映画評:ハリー・ポッターと謎のプリンス

2009-07-31 06:47

蒸し暑くて倒れそうになった日は本家から転載。

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読んではいないのだが、原作は一冊だけでも相当長いと聞く。その膨大な物語を2時間強の時間におさめるのは大変な苦労なのだろう。

こ のシリーズでもその"映画化"に成功した例と失敗した例があったように思う。私の考えでは今回は成功例だ。原作をまったく知らない私でもちゃんと一つの物語と してみることができる。後半の闘い+謎かけは結構楽しんでみれたし、自分の妹とハリーの恋愛にやきもきするロンも楽しい。というかフェロモン全開の少年少 女の恋愛騒動は滑稽でよろしい。彼らを優しく見守る先生達の姿を見ていると、私は自分の立場をすっかり先生の側においていることに気がつく。若い者は いいねえ。

しかし何が原因かわからないのだが、前半から中盤にかけて少し退屈したのも事実である。何をうだうだしているんだ。さっさと事件をおこさんかい、と。というわけで少し割り引き1000円をつけるわけだ。

一 時は"この人ものすごい大根役者ではないか"と思ったハーマイオニーだが、今回はなかなかかわいい演技を見せる。ハリーもいいと思うが今回の一番はロン。 自分にやたらとべた ついてくる女の子にでれでれする顔、ふぬけになってさらすマヌケ顔、試合前にガチガチに緊張し泣き言を言う顔。やたら成長し筋肉質になった体とのギャップ が楽しい。ヘレナ・ボナムカーターは悪の手先その3を例のごとく怪演。この人最近こんな役ばっかりという気がするが台詞が少ない割に印象に残る。あと金髪 のエキセントリックな女の子も要所で笑わせてくれる。

今回は"終幕3部作"の一作目なのでとにかく謎を広げた訳だが、枝をごっそり切 り込んであるので、次作を見るときまで"だいたいこんな話だったな"というのを覚えておく事ができるだろう。スネイプ先生ことアラン・リックマンがやはり 鍵となる人であるのかな、、とおもいつつ次は一年後か。。

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私だけかと思ったが、あちこちの映画評を読むと、ヘレナ・ボナムカーターの演技を印象深いと思った人は結構いるのだな。

不特定多数を対象の恋愛云々ということが私の頭から消えて久しい。フェロモン前回の生徒たちの行動はほほえましくもあり、痛々しくもある。(この映画ではほほえましさが多いかな)私はそれをすっかり"校長先生"の立場からみている。

上の文章から最終的に削ったのだが、悪の手先をがんばってやろうとするドラコ君もなかなかかわいらしい。思ったより2枚目にならなかったのが、この役にぴったり。

しかしこのColsing シリーズであんまりのばさず、半年間隔くらいで公開してくれませんかねえ。まあ年をとると一年などあっというまなのだが。


バーナム効果のある情報推薦

2009-07-30 06:56

というのができないか、と昨日ふと考えた。

血液型占いだの性格占いが当たるような気がするのはすべからくバーナム効果のおかげである。

バーナム効果(バーナムこうか、: Barnum effect)とは、誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象。

via: バーナム効果 - Wikipedia

Goromi-Tubeの基本コンセプトは

"とにかく映像をながし続ける"

であるからして、ページを開いた瞬間に何かを流す必要があるのだ。

今はTop Favoriteとかそういうものの中からランダムに選択しているが、たとえばこれをI'm feeling luckyみたいな機能に置き換えられないかと思う。

そうしたときにタイトルのようなことに思い当たるわけだ。個人ごとに必ず異なっており

"このプログラムは私の嗜好を分かっている"

と思い込ませるような情報提示ができんものかな、と。

いや、もっと直接的に利用するのはどうか。流れてくるビデオリストの中に、"あなたに語りかける言葉"を含ませておくのだ。するとこの言葉はよくあたる、と評判になr、、、とはならんかな。

書いているうちに気がつく。我々はたいていの記事やら文章で"宣伝臭"を感知することができる。これは何をみているのか。どのように学習したのか。それを欺く方法はあるのか。


発想支援というものは

2009-07-29 06:52

如何に銘打ってあろうと

"情報整理"

にしか見えないものが多い。もちろん情報を整理することが発想の第一歩だという考え方もあるだろが、私が考えるにそれは発想支援に必ずつながるわけではない。

しかし以下の文章は面白いと思った。

しかし、フィックスとは固まること。「動物も死んだら止まる。動き続けることに意味がある。Don't fixだ」という。人間は知識や経験をベースに動いているが、インターネットを通じて自分のまわりの情報が爆発的に増えている現代、大量の情報に対応できない人も多い。というのも、考えをいちいちフィックスさせているからだ――というわけだ。新しい情報に接して間違いに気付いたら、これまでの考えを修正するのも当然なのである。

via: 誠 Biz.ID:マンダラートがiPhoneに:マンダをラして発想支援――iMandalartで「脳を編集する」

マンダラアート自体には関心しないが、たとえばGoromi-WebをiPhoneに乗せる際のインタフェースとして、この9つのマス、というのはいいのではないかと思う。自分のつぶやき、コンタクト情報メール、それに外部RSS, Webの情報を無理やり9つのマスに収めるのだ。そして列ごと、あるいは行ごとにごそっと入れ替えることを可能とする。

9つのマスのうちいくつかを"アンカー"として固定しておき、それ以外をごそっと入れ替えることを可能とするのだ。

ををなんだかいけそうな気がする。と書いても読んでいる人は何のことかさっぱりわからないと思います。すいません。

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話はコロっとかわる。今回の選挙は"嫌悪感"だけが渦巻くいやなイベントだ。小泉以前に逆戻りした自民党、選挙民の知性をあざ笑うかのように、財源の裏付けのないバラ巻きを宣伝しまくる民主党。その民主党の支持が高いということは、日本国民のメンタリティがそのようである、ということか。じゃあおまえはどこに投票するのだ、と言われれば言葉につまる。

