目を見張る。昨日など駅の階段をおりているときふと眼をあげれば視界内で3名iPhoneを使っていた。

どうしてもiPhoneはいやだ?Softbankはご免こうむる、と言っていた方にはとうとう福音が

「スマートフォンユーザーはこれまで、ITリテラシーの高い人が中心だったが、もっと幅を広げたい」――NTTドコモの山田隆持社長は、4月発売予定のAndroid端末「Xperia」(エクスペリア)の狙いをこう述べる。

 Xperiaのキャッチフレーズは「新感覚エンタメマシン」。ネットと連携した動画や音楽関連機能などが特徴。これまでスマートフォンに興味はなかったが、携帯にエンタメ機能を求める20~40代のユーザーを開拓。音声ARPUが低迷する中、パケットARPU向上のキラー端末にしたい考えだ。

via: ドコモ、スマートフォンに本腰 Android端末「Xperia」の狙い (1/2) - ITmedia News

まあこれに関しても

"いや、主力はあくまでもガラケーで、Android端末などドコモにとってはお飾りのようなもの"

とかいう意見もあろう。個人的にXperiaのデモをみて、その志の低さにあれこれ言いたいことはあるのだが、それは今回書きたいことではない。

私はiPhone登場から今まで、そしてこれからもしばらくの間ガラケーの開発に血を流した人たちのことを思うのだ。

iPhoneが出ると地獄

になるのが見え見えなのが日本の携帯電話開発です。
通称マ板の携帯電話開発スレ。久しぶりに見たのですが、
もう16進数で0x10まで逝ってます。

via: clausemitzの日記:iPhoneが出ると地獄 - livedoor Blog(ブログ)

iPhone(最初の)発表直後に書かれたこの記事は正しかった。あれからガラケーはタッチを取り入れ、鍵盤を搭載し、ブックビューアを作りと、"無駄な"努力を強いられた。開発者の意欲を失わせるために作られたのではないかと思うようなひどいプラットフォームの上で。

715 :仕様書無しさん :2007/01/11(木) 14:12:10
で、次のリファレンスモデルがiPhoneになる訳?あんなものつくれるか!!!!

724 :仕様書無しさん :2007/01/12(金) 07:40:16
たぶん、メーカーの阿呆企画が真似したがるが(一時期、OSXのアイコンをパクるのがはやった)。 ULCAやカーネーギメロン、スタンフォード、MIT出身等超一流のPGが年月かけてつくったものだ。 あのMSですら追いついていないのに、日本の携帯開発しか仕事を選べない低能PGが作ろうとしても おおやけどするだけだな。

via: clausemitzの日記:iPhoneが出ると地獄 - livedoor Blog(ブログ)



そして結局舶来のAndroidに全て持って行かれた

ソフトの貧弱さは世界のサムソンも似たような状況らしい。しかし彼らには少なくともハードウェアの有意性がある。

日本の携帯メーカーはこれからどこへいくんだろうね?


CEREVO に思う

2010-01-20 07:16

CEREVO という会社がある。元松下電器で働いていた人が代表のベンチャーだ。日本では珍しいが、ソフトではなく、家電向けハードを手掛けている。

長い間またされた製品がようやくリリースされた。CEREVO CAMという。ネットと連動し、自動的に写真をアップロードしてくれるのが売りなのだな。

コンセプトを最初聞いた時は"なるほど"と思った。大企業のラインナップから漏れているところを素早く突くのは確かにベンチャーの仕事だ。

先日その製品に触れる機会があった。私はデジカメの画質とかそういうものを気にしたこともない人間だが、その"でき"にはがっかりした。

・作りがどうしようもなく安っぽい

・"ゲーム機"を意識した操作系は結構だが、使い方がさっぱりわからない。それとひきかえにほれぼれするほどスタイリッシュかといえば、そうでもない。

・室内フラッシュなしで写真をとると画面が黄色がかった暗いものになってしまう。

・売りの"自動アップロード"がどう動くのかよくわからないし、類似の昨日は他のベンチャー+大企業がどんどん出してきている。

2chにもスレッドが立っているが意見はほぼまとまっているようで

"応援したい気持ちはあるけれど"

