日付:1998/9/27
米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章
7章9月14日、この日の出発は夕方だから、結構時間がある。まず新しい就職先に電話をした。先週の月曜日に「内定通知書ですか?すぐ社長決裁を取って送ります。」と言っていた担当者は「先週の金曜日にようやく決済がとれまして、今日送ります」と、(この人は何をそんなに心配しているんだろう?)と不思議に思っている雰囲気を漂わせながら言ってくれた。
「でもって結局10月1日には何時にどこへ行けばいいんですか?」と聞くと、彼はずらずらと情報を述べ始めた。曰くどこに来い、曰く何をもって来い。メモをしながらあまりの情報量が多いので、「今日送ってもらえる紙にそれが書いてあるんですか?」と聞くとそうでもないらしい。彼は「もっと日が近付いたら電話しようと思ってたんですけどね」と言った。この調子では私から電話しなければ彼が電話をくれたのは9月30日だったかもしれない。
Well, これが新しい会社のやり方ならばそれになれるしかない。とにかく必要な情報は得られたわけだ。私はにっこりと笑った声を出して電話を切った。
次に電話したのはレンタカー屋である。これは引っ越し屋ほどたくさん電話帳に載っていなかったので簡単に判断が付いた。何と言っても世界のTOYOTAにしておけば間違いなかろう。話は簡単に通じた。28日の月曜日に借りて、29日の火曜日に横浜で返却。大変幸運な事に私が転居する先の弘明寺の営業所で乗り捨てが可能ということだった。このとき私はさしせまった旅行の事で頭がいっぱいで、この幸運のありがたさに気が付かなかったが、もしこれが離れた場所でないと乗り捨てできなかったらどのような目にあっていたか。。。しかし実はこれが近くて遠い場所であることは私の知るところではなかった。このことは後述することにしよう。
値段を聞いてみると、乗り捨て料金を含めても、引っ越し屋(もちろん一番安い業者だ)に頼んだよりも3万円ほど安くあがりそうである。私は後先考えずに予約して、全くご機嫌になった。これで旅行に心おきなく行けるというものだ。
荷物を適当にまとめると家を出た。何か知らないが漠然とした不安感にとりつかれてである。このときから主な目的である結婚式が終了するまで私は「何か忘れているのでは」という強迫観念にとりつかれることになる。この文章を書いているのは旅行から帰ってきて数週間経っているのだが、それでも何か忘れているような強迫観念は完全には去っていない。こんなに長くこの観念にとりつかれるのであればいっそ本当に何かを忘れていた方が良かったかも知れない。
妙な不安感にとらわれながらも、JRとバスを乗り継いで空港についた。今回の手荷物は友達の結婚式の引き出物としてもらった(これは過去に出席した結婚式の引き出物の中でも大ヒットではないかと思っている)デイパックのようなもの(だと思う)と、Edwardの結婚式のプレゼントで二つだ。このプレゼントは、デパートの売場のお姉さんが「荷物としてもあずけても大丈夫なくらい、頑丈に包装しておきました」と言ってくれた位、念の入った包みなのである。しかし何度も飛行機であずける荷物では痛い目に遭っている私としては彼女の言葉に100%たよるわけにはいかない。覆水盆に返らず、壊れたプレゼントは元に戻らず。結婚式の前日にプレゼントをチェックしてカリフォルニアの天を仰いで長嘆息したところで何が戻るわけでもない。結局後悔するよりはデパートのロゴがでっかくはいった紙袋に入れて持ち歩く方を選んだのである。確かに日本人が見れば
「あいつは何を考えてるんだ。ティファニーの袋を持ち歩くならともかく、○○屋と大きくロゴの入った紙袋を持ち歩くとは」
と思うところであるが、それもPortlandにつくまでの辛抱。米国領内に入れば○○屋の紙袋だろうが、なんだろうがわかるもんか。
さて格段書くようなこともなくあっさり気が付けば飛行機に乗り込んでしまっている。ここ数日飛行機の中で眠ることを計算にいれて睡眠時間を削っていたので、やたらと眠い。しかし席はエコノミーであるから狭いのは当然としても、最悪の5列シートの真ん中である。何が最悪といって、ここは両方の通路を通ってくるスチュワーデスあるいはその類から無視される運命にあるからだ。「あら。あっちの列を受け持っている係員が伺ってませんでしたか?」ってな感じだ。
おまけにもう一つ問題がある。私は基本的にトイレが近い人だ。従って選択の余地があるときは必ず通路側の席を選択する。仮にその結果として外を眺めることができなくなろうともだ。小心者の私としては、自分がおトイレに行く度に他人をわずらわせるほどいやなことはない。それがいやなら他人が立ってくれるのを祈りながら待つしかないが、これは精神衛生にも膀胱の構造にも極めて良くない。
