若いからこそできること

2011-12-31 09:21

というのはいくつかあることに気がついた。足を止めて、ひたすら周りの「酷い事」に愚痴り続けるというのはその一つだ。

そういう贅沢な時間の使い方というのは、若い人の特権だと思う。この歳になるとそんなことをしている暇はなくなる。

昨日見つけた言葉を書いておこう。





「機が熟すことなどない」



20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義 - 情報考学 Passion For The Future から引用

あるいはこう言っても良いかもしれない。機会というのは確かに存在する。しかしそれは待っていても来ない。後から「あのときは機を外していた」と気がつくだけなのだ。





もうひとつ気づいたのは、自分がMD(medical doctor)であることは、自分の体にとっては何の関係もなくなってくる、ということです。がんはがんであり、それ以外の何ものでもないのです。



視力を失うと触覚や聴覚が発達する不思議――自身も右目を失明したオリヴァー・サックス医師が語る、人間の脳の驚くべき能力|World Voiceプレミアム|ダイヤモンド・オンライン から引用


自分がMedical Doctorだろうが、世界一革新的と評される会社のCEOだろうが、がんはがんとして増殖し続ける。

しかしその事を分析したり嘆いたりしている間に、自分の脳は勝手に構造を変えてしまう。視力がうしなわれると他の感覚が鋭敏になる。脳内の結びつきが変化するのだ。

 まず、再構成する能力があるということです。今あなたが目隠しをされると、90分以内に触感が向上します。解剖学的には何の変化もありませんが、生理学的には変化しているのです。それを続けていると、ニューロンが回線を変えるのです。かなり高度なレベルまで回線を変えます。

外の状況も自分の中身もそこにとどまってはいない。であれば、愚痴っていてもしょうがない。するり、と前に進もう。


Gorotteを作って&使って起こった変化

2011-12-29 07:03

Gorotteを作り、それを論文としてまとめ、プレゼンを考えているうちに、いくつかのことに気がついた。

「情報で成功してる人は本を読んでますよ。ネットはおやつ、主食は本。ダメな奴ほど、それが逆転していくんです。おやつで栄養価が取れるはずないのに、ビタミン剤(手軽な情報)を欲しがるんです。本の内容をうまくまとめたまとめサイトが欲しいってことに慣れてしまうと咀嚼力が下がって、結局同じ情報を見ても分からないんです。これがネット中毒になっている人の特徴で、全く同じ情報を得ていても、読みが恐ろしいほど浅い」

via: 現代のオトナが捨てるべきこと 『ネット、トレード、自分探し』 | 日刊SPA!

今務めている会社には、誰でも自由に借りられる図書がある。一つの挑戦として毎週(あるいは2週間ごとに)その本を借り、簡単な感想を書くことにした。

最初は「ビジョナリー・カンパニー」とか有名なビジネス書を読んでいるのだが、そのうち飽きてくる。サウスウェスト航空とか、パタゴニアのケースも面白いが自画自賛にはそのうち飽きが来る。結局気がついたのは

「古典はすばらしい」

ということだ。当たり前だが、長い年月読み継がれてきた本にはそれだけの価値がある。文字にすると実に当たり前のことだが、そのことにようやく気がついた。題名だけは聞いたことがあるが、読んだことがなかった本。それを手に取り

「もっと早く読めばよかった」

と何度も思った。ちょっと列挙しよう。




まだまだあるが、これくらいにしておく。

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逆に今年有意に減らしたものは、以下の情報である

・ライフハック的なWebページの閲覧
・Twitterのフォロー数(私のフォロー数/フォロワー数は 19/101である)
・Facebookの購読数(友人として登録はしていても、その人の投稿を読まなくなる、ということ)
・TV番組

結果として、筋力がついたかどうかは知らないが実に快適である。問題は、Gorotteの動作が安定しないことだ。件数に対してスケールしないので、もう全体構成を3度変更している。これをなんとか安定させないと「収集した情報を咀嚼して考える」ことができなくなる。連休の第一の課題はそれだな。

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次に考えなくてはならないのは、接触する人だ。人間は社会的動物なので、接触する人から多大な影響を受ける。端的に言うと

「バカは伝染る」

のだ。

これをどう改善するかはよく考えなくてはならない。


プレゼンを「上手」にやるための秘訣あれこれ

2011-12-28 07:04

というわけで、いろんな記事が目につくわけだ。

うまくやる方法は、本を読むことでもなく、きれいにスライドを作ることでもなく、何度も練習を重ねることでした。

via: 良い話し手になるための6つのエッセンス | もっちブログ

これには同意する。というか、明らかに「一度も練習してないだろう」というプレゼンを見ると最近は腹がたつようになってきた。

もちろんビジネスでは、そうした「即興プレゼン」が必要な場合も多い。しかし例えば以前から予定されているプレゼンで制限時間(例えば5分)があるのに、どう考えても5分で終わりそうにない内容を話し始める人には石を投げたくなる。

もう一つ共感するところを。

「何を話そうか実は決まっていないのですが」とか「あまり話すのは苦手ですが」とか無意味な前置きをしたり、聴衆に対して遠慮をしてしまっては、せっかくの貴重な時間がどんどん消費されていきます。状況にもよるけど、プロフィールも会社案内も多くの場合、必要ないと思っています。

via: 良い話し手になるための6つのエッセンス | もっちブログ

最近「芸のないプロフィール紹介をするプレゼンはつまらん」という仮説を打ち立て、検証中である。プロフィール自体が芸になっている例もいくつかは存在するが、あまり多くはない。というか自分のプロフィール話したがる人が何を目指しているのかは私にはわからん。

同じく無意味な前置きも不要なのだが、時々「無意味と思えた前置きが芸になっている」例もあるので油断できない。WISS2011での五十嵐さんの「WISS2012の予告」とかね。

別の文章から最近考えていることを一点。

これから見るものについて説明する。もう1つの実践が難しいことと言えば、見せているスライドの前に話すことだ。

via: プレゼンを成功させる15の秘訣 | SEO Japan

プレゼンを行う人間が、Visual Aidを用いる場合には、それを目にした観客がどのように考えるかを常に意識しなければならない。

例えば箇条書きにされた単語がいくつも並んでいる画面をだしたとしよう。その瞬間、観客は好き勝手なペースでその文字を読みはじめ、おそらくプレゼンターがしゃべり始めるより前にそのスライドに退屈してしまう。そして話を聞かない。

Visual Aidなのだから、その画面はあなたのしゃべりを補強するものでなくてはならない。しかしここに書いた理由で、箇条書きが静的に並んだ画面はVisual Aidの役割を果たしていない。

ではどうするべきか。そのプレゼンを実現させるためにはどのようなシステムを用いるべきか、、と頭の中で展開はしているのだけど、まだ手が回ってないです。

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さて、かように冒頭引用した文章には共感する点が多いのだが、何かひっかかるものがある。それがなんだろう?と考えていてふと一つの仮説を立てた。

この文章を書いた人は「自分が大好き」なのだと。

いや、もちろん自分が大好きなのは大いに結構だ。ただ

仕事が好きのか、仕事をしている自分が好きなのか――社会人になりたての頃、当時勤めていた会社の社長にこう言われたことがあります。

これは、なかなか他人から指摘されることもないし、まして自覚するのも非常に難しい問題ではあると思うのですが、"その考え自体" ではなく、"そう考える自分" が好きなうちは、どんなにうまく説明できても、聞き手から共感は得られない気がします。

via: プレゼンを通すために絶対必要な"4つ"のこと - livedoor ディレクターブログ

それでは聞き手の共感は得られない。おそらく私がこの文章から感じる違和感はそこにあるのだと思う。そんなに背伸びして自慢話をしなくても、いいんだよ。「僕」「僕」「僕」の連続は若者らしくて微笑ましいけどね。


組織は下からは変わらない(絶対に)

