日付:1998/10/1
米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章
怖れていたとおり時差ボケは続いていた。快調に眠りについたのはいいのだが、午前3時くらいに目が覚めてしまった。そうして悪いことに今回はコンピュータを持ってきている。くだらないゲームとか、このホームページの執筆とか、とにかく部屋のなかで結構楽しく時間がつぶせてしまう。確かに楽しいことは良いことなのだがそうやっているとますます目がさえてしまう。そして眠りはますます遠ざかっている。このまま長い間眠気があっちに行っていてくれればいいのだが、必ず彼は(彼女かも知れない)は強力になって戻ってくる。
そこまでいかなくても、午前6時頃(すなわち、「そろそろあきらめて出発しようか」という時間)になると待ちに待った眠気がおそってくる。そしてここで寝入ってしまうとどうがんばっても午前9時過ぎまで目はさめない。ふとおきた時にはまだモーテルにいるのは私くらいで、そろそろシーツを交換するおばさまたちが回ってくる時間になっていた。
あわくってそのモーテルをでた。さてこれからとりあえず昨日の「あわよくば」の目的地Elyを目指してひたすら北上だ。昨日最後にガソリンを入れてから、結構走り回ったので今日はまずガソリンをいれよう。
「たった一軒しか店がない町」のPanacaでさっそくガソリンを入れる。昨日と違って心の余裕もあるから、店のなかをじろじろ眺め回してみるが確かになにもない。買うものもないな、、と思ってガソリン代を払おうとするとカウンターに"Free map"なるものがあることに気が付いた。
考えてみれば今私はDetroitで買った「全米道路地図」みたいなヤツしかもっていないのである。この地図では町の大きさがわからず、昨日のように泊まる町の判断の役には立たない。もうっちょっと詳しい地図がいるな、、と思っていたところに地図が登場した。おまけにこれは無料だ。迷わず手に取った。
愛想のあるんだかないだかわからないおじさんは「今日はどこへ行くんだ?」と聞いた。私は「Ely」と答えた。彼はぼそっと「北。120マイル」と答えた。
さてとりあえずガスも満タン。気分も落ち着いて車の中で早速地図を広げてみる。すると地図の裏面に「Nevadaの見所紹介」みたいなものが載っていることに気が付いた。
いくつか自然の景観がすばらしいところが載っているが、不幸にして昨日眠気と戦いながらLas Vegasから北に何も考えずに走っている間に通り過ぎてしまったらしい。今更Las vegasに戻る気は毛頭ない。これはあっさり忘れることにした。
この地図の一番下にハイウェイが二つ載っている。一つはもともと通るつもりだったNevadaの北部を東西に走っているHighway 50である。ここにはなんと"The lonliest road in America"という名称がついているらしい。これは結構笑えた。普通だったらいかに人がくるかを宣伝文句にするところだが、それを逆手にとった戦法だ。この道を選んだことは間違いではないようだ。
問題はその下にあった。今回のNevada走りまくりでは、砂漠の中を延々と走ることが目的だったから、何をみたいとか、どこに行きたいとかは全く考えていなかったのである。しかし先日「UFOは実在する」なる爆笑番組を見て「そういえば砂漠の真ん中にはエリア51なるUFOが保管されているという伝説のある場所があったな」と思ったのである。
この時点までそのエリア51が果たしてNevada州にあるかどうかも定かではなかったのだが、この地図には"Exterrestrial highway"なる名称と共にArea51の近くを通るハイウェイがあると書いてある。
さてこれを見て私は迷い始めた。このハイウェイが存在するのはめでたいことなのだが、ここを通ろうと思うと、今朝出発した町にもどるどころか、そこからさらに60マイルほど昨日走った道を逆走せねばならない。なんてことだ。
私が旅に出ると途中も観光もすっとばしてとにかく目的地に早く着こうとすることは前述した。私は今回もその強迫観念にとりつかれていて、とにかく早く遠くへ行きたい、という考えで頭が一杯になっていた。しかし。。。今までそうやって脇目もふらず前進してあまりよかったことというのはないのである。結局早く通りすぎはするが何を見た、という記憶も残らない。他の人と一緒に旅行するときは(これは滅多にないことなのだが)そんな飛ばしまくりの旅行をするわけに行かないから、のんびり歩く。最初は結構ストレスがたまったがそのうちそうやってのんびり旅行すると見えてくることも結構あることに気が付く。そうするとそんなに急がなくても良いではないか、という事実に気が付く。
