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健康診断その1+願書提出

英語試験まで

英語の試験-開始まで

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Tuesday Afternoon

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第一選抜-健康診断

第一次選抜-一般教養

第一次選抜-二日目

夏の日々

2次選抜について

日付:1998/7/12


第一次選抜-二日目

翌日私はベッドの中ですっぱだかで目覚めた。

頭はちょっと痛いが気になるほどではない。しかし何故はだかで寝ているんだ?私はどこかの女優やどこかの国の独裁者のように裸でねる習慣はない。最近は暑いのでパンツ一枚で寝ているがパンツを脱いで寝たことはない。しかし事実は認めなくてはならない。私は布団のなかで一糸まとわぬ姿でひっくりかえっているのだ。

ぶつぶついいながら次にもっと変なことに気が付いた。先日帰ってきたときに今日の朝食の券をもらっていた。それはどこだ?さんざん探し回り、落としたのではないかと思って廊下まで調べたが見つからない。最終的に券がでてきたのは、昨日飲み会には着ていなかったシャツのポケットからである。一体昨日は何を考えていたのだろう?まさか一度シャツを着て、そこで券をポケットにつっこんで、そのあとまた素っ裸になって寝たわけでもあるまいし。

ぐでぐで悩んでいてもしょうがない。朝飯でも食べるか、と下に降りていった。

NX号と一緒にご飯を食べながらいろいろな話をした。彼は「大坪さんがあんなに飲んだのを見たことがありませんでした」といった。あるいは彼は昨日の私は「やけ酒」をあおっている様に見えたのかもしれない。しかし事実はそれの逆だったのである。やけ酒ならば仮に量を飲んだとしても今頃はひどい状態だろう。今残っているのは軽い頭痛とちょっとしたご機嫌と、「ああ。負けが決まった試合をまだ続けねばならんか」という気持ちである。機嫌がいいときは大量に飲んでもこんなもんだ。

二人で荷物を持って宇宙センターに向かった。バス停で待っていたら、あるバスが来たが「それは多分別のほうに行く」と叫んで乗るのを止めた。しかし実はちゃんとそのバスは目的地に行ったのである。本来来るはずのバスは何故か遅れている。「私はもうOutだが、まだ可能性の残っているNX号が遅刻するなんてことになったら申し訳ない」と思ってバスがくるはずの方向をじろじろみていた。タクシーに切り替えようにもタクシーなど走っていないし、歩きに切り替えて間に合うような距離でもないのである。

私の祈りが通じたのか単に時刻表に従っただけか、目的のバスは6分遅れで到着した。宇宙センター前でバスをおりると、我々は何も考えず試験会場に向かい始めたが、同じバスに乗っていた人達は、帰りのバスの時間をチェックしだした。本当に「緻密な頭」を持っているのは、そういう人達であろう。

さてゲートをくぐるとさっそくNASDAの人がチェックをしている。昨日と同じ道をてくてくあるいて試験会場に着いた。今日の午前は性格診断である。性格診断は別に本を読んで成績があがるわけではないし、気楽なもんだ。会場にも第1班しかいないので、昨日よりすいていてなんとなくのんびりした雰囲気である。

 

ほどなく恒例の受験者確認の後に問題用紙が配られた。なんと性格診断は3種類もある。昨日宴会で騒いでいたときに、「性格診断なんてまともに考えてないんじゃないか」などと不遜な意見をふりまわしていた私たちだが、どうもそうでもないようだ。試験時間は3時間以上あるが、一時間前に切り上げてもいいのだそうである。「始め」の合図と共に一番薄っぺらいやつから始めた。

この試験はほとんど5分で終わるようなしろものである。問題も大して目新しいものではない。ただ何故か知らないが6Pくらい試験問題があるなかで最後の2Pを回答しようとすると「ここで紙を破ること」とかいう注釈がついていて、紙をぺりぺりと破らなくてはいけない。こうやると確かに回答結果がぺらっと開くだけで見えるようになるのだが。。。他に何か意味があったのだろうか?

