2013-11-29 07:48
例によって「思いついて取り組んではみるけれど、途中で放り出すだろう」シリーズ。きっかけはこのブログを知ったことからだった。
Om Malik
がびん、となった。これでいいではないか。サイドバーとかいらない。というか常時表示されている必要はない。必要なときに必要なものが表示されればよい、というのは最近のiOSアプリのあり方でもあるし、それで問題ないわけだ。
つまり
現在の「ごんざれふ」も含めて、ブログのインタフェースには余分なものが多すぎる。美しく表示されたテキスト、それにいくつかのソーシャルメディアに対するフィードバックのコントロール。それだけでいいじゃないか。カテゴリだのアーカイブだのは、要らない。なんらかの方法で過去の記事にアクセスができればよい。
そう考えていたところに今度はこのサイトを見つけた。
The Console - XBOX One review
ふたたびがびん、となる。試しに下にスクロールしていってほしい。何がでてくるか。ある程度下まで行くと、邪魔にならない形で巨大広告すらでてくるのだ。
全ての要素はダイナミックであり、かつユーザの操作からコンテキストをちゃんと考慮し、使い勝手は落とさずに中心である文章を綺麗に読ませる。こうでなくちゃいけない、というかなぜこうならんのだ。
というわけで、あれこれ探している。本当のきっかけはここで使っているMovable Typeがサポート切れたよん、という表示が頻繁にでてくることなのだが。
とはいえ
もうあれやこれやのブログシステムにわずらわされるのもうんざりだ。ではどうする。
・個々の記事は一つのHTMLファイルとして記述する。
・それを月ごとのページに纏めるしかけがあればよい
・ついでに「編集中」と「公開」のステータスだけ管理できればな
最小限の機能はこんなもんじゃないかと思うんだよね。だったら自分でできないか。というわけで今まで名前を聞くだけで避けてきた
PHP
なるものを少し勉強しようかと思っているのだ。あれ?CGIだったらPythonでいけるのかな?もっともそもそも私に
「をを、これは文章が美しい」
と言わせるようなCSSが作れるわけもない、という問題が存在しているのだがそれは見なかったことにする。さて、どこからてをつけたものか。
2013-11-26 07:09
日本企業が強いのは現場のおじさんたちの力だ、と学生の時に思った。最近までそう信じていたが、どうもその信念が揺らいできている。いや、以前にもMicrosoft tabletとNECのタブレットを比べて嘆いたりしていたのだが、どうもそれより状況は深刻のようだ。
「まずは、日本の名だたるメーカーを数件ほど回りましたが、全社に『できない』と言われました。正しくは『できない』ではなくて、『やったことがないからわからない』という話でした。技術者の話に職人が乗ってくれないのは、すごく問題だなと思いましたね。それで次に、中国のメーカー数社に声をかけたのですが、彼らは全員『できる』と言うんです(笑)。『やったことがあるのか』と聞くと、『ない』と言う。『やったことがないのに何で大丈夫なんだ』と聞くと、『いや、できるからだ』って(笑)。本当に真逆でしたね」
結局中国のメーカーも、最初に上げてきた試作品は惨憺たるシロモノであったが、バルミューダから派遣した技術者との二人三脚により、何とか成功のめどが立った。
via: "未来"の家電ができるまで:バルミューダの暖房器具「SmartHeater」 « WIRED.jp
わからないことはやらない、の日本企業。やったことないけどできる。いや、できないんだけど、できるようになる、の中国企業。
これでも本当に日本の職人さんたちは優秀なのだろうか?単に自分たちが作り上げた「型」にはまって「こんなものは無理だよ」と「職人ぶって」うそぶいているだけではないのか?