本とか漫画を見るとこういう「心理」を人生そのものにあてはめようとする人も結構いるようだ。私はそこまで自分の人生だのなんだのについて考えたこともないし、あまり難しいことを書くのもいやなので、「人生かくの如し」などとは書かない。そんな人生哲学はさておいて、朝方の冷え込みで鼻水が止まらなくなっていた私はポケットティッシュ(こんな便利な物が街角で只で手に入るなんて日本はなんてすばらしい国であることか)で鼻をかんだあげくに決断した。今まできた道を戻ろう。
というわけでつい数分前に万屋の親父に言われたのは違う方向。つまり今来た方向-南-に向かってひたすら走り始めたのである。
さてこの道は都合2往復したことになる。冷静に考えてみるとこの距離を全部足し会わせると今日の目的地であるElyまでいけたことになる。まあしかしいったん決断した以上はそういう計算はしないほうが健康のためによろしい。私はマイル数のことをすっかり忘れたふりをして、「なんてこの景色はすばらしいんだ」と自分をだますことにしたのである。
実際ここらへんの景色はすばらしい。いつも思うことであるがもしこの景色の一部でも日本のどこかにあれば、それだけでその土地は観光名所となり、その地域に潤いをもたらすことだろう。こうした砂漠の真ん中にはそうした風景が掃いて捨てるほど有り、ないところには何もない。まあ世の中だいたいこういう風にできているのであるが。しかしもしも私がどこかの観光協会で人を呼ぶのに頭をなやませている立場にあれば、この光景を一部分でも切り取って地元に持ち帰る妄想にさいなまれることであろう。
そんな妄想をよそに例によって例のごとく一度来た道は結構早い。おまけにたっぷり寝ているから体調もよろしい。ほどなく"Exterrestrial highway'の入り口に達した。
ここは一応フリーウェイ同士の交差点なのではあるが、例によって例のごとく何もない。妙な形でフリーウェイが交差しているため反対側に入ってしまう恐怖感にさいなまれながらもなんとか正しい(と思われる)フリーウェイにのることができた。するとでているのがいきなり”Exterrestrial highway”という一時代前のコンピュータで使われていた字体で書かれた文字にF117ステルス戦闘機があしらわれた看板である。
ここに怪しげなUFOの絵をかかないだけ良心的と言えば言えるかも知れない。本来エリア51なる秘密基地はTop Secretの航空機などを開発することをミッションとする(多分)のだから、F117も一時期はここで開発されていたかもしれないではないか。
あまりの看板に喜んだ私は車をとめて写真を撮ると、先を急いだ。
そこからこのフリーウェイ-本来の名前はState Route 375であるが-は98マイルに渡って続く。地図をみるとこのフリーウェイ上にある地名というのは一つだけ、エリア51が近くにあると言われているRachelだ。
始点からこの町-と呼んで言い物かどうかこの時点ではわからなかったのだが-まではおよそ40分ほどの道のりである。その間は文字通り何もない。何もないというのは、まず家がなく、店がなく、対向車がなく、同じ車線を走っている車が無いという意味である。こういう道を走っていると車の信頼性というものが如何に大事であるか思い知らされる。ここで仮に何かの間違いで車がとまったとして、私が日干しになる前に誰かが(仮にそれが私から身ぐるみはごうと思っている相手であったとしても)見つけてくれる可能性というのはあるのだろうか?と真剣に悩み出す。
周りの風景はすばらしい。緩やかな起伏が何十キロにも渡って続いている。よくTVでみるような見渡す限りまっすぐにハイウェイが続いている光景を何度も見ることができる。次の丘を越えれば何かあるかもしれない、などと思っても丘を越えればまた遙かかなたに丘があるだけだ。周りに見えるのは砂漠だけである。ましてや飛行機やUFOなどが見えるなんて面白いことはない。しかしこういう場所ではかりに本当にUFOを目撃したとして、誰も証人にはなってくれないかわりに、誰も否定することもできない。見渡す限り存在してる人間は私だけなのだ。そこらへんで遊んでいる鳥は何かいいたいかもしれないが、彼らは秘密基地だのなんだのは全く無視してちゅんちゅんと遊んでいる。
