日付:1998/12/23
米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章
私は基本的にとても早起きである。この日も何時だか覚えていないが早く起きた。この家は東向きで、かつカーテンは布団になってしまっていて存在しないから、単に朝日がまぶしくておきただけかもしれないが。
さて起きるととうとう最後の荷造りだ。もうこれで用もないと、パソコンをしまい、枕にしていたクッションと、カーテンを車に放り込み、電話をはずした。これで部屋の中はほとんど何もなくなった。
さて準備万端は整ったのだが、肝心のガス屋さんがこない。8時半とお願いして、「できる限り早く行きますから」と行ってはいたのだが、8時にこない。8時10分にもこない。もうすることのない私はじりじりと待って、出発可能時間と、それによって算出される平均走行スピードばかり計算している。計算は相当にいいかげんだが、平均して100km/h以上で走行しなくては想定した時間表はまもれそうにない。8時半といったのだから、8時半より前にこないのは当たり前なのだが、当時私はそんなことでいらつくような精神状態だったのだ。
いらいらが頂点に達したところで扉をとんとんとたたく音がする。時計をみればちょうど8時半だ。なるほど時間に正確なことで。
てけてけと書類を書いたり、なんなりしてあっさりと私は部屋をでた。いつものことだが、最後に部屋をでるときはどたばたしていて大して感慨などあるわけではない。それでも車に乗り込むときにアパート全体をみて、少しだけ考えた。今まで何度か転居をしてきた。そして一度転居をしたら最後、まずそこに戻ることはないのだ。高蔵寺という場所が今後私の生活に何か関わりを持つとはとても思えない。私はこの風景をおそらく2度と見ることがないことを知っていた。
などと考えている暇はない。時間が惜しい。幸いにもまだ道路は空いている。高速にのるとひたすら東に向かう。昨日後ろが見えないことを大分気にはしていたが、春日井から名古屋まで走ったくらいのところでなんとか感じがつかめた。これならばなんとかいけそうである。
これまで高速にのって遠距離を走るときはいつもちょっとだけ不安感を抱えていた。なんといっても私の車は結構年期がはいっている。おまけに今はそんなことはしていないが、以前にはエンジンオイルを交換するのを相当長い期間さぼって、エンジン出力ががたこん、と落ちたこともある。となればどうしたって長距離の信頼性に不安が生じるのである。
今日はそんな心配はない、と思っていた。なんといっても私の車よりは新しいし、整備もちゃんとされているはずだ。おまけにこの車は私のよりも大きいからのんびりと高速で走れるはずだ。
ところがしばらくしてどうもそうはいかないことに気が付いた。なんとも説明がしずらいのだが、ハンドルがふらつくような気がする。そして当然の事ながらスピードをあげればこのふらつきはひどくなる。しかしスピードを落とすと、1時前に到着することはほとんど無理となる。それから数時間の間、私は同じ事ばかり考えていた。何故昨日風呂にはいることにあんなにこだわったのだろう。ガス屋さえまたなければ、私は今日朝の6時に出発することができたはずだ。そうすれば時速80km・hで走っても悠々間に合うことができただろう。今はここまでこの距離を来て、この時間だから、残りの平均速度はこれでなくてはいけない。そう思ってスピードをあげると進路がふらつく、泡を食ってスピードを落とす。再び所要時間を計算する。以下同文である。
休憩もそこそこにでけでけと走り回る。しかし目的地が近くなるにつれて、当初予定していた11時半、横浜インター着というのは難しそうだと思い始めた。途中ちょっとスピードアップしたら、車は突然蛇行を始めた。この蛇行が収束せずに発散したら、それで大事故なのだな、などと考えている間に幸いにも車はまっすぐ進み始めた。しかしこれで肝を文字通り冷やした私は開き直ってとにかく安全に到着することだけを考えることとした。明日はどうせ休みなんだから多少遅くなたってなんとかならあな。
そしてまもなく「横浜インターまであと何分」という表示が出始めた。この表示を信じるならば不動産屋12時半到着が、横浜インター到着12時半になりそうである。横浜インターからの所要時間にはなんの根拠もないのだが、まあ1時は無理だ。これで3時から不動産の手続きになるか。
さてそうやって呆然とし始めたときに横浜インターについた。実はここまでちょっとトイレにいくのを我慢して走ってきたのだが、どうせ間に合わないのだから、ゆっくりいこう。トイレにはいってコーヒー飲んで一息入れよう。別にコーヒーの宣伝をしているわけでもないが。そこで雨がぱらぱらと降り出した。何が悲惨といって雨の中をあの荷物を持ち泥道の上を通って運ぶほど悲惨なことはない。先をいそごう。
