日付:1998/10/25
米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章
13章式場と思われる空間には、中央に通路と思われるスペースがあって、その両脇に椅子が左右に分かれて並んでいる。そこらへんにたっている中国人とおぼしき男に、私は若干緊張しながら話しかけた。
「どこに座ってもいいの?」
彼は流ちょうな英語で答えてくれた。新郎側が右側、新婦側が左側であると。
この会話はそれ自体なんでもないものに思われるかも知れない。しかし私にとってこの会話は大きな意味があった。英語の会話能力が極端に低下したのではないか、、という疑念にここ数日さいなまれていたのだが、とにもかくにも(大変短い文章であるが)会話ができるのである。あとは努力次第でなんとか今日も楽しくすごせるかもしれない。世の中には確かに「会話ができなくても楽しく過ごせる人」というのが存在する。彼らは本当にSoulで会話ができるのだ。しかし幸か不幸かこれは私には無理なようだ。しかし英語が多少なりとも通じればなんとかなるかもしれない。。。これも多くの努力を必要とすることだが。
私は後ろから2列目に座った。正直言って前に座った物やら後ろに座った物やら見当が付かないが、まあ後ろにおとなしくしている分には問題がなかろう。
そのうちだんだんと人が着席しはじめた。前の方の列に座っているアジア人は感じからして、ふたりの親族のようである。親族と言えば中国人のはずなのだが、彼らは時々お互い英語で挨拶を交わしている。ここらへんの事情はよくわからない。新婦側のサイドには親族も多いが、会社の上司とか同僚とかそういった類の人達が多い気がする。いかにも彼女がはたらいている会社ではたらいてますよ、っていう感じの人達(それはどういう感じだ?と聞かれても答えることはできないのだが)がにこやかに談笑している。あと新婦友人の中国人もたくさんいるようだ。
そのなかに一人だけ他の中国人女性とは顔立ちの異なる人が居た。これは私の偏見なのかもしれないが、私が知っている香港、あるいは台湾の女性というのはどちらかというと丸顔で、あまり3次元的でない可愛い顔をしている。(多分中国大陸になるとそうではないのかもしれないが。中国は北から南までとても大きな国だ)しかし彼女はどちらかというと日本でたまにみかけるような細長い顔立ちをしていた。最初観たとき日本人かと思ったほどである。(これまたどこが?と言われても困るのだが)しかし中国語で周りと話しているところを観れば彼女も中国人なのだろう。考えてみれば日本にいて、「日本人でございます」という人間にも結構いろいろなタイプの人達がいる。白人にくらべると振幅は小さいような気もするが丸いの細いの、3次元的なのそうでないの、いろいろだ。
何をごちゃごちゃ言っているかというと、私はその結構「非中国的」な姉ちゃんの顔に見とれていたと言うことなのである。しかしながら彼女の横にはちゃんと香港のかっこいいお兄ちゃんがついているのである。私からみると香港の青年の姿というのはちょっとちんぴらぽい気がするのだが、きっと彼らの世界ではあれはばりばりに決めた伊達男というところなのだろう。かっこいいのなどという判断の基準は所詮相対的なものだ。
さて待つこと数分。みんなが後ろを向きだした。薄い藤色のドレスに身を包んだ女性が何人か後ろからやってくる。普通のシチュエーションであれば「ああ。綺麗だ」と思うところであるが、この身を包む寒気の中では「ああ。彼女たちは肩を丸出しにしてなんて寒そうなんだ」と思ってしまう。その後に今日の主役である(新郎は洋の東西をとわず添え物だ)Ellenが登場した。
みんなの注目を一身に集め、父親と一緒に歩いていく。その先にはタキシードに身を包んだEdwardと数人のお兄ちゃん達が立っている。
そこからの式の様子は正直言って覚えていない。こうしたキリスト教の結婚式には何度か出席しているので、だいたい慣れてしまったせいかもしれない。あるいは単に寒くてそれどころでなかったせいかもしれない。
日本で教会の結婚式にでると、いつも聖歌を歌わされる。あれはなんとなく気恥ずかしいものだ。考えてればなんだかわからないがキリストを褒め称える文句を言わされているような気がする。彼を褒め称えるのに個人的に同意できない事情があるわけではない。別に私はキリストに返してもらってない金があるわけではないし、お目当ての女性を横取りされたことがあるわけでもない。ただ単に他人を同意もせずにほめるのがいやなだけだ。日本以外で結婚式に出席するのは今日で3回目だ。幸いなことに一度も聖歌を歌わされ、キリストを褒め称えさせられたことはなかった。こうするとあの聖歌は「全日本キリスト教連盟」の方針なのだろうか、と考えたりもする。(そんな団体があるかどうかは別として)
去年メキシコで結婚式にでたときはこれがまた変わっていた。式はスペイン語でとりおこなわれるから、何をいっているか全くわからない。とりあえず周りの人に会わせて立ったり座ったりひざまずいたりするだけだ。未だに分からないのは途中でなぜか参加者が周りの人達といきなり何かを言って握手をしだしたことだ。私はしょうがないから、近くにいた友達と握手をした。未だにあれが何なのかわからない。
