夏の終わり

日付:1998/10/25

五郎の入り口に戻る

合コン篇+引っ越し準備:1章 2章 3章 4章 5章 6章 

米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章

引っ越し篇:18章 19章


14章

翌日私はずいぶんと早くめざめた。今日は朝10時発の飛行機で出発だ。もう今回の旅行で思い残すことは何もない。あとはとっとと日本に帰ろう。いろいろとやることが残っている。昨日この旅行の間中抱えていたプレゼントもめでたく渡してきたし。身軽になってあとは名古屋まで一直線だ

さてTVをつけてみると、親愛なるclintonの連邦大陪審でのビデオが公開される、というのでCNNを始め各TV局は大騒ぎである。この騒ぎはもうずいぶん長い間話題になっているが、その間一貫して国民のClintonへの支持は揺るいでいない。しかしそうではあっても大統領が証言する場面がビデオで見られるとなればチャンネルを合わせる視聴者も多かろう。ビデオはWashingtonで各局に手渡されてから即時放送される。従って各TV局としても放映されるまで中で何が語られているか知る方法はないわけだ。

事件の内容が内容であり、おまけにClintonは「不適切な関係(Inapprpriate Relationship)はあったが、Sexual Relationshipはなかった」と詭弁を弄しているのだから、当然「あんたの言うSEXって一体なんなの」ということが話題になるであろう。従って各TV局とも「このビデオの中には子供にふさわしくない内容が含まれていると思われるので、子供が部屋にいないようにしなさい」という警告を何度も何度も繰り返して流している。ゴールデンタイムでも平気でSEXシーンを放映するような国に住んでいて、それが大嫌いな私にとっては、これはとてもうらやましく思える。別にTVだけではない。雑誌の広告とかを見ていても、日本の雑誌社はエロの話題や裸の写真無しには雑誌が作れないのだろうかと考えたりもする。

さてそろそろモーテルをでるか、という時間になって、ビデオの放映が始まった。時々解説がはいり、かつCNNでは話がまずい方向に行きそうになると、"Warning"と題がついて「こっからはどぎつい表現があるかもしれないよー」というテロップが流れる。

法廷での証言だからとかく難しい用語が多く、何をいっているのかはおぼろげにしかわからない。しかし老眼鏡をかけたClintonには笑わせてもらった。彼も滅多に眼鏡をかけない、ということは老眼鏡は自分にとってマイナスイメージだと思っているのだろうか。

証言はえんえんと続いて行くがもうたくさんだ。この調子でまだまだだらだらと4時間も続くのだ。例によって例のごとくClintonは「これは独立検察官が必要以上にやっていることだ」式の反撃を試みている。こいつのこういう言いぐさはもう聞き飽きた。

 

さてチェックアウトすると、外はどんよりとした晴れの空である。一人のんびりとレンタカー屋に向かう。その間ラジオでやっているのはやはりClintonの証言の話題である。どちらにしても彼の支持率に影響が出ることはないのだろうが、こうやって、彼が素人からみればうんざりするようなウソをついているのが一般の人の目にふれるにつけ、長い目で見ればダメージは確実にたまっていくように思える。ラジオでは証言の一部-ClintonがSexの定義についてわけのわからない法律用語的な解答をしているところ-を流し、DJが"Oh, NO!, Stop it"とか笑い物にしている。

さてレンタカーを返せば、ここ数日大変お世話になったクルーズコントロールのついていないこのNeonともお別れだ。ほれほれとシャトルバスにのり、空港に到着。Deltaのカウンターをさがしてチェックインだ。ここに並ぶのは何度目だろう。一番気が重かったのは去年ここからDetroitに帰るときだったかも知れない。シャツ一枚で表をあるけるStanfordから、雪と氷に閉ざされたDetroitに帰るのはとてもとてもいやなものだった。仮にあと10日ほどでそこから抜け出せると解っていたとしても。

結構早くついたつもりだったのだが、かなりの人数が列にならんでいる。私はそこをのんびりと進んでいった。行列に長い間並んでいるのは、それが少しでも進んでいる限りちっともいやではない。今回の旅行はとても楽しかった。一人の旅行はいつものことだが、旅先で出会う新しい人達との会話は悪いことばかりではない。そして今回はそうした機会に恵まれた旅行だったようだ。