2011-12-27 07:22

昨日引用したブログ記事が話題になっているようだ。こんなコメントもついている。

社名出しちゃって良かったんだろうか?
こういう体質の組織はどうだろうってな感じで問題提起すりゃいいのにね。
残念な社員はどこにでもいるんだね。
生産的に物事を改善することはできるるのに。。。
破壊的にしか行動できないのは今時の思考かもね。
これじゃ内部テロだな。

via: Make the world a better Happy Place: NTTコミュニケーションズで出世する方法

私にはこの記事の何が問題なのかがわからない。(そう、私はチンピラサラリーマンなのだ)そもそもはてなブックマークについたコメントをみても

「これは虚偽だ」

という意見は一つもない。つまり本当のことなのだ。

これから会社にはいってもらおう、という学生さんに向かって本当のことを述べるのがなぜいけないのか?間違ったイメージをもって入社後に不満を言われるより

むしろこれ見て「これくらいならチョロい」とクレバーに振る舞って、かつ自分の理想を実現するような若者というのを人材的には求めている気はするけど......あとはおまかせします。

via: はてなブックマーク - Make the world a better Happy Place: NTTコミュニケーションズで出世する方法

こうした人材に入ってもらったほうが双方のためではなかろうか。

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さて、冒頭引用した言葉はこうした大企業の「まっとうな社員」に典型的なものである。いろいろ理屈は述べているが、要点は

「組織に対する批判は許さない」

である。つまり組織は絶対に正しいのだ。この人は「生産的に物事を改善することはできるのに。。」と何の傍証もなく断言しているが、こういうメンタリティにはあこがれを感じる。同じ日にこんな記事がでたのは何かの暗示だろうか。

新人職員に正座させ、飲食代まで出させるあきれた上司――。熊本市は26日、悪質なパワーハラスメントがあったとして農水商工局の出先機関の男性係長(49)と男性技術参事(47)を停職6カ月の懲戒処分にし、発表した。

市人事課によると、2人は2009年4月採用の20代の男性職員に同6月ごろから約

2年半、ほぼ毎日のように職場の喫煙スペースで30分~1時間程度の正座をさせた。

その際、他の職員に怪しまれないよう、笑っているよう指示。所長ら職場の全職員が
正座を目撃していたが、所長は「指導熱心と思った」という。


via: 痛いニュース(ノ∀`) : 新人職員に毎日正座をさせ、昼食代計100万円以上おごらせる...熊本市職員、パワハラで停職6ヶ月 - ライブドアブログ

これだけの違法行為をしても、所長は「指導熱心と思った」。組織とはこういうところである。こういう状況を「角をたてず、建設的に解決する方法」があるのなら、是非教えて欲しいものだ。あるいはオリンパスとかね。今回明らかになった犯罪は、もちろん社内(少なくとも関係者)には周知の事実だったのだと思う。しかしそれを告発することは「テロ」であり、「建設的に解決する」のが正しいサラリーマンというものだ。もちろん解決はできないから、口をつぐむだけだが。

こうした例に関わらず、組織というのは絶対に下からの意見では変わらない。そんな事例は聞いたことも観たこともない。(映画だとよくあるけどね)この事実は多くの人が覚えておくべきだと思う。私のようなチンピラの言葉は信用できん、という人のために以下の文章を引用する。

「病んだ政治(再び)

・病んだ政治を下から治療することはできない。むだな努力で時間を浪費したり、自分の立場を危険にさらす必要はない。

・問題が自然に解決するか、行動するチャンスが来るのを待つしかない場合もある。

・奇跡が起こることもある(だが、あてにしてはいけない。)」

(デッドライン P287)



かつてのNTTグループ

2011-12-26 07:24

寒くなってきたので昔話をしよう。


pika pika. pika-chu.

あなたが才気あふれる学生だったとして、NTTグループを志望するのは悪い選択ではないと思う。アジャイルメディアネットワーク社長の徳力氏は、いつかパネルディスカッションでこう述べていた。

「大抵の企業に行くと"変なベンチャーが来た"という扱いをされるのですが、NTT出身でうというと、目に見えて相手の態度が変わります」

辞めて起業する際にも(少なくとも国内では)損にはならない経歴を持つことができる。また更に運がよければ、とても優秀な人と一緒に働いて学ぶことができるかもしれない。



スルー力

2011-12-22 07:38

今年の正月には高校の同期会がある。高校の同期に会うたび思うことだが

「物理的には老けたが、中身は驚くほど変わっていない」

これは良いニュースであり、悪いニュースである。自分が20代の頃に想像していたほど50代(もうすぐ)は老けこむわけではない。逆に大して進歩もしない。

自分はといえば、いつまでも同じような間違いをしていること疑いようがない。しかし最近他の若い人たちの行動を見て、少しは昔と比べて変化があることに気がついた。スルー力は間違いなく向上している。

私の推定では、批判に関する限り、人生の途上で出会う人のうち、聴く価値があるのは、10%程度だろう。残りの90%の人たちの動機は、羨望、悪意、愚かさ、あるいはただの無作法である。当然ながら、君が馬鹿正直に悩めば、それがみな君の士気をくじくだろう。秘訣はすぐさま批判者を評価することである。尊敬に値する相手だろうか?と、すぐに自分に聞いてみなければならない。その批判が例の90%の人からのものなら、すぐに忘れること。不当な、あるいは悪意のこもった批判は、ひとたび受け入れると何日間も、そして幾晩も夜更けまで心を悩ますからである。

ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 p258


インターネットが普及し、反撃を受けるおそれがない場所から顔を見せないで他人を批判することが可能になった。そう考えれば、この文章が書かれた時より、スルー力の重要性は増しているのではなかろうか。

批判を受けるのは辛い。であれば、自分の中に受け入れる前に、その相手を評価して90%は捨ててしまうべきだ。これは多くの人が覚えておくべき言葉ではなかろうか。

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もう一つ自分が「変化」したと思える点がある。若い頃は

「馬鹿を馬鹿と言って何が悪い」

と思っていた。今は自分が言葉を発することによって何をしたいのか、について少し考えるようになったと思う。

多くの場合人は自分を馬鹿だと思っていない。(自らを馬鹿だ、と公言している人は尚更だ)その人の振る舞いが私から見てどう見えようとも、である。であれば、その人に向かって「馬鹿」と言う事により私は何がしたいのだろう?

2chを読むと、多くの男性は、結婚することによりこの悟りを得るようだ。そして世の中のお父さんは、無口になる。

しゃべる前に聞け、という言葉は前掲書にも出てくる。

「沈黙は金なり」とある人は言った。そのとおりだと思う。君にも、入社したてのうちには、一オンスしゃべるには、一ポンド聞く、という比率を勧めたい。かつて私はあるセールスマンを採用しようとしたとき、本人がそれまでの仕事についての照会先としてあげた2,3の客筋から、そのやり口にぴったりの表現は「言葉の下痢」だと聞いて取り止めにしたことがある。教訓は単純で「馬鹿をさらけ出すよりは、黙っていて馬鹿だと思われる方がましである」物知りで、口数の少ない人はなかなか憎めない。客筋はとりわけ、そういう人を好む傾向がある。

ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 p62

欧米社会で生きた人は「黙っていると馬鹿だと思われる」とよく言う。この文章を書いた人は、カナダで企業を成功させた人だ。単に我々が考える「無口」と彼らが考えるそれの基準が異なるのか、状況が異なるのかは私にはわからない。

ただ昔より考えるようになったのは次の事だ。言葉を発するということは、それにより何かをしたいわけだ。私は何がしたいのだろう?そのためには何を言うべきか?感情のまま言葉を発するのは子供と子どもじみた行為が許される大人の特権である。(子会社に片道飛行で落ちてきた親会社の社員とかね)