民主党政権が崩壊するまでにいくつ後世に禍根を残す悪法を通すか。それだけが気がかりだ。


Welcome to ケータイ World

2009-07-28 07:04

以前から会社ケータイなるものは持たされていたが、ほとんど使わなかった。

この会社にきてからiPhoneを使っている。おかげで"ちゃんと電話が通じるようになった"と奥さまはご機嫌である。

それと並行して仕事でケータイについて少し調べた。そしてケータイサイトのデザイン、表示される広告の下品さに驚いた。iPhoneで普通のサイトみている限りではPCと同じだからそうしたサイトにはほとんど触れることがない。

というわけで、ケータイ文化の一部である下品な世界とは無縁のまま過ごしてきたわけだ。

iPhone OSが3.0になってからMMSなるものが使えるようになった。どう使うのか未だにわからないがとりあえず登録をした。

その関係かどうかわからないのだが、一日に一通くらいSPAMメッセージがとどくようになった。やれ逆援がどうの、ほにゃらほにゃらである。

かくして私もケータイ文化に少し触れるようになったわけだ。

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先日ある打ち合わせに行ったら、iPHone所有率は50%だった(3/6)まわりでもiPhone所有者が増えてきている。

個人的にはWilcomが次に発売するSmartPhoneに興味を持っている。どのようなOSでどのような製品を出してくるのか。


失言だ!失言だ!

2009-07-27 07:08

共同通信配信の記事

オバマ米大統領は24日、暴言を吐いたとして黒人のゲーツ・ハーバード大教授(58)を逮捕した白人警官、クローリー巡査部長(42)の行動を「愚か」と評したことについて、「違った言葉を選ぶこともできたはずだった」と自らの発言に不適切な面があったことを認め、事実上謝罪した。

via: オバマ氏「愚か」発言を謝罪 黒人逮捕の警察に - 47NEWS(よんななニュース)

それに関するブログ

そして、オバマ大統領は続ける。

これはよい機会なんだ。お互いネガティブに騒ぐのではなくお互いの言い分に耳を傾けることにしよう。と。

そして最後に、教授と警察官をホワイトハウスに招いて、3人でビールでも飲みながら話そうと提案したことを明かした。

記者たちは一瞬あっけにとられた。その次の瞬間破裂するような笑い声。

そーくるか、と、皆が思った。

まるで武術で正面から戦いあう相手に間をはずしたような行動だった。

via: 犬も歩けば 渋谷にあたる:オバマの問題解決能力

言いたいことは二つある。

何でも"失言だ!失言だ!"フレームにはめなくては気が済まない日本のメディアの発想の貧困さ。

米国で人種差別がからむ問題はつねに泥沼化の危険をはらんでいるが、それを爆笑に変えたオバマの見事さ。

人生は短い。であれば、前者はすっぱり捨てて後者から学びたいと思うのだ。


お台場ガンダム=大仏論

2009-07-24 07:06

というわけで先週の週末に行ってきた。

実物をみて確信した。お台場の1/1ガンダムは大仏である。

みなただ見上げ、そしてあらゆる種類のカメラのシャッターを切り続ける。

周りには露店が並び、みんなのんびりと何かを飲み食いしている。それはとても静かで幸せな空間。ガンダムのキャラクターのコスプレをしている一団がいたが、却って彼らのほうが浮いていた。


かけてもいいが、あそこにさい銭箱を置けばものすごい額の金が集まるに違いない。

皆既日食にせよ、ガンダムにせよ小さなPC画面上で画像やら動画やらみても、本物にはかなわない。あの大きさ、姿には左脳ではとらえられない何かがある。私の右脳は"わーいわーい"と歓声をあげっぱなしだった。


Goromi-Tube(仮称)を作りながら気がついたこと

2009-07-23 06:48

例によって使いながら作っている。まず起動すると真っ白な画面が現れる。そこからキーワードを選ぶか入力するかなのだが。

ふと気がつく。この時点でもうTVではないのだ。

TVというのはつけている最中映像と音が流れっぱなし。当り前のことだがようやく気がついた。

いや、ちょっとしたバグからもこのことには気が付いていたのだけどね。キーワードを選択すると、動画を消すようにしていたのだが、これがうまく働かず音だけが流れていた。

そこでふと気がつく。TVってこうじゃないか、と。

どこかで読んだ記事によれば、Steve Jobsは"TVは人間を馬鹿にする"とかなんとかで嫌いだとか。何も考えなくても、情報が流れ込んでくる、というのは確かに人間を馬鹿にするものかもしれない。

まあいろいろ考えながら作って、なんとか公開しよう。表はFlash,裏はGoogle App Engineなのでログもとれるはずだし。そこから何か学ぶこともあるだろう。


映画評:ノウイング

2009-07-22 06:47

試験の夢をみた日は、本家から転載。

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予告編を見る。ニコラス・ケイジである。飛行機が落ちてくる。ということは、きっと能天気な"地球が危機だよん映画"に違いない。

そう思って見始める。50年前、とある小学校でタイムカプセルを埋めることになった。みんなは未来の絵を描いたが、一人だけ数字の羅列を書いておさめた少女がいた。

ここで話はいきなり50年後になる。ケイジ君はMITの教授。最近のMITでは講義に学生がみんなノートPCをもってくるのだな。(時々持ってきていない学生も混じっているのがリアルだが)

おっと、忘れていたというわけで教授が息子の小学校に行く。タイムカプセル開封の儀が執り行われるのだ。なんだこの数字の羅列は、というわけで教授が解析を始める。

こ のシーンにはComputer Nerdの端くれとして突っ込まずにいられない。映画ではホワイトボードに数列を書いた後解析を始めるのだが、MITの教授ならまずコンピュータに数列を 入力するだろう。一旦デジタルに変換すれば解析し放題。なんなら、日付と緯度経度をGoogle Mapにプロットするプログラムだってあっというまに作れる筈だ。