 

このとき私は何も知らなかったのだが、列の後ろのほうでこういう会話がかわされていたのである。

 

「あんまり日本人っていないみたいね」

「でも、ほれ。あの列の前の方にいるピンクのシャツ着た人。あの人日本人みたいじゃない」

 

さて早めにゲートに着くと、私はさっそく愛用のPB2400をとりだし、文章作成とゲームにいそしむ。コンピュータを抱えて移動するようなってから、暇でこまるということは大幅に減った。もっともバッテリーが持っている間か、あるいは近くにコンセントがある、という条件つきなのであるが。

ほどなく搭乗のアナウンスがあり、ぞろぞろとゲートに向かう。これで楽しかった米国旅行もおしまい。あとはPortlandで乗り継ぎ名古屋までひとっとびだ。飛行機の中にはいると、例によってスチュワーデスが営業用の笑顔を振りまいている。日本では人の顔を決してみない店員に悩まされている私としては、営業用ではあっても一応人の顔をちゃんと見てくれるスチュワーデスのほうが好ましいと思えることがある。

さて私の席は。。と見ていくとトイレが近い五郎ちゃんにとっては苦手のwindow seatだ。それはいいとして、通路側には若い女性が座っている。私は何の根拠もなかったが勝手に彼女は日本人であると思いこみ、「失礼します」と日本語で言って前を通り、席に着いた。

程なくTake offだ。しかし私の注意は窓の外にはなかった。隣に座っている女性を横目でちらちらと気にしていたからである。

 

こうした隣に女性が座る、という幸運-この時点では幸運ともなんとも言えないのだが-には新幹線とかで時々恵まれるときがある。しかしそれは必ず自分がそんなことを全く考えていないときだけに訪れる。あーあ。今日はひどい目にあった。誰かとしゃべりたいな、なんて思っているときには絶対そんなことは起こらず隣にすわるのは席からはみ出すようなオヤジだ。

さて今日はその珍しい機会に恵まれたようだ。とはいってもこれも毎度のことであるが、隣に女性が座る、というのとお知り合いになれて、楽しい語らいができる、ということの間には深くて長い溝がある。

まず横目で相手をちらちらと観察する。これが必要以上にじろじろと眺め回したりすればおそらく一言も発しない内から相手の顰蹙を買うことになるだろう。とりあえず左手の薬指をチェックする。指輪はないようだ。次には眠そうな顔をしていないか、あるいは本を読もうとしていないか、さらにはイヤホンから流れる音楽に集中していないか、等々チェックしなくてはいけないポイントはつきない。こう書いているとまるで大阪遠征のきっかけになった出会いのようだが、今回は日本の新幹線で女性の隣に座ったのとは別の悩みがあった。彼女はどこの国の人だ?

先ほど日本語で話しかけた物の、よくよく見ていたらアジア人であることは確かだが、何処の国の人か全く確証がもてなくなってきた。何がどうとはいいにくいのだが、前述したようにどことなく中国人と日本人、それに韓国人は雰囲気が違う。しかし間違えることも多々あるし、実際私だって中国人だと思われていたではないか。そう思ってみてみると彼女が中国人であっても韓国人であっても良いような気がしてくる。それどころかアジア系のアメリカ人ということだってあり得るではないか。少なくともその可能性を排除するのに十分な情報は横目でちらちら見ただけでは得られそうにもない。

などと悩んでいると8秒なぞはあっというまに飛び去ってしまう。「隣に知らない人が座った場合、その人が完全に他人である、と認識するまでに8秒かかる。従ってナンパの成功率を高めようと思えば8秒以内に話しかける必要がある」という「8秒理論」は未だに私の心に深く刻まれている。しかし未だに8秒以内などに話しかけられたためしはない。優柔不断と言われようがなんだろうが、とにかく相手を不愉快にし、その結果として自分がひどい自己嫌悪に陥ることだけは避けなくてはならない。