受賞の価値

2011-12-21 07:00

こんな記事を見つけた。

選考委員からの投票により選出された、2011年を代表するスマートフォンは、ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズのAndroid搭載スマートフォン「Xperia acro SO-02C/IS11S」だ。

via: スマートフォン・オブ・ザ・イヤー2011:2011年を代表するスマートフォン、発表! (1/2) - ITmedia +D モバイル


こうした「審査員が選ぶ賞」というものは、基本的に私にとって縁遠いものだった。過去形で書いているのは、40すぎてぽつぽつそうしたものをもらうようになったからだ。

しかしそれはここ数年のこと。それまでの40年間で「賞がいかに無意味なものか」に関して確固たる理論を自分のなかで確立した。

この記事に掲載されている「専門家達の言葉」を読むと思わず微笑んでしまう。

今年最大のトピックスはやはり、Androidの大躍進。国内において牽引役となったのはいわゆる"ガラスマ機能"を搭載し、フィーチャーフォンからの乗り替えやすさに配慮した端末群です。

via: スマートフォン・オブ・ザ・イヤー2011:2011年を代表するスマートフォン、発表! (2/2) - ITmedia +D モバイル

ガラスマバンザイ!といことなのだが、どこの世界の話だと思ってしまう。

この事象は本当に起きるのだろうか。試しに、WiMAXとテザリングをオンにして、auのラジオアプリ「LISMO WAVE」を起動しながら充電を続けてみた。バッテリー残量の確認にはBattery Mixアプリ、充電器はau純正のものを使用した。すると、本体が熱くなり、これ以上充電できない旨のアラートが通知バーに現れ、充電が停止した。

via: 「故障ではない」:「ARROWS Z ISW11F」、本体発熱時に充電や一部機能が停止する事象発生 - ITmedia +D モバイル

iPhone 4Sの登場で、携帯販売ランキングがかつてない光景になっている。上位6モデルにはソフトバンクとKDDIのiPhone 4Sがズラリ。どちらのiPhoneが首位を獲得したのかも含め、チェックしていこう。

via: 携帯販売ランキング(10月10日~10月16日):iPhone販売合戦、開幕 海外勢モデルで埋まるトップ10 (1/4) - ITmedia +D モバイル

しかしこれが「専門家」というものなのだろう。コメントを読んでいって、唯一読む価値があると思ったのは神尾氏のものだ。しかしずらりと他の専門家を並べ「総合得点」をとれば、Xperiaがベストになる。いや、すばらしい。

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と他人の言葉をあれこれしても意味がないので、私が考える今年の「携帯情報端末関連トピック」を列挙しよう。

1.災害時の携帯情報端末の役にたたなさ:もっと正確にいえば、IPは役にたたん。震災時使い物になったのは、公衆電話とワンセグだった。この事実には深い意味があると思うのだが、みんな喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのだろうな。

2.Androidの分断化、セキュリティリスクの顕在化:従来から言われてきたことだが、この一年でそれが明らかになってきたと思う。このふたつの問題は密接に関連しており、分断化故、端末ごとにアップデートのサイクルが異なる。おまけにそもそもメーカーにはアップデートを行う理由がない。ディメリットは明白だが。

スペック上はAndroid 4.0へのバージョンアップは可能といえる。木戸氏も「バージョンアップは積極的にやりたい」と話す。「なかなか言えない事情もある」ためこの場では明言を避けたが、「社内ではバージョンアップありきで検討している」とのことなので期待したい。ただ、バージョンアップは1機種開発するのと同じくらい時間がかかるといい、簡単ではないことを理解してほしいとした。

via: ITmedia読者×シャープ開発陣:王道路線で目指すは"究極のスマートフォン"――座談会で見えた SH-01Dの全貌 (3/3) - ITmedia +D モバイル

しかし古いOS上の脆弱性はそのままだ。Googleはひたすら前に進んでいるが、こうした問題には全く知らんぷりである。

また「自由なAndroid」はマルウェアが闊歩する世界である。無料ゲームをインストールしたとして、それが何をやっているかは誰にも分からない。DocomoがAndroid端末向けに無料ウィルス対策サービスを提供しているのは理由のないことではない。


3.AndroidのOSとしての普及とWindows Phoneの予想以下の不振

などと私が言ったところで、Android搭載携帯電話の数は増える一方だ。今やOSとしてのシェアはiOSを圧倒している。ほとんどの人はセキュリティがどうとかいっても気にしないのだろう。仮に気にしたとして、Docomo大好き、という人には何か選択肢はあるのだろうか?

Windows Phoneがとっているモデルはかなり興味深いと思う。ハードウェアに強力な制限をかけている意味についてAndroidを礼賛している人は考えたことがあるのだろうか?

「閉鎖的」なiOSと「自由な」Androidの中間にある存在として、WIndows Phoneの存在は面白いと思う。実際に触った人に聞くとなかなか評判もよい。しかし現実的には存在しないも同然だ。これは予想以下の不振だった。

国内では単に対応機種がないだけ、なのだが米国でも不振が続いている。NokiaがWindowsPhoneにコミットすることで、この図式に変化が生じるのか、あるいはNokiaがWindows Phoneと同じ運命をたどるのはかまだわからない。

4.スマホのキャズム超え

私の姪たちがスマホに乗り換えたのには驚いた。2010年に、2012年スタートのあるサービスの仕事をしたことがある。お客様は「スマホはちょっと違うだろう。ガラケーが主体」とガラケー向けデザインを一生懸命つくっていた。iPhone原理主義者の私はちょっと首をかしげながらも、そういうものかと思っていた。

それから一年経ってみると、そのサービスからは「ガラケー」の陰も形もなくなり、スマホ前提になっている。これほど急速にスマホへのシフトが進むと誰が予想できただろう。

5.日本メーカーの沈没

思えばiPhoneが初期の成功を収めたときに「こんなものすぐに同じものができる」「Appleはブランドイメージで売れているだけ」と言っているころが最後の花だったのだ。
当時は「日本メーカーの製造技術はすごいが、ブランドイメージ作りがヘタ」とか大真面目に論じられていた。今年になってから明らかになったことは、それが大嘘だったということだ。

富士通東芝モバイルコミュニケーションズの輝かしい経歴(2011年)


2/10 世界初、メールのできないスマートフォン風情弱発見器REGZA Phone IS04を発売

10/19 世界初、充電のできないタブレット風石板Arrows Tab LTE F-01Dを発売

11/18 世界初、通信通話のできないスマートフォンT-01Dを発売したと思ったら同日に発売中止

12/17 世界初、カクカクタッチパネル(R)を搭載したスマートフォンArrows Z ISW11Fを発売 キャッチコピーは「デュアルコアなのにカックカク」

via: ふぇー速 : 【不具合満載】国産超ハイスペック端末「ARROWS Z」がマジ産廃だった件について

Docomoの宣伝を見る限り、ガラスマは日本人女性向け「カワイイ」をうりにするつもりのようだが、そうした割り切り方が必然と思える。もはや同じ土俵で勝負することはできない、としか思えない。

6.携帯情報端末のゲーム機化

言いたいことは「ハードだけつくっても商売になりません。ハードはコンテンツを運ぶプラットフォームとしての役割しかありません」ということが明白になったということ。
前にも書いたがそんなことは40年前から分かっていたのだ。


つい数十年前まで、日本の製造業においては、デザインなどというものは、ほとんどかえりみられなかった。品質がよければ見かけはどうでもいい、ちおう考え方であった。ところが現在では、その品質ということばの内容が変化しつつある。その製品に付加された情報的価値こそが品質となりつつあるのである。工業の時代においては、ものが動き、それに情報がのっていた。ものが情報を動かしていたのである。いまやそれとはちがった様相を呈し始めている。うごくのは情報である。ものはそれにひきずられている。需要は情報にあり、ものそれ自体は、情報をのせる台にすぎないとさえいえるであろう。

情報の文明学p231 1971-1988

via: ごんざれふ

タブレット端末で、唯一iPadに挑めるのはKindle Fire。他の凡百の端末は存在しないも同然である。

7.依然として見えないAppleの次の一手

私の貧弱な想像力では、Appleが次のiPhoneをどうするつもりなのか予想できない。ここ数年は新しい方向性を小さく打ち出し、その結果をフィードバックしているようだ。Siriは話題になったが、それが新しい方向性なのか、話題で終わるのかはまだわからない。「次のハードウェア」についても同様だ。

ハードウェアについては来年のどこかで明らかにされるとは思うが。

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これだけ好き放題書いておいていうのはなんだが、今年は携帯電話を持たない幸せな一年であった。会社から貸与されていたiPhone4を初期化して箱に収めたときの開放感は未だに忘れられない。

家に帰れば、奥様はメールの着信音がなるたび席をたって手のひらを覗き込んでいる。もちろん意見はしないが、ああいうことはしたくないな、と思う。それが「贅沢」であることは分かっているのだが。