といったところか。

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この会社の代表氏がしゃべっているところはなんどか見たことがあるし、ブログも読んでいる。幅広い知識を持った優秀な方だというのは痛いほど伝わってくる。

しかし

製品を作るというのはやはりとても難しいことなのだ、CEREVO CAMを手にしてそう思う。文句をつけるのは自分でやるより何百倍も簡単だ。自分で同じことができるかと問われればもちろんできるわけがない。しかしやはりCEREVO CAMは私にとって金を払うに値する製品ではない。

そのCEREVO が先日こんなアナウンスをした。

様々な操作に連動してカメラがしゃべる、今までにない新しいデジタルカメラが登場します。起動や終了、シャッター音やエラー音、その他さまざまなタイミングでカメラがしゃべります。ベースとなるカメラはCEREVO CAMなので、無線LANを使って全自動でBlogやSNSに写真を投稿することができます。

via: CEREVOTプロジェクト始動 - CEREVOT project blog

確かにこれで在庫の何台かは確実に消化できるだろう。しかしいかにも初音ミクの成功を模倣しようというその姿を見ると複雑な感情が湧く。

ベンチャーだからなりふりかまっていられない。それが正解なのだと思う。仮に将来CEREVOが大成功を収めたとすれば、これもひとつの笑い話になるだろう。このまま消えていくとしても、何人かの冷やかし以外に被害はない。

しかし"イロモノ路線"にしても、せめてオリジナリティを発揮することはできないものか。じゃあそう言っているお前がやってみろ、といわれればまた沈黙するしかないのだが。


コンピューター帝国の興亡に書いてあったこと

2010-01-19 07:53

かなり前になるが、コンピュータ帝国の興亡という本を一部だけ読んだ。

うろ覚えであるが、その中にこんな一節があった

アメリカのソフトウェア産業はハリウッドのような、いわばソフトウェアスタジオになるべきである。企業としての資金、管理、製造、配給は行っても、他のものは外部との契約で賄うのだ。ライター、監督、プロデューサーなどにおいて...である。

via: 読書ノート - コンピュータ帝国の興亡

この"映画作りのシステムを他の分野に応用する"という考えはそれからずっと頭のどこかにはりついたままである。

たとえばソフトウェアの製品開発において、映画監督はどのような立場に対応するだろう。プロデューサーは?役者は?などなど。

またあるときには、指揮者とオーケストラの関係を他の分野に応用できないかと考えることもある。ベルリンフィルでは、オーケストラのメンバーが指揮者を投票で選ぶ。指揮者は百戦錬磨のメンバー相手に、興味深いことを提示し続けなくてはならない、とかね。

私はサラリーマンしかしたことがないので、上司、部下という関係に慣れているわけだが、世の中にはそうしたものではない関係が多いことに驚くことがある。その中から興味深い特徴を取り入れることはできないかな、とか。

スカンクワークスの本は買ったけど置きっぱなしになっている。今度あれを読んでみるかな。


Goromi-TubeにPlayelist機能をつけるには

2010-01-18 07:49

もとはと言えば、増井さんが以下のような内容を、Twitterに書いていたことから始まる。

"好きな動画を適当に放り込むとずっとランダム再生してくれるものはないのか"

脊髄反射的に"それはGoromi-Tubeでできる!"と思って2秒後にはできないことに気がつく。

今のGoromi-Tubeでは右側に並ぶのは"検索結果"であり、Playlistではないのだ。

しかし

"好きなリストを延々再生してほしい"

という要望は確かにわかる。というか自分も気がつくとそんな使い方ばかりしていることに気がつく。

となるとだよ。

Playlist的機能を、どうやって今のGoromi-Tubeと違和感なく融合できるか、という問題が生じるわけだ。

さらには

"Playlistから遺伝的に進化した別のPlaylistを作る"