今日のフライトタイムはおよそ1時間半。あまり悩んでいる暇はない。ここで私が楽天的な性格であれば「早く話しかけなければ、せっかく楽しく会話がはずんでも、時間切れになってしまう」と思えるのかも知れない。しかしどちらかといえば私の胸に到来するのは「話しかけて、うまく話が続かず気まずくなってしまったらその後は長いぞ」という恐怖感である。まあ実際こういう事態に陥ってしまった場合には、寝てしまう、という手もあるのだが、人生は必ずうまくいかないようにできている。こういう場合に限って寝付けなく、苦しい寝たふりをしなければならない運命がまっているのかもしれない。

さてそんなことをうだうだ考えていたが(当然のことながら)らちはあかない。ここは一発度胸を決めて話しかけることにした。話しかけるセリフは簡単に決まった。しかし選択肢は二つある。「日本人の方ですか?」と"Are you Japanese ?"である。どっちが適当だろう?

しかし、としばらくまよったあげく考えついた。Are you Japanese ?というのは実に馬鹿げた質問の仕方かも知れない。相手が日本人であれば、何と答えるか、でもって結局相手が他の国の人であれば、それまでかもしれない。今こうして書いていてもよくわかったようなわからないような論理だが、とにかく彼女が日本人である可能性にかけることにした。

「日本の方ですか?」

最初の一言二言は相手の反応を確かめながら話しかける必要がある。相手が一応の返答を返しながらも、「いいかげんにしろ。てめえとは話したくねえんだ」ということを全身で表しているかも知れないのだ。そうした場合にはすみやかに静かになり、おとなしく寝たフリをする必要がある。

さて会話は異常に弾むというわけでもなく(初対面の見知らぬ人なのだから当然だ)完全にとぎれるわけでもなく訥々と続いた。彼女はSan Fransisco近辺に住んでいる友達の所に遊びに行っていて、その帰りだそうである。その友達の旦那さんのお友達達とも会ったという話を聞いた。その旦那が勤めている会社を聞いて、私は?と思った。去年StanfordにFootballを見に行ったときに、その名前の会社に勤めている人とご一緒したのである。まさかと思って名前を言えば「そういえばお会いしたかも知れない」という返事だ。世の中は本当に広いようで狭い。どこで何をしてもあなたが知り合いに会いたいと思わなくても不思議なところででくわすことになっている。てれてれと話していると彼女は私がこれから勤める会社と同じくN○○の別の子会社に勤めている事がわかった。偶然の一致とは怖ろしい物だ。天網恢々疎にして漏らさず。天の網は粗いようでもとんでもないところにまで広がっている。

さてそれからPortlandにつくまでの一時間、彼女といろいろなことをしゃべった。こう書くと話がスムーズに言ったようだが、実のところ私は「話すネタがなくなり、彼女との間に沈黙が流れる」という恐怖感と戦いながら時間を過ごしているのである。初対面の人と話す話題というのはいくつかスタンダードがある。しかしながらそのうちのいくつかは、相手にとって触れてほしくない話題かもしれない。そうなれば早期に撤退だ。もし話が発展していく話題が見つかればめっけもん。それで数分は話がつながる。初対面であれば、共通の友人であるとか、仕事であるとか、上司であるとかの話でもりあがることもできない。しかし考えてみれば昨日も同じ状態でおまけに昨日は英語でしゃべるというハンデがあった。それにくらべれば今日のほうがはるかに気楽か。

彼女は米国の旅行がとても好きな人であり、去年の正月は、New YorkのTimes Squareまでわざわざカウントダウンをしにいったのだそうである。私にとっての正月とは、NHKのゆく年来る年を見て、鐘の音を聞いて。必ず「激動の○○○○年が暮れていきます」という挨拶を聞いて適当にねることだ。人にはそれぞれ落ち着く場所があり、そこが彼女にとっては寒いNew YorkのTimes Squareなのだろう。今回の旅行もいろいろなところに行って楽しかったと語ってくれた。

 

さてほどなく飛行機はPortlandに到着した。彼女と話しながら飛行機を降りた。次の長い長いフライトは、長い通路をあるいた先のターミナルから出発だ。

椅子に腰を下ろして私はさっそくパソコンを広げて何かしていた。彼女は(ここらへんの記憶が曖昧だが)立ってどこかに行った。考えてみれば彼女にもいろいろ用があるだろうし、名古屋までの飛行機は同じらしいが、同じ飛行機には何百人ものることだし。これで彼女ともおさらばか。