さて、そのうち何か砂漠以外のものが目に入ってきた。まず南の方にフリーウェイが枝分かれしているのに気が付いた。しかしこの道は地図には載っていない。私は何度も地図を確かめながらRachelの位置を確かめていた。こういう場所では運転しながらこういうことをやってもさして危険はない。反対車線に飛び出そうが、ぶつかる危険があるのは道の上にいる鳥だけだ。
さてそういう私の疑問をよそに、いつしか目的とするRachelらしきものが見えてきた。遠くからみても、砂漠の真ん中にいくつか家があるだけであることがわかる。
そろそろと近付いてみても遠くから見たとおりの印象である。町の看板には「人口?エイリアン口?98人」と書いてある。実際こんなところに住んでいる人間はエイリアンなみの変わり者かも知れない。
まず町の入り口(といっていいのかどうか定かではないが)には黄色いトレーラーハウスがあって"Area 51 Research center"なる看板がかかっている。ここは先日放映されていた「UFOは実在する」という特番でもスキップされたくらいうさんくさい外見をしている。中に入ってみるとアメリカ版おたくといった感じのお兄さんが一人で番をしている。それまで彼は普通のTVを見ていたが、客が来たと分かった瞬間にビデオに切り替え、アメリカ版「UFOは実在する」といった趣の番組を流し始めた。
こちらは彼の商売根性のたくましさというか、サービス精神に感謝しながらも店の中を見て回る。通り一遍のエイリアンとかUFOグッズがおいてあるだけで特にたいしたものはない。一つだけ「ここでしかかえないよん」と書いてあった「エリア51ガイドブック」だけは話のネタに購入した。それをぱらぱらめくったところ、先ほど気が付いた地図にのっていない分岐した道こそが、エリア51に通じる道らしいことを発見した。もっとも肝心の秘密基地はここから山をこえたところにあり、この町からではどうやたって見ることは不可能なのだが(秘密基地というからにはあたりまえだ)
その本だけを購入して外に出た。写真をとろうと思っていると、さっきのお兄さんが、「おまえも入れてとってやろう」ということでシャッターを押してくれた。このとき実はデジカメのメモリがいっぱいになっていて、この写真は記録されなかったのであるが、私はにっこりと笑って"Thank you"と言った。こうした実害のない人間関係をスムーズに進ませるための嘘だったら別に将来地獄に言ったときにえんま様におこられることもなかろう。他に怒られるネタは山ほどある。
さてあらためてこの町の周りを見回した。あたりには何の物音もしない。気温は快適。風はふいていない。見渡す限り無音の砂漠が広がっている。こんなところに暮らしていたら(その理由がなんであれ)確かに空にUFOの一つくらい見えだすかもしれない。
さてデジカメのデータを愛機PowerBook 2400に移し替えると、またもや走り出した。しばらくいくと今度は外にエイリアンの顔をかいた看板をかけた"Little Ale'in"なるレストラン兼、モーテル兼、土産物屋のようなものがある。これまた相当にうさんくさい建物であるが、こちらのほうは先日の特番で放送されていた。あの番組ではこのレストランのオーナーが真面目な顔して「ここらへんでは何度もUFOを目撃しているよ」などと話していたが、レストランの実際の雰囲気は冗談以外の何物でもない。屋根にはエイリアン向けに'Park here"という看板まで書いてある。
店内を一回り見回ったが、うさんくさい写真と土産物以外に何もなかった。外の看板の写真をとってそこを後にした。そこから数十分走ったが、まことに残念なことに不思議なものには何もでくわさなかった。ここらへんではあまりに交通量が少ないので、道路の上にいろいろなものがいる。走っていくといきなりカラスだの、もっと小さい鳥だのが一斉に飛び立つ。向こうも驚いたのだろうが、こちらも驚きだ。一度はど道路の上に寝そべっている蛇を引いてしまったのではないかと思う。道路の脇には時々牛がのしのし歩いていて、こっちを見ている。中には悠々と道路を横切っているやつまでいる。あの町の前後一時間程度は砂漠以外にはこの動物たちしか存在しない。
特番ではこの近くに秘密基地に勤める人達が住んでいて、毎朝通勤バスで通う風景が映し出されていた。いくら国家のため、秘密プロジェクトのため、とはいいながらこんなところで何年もくらす人達は全くごくろうさまだ。私も日本の防衛産業に従事して、ずいぶんといろいろへんぴなところに行かされたものだが、ここの比ではない。こうした秘密基地をどうどうと作れるのも、国内で核実験が行えるほどの有り余る土地を持っている国ならではだが。