次には中位の試験にとりかかる。これもあまりおもしろい物ではない。今回のテストは全て「はい」「いいえ」「どちらでもない」で答えろ、という奴である。昨日「どんな性格診断なんだろうね」という話に一応花は咲いたのである。私は最近あちこちの就職試験を受けているので、性格診断試験にはなれっこである。だいたい似たような質問が何度もちょっと表現を変えてでてくる。時々主語があったり、なかったりする。「スパイのような人がたくさんいる」と「私はスパイのような人がたくさんいると思う」とかそういう類である。これにどのような意味があるのかはわからない。

質問を読んで「これがうけるだろう」と思って選択すればいいではないか、とも思うのだが、2番目の試験の表紙には「質問には正直に答えてください。嘘をつけばわかるようになっています」と呪いの言葉が書いてある。もともとあんまり見栄をはる気もしないが、ここは開き直って正直に書くしかないだろう。

さて今日の試験での私の期待は「おもしろいものにでくわすように」というものだけだった。所詮何点とろうが、第2次選抜進出は不可能なのだ。そうであれば爆笑物の問題を期待したとしても誰が非難できよう。いままで私が受けた一番おもしろい性格診断は、一連の数字が並んでいて、それを足した数の一の桁をひたすら書いていくものだった。これは問題数が異常に多いし、時間も長いので宇宙飛行士に必要な「長時間にわたる集中力」を評価するのにまことに好都合ではないかと考えた物だ。しかし今回の問題はすべて選択式である。となればとにかく「質問のおもしろさ」に期待があつまるわけである。

さて3冊目の問題はどこかで見たような問題の名前だ。略称MMPI-ミネソタ多面人格目録/ Minnesota Multiphasic Personality Inventoryである。なんと「羊達の沈黙」のなかで、殺人鬼かつ食人鬼のレクター博士が性転換手術申請者に対して実施するテストの例として上げているものの一つだ。ものの本によると

「この検査は人格の諸特性を多面的に把握するとともに、いくつかの精神病的徴候をとらえようとするもので、550の質問項目があり、それがまた26の大項目に総括される。その内容は被検者の身体的なことから、習慣、家族関係、職業、教育、宗教や社会に対する態度、感情の動き、異常体験、等から構成されている。 」

となっているが、それぞれの項目は爆笑せざるを得ないような質問が並んでいる。記憶に残っているいくつかの質問を前記のカテゴリーごとに示してみよう。(以下の項目が全て爆笑物というわけではない)

宗教:「私は神の使者である。」「私の罪は重い」「イエスは水を葡萄酒に換えた」「唯一の神を認める人は許せない」「唯一の神を認めない人は許せない」

 

異常体験:「異常な性行為にふけったことがある」「頭の中で人の声が聞こえる」「周りを認識しながら、衝動をとめられずに暴れたことがある」

 

家族関係:「父はいい人だ(だった)」「母はいい人だ(だった)」「家族が私の成功のじゃまをしている」「家族がいなければ私はもっと成功できる」

 

身体的なこと:「黒い便(コールタールのような)がでる」

 

カテゴリー不明:「女性と働くのが好きだ」「リンカーンはワシントンより偉いと思う」「背の高い女性が好きだ」「異性といちゃつくのが好きだ」「道をあるくときに、路石のつぎめや、割れ目を避けて歩く」「男性は女性といると必ず性的な妄想を抱いていると思う」

 

上記の質問に私が何を答えたかは触れないでおくが、他の性格診断と比べこのMMPIは実に際だっている。周りから特に笑い声は聞こえなかったが内心爆笑していた人間は多分私が思うよりも多いと思う。特に宗教関係の質問というのは初めてみた。試験後で「私は神の使者である」にYesをつけるやつなどいるのか?とみんな言っていたが、私は米国で試験をすればこの質問にYesと答える人間は1%くらいいるのではないかと思っている。思えば映画"Contact"で第一号機をふっとばし多数の人間を殺したのは狂信的な宗教家ではなかったか。私がNASDAの試験評価側だったら、「私は神の使者である」なんて答える奴は問答無用で不合格にする。仮に上にあげて、宇宙ステーションからの生中継で自分の所属する宗教団体の宣伝など説かれた日には大騒ぎになるのは目に見えている。しかし自分を神の使者と信じている人間にとっては、それはまさに「神の意志に忠実な義務の遂行」であろう。

などと内心考えながら問題を片づけていった。さてこの試験はおもしろいことはおもしろいのだが、いかんせん問題数が多すぎる。おまけに多分「偽りの回答」を排除するためだろうが、同じ意味の質問が、文脈を変えて何度もでてくる。「AはBだと思う」という質問の2ページくらい後に「AはBでないとは言えない」といった質問がある。冷静に考えれば両方に同じYesをつけるべきなのだが、後者のほうが2重否定になっているため、ちょっと頭が疲れてくると、Noをつけてしまいそうになる。まだそうした間違いならいいのだが、やたらたくさんの質問にマークをしていくとだんだん注意力が散漫になり「私は神の使者である」にYesをつけてしまいそうになる。