などということをぶつぶつ気にはしていたが、結局一度夕食をもらうときにウェイトレスのお姉さんに忘れられそうになったのを除けばこのフライトの間特に何も起きなかった。要するに飯を食べたら私は映画を見ようなどとはかけらも思わず寝込んでしまったのである。やれ真ん中の席だの、おしっこがどうのというのは全て起きていての話だ。寝てしまえば5列シートの真ん中だろうが、埃にまみれた6畳アパートだろうが基本的に変わることはない。
PortlandについてみればおなじみのImmigrationだ。いつもながらたくさんある列の中でどれを選ぶか、というのは結構頭を使う問題である。
まず最初は「外国人向け」みたいな列におとなしく並んでみる。しかしそのうち、「アメリカ永住権を持つ人用」の窓口がたちまちからになる(審査が簡単だからあたりまえだ)すると必ず係員がでてきて「はーい、こっちも並んでくださいよー」ということになる。
するとまずその列に走っていく人がいる。この場合もっとも間抜けなのは、走っていくタイミングが遅れるかあるいは、目測を誤って、元いた列よりも後ろになってしまうことだ。従って自分のそうした判断能力に自信がなく、かつ間抜けな目にあうと笑い物になるのではないか?という妙な強迫観念にさいなまれる小心者の人間(私も当然のことながらその中に入っている)は
「あんなに急がなくてもどうせ荷物を受け取るところで待つのに」
と自分がいかにも先について知っているかのようなポーズをとってそのままの列にとどまる。
いつもならこの妙な考え方は功を奏する。ところがこの日だけは違っていた。どう贔屓目に見ても私が並んだ列が進むのは異常に遅いのである。
最初はじれてきた人間が前の方を覗いてみたりする。私のような似非悟りを振りまく人間は「ほっつほっつほっつ。わしらが覗いたところで、列が早く進むわけでもあるまい」と妙な事を考えて知らんぷりをしている。ところがこの日は私のこうした似非悟りを吹き飛ばすほど列の進みは遅い。
そうなると落ち着いた態度もどこへやら。前を覗いてみたり、横の列の進み具合を気にしてみたりと一気にそわそわしだす。実際この列はとても前進しているとは思えないほど動かない。少しでも列が移動していればまだ未来に希望がもてるという物だが、移動しない列は永遠に待ったところでなくなることはない。分母が0ならば、値は不定なのである。
そうこうしているうちに、ばらばらと人が他の列に移動しだした。少なくとも他の列は動いているのだ。仮に他の列に行って見かけ上の列の長さが長くなってしまったとしても、ここにいるよりはましかもしれない。
あれこれ悩んだ末に私も荷物一式-それには例のデパートのロゴ入り紙袋も一緒だ-を抱えてのこのこ隣の列にうつることとした。うん。確かにこちらの列では前方に移動している。これならば有限時間内にここを通過することができるかもしれない。
少し気分に余裕ができると周りの会話などが耳に入ってきた。どうも会話から察するに私の後ろにいた女性の二人連れは、お互い留学と、語学学校に行く同士のようである。留学に行く女性の方は、
「会社勤めも10年したから、自分へのご褒美のつもりで留学することにした。ただ行くよりも、留学にした方が英語を覚えるかな、と思って」
と一気に自分の主張を述べていた。いろいろな目的でいろいろなところに留学する人がいる。また最初の目的と、来てからの目的が変わる人も多々いる。いずこにあっても私は地に足が着いている人が好きだが、それは私の好みであって、他人にどうこう言えることではない。語学だけで留学する、というのは特に英語圏に行く場合には、ちょっともったいないのではないかと思うこともあるが、まあそれは本人の出費で行く以上本人の自由というやつだ。
さて列はてれてれと進んで、自分の番になった。いつもイミグレーションというのは聞かれること、答えることは決まっている。おまけに「英語がしゃべれない人間は米国に立ち入るべからず」という法律も(私が知っている限りでは)ないのだから、入国審査官がしゃべっていることが分からなければ"Japaese Interprter!"という叫び声が響き、誰か日本語がしゃべれる人がくることになっている。
従って全く気にはしていなかったのだが、この日の審査官はちょっと変わっていた。一言もしゃべらなかったのである。私がパスポートだのなんだのをにっこり笑って差し出す。相手はこちらの顔をちらっと見ただけで、ぽんぽんキーを叩き、はんこをぱんぱん押して、はいおしまいである。何度も米国のImmigrationは通ったが、こんなのは初めてだ。よくあやしげな「英会話を学ぶビデオ」には米国旅行を模擬して、まずImmigrationでの会話がでてくるのがよくあるが、こんなんでは彼らもビデオを作って金のかせぎようがないではないか。