我が国は
「徹底的にやられ、素直に学ぶ」
という態度と
「自信過剰に陥り、型にはまることを優先し硬直化、結果破滅する」
の間で揺れ動いていた歴史を持つように思える。今は前者のフェーズの始まりにいるのかもしれない。
2013-11-25 07:03
東京ミッドタウンで行われた、標題の発表会に行ってきた。
参加するのは数年ぶりである。以前はそのホスピタリティの無さに激怒し「まあ学生のイベントだから」と自分に言い聞かせていた。
その「ホスピタリティの無さ」はFlashを多用し、Bad UIの宝庫とも言える公式サイトに合わられていた。さて今年はどうだろう。
公式サイトは以前ほどひどくはない。実際の展示もこちらがこころの準備をしていたためか、なかなかおもしろいと思えた。
これは想像だが、査読が通る研究はもとより、全国大会で発表できるレベルからもっとさがった「なんでもありの発表」だから何が起こっても文句を言うべきではないのだろう。そう思えば、時々面白い発表に出会えることが幸運と思える。
一つ感心したのは、看板の展示方法だった。場内は結構混み合っている。どこに何があるのかさっぱりわからない。そのため、頭上かなり高いところに展示の看板を吊るしている。だから普通の目の位置では見通しが悪くても、視線を少し上にあげれば大体の状況がわかる。この工夫には素直に感心した。
とはいえ
学生さんたちが通路に屯して、おしゃべりに興じているのはどうかと思う。こちらがポスターの前でしばらく黙ってたっていて、ようやくおしゃべりが止まる、といった状況が何度もあった。(もちろんちゃんと察して説明してくれる人も多かったが)
この「説明員同士が楽しくおしゃべりしている」というのは企業の展示会ではまず見られない光景だ。ここらへんが学生と社会人の壁かもしれん、とちょっとだけ思った。
2013-11-25 06:52
表のブログに書きました。自分でも気が付かなかったが、7月に自分が書いたことの焼き直し(というか表向けに表現をまるめた)文章になっているな。
みんなでディスカッションするためのペーパープロトタイプがあって、役割分担のためのHTMLプロトタイプ、スタイルガイドがある。1日目はみんなで考えて、2日目にはそれを元にしてそれぞれが黙々と作っていく、といった流れでしょうか。このワークフローであれば、柔軟性のあるデザインシステムが構築できると思います。
via: これからのUIデザインのために、デザインカンプをやめてプロトタイプを作ろう(後編) | MEMOPATCH
こうしたことを考えていくと「ウォーターフロー開発」というのが一種の冗談としか思えなくなってくる。しかし考えるべきは
例えば飛行機とか自動車であれば、間違いなくウォーターフロー的な開発を行うわけだ。ではなぜそれらではそうした手法が成立するのか?モバイルソフトウェアの開発ではなぜそれが成立しないのか?これについて考えてみるのは興味深いことだ。
多分そのうち表のブログに書くと思うが、現在の仮説はこうである。
ウォーターフロー開発が成立するためには、仕様策定、基本設計の段階で最終形がどうなるかをある程度リアルに想像できなくてはならない。
例えば新人が図面を書くとする。ベテランがそれをチェックするとき頭の中ではそれが組み立て工程で何を意味するか、ユーザはどのように使うかをシミュレートし、それでダメ出しをするわけだ。
このプロセスが機能するためには、「ベテラン」の頭の中でそうしたシミュレーションが可能でなくてはならない。多くの機械設計ではこれが成立する。問題は例えばiOSのように年に一度大幅な機能拡張(同じ変更を機構設計に置き換えてみると、目が回るような変更だ)が行われる環境ではこの「頭の中のシミュレート」が機能しない、ということではないかと思う。
それ故仮にベテランであっても、実際にプロトを作成し触ってみないことにはそれが何を意味するのかがわからない。さらに厄介なことに、プロトを触ってみると、「本当の可能性は全然別のところにあった」ことを発見したりする。
それ故、仕様作成、概念設計、基本設計、詳細設計、製造、試験、という整然としたプロセスが成り立たなくなる、、とかそういう話ではないのかな。
2013-11-22 07:10
例によって例のごとくこんな話があるらしい。
所有するLG製のスマートTVのホーム画面に広告が表示されていることに気づいたイギリス人の男性が、不思議に思い独自に調査を進めたところ、USBメモリ内のファイル名と閲覧記録が知らない間にLGのサーバに送信されていることを突き止めました。
via: LG製のスマートTVがUSB内のファイル名と閲覧記録をこっそりサーバに送信していたことが判明 - GIGAZINE
でもってそれに対する回答がこれ。
おはようございます
このたびは、ご連絡頂きありがとうございます。
お客様からお知らせ頂いたメールはイギリスのLG本部に報告させて頂きました。
LG本部からの説明によると、お客様は契約条件に同意していますので、LGではなく製品を販売した小売店がお客様の製品購入時に適切な説明を行うべきでありました。
ご迷惑をおかけしまして大変申し訳ございません、また何かございましたら、遠慮なさらずに連絡してください。
敬具
via: LG製のスマートTVがUSB内のファイル名と閲覧記録をこっそりサーバに送信していたことが判明 - GIGAZINE
ちなみにこの件に関しては続報が有り、EngadgetがLGにコンタクトした時にはもう少しまともな反応が返ってきたのこと。