今回はこういう記憶に残るけったいなイベントは何もなかった。しゅくしゅくと式は終わり、二人は中央の通路を歩いていき、そして(寒い寒い屋外から解放されて)ようやく室内の披露宴(なんというか知らないのだが)に移ったのである。
美術館の側面に回ると、地下に左右に通じている通路がある。そこにレストランのようなホールがある。披露宴はここで行われるらしい。みんな手に手にプレゼントを持って受け付け(と呼んでいいのかどうかわからないが)に並んでいく。ああ。これで今日まではるばる抱えてきたあの荷物ともおさらばだ。私は限りなくはればれとした気分につつまれていた。さてそうやってぼーっと立っていた時に後ろから誰かに話しかけられた。振り向いてみれば台湾娘ことAprilである。
ここから少し彼女についての回顧談になる。彼女はEdwardと同じくStanfordで同じ学科だった友達だ。私が学科のOrientationに行って、最初に話しかけた相手がEdwardであり、最初の授業(統計だった)でEdwardの隣に座っていて友達になったのがAprilだった。最初にいきなり電話番号を教えてくれたので、「おお。なんといきなり女の子の電話番号が聞けてしまうとは」と感動した物だ。合コンにさんざん出席して女の子の電話番号を聞くガッツがなかった屈折した過去を持つ男にとっては女性の電話番号というのは特別な意味を持つ物に思えるのである。もっともこれは単に「これから仲良くやりましょうね」という意志表示なのだが。
さて私がStanfordにいる間、このEdward,Aprilとは一緒に宿題をやったり、グループワークをやったり仲良くしていた。この話を日本の友達にすると「そのねえちゃんと結婚したらどうだ」などと言われたものである。それに対する私の答えというのが、「あの姉ちゃんに手を出して、変なことをしようものなら、数日後には私の死体がSan Fransisco湾に浮かぶぞ」であった。
Stanfordに来ている香港人ないしは台湾人はすごい金持ちの家の子供であることがままある。(Edwardの家は普通のようだが)しかし私が知っている限りでAprilの家というのはずばぬけている。彼女の両親は本来台湾に住んでいて、San Fransiscoに住んでいるのはAprilとお兄さんらしい。しかしその家はまさに豪邸と呼ぶにふさわしいもので、おまけにSan Fransiscoから近いが閑静な高級住宅街に建っている。(こちらは家と家の距離が異常に離れているので、あまり「街」という感じはしないが)そしてその家の車庫にとまっているのはメルセデス(これは5ナンバーの枠に収まるようなしろものではない。私は型番等には疎い男だが、とてつもなく巨大なタイプということだけは間違いない)とポルシェ(これも911のようにそんじょそこらでみかけるものではない。私はこの車を他の場所で観たことがない気がする)である。一度このベンツに乗って3人でCafeにのりつけたことがあるのだが、巨大なベンツが停止すると中から子供のようなアジア人が3人出てきたのを観て、店の人はぽかんとした顔をしていた。しかし強調しておきたいのだが、April自身は多少頭がJumpyなところはあるが、着ている物、持っている物普通の質素な女の子であり、性格もしかりなのである。
そんな金持ちの娘にうかつに手を出して、Aprilが泣くような事態になれば、数秒後には私がすまきにされて、数分後にはSan Fransisco Bayに浮いていてもおかしくはない。というわけで彼女に手をだすことなど夢にも考えず、彼らとは2年間仲良く暮らしたのである。
さて今日の二人は実はAprilの紹介で出会っている。従ってそこだけ考えれば今日Aprilが来ないということはあり得ないわけだ。しかしながら、去年Stanfordに来て、二人と別々に会ったときに私は彼らが大喧嘩をしてしまったことを知った。彼らのふたりの言い分はそれぞれもっともに聞こえる。(Aprilのほうは何を言っているのか今ひとつわからなかったが)
AprilのほうはStanfordを卒業して銀行に勤めたところまではよかったが、働き過ぎでBurn outしてしまったらしい。2年ばかり何もしなかった後に今の会社に勤めだしたらしいが、仲違いはその間に起こったようだ。ふとプータロー生活(米国にこの言葉はないと思うが)をおくっていたAprilとばりばり働いていたEdwardの間で行き違いがあったのかな、、と思ってしまった。そして私の考えるところAprilは頭がJumpyな女の子だから、一度話がこじれると結構ずぶずぶと深みにはまっていくのではないか。
こういう事情があったので、今日果たして彼女がくるかどうか私は今ひとつ確信がもてなかったのである。しかし後ろにたっているのはまごうかたなきAprilだ。彼女が遅刻してくるのはいつものことだ、と思っていたら、そうでもないらしい。Los Angelsでセミナーがあって、今ようやく到着したところだという。式はどうだった?と訊かれたので、とても素敵だったよと答えた。英語だとこうしたほめ言葉や、賛美の言葉は実に素直に言えるので便利だ。
さてそれからPartyが始まるまでは結構な時間があった。その間中我々は宴会場の外の廊下で立ち話をしているわけだ。最初にAprilとぺらぺらしゃべったが、彼女は今日来ているEdwardの友達の間でも結構な顔のようだ。彼女はたくさんの友達と話している。こうなると私としてはなんとか自力で話し相手を見つけなければならない状態になるわけだ。