ぱたぱたと問題を片づけたが時計をみればまだ12時前である。暇だから一応マークを見直してみたり、これまで書いてきたようなくだらないことをいろいろ考えていた。そこまでやってもまだまだ時間はあまっている。多少二日酔いも残っているし寝てみようかな?と思って周りを見回せば結構机の上にうつぶせになっている人達も多い。これだけお仲間がいれば「不真面目だ」と言ってつまみだされる可能性もあるまい。というわけで心おきなく私はお昼寝することとした。

さてまもなく12時となった。NASDAの人が「退場する方は手をあげてください。係員がまわりますから、試験用紙、問題用紙を渡してください」と言った。手を上げた人間は大変たくさんいたが係員の数は数人である。当然のことながらなかなか回ってこない。私は最初だけ手をあげたがまもなくおろしてしまった。しかし前の方の人間は律儀に手を上げ続けている。後ろから見ていると結構滑稽だが今回の受験者はまじめな人間そろいのようだ。

しばらくたってから私の席にも係りの人が回ってきてくれた。数々の用紙とシャープペンを返して部屋を出た。(この試験だけは筆記具としてはNASDAから配布されたシャープを使用することになっていたのである)このときまだ部屋にはかなりの人数が残っていた。あの検査にどうやったらこんなに時間がかけられるのだろう?早ければいいというもんでもないだろうが、「あまり考えると失敗します」という呪いの言葉も書いてあったはずなのだが。

 

さて部屋を出たところのロビーで「その男」やNX号とつれそって食事に向かった。今日の私の選択は「カツカレー」である。昨日のハヤシライスはおいしかったという情報から、「もしかしたらカツカレーも」と思った私はまたもや後悔してへそをかむような思いをすることになった。カツに肉の味がしないのも昨日の通りであったが。

カレーをつっつきながら問題の事を考えていた。私はあの問題を読んで爆笑していたが、それは結構幸せなことなのかもしれない。yesにをマークしたり、あるいは内心YesなのだがNoにマークをせざるを得なかった人も結構多いかもしれないのだ。そして私が爆笑していられたのは別に私が努力したせいでも工夫したせいでもない。

 

さて残りは一科目だ。そろそろ疲れもたまってきて体も重くなってきている。気力をふりしぼってNASDAの「基礎的専門知識」とは何なのか見に行ってみよう。 

さて例によって例のごとく問題が配付された。問題集2冊と、回答用紙が一枚配布されている。解答用紙を見るとこれまた選択式のようなので、ほっと一安心である。問題集の表紙には「宇宙開発関連」と「一般」と書いてある。おまけに「問題集の余白は計算に使用してください」と書いてある。

ここまで読むと大抵の人は「なんと。宇宙開発関連、というと軌道の計算とか、脱出速度の計算とかさせられるのだろうか」と不安になると思う。そういう計算は遠い遠い昔の高校時代にほんの少しかじった覚えがあるが、きれいさっぱり忘れている。まあ今更点にこだわってもしょうがないのだが、試験を目の前にすると一点でも多くとりたい、と思うのはだいたいの人間に共通した気持ちではなかろうか。

「途中でどちらからどちらに移っても結構ですが、最初は必ず”宇宙開発関連”から始めてください。では始めてください」という言葉とともにさっそく「宇宙開発関連」の問題を開いてみる。

この試験が終わった後で「昨日もらった本を読んで置けばよかったな」という言葉があちこちから聞こえてきた。昨日の試験が終わったところで、試験会場の外のロビーにNASDAからポスター、NASDAノートなどのおみやげがおかれていたのである。宇宙開発関連には、このNASDAノートに書いてあることを読んでいれ「ば」解けるような問題がならんでいた。

曰く「次の中からNASDAの業務を選べ」曰く「NASDAの従業員は○○人、年間予算は○○億円」という問題である。こうなるとなんとも常識と勘にたよるしかない。宇宙ステーションの日米以外の参加国を選べ、という問題では私は正解を知っていたにもかかわらず間違えてしまった。