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LGという会社には何の思い入れもないが、近くの映画館にデモ用のTVセットをおいていたことは覚えている。「10フィートUIなど存在しない」という信念の私にとっては、冗談のようなSmart TVだったが。
でもってそんな会社の製品を買うとこういうことになる。
こういう「企業の不祥事」にはいろいろなレベルが有り、いろいろな対応がある。前にも書いたことだが、インターネットであれこれやろうとすれば、どうしても自分の個人的な情報を企業に委ねることになる。
それであれば、「少しはまともな企業」にそれをゆだねたいと思うのだ。私はApple原理主義者だから言うのだが、これは企業としての「誇り」の問題だと思う。そういう汚いことまでやって、個人のデータを集めたいのか、そうした儲け方を拒否するのか。
そうした観点から、LGとかソニーとかがどう位置づけられるかはいろいろな議論があるだろう。
2013-11-21 06:37
さて、私が敬愛するBallmerである。こんなビデオがあることを知った。
彼が最後に流しているのはこの音楽。
Time of my life. Ballmerは本当に仕事を、Microsoftを愛しているのだろう。私は彼とそうした愛を共有していないが、彼の気持ちは非常にストレートである。
Ballmer氏は、米国時間11月15日に一連のインタビューとして掲載された記事の中で、「もしかすると、自分は古い時代の象徴なのかもしれない。だから、立ち去らなければならない」と感傷的に述べ、そのことを認めた。同氏は「自分のしていることすべてに愛着を持っているが、Microsoftが新たな時代に入る上で最善の方法とは、変革を推進する新しいリーダーを迎えることだ」と語った。
via: MSのバルマーCEO、引退表明の経緯を語る:「自分は古い時代の象徴」 - CNET Japan
こういう率直な言葉が私が彼を敬愛する所以である。Microsoftに対する愛ゆえ、彼は身を引くことに同意したのだろう。
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では次を担うのは誰だろう?Elopで決まり、と断言しておいてなんなのだが、果たして彼が正しい候補なのだろうか。少し自信がなくなってきた。(もちろんそれとElopがCEOになることとは矛盾しないのだが)
一部で報道されたX-BOXとBingを売却する(誰が買うか知らんが)というのは正しい判断だと思う。ゲーム廃人向けのXboxと仕事上の税金Officeを両方抱えていることでMicrosoftはなんの会社だかわからなくなっているからだ。
それは正しいと思うのだが、Officeに集中するというのも「正しい」とは思う。しかしそれでは縮小均衡に向かうだけではないのか?
ではフォードのCEOアラン・ムラーリーにこの先の舵取りができるだろうか?自動車業界も航空業界も極めて進歩がゆるやかに起こる世界である。自動車業なんてこの10年以上にわたって「車のネット接続」などいいながら、全てスマートフォンにふっとばされようとしている。
Apple would look at that data and say, "let's cut the bottom 200 commands." Microsoft looked at it and said, "We're going to need a bigger ribbon.
via: The trouble with Microsoft
Microsoft Officeに山ほどコマンドが有り、それを使う人の分布を見る。Appleなら「使わない200は切ろう」と言うだろう。Microsoftは「もっと大きなリボン(ボタンを置く場所)が必要だ」というだろう。
結局XBOXとOffice両方を持つ会社というのは、「大きなリボン」ではなかろうかと思うのだ。しかし果たしてSteve Jobs的にラインナップを絞り込むことだけが正しい戦術だろうか?別の戦い方はあるのだろうか?そしてElop,ムラーリーはその道筋を描くことができるのだろうか?
野次馬として見る分には実に楽しい。しかしCEOになる人間にとっては悪夢のような仕事だ。さて、彼らは誰を選ぶのだろう?
2013-11-20 06:43
80年台に世界を席巻した「日の丸家電」とはなんだったのだろうか。
それから30年たち、日本の家電メーカーは時々狂ったような製品を出してくる。それをとりあげて「これだから21世紀の家電メーカーは駄目になったんだ」と一般論をぶつのが私なのだが、果たしてそれは正しいのか。では70年代80年代、日本の家電メーカーはそれほど立派だったのか。
71年10号「あたたかいばかりが能ではない・電気ジャーをテストする」あらかじめ炊けたご飯を保温するためだけの道具。電子レンジが普及する前なので需要があったらしいが、かなり辛辣
via: 古い「暮しの手帖」のくらべ記事を調べてみた - デイリーポータルZ:@nifty
写真の中にある
「第一、この飯のひどさ。メーカーは果たして食べてみたのだろうか」
というのは、昨今の狂ったような家電製品にも等しく当てはまる。
SHARPがルンバに対抗して、ロボット掃除機ココロボの最上位機種COCOROBO RX-V200を12月5日に発売する模様。オープン価格ですが、だいたい13万円ほどになるようです。結構いいお値段しますね。
via: SHARPがルンバに対抗ロボット掃除機ココロボ「COCOROBO RX-V200」を発売 値段は13万円 : キジトラ速報
シャープの中の人はこれ13万だして買ってるんだよね?