なぜそんなことを考えるかと言えば、そこまであまり隙がなく重苦しい雰囲 気で話が進むからだ。数列が表しているのは大規模な死亡事故のおこる日付と緯度経度。そうとわかればケイジ君が大活躍し事故を回避、とはならない。(そう なってくれればもっと気楽に見られるものを)数列の最後にはEEと書いてある。他の人すべてが犠牲になる、と。それはどういう意味か。それがわかるところ は唐突と思うが終末に向かって映画は神妙に歩を進める。ケイジ君はにこりともしない。ヒロイン役は美しいがどことなく幸が薄そうな容貌。彼女が途中から暴走しだすのだが、おいつめられた人間とはそうしたものかもしれん。

映画としての出来はミストに及ぶべくもない。しかしケイジと息子の別れでぐっとくる。ええい、息子を持つ父親にこんな映像を見せるとは卑怯ではないか。こんな映画に1080円の値段をつけろというのか。

しかし映画の神様は私に味方した。どうもCGの予算があまったらしい。その後冗漫かつ派手なCG満載のシーンが続く。そこで感動は薄れ、私はこころ穏やかにこの値段を付けることができるわけだ。いや、そんなに感動を忌避するわけではないのだが。

ちなみにベートーベン交響曲第7番第2楽章が2カ所で使われている。この映画だとただの悲しげな音楽になってしまう。第一楽章、第四楽章がはいる余地はこの映画にはないからね。それらを盛り込めたらあるいは傑作と成り得たかもしれないが。

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いや、まさかこんなに真面目に重い印象を持つとは思わなかった。

子供ができてからというもの、映画の感動するポイントはずいぶん変わってきていると思う。独身のころみて"なんだこれは"と-1800円をつけたLife is Beautifulは今みたら、、どうだろう。イライラしつつも、あの状況で子供に

"これはゲームなんだ"

と言い、最後の瞬間までその嘘を貫き通す父親の姿をどう思うのだろう。そう思えば、駄作だと思いながらいくつかのシーンが頭に焼き付いているな。



ぬり絵を作ることと色を塗ること

2009-07-21 07:02

正しいかどうかわからないが、タイトルのような枠組みで物事を考えることがある。

ぬり絵を作る、とはどのような絵をかくか考え、輪郭線までを描くことだ。色を塗ることとは、指定された色と、輪郭線に忠実に丁寧に色を塗ることだ。

ソフトウェア工学というか、工学というのは後者だけに有効な手法ではないかと思える。そこでは効率という言葉が意味をもつし、マニュアル化、カイゼンなどとにかく日本企業が好きな言葉が十分活躍できる。



問題は



色をいくら丁寧に塗ったところで、ダメな絵はどうにもならないことだ。

世界のトヨタ様がやっているG-bookというサービスについて誰か知っているだろうか?ネット接続の世界を車にも、という崇高なコンセプトのもとリリースされた製品はひどいものだった。

G-Book標準搭載の車をレンタルし、若者二人に"G-Bookを使って一泊旅行に行ってこい"と出張に行かせた。

翌日二人が疲れ切った顔で帰ってきたので"どうだった?"と聞くと"G-Book さえなければ楽しい旅行でした"と答えた。

昨日聞いたことだが、トヨタさまはその開発において

"車品質の保証をしたいので、通常より細かい試験をしてください"

と命令し、ちゃんと余分な金も払ったという。

そうやって"ソフトウェア品質"を向上させたところで、サービス自体がゴミなら何の役にもたたない。つまり元の"絵"が間違っているのに、きれいに色を塗っても何にもならないということだ。

また先週こんな記事を見つけた。

この記事のなかで、例えば、GoogleEarch や Wikipedia といったソフトウェアが、果たして計測と制御という管理で作られただろうか、と問うている。そして、2つの種類のプロジェクトを例にし、

「計測と制御」は、Project A の世界では有効だが、Project B の世界ではほとんど意味をなさない、と指摘している。これは、

ソフトウェア開発という活動には「計測と制御」よりもっと大切なことが多く含まれており、その中では、「工学」の概念は「ポイントを外している」

via: 「測定できないものは制御できない」は誤りだった。-- by Tom Demarco:An Agile Way:ITmedia オルタナティブ・ブログ

ソフトウェア開発には"創造"という側面が常に存在している。そして私が知る限り工学という枠組みは創造の価値を測定することに適してはいない。

これまた別の例だが、甘粕大尉という人が満州に渡り、映画制作会社の"効率化"をはかった。そして映画会社は従来に比べ格段に効率的に映画を製作できるようになった。

しかし"満州もようやくここまで来ました"と日本からきた映画関係者を招いて行った試写会を行ったところ、映画終了時におきていた映画関係者はいなかった。

これも映画制作、という創造性と、工業的効率の両方がいりまじった活動に対し、工学的な改善だけをほどこした結果といえるだろう。

色を塗ることは、あるいは制度を整えれば効率的かつ品質良くおこなえることかもしれない。しかし絵をかく人を見つけるのは至難の業だ。


映画評:愛を読む人

2009-07-17 07:07

アトラッシュ。僕はもう疲れたよ。。本家から転載でございます。

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1958年のドイツ、ベルリン。15歳の少年はふとしたきっかけから30代の女性と知り合いになる。"やりたい盛りの15歳"であるからして、女性の部屋にいりびたりになるわけだ。しかし

"○○する前に、本を読んで"

といわれちゃんと従う辺りが偉いぞ。しかし女性はある日こつ然と姿を消す。

ここまでで映画はほぼ半分。ああ、甘ったるい年上女性と少年の話であったかと思えばそうではない。何故1958年か、何故ベルリンかがいきなり観客に突きつけられる。彼女は元SSの看守。そして生き残ったユダヤ人が執筆した本がきっかっけで裁判にかけられる。

彼 女には二つ秘密があった。一つ目の秘密-自分の過去に彼女は決然と立ち向かう。臆する事なく、堂々と意見をのべる。しかし二つ目の秘密には戸惑い、弱みを 見せる。この演技がすばらしい。自信と誇りに満ちた姿との対比が見事。ケイト・ウィンスレットのアカデミー賞受賞も納得である。(60代の彼女は ちょっと奇麗すぎると思うが)