さてインターをおりてからの道は一応普通道なのだが、実際上は高速のようなものである。多分自動車専用道路とかなんとか言うのだろう。おかげで当初私が勝手にたてた予想よりもはるかに早く進んでいく。おお、こりゃすごいわい。これならばなんとか間に合うかも知れない、、、などと思い始めたころ、一般道への交差点となった。ここからは左折して一般道にはいり、ひたすらまっすぐいけば目的地の不動産屋につくはずなのだが。
そこで左折して驚いた。地図上ではちゃんと色も塗ってあるくらいで、立派な道路だと思っていたのだが、とんでもハップン。これのどこが幹線道路なのだ?というくらいの狭さである。思わず道を間違えたかと思ったが、地名を確認するとそうでもないようだ。おまけにその異常に狭い道にバスまで走っている。
なんなんだこれは、、と思いながら走っていくと見事不動産屋の真ん前に到着した。時間はといえば12時45分である。なんと間に合ったようだ。
それから丁寧な説明を聞いた。「契約条件は読みましたか?」と言われたので「適当に」と答えたら、一項目ずつ説明してくれた。そして前の不動産屋ではそんな説明は全然なかったことに気がついた。今度のところも出るときにはしこたま金をとられるかもしれない。しかし一応説明を受けてからふんだくられたほうが、こちらとしても気分がいいというもんだ。
はんこを押したり、なんなりしているうちに手続きは終わった。さてこれからアパートに行って荷物の運び込みだ。
教わったとおりに道を進んでいくと、数週間前に来たアパートに出た。今みてみると、やはり道は異常に狭い。その道に車をとめて、一人でえっちらおっちら荷物を運び出した。荷物を積み込んだときは、「こんなにつらいものならば、次は3万円余分に払っても引っ越し屋に頼もう」と心の中で20回位さけんだものだが、積み込みは運ぶだけならば結構スムーズに終わった。しかし問題は室内にあった。今度の部屋は中2階があり、そこは3畳ほどの広さである。ここには布団を敷こうと決めていた。下はおよそ5畳程度のスペースだ。総計8畳の広さであるから理論的に言って、6畳の前の部屋に入っていた荷物がはいらないはずはないのだが、不思議なことにとりあえず下のスペースに荷物を放り込んでいったら、足の踏み場もないくらいいっぱいになってしまった。
玄関にたって、しばし呆然とした。何が起こったというのだろう?まさか荷物が増殖したわけでもあるまいし。しかしそんなことに関わっている暇はない。今日中に車を返さないと追加料金を取られるし、だいたい前の道路を半分塞いでいる状態で一晩を過ごすわけにもいかないのである。
さて今度は地図に従ってレンタカー屋を目指す。地図上では話しは簡単で、ここらへんを通っている太い道路が(太いと言ってもしれたもんだが)平行して2本ある。私のアパートはそのうち一本沿いであり、レンタカー屋はもう一本のほうだ。従ってなんとか幹線道路に垂直に走っている道を探して、そちらに行けば、はい、終わりである。
地図をみるとこの2本の幹線道路の間にはいくつか道路が走っている。やたらくねくねしているのが気になるが、まあなんとかならあな、と思って走り出した。
実は別に一番好ましい道路が一本あるのだが、それは弘明寺商店街のアーケードの道路である。従ってここは歩行者天国になっているかもしれないし、だいたい歩行者がうじゃうじゃいるところを走るのはいやだ。というわけでたくさん記載されているくねくねした道を通ることとした。
こちらのほうは住宅街である。坂を登っていくと結構な住宅がたちならんでいる。これはかなり高い家だと思う。おそらく私には一生縁がないだろう。そういう金持ちのエリアであるからみな大きな車を持っている。
不思議なのはその豪邸を取り巻く道がとても狭く、とてもその豪華な車を運転できるとは思えないことだ。私は地図に従ってその曲がりくねった細い道を進んでいったが、そのうちどうにもこうにも身動きがとれなくなった。実際に道を通っていくとわかるのだが、確かに地図にも階段のようなものが書いてある。進んでいくと階段があるような歩行者だけの道になってしまうのだ。しかし不思議なことにその先にも道は続いており、家があり、そして大きな車を所有している。私のドライブテクニックではこの道では小型の軽自動車以上のものを運転できるとは思えないのだが、何故か彼らは3ナンバー車を運転している。
そこからバックで抜け出した。ユーターンなど思いも寄らない。どこにも接触せずに迷路を抜け出せたのはかなりの幸運だったとしかいいようがない。
そこからはるかはるか遠くまで回り道をして、ようやく目的とするレンタカー屋に着いた。車を止めて、中でにこにこしていたら、あっというまに手続きは終わった。そこから歩いて家まで戻る。途中早速発見した定食屋で絢爛豪華な定食を食べた。
この定食屋というのは一人暮らしを考えた場合に非常に重要な要素となるのである。日本で働いている間は、自炊することなど思いも寄らない。従って外食にたよるわけだが、外食というのは、主に刻みキャベツと、揚げ物とご飯とみそ汁でできているのである。若い頃だったらそれでもよかっただろうが、今となってはそんなものを3ヶ月も食べていれば、体の毛穴から天ぷら脂がにじみ出し、ありとあらゆる体の検査結果に赤信号がつくだろう。従ってまず第一に普通のお総菜を食べることのできる定食屋を発見せねばならない。この定食屋はなかなかおいしいが、今ひとつのようだ。まあこれからゆっくりさがすか。