何がいいたいかというと、「日の丸家電が世界を席巻したのが幻想もしくは何かの間違いだった」のではないか、ということだ。実はもともとダメだったんですよ。なのに何かの間違いでうれちゃって、ちょっと舞い上がっちゃいました。てへっ、とかいう可能性はないのだろうか。どうも最近そういう気がしてきた。
2013-11-19 06:58
先日こんなイベントがあったのだそうな。
日本ヒューマノイドロボット研究会とは「未踏IT人材発掘・育成事業」に選ばれている吉崎航氏が主催する研究団体。今回の会は、その吉崎氏と、未踏プロジェクトのプロジェクトマネージャー(PM)も務めている大阪大学の石黒浩教授からの提案で今回の会が主催されたという。今回は特にヒューマノイドロボットのデザインに関するパネルディスカッションということで4人のパネラーが選ばれ、「ロボットを人に似せる意味はなにか」と「どこまで人に似せるべきか」をテーマに、トークと簡単な議論が行なわれた。
via: 【森山和道の「ヒトと機械の境界面」】ロボットを人に似せる意味は何か ~ヒューマノイドロボットのデザイン - PC Watch
ここで書かれていること(園山氏の言葉は除いて)には現状日本の「ヒューマノイドロボット研究」が置かれているどうしようもない状況が現れている。彼らは何十年たっても
「そもそも人間に似せる必要はどこにあるのか」
という根本的な疑問から目をそらし、それぞれの研究に勤しんでいる。
この記事からは「取材者」として参加していながら、おそらくこの問題にはより深く考察している森山氏のいらだちが現れている。というか一番読み応えがあるのが、発表者の発表内容ではなく、一番最後に付加されている森山氏の感想だ、というのは皮肉としかいいようがない。
というか
こういうイベントやるなら森山氏にしゃべらせるべきだと思うんだよね。他の先生方はいいから、園山さんとサシで議論してもらえば、きっとものすごく面白いと思うのだけど。
つまり、単なるヒトの模倣ではない、だが「ヒトに似た形」をしたロボットには、情緒的な側面以外での存在理由が既にあるのだ。先行した数社に続いて多くのメーカーが双腕ロボット開発へと乗り出し始めたことは、実際に導入してみると少なからぬ有用性が現場で確認されたことを意味しているのだろう。
via: 【森山和道の「ヒトと機械の境界面」】ロボットを人に似せる意味は何か ~ヒューマノイドロボットのデザイン - PC Watch
産業用ロボットの世界では既に新しい動きがでているのに「ヒューマノイドロボット」を研究している人たちは10年一日の堂々巡りの議論に遊んでいる。理由はわからないが、日本のロボット研究というのはどこか浮世離れした世界だ、という感を強くする。これはやっぱりアトムとかドラえもんの罪じゃないかと思うんだ。
じゃあ空想の世界ですごいものができるか、といわれればパシフィック・リムは外国産だし。。こうした
「駄目な研究領域が生まれる過程」
についてメタ研究をするのは面白いかもしれないね。日本で繰り返し見られる失敗パターンというのは「勝手に自分たちで型を作り上げ、それにハマることを良しとする」傾向だと思う。アトムやドラえもんが作り上げた「型」を必然性もなく尊重し、ひたすらそれにハマることを良しとしている、、とかなんとか。
2013-11-18 06:43
というわけで、今や私の中でソニーに代わって「駄目な家電メーカー」の烙印を押されたPanasonicだが(勝手に押してはいけません)最近電車内で見る広告が少し気に入っている。
ハンサムだがちょっと狂気を秘めた男が美女に向かって熱く家電のすばらしさを語る。美女たちは「アホか」という顔で黙ってさる。いや、素晴らしい。
前にも書いたが、誰も「エコ」なんて心から望んじゃいない。(電気代が半分になることに関心を持つ人はいるが、地球環境なんぞ心から気にしている人はいない)多分家電のエコシリーズは前から宣伝していたと思うが、全く内容を覚えちゃいない。しかし少なくともこれは印象には残る。
どうしてもこういう「普通のPR」を置いてしまうところがいまいちだが、まあ見なかったことにしよう。このビデオでも「デザインの工夫をひたすら語る社員と、"デザインがいいほうがいいですよね"と適当に答える俳優さんのかけきひき」といった見どころはあるのだが。
誰も聞いちゃいないが、社内政治的に正しいスローガンを連呼するところから一歩現実に近づいたとは思う。ここからパナソニックはどこに向かうのだろうか?