ここまでは文句なく1080円以上の映画であった。しかしそこから映画の芯がよくわからなくなる。それはあたかも

"文庫本のせるつもりで作った本棚に百科事典のせたら落ちちゃいました"

と いった感じ。ユダヤ人の声に配慮すれば、ウィンスレットが出所後小さな幸せを得ることはあり得ないのだろう。あるいは、生き残ったユダヤ人の娘が、今や New Yorkでものすごく豪勢な暮らしをしていることに何が暗示があったのか。この女性と元少年の会話にはいらいらさせられる。そして最後のシーンもど こか浮いているようだ。

裁判を傍聴する学生のゼミで、ある男が意見を述べる。しかしその立ち位置が理解できない。"見て見ぬ振りをした当時のドイツ人全員責任がある"といいたいのか"看守の女は死刑だ"といいたいのかわからないのだ。

同じようにこの映画自体の芯も見えない。個別の愛を描きたかったのか、少年の人生を描きたかったのか、そもそも人間の生というものは、と言いたかったのか、そのどちらにもついていないように思うのだ。

い や、そのどちらにもつかないのが人生というものであり、、とは思うのだが見終わった後"うーむ"という言葉が口からでる。とはいえ原題のThe Readerはこの映画にふさわしい。邦題に惹かれ見に行き、アウシュビッツの光景を見せられ"何だこれ"となった女性は多いのだろうな。

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というわけで払った金のもとは十分とったと思える映画ではあった。

途中いきなり主人公がかよっている学校が共学になる(のか?)そこで輝くような若さと美しさをもつ同級生の女性が登場する。ううむ。30後半の女性とくらべるとこっちのほうが、、となるかと思えばそうはならないところがよろしい。とはいえ、15歳の少年に深い愛を求めるのは無理というものであろう。

少年はこの映画にでるまで英語がしゃべれなかったらしい。映画の中では見事なドイツなまりの英語をしゃべるのだが、ケイト・ウィンスレットも見事にドイツなまり(そう聞こえるが)でしゃべる。インディ・ジョーンズのケイト・ブランシェット(ロシアなまりの英語)といい、プロの役者とはすごいものだ。

さて、今週末は"ノウイング""ハリーポッター"と見たい映画が2本あるが、はたして1本見ることができるかどうか。。


思えば自民党はとうの昔に死んでいた

2009-07-16 07:39

というわけで、何か思いもよらぬことが起こらない限り、民主党が政権の座に就くらしい。

今回の"そのまんま東"への出馬要請を見ていてどこか既視感を覚えた。

思えば自民党は森内閣の時にほぼ死亡していたのだ。選挙間際に

"有権者をなめているとしか思えない減税提案"

を出したことを覚えている。窮すれば鈍するのは古今東西普遍の真理らしい。

しかし瀕死の状況に追い込まれたことにより、"変人"小泉氏が輝くことになった。そして自民党は奇跡的に生きながらえた。

その事実を忘れ

"正しい自民党の姿"

に回帰しようとした麻生君がこうなるのはいわば必然だったのかもしれない。

民主党の人間の発言を聞くたびゲンナリする。日本がジンバブエやオーストラリアのようになってしまうことをぼんやり懸念する。しかし他に選択肢がないのだからしょうがない。

願わくば後に尾を引く悪法を作る前に民主党が瓦解し、政界再編が起こらんことを。


Goromi-TVをYoutube対応のFlexアプリにしつつあるのだが

2009-07-15 07:31

というわけでフラストレーションから逃れるため、タイトルに書いたようなことをしているわけだが。

昨日ようやくGoogle App Engine上に展開して動き始めた。

まだほんの基本機能しか動いていないので使いにくかったりする点は山盛りなのだが、そこはそれ。作った人間はソフトの問題に一番優しいのだ。

表示している内容は素のYoutubeと全く変わらないのだが、閲覧の仕方が全く異なるところがやはり面白い。昨日見ていたら娘が膝の上に座り

"次はこれ見たい""これ面白いんだよ"

とNHK教育関係の歌をいくつかみせてくれた。

Youtubeのビデオはどれも短いものばかりだから、次のビデオを選択しても今再生しているビデオを中断してそちらに移るのではなく"次のビデオ"として再生予約した方がいいのか、とも思う。

ニコニコ動画とかこのインタフェースでみたらまた楽しいと思うのだが、やらせてもらえないかな。。


協調フィルタリングとコンテンツフィルタリング

2009-07-14 06:50

というわけで情報推薦には、大別して協調フィルタリングとコンテンツフィルタリングがある。(土方さんの文書受け売り)

平たくいえば

・コンテンツフィルタリング:推薦するものの中身を見て、どうしようか考える
・協調フィルタリング:あんたと似た人これ好きみたいだから、どう?中身がなんだか知らないけど

両者のハイブリッドがあったり、いや、結局両方重要なのだ、という考え方もあるが、Amazonで使っているのは協調フィルタリング出し、例えば楽曲推薦だと協調フィルタリングの圧勝である。

これは何を意味しているかといえば



人間にとって"面白いもの"が理解できるのは人間しかいない



ということではなかろうか。

推薦するものの中身を見て、あーだこーだとルールを定義したりしたところで結局"あんたと似た人はこれが好きだよ"に勝てない。つまりなぜそれを好むかを推薦対象の中身から推定することはできない、ということなのだ。

人口知能という言葉は定義がはっきりしないから"いや、協調フィルタリングも人口知能である"ともいえるのだろうけど、"人間の知能をあれこれプログラムしてコンピューターの中に再現させる"ことを夢見ていた人たちにとっては、昨今の現実はひどく気がめいるものではなかろうか。

ゲシュタルト崩壊の"ゲシュタルト"がなんであるかについて人間はほとんど知らないままである。であるから、コンテンツの要素から"面白さ"につながる橋はあることだけはわかっているが手掛かりすら見つからない。