元々Aprilは来ないかもしれない、と思っていたから、まさにこれは予想したとおりの状態であるわけだ。しばらくふらふらとしたあげく、Edwardのおじさんをみつけた。何故この人を知っているかというと、彼はStanfordのBookstoreのレジではたらいていたからである。いつかEdwardと買い物をしたときにいきなり彼がレジのおじさんと話し出したのでびっくりした。あとで訊いてみればそのおじさん(これは中年の男という意味だ)は彼のおじさん(これは親戚関係の叔父という意味だ)なのだそうである。いきなり「Edwardのおじさんですか?」と言って話しかけるとひとしきり会話がはずんだ。そうか。働いているのを観たことがあるのか、、ってな感じである。
ひとしきりしゃべった後に、にっこり笑って「では」、と言うとまた私はふらふらし出した。また誰か話し相手をみつけなくちゃ。
さてそれからしばらくは壁の花とかして、壁のところにつったっていた。一応EdwardとEllenに挨拶はしたものの彼らはとても忙しい。しょうがねえな。。壁の花になっているのがいやならば、自分が何かをせねばならん。。と思って次の瞬間私は何かをした。
実はここで何をしたのか覚えていないのである。相手から話しかけられたはずはないし、こちらから手持ちぶさたな感じの女性に話しかけた、というところなのだろうか?相手は私が言うところの南部の中国人の顔、ちょっと丸顔のチャーミングなロングドレスの女性であった。このドレスから推してBride Maideの一人なのであろう。
"So, you are Ellen's friend ? "とかなんとか言ったことを覚えている。この文章が文法的にどうだとかいうご指摘は謹んでお受けしたい。実際会話の文法なんてこんなものである。であるからして多少ぺらぺらとしゃべれると思って文章を書いてみるととんでもないことになる。
そんなことはどうでもいい。彼女は大変Friendlyに話してくれた。えっつ何?日本から来たの?ってな感じである。私は、いやー良い機会だから、ちょっと旅行をしてきたんだよ。Detroit行って、Las Vegas通って、ってな感じで答えた。香港や、台湾から飛んできた親戚やら友達はたくさんいるだろうから、別に日本から一人くらい飛んできてもいいと思うのだが、やはりこれはびっくりのようだ。去年Mexicoでの結婚式に出席したときは「誰かTokyoから来たらしい」という噂が流れて、「あんた。DetroitじゃなくてTokyoから来たことにしておきなさいよ」と言われたものだが。
さてつれつれと話していると、彼女は10月に、彼女の旦那と共に日本へ行く予定であることが判明した。彼女はとなりにいるだんな(白人の気のよさそうなお兄さんである)をつかまえて、いろいろ話し出した。なんでもN○Cに出張で行くのだそうだ。
どこに行ったらいい?と聞かれたので、まあN○Cの人が大変よく面倒観てくれるだろうけど、もしお城とか観たいんであれば、姫路城がいいと思うよ。本当のお城はあそこだけだから、と勧めたり、N○CはGovermentに賄賂を贈ったスキャンダルで揺れているから、あまりそのことは触れない方がいいと思うよ、などとわけのわからないことをへれへれとしゃべっていたような気がする。
さてひとしきり話が終わった後で、彼女と彼と別れた。さてまた話し相手を捜さなくちゃ。
そろそろよっぱらって立っているのに疲れてきたのでまだ披露宴は始まらないのかな?と思ってちろちろ中を見てみるが、まだまだのようである。しょうがない。中で話し相手を捜すのにも疲れてきたし、ちょっと外の空気が吸いたくなったので表に出ることにした。
外は先ほどよりずっと暗くなってきている。しかし夕暮れの時間はとても綺麗だ。遠くまでの視界を遮るほど夕闇はせまっていない。Stanfordで気が付いたのと同じく、湿度が少ないせいかとても遠くまでくっきりと風景が見える。Golden Gate Bridgeはその名とは全く違って赤い色で遙か彼方に見える。周りはとても静かだ。
ごきげんになった私は一回りしてまた出口の当たりに来た。するとタバコをすっているお兄さんが一人いた。なるほど。確かに中は禁煙だろう。Smokerというのは世界中何処にでも存在していて(これは推定だが)彼らはどんなに過酷な条件であってもタバコを手放すことがない。(少なくとも私は見た限りではそうだ)今日は外にでてタバコを吸えば、かえってすばらしい夕暮れの風景が見れる、ってなもんだが、仮に外が零下20度で吹雪であったとしても彼はきっとここでタバコを吸っていることだろう。
話しかけようかな、どうしようかな、と思って彼のほうをちらちらと見ていると、彼の方もこちらをちらちらと見ている。そして「綺麗な景色だね」と言った。
それからしばらく彼と美しい夕焼けを見ながら話していた。彼は台湾人だが親戚の紹介で、San DiegoにあるSoftwareの会社で働いているのだそうである。台湾ではいい職がないし、招きに応じて「えいっ」とばかりに国をでてきたのだそうだ。品質管理部門で働いているというので「何かトラブルがあると呼び出されるんじゃない?」と聞いたら「今もBeeper(ポケベルのことだ)を持たされてるよ」と言った。彼の英語はすこしたどたどしかったが、彼と話しているのは楽しかった。話しながら彼の生活について少し考えた。台湾から一人でここまできて働く決断というのは容易なものだっただろうか。何が大変で、何が大変でないのだろうか。私は彼とくらべて臆病なのだろうか。そうではないのだろうか。