2013-11-15 06:53
こんなスタートアップがあることを知った。
シカゴの50代の女性Cynthiaは、多発性硬化症になってから、再び歩けるようになるまでの苦闘を書いてきた。
そこから、アイデアがひらめいた。誰もが、自分の学習過程を正直に透明に開示したらどうなるだろう? 偉大なアーチストやダンサーでも、そうなるまでの出だしと過程があったはずだ。
via: 奇才Karen Chengが始めたGiveIt100, ものごとは完成形より途中の失敗や間違いに見る価値あり | TechCrunch Japan
天才というのは持続する意志である、という私の持論によれば持続するからにはその間の「どうしようもない時期」があるわけだが、ほとんどの場合その結果しかでてこない。
話は少し変わるが、私は時々ものすごくマイナーな美術展に行く。すると確かに「古いのだが、下手な絵」がいくつもある。それらを見た後に有名な同時代の絵画を見ると「確かにうまい」と思える。つまり完成された姿だけ見ていてはわからないこともあるわけだ。
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日米のスタートアップの差異の一つに、日本のスタートアップには「深い技術」がないことがあげられる、と思っている。そうした分類でいけばこれは日本にもあってもおかしくない「早い技術」だが着眼点が好きだ。
"私が作りたいのは、偉業の背後にある苦労を全部見られる場所"、と彼女は言う。"今みたいに、Michael JordanやZuckerbergのような完成された形ばかり見たってしょうがない。しかし、この二人のスーパースターも、彼らの初めのころの苦労や勉強や練習にこそ、人が見る価値があるのだ。きれいな最終的な完成形は、どーでもいい"。
via: 奇才Karen Chengが始めたGiveIt100, ものごとは完成形より途中の失敗や間違いに見る価値あり | TechCrunch Japan
マイケル・ジョーダンの努力の過程を示したビデオがあれば是非見たい。そんなことを久しぶりに考えた。
2013-11-14 06:54
最近電車でよくみかける広告に、NTTファイナンスの「まとめ請求」がある。
いかにも作られた「トメ」というおばあさんが「環境を守るため、NTTファイナンスに金をはらって請求書を一つにまとめろ」と呼びかけている。
毎朝、毎夕、それを見る度にイライラする。自分でそのイライラの原因が何かと考えてはたと思い当たった。
「環境を守るため」
というフレーズがひっかかっているのだ。こういう「錦の御旗」をかかげた人間をみると実にイライラする。それが「NTTファイナンスの売上を増やす」という欲望に根ざしているから尚更だ。
同じようにエコだのEcoだのをやたらとかかげる家電メーカーの広告もどこか「嘘」の感じがする。そもそも人間は「エコ」なんか達成したいと思っていない。それは本当に人々が求めるものではない。なのに会社の大義名分の観点からは「エコ」を推進する。
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昨日こんな文章を見つけた。
FacebookなどのSNSを利用する際も、基本、これと同じことが起きます。そこでは必然的に、欺き(deceit)やフリをすること(feigning)が発生します。これは別に誠実さに欠ける、不正直な態度ではありません。ごく自然な条件反射のようなものです。
via: ソーシャル疲れの理論 - Market Hack
先日Techcrunch Tokyoではこんな話しを聞いた。コメントを共有するDisqusという会社の人が言った言葉だ。
SNSは人にとって自分の最も良い所だけをみせるハイライトヒール(?)のようなもの。しかし本当の人生はそういうものではない。全ての人間はGeekだ。(何かについて)
SNSで「見せている」自分というのは本当の自分ではない。あまり大きな声では言えないが、家族が見ているSNSとそうでないSNSでは書く内容が違う。そしてそれは当然なのだと思う。
R25という無料雑誌に関してはこんな本があるようだ。
アンケートのような定量調査では、しばしば「マーケットは見えてもターゲットが見えてこない」
インタビューでは、人間はサービス精神旺盛だから、インタビュアーを喜ばせるような嘘が出る
仲間同士が、仲間思いの優しさから重い悩みを相談しなかった
空気を読む、傷つかないように態度を変えていく、自分の中の芯になるべく気がつかないようにしている
嘘をつかないで済む質問、背伸びをさせない聞き方が必要になる
芯の部分に何が潜んでいるかをしっかり見てコミュニケーションしないと、彼らの本音に届かない
via: 読感: 「R25」のつくりかた - Tsukamoto's blog
何がいいたいか?つまり時として企業は「人間が言うキレイ事」を「人間の欲望」と勘違いする。だからエコがどうとか地球環境のためにとか寝ぼけたことを正面に振りかざしたり刷る。みんなそれはいいね、という。しかし誰も金を払わない。
「キレイ事」を除いた本当の「人間の欲望」について深く考えないと(アンケートなんかとっても何もわからんよ)売れる商品、あたる企画は作れないと思うのだ。