この認識を根底に持って置くことは重要だと思う。音声認識の精度はいつまでも実用レベルに達しないが、ここにも同じ問題がある、、とか結構



育てればものになる分野と、天井が見えている分野



の区別をつけるために必要な考えだと思うのだけど。

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はて、なんでこんなこと書いているのだ。私。

疲れたSIerの窓際がこんなこと書いてなんになるのか


電波の状況がどうだろうと

2009-07-13 06:53

iPhoneユーザの私からすれば、ソフトバンクという会社が存在していてくれたことは幸運だったと思うのだ。

有り体に言って、NTTドコモがiPhoneを提供すれば、何の問題もなくハッピーに使えるのだ。

via: ノキアとインテルが描く"過激な展開":日経ビジネスオンライン

その経営基盤がゆらいでいる、とはここ数年来ずーっといわれ続けてきたこと。だからといって、↑のような能天気な言葉には到底同意することができない。

要するにdocomo製のスマートフォンは、たとえばAndroid Market以外に「docomo Market」のような市場がもう一つ併設されるということですね。

もちろん収益確保のためですから、デベロッパー登録から決済まですべて(業務委託などを含め)docomoによる仕組みが提供されることになると思われます。

屋上屋を架すという滑稽さばかりでなく、ユーザーの混乱や不利益をなんとも思っていないのでしょう。

さらにスピード感の鈍さは致命的です。試験環境が今年度中、商用サービスは来年度。つまり2010年4月以降ということです。

via: docomoからiPhoneが出ない理由 | iPhone 3G Wiki blog

確かにドコモがiPhoneをだせば、電波状況はよくなるだろう。しかしそれでiPhoneユーザがHappy?冗談ではない。

もしDocomoからiPhoneがでていたら、こんな状況になっていたであろうことは想像に難くない。

きょう発表されたドコモのAndroid携帯「HT-03A」ですが、Twitterのタイムラインだけでなく、はてブでの記事への反応もかなり温度が低く感じています。自分がフォローしている人たちからも、ネガティブな声ばかり。

ドコモ、国内初のAndroid携帯を発表 - ITmedia News

 それもそのはず、ドコモからのメッセージに熱意が感じられないのですから。

 せっかくオープンなアプリケーションストアがあるのに、そこを強調していない。アプリの数も表明しない。有料のアプリがあるかどうかとか、有名アプリケーションメーカーによるエンドースメントとか、Windows Mobileであればやったであろう、有力ソフトハウスの人たちとの握手やスピーチだとか、一切ない。

via: 効かぬ、効かぬのだ......、ドコモよ:CloseBox and OpenPod:ITmedia オルタナティブ・ブログ

というか、実際にiボタンをつけ常にドックに表示しろとかあーだこーだ要求がでたのだろうな。。
逆にソフトバンクがどんな恐ろしい条件をのまされたのか想像するだに恐ろしい。しかしそのおかげでわれわれは楽しくiPhoneを使うことができるわけだ。


ツボだの針だの

2009-07-10 06:53

面白い記事を見つけた。自分の中でまだ消化できていないが、とりあえず引用しておく。

――現代医療でも、「がんの名医」といわれた人は、触診を非常に大事にし、精緻な検査を行う前に、ある程度の症状を把握していたと聞いたことがあります。

寄金:いまや触診は廃れましたから、職人芸を伝える話として残っているだけになりつつあるのは残念ですね。ただ考えてみて欲しいのですが、名人だろうと、触れた奥がどうなっているかは、本当はわかりません。触診の名手が触って、そこでなにかがわかるとしても、それはあくまで"妄想"です。

 「きっとこうだろう」と過去にたくさんの人に触って蓄積したものが混沌とした潜在意識の中から出てきて、なんとなく答えを出す。それを言語化せずに出力してしまえるのが、職人・名手たるゆえんでしょう。

via: 「ツボはただの妄想」とツボ師は言う:日経ビジネスオンライン

先日書いたこととちょっと関連づけてみる。

この人は"ツボはただの妄想""医学は科学たりえない。それで結構"と言っている。ちょっと極端な気もするが、その言葉にひきつけられるのはこの人が自分の職業に確固たる自信を持ち、それゆえそこから離れたところから自分がやっていることを見つめられるからだろう。

これの逆の立場にあるのが、"科学たらんとして苦闘している"心理学の人たちである。精神科医ならともなく、自分達がやっていることに自信が(心の奥底では)持てないと他分野の人たちを見下したり、"心理学100年の伝統"とかいう言葉でそこを補うしかないのだろうな。。


日本の携帯電話に商品力がないのは、大企業の幹部が無能だからだ

2009-07-08 07:33

と断言する。

今日書くことは昨日の続き。昨日こんな記事を見た

私には、日本の携帯端末メーカーが世界市場で惨敗を喫した理由は、下記のような単純明快なものであると思えます。

1)トップマネージメントに「世界市場で最後まで戦う」という強い意志がなかったこと。

2)細かいところでの技術にこだわり、そこでのわずかな優位性を過信して、マーケティングを軽視したこと。

3)コスト競争力がまったくなかったこと。

via: アゴラ : 携帯通信機メーカーにガラパゴス化の反省はあるのか? - 松本徹三

意思がなく、現実を直視できず、コスト競争力のなさを解消する努力もしなかった、とこの論説を書いた人は主張する。

ちなみにこの記事の後半では

さて、それでは日本のメーカーはもう勝てないのでしょうか? 私はそうは思いません。実は、私は、多くの人達の悲観論とは正反対に、「これから日本メーカーの反撃が始まる」と信じている人間の一人なのです。

その理由の第一は、日本メーカーもよう

via: アゴラ : 携帯通信機メーカーにガラパゴス化の反省はあるのか? - 松本徹三

とあり、やれAndroidが無料で利用できるからコストが下がるとか、日本の経営層もようやく携帯電話の重要性に気がついたとか書いてあるのだが、根本的な原因

"幹部が無能"

という点が改善されたとはどこにも書いていない。具体的にいえば

これは、iPhoneにおいては、システム全体が当初からそのような「戦略」に基づいて作られたからであり、「戦略なき戦術」に終始してきた日本メーカーは、すぐには追いつけそうにありません。日本の携帯通信業界が、「猫をなでていたら虎になってきた」感じで毎日を過ごしている間に、海の向こうでは、「虎を飼いならすのはどうしたらよいか」を初めから考えていた会社があったということです。