しばらくしゃべっているうちに、後ろでは人々が動き出したようだ。彼と一緒に中にはいることにした。さてこれからPartyだ。と思うと共に、私は少し気が楽になっていくのを感じていた。Hey,結構しゃべれるじゃないか?これならば次の宴会もなんとか楽しくすごせるかもしれないよ。
さてホールの中には見渡す限りにテーブルがならんでいる。真面目に数えてはいないが、20近くあるのではないか。私たちは新郎友人という感じで、一番出口側のテーブルである。隣に座ったのは台湾娘ことAprilだ。
さてそこから宴会がどのように進んだかは正確に覚えていない。Aprilと適当に話していると、そのうち乾杯になったような気がする。司会がいるわけでなく、やたら形式ばった進行があるわけでもない。なんだかんだと友達、親戚、本人達がでてきて一席ぶつ。これがみんなまた見事な英語でしゃべる。一人だけ中国語(マンダリンかカントニーズかわからない)でスピーチしたのはEdwardだ。これは何も彼の英語がつたない、という理由ではない。今日来ている人の中には英語があまり得意でない人もいるだろう(考えてみればそのほうがあたりまえという気もするが)
そのうちみんながフォークやナイフで、シャンペングラスの柄の部分や、とにかくガラスの部分をチンチンチンチンと叩き出した。何かと思ったら、二人にキスをしろ、という催促なのである。私は日本の結婚式の2次会でやたらとふたりにキスをさせたりするのは大嫌いだ。スポーツの応援にも共通することもかもしれないが、どうも余興というよりは、悪ふざけという感じになる。本人同士がにっこり笑って余裕で人前でキスできるような人達であれば問題はないが、少なくとも私が一緒に暮らしてきた人達の間ではそういう文化は存在しない。しかし時として幹事はそれが宴会を盛り上げることを仰せつかった自分の神聖なる使命であるかのようにキスすることを強制する。私には、他人がいやがることをさせて何がうれしいのかわからない。
しかし幸いにしてここはアメリカだ。チンチンならしているほうも、ちょっとほほえんだあとにキスする二人にも余裕が感じられる。ここからでは遠くでよく見えないが、拍手がわきあがれば、幸せな二人がキスをしたということなのだろう。
さてそんな騒ぎが一段落すると、テーブルに座っているみんなとの会話になる。前述したとおりAprilは私の右隣に座っている。その向こうにはどちらの友達だかよくわからないのだが、なかなか2枚目の男性が座っている。我々の反対側には一団の男の子達が座っている。彼らはさきほどちょっと話した感じではEdwardの友達らしい。彼らはAprilとも知り合いらしく、中国語と英語のちゃんぽんでテーブルをはさんで会話が弾んでいる。
とはいっても彼らは隣で「彼らは何をしゃべっているんだろう」という不思議な顔をして座っている日本人の存在を忘れるわけではない。なんのかんのとこちらにも話をふってくる。ちょこちょこ話したところ、彼らは口々に「あんな見たことあるよ」と私に向かって言った。
私とEdwardは一学期の間だけであったが、同じ部屋に住んでいたことがあったのである。同じ部屋といっても、リビングが共通なだけで、ベッドルームは別々だ。彼のところにはよく彼の友達が遊びに来ていたから、その時に私の事を見ていたのかもしれない。あるいは私もしゃべったことがあったのかもしれないが、まことに失礼なことに私はさっぱり覚えていない。彼らはだいたい「あんたのサスペンダーには見覚えがある」といった。なるほど。別にそう意図してサスペンダーをつけてるわけではないが、何が外見上で特徴があると、人に覚えてもらえるという利点があるのは確かなようだ。
さてAprilは彼女の右側(つまり私から見れば一人おいて隣)に座っているハンサムな中国青年と話し始めた。Aprilは結構ヨーロッパにも出張で行く身分であり、向こうのハンサム青年も結構行くらしい。彼と彼女の間で話がもりあがりはじめると、私としてはまた話し相手を捜さなければならない。というわけで左側を見てみる。すると座っているのはちょっとのぺっとしているがのんきな好青年、といった感じのおにいちゃんとその連れであるらしい女性である。
彼らをほうをみてぺらぺらとしゃべりはじめると、しばらくして、のっぺり青年が「えっつ?あんた日本人なの?」と言った。彼らはいままで私が韓国人かなにかかと思っていたのだろうか。まあ考えてみれば友達の結婚式のために、親族でもないのにわざわざ遠く太平洋を超えて飛んでくる、ってのは結構珍しい話なのかも知れない。
彼が働いているのはトヨタとGMの合弁会社であり、そこで部品メーカーに対して品質保証の指導をしているのだそうである。「大変な仕事じゃないか?」と聞くと、彼はそうでもないよ、と答えた。私が知っている品質保証部門のおじさんというのは、部品メーカーさん相手にまるで自分が皇帝にでもなったような態度で接する人達であったが。この国ではその様子はちょっと違うのかも知れない。