学会と企業の距離

2011-12-20 07:09

先日は某学会に出席していた。共通して語られたことは

「学会に企業の人が来てくれない。発表してくれない」

というものだった。
これにはいろいろな理由があるのだと思う。最近は優秀な学生さんにはいってもらうため、企業がイベントのスポンサーになることが増えたようには思う。しかしあくまでも興味があるのは「優秀な学生」であり、その研究内容ではない。

例えば有名な(そして批判も多い)ubicompという国際会議がある。あるところでこんな言葉を読んだ。

"Ubicomp is Windows without drivers"

現実世界の機器を動かすのに必要なドライバーというプログラムが存在しないWindowsのようなものだ、というたとえである。先日はこんな記事を目にした。

実際の企画の仕事は ポジティブ発想で多くのアイディアを出した上で、徹底的にネガティブ検証。 使う時間は前者が10%、後者が90%そんな感じです。

自分自身が徹底的に叩いて、その上で経験者の意見を聞き
世の中に既にあるものと比較して
シンプルですごいアイディアであることを
心底信じることができる状態になる
というプロセスが必要なんですね。

そして、その過程で経験する非常にストイックな地道な検証作業に
耐える精神的強さと謙虚さが企画担当者には必要だと思うわけです。


via: 企画力がないと心配することはない。本当に必要な能力は。。 | 守りから攻めへ ~イプロス社長 岡田のブログ~

例によって私が知っている「インタラクション研究」についてだけ書くが、大学で行われる研究にはこの「90%のネガティブ検証」が決定的にかけている。いや、もちろん既存研究の調査とか新規性、有効性の検証とかそれらしい検証はあるんだよ。でもそれが90%かと言われれば首をひねる。結果「それが本当に有効であることを、担当者自身が信じていない」研究が山積みになるわけだ。

企業の側では、ネガティブ検証が90%ではなく120%くらいになるのがよく見かける問題だ。検証というより、ハナから推進しようという意思がない、という方が正しいと思う。かくして企業と学会の距離はいつまでも埋まらないのであった。。

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などと悲観的なことばかりを言っている場合ではない。先日はこだて未来大学の「はこだて活性化」に関する取り組みについて聞いた。

これには率直に言って驚いた。はこだて未来大学自身が、人工が減少し、いくつもの問題が生じている函館の活性化のため、こんな取り組みをしているらしい。

「スマートシティはこだて」の中核としてのスマートアクセスビークルシステム
のデザインと実装

via: Matsubara Lab » 「スマートシティはこだて」の中核としてのスマートアクセスビークル システムのデザインと実装

こうした仕事は本来行政が行うべきものと思うが、それを大学が推進しているのだ。
質疑応答で

「これは最終的には、松原さん(発表者)が市長にならないといけないのでは?」

という質問がでていた。いや、実際そうするべきだと思う。この人の予定原稿にはこんなことが書いてある。

人工知能の研究者はできていないことをできるよ うにすることに興味を持ち,自分が思いついた新しい手法でできるようになったことを 例題によって示せればそれで満足して,他の「できていないこと」に興味の対象を移す 傾向が強い.例題で示したのはその手法が原理的には正しく動くということであり,そ の手法が社会の広い範囲で利用可能になるためにはさらに多くの工夫が一般には必 要になる.人工知能はその多くの工夫をすることを怠ってきたと言える.

via: SAI_13_01_AIは社会に対してこれまで何をしてきたか_松原.pdf

ここでは「人工知能」を取り上げているが、多くの大学の研究は「その多くの工夫をすることを怠ってきた」という批判から逃れられまい。企業が大学の研究に興味を持たないのは、その「多くの工夫」を切り捨てたものだけ見せられてもね、、という理由もあるように思う。

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などと人事ばかり言っていてはいけない。じゃあお前が「多くの工夫」をしているのかと言われれば、下を向いてしまう。というわけで少し気が早いが来年の抱負。

・iPadアプリを2種類リリースする。
・論文を2種類書く。
・論文にならない変な物を一つ起動する
・(検閲により削除)

といったところで以下次号。


悪者をやっつけろ!

2011-12-19 08:22

幼少の頃のヒーロー物というのは、大体において

「悪者をやっつければ平和で楽しい日々がやってくる」

という論調であった。そもそも人間はそう考えるものか、あるいはこうしたヒーロー物に教育された結果か大人になってもこうした考え方をする人は多いようだ。

今年の冬は、計画停電であるとか、そうした制限は回避されそうだ。これは東京電力の努力の結果であると思う。ユーザとして率直にありがたいと思う。

今や東京電力叩きは世間に充満している。東電を叩いている間は、どんな人でもとても立派になる。一緒に働いたことがある人が(あるいは家族が)そうした姿勢でいるのを見ると、微笑ましくなることが多い。彼と彼女たちが危機に臨んでどういう行動をとるか見てきた立場としては。

ネットで人気者になる方法 1.古い企業をdisる 2.老害をDisる 3.ネットの可能性を誇張して誰でも成功できるとアジる 結局、経済的にも社会的にも弱い世代の代弁装置としての需要に応えているだけなんだろうな

via: はてなブックマーク - 日本の会社は「つまらない人間製造機」だったがネットがそれに似てきている - fromdusktildawnの雑記帳

正義を理由に攻撃を繰り返している人たちは、ヒーローではなくて処刑人になりたいのではないかと思う。だから問答無用に打ちのめせる悪人をみつけると嬉しそうに殴りかかる。

via: Twitter / @denkyuu: 正義を理由に攻撃を繰り返している人たちは、ヒーローで ...

多分彼らと彼女たちにとっては東京電力は悪であり、それを叩くことは平和へと繋がっているのだと思う。皮肉なことに、彼らと彼女たちは、その悪の結社が作った電気に依存して生活しているのであった。大人が住んでいる世の中は、ヒーロー物の世界より少し複雑なようだ。

伝統的な大企業だから、小回りが効くとは思わない。間違いも多々あるだろう。(私たち誰もが日々間違いをしているのと同じように)しかし大震災からの復旧を着実に進めていることに関して、一人のユーザとして感謝の気持ちを述べたい。ほとんどの日本人にとって、電気は止まらなくて当たり前のものになっている。だから感謝の声を聞くことは少なく、問題があれば叩かれっぱなしになるしかない。

しかし震災後の悪環境の元で着実に仕事をしている姿に私は感謝したい。

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ちなみに私東電の株持ってるし、父親の世代及び祖父の世代は電力会社一族であった。だから「御用ユーザ」と呼んでいただいて結構です。


論文についての雑感(しつこい)

2011-12-16 10:08

昨日こんな記事を見つけた(多分遠い昔に読んだことがあると思うが忘れていた)

wise ではない人というのはつまりバランス感覚のない人で、組織の力学を理解して清濁併せ呑むことができなかったり、場の空気が読めずその場にいる人たちのほぼ全員が暗黙のうちに反対しているのにそれに気付かず自分の意見を押し通そうとしてますます反感を買ってしまったりする人で、そういう人たちに対する、「そのままでは自分の理想を実現することはできないから、不毛な政治ゲームを少しでも減らすように心がけながらも、政治ゲームには政治ゲームで対抗していかなければならない」という分裂勘違い君の意見は、説得力もあるし、とても温かいメッセージだとも思う。

一方で考えなければならないのは、物事を大きく変えるような提案というのは、実は往々にして、intelligent だけれども wise ではない人たちから出て来ている、ということである。

小野和俊のブログ:バランス感覚を身に付けると、コミュニケーションの角と同時に能力の角も取れることがある から引用

いくつかのことを考える。通りやすい論文というのはつまるところWISEなものではなかろうか。基本的に減点法で採点されるから「減点ポイントを賢く回避する」ことが採択につながるわけだ。

昨日ある研究会にでていて

「科学とは普遍的な知を追求するものだから、少数の例を深く調査、考察した論文は評価されない傾向がある。これはおかしい」

という言葉を聞いた。逆に言えば、現状論文を通すためには

「この論文で主張している内容は、普遍性をもつものである」

ことを主張しなければならない。そのためには「多くの」被験者に対して評価実験を行うのが有効な方法だ。
何度も論じられていることだが、私も「くだらない評価実験」を軽んじる傾向がある。多くの被験者を集めて何が言えるのだろう?どこにも存在しない「平均的なユーザ」に対して何を言おうというのか。