一時一世を風靡したソーシャルゲーム。その先輩であるパチンコはどう考えても非生産的な行為である。最終的には胴元が儲けるにきまっているのだ。しかし多くの人が時間を金をそれにつぎ込む。彼らは人間の欲望をうまく見抜き(ソーシャルゲームは多分偶然だが)それをコントロールする術を身につけているのだと思う。
私が常に目指しているのは、その意見や見方が現実に接地していること。それ故「地球環境のためにエコバックを持参しましょう」というトメばあさんの姿に異常ないらだちを感じるのだ、、と広告を見ていらいらしたことの言い訳のためだけにこれだけの文章を書くのもどうかと思うが。
2013-11-13 07:15
Techcrunch Tokyo 2013に行ってきた。
日米のスタートアップ環境の差異についてはいろいろ議論もあるし、この日もそうしたセッションがあった。しかしその絶望的な差異を示してくれたのは、一番最初のセッションだったのではないかと思う。
その昔「セカイカメラ」というものがあった。何が面白いかわからないが、話題になった。私が前勤めていた会社は、「頓智ドット」に何かの打ち合わせにいった。私は「Vaporwareに興味はない」と同行を拒否した。
その頓智ドット「出身」の井口氏が「テレパシー」をいうHMDを作っているのだそうな。でもって一番最初のセッションには彼と彼の会社に出資した会社の人があれこれしゃべっていた。
その全文はここに載っている。しかし私はこの「全文書き起こし」からはわからないことについて書きたいと思う。
結論から書く。
井口氏は何も言わなかった。そして私はそれが「何もないからだ」ということに関してかなりの自信を持っている。
司会の人は最善を尽くしたと思う。井口氏に対していろいろな方向から具体的な事を聞き出そうとした。
しかし"Master of Vaproware"はさすがに手馴れている。まずこの言葉で先制攻撃をかける。
西村氏:Google Glassは声で操作する。Telepathyはどうなっているのか。
井口氏:話したいが、広報から止められている(笑)。
via: Telepathy井口氏「簡単でないからこそやっている」--デバイスの発売は2014年に - CNET Japan
この「広報から止められている」はこの日何度も繰り返された。ちなみに怪しげな「新発明」もこういう「コピーの危険がある」とかそういう言い方をすることがある。
まず誰もが思う「それってGoogle Glassとどう違うの?」という質問に対しては
西村氏:Telepathy OneはGoogle Glassと何が違うのか。
井口氏:Google Glassはまだ日本にはない。
via: Telepathy井口氏「簡単でないからこそやっている」--デバイスの発売は2014年に - CNET Japan
とものすごいボケをかます。このやりとりだけで「ああ、井口氏はまともに話す気が無いんだな」とわかる。
僕らもそういうのをやっていきたい。ウェアする価値がある、ウェアラブルでないとできないものを提供する必要がある。「単一目的に適合しており、それが従来のスマートデバイスではできない」というものをやらないといけない。
via: Telepathy井口氏「簡単でないからこそやっている」--デバイスの発売は2014年に - (page 3) - CNET Japan
このように「僕らはすごいものを作る!」という目標は提示するが、それがどうすごいのか?という疑問には一切答えない。
それはもちろん井口氏が言うように「広報からとめられている」せいかもしれないが、それならばそもそもこんな場所にでてこなければいいのだ。Appleが将来の製品についてかたくなに口をつぐむように、2014年に「バーンと」でるタイミングまで一切黙っていれば良い。
そう考えれば、「多分彼には何もないのだろう」としか思えなくなる。(もちろん来年私が「ああ、自分はなんと浅はかだったことか。井口氏の天才ぶりを見誤っていた」と頭をかかる可能性もある)
何もない状態で、これだけのインタビューをこなすのはさすがにすごい、としか言い様がない。そして前掲の記事には書かれていないやりとりが最後にあった。
司会の人が「ではそろそろ時間なので」と言ったところで井口氏はこう言った
「え!もう終わりですか?まだ話したいことがあるのに」
それまで何を聞かれても「話せない」でやりすごしてきた人間がよく言うなと思うが、こうでなければMaster of Vaporwareとは名乗れないだろう(名乗ってません)
お前にHMD製品を作る会社を立ち上げることができるか?と言われれば、できません、と答える。Techcrunch Japanの一番最初のセッションに呼んでもらえるか?と聞かれれば、できません、と答える。
これだけ内実がなくて、かつこれだけ有名になり金も集められるというのはすごい才能としか言い様がない。そういった意味で実に学ぶ点が多い講演だった。
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それと同時に「こんなのがもてはやされる」日本のスタートアップの環境に絶望した。
2013-11-11 07:05
というわけで、先日かいたこのブログだが
スマートフォンの画面サイズはなんとなく大きくなってきた。その理由は誰にもわからない。ものすごい金をかけて調査をしてもいいのだが、言えることは