そこでしばらく休んだ。これからあの荷物だらけの部屋の整理が待っている。
部屋に帰ると、ぽつぽつ雨が降り始めた。なんとか天気はもったようだ。
それからすこやなか眠りにつくまでには2時間あまりの激しい労働が必要であった。何度コンピュータ用の机の配置を変更したことだろう。最終的に布団と、机、それにオーディオは中2階の3畳スペースにおさまった。これでこのスペースでなんでもかんでも用が足りることになる。次に服を収納しようと思った瞬間、ここには洋服ダンスのスペースがない、ということに気が付いた。なんてことだ。考えてみれば世の中には洋服をかけるためのハンガーというのが売られている、ということは洋服ダンスのない家があってもいいわけだ。中2階にあがる階段の下を洋服収納スペースにあてるこにした。
なんとか部屋の中が落ち着いたのは9時をすぎていた。まだまだ問題は多いが、とりあえず今日は寝よう。これからのことはわからないが、いろいろな幸運に恵まれてとりあえず名古屋から春日井に移動することはできたようだ。
翌日は一日あちこちの手続きに追われた。ハンガーを買ったりして部屋の整理をして考えた。この10ヶ月は就職のフラストレーションは多々あったのだがとてものんびりした時期だった。大学の時に柔道部の先輩がこういったセリフを未だに覚えている。
「大学時代は人生の夏休みだ」
この言葉の真偽は今はひとまずおいておく。しかしこの10ヶ月は私にとって思いもかけぬ夏休みのようなものだった。夏休み、というのはその言葉の響きほどいいものではない。熱いし、結構暇だし退屈だし。何かをしても楽しい結果ばかりに終わるわけではない。それでも終わってから振り返ってみれば結構いろいろあって楽しかったと思うことができる。
この10ヶ月の間に結構いろんなことをした。色んな人と会ったり、話をしたり。それの全てが楽しいエピソードばかりではなかったが、それでも結構今振り返ってみると結構楽しい時期であった気がしてくる。
それでもいくつかの変化はあったのかもしれない。失業する直前は「○○重工の大坪」がただの大坪になるのに、ちょっとたよりない不安感を感じた物だ。しかし前置きが無くなろうが着こうが今のところ私の何が増えたわけでも減ったわけでもない。(体重はちょっと増えたかも知れないが)こんなことは誰もが「知っている」と言うと思う。しかし実際経験してみるとその重さは結構なものであることに気が付く。
さて明日からはまた勤め人の生活だ。今日はゆっくり寝よう。
翌日は初出勤。さっそく配属先の上司に挨拶をした。開口一番、「勤務先は品川だから」と言われた。何?内定をもらった時の話では配属先は関内の本社、ということではなかったのか?そう思って私は市営地下鉄で関内から近くの弘明寺に引っ越したばかりなのだが。
その瞬間、この会社の?マークのつく採用手続きが次々に頭に浮かんだ。何故内定通知を出すのをあれほどまでにしぶったのか、何故その内定通知には何も書いてなかったのか、勤務先及び職種について書類で渡すことを一切せず、口頭での通知にとどめたのか。今それらの理由がわかったような気がした。なるほどそういうことだったか。。。
その日の午後、仕事の内容を聞いて更に驚愕した。この日まで私は面接で聞いた内容からこの会社はN○○の子会社だと思っていた。しかし判明したことは、ここは子会社というよりは、子会社のさらに下請けの孫会社と呼ぶべきものであり、仕事のほとんどはN○○グループ内で頭数が足りないところに社員をばらばらと派遣する、人材派遣業だという事実だ。面接の時にこの会社の人が語っていたのは彼らが「こうあればいいな」と考えている「べき論」あるいはユートピアの記述であり、会社の実体は全く別のところにあったのだ。この日アパートに帰ったとき私は疲れ果てていた。それは必ずしも10ヶ月のプータロー生活からいきなりネクタイをしめて8時間座っていたことからばかりではなかった。
それから私はある会社に派遣となり、毎日「偉大なる金日成首領様のおかげで幸せにくらしております」と自分にいいきかせながら給料をもらっている。机の上にあるコンピュータには「臥薪嘗胆」という言葉が書いてある。この職場でこの4字熟語を発音できる人は約半分、普通言われている意味をしっている人はおよそ2割。しかし誰もこの言葉の元の意味を知るまい。
季節は確かに、秋から冬になった。暑くて何もかもが動いていた夏は終わり、静かな、落ち着いた季節になった。しかし見方によってはそれは、新しい命を産むための準備の時期だ。
私もこの季節をそうしてすごすことにしよう。
絢爛豪華な定食:「絢爛豪華」とはいっても、いつもはおかずが一品しかない私が「ハンバーグ+からあげ定食」を選んだと、そんだけのことであるが。本文に戻る
言葉の元の意味:この言葉の元の意味は史記(参考文献一覧)の越王句践世家参照のこと。本文に戻る