さて彼らと話していると、なんとのっぺり青年は名古屋の地理に私より詳しいことが判明した。なんでもしばらく研修でトヨタに行ったことがあるのだそうで。それから話は異常にスムーズに進行しだした。太平洋を超えたこちらの岸で、まさか名古屋の中心街は栄だとか、東のほうに動物園があるとか、トヨタの中心街にはそごうしかない、なんて話をするとは思わなかった。おまけに彼は大変日本の状況に詳しかった。「日本では、会議をよくやるけど、実は結論とかは、会議以外の場所で決まってるんだろ」とかなんとか。彼と話しているのはとても楽しかった。
こうした会話をしていると、他の国の人との会話についていろいろと考えることがある。そしてよくよく考えるとそれは別に他の国の人の会話について限った話ではないことに気が付くのだが。同じ日本に国籍を持つひとであっても、立場、職業、性別、年代、それに地方などが異なればいつでも直面する話だ。
他人と会話するためには、なんらのかの「共通の話題」というものが必要になる。「何をあたりまえのことを」を言われるかも知れないが、相手とこちらの共通要素がへればへるほど、このことの重大さに気が付く。
あなたが日常、友達や家族と話しているとき、この「共通の話題」というものについて少し思いを巡らしてみると、私が言っていることがわかってもらえると思う。今あなたが話しているような話題を、別の国の人との会話で持ち出すことできるだろうか。たとえば芸能人がなんだかわからないがある女性が、有名大学に推薦入学が決定した。そのことについて、日本のことを何も知らない他の国の人と話すことができるだろうか。
そう考えるとこの「共通の話題」を見つけるのは結構難事であるということに気が付く。実際にはこの話題が見つかれば次には、そのことに関して、日頃からどのように考えているか、あるいはそのことに関連した話題をどれだけ持っているか、などが問われし、大前提として相手が自分のフィールドから出て、お互いの共通エリアで会話をしてくれる人である、という幸運に恵まれる必要がある。しかしとりあえず切り口が見つからなければそこからの発展のしようがない。
最初アメリカに来たときはまだそこまで考えが及ばなかった。会話ができないのは、英語がしゃべれないからだ、と思っていたからだ。しかし今から考えれば、(これも世の中にはよくある話だが)ハードルを一つ越えれば、必ず次にハードルが待っているのである。
さてここで漸く本題に戻る。彼と会話をしていて、「日本に産まれてありがたかった」としみじみと思ったのである。実際こういう場で、日本人である、ということはそれだけで共通の話題となり得るのである。理由は簡単。日本は何かと注目される存在だからだあなたが知らない国から来た人と話す場合には、あなたから相手の国の話題を持ち出すことはできない。しかし日本であれば、大抵の国の人が何かを知っている。私が会話をするときは相手のフィールドに近い共通の事柄について語るのが基本なのだが、こちらの国のことも話題にできるわけだ。
今日の例でみると、世界に冠たるトヨタのおかげで(私は別にトヨタ車が好きなわけでも、トヨタの株をもっているわけでもないが)知り合いがほとんど居ない異国の国の結婚式に出席しても退屈せずに会話を楽しむことができる。先ほどのBride Maide夫婦とも彼らが日本に訪問することがなければ、あそこまで話がはずんだかどうかわからない。私が何かの間違いで、カザフスタンかどこかに産まれていれば、通り一遍の会話の後は、結構話題につまることになってしまっていたかもしれない。
さて、のっぺり君の彼は女の子連れで出席である。「結婚してどれくらいになるの?」と聞いたら、まだ結婚していない、と言う。じゃあいつ結婚するの?と聞くと、さあねえ、という答えだ。考えてみれば彼も若いようだし、まだまだ先は未定というところか。こちらの女性は、Aprilと違って、普通の女の子、という感じだ。彼女は台湾で日本の企業で働いていたと言う。「日本の企業」というキーワードを聞くとAprilは口をはさまずにはいられない。彼女はコンサルタントのような仕事をしてる(らしい)のだが、過去に日○と働いたことがあったのである。このときの体験談というのは彼女の得意技だ。曰く「なんなのよ、あの連中は。会議ばっかりだらだら長くやって何も決まら無いじゃない。あんなんでよく日本の企業の業績があがっていると思うわ」彼女は大変元気にまくしたてた。それに対して隣の男の彼女が言うには「あたしが働いた会社はそんなに悪くなかったけど。」それに対してまたAprilがぎゃんぎゃん何か言う。しまいには相手の女の子は「あたしは、そんなにAgressiveなタイプじゃないもん」といった答えをしていた。確かにそうかもしれない。とはいっても必ずしもAprilのほうが人間の性格として頑強である、ということにはならないのであるが。
さて何度かスピーチやら、新郎新婦のキスなどが繰り返された後に、今日のおみやげとしてSpecial CDがくばられた。今日の為に二人が選曲したものらしく、ポピュラーな欧米の音楽から、何を言っているかわからない中国語の音楽がはいっている。みんなでこれはいいアイディアだね、とかなんとか言っているうちにDanceの時間となった。