しかし仮にそう考えていても、評価実験を行うことはWISEである。まず「自分の信条と異なることであっても、必要であれば行う」というのは知恵である。世の中を生きて行くためには、こうした態度が必要だ。

次に「論文査読者に"これを採択しても問題ない"と自分への言い訳を用意してあげる」という点においてもWISEである。必要なのは「失点を少なくする事」であり、そこがなければ価値はない。(と見なされる)

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先日のWISS2011で(しつこい)最後に参加者全員に「チャットにコメントを書き込んでください」という呼びかけがなされた。そこでこう発言した人が居た。

「むしろ論文って,必要なんですかね.一般人はほぼ読まないですのに」

WISSで使われていたチャットシステムでは発言に対して、賛成、反対の意を投票する事ができる。たいていの場合「賛成票」を投じるのに使われるのだが、この発言に対しては珍しく「反対票」が多く投じられた。この発言を投じた人は数分後に

「すみません・・・」

と発言していたから、多分誰かから直接「注意」を受けたのだろう。

チャットに参加している人間は、論文を核とした世界に生きている人が多いから、この発言は確かに「空気を読まない」WISEではない発言として受け取られたと思う。しかし私はこの発言を支持する。少なくとも、「論文超重要」という言葉だけで封じていいものではない。この発言には、現実を観察した上での「Intelligence」があること疑い様がない。

WISS2010では改革の一つとして「評価実験は査読の対象としない」という点が打ち出された。これに反発して参加を取りやめた研究室もあったやに聞く。また聞いてみると「既存の論文+査読」システムの問題点を直すため、様々な試みも行われているようだ。

そうした試みは結局のところ「やっぱり論文だよね」ということに戻ってしまうようなのだが、それで問題が消えたわけではない。先送りにしただけだ。

学会に参加していると「学会に企業からの参加者が少ない」という声をよく聞く。その原因は何だろう?先ほどの発言にある

「一般の人は論文なんか読まない」

という点に一つのヒントがないだろうか?デモビデオ+プレゼンが主、論文という名の補足説明が従ではいけないのだろうか?だいたいWISSの会場で誰も論文読んでないではないか。プレゼンを聞いているだけで。

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とまあチンピラサラリーマンはWISEでない発言をするわけだ。言いっぱなしにするのではなく、少しは考えなくちゃね。


ある「新システム」の誕生について

2011-12-14 07:42

先日こんな記事を見つけた。

株式会社デンソー(本社:愛知県刈谷市、社長:加藤 宣明)は、施設検索や音楽再生などのスマートフォン用のアプリケーションを、スマートフォンの操作感を維持しつつ、車内で安全に据置型カーナビゲーションシステム(以下カーナビ)のディスプレイ上で操作できるようにした車載連携情報サービス「ARPEGGiO(アルペジオ)」を開発しました。本サービスは、近年、スマートフォンユーザーが急速に増えている中、ドライブ中に、安全性を損なうことなくスマートフォンの利便性を享受することを狙いとしています。

via: デンソー、カーナビ画面でスマートフォンを操作する情報サービスを開発 ~車室内でスマートフォンアプリケーションの安全な利用を実現~|デンソー

自信をもっていえるが、私ほどこのニュースに複雑な感慨を抱いた人はいないだろう。

調べればすぐわかることなので、自分で書くが私は以前デンソーの研究開発子会社-デンソーアイティーラボラトリーに勤務していた。その会社の使命は

ITを活用して豊かなカーライフを実現する

である。そうか。IT+自動車。わくわくするではないか。私はいろいろな提案を出したし研究・開発もした。でもって報告書を書くと

「君の報告書は書き方がなっていない」

と説教をくらうわけだ。言われた通り書きなおす。内容が無茶苦茶になる(というか上司が理解できる内容にする)のも厭わずとりあえずハンコを押してもらえるように書く。研究企画書に「理由付けがなってない」とダメ出しを食らう。理解してもらえるレベルに変更して書きなおす。そんなことを何年も繰り返していた。

さて、冒頭引用した新プラットフォームである。ドライブ中に安全にスマートフォンの利便性を享受する。すばらしいではないか。私が以前勤務していた会社の理念にぴったりではないか。

不思議なのは、デンソーアイティーラボラトリーのサイトにはこれに関する情報が何もなく、私がその次に勤めた会社のサイトにこのようなリリースがでていることだ。

この度ARPEGGiOの標準プラットフォームとして採用された「UIEngine」は、プラットフォームに依存しない軽量なクライアント、サーバ・クライアント技術によるインタラクティブなGUI、高い拡張性と移植性を備えたソフトウェアソリューションであり、ARPEGGiOのあらゆる端末への導入を強力にサポートします。

合わせてUIEジャパンは、ARPEGGiOの開発においてUXコンサルティングサービスを提供し、スマートフォン、カーナビそれぞれの利用シーンを想定した最適のユーザー・エクスペリエンスの設計を行いました。

via: UIEジャパンのソフトウェアソリューション「UIEngine for Automotive」がデンソーの車載連携情報サービス「ARPEGGiO」に採用|株式会社UIEジャパン

私がこの会社を退職してからほぼ1年になるので、このあたりの事情はわからない。私が知らないだけで、この新プラットフォームには、デンソーアイティーラボラトリーが開発したスーパーテクノロジーがたくさん盛り込まれているに違いないと確信してはいる。(ちなみに全部UJMLで書いてくださいね)しかしなんとなく以前読んだこんな記事を思い出した。

あのね、ま、言いづらい話なんですけど、
世の中には「頭のいい人になりたい人」というのが
すごくたくさんいてね、多くの場合、
その人たちが迷惑をかけるんですよ。
なぜかというと、頭のいい人になりたい人たちは、
すごく頭のいいことを考えて、
みんながそれに従えば
世の中がよくなると思ってるんです。
で、法律や、決まりや、
マニュアルをたくさんつくる。
それに従えば幸せがやってくると思って。
「1、こうするといいぞ」とか、書くんです。
でも、みんなは、頭のいい人の思惑を外れて、
「えっと、4番はなんでしたっけ?」とか、
「俺、じつは読んでないんですよ」とか、
「まぁ、いいじゃないですか」とか言うわけです。
そうすると、頭のいい人になりたい人たちは、
「どうして大衆ってバカなんだろう」って
もう、涙を流しながら思うんです。
「だから戦争が起こるんだ」とか言うんです。
でもね、彼らが言うようなことが、
世の中を変えたことは一度もないんですよ。
まあ、変える手伝いくらいにはなるにしても、
本当になにかを変えるようなものっていうのは、
「こっちのほうが美味しかったぞ」とか、
「つかってみたら便利で、もう戻れないや」とか、
そういう「事実が先に突っ走ったこと」ばかりで、
決まりやルールは、あとからできるんです。

via: 宮本茂さん、『Wii Fit』などを語る。

車とはなんなのか

2011-12-13 07:12

東京モーターショーに行ってきた。

自動車メーカーというのはひどく保守的で画一的なところである。いくら新しい製品を展示する東京モーターショーと言われても新しいものに出会えることはめったにない。会場を見てまわる。よくもまあみんな

・エコです!電気自動車です!
・車の中の配置を見直しました!一番効率がいいのかはこの箱型です!