運転しながら考えた。仮に世間で言われれている伝説通り、宇宙人がエリア51に捕獲されていまも生きているとしよう。私が仮に彼の立場だったら、あまりの退屈さにたまにはそこらへんにいる牛の死体から目の玉だの、内蔵だのくりぬいてみようかという気もおこりそうである。それを人間が見つければ「キャトルミューティレーションだー。宇宙人のしわざだー」と大喜びするわけだ。
しかしこうしてこの砂漠を走っていると、牛が死ねば、その死体をからすがつっつくという構図の方が遙かに説得力を持ってくる。牛が死んだところで人がみつけるまでに一体何日かかるのだろう。仮に宇宙人が幽閉されていたとしても彼は日をおかずして空を眺めてぼーっとするしかできなくなるボケ宇宙人と化すだろう。こんなに暇な環境ではそのうち牛の死体にいたずらする気力さえ失われそうだ。
さて結局このハイウェイは名前だおれじゃねえか、、などと思い始めた私の前に、妙な物が現れた。砂漠の真ん中から煙があがっている。
最初は水蒸気かな?と思った。雨が降った後に、どっと日が照れば湯気くらい上がってもいいじゃないか。しかし特定のエリアからしか煙があがっていないのが気になる。あれこれ考えてずいぶん近くを通ったのだが、結局なんだかわからなかった。ただこの日と翌日、町の近くを通ったときに「保安官なんとかの、今日のWild Fire予想:危険性高」とかなんとかいう看板を目にしたことからして、あれは漢字で言えば「野火」とでもいうべき火事だったのかも知れない。砂漠といってもかららかに乾いたような草木は結構たくさんある。何かの拍子に火が出れば誰が消せるわけでもない。
火事だの牛だのに見とれているうちにExterrestrial highwayは終わりになった。時刻はちょうど昼頃だ。本来だったらここでハンバーガーでも食べて一服したいところだが、このハイウェイの終点-つまりほかのハイウェイとの交差点-には何もない。正確に言うとかつてはなにかあったようなのだが、遠い昔に廃業してしまったようだ。朽ちかけた廃屋だけが残っている。
しょうがないから、進路を変えて(今まではおおよそ西から東に走っていたのだが)北に向かい始めた。ここから今日の目的地Elyまでおおよそ数時間かかるはずである。
その間砂漠がずーっと続くわけだが、一つだけ観光できるかな、と思った地名が地図に載っていた。Lunar Cratorというのがここから数十マイルいったところに存在しているはずなのだ。よく小学生用の「科学不思議辞典」とかで「ちきゅうに隕石がしょうとつした跡が、アメリカにあります」というやつはアリゾナに存在している。留学していたときに行ったことがあるが、あれは近くでみると単なる真ん中がへこんだボタ山のようであまり感動的なものではない。しかし一応近くに「隕石跡記念館」みたいなヤツがあって、そこにはクレーターができた過程(もちろん推測だ)と、「アポロ宇宙船で月に行った人達もここで訓練しました」とかなんとか看板に書いてある。実際ここで宇宙服を着て歩いているおじさんたちの写真も飾ってある。
Nevadaにそんなたいそうなクレーターがあるという話は絶えて聞いたことがない。しかしこういう土地だから、日本にあれば「クレーターの町」とか言って町おこしの材料になりそうな観光名所の一つやふたつ砂漠の中にころがっていてもおかしくないかもしれないではないか。そういう淡い期待とともに私は路上の鳥さんたちとたわむれながら北上を続けた。そのうち「どこそこまであと何マイル」という看板からしてそろそろクレーターに近付いたか、、と思い始めた頃。
道の脇にまごうかたなき"Lunar Crator"という標識が見え始めた。ただその看板が作られてからおよそ10年はたっていて、かつその間誰もペンキを塗り直そうとは考えなかったような雰囲気である。おまけにそこからのびている道は未舗装のでこぼこ道である。
私はその道の入り口に止まってしばらくの間考えた(別の他の車がいるわけでもないから、フリーウェイの真ん中で止まって考えるなど易々たるものだ)
ここからクレーターまでは7マイルと書いてある。時速50マイルでいけばほんの数分で着くだろう。しかしこの道だ。おまけにこの看板の様子をみると、行ったところで「ネバダ州立クレーター記念館」が存在しているとも思えない。
などと数分間にわたって私はうなっていたのだが、結局行くこととした。少しくらいは砂漠の他にも見学してもいいじゃないか。
