226事件を思いかえそう。兵たちは「神様のような中隊長」の命令に従い、政治家、軍人を殺した。
敵を眼の前にして「中隊長殿。その命令の適法性について考える時間をいただけませんか」などと言っていては戦争はできない。だからといって政治家を虐殺した兵を無罪放免にしていいのか。では兵をまとめる下士官はどうか。どこで線を引くのかが、226事件の被告人たちを裁く人たちが苦悩した点である。
アイヒマンの本を読んだ。彼は「私は仕事をしただけだ。個人的にはユダヤ人を殺すのではなく、マダガスカルに移住させるべきだと考えていた」と主張した。イスラエルは彼を絞首刑にせずにはおかなかっただろう。しかし彼の主張にも真実がある。彼は「熱心に自分に与えられた職務を遂行した」のだ。仕事に励むことがなぜ悪い?
自分の不利な証言を聞いている人物が小役人的な凡人であったことが、ふてぶてしい大悪人であると予想していた視聴者を戸惑わせた。裁判を通じてアイヒマンはドイツ政府によるユダヤ人迫害について「大変遺憾に思う」と述べたものの、自身の行為については「命令に従っただけ」だと主張した。
引用元:アドルフ・アイヒマン - Wikipedia
「エルサレムのアイヒマン」で一番興味深かったのは、当時のヨーロッパ各国がユダヤ人の問題についてどのように対処したのか、という部分だった。ルーマニアでは、「ドイツが介入しなければルーマニアはもっとひどいことをする」ような状態だったというのは初めて聞いた。それと対極にあるのがイタリアである。ドイツとイタリアは同盟国でありながらユダヤ人に対する態度は全く異なっていた。これには正直笑った。当時のイタリアについて書かれたことはとても興味深いから多分別のところで書くと思う。
何が言いたいかというと
「逆らえない権力者から、人道と、法に反する行為を命令された」場合でもいろいろやりようはある、ということ。私は当時のイタリアから多くを学ばなくてはならない。
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日大で監督とコーチから違法なプレーを強要された選手が記者会見を開いた。
同業他社はなんぼでもあるから、サラリーマンがタックルして潰してこい、できないとクビや、言われても逃げ道あるけど、体育会や小学校中学校は逃げ道ないから、かのアメフト選手のおかれた状況のほうがサラリーマンよりきついよね。
引用元:全宅ツイのグルさんのツイート
大学の運動部という閉鎖された空間で、彼にはどんな逃げ道があったというのだろう。仮に彼がフットボールしかしてこなかったとすれば、これは死刑宣告に等しい。部から外されれば就職もままならないかもしれない。
彼が今後どんな人生を辿るのかはわからない。我々は全く関係のない安全な位置から彼の判断ん愚かさを指摘することはできる。
しかし少なくとも「嘘つき」と後ろ指を指されることだけはなくなった。
そしてこれが終わりではない。
会見全体において、監督が違反プレーを指示したという発言はありませんでしたが、コーチから「1プレー目で(相手の)QBをつぶせ」という言葉があったということは事実です。ただ、これは本学フットボール部においてゲーム前によく使う言葉で、「最初のプレーから思い切って当たれ」という意味です。誤解を招いたとすれば、言葉足らずであったと心苦しく思います。
引用元:「つぶせ」は「最初から当たれ」という意味 日大が主張 - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上:朝日新聞デジタル
哀れな日大広報部は、小学生でもしないような言い訳を続けなければならない。彼らと彼女たちもサラリーマン。ましてや広報だ。上から言われたことを配信する以外に何ができるのか?
歴史的にも「悲惨な状況での広報担当」の例はいくつも残されている。最近ではコミカル・アリが思い出される。
サッハーフの発言は、イラク戦争時に海外のプレスに対して、バグダードのパレスチナ・ホテル前で記者会見を連日行った際の発言が最も有名であり、世界的に注目を集めた。圧倒的に米軍優勢の中、米軍を残らず撃退し、バグダード周辺には米兵は一人もいないと強弁し、そのシュールで荒唐無稽な内容から「コミカル・アリ」と呼ばれるに至った。
引用元:ムハンマド・サイード・アッ=サッハーフ - Wikipedia
日大広報担当は、「日大組」に忠誠を誓い、その中でしか生きていけない人たちなのだろうか。君たちが守ろうとしているのはこんな人たちだよ。