と同じようなことを言えるものだ、と思っていた。最後にトヨタのブースを見るまでは。

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今回のモーターショーを前にして、トヨタは、ドラえもんを使ったCMを放映していた。久しぶりに観たジャンレノがこんなに太っていたこと、ドラえもんを演じて全く違和感がないことに驚いたわけだが、

「ドラえもんか。。」

と複雑な心境になったのも事実である。昔の国民的漫画だよりか、、と。

しかしこれはトヨタが発した明確なメッセージの一つの現われだ、と気がついたのはこのコンセプトカーを見てからだ。

車とは何か?地点Aから地点Bまで出来る限り効率的に人と物を移動させるものだ。他の自動車メーカーは所詮そこから抜け出ていない。あるいは「ドライブの楽しみ」として新しい地点を推薦するとか、走り自体に意味を持たせるとか。

しかしこの提案は車から「走り」という要素を完全に落としている。

トヨタの豊田章男社長は、TOYOTA Fun-Viiを「スマートフォンにタイヤをつけたようなクルマ」と表現したが、これまでにはない一歩踏み込んだ「つながる」を提案したクルマだといえる。

via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 PCとデジタル家電に続いて自動車でも「つながる」がキーワードに ~東京モーターショー2011からITと自動車の融合を探る

評論家の無駄な文章は無視するが確かにこれは「スマートフォンにタイヤをつけたようなもの」である。なぜタイヤをつけたかといえば、そうすれば所有者と一緒に移動できるからだ。理由はそれだけ。

もっと端的に言おう。このコンセプトカーは「車」ではなく

「ネットに接続された、巨大な移動ディスプレイ」

なのである。これには心底驚いた。もちろん世界のトヨタに在籍しているデザイナーからこのような提案がでること自体は不思議でもなんでもない。驚くのはそれを全社的なメッセージとして世界に発信した点にある。

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前掲の記事には、こんな文章が続く。

これは自動車とITとが融合することで、未来の自動車はどんなものになるのかを示したものだといっていい。

 ストーリー仕立ての内容はこんな感じだ。

トヨタでは、コンソールにスマートフォンを置けば自動的にカーナビのディスプレイおよびハンドルと連動するプロトタイプを出展

 あるビジネスマンが自宅で目を覚ますと、枕元にあるスマートフォンから、電気自動車の充電状況を確認。すると、現在の渋滞情報やこれまでの傾向をもとにして、目的地までどれぐらいの時間がかかるのかといったことを逆算し、自宅を何時頃に出ればいいのか、渋滞を回避するにはどんなルートを通ればいいのかといったことを指示してくれる。

 出発予定時間を目標に、事前に車の中でプレ空調を行ない、寒い日や暑い日でも車内を快適な室温を設定してくれる。スマートフォンを通じて、音声で自分の好みの温度に設定することも可能だ。

 また、スマートフォンで開錠したのち、自動車に乗るとスマートフォンは車載デバイスとして利用。スマートフォンに蓄積した情報と自動車とが同期して、「マイエージェント」と呼ばれる音声案内を利用し、1日のスケジュールを確認したり、運転中に別の車両が自分の車に接近していることを知らせたり、走行ルートの先に豪雨地帯があるといった情報を知らせてくれる。

 豊田章男社長は、「車と自分が語り合うことができる、未来の車」と、これを表現する。

via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 PCとデジタル家電に続いて自動車でも「つながる」がキーワードに ~東京モーターショー2011からITと自動車の融合を探る

こういう「あたりまえで、つまらなくて、想像力のカケラもない」未来を提示するのが、自動車メーカーの関の山と思っていたが。。何事も過小評価してはいけない。トヨタというのはそれ独自の文化をもつ国のような存在であり、「文化を理解しない未開人」には理解できない奇妙な行動も多いのだが、伊達に世界一になってはいない、ということか。


こんなデバイス作りましたー!

2011-12-12 07:11

前にも何度か書いたような気がするが、先日のWISS2011で思いを新たにしたので書いておく。

インタラクション系の研究では「こんなデバイスつくりましたー!」という発表をままみかける。WISS2011で対話発表賞を受賞した「形状・軟らかさが可変なディスプレイ」もその一つだ。

私も触ってみたが、確かに柔らかさが変化するのはおもしろい。それが圧力を変化させることで実現されているのも興味深い。

しかし

私はこうした「こんなデバイスつくりましたー!」にはうんざりしている。

「新しいデバイスは、新しい使い方とワンセット」

で提案してほしい。学生諸君。こんな製品をつくりたいか?こんなサラリーマンになりたいか?

構造が単純なスレート型タブレットが多い中、これほど凝った設計のタブレットは非常に珍しい。ソニー初となるAndroidタブレットの一角を担う製品だけあって、その本気ぶりが分解された各パーツからも伝わってくる。

 この冬、携帯性に優れたAndoridタブレットが欲しいという人はもちろん、既存のタブレットはどれも似たようで面白みに欠けると思っている人、あるいは先進的なデジタルガジェットに興味がある人は、一度Sony Tablet Pをチェックしてみてほしい。「小さく運んで、大きく使える」という2画面タブレットならではの可能性や、ワクワクするような近未来感といった魅力がSony Talet Pにはある。

 そのポテンシャルをどこまで引き出せるかはソフトウェア次第だが、今後はソニー独自アプリの拡充に加えて、Sony Talet用のSDK(ソフトウェア開発キット)が公開されたことで、思いもよらないような2画面アプリが登場することにも期待したい。

完全分解×開発秘話:常識破りの2画面タブレット「Sony Tablet P」を丸裸にする (4/4) - ITmedia +D PC USER から引用

親愛なるソニーはまーだこんな事を言っているようだ。だからさ。誰も「2画面」とか「内部機構が独特」とかそんなことは気にしてないんだってば。いつまでたっても

「誰かがきっとすごいアプリを作ってくれる!」

と祈るんじゃなくて、自分で作って、新しいデバイスとセットで世に問わなきゃ駄目だよ。任天堂はちゃんとやってるぞ。


背景をトレースすること/研究をすること

2011-12-09 06:50

というわけで、こんな文章を見つけた。

昨日まで、新作画スタッフの面接と実技試験(?)を行なってたんですよ。どんなことをするかちょっとお見せしようかな?

via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter

私も少し読んだことがある「ブラックジャックによろしく」の人である。12時間かけて、写真をトレースしてもらいそれを背景画として仕上げてもらったのだそうな。ここで取り上げられているのは4人の作品である。

私のような素人が見ても、4人の作品がとても異なっていることに気がつく。佐藤氏のようなプロが見るとそれだけではない、いろいろなことを読み取ることができるようだ。

倉庫のシャッターなど部分的に描き込まれていますが、とりあえず、気になった部分、できそうな部分に手を入れています。つまり、描き込み方が、常に部分的なので、絵をしてトータルなバランスが見れていません。

中略

つまり、Aさんは総合的な判断を保留し、部分的な描写に逃げてしまったため、絵を完成できませんでした。

via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter

総合的な判断を保留し、部分的な細部に逃げる。これは仕事でも研究でもよくみかける態度だ。

「そもそも何が言いたいのか。肝心なところは何か」

についての判断を保留し、力いっぱいの実装に逃げる。学生の研究によるあるパターンだ。そうした研究を見ると私は力一杯の残念感を感じる。あともう少し考えればずっとよくなる、というところで「徹夜しての実装作業」に逃げてしまうわけだ。

もう一人例をあげよう。

線を入れるので精一杯になってしまっています。恐らく、じっくりと物を観察して絵を描いた経験のない方でしょうね。完成形がイメージできないまま手なりで描いています。

漫画的な記号や処理で、絵を構成しようとしているので、実物にはいくら手を加えても近づかない絵ですね。漫画を見て漫画を描いてきた人だと思います。絵を描こうという意識が弱い。

via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter

私が興味を持っている「ヒューマンインタラクション」の研究に言えることだが、あくまでも主体は人間であり、それが生きている社会にある。そこに何が提供できるかに私は興味を持つ。

しかし

「漫画を見て漫画を描いてきた人」と同じように「研究をみて研究をしてきた人」というのも存在する。先行研究の調査ばっちりです。それと比較しての新規性、有効性の主張にもぬかりはありません。しかし「どれだけ手を加えても」現実の世界には何の関係も持ち得ない。

インタラクション2011でみた以下の研究はまさにその例だった。

幼児向け折り紙作品の創作支援システム

1枚の正方形の紙を折ることで形を作りだす「折り紙」は,日本に古くから伝わる遊びであり,我々の多くが幼少期に体験するものである.近年では,折り紙の数理に関する研究の成果により,複雑な折り紙作品を創作するための技術が発達してきている.しかし,まだ手指を正確に動かす能力が十分に発達していない幼児らを対象とした,少ない手順で簡単に折れる折り紙作品の創作については,これまでに十分な研究がされてこなかった.そこで本稿では,4回以下の折り操作で作ることができる単純な折り紙作品を,新しく創作するためのシステムを提案する.