さて次は税関である。私は100$相当のプレゼントを抱えていたので、通関で何か言われるかと思ったが、特に何も言われなかった。書類を読んだ限りでは$100以下のプレゼントには税金がかからないはずだが、中には職務熱心な職員だっているかもしれない。痛くない腹だってさぐられるのはごめんだ。
ほっとして外に出た。ここからは飛行機を2本のりついで漸く今日の目的地のDetroit到着となる。今回使用したDELTAはCincinatiに本拠地があるらしく、なんでもかんでもCincinati経由だ。Cincnati-Detroit間の飛行機はなんと小型の双発プロペラ機だった。最初座席を聞いたときに1Aと聞いて、これは何かの間違いでファーストクラスにでも座れたかと思ったが確かに世の中そんなに簡単にできてはいない。双発プロペラ機にファーストクラスは存在しないのだ。単に一番前の座席で、かえって足がきつくてつらかっただけだった。
その小さな飛行機でDetroitに近付くにつれ、下にはいつもの黄色い光があふれる光景が広がってくる。あまり感心しない治安の町のデトロイトだが、こうやって夜に光だけ見ているととてもきれいだ。光の裏にある闇に何が隠されているかはしる人ぞしるとこだが、この時間だけは気にならない。
さてレンタカーを借りてDetroitの町を走り出した。10ヶ月前にここを逃げ出したときはこれでもう50年はこの地に足を踏み入れないぞと思った物だが。夜の道を走っていると、その道を走りながら空港に人を迎えに行ったこと。その間中考えていたこと。その途中に携帯電話がなって、GMの技術者に延々文句を言われたことを思い出して、とても憂鬱な気分を思い出した。その憂鬱さは遠い遠い物となり、現実から離れてしまった今でもあまり気分のいいものではない。私は心底この土地が嫌いなのだと思った。
「その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去る程いい心持ちがした。」
というのは坊ちゃんの中の一節だ。私が去年ここを離れたときには「いい心持ちがした」どころではなく、這々の体で逃げ出した、という感じだったが。しかし私にとって「不浄の地」という表現はこのDetroitにぴったりするような気がする。
翌日朝起きると、しこたま朝御飯を食べて(どういうわけだが知らないが、私が泊まったホテルは無料朝食にご飯とノリがでるのである。もっともこの日はノリがなかったので、醤油をご飯にかけて食べた)銀行に行った。今回この「不浄な地」を訪れた最大の目的はこれである。すなわち去年使っていた銀行口座を閉じて、残金を受け取るという重要な仕事があったのだ。日本円にしておそらく最近の換算レートで60万円をうけとると私は急に気が大きくなった。これで今回の旅行で大抵の事をしても収支決算は黒字になる。
本当に気が大きい人というのは自分が金が苦しい状態であっても人におごるものなのかもしれない。しかしこうやって懐が豊かになると小者の私でも人に物をおごってみようかという気になる。この日の晩は元一緒に働いていた○○重工の仲間と韓国料理屋に行って大変たくさん食べた。私の就職話をしたり、彼らの仕事の話を聞いたりして大変楽しくすごした。
最後に「大坪君も新しい仕事がんばってください」といわれて、心底「へっ?」と思った。考えてみれば私も全く新しい分野の仕事をするわけだから、緊張と不安にかこまれなければならないはずなのだが。。。私は
「いやー。日本語で仕事ができますから大丈夫ですよ。はっつはっつはっつ」
と笑って答えた。彼のその後のセリフから察するに、一年ほどたった今でも英語によるコミュニケーションは彼らにとって難題であるかのようであった。私が見たところ彼らは仮に日本語で仕事をしたとしてもかなりストレスを感じるべきなのであるが。本当の問題は語学よりも彼らの仕事のやり方の世間とのギャップにある。しかしとりあえず「英語さえしゃべれれば、仕事がもっとスムーズに行くのに」と思えた方が精神安定上いいかもしれない。
翌日は異常に早く起きて空港に向かった。次の目的地はLas Vegasだ。
こんなのは初めてだ:実際○○重工の米国出張の一団が、PortlandのImmigrationでひっかかり、集団でそこから回れ右で日本にご帰還となったらしい。彼らに言わせるとPortlandのImmigrationは全米でも厳しい方なのだそうであるが。本文に戻る
坊ちゃん:(参考文献)このサイトにも坊ちゃんのデジタルテキストがありますから、よろしければご覧ください。参考文献から書評をたどるとみつかります。本文に戻る