さて私はといえば、コンセントが使える席に座りたい、という願望に駆られてそこらへんをうろちょとしていた。私が使っているコンピュータの電源は約1時間しかもたない。その間は大変快適な時間がすごせるわけだが、電気がなくなればコンピュータはただの箱と化してしまう。そう思ってきょろきょろしていて今回初めて気が付いたのだが、待合いの席のところにところどころコンセントがついている。多分空港関係者向けの設備だろうが、まあ使っても文句を言われないだろう。しかし何故かコンセントにコードが届く距離の席は全部ふさがっていて、おまけに座っているのはまだコンピュータを抱えて空港で使いまくるにはちょっと先が長いような子供達だ。

どいてくれないかなーと思ってしばらく近くて粘っていみたが、結局彼らは大騒ぎをしているだけで動く気配がない。しょうがない。とりあえず電池つきるまでつかってみるとするか。

覚悟を決め、「バッテリの残りが少なくなりました。」というメッセージがでるのにおびえながら、ぱたぱたと何かを打っていた。すると人の気配がする。おさらばしたかと思った彼女の登場だ。手にはなつかしのオニギリとウーロン茶を握っている。何でも通路の方に日本食のファーストフードがあるのだそうで。この空港は何度使ったかわからないが、そんなものがあるとは知らなかった。

さて彼女が来たので私はさっそく(先ほど飛行機の中で、自分がどういう旅行をして来たかをしゃべっていたのだった)旅行中に撮った写真をコンピュータ上で見せ始めた。これはデジカメと携帯コンピュータの組み合わせならではの技だ。彼女はEllenとEdwardが写っている写真を見て「このお嫁さん綺麗ね」と言った。

これはその後各地でこの写真を見せたときに共通した感想だったが、だれもがEllenは綺麗だ、とほめる。しかし誰もEdwardには言及しない。このことをEdwardにメールで教えてやったら彼は「それはお前が男にしか写真を見せていないからだ。女の子に見せれば”まあ。だれ?このハンサムは?”と言うに決まっている」とかいうたわけたコメントを返してきた。私は「女の子に見せたが同じ感想だったよ」と言い返してやった。

結局洋の東西を問わず、結婚式というのは花嫁さんのものだということなのかもしれない。誰がどうあがいたところでこの法則から逃れることはできない。一度だけ、お嫁さんはまあ普通、お婿は思わず「3国一の花婿」と言いたくなるようなかっこいい男、という結婚式にでたことがある。この男は普段みなりにかまわない男で、いいかげんな汚いかっこをしているのであるが、タキシードがこれほど似合う奴をみたことがない。そして新郎友人の間でそんなことをこそこそ話していたのであるが、やはりそうした風景はどっか変な気がする。「今日のお嫁さん綺麗だねー」のほうがはるかに人の世の中にフィットする。

なんてことをうだうだ考えているうちに私もおにぎりがたべたくなった。あと数時間がまんすれば、安く食べられるものをわざわざ高い金払って食べることもないと理性では解っているのだが、私の日本食に対する愛情はそんな理屈を超えて存在している。ひとりふらふらと言われた方向に歩いていった。

すると確かに存在している。日本食のファーストフードが。しかし値段はちょとUncomfotableなほど高いし、おまけに人がたくさんならんでいる。ちょっと旅行の疲れもたまっていたのかもしれない。またあの列に並ぶことを考えちょっとうんざりした私はてぶらで元の席に戻った。ここの味を試すのはまたの機会にしようか。その機会がいつ来るかは全くわからないけれども。

それから何をしたか覚えていないが、ようやく搭乗の時間になった。例によって例のごとく「何列目から何列目のお客様。乗っていいよん」とかなんとかいうアナウンスが流れる。私の席の番号は真っ先に呼ばれた。(もちろん、ファーストクラス、ビジネスクラス、それに搭乗に補助を必要とする人達の後だが)ということは後部の座席と言うことだ。隣にいる彼女に「座席は?」と聞いて番号を見れば、なんと私と連番だ。ひょっとするとまたもや彼女と隣になったのかもしれない。