最後に少しFault Tree Analysisがある。簡単なシステムのダイアグラムが示してあって、「さて故障の原因は何でしょう」というやつだ。会社で働いているときにこうしたFault Tree Analysisはいやというほどやったことがあるが、全ての枝を(つまり可能性を)検討して、それらを全て比較検討した上で「これの可能性がもっとも高い」とやると必ず外れたものである。物事仮に「論理的」に推定をしたところで、正しいとは限らない。現実は常にこちらのくだらない論理性や予想を超えて複雑かつ妙な具合にできているのである。

「あの”余白は計算に使用してください”というのは一体なんだったんだ。。。」と思いながら「宇宙開発関連」はあっさりと終わった。所詮知識を試される物だから、時間をかけて考えたところで正解がわかるわけではない。

さて次は「一般」である。こちらは予想通りというかなんというか難物であった。

まず最初は算数である。「年利12%のところから4ヶ月、年利10%のところから半年、合計で350万円かりて、利子がXXだった。さていくらずつ借りたでしょう」という類の問題がごろごろ並んでいる。私は最初の問題がとけずに泡を食った。それをなんとか切り抜けると次は物理だ。「完全弾性衝突」とかいうとっても懐かしい言葉が並んでいる。問題の傾向としてはGREに似ているかもしれない。エレベーターの中に、糸で重さMの玉がつりさげられ、加速度aで上昇している。さて力はどれだけかかっているでしょう?という類で、F=maさえ覚えていればなんとかならないことはない、というくらいの問題である。ちょっと安心して次のページをめくったところで世の中はそれほど楽ではない、ということを思い知らされることになった。

次にでてきたのは化学である。まず原子の配列がならんでいてそれぞれに対し「共有結合はどれでしょう」だの「酸素と化合物をつくるとどうなるでしょう」などと質問が並んでいる。そういえば原子番号ってなんのことだっけ、から始まって数十年ぶりに「水兵リーベ僕の船。。。」などと懐かしい原子番号と原子名の覚え方を記憶の奥深いところから掘り出して使うことになった。

次にはカルシウムをなんとかに溶かすとなんとかになり、白濁するが息を吹き込むと濁りが消える。なんていう一連の反応を示す図が書いてあって、「さて穴にはいる化合物の式はどれでしょう」などと書いてある。これも遠い昔だったらわかったのかもしれないが、今となってはさっぱりだ。さらにはわけのわからない有機の反応式が書いてあって「反応定数は」とか「水を3mol加えたらどうなるか」などと遠い昔の記憶を堀だそうにも掘り出しようのない問題が並んでいる。

ここらへんはさっぱりわからないので、回答を記入するペースは大変快調になる。しかしいかせんせん全然わかっていないのである。「二つのシリンダーが接続されていて、片方の圧力を○○にすると。。。」などという問題に至っては、本来計算で答えがでるのだろうが、ほとんど鉛筆を転がして答えを決めたようなものである。

あららら、と思いながら次のページをめくるとでてくるのは生物である。これはもっと難物だった。生物は高校の授業で受けただけで大学でも全くやっていない。やれシダと普通の植物で、染色体の数がどうなるか、とか「恐竜の絶滅」だの「被子植物の繁栄」だののイベントを年表にあてはめろだのの問題が並んでいるが、ここらへんも「悩んでもしょうがない」問題だから実に快調に回答欄は埋まっていく。それとともにやる気もますます減少していく。そういう分からない問題が増えれば増えるほど目前に浮かんでくるのは「紙切れ一枚はいった書留速達」である。

さて次は地学だ。問題としては「地震波が観測された距離と時間のグラフはこのとおり。さてP波がどうのこうの。。。」という問題で、1割くらいしか理解できない。次には星の光度とスペクトルが示されていて「さて主系列星で一番明るいのはどれでしょう」とか書いてある。ここらへんになると当てにする記憶は小学校から中学の頃に読んだ「宇宙のふしぎ」という学習漫画シリーズにまでさかのぼる。考えてみれば幼少の頃私はなんとなく宇宙関係にあこがれる人間であった。天文関係に進めるほど頭はよくなく、いま何の因果か宇宙飛行士の選抜でこうした星の話にぶつかることとなった。感慨に耽るのはそんなに悪い気持ちではないが、如何せん問題は解けないのである。

