人間中心設計が嫌いだ。デザイン思考とは何をいっているか何度聞いてもわからない。ラピッドプロトタイピングとか何度も繰り返しとかは別に今発明されたことではない。
それらを聞いていると
「それは磨く手段であって、新しいものを作る方法じゃないよね」
といつも思う。しかし幸いにもそう考えているのは私だけではないようで、最近いくつかの(私にとって)有望な手法に出会う。
「しかし、卒業する生徒たちに『あなたはこの授業で素晴らしいプランを作成したから、卒業したらこれで会社を起こすんだよね?』と聞いても『No』と言われる。『どうして?』と問うと、『興味ないから』と返ってくる」
引用元:アートシンキングとは?「良い子のままじゃ、イノベーションなんか生まれない」 不確実性の時代を突破するフレームワーク
ユーザを観察しました。そこから発想をえて、プロトタイプを作り、何度もユーザフィードバックをうけて磨きました。収益性に関する「もっともらしい」計算も作り上げました。
そんなのは「サラリーマンが日々をやり過ごす」方法であり、画期的なサービスを生み出す方法ではない。心の底から
「これはすごい。なんでこれが世の中にないな誰もやらないなら俺がやる!」
と言えなければ何も起こらないのだ。なんとか思考とかなんとか設計にはこの観点が決定的に欠けている。
というわけでアートである。芸術とは奇妙なものだ。なんの役にも立たないのに、ちゃんと産業としてなりたっているしごく少数だがそれで生計を立てることができる人がいる。音楽とおなじくらい馬鹿げている。
いや、ここで「馬鹿げている」というのは人間の感情を勘定にいれていないから。それができなければ全ての「ビジネスプラン」はただのホラに終わる。
全てを一旦無視して、自分の感情に従うような「モンスター」を生み出すパッションが、作品作りには必要なのだという。
「良い子のままじゃ、イノベーションなんか生まれない」。ビューロゥ氏はニヤリと笑った。
引用元:アートシンキングとは?「良い子のままじゃ、イノベーションなんか生まれない」 不確実性の時代を突破するフレームワーク
ここまでこの文章を読み「これこそ私がもとめていたものだ!」と思った。ところがぎっちょん。
冷静にそれぞれの意見を比較し、何が一番チームにとって重要なのか、それぞれがどうチームに貢献できるのかを問い直す。
3日目の午後にメンバーの意見がまとまりはじめ、各チームとも猛スピードで作品の仕上げに入る。
引用元:アートシンキングとは?「良い子のままじゃ、イノベーションなんか生まれない」 不確実性の時代を突破するフレームワーク
なんでチームで「メンバーの意見をまとめ」るかな?アートって集団で作るもの?違うでしょう?グループで作ってもいいんだけど、アートって基本的にわがままなものでしょ?ミケランジェロは多くの人の力を借りたかもしれないけど、その作品は「ミケランジェログループ」の製作じゃないでしょ?
アートする人間の数だけ提案があるべきなんだよ。なんでチームでまとめるの?
幸いこのアートシンキングというのはまだいろいろなところで勝手な流派が出来上がっている状態らしい。というわけで私も勝手に旗をあげよう。名付けて
Individual Art Way-個人的美道
新しいもの、偉大なものはグループで議論してもよいしそれは有益だ。しかしあくまでも「個人個人が考える」ことが必要。「皆でアイディアを出し合う」なんてのは時間の無駄。
そしてそこに必要なのは「理屈」ではなく「美」。「美」とは何か。人の心を動かすもの。動かすのは発案者自体でもあるし、それに触れる人。人間は自分の感動を人に伝えずにはいられない。
そしてそれは思考とか設計とかではない。「道」なのだ。「道」とは万物を貫く共通の心理であり、、あとは荘子を読んでください。
というのは今私が5分で考えたものだが、なかなかよくないですか?うん。これからこれを名刺にも書いておこう。