そう思って未舗装のでこぼこ道に乗り入れた。でこぼこ道と書いたが、正確には洗濯板のような道と言った方がいいかもしれない(もっとも産まれてこのかた本物の洗濯板などみたこともないのだが)なんの跡かしらないが表面は規則的にでこぼこしている。まるでブルドーザーか戦車でも通ったかのようだ。今回借りた車はダイムーラークライスラーのNeonである。日本で言えば普通の5ナンバーかあるいは3ナンバー車なのだろうが、この国ではcompact carである。いずれにしたところでオフロード用に設計されているわけではない。
私が幼少の頃は、近くに未舗装の道というのはたくさんあった。そして私は少なくとも4歳くらいまではそうした未舗装の道を車で通ると妙に喜ぶ子供であった。そんなことを思い出してしばらく我慢したみたものの、先に進むに従って道の状態はだんだん快適ではなくなってきた。そのうちスピードを極限まで落としてみたものの、私はこの車が分解するのではないかと、深刻に悩みだした。
これほどまでストレスを感じて、果たしてクレーターに行く意義があるだろうか?もう一度思い直すと結論は簡単だ。あっさり引き返すことに決めた物の、これが簡単ではない。この道は普通の感覚で言えば一車線しかなく、両脇には草が生えている。おまけにその道をはずれれば単なる砂漠が広がっているだけなのである。万が一ここでUターンを試みて、スタックしてしまえば誰かが見つけてくれるまでに日干しになるのは火を見るよりも明らかだ。
ここでUターンにどれだけ時間をかけたかは正確に覚えていない。しかし異常な回数の切り返しを行ったことだけは確かだ。やれやれ、これで舗装した道に帰れる、、と思ったがまだ道は長い。「一度きた道は早い」という信念を持っている私だが、このときだけは様子が違った。でこぼこが何故か方向性を持っているのかどうかしらないが、自動車の震動は行きの時よりもこの帰りのほうが遙かに大きい気がする。
這々の体で元のフリーウェイにたどり着くと今度は脇目もふらず北上を開始した。とにかく早く先に行って、何か食べたい。
「おなかが減った」という一念で北上を開始したが、例によって例のごとくこのハイウェイには何もないのである。数十マイルごとに地図の上では何か地名が書いてある。一つ結構大きいのではないかと思える地名があるから、期待して近付いていった。よってみると「ハンバーガー」がどうのこうのという看板がでている。私としては安全策をとって、全国チェーンのマクドナルドかなにかが良かったのだが、この際そんな贅沢は言っていられない。その看板は「あと1マイル」とか書いてあるから、意気揚々と近付いていった。
まもなくまたもや廃屋が目に入った。まあ大きな町だろうから、廃屋の一つや二つくらいあるわな。そう思って通り過ぎたが、そこからしばらく走っても何もない。
まさか、、と思って戻ってみた。なんと先ほどの廃屋は「ハンバーガー」の看板をだしていたレストランのなれの果てだったのである。そしてこの「町」に存在しているのはその廃屋一軒だけである。つまりここは絵に描いたような「廃市」だったのだ。
私は一瞬車を止めて唖然としたが、また北に向かって走り出した。こうなるとお昼ご飯はElyにたどりつくまでありつけそうにない。まあお腹がへっていれば、眠くなることも無かろう。実際この日は昨日あれほど私を悩ませた睡魔はどっかに行ってしまっていたのだが。
さてそれから北上すること1時間あまり。ようやくElyの町が見えてきた。この町は今まででくわしたNevadaの町とは大分様子が違っていた。なんと全国チェーンのファーストフードや、やモーテルがごろごろしているのである。おまけに道は広くて、崩壊しかかった建物などは全然見えない。要するに普通の新しい感じの町なのである。
私はその「普通の町並み」に感動しているどころではなかった。とにかくこれで昼御飯にありつける。多分アービーズだと思ったが、転がり込むとてけてけと注文してぱくぱく食べ出した。これでほっと一息である。
時間をみれば午後3時半だ。なんとも中途半端な時間についてしまったものだ。ここで泊まろうと思うにはちょっと早すぎる。しかし次の町はおよそ1時間彼方だ。おまけに昨日の例でこりている私はとにかく目の前にまともそうなホテルがあるこの町で泊まる気でいた。
それからたらたらと町中を走っていくと、今度は古い町並みがあるエリアにでた。先ほどごはんを食べてたところは外側に拡張されつつあるエリアのようだ。さてこの古い町並みだが、どうも見ていて気に入らない。何が気にいらないと言われても困るのだが、なんだか落ち着かない。一通り町をまわって宿を決める前に、Tourist Informationが目に入ったので、そこにはいってみた。どうせ明日西の方に遙かに旅をせねばならんのだから、今のうちに情報を集めておいてそんは無かろう。どうせCheck inするには時間は早すぎるんだし。