via: インタラクション2011

この作者に質問したとき「いや、"幼児向け"というのは枕詞のようなものですから」と言い切っていた。彼こそは「研究をみて研究をする」人だと思う。もちろんそれで食べていくこともできる。いつまでも現実には近づかないが、そもそもインタラクションの研究で現実に近づく物などめったに無いのだ。

他にもいくつかこのカテゴリーに収まりそうなものもあるが、確信を持ち得ないので判断は保留する。

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絵を効率よく完成させるためには、完成形を具体的にイメージできるようになること。完成のイメージから逆算して、ムダを省くこと。腕立てして筋力をアップしても、絵は早く描けるようになりません。


via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter

この言葉も多くの場面に当てはまることだと思う。しかし不幸にして我々は「完成形を具体的にイメージすることの重要性」より「徹夜をするガッツ」の方を評価しがちだ。


WISS2011に行ってきたよ(その4)

2011-12-08 07:45

まだ続けるか。よっぽどネタに困っているのですね。。

さて、WISSでの発表後何人かからコメントをいただいた。

「訳がわからない」

というご指摘はほとんどの方からいただいた。すいません。顔を洗って出直します。「訳がわからない」と思ったのはみなさん共通意見でしたので、間違いなく私の責任です。

とはいえ最初

「えっ。どこがわからなかったの?」

と思ったのだが、同室の方と議論して自分が何を間違えたかはぼんやりわかった。再度発表する機会がもしあれば改善するとともに、別ネタでしゃべる機会があったとすればこの教訓を生かしたいと思います。

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さて、その他に共通して聞かれたことが2点ある。

その1:前を向いてついったっているだけだったが、後ろのスライドは進んでいく。あれはどうやったのか?まさか後ろは全てムービーでタイミングを合わせていただけたとか?

答えその1:手に持ったリモコンでスライドを送っていまいた。練習を繰り返しているうち内容についてはあらかた暗記したので、どこでボタンを押して進めれば何が表示されるかはわかっていました。(音楽の暗譜のイメージでしょうか)

とはいえ、手が震えて2度押しをすると画面と話がずれてしまうので、横目でPC画面を見てはいました。今回は幸いにしてずれなかったようですが。


その2:プレゼンと同時にTwitterに書きこんでいたようだが、あれは「ぴぴつい」を使ったのか?

答えその2:ちがいます。ぴぴついはすばらしいツールで、今回のWISSでは少なくとも二人使用されていました。

しかしながらこれはPowerPointのアドオンで、私が愛用しているKeynoteでは使用できません。

ぐぐってみると、KeynoteTweetというものが見つかります。しかしこのままでは動きません。Tweetの認証が、簡単なものからOAuthという複雑なものに変わった瞬間、このAppleScriptは動作を止めたのです。

というわけで、今回は二つほどApplescriptとツールを組み合わせてあれを実現しました。今ぐぐってみると、もう同じ結論に達した方がいたようで、スクリプトも公開されています。

The OAuthpocalypse and Keynote Tweet

しかしなんですね。プレゼンを取り巻く環境というのはどんどん変化している。ここは一発新しいプレゼンシステムを考えるべきではないでしょうかー!(後藤さん風に)

研究になるか、論文としてまとめられるか、とか懸念はあるが頑張ってつくろうと考えている。スライドなどというものは過去の遺物だ。じゃあどうする、というのは以下一年後。


WISS2011に行ってきたよ(その3)

2011-12-07 07:15

というわけで、本日は「ぬいぐるみ」に関する二つの発表について。

まずは登壇発表+デモがあったPINOKYだ。

既存のぬいぐるみにリング型のデバイスをはめる。リングの内側にモーター+車輪のようなものがついており、それが動くことでぬいぐるみを動かす。手で動かして動きを学習させたり、ずいぶんいろいろな学習モードがある。

一見すごい、と思う。しかし実物をみて「これを子供にあげたい」とは思わなくなった。問題は二つある。一つはうるさいこと。ギアの音がジージー言う。次に外装にフェルト(?)などはって外観にも気を使っていることはわかるのだが、やわらかいぬいぐるみと、巨大ロボットのようなデバイスの外観はマッチしない。

より本質的な問題は、登壇発表の時に園山氏が指摘した以下の点だろう。

「ぬいぐるみを動かすことが本当に正しいのか。子供はぬいぐるみを自分で動かしたりして、あれこれ想像している。その想像を損なうことにならないか」

モモという本にこんな一節がある。

もちろんこういうおもちゃはとても高価ですから、モモのこれまでの友達はひとつももっていませんでした。-モモがもっていないことは言うまでもありません。とりわけこまるのは、こういうものはこまかなところまでいたれりつくせりに完成されているため、子どもが自分で空想を働かせるよちがまったくないことです。ですから子供たちはなん時間もずっとすわったきり、ガタガタ、ギーギー、ブンブンとせわしなく動きまわるおもちゃのとりこになって、それでいてほんとうはたいくつして、ながめてばかりいます。-けれで頭のほうはからっぽで、ちっとも働いていないのです。

モモ p110-111

ここで引用した内容と、園山氏の指摘の心は同じなのではないかと思う。残念なことにこの質問に対して発表者がなんと答えたか忘れた。あまり印象に残る内容ではなかったのだろう。

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でも発表ではもうひとつの「ぬいぐるみ」が発表されていた。SmileSnailである。

SmileSnail動作

特徴

via: SmileSnail | maki.hogel.org

まだ未完成というか駆け出しの段階ではある。しかしこちらのほうが私にとってはおもしろかった。というか「想像を働かせる余地」があった、ということかもしれない。

マッスルワイヤというデバイスを用いているので、音はほとんどしない。しかし早い動きは不可能だ。しかし「感情を穏やかにコントロール」することを考えれば、この選択は適切だと思うのだ。

発表者といろいろ議論して、例えばこんな方向性があるのではないかと思った。既存の「お気に入り」のぬいぐるみに服を着せるような形でマッスルワイヤを取り付ける。もちろんその方式では細かい動きはできない。

しかし感情を表すのであれば「普通の姿勢」と「背筋を丸くし、顔を落とし、手を前に出す」という姿勢の2種類だけでいいのではないか。

例えば、彼氏に送信したメールだけを入力とする。そのなかの感情を表す単語だけを抽出し、(彼氏に対して)攻撃的なとげとげしい言葉が入っていれば、ぬいぐるみがしょんぼりする。そうでなければ普通の姿勢。それだけでも

「自分が彼氏に対してぶつけている感情」

をフィードバック式に把握することになり、役立つのではないかと思う。しょんぼりしたぬいぐるみを見て、ユーザが考える。この「想像力を働かせる余地」が大切なのだ。

ちなみに、この方がポスターで使っていた

「不機嫌な顔」

「もっと不機嫌な顔」

はとっても素晴らしかったのだけどさすがにネットでは見つからないようだ。



WISS2011に行ってきたよ(その2)

2011-12-06 07:29

というわけで、WISS2011の感想の続きである。

「ベストペーパー賞」と「発表賞」をダブルで受賞したのは、

「動画の極限的な高速鑑賞のためのシステムの開発と評価(栗原一貴)」

だった。
ナイトセッションでは、この技術を応用して「プリキュアオールスターズを30分に短縮して見よう!」が開催された。プリキュアオールスターズ3は私も娘も大好きな作品だ。

冒頭から超高速で話が流れる。字幕があるところは少し早め、そうでないところはもっと早めで飛ばしていく。

しかし途中まで観たところで私は席をたった。

私がこの映画を大好きな理由は、マンネリ化していたプリキュアオールスターズというシリーズに新風を吹き込んだところにある。

「しばらく見ない間にずいぶん増えたな」

という悪役のセリフがあったとおり、今や累積したプリキュアは21人もいる。変身シーンだけでやたらと時間がかかる。しかしその間セリフは流れ続けているからこのシステムではだらだら感は拭えない。

この映画をみて気がついたのだが、情熱的で、紋切り型のセリフばかり言う赤、知的で冷静な青、おとぼけキャラの黄色、という色分けがされているのだな。それが一つのチームで戦っているわけだが、この映画ではそれを「赤チーム」「青チーム」「黄色チーム」にわけてしまった。何がおこったか?