最初のダンスは、新郎新婦。次は花嫁と花嫁の父。(多分)という具合に相場が決まっている。ここらへんで流れている曲というのはいわゆるクラシックな日本語でいうところの社交ダンスだから私のでる幕はない。我々の席のまわりではあいかわらずのんびりとした会話が続いている。私はAprilと話していた。話の内容は例によって「彼氏できた?何?できてない?いけませんねえ」という奴だ。彼女は結構いい女性なのだが、何故か昔から私が知っている限り彼氏がいたことがない。Stanford時代に一時つきあっていた彼氏がいたが、あれはあまりいい関係とは言えなかったようだ。それからというもの私は彼女のに会う度にこの話題を振りまいていじめていたのである。「いいですか?男性にさそわれたら、あまり難しく考えずにデートくらいしてみなさい。とって食べられるわけじゃないんだから。」というやつである。しかしこの日は彼女の機嫌が悪かったのかあるいは逆に調子がよかったのか、逆襲を食った。「あんたも人のことばかり言っていないで嫁さんでもみつけなさいよ」いやはや。全くごもっとも。
その他にも仕事の話しとかを聞いていた。仕事に関して彼女の(これまた)得意な話というのが、「ある程度有能になると、ボスのために働くんじゃなくて、ボスがあなたのために働くようになるわよ」というやつだ。私がふーんと言った顔をしていると、「そうよ。ボスでもお客でも言うべき事は言わなくちゃいけないのよ」と言って、先ほどの日○との仕事の話の続きを話してくれた。あまりの会議の効率の悪さにとうとう彼女は会議の途中に「こんなの時間の無駄よ!」と叫んだのだそうである。私はその瞬間「いや。あんたがそう言いたいのはわかるけど、それをいっちゃあいけねえよ」と言った。しかし彼女の答えは意外なものだった。なんとその怒りの叫びは結構回りの日本人達に受けたという。おかげで日○における彼女の株はあがったそうだ(彼女によれば)
一瞬不思議に思った私だがなんとなくその光景は理解できないことはない。Aprilはどちらかといえばキャリアウーマンというよりも愛嬌があるタイプだ。その彼女に英語でどなられて、「なかなか良いこと言うじゃないか。うーん。確かに時間の無駄だ。」と彼らは余裕を見せる対応をしたのではないかと推測する。これが日本語でかつ男が言えば、その瞬間に彼は外に放り出されることは目に見えている。しかしこれは賭けてもいいのだが、仮に彼らが「時間の無駄だ」と言ったとしても彼らの会議のやり方は少しも改善されなかっただろう。だらだら会議を愛する人々の愛情を遮ることは誰にもできない。
さてこんな会話をしているうちに、音楽は私が踊れるような曲に変わった。マドンナのHolidayなんかがかかる。今まではどちらかといえば年輩の方が手などとって踊っていたが、だんだんデデスコのような調子でみんなが踊り始めた。Aprilがもう一人の台湾姉ちゃんに「あんたの彼氏もつれて踊りにいきましょうよ」と言う。私は踊るのが大好きな人間であるから、もちろん踊ることに賛成だ。となりの男性のほうは乗り気なようだが、何故か台湾姉ちゃんは乗り気ではない。しばらく英語と中国語で4人の間でわーわーと説得したが、なかなか腰を上げない。終いには私に向かって「彼とおどってらっしゃいよ。(彼というのは自分のボーイフレンドのことである)」という始末である。
私は「そんなに言うなら、私が彼とつきあうぞ」と言ったが、どうもこの英語は通じなかったようだ。しかしそれから数分間つづいたすったもんだの論争の末、とうとう台湾娘は踊りにいくことに同意した。
さて前述したとおり私は大変踊るのが好きな人間である。かと言って踊りが上手なわけではない。私の踊り方は大変変わっているといつも言われる。私が変人であると言われるのと同様に、誰もどこがどう変わっているかは教えてくれないのだが、とにかく変わっているといわれる。しかし私は踊りで生計をたてているわけでもないのだから、あまり人に迷惑をかけない限りどう踊っても良かろう。
数年前までは、時々踊りなぞに行く機会があった。その時は頭の働きが5%に落ち込んで踊って大変幸せだったものである。しかし世の中からDiscoという看板がなくなり、クラブというものに変わるにつれ、私がへらへらと踊る機会もなくなった。バンドのボーカルとしてへらへら動くこと以外にこうやって踊れるのは何年ぶりのことだろう。
フロアにはEdwardの友達や、Ellenの友達のブライドメイドのお姉さん達がロングドレスで踊っている。そのなかで一番目立つのは、一人だけいる白人の女性だ。私はいろいろな人のいろいろな踊り方を観察したあげく、「年期がはいればはいるほど、その踊り方は他の追随を許さない物になる」という当たり前の結論を引き出した。なんのことかというと、たとえば徳島の人が踊る阿波踊りというのは年期が入っているだけあって、なんとも我々が手つきをまねしたところで簡単に追いつけるわけではない。いつかベネズエラの女性が「こうやって踊るでしょ」と言って、ほんの2-3秒、手をへれへれと動かしたたが、その仕草を見ただけで「ああ。なるほど。年期の入った踊り方というのはここまで違う物か」と感心させられた。今日踊りにくいはずのロングドレスをきながらへらへれ踊っている女性を見ていると「ああ。年期というのものは偉大なものであることよ」と感嘆したくもなる。こういったデスコダンスの類は発祥の地は欧米なのだ。(と思う)彼女たちは我々が盆踊りを踊っていた年頃から、こうした類の踊り方に親しんでいたに違いない。