ただし、この調査自体は「現時点でのニーズ」であり、半年後、1年後のニーズも掘り起こせるわけではない。今後のニーズを見極めるためにも、現在、最も多く求められている画面サイズだけを用意するのではなく、少し先を見越した、幅広いラインアップを展開して様子をみている。
via: 5インチまではスマートフォン:多様化するディスプレイサイズ ドコモのスマホ戦略に迫る (2/2) - ITmedia Mobile
せいぜいこんなものである。結局将来に関しては「線をぐいっと引く」ことが必要なのだ。
しかし「今ある線をどんどん伸ばしていく」メンタリティの会社ではどんどんディスプレイが大きくなり、どんどん解像度が細かくなっていく。それは人間が認知できたり、使いやすい限界を超えていくのは避けようがない。
さて
iPhone6(仮称)はディスプレイが大きくなる、という噂が絶えない。メディアと受け取られないこともあるBloombergがこんな記事を載せたのだそうな。
Apple is planning to release two new iPhone models next year with curved displays. The two phones would have 4.7 inch and 5.5 inch displays respectively
via: Bloomberg: Apple to introduce larger, curved screen iPhones in Q3 2014, enhanced pressure sensors for later models | 9to5Mac
現在4インチのディスプレイをもつiPhoneだが、4.7, 5.5インチになる、しかも画面がカーブするのだそうな。
これだけ執拗に噂がでてくる、ということは事実の種があるのかもしれないし、全くないのかもしれない。
仮に「事実の種」があるとしてみよう。
その場合"Apple原理主義者"として思う(というより"願う")のはそれが単に「時代のトレンドだから線を伸ばしてみました」「ストレート液晶に行き詰まりを感じましたから曲げてみました」というものではないだろう、ということだ。
4.7インチは、仮に今のiPhoneをリムレス(縁をなくす)にすれば同じサイズで可能かもしれない。(例えばこんなデザイン)5.5インチのiPhoneとはどんな製品なのだろうか?そもそもそれはiPhoneと呼ばれるのだろうか?今のiPhoneとiPad miniの中間にあるそれはどのように使うものだろうか。
というわけで、不安半分期待半分で来年の9月(か10月)を待とうではないか。今頃Appleはその準備であれこれ大変な時期だろう。
サファイアグラスとLiquid metalを使い前面が全てガラスだけでできており、(つまり前から見た時、金属が一切見えない、ということ)Touch IDの丸いセンサーがその中に浮かんでいるようなものが、、できるんだろうか?
私は製品の製造、機構について全く知識がない。だからここから先は全く言及することができない。しばらくは無責任にいろいろ想像しよう。
2013-11-08 06:50
これは何度か書いたことだが、私が何を言おうと、結果がどうなろうと「線をどこまでも伸ばしたい」人たちは存在する。
家電各社は消費者が本当に4Kテレビを欲している、と考えているのだろうか。同時に4Kテレビが収益を支える"看板商品"に成長すると思っているのだろうか。
via: なぜ日本の家電企業はTVに固執するのか 4K、8K...需要あるの? (産経新聞) - Yahoo!ニュース
こうした態度を日本の家電メーカー凋落ぶりと結びつけて語ることは簡単だ。しかし世の中はもう少し複雑なようだ。
じゃあ日本の家電メーカーを蹴散らし、快進撃中のサムソンはどうなのか?
Samsungがもう一つ口を滑らしたのは、二年後の、スマートフォンのディスプレイの解像度の大幅増大だ。まず、来年はWQHD(2560 x 1440)のディスプレイを出す。そして2015年には3840 x 2106(Ultra HDとも呼ばれる)を出す。すばらしいことのように聞こえるが、でもわずか5インチの画面だ(fonbletはそれよりやや大きいか)。ぼくよりも頭の良い人(科学者で写真家のBryan Jones)がこの記事で説明しているが、平均的な人間が通常の使用距離で個々の画素を見分ける能力の限界に、すでにApple製品は到達しており、それはiPhone 4の326ppiのレティナディスプレイである。
via: ハイブリッドモバイルを支配するのは: Samsungのフォンブレット(fonblet)かそれともファブレット(phablet)か? | TechCrunch Japan
この記事を読むと、彼らの思考形態(少なくともその一部は)日本の家電メーカーと大同小異であることがわかる。
彼らは何故このようなことを続けるのか?理由を思いつくままに列挙してみよう。
・なんといっても「進歩」が定量的に示せる。「ユーザが何を欲しているか」なんて訳のわからない尺度は評価も予想もできない。だから「定量的」な改善効果を示す尺度が必要で、それには解像度がピッタリだ。
・競合他社も同じような尺度を使っている。だから弊社の製品に優位性があることを示さなくては。
・画質の改善は永遠の課題だ!