荷物を抱えてだらだらと通路を歩く。ずーっと座席の番号を見ていけば、これ以上後ろに行きようがない、という状態になったところでようやくお目あての番号を見つけた。座席は最後部。となりにはトイレであり、すぐ後ろではスチュワーデスががったんこったんやっている。そして座席番号をチェックすればやはり隣に座るのは彼女なのである。今度は彼女がWindow seat, 私がaile seatだ。おしっこが近い私としてはこちらのほうがありがたい。私は彼女と再びお話しできることに、どこかにいる全く気紛れな席決めの神様に感謝の祈りをささげていたが、それとともにかすかな不安も感じていた。今度は多分10時間以上彼女の隣に座ることになるのだ。先ほどはなんとか1時間で話はもったが、今度はどうなるのだろう?いずれにしたって途中で寝てしまうわけだから、話はとぎれるのだが。。。

さてそんな私の希望と不安をよそに飛行機は離陸した。考えてみればここ最近米国と往復する飛行機というのは私にとって大変楽しくないものであった。去年の2月に米国幽閉が決まったときは、前途に薄暗い陰を抱いて渡米した。そのおよそ3ヶ月後に一時帰国したときには日本で山のような仕事が残っていることが、既に米国にいる間にわかっていたので、「ああ。どうかこの飛行機がシベリアかアラスカあたりで不時着してくれますように」と祈っていた(当然のことながら、死傷者がでませんように、と同時にお祈りもしていたのだが)最近のFlightでは時々刻々位置が地図上に表示される。その飛行機の印がアラスカを超え、シベリアを無事超えてしまったときは私は大変悲しんだものである。

それから米国幽閉中に何度か日本と米国の間を往復したが、いつも祈ることは似たような物だった。しかし私の祈りが通じたことはないのである。そんなことはあたりまえだ、と思われるかも知れないがそうでもないのである。

私が行ってから数ヶ月たち、受注が決まってしまって、数人増員が来ることになった。その人達の中には今まで一度も海外に行ったことがなくて、パスポートを初めて所有した人もいたのだが、なんとその飛行機はタイヤがいかれたとかで、アンカレッジで5時間も足止めをくった。もし私であれば心中喝采を叫んだところだが、彼らにとっては、産まれて初めての海外旅行、そして米国に幽閉されるその門出で事故に遭い、いかに心理的ストレスを感じたことか。かのように望んだ者のところにはそれは訪れず、望まない者の所にそれは訪れる。

そうした気の重いフライトの唯一の例外は去年ここから脱出するときのフライトだった。それまで頭の中に重くのしかかっていた仕事の上の懸案が一気になくなり、なんだか軽いようなたよりないような不思議な気分だった。関西空港のゲートをくぐるまでは安心できるもんか、とか思いながらもあのフライトだけはほっとしていた。いつもは信じられないほどまずいNorthwestの機内食(おまけに最後だけは自腹で帰ったので、エコノミーだった)もおいしく食べられたのである。

そう考えれば今日は隣に話ができる女性が座っている。これは一般論だが、女性が座っているといってそれだけで単純に喜ぶわけにはいかない。今まで合コンでなんど「自分の葬式に参列しているような気分」にされたことか。しかし幸いにして彼女は大変気楽にしゃべれる相手なのである。ここは一発機内アナウンスの通りSit back, Relax, enjoy the flightといこうではないか。

 

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注釈

日本では人の顔を決してみない店員に悩まされている私:このことについては「Smile」に記載がある。本文に戻る

 

8秒理論:(トピック一覧)このあたりのくだりはトピック一覧経由「Osaka bay blues」を見てもらうと、ほとんど昔から変わっていないことがわかってもらえると思う。本文に戻る

 

激動の○○○○年:今まで激動でなかった年があったら教えてほしい。本文に戻る

 

自分の葬式に参列しているような気分:(トピック一覧)こうした合コンの代表例派、トピック一覧経由「Happydays53章」参照のこと。本文に戻る