さて中に入ってみると、おばちゃんがなんだか切り張りをしている。彼女は私をみあげると「ちょっとまってね。今手が放せないから」といった。私はあまりこのおばちゃまにとうとうとうしゃべられても困ると思って、「いや、みてるだけだから」と言った。
そういって棚に置いてあるパンフレットなどをつれつれと見ていると、おばちゃんが私に話しかけだした。どっちにいくの?というから例のThe Lonliest highway in USAだよ、と答えた。すると彼女は(予想通り)とうとうとしゃべりだした。私がさっき「見てるだけ」などと言ったのはどこへやらである。
彼女はまず私に"the lonliest highway in USA survival kit"なる封筒を渡して、「あんたがあのハイウェイを生き残るために必要な事は全部これに書いてあるわよ」と言った。私が苦笑いすると「あら真面目よ」といった。
彼女は中身の説明を続けた。ようするにどこの観光協会もやることだが、ここからスタートして、ハイウェイ沿いの都市のスタンプを全部押してどこかに送ると、カレンダーをもらえる、とそういう企画をやっているらしい。ってな感じで彼女がわららわらしゃべっているが、私は途中で「こいつは何をしゃべっているのだろう?」と不安に陥りだした。
私が米国から逃げ出したのは去年の12月である。それからほぼ10ヶ月全く英語という物にさわっていない。毎日使っていないと忘れてしまう、というのは語学の世間における常識である。実のところ私はこの常識は結構あてにならないのではないかと個人的に思っているが、自分の信条として披露できるほど反証があるわけではない。正直言えば今回の旅行で本当にちゃんとしゃべれるかかなり不安だったのである。
そこにおばちゃんのまくしたてるような説明だ。彼女が早口すぎたのか、あるいは特殊な言い回しを使っていたのか、あるいは単に私のヒアリング能力が落ちていただけのか。とにかく彼女のギャグの80%は理解できなかった。
多少の不安に陥りながらもいくつか有益な情報を手に入れることはできたのである。まずここから1時間先にあるEurekaという町は、私が怖れていたほど何もないところではなさそうだ。ありがたいことにEurekaにある宿屋一覧みたいな表があり、それにはいくつかのモーテルがピックアップされている。これならば宿屋を探して路頭に迷うことはなさそうだ。よし。今日はなんとかここまで行ってみよう。
もう一つ彼女が説明してくれた見所のなかにVirginia Cityというヤツがあった。彼女の説明によれば、ここは以前Nevadaの首都だったが、その後正真正銘のゴーストタウンになってしまった。そこを観光地化したところらしい。Nevadaを走り回っている間ににわかにゴーストタウンに興味を持ちだした私としては是非行ってみたいところである。
にっこり笑って"Thank you"といってその観光案内所を後にした。さてこれから気合いを入れて1時間ドライブだ。
町のエリアを抜けるとだんだん周りが砂漠だけになる。The Lonliest highwayっていうくらいだから、全く他の車とも出会わないんだろう、、と思っていたらこれは大嘘であった。結構車とすれ違うし、同じ車線に走っている車に追いかけられたり、追いかけ回したりをやる。必然的に今日ここまではほとんど考える必要の無かった「追い越し」というものを頻繁に意識する必要が出てくるのである。ここがThe Lonliestだったら、今日の午前中の孤独な運転はなんなんだ、と思ったが、古今東西観光用のうたい文句の信用度なんてのはこんなものかもしれない。
さてそれからの道のりはだらだらと続いた。朝の元気なときであれば、一時間などあっというまであるが、夕方の疲れた時間帯となれば、その1時間は結構長い。おまけに前述したとおり宣伝文句と違って結構人のゆくてをじゃましてくれる車がたくさん存在している。
それでもありがたいことに事故もおこさず地道に走っていればいつか目的地に着くのである。やがて家がいくつか見えてきた。時間からいってここはEurekaのはずである。