さて、それでは日本のメーカーはもう

via: アゴラ : 携帯通信機メーカーにガラパゴス化の反省はあるのか? - 松本徹三

このような戦略を立案し、批判があってもそれを着実に実行していく。こうしたことは大企業のトップマネージメントでなければできないことだが、それが可能になった、とはこの論説のどこからも読み取れない。

別の記事から引用する

日本の携帯通信産業界が抱える問題点については、リーダーシップの欠如からくる責任転嫁の応酬や自社ブランドに対する考え方の甘さなどを指摘し、(中略)

 リーダーシップの欠如については、パラダイムシフトの必要性を強調。日本企業の構造的な問題や、英語によるビジネス力が不足している点に触れ、高い技術力がむだになっていることを懸念した。

via: 超ガラパゴス研究会リポート:海外目線で見る、日本のケータイメーカーの弱点とは - ITmedia プロフェッショナル モバイル

 夏野氏が「むちゃくちゃ耳が痛い。ドコモなどでこういう話をすると『そうなんだよね!』とは言うものの、それで終わってしまう。何だよそれっていう」と述べると、ソフトバンクモバイル 取締役執行役副社長の松本徹三氏も「会社で言うと『会社の方針に、いちいちケチをつけるな』という話になる。結局、その気があるかどうか。SamsungやNokiaはその気があるから成功する」と同意。

via: 超ガラパゴス研究会リポート:海外目線で見る、日本のケータイメーカーの弱点とは - ITmedia プロフェッショナル モバイル

ちなみに私はここで"幹部が無能"とは書いたが"幹部が馬鹿"とは書いていない。実際大企業で上にあがる人というのは大変頭のいい人が多い。

しかし頭の良さ、身の処し方の上手さと企業経営の才能は一致しているわけではないし、一致する理由もない。

しかしいい時代になったよねえ。米国Appleが発売した携帯電話がちゃんと日本で使えるんだから。Appleがすごいコンピュータを発売した、と聞きながら個人輸入だとかそんなことで苦労していた時代は、、まあ実際遠い昔なのだが。

つまり別の日本の大企業の幹部に経営能力がなかったとしても私としては特段困ることもないわけだ。iPhoneをかつぐキャリアがないか、あるいは変な担がれ方をすると困るが、幸いにもソフトバンクという会社が存在していたわけだし。


営利企業の社員が"iPhoneに搭載された機能はとっくにやっている"などと言うのは

2009-07-08 07:09

"私は先進的な機能をどうやって商品力に、ひいては金に結び付けるべきか知らなかった阿呆でございます"

と大声で宣言しているようなものだ。



私がメーカーの人向けに講演をする時、私と同年代の中間管理職の人からは冷たい視線を浴びる。

「ガラパゴス、ガラパゴスって言わないでください。」

「講演にあったiPhoneの〜〜機能と、〜〜機能と〜〜機能は、我々がとっくの昔、'xx年代にやっていた」

と言われたこともある。


via: nobilog2: 以前からあった機能を「特別」にするiPhoneマジック

そうやって"私は阿呆でございます"と声高に宣言する人の多さには驚く。

学会屋だったら"iPhoneには新規性は何一つない"と断言してもらっていいのだけどね。彼らと彼女たちはそういう世界に住んでいるのだから。

でも営利企業で働いている人がそれじゃいかんでしょ。

iPhoneのタッチ機能は何も新しくない。そんなのは何年も前にわが社がやって、失敗した。従ってタッチ機能が受け入れられないのは明らかだ。

iPhone発表直後そんなことを言っていた人たちが、タッチ機能など何一つ考慮されていないソフトにタッチ機能をくっつけるのに四苦八苦しているのだろうなあ。そしてゴミのような製品を作る、と。

F-01Aから搭載されたタッチパネルですが、結論から言うとまだまだ実用には耐えない感じです。F-01Aのときも書きましたが、前よりは良くなっているのは認めますが、まだまだ狙ったとおりの操作ができるとは言い難いです・・・。

via: F-09Aのがっかりポイントも書いてみる - IDEA*IDEA ~ 百式管理人のライフハックブログ ~

一つ昔話をしよう。

かなり浮世離れした世界にあるので、知らない人も多いと思うが日本が誇るカーナビにはものすごくたくさん機能が搭載されている。

もちろん誰もそんなものは使わないのだが、なぜそんなにたくさん搭載されているのか?

聞いた噂だが、自動車メーカーはソフトに金を払ってくれないのだそうな。というわけで

"これだけ新機能をつけたんだからお金ください"

ということで、無駄な機能を搭載する、と。

そうした意味では彼らは"新機能を金に変える術"を心得ていることになる。一歩離れたところから見れば、、だけどね。もっともこれは噂だから本当とも思えないし。

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私の周りではiPhoneの所有率が急増している。考えてみれば日本で発売されてからまだ1年なのだね。

電車に乗っていてもiPhoneを見かけることが本当に多くなった。

そして日本の携帯メーカーの苦悩はこれからも続くんだろうなあ。iPhoneみたいなインタフェースを実現しろ、すぐやれ、といわれ続けて。

そうした中にあって特に気の毒な状況にあるのがau

ここ最近は旧モデルが上位を占める状態が続いているauのランキング。今回もその状況に変わりはなかった。

via: 携帯販売ランキング(6月22日~6月28日):この勢いは続くのか――「iPhone 3GS」が"スピード"ランクイン (2/4) - ITmedia +D モバイル

日本のケータイは定期的に新モデルを発表することになっているようだが、そろそろその約束事も破たんしつつあるのではなかろうか。


工学系の集まりで心理学の人が講演をすると

2009-07-07 06:03

なぜあれほど

"上から目線"

でしゃべり、高慢に聞こえるのだろう。

もちろん"哀れな素人ども"に教えをたれるのであるからして、どこかそういう雰囲気が混ざるのは理解できないことではない。

しかし仮に

"心理学者が実験器具を作るときのちょっとしたコツ"