なんてこともいいのかもしれん、とかあれこれ妄想だけは膨らむのだが。具体的にはどうしたもんか。。


映画評検索について

2010-01-15 09:26

というわけで昨日の続き。

そもそも自分が読みたい映画評とはどんなものなのか。自分が見た映画について

"この人はどう思っているのだろう"

と読みたい映画評はどんなものなのか。

類似文章検索なら、やれ特徴語がどうとか、いろいろあるのだが、特徴語が全然一致していなくても、"スタンスが共通する"とはどうやったら特徴量としてあらわされるのか。

いや、もうコンテンツ検索路線は捨て、協調フィルタリングでいくか。。結局そういうことを理解できるのって人間だけだから(今のところは)

とかなんとか

現実逃避であれこれ考えている今日この頃。


映画評検索について

2010-01-14 07:35

前にも断片的に書いた内容だが、再度書いてみる。昨日こんな記事を見つけた。

まずは今週から、Movitter(ムビッター)というWebサービスの開発に着手します。


簡単に言うと、Twitterをサーチして現在公開中の映画に関する評判を集計して表示するサービスです。


これ、ずばりFlixupというサイトのパクリです。これの日本版を作ります。


完成品が目の前にあるので作りやすいですね。けれども個人開発で同じようなものを作ることができるのかどうかがはたして謎なのですが、そのあたりがチャレンジになってくるのでしょう。


via: MovitterというWebサービスを作ります - COBOL技術者の憂鬱

これを読んで前に何を考えたか思い出した。

映画のマーケティングとかやっている人は、このように網羅的な検索をしてほしいのだと思う。

しかしながら私が他人の映画評を読むときに何を求めているかといえば

"自分と意見が一致するか否か"

ではなく

"それを読むことにより、映画に対して新しい視点を持つことができるか"

である。
つまるところ、映画の宣伝で"泣けましたー(はーと)"とか言っている人の意見を読んでも私にとってうれしくないことのほうが多い。前田氏のつける点数が私の評価と一致していようがいまいが、彼の言葉を読むことは今の私にとって時間の無駄でしかない。

ではどうすればよいか。

自分が書いた映画評をもとに、"似たようなスタンスで書かれた映画評"を検索することができるか?あるいはスタンスごとに映画評をグルーピングすることはできるか?

ずーっと前から言っていることだけどそろそろ何か始めよう。


10年ひと昔

2010-01-13 07:02

年をとると時間が過ぎるのが早くなる。2000年問題で騒いでいたのはもう10年前なのだな。
私がアメリカに行ったのは1990年なのだが、それからもう20年もたってしまっている。そういえばよちよち歩きで私を見送ってくれた姪はもう大学4年生だ。私の頭の中ではついこないだのことのようだが、鏡の中の自分の顔はそれだけの年月がたったことを教えてくれる。

なぜそんなことを言い出したかといえば、昨日この記事を読んだから。

つまり、2000年代ならアプリケーションサーバを30台必要としたサービスが、今では1台のハードでさばけるようになっていて、3年後には過去に120台のマシンを必要としたサービスが1台でさばけるようになるかもしれないのである。このトレンドは、もはやアーキテクチャの存続条件を変えるところまで迫っているといえるだろう。

via: スケールアウトからスケールアップへの回帰:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan

これを読んではっとした。サーバー設計10年のベテランなどと言ったところで、使うテクノロジーが対数規模で変化しているのだから個々の要件ばかり頭に詰め込んでも仕方がない、ということだ。

仕事でやれロードバランサーがどうの、サーバーの台数がどうのと計算することも多い。これまでそういうことは一切やっていなかったから先人の知恵に学ぶことばかりなのだが、先人の知恵が10年前のものとすれば、それはもう"非常識"かもしれないわけだな。

つまるところ

"変わるものと変わらないもの"