もう一つ「さてここに天気図と、天気図上の各点の気象データがあります。点の番号と気象データを結びつけなさい」という問題にいたってはほとんど「低気圧=台風」という思いこみでといたようなものである。温暖前線だ、寒冷前線だというのは何度覚えても頭からすりぬけていってしまう言葉だ。もしここらへんの問題が選択肢を選ぶものでなければ、とっくのむかしにお昼寝モードにはいっていたところである。

最後の2問はあろうことかあるまいことか簡単なBASICのプログラムを読んで、何をするものか回答するものだった。行番号がついているBASICのプログラムなど読んだのは何年ぶりのことだろうか?学生の時からどういう因果かプログラミングには縁があり、そのたびにいろいろな勉強をした。「変数名はちゃんと意味のあるものをつけろ」とか「プログラムの流れはちゃんとみえるようにしましょう。GOTO文は敵だ」とかだ。私はそれらの教訓を大変な痛みと共に覚えたわけだが、そうした10年余りを経て、再び

10 A= 5 : B=3

(中略)

50 GOTO 30

などという蕁麻疹を起こしそうなプログラムを読む羽目になるとは思っても見なかった。プログラムを丹念に追っていってなんとか何をやっているのか理解できたが、読んでいる最中で「このプログラムを書いた阿呆をつれてこい。逆さ吊りにして背中の皮をはいでやる」と何度心のなかで叫んだことか。

さてあっさりと問題は終わってしまった。これは簡単だったからではなく、わかりにくい質問にはあっさりと鉛筆をころがしてしまったからである。例によって「昼寝をしてしまおうか」という誘惑にかられたり、目の前に浮かぶ「紙切れ一枚入った書留速達」の幻影に悩まれたりしたがなんとか時間が終わるまで見直しと考え直しにいそしむことができた。最後の気力をふりしぼって、というやつである。

 

「では筆記用具を置いてください」という言葉とともに選抜試験は終わりとなった。今日はこれからNASDAの心遣い「宇宙開発センター見学ツアー」があるのだが、とても参加などしている時間の余裕はない。(参加者は結構多かった。今日も筑波に泊まると決めている人間にとってはありがたいツアーであっただろう)例によって「今回使用した受験票は今後も使用しますから、大切にとっておいてください」というアナウンスがある。しかしこのときほどこのアナウンスがうつろに響いたことはない。これでこの受験票はたくさんとってある「思いでのガラクタ」の仲間入りをすることが決まったようなもんだ。最後には2つの書類を提出した。一つは今回の募集に関するアンケート。曰く「何で今回の募集を知りましたか」とか「何が有効だと思いますか」というやつである。とにかく回答を書く量が少なくなるように心がけて極めて短時間で書き上げた。もう一つは「2次選抜の時期に関する質問」である。2次選抜の時期は3つの時期から選べるようになっているのである。次は一週間だから、仕事を持っている人は参加が大変難しいだろう。特に民間企業では今回の募集者で一番人数が多い30歳から40歳は働き盛りでもあり、休暇を取るのは至難の技に違いない。

私には「休暇がとれないのではないか」という心配はない。しかし2次選抜はもう関係ない話だ。

みんなとつれそって宇宙センターを後にした。来るときは荒川沖からバスでたどりついたが、帰りは「その男」のご推薦に従って東京八重洲駅行きの高速バスに乗った。隣に座っているのはNX号である。

まじめな彼は今後についていろいろ心配していた。「2次選抜と仕事の日程があうだろうか」とか「英語の面接にでたら、冷や汗を流して黙っているしかできない」とかである。彼が非常に気にしていたことだが確かに今回の受験者で、海外生活経験のある人間の比率は異常に高かったようである。中には夫婦で受験に来ている人間もいたようだし「その男」も留学時代の友達に出くわしたくらいだし。NX号は、小牧市の英会話教室で奥様をみつけたくらい、地道に英語の勉強を続けている人間だが海外での生活経験はないのである。

彼に「まあ受かってから心配すればいいよ」と言った後にいろいろな事を考えた。

 

今回の選抜では自分なりにいろいろ準備をしてはみたが、高血圧であっさりこけてしまった。肝心な時に妙な高血圧がでるとは。。。しかし考えてみれば世の中には「ずっと快調だったのに肝心なところで」体調が不良になり涙をのんだ人間など山ほどいることに気が付いた。

有名な例はプロスポーツをみれば枚挙にいとまがない。しかしそんな有名な例ではなくてももっと身近な例で、その人にとっての大一番で体調不良になり涙をのんだ人は山ほどいるに違いない。仮にそれが「区の陸上大会」であったとしてもそれがその人にとって「後悔の残る」結果であることにはかわりはない。