例によって例のごとくここは元炭坑の町のようだ。今は捨てられたのかあるいはまだ動いているのかわからない炭坑の跡がいくつか見える。そのうち町のメイン通りと思われるところにでた。メイン通りといったところで、あるのはレストランとか復旧されたオペラハウス(これはElyで観光案内所のおばちゃんが強調していたやつだ)とかあとは宿屋が数件である。例によって全国チェーンの店は一つも見あたらない。しかし一日砂漠をさまよっていた私からするとまるで立派な都市のように見えるから不思議である。
目についた一番大きいモーテルにチェックインした。値段は確か$40くらいである。場所が場所だけにすこぶるやすい。カウンターで電話カードを売っていたので購入した。これで仮に部屋から直接Long distanceがかけられなくてもなんとかなるかもしれない。
などということはとりあえず脇に置いておこう。荷物を部屋においてしばらくの間ひっくりかえってぼーっとした。とりあえずこれでなんとか目的地には着いたことになる。そして今晩も宿屋にはぐれるようなことはなかった。ありがたやありがたや。
さてまだ日は高い。寝てしまうにはもったいないので外に見物にでかけた。まず例のおばちゃんが強調していたオペラハウスにいってみたがなんともうしまっていた。まだ5時前である。これでどこが観光名所なんや、と思いながらぶらぶらと歩いていくと今度は、「Eureka観光15カ所巡り。1番はこちら」と書いてある建物に出くわした。こうした番号を追っていく観光の仕方というのも世界どこでも行われているのだろう。
建物自体は、昔新聞社だったところのようである。今は人口1000人たらずの町だが、昔はEureka Timesが発行されたこともあったのだろう。
中をみると、こうした田舎の郷土資料館というのはどこも同じ様な感じだ。誰が見たいのだろう?と思えるような先祖伝来のガラクタがかざってある。どれもこれも見る気もおきないようなものだが、入り口近くにかざってあった地図だけは印象深かった。Nevada全土に散らばっているゴーストタウンが示されていて、「Nevadaには350もゴーストタウンがある」と書いてある。なるほど確かにゴーストタウンだ。示された場所には今はよくて廃墟しかないに違いない。仮にそこを訪れようと思っても今日Lunar Createrに行こうとして挫折したのと同じ運命がまっているだろう。そこまでの道は町以上にひどい状態にあるに違いない。
さて、その地図に感心した私は次に壁に飾ってある新聞を読んだ。昔この町は鉱山で栄えた。最初は銀がで、そのうち別の物がでた。最盛期には10000人もの人が住んでいたらしい。もちろん昔のことだから公害などもひどかったと書いてある。公害だけでなくこの町にうずまいた人の喜びや哀しみや欲望はいかほどであっただろうか。今日閉まっていたあのオペラハウスを舞台にしただけでもさぞかしいろいろなドラマがあったに違いない。あそこに誰がみんなが目当ての女性をさそって現れるか町の話題だったことがあるかもしれない。あるいはすっぽかされて、隣が空席のままオペラを見た男も山のようにいたかもしれない。
しかし今いるのは1000名たらずだけだ。昔のそうした面影など全く残っていない。金が出た。人が来た。町ができた。金がでなくなった。誰もいなくなった。町がなくなった。
奥には昔新聞社だったときの印刷機などが置いてあるが、そんなものはどうでもよろしい。私は明らかに暇そうな係り員のおばさんに話しかけた。
「この町の産業は何?」
こう書くと素直に口からこの言葉がでたようであるが、実はそうとうに言葉を探してつまったり、どもったりしているのである。途中でおばさんは「?」という顔をした。
やっぱり英語がしゃべれなくなっている。。。数日後に迫った結婚式及び披露宴を思って私はちょっと眉間にしわをよせた。しかしここで落ち込んでいるわけにもいかない。おばさんの答えは要領をえなかった。多分今でもほそぼそと鉱山があるらしいこと。でもって人がいれば、店ができて、更に人がいるから、学校ができて。。。などと言っていたような気がする。昔は10000人も住んでいたんだね、と言うと
「どこに住んでいたのかしらね。想像もできないわ」と言った。
さて郷土資料館を出ると、ちょうど良い時間になっていた。今晩夕食を食べるところはもう決まっていたのである。ホテルの3件となりに存在しているChinese Restaurantだ。こんな田舎の小さな町にまで中華料理屋があるのは一種驚きかも知れない。
中にはいってみると、おそらく昔は洋風のバーだったような作りである。テーブルのほうでは夫婦者が何か食べているが、私はカウンターに座った。