結果として「誰も先陣をきって敵に突っ込まないので、お見合いしているうちにふっとばされる青チーム」とか「敵の作戦にそのままのってしまう黄色チーム」とか実におもしろい場面がいくつもでてくる。そうか。マンネリにならざるを得ない設定でもこんな方法があったか。

ちなみに私の娘が好きなのは、黄色チームが「カラオケ対決」や「勉強対決」で敵を打ち負かすところ。私が好きなのは、そうした「マンネリ打破の想像力」を感じさせるところ。

しかし

高速動画鑑賞では、それらの要素は全部そげ落ちていた。確かに「全体のあらすじ」をたどることはできる。しかし黄色チームが相手の挑発にそのままのって「てへっ」とかやったところは聞き取れない。そりゃ「無駄なシーン」だから高速で再生だよね。

観終わった後、私はこんな光景を思い浮かべた。「アマデウス」をこの「技術」を使ってみて「ああ、アマデウス見ましたよ」と言い放つ人間。「ミッション:8ミニッツ」で何の変哲もない風景の中、電車がシカゴに向かうシーン。あそこを高速ですっとばして「ああ、ミッション:8ミニッツ見ましたよ」と言い放つ人間。

何気ない光景こそが輝く生の瞬間なのだ。そのことを教えてくれた映画を「ああ、見ましたよ」と簡単に言い放つ人間。そうした人間を量産する研究の成果を使って、私が心底面白いと思った映画を「プリキュア30分で見たよ」とみんなが笑っているのだ。


最後の全体議論でも、この「高速動画鑑賞」は大人気だった。国会中継にこれを応用したい、というのはいいだろう。しかし単に

「高速動画鑑賞と要約技術で、時間の短縮を!」

と主張している提言には正直うんざりした。そこまで時間を短縮して何がしたいのだろう?「観たことがある映画リスト」にチェックマークをつけることが目的なのだろうか?

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今回のWISSのテーマは「多様な価値観」。いろいろな価値観があり、それを認めることが大事、という理解だ。先程の論文を読めばわかるが、執筆者は「映画をこのような方法で鑑賞していいものか」と自問自答したうえで、「それでも価値がある」と判断しているのだ。それと異なる意見があれば堂々とそれを述べればよい。そして私はそのチャンスを与えられていたのだ。

自分の中で消化できない情報などいくら集めても意味が無い。

「情報過多」

が問題なのではなく

「情報を過多に無駄にしている」

のが問題なのだ。私はプレゼンでそう主張したつもりだった。しかし私のプレゼンに対する感想というのは概ね

「プレゼンはおもしろいが何を言っているかわからない」

というものだった。プレゼンはウケをとるためのものではなく、相手にメッセージを伝えるためのもの。であれば、私のプレゼンは0点である。

180名のうちまあ30人は他のことをしていた(寝てるとか)と想定しよう。150名×0.33時間だから50時間・人の時間を私は無駄にさせてしまった。

それを思うといたたまれない気持ちになる。天橋立から身を投げて死んでしまおうか。あるいは日本海側を鳥取砂丘まで走って行き、穴蔵を作ってそこに身を潜め余生を過ごそうか、と考えていた。

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それを思いとどまったのは、単に度胸がないからである。まあ済んでしまったものは仕方がない。今度人前で喋る機会があれば、その時間を無駄にしないように努力しよう。私は年寄りだから先が短い。身を投げたり、隠遁している暇はないのだ。

信じられないことに現在、大ブレーク中の愛菜ちゃんもオーディションには落ちまくった過去があるという。その数は実に50~60回にも上る。
 こんなに落ちてしまったら自分には才能がないのではないか、と本人も親も挫けてしまいそうだ。だが、彼女の長所は、東京のオーディションに落ちたときに悔し涙にくれながらも、大阪への帰りの新幹線の中できっちりと反省会を行う点にあった。母親とどこが悪かったのかをきちんと分析し、今度はこういうふうに取り組んでみようと失敗を糧に、それをバネに変える力を持っていたのだ。

via: 「芦田愛菜」大ブレークの秘密は天性10%、努力90% - PRESIDENT - プレジデント

涙にくれるのはいいが、反省をきちんとし、そこから立ち上がらなくてはマルマルモリモリなどと歌う資格はない。


WISS2011から帰ってきたよ

2011-12-05 08:02

というわけで12/1-3までWISSというワークショップに行ってきたのだ。
まず渡邊氏の名言を引用しよう。

ある人が「改革します!」と言って、ほんとうに改革を実感したのって人生初めてかもしれない。#WISS2011

前にも書いたことだが、数年前WISSには閉塞感、行き詰まり感が漂っていた。あまり大きな声では言えないが

「発表するから参加するけど。。このセッションはでなくてもいいか」

というのがちらほら存在していた。

しかし

今回は一瞬も気が抜けない、というか気を抜きたくない時間が続いた(そのせいか今はよれよれだが)発表は面白いし、その後の議論もすごい。ナイトセッションでも興味深い内容が紹介され、議論が続く。

もちろんそれは参加者全員の努力の結果なのだが、「全員が努力する」だけでは何も変わらないもの事実である。この2年間委員長として改革を推進した後藤氏の力には感服以外の言葉がない。

今年は特にプログラム委員として、その努力と結果を舞台裏からも見る、という幸運に恵まれた。二日目の晩に「全員参加型議論」が行われ、世の中に対する提言をまとめることとなっていた。その前の夕食時私は後藤さんと隣になった。

私が席を立とうとするとき、後藤さんが「部屋の議論がうまく進むように協力ください」と私に言った。新しい試みを行うとき、プログラム委員長にはどのくらいの重圧がかかるのか。それは私の想像力を超えるのだけども

「努力します」

と私は答えた。二部屋の人間が一つの部屋に集まり今回のWISSでの発表を元に、世の中に発信したいメッセージをまとめる。例えば無難にこの企画を行いたいのなら

「参加者の中でベテランを議論取りまとめ役に指名する」

ことも可能だろう。しかし登壇、デモ発表がない若手を事前調整まったく無しで指名している。「全員参加型議論」という目的を考えれば確かにこれは正しい方法だ。しかしそれを実践するにはどれほどの勇気が必要だろう。

その結果がどうだったかは、後日公表されるであろうその提言集を見ていただくしかない。しかし私は自分たちが出した結論、それに至る議論の過程にとても満足している。私がそのプロセスの役にたったか、あるいは足をひっぱったかは同じ議論部屋にいた人たちに聞くしかない。努力したことだけは断言できるけど。

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というわけで、後藤さんの委員長としての任期は今年でおしまい。来年から2年間は東大の五十嵐教授だ。今年五十嵐さんが発表した「文の構造を明示的に指定・表示することによる異言語間コミュニケーション」には正直言って驚愕した。(質問者の方にも「衝撃を受けました」といっていた人がいたが)

五十嵐さんが単著で発表する論文を観たのは久しぶり。しかもかの有名なTeddyとは全くの別分野だ(その背後に流れる思想は一貫しているのだけど)いや素晴らしい。

しかし

実はこの「論文」は「前フリ」であったことが最後に明らかになる。五十嵐さんの挨拶で、最初に「まあ気楽に聞いてください」的なことが語られる。なぜこんなことを言うのかなと思っていたら

「論文を出してください。論文も出さずに最近のWISSはつまらないなどと文句を言うのはいかながものか。特に最近発表していないベテランもキチンと投稿するように(意訳)」

という宣言が登場する。なるほど。先ず隗より始めよ、というわけか。

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というわけで来年以降のWISSにも大きな期待がかかるわけだ。私は今年でプログラム委員終了なので、その様子を裏側から見ることはできないが、なんとか来年も論文を出したいと思う。しかし五十嵐さんの呼びかけが世の中に届くと、倍率上がるんだよね。。