自分が観客の立場であれば「ああ。普段のコンディション調整が悪かったんだな」とか「まあこういうこともあるさ」でおしまいだが、本人にとってはそんなことは何の慰めにもならない。その人達の中には、私が今回の募集に賭けた意欲よりも何倍もその大会に意欲を持って望んだ人もたくさんいるだろう。そしてどれだけ努力しようが注意しようが体調の神様はあちこちを向いてあっかんべーを出しているのだろう。

私はどの道であっても快調にてってけ走っているときは、走っている人間のことしか目にはいらない。自分の前を走っている人、あるいは後ろにいる人。自分が走っている間はそういう人達の背中や顔をちらちら見るだけだ。

しかし世の中快調に走っていると必ずこけるようにできている。自分が転んで「いってー」とか思いながら周りを見回すと初めて走っている人以上に、転んだり、転んでから起きあがろうとしている人がたくさんいることに気が付く。走っているときは「あら、ころんじゃった。かわいそうにね」などとちらっと思うだけだが、自分がその立場になるとその人達の気持ちが少しだけわかったような気になったりする。

こういう事を考えたのはひさしぶりだ。そして多分こういう気持ちは時々思い出したほうがいいのだろう。

駅からとぼとぼとアパートに戻った。空には久しぶりの星空が広がっている。もう星空を何時間もみて視力の改善を図ろうとする必要もないのだが、星空はきれいだ。

 

翌日は実家に帰った。私は朝の渋滞をさけるため、だいたい朝の7時くらいに実家につくようにする。父親は早起きであり、私が帰る時間にはたいてい起きていて「やあ、おいで。」という。

母の起きる時間はその時々によって変化する。その日は8時頃起きてきた。寝室は2階にあり、居間は一階にあるので、まず

「どたどたどた」

と母が階段を降りてくる足音がする。次に眠そうな目をしながら、私をみつけると

「おっす」

と言う。今はもうやっていない「8時だよ。全員集合」でいかりや長助がやるあれである。ところが、この日は最近の母のお気に入りの挨拶をした。

「よっ。宇宙飛行士」

というやつだ。この日私はこう答えた。

「宇宙飛行士はもうあかんわ」

すると母や「そうでしょう、そうでしょう」と言って、我が意を得たり、とばかりににやっと笑った。その顔をみてちょっとほっとした気分になった。母はなんでもご存じだったわけだ。

 (次の章へ


注釈

どこかの国の独裁者:アドルフ・ヒトラー(参考文献一覧)によれば、ムッソリーニは寝るとき-特に女と寝るときは- 何もつけない主義だったと言う。ちなみに注釈をつけてはいないが、どこかの女優とはマリリン・モンローである。もっとも彼女はオッパイの形が崩れるのを恐れるためにブラジャーだけはつけていた、という説があるが。本文に戻る

 

羊達の沈黙:(参考文献一覧)私が愛するJodie FosterとAnthony Hopkinsの主演で映画化された。小説もすばらしい傑作である。本文に戻る

 

ものの本:原文はhttp://www.ahs.kitasato-u.ac.jp:8080/docs/qrs/psy/psy00115.htmlである。ここから他のいくつかのタイプの心理検査に関する記述もたどれる。 本文に戻る

 

割れ目を避けて歩く:実際にこういう人はいるようで、映画「恋愛小説家」(参考文献参照)にでてくる、ジャックニコルソン扮する小説家はこの癖がある。彼が愛する犬までこの癖がある。本文に戻る

 

Contact:(参考文献一覧)最近一神教は特に融通がきかないのではないか、と思うことがある。Contactで一号機を吹っ飛ばした連中も「神は唯一のものだ。神に会いに行くとはけしからん」とかなんとかそんな事をわめいていたような気がする。多神教なら「ああ。あの神様に会いにいくわけね」ってなおおらかなもんだが。本文に戻る

 

GRE:私が米国留学するさいに受験した数学、科学、工学関係の試験。米国の大学院にはいろうと思うと大抵この試験を受けて、スコアを報告することを要求される。詳細は「留学気づき事項:GREについて」を参照のこと。本文に戻る

プログラミングには縁があり:私はプログラミングでどういう経験をしてきたかについては"Java Diary"を参照のこと本文に戻る