とか題して工学系の人がしゃべったとしてもあれほど嫌みには聞こえないと思うのだ。(想像だけどね)

またG.M.ワインバーグはこう書いている。

アカデミックな心理学は、あらゆる時代を通じて、もっとも傲慢な職業であるという可能性が高い。すでに第一章で、われわれはアカデミックな心理学の中心的ドグマにお目にかかった。それは"どんな問題にも一つただ一つの正解があり、心理学者はそれを知っている"というものであった。

スーパーエンジニアへの道P70

想像するのは、心理学という学問はそもそも学問なのかという点について議論が絶えない分野であるらしい。ハニバル・レクターは心理学を学問と見なしていない。

思うに心理学者の態度が傲慢に見えるのは、彼らに自分たちを笑い飛ばす心のゆとりというものがないからではなかろうか。いるでしょ?他人を見下す事でしか自尊心を保てないタイプの人間って。

いや、もちろん私は心理学者でもないし心理学について何もしらないから言ってることは正しい訳がないですよ。ははは。

しかしねえ。彼らの講演を聞く度いつも一つの言葉が頭を駆け巡るんですよ。

研究補償説 または 専攻分野反転の法則


映画評:劔岳 点の記

2009-07-06 07:37

どこからかタダ券がふってきたので見に行った。というわけで本家から転載

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真面目に作った邦画ということで見に行った。"おくりびと"をアカデミー賞受賞の後にしか見られなかった自分への反省を含めて。

観た後考える。私は邦画からより遠ざかることになってしまうかもしれない。

映 画の冒頭、物語の背景がぎこちない字幕で説明される。いやな予感がする。バックに流れる曲はクラシック。雄大な情景にへ んな音楽をつけるよりは良い判断だと思う。しかしビバルディの四季-冬ばかり何度も流すのはやめてもらえないだろうか。寒さを感じさせる クラシックはそれだけじゃないんだしさ。演奏がチャチなのかかぶせ方が悪いのか選曲が稚拙なのか、とにかく音楽が効果的とは言いがたい。

などと考えているうち"映画の背景を説明するセリフ"の連発に苦笑し、登場人物それぞれの家族が 全くのつけたしであるのにげんなりする。主人公の妻を演じる宮崎あおいは"ひたすら可愛くでれでれ"した女。測量隊案内人の嫁は、なんというか平成の美人 顔ですね。もう ちょっと明治顔の人はいなかったのだろうか。顔を出すだけで結局ストーリーに何の関係もないし

思うにこの映画を作った人間というのは、"感動的なセリフを言わせれば観客は感動してくれ る"と思いこんでいるのではなかろうか。結果としてどの登場人物からも人間を感じることができない。たとえばあり がちな"若者が無謀なことをして怪我をする"場面がある。その行動自体唐突で訳がわからないのだが、まあそれは問わない事にしよう。その後主人公が

"全部私の責任です"

と言う。字面では立派な言葉だが、そこには責任感も後悔の念も全く感じられない。

い や、人間ドラマがどうとか難しいことは言わないことにしよう。しかしそれまでさんざん"前人未踏の剣岳"とあおっていたのだから、最後の登頂をドラマチッ ク-少なくとも難しく見せてくれなければ困る。なんだかんだと言いながら、スタスタ歩いていたら頂上についたようにしか見えない。

そして登頂後も話はだらだら続く。主人公たちの仕事は地図を作ることで剣岳登頂じゃない、というのはわかるが、最後の"剣岳山頂との間 でのエール交換"は見ていて気恥ずかしくなる。そもそもそんなにタイミング良く相手が山頂にいるわけないじゃないか。しょうがないなぁと思っているとこれが延々と続く。安っぽい結婚式場の司会の台詞を聞かされているようないやな時間が続く。

と いったようにストーリーというか話としては見るべき点がない。反対に異常な執着が感じられるのが"映像"である。ライチョウ、熊撃ち、落石、人の滑落場面な どがこれでもかとしつこく挿入される。語るべき物語が主で映像はそのための手段と思うのだが、この映画においてはその関係が逆転している。撮影できた良い映像はとにかく突っ込もうとしているようだ。後で調べ"名カ メラマンが監督した"と知りなぜこのような映画ができてしまったか納得した。

この映画を価値あるものにするためには、セリフを全部とっぱらい

"美しい剣岳の自然"

とか題名をつけドキュメンタリーに構成しなおすべきではなかろうか。それであれば1000円をつけたかもしれない。
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自発的に邦画をみなくなってから久しいのだが、この映画は"かつての邦画はこのようなものであったかもしれないなあ"と思わせるものだった。真面目に作っているとは思う。しかしどこか作るピントがずれている。

映画の最後、剣岳山頂の三角点を測量しようとする。するとそれまで登頂を競っていた日本山岳会のメンバーがいることを発見する。そこから手旗信号によるいらいらするメッセージ交換が始まる。

手旗信号だから、一秒あたりの文字数は約1文字である。したがってゆっくりしかメッセージは送れないのだが、それでは映画にならないので途中から超高速通信になる。あの早さで手旗信号をやれば結構楽しいと思うのだが、そこは映してくれないのであった。


映画評:トランスフォーマー/リベンジ

2009-07-03 06:48

アトラッシュ。僕はもう疲れたよ。。というわけで本家から改変しつつ転載。

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いや、前作でこりておきな がら、続編を見に行く私が悪いとわかってはいるのだ。でも時間があうのこれしかなかったんだもん。

始まって30分くらいは"ふふふ。期待を0にしておけば失望もしないのさ"と思っていたが甘かった。"一眠りして最後だけみようか"と 本気で考えてしまった。

でてくる巨大ロボットがやたら細かい造作なので、何がおこっているかわからないのも、敵味方の区別がつかないのもお約束。今回の新機軸 は

"錯乱"

で ある。登場人物がとにかく錯乱してきーきーわめき続ける。大学の寮にはいる主人公についてきた母親まで錯乱し

"あの部屋にうちの息子が住んでるのよ"