店の奥からでてきてくれたのは可愛いアジア人の女の子である。この女の子は文句無しに可愛かった。頼んだのはチャーハンだが、量は日本のスタンダードをあてはめれば少なく見積もっても二人分はあった。それでなくてもダイエットをこころがえけている大坪君にとって、米国の食事はつらい。しかしあの可愛い女の子を失望させるわけにもいかない。これを調理してくれたのはさっきちらっとみえた男で、多分この女の子の旦那かあるいはお兄さんだろう。彼女の手前、そして調理してくれた彼の手前同じアジア人としてこれを残すわけには行かない。
という妙な使命感に燃えてばくばくと食べ出した。味は結構すばらしいがいかんせん量が多い。しかしなんのかんのと食べてしまった。満足感は得た物の、「実はもうすでに胃が拡張してしまっているのでは?」という恐怖感におそわれた。通常の私の夕食の量はこの半分以下なのである。その倍の量の食事を苦もなくたべてしまったというとは、、、胃が米国並になってしまえば、これからの体重の推移に大変よくない影響があるというものである。しかし食べてしまってはもう遅い。
食事が終わったとみて、さっきの女の子が食後のフォーチュンクッキーを持ってきてくれた。その時「あなた中国人?」と英語で聞いた。
「いや。日本人だよ」と言うと、「あらごめんなさい。なんだか中国人みたいに見えるから」と言いながら、サスペンダーのベルトをさするまねをした。
よくはわからないが、私は髪を短く切ると中国人に見えるようである。これを最初に言ったのは誰あろう私の母親である。私がStanfordにいたときに両親が遊びに来たのだが、帰ってから「五郎はどんなだった?」と姉に聞かれた母はこう答えたらしい。
「頭をちょんちょこりんに切って、ぷーっと太って、中国人みたいだった」
母が私のことを糞味噌にいうのはなれっこである。ちょっと解説しておくと、高い金を払えばどうかしらないが、米国の普通の床屋というのは信じられないほど下手である。そして私の顔は作りがいいかげんなので、髪の毛を変な風にちょんぎられると、ずいぶん容貌が変わる。そしてこの時も旅行の直前に髪を短めに切ってもらったばかりだった。
実の母にこう言われるくらいだから、彼女が私を中国人と思ったのも無理はない。おまけに何故か彼女はサスペンダーをしているのは中国人で、日本人はあまりしないとも思っているようだ。私はにっこり笑って(女の子に良い格好をするのは私が何より大好きなことだ)Thank youと言った。何がThank youか自分でもわからないが、相手にお礼を言われて、悪くとる人はあまりいないだろう。
さて満ち足りた気分になり、モーテルに帰った。部屋にはいるとさっそく懸案事項のコンピュータの接続である。さっきフロントで買った電話カードは日本のような便利なものとは違って、1−800ナンバーに電話をし、カードの裏に書いてある長々とした番号を打ち込むと電話がつながる仕組みである。全米一律料金なのがありがたいところで、一度コンピュータからの接続に成功すれば、設定を変更せずにどこからでもアクセスが可能となる。数十分にわたる格闘の末、なんとかメールを読むことは可能となった。これで一安心。日本からとどいたメールを読んでみると「台風がやってきた」とか書いてある。こちらは台風どころか雨のかけらもないような素晴らしい天気だ。こういう気候の中に暮らしていると傘という物の必要性をすっかり忘れてしまう。そういえば昔Stanfordにすんでいた頃に東海岸に旅行すると必ず傘を忘れて現地で買う羽目になったな。。
さて明日はまたもや長距離だ。今日はよく寝よう。
廃市:この言葉は本来ゴーストタウンとするべきかもしれない。しかしこの文章の後の方で、ゴーストタウンとはむかし炭坑があって栄えたが、滅んだ町の意味で使っているため、ここではこういう表現を使った。もっともこの言葉を題名にした映画(参考文献一覧)とはなんの関係もない。本文に戻る
フォーチュンクッキー:アメリカでChinese Restaurantにはいると最後にでてくる、中に一言書いてある紙がはいったクッキー。私はこれが結構好きである。しかし中国人に聞いたら、本当の中国ではこんなものはないのだそうである。中に書いてある文句はいかにも米国人が考えるところの「東洋の賢人」が言うようなセリフだ。曰く「あんたの努力は報われる」曰く「何か大きなイベントがあなたを待っている」等々。本文に戻る
女の子に良い格好をするのは私が何より大好きなことだ:(トピック一覧)昔は「そんなことはない」とか言っていたが、とにかく事実は認めるべきだ。私はとんでもない「いいかっこし」なのである。本文に戻る