さて他人の踊りを見て感心している場合ではない。私もフロアにでてぴょんぴょん踊り始めた。いつもであれば踊り始めると回りのことは全く気にならなくなるのだが、今日はそこはそれ。結婚式であるから、一応脳味噌は動かしてある。Edwardは私が踊っているのを見ると「Hey,すごいな」と言ってくれたが、Ellenは腹を抱えて笑っていた。これまた例によって例のごとく何がそんなに面白いのか解らないのだが。
時々みんなでEllenを真ん中にして踊ってみる。やはりウェディングドレスというのは踊りにくいのだろうか。手しか動いていないからどことなく盆踊りのように見える。それでも今日の主役はやはり彼女だ。白いドレスで踊る彼女はとても綺麗に見えた。
さてひとしきり踊っていると、部屋の隅のほうで、今日出席した人が一言ずつカメラに向かって挨拶をして、それをビデオに納めているらしい。我々もつれそってそちらのほうに向かった。Aprilは「あたしやだわ。何いったらいいかわかんないもん」などと言っている。まあ今日はWedding だから、とかなんとかわけのわからないことを言って彼女も引きずっていった。
最初に吹き込んだのが隣にいたのっぺり青年。次がその彼女。その次はAprilである。彼女は英語と中国語で何か言っていたが、私にはさっぱり聞き取れない。Aprilから小さなマイクを渡されると私の番だ。本来であれば前の3人が吹き込んでいる間に何かセリフを考えるべきだっただろう。しかし私はなんとなく満足した幸せな気分にひたっていた。長いドライブ。昨日のStanfordの試合。結婚式に出る前の漠然とした不安。素敵なウェディング。古い友達との再会。見知らぬ人達との思いもよらない楽しい会話。そして何年かぶりに(腹を抱えて笑われたが)へろへろと踊ることができて。その幸せな気分と一つのアイディアだけを胸にしゃべりはじめた。
「Ellen, Edward, congratulations.今日は招待してくれて本当に有り難う。とても素敵なWedding partyだ。今日の為に日本から飛んできたけど、十分そのかいはあったと思う。ありがとう。だからその気持ちを込めて日本流に挨拶して見よう。知っているかと思うけど、深くおじぎをすることは、日本の社会では重要な意味を持つんだよ。
エレン、エドワード、今日は本当におめでとうございます。」
最後の一文だけは日本語で。そして深々とお辞儀をしてしゃべった。日本の結婚式では何度頭が下げられるか数え切れないほどであるが、今日腰を曲げて頭をさげていたのは私だけだっただろう。ビデオをとっていたカメラマンはパチパチと手をたたいてくれた。そして「あんた日本人か?日本から来たのか?」と聞いた。私はにっこり笑って「そうだよ」と言った。
撮影が終わるとAprilが帰るという。別れ際に彼女はまたしても「あんたも早く嫁さんみつけなさいよ。人にそんだけボーイフレンド見つけろって言うだから、これくらい言われても当然でしょ」と憎まれ口をたたいて帰っていった。
それから少しEdwardと話した。彼はしきりに「いやー。遠くから来てもらったのに、相手ができなくて悪いね」と言った。考えてみれば日本の結婚式ではほとんど新郎新婦と話す機会というのはない。せいぜい、式が終わった後に延々と順番待ちをして、ようやく数分しゃべれる程度だ。気が短い私はとっとと帰ってしまうので、そのチャンスすらまれである。おまけにご飯はいいとして、スピーチはほとんどの場合つまらないし、じっと座って無くてはならないし、お金は高いし、下手にプロの司会など頼もうものならばまるで演歌を地でいくような怖ろしい蕁麻疹がうきでるようなセリフを真面目な顔をして聞かねばならぬ。
等と言っても結構日本の結婚式も嫌いではない。特に呼んでくれた友達の笑顔が見れれば私は幸せな気分になれる。そうした私が、今日の結婚式においてとても幸せな気分になれないわけがない。
こうした長々とした話をEdwardにするわけにはいかない。彼はまだまだ忙しい身の上なのだ。私は「そんなこと無いよ。今日は本当に楽しかった。去年こういうWesternスタイルの結婚式にでたけど、今日の方がずっと良かったよ」と言った。彼は「本当?」と言ったが、これは本当である。去年でたのはMexicoであった友達の結婚式だった。こちらも彼らの友達や昔のStanfordの友達と楽しくすごしたが、理由は解らないが、今日のほうが快適に感じた。何故だろう?未だに私は答えをしらない。
彼は「goroはメールを出すのが無精でこまるねえ。。これからはちょっとまめにメールを打ってもらわないと」と言った。それはお前のことだ、と言おうと思ったが、新郎にめでたい結婚式で喧嘩をうるわけにもいかない。私はあっさりとひきさがり「Sorry.これからはもっとまめにメールを書くよ」と言った。
Edwardと分かれてしばらくまた踊っていた。ひとしきり踊るとそろそろ帰りたくなった。一息いれよう、と踊るのをやめて外に出た。外はとても綺麗な夜空だ。そこにEdwardのお父さんが立っている。彼は何を考えているのだろう。私も星空をみてしばらくじっとしていた。今日は楽しかった。
中にはいって恐らくは会社の友達と思われる人達としゃべっているEllenに別れの挨拶をした。I'm leavingというやつである。彼女は「もう帰っちゃうの?」といって、それまで話をしていた友達に「goroは日本から来てくれたのよ」といって、米国流にHugをしてくれた。最初Stanfordで女性にこの挨拶をされたときは大変腰が引けた物だが、今日は2回目。すこしは私のHugもさまになってきただろうか?