とわ めきちらすあたりまではいいとして、そこらへんでフリスビーやっている人間を襲い始めるのは何なのか。米国人だとあのシーンみて面白いと思うのか。でてく る女の子はみんな"米国人好みの安っぽい美女"。体の微分係数が大きく、目が"ぎー"っとなっていて髪が長い。これも私の趣味ではない。

とはいえ 一つだけ面白い台詞があった。ロボットは変身するとみんな車の類いになるのだが、

"人間が神に作られたとしたら、あいつらを作ったのはなんなんだ"

と軍人 がつぶやく。そりゃ観客のつっこみだ。宇宙からきた生物がSR-71になるのはなぜなんでしょうね。ちなみに今回米軍は大活躍である。最近の映画でF- 22はよく見るがB-1Bまで登場したのには驚いた。っていうかそもそも他の国にいきなりこんなに兵器もちこんでいいの か。

他には何も書く事がない。"ふーん。米国の小中学生ってこういうの面白いと思うんだ"と考え続けるのだが、なぜこんなに長いのか。この 内容で2時間半にしてしまうところは理解しがたい。やっぱり途中で一眠りすることを考慮してるのかな。

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Terminator4の監督と、この映画の監督がお互いののしりあった、というニュースの見出しを目にする。私の考えでは両方ともゴミだが、短い分だけTerminator4がよいかな。

米国で暮らす人にとって、大学に行く、というのは生まれ育った家をでるということと同義語のようだ。というか少なくともそのように扱われているのをよく見る。

そしてこれも伝統に従ってかルームメイトというのが必ず存在しているようだ。ルームメイト残酷物語はいくつも聞いたし、自分も少し体験したがそれでも貴重な時間ではあったかもしれない。


NetFlix Grand Prizeで10%改善を達成したチームが登場

2009-07-02 07:38

前から不思議に思っていたのだが、日本に"情報推薦"とか"データマイニング"の研究をしている人はあまたいるのだが、なぜこのコンテストに日本人チームの名前がでてこないのだろう。(ひょっとしたらいるのかな?)

論文で怪しげな評価なんかつけるより、同じデータ、同じ評価基準をもとに精度を競い合った方が公平、かつ客観的でいいと思うのだが。

Netflix Prizeは、米国のオンラインDVDレンタルサービス「Netflix」が2006年10月に開始したアルゴリズム・コンテストだ。同社のレコメンデーション・エンジン「Cinematch」の動作を10%向上させる成果に100万ドルの賞金が支払われる。

via: 【コラム】シリコンバレー101 (324) 難攻不落と言われたNetflix Prize"10%の壁"、国際チームが突破 | ネット | マイコミジャーナル

ここで"10%"といっているのはRMSEが現行より10%改善する、ということである。つまり

"あるユーザがある映画をどのように評価するか"

の予測が、現実の値とどれくらい離れていたかを自乗して、平均とってルートとって、、の値が10%改善するということである。具体的には0.9514から0.8563まで減少させることを目指している。

わずか10%と思うかもしれないが、ユーザー個々にカスタマイズされた情報が0.1%でも素速く表示されると、ユーザーの利用率が大きく異なるそうだ。「100万ドルのコストでリコメンデーション・エンジンが10%も向上するなら大バーゲンだ」(Netflix)という。

via: 【コラム】シリコンバレー101 (324) 難攻不落と言われたNetflix Prize"10%の壁"、国際チームが突破 | ネット | マイコミジャーナル

この記事は速度の向上と、精度の向上をごっちゃにしているようだが、まあ細かいことは言わない。私が知りたいのは

"この10%はユーザにとってどんな意味をもつか?"

ということである。このコンテストで使われたような難しい手法を用いなくても、"その映画の評価の平均と、その人の評価の平均の平均"とかでも結構よい予測ができるように見える。(少なくとも私が考えたアルゴリズムよりずっとよい結果だった。しくしく)

しかしNetflixが一億円の賞金をかけてまでアルゴリズムの改善に取り組んだのは、その10%がユーザにとってそれだけの意味を持つと考えたからにほからない。

ここで"よしじゃあユーザ満足度をアンケートによって測定"といった瞬間に話が客観的でなくなってしまう。たとえば

"インタフェースを同一にしてアルゴリズムだけ変えた場合"

"アルゴリズム同一で、インタフェースを変更した場合"

の影響の差分とか調べると、とても面白いと思うのだけど。


いやな上司から褒められると

2009-07-01 07:01

昨日見つけた記事

 上司役が積極的にコミュニケーションを図り、良好な人間関係を形成したグループと、上司役が人の話を無視し、悪い関係を形成したグループを作成。簡単な作業をさせ、両グループとも上司がほめたところ、人間関係が良好なグループは、ほめるとどんどん作業を工夫するのに対し、悪いグループはほめると工夫度合いが減退した。

via: 事故は気合じゃ防げない JR西の「人為ミス研究」脚光(産経新聞) - Yahoo!ニュース

こういう実験というのは難しい。"ほめる"といってもいろいろやり方があるからだ。たとえば前に勤務していた会社の社長の話をしよう。

ある学会から親会社、私が働いていた会社のメンバー両方が表彰を受けた。社長はみんなを集め、その事実を伝えた。もちろん"ほめる"つもりだったのだろう。

誰かが"勝因は?"とか表彰を受けた男(私が働いていた会社の社員だ)に聞いた。すると社長(親会社から片道飛行で落ちてきた人だ)は横から



"○○(一緒に受賞した親会社の人間だ)が優秀だからだ"


と言った。さらに続けて自分が如何にその部下を指導したか。その結果部下がどれだけ成長したか。さらには自分が当時いかに苦労して実験を行ったかをとうとうと演説した。

もちろんこれも社長の主観では"ほめた"ことなのだろう。貴重な自分の苦労話を聞かせてやったんだから。

であるから前掲の記事を読むと

"悪いぐるーぷの上司はどのようにほめたか"

知りたくなるのだ。その結果として工夫度合が減少するくらいだからよっぽどすごいほめ方だったのではないか、と想像するのだが。