と意識しながら勉強したりあれこれ日々を送る、という当たり前の結論になってしまうのだが。


映画評:アバター

2010-01-05 07:26

本日からしばらくブログの更新がとります。というほど定期的に更新していない気もするが。

というわけで本家から転載。

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見ながら考えていたのは

"もしジョージ・ルーカスに正気が少しでも残っていれば、この映画を見たあとでStar Warsを作ろうとは思わないだろう"

常日頃"映像表現が云々などはまともな話あってのこと"と主張している私だが、この映画には素直に驚いた。

予告編を見ればストーリーはほぼ把握出来る。ある惑星に鉱物資源が豊富に存在する。海兵隊+営利企業はその上に住む異星人を立ち退かせようとする。かくしてドンパチが始まるのであった。

"異星人"はNative Americanとも、無数に繰り返されてきた"土地を侵略された土人ども"とも受け取れる。したがってこうしたストーリーも何度となく映画化されたわけだが、この映像はどうだろう。

ナウシカの影をいくつか挙げることもできるだろう。しかしこの25年の間、日本人が作ったの映像は牛歩の進み-しかも進んでいるのは宮崎ひとり-だったのに対し、ハリウッドはここまで到達してしまった。

2 時間27分の間に、実写を少しでも用いた部分はどれだけあるのだろう。しかしいくつかのシーンを除いてそんなことを感じさせもしない。実写か否かに 関わらず思わず息を飲むようなシーンをいくつも展開してみせる。空を飛ぶ島、惑星に生きる異星人、動物たち、燃え落ちる巨大な樹。

主人公は下半身不随となった男。しかし自分の"アヴァター"とリンクしている間は惑星パンドラの大自然の中を自由に飛び回る。映画の途中で

"どちらが現実かわからなくなってきた"

と主人公がつぶやく。見ている観客も多くはそう考えたのではなかろうか。

陳腐なストーリーにものすごいCGといえば、最近ではStar Wars 1-3.しかしそれがいかにも"つけたしました"というCGだったのに対し、この映画のそれは見たこともないレベル。サマー・ウォーズなど見て"映像表現が素晴らしい"などと言っている輩は豆腐の角に頭を打ち付けた上で冬の伊勢湾にダイブすればよいのではなかろうか。

この映画はこの後"新たなスタンダード"となるのだろうか。
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正直に書くが、筋がパターン通りの映画でこれほど驚かされるとは思わなかった。

Star Wars1-3とこの映画を比較するのは興味深いと思うのだけど、誰か卒論とかでやらないかしら。でもってやったら私に教えてください。

それとともに、"日本のアニメ"という狭い枠を勝手に作り、その中であーだこーだ言葉をこねくり回している人たちに対し非常にNegativeな感情が湧いた。エヴァンなんとかとかサマーなんとかのことだが。

日本人は、狭い枠がはめられてこそその中で創作性を発揮するとどこかで読んだ。(折り紙とかね)でもそういうことやっているうちに(自動空戦フラップとか作っているうちに)、原爆でふっ飛ばされたりする。

また映画はチームで作るが、監督は常に一人だ。(場合によっては監督不在の映画もあるらしいが、そうしたものは決まって駄作だ)このことにはもっと注意を払ってもいいと思う。


タランティーノが

2010-01-04 09:03

生まれたのは私と2週間(程度)違いであることを知る。

だからなんだといわれても困るのだが。

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ある人と話していて"ものすごい研究者"を5人挙げてみることになった。

iPhoneの日本語入力を作った増井氏、Teddy以外にもあっと驚かせるようなインタフェースを作り続けている五十嵐氏、音が絡む分野でこれまたすごい研究をしている後藤氏

優秀な研究者はほかにもたくさんいると思うのだが"ものすごい"という形容詞をつけるとなるとここでぱたっと止まる。少し分野を広げれば、Googleの工藤氏も"ものすごい"という言葉に値するだろう。

というわけであと一人足りない。"日本三大○○"と同じで5人目には多くの人が該当する、ということかもしれない。