私は「今日はとても楽しかったよ。Have a good life」と言った。このHave a good lifeというのは本来何かが終わって、別れの挨拶に使うべき物だ。だからこの場面ではふさわしくなかったかもしれない。私がこの場所を訪れることがあれば、きっとこの二人に会う機会があるだろう。
にっこり笑って一人で帰路に就いた。空には星がいっぱい見える。
San fransiscoからhighway101にのるには少しコツがいる。最初のころどころか来てから1年くらいたっても何度か変な道に迷い込んでひどい目にあったものだ。幸いにして今日はちゃんと帰り道を覚えていた。この時間になるとさすがに空いてくるがその代わりに走っている車のスピードも上がっているから下手にのろのろ運転をしているとケツをふっとばされる可能性がある。
最初はそんなことを考えて緊張して走っていたが、流れにのると落ち着いてきた。一人ハンドルを握って空港に向かう。ラジオからはStanfordにいたころからいつも聞いていたK101というラジオ曲の音楽が流れている。その音楽を聴きながら今日の事を思い返していた。いろいろな場面や、いろいろな人達との会話を。
いつも見知らぬ人達と話す機会があるとその前比類のない憂鬱感におそわれる。今日はおまけにたった一人の日本人であったからなおさらだ。こうした場面では必ずしもいつも楽しくすごすわけにはいかない。話す相手が見つからなければにこにこしているしかすることがないし。こうした経験も何度かあった。特に英語が不自由であったときの憂鬱さは比類のないものだった。サミットとかで、一人ぽつねんとしている親愛なる日本の総理大臣の心持ちがわかるような気がした物である。
しかし今日はとても楽しかった。本当に楽しかった。贅沢と言われようがなんだろうが、人の世の中にはあまり楽しいことは多くない。大抵の時間はぶつぶついいながら、なんとなくの憂鬱感と共に生きている。それでもほんの時たま。本当にまれに今日のような時間を過ごす機会がある。そしてこういう時間は本当に宝石のように思える。考えれば宝石が貴重で光り輝いて見えるのも、それがまれな存在であるからに他ならない。もしダイヤがそこらへんに転がっていれば、誰がそれをありがたがるのだろう。
しかし人の世の中が今のようであるからには、こうした時間がもてることは本当にありがたいことだ。
車はSan Fransisco空港に近付く。ホテルは101の東側にある。今は北から走ってきているのだからホテルは左側だ。日本であればちょっと左に出ておしまいになるのだろうが、ここでは右側通行だから、いったん右側にでて、高くまで上がっている大きな立体交差の道路をとおらねばならない。この道路が(米国の基準では)けっこう狭く、曲がっている物だから(交差しなければならないのだからあたりまえだ)いつも「ここの壁をつきやぶって空を飛んだ車があるのではないだろうか」という妙な妄想に駆られる。
その道をだんだん上がっていくと、回りの夜景が見える。このへんの風景は昼間見ればお世辞にも綺麗ということはできない普通のちょっと小汚い町並みだ。しかし夜に見えるのは街頭の明かりだけ。オレンジ色の光が下にずっと広がっている。夜景が綺麗に見えるのは、その明かりだけが見え、他の汚い風景が見えなくなるからだ。だからそれは一種偽りの美しさとも言えるかも知れない。あるいは美しさとはこうしたものなのかもしれない。
こうして高く登っていく道路を走りながらそうした風景を見ていると、まるで星の海の上を飛んでいるようだ。私は普段こういう表現は使わないのだが、このときは本当にそう思えた。ラジオからはTitanicのテーマ、My heart will go onが流れている。
モーテルについて、フロントでしばらくコーヒーを飲んでぼんやりしていた。私は睡眠時間を何よりも愛している人間だが、ほんの時々ベッドに早々とはいってしまうのがもったいなく思える時がある。しばらくして立ち上がった。さあ。もう寝よう。明日は早い。
何を言っているのか今ひとつわからなかった:完璧なJapanese English(あるいはカタカナ英語とも言う)をしゃべっている私としては、あまり人の英語に文句をつけられた義理ではないのだが、Aprilの英語はちょっと変わっている。普通の中国人とは別のアクセントがあり、正直何をいっているのかわからないことが多々ある。本文に戻る
そう意図してサスペンダーをつけてるわけではない:私がサスペンダーをほとんど常に着用している理由については、「五郎に関するFAQ」をご覧くださいな。本文に戻る
私が変人であると言われる:(トピック一覧)「何故著者近影は選択式か」にはこの問題に関する一つの考察が記載してある。本文に戻る