つまるところ彼らと彼女たちは「自分が、家族がユーザとして欲するか」よりも「サラリーマン(またはウーマン)としての立場」を優先して物を作っているように思える。ではなぜサムソンと日本の家電メーカーでこれほど業績に差が出るのか。おそらく話はもっと複雑なのだろう。
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例えばこんな「ビジョン」を語る人がいる。
例えば奥さんの誕生日が近づいていたとして、ショッピングモールに行った時、壁には"なぜか"『あなたのパートナーにバッグのプレゼントはいかがですか?』というお知らせと30分限定の割引クーポンが出ている。
via: 【イベントレポート】中島聡トークセッション「未来のITを考える」 - UIEvolution K.K. Staff Blog
もう少し想像力がある人だったら、ショッピングモールにはいるだけで自分の個人情報(奥様の誕生日まで知られているのだ)が公になることに恐怖を感じることだろう。この退屈で無邪気な夢を読んでいると、この人が同じ程度に無邪気な反原発論を語れる理由がわかる気がする。
というように批判することは簡単だ。しかしその「退屈で無邪気な夢」を聞こうという人の数はどうだろう。どうみても、このブログの読者よりも多い。
これは226事件の裁判を担当した人が書いていたことだが、自分の立場、物事の一面しか見ない人の言説は明快であり力強い。様々な立場を考える人の言葉はそれゆえに曖昧になりがちである。そして歴史に何度も登場したとおり、自分の立場だけを考える一面的な言説はほとんどの場合大きな支持を得る。
家電メーカーの内部で起こっていることはおそらくそういうことなのだと思う。例えそれが間違っていても、何か明快な言葉があれば、人はそれにすがろうとするものだ。ソ連を介しての調停工作のように。
こうした問題に対処するためにはどうすればいいんだろうね?今のところ答えは見つかっていない。
2013-11-07 06:52
技術ジャーナリズムの新しいルール、より。
Not all analysts are created equally. If you plan on quoting one in your piece, said person must come from the list of approved analysts. Here's the list:
- Ben Bajarin
- Horace Dediu
- Anyone else those two recommend
via: The New Rules of Tech Journalism - Curious Rat
思えばインターネット登場以前は「ジャーナリズム」の黄金時代だったと思う。言ったもの、やったもの勝ち。もちろんリソースを握っている人間にはヘイコラする必要があるが、ヤラセ、捏造、なんでもできた。皆が「おかしい」と思ってもその声が集まることはなかったのだ。
しかし時代は変わった。皆の「おかしいんじゃないか」という声が共鳴しあうのだ。もちろんそれが間違った方向に向かうこともあるわけだが、黄金時代は終わったと思う。
そして一つ確かなことがある。おそらくは記事の内容が信用できるか否かについては「新聞に掲載さている」とかメディアの名前ではなく、個人の名前で判断すべきだ、ということ。
今朝(米時間29日)、ニューヨークタイムズ・マガジンに出た記事「Cracking the Apple Trap(アップルの罠を暴く)」の話。これは紙版の見出しで、オンライン版は最初「Why Apple Wants to Bust Your iPhone(なぜアップルはあなたのiPhoneを壊すのか)」というタイトルでした。
via: 「アップルの罠」は本当なのか? 新iPhoneが出たら旧型が遅くなったというNYタイムズの話を検証 : ギズモード・ジャパン
これはあまり我が国では話題になっていないが、ひどい記事だった。でもってこの記事を書いた人間だが、ここでその様子を見ることができる。控えめな表現を使うが、あまりその言動からは知性を感じ取ることができない。よくこんなのが書いたのを載せるなあ。
しかしこうした例は後を絶たない。我が国にだって立派な例はある。(ドヤ顔)
記事は6日正午前には削除され、Yahoo!ニュースなどの各配信先でも閲覧できなくなった。「エコノミックニュース」の代表者は、業界関係者や読者から間違いの指摘があったことを受け、現在、記者と取材先に再度内容を確認している最中だという。
via: 【捏造ニュース】日本酒に「大量の防腐剤」と仰天記事 蔵元や関係者から抗議や指摘受け、削除【エコノミックニュース】 : ジャックログ 2chJacklog
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で例によって自分でやらずに「誰かが作ってくれないかな」と妄想するわけだが、wikipediaの「ジャーナリストブラックリスト」ができないかな、と思うのだ。(以前twitterアカウントで同じことができないかと書いたな)
ジャーナリストの個人名と、彼または彼女が執筆した記事を引用する。でもってそれがどの程度信頼出来るものか、というのを閲覧者が判断するわけだ。意見の右・左とは別に信頼できる、できない、という度合いを集合知で判断する、というのは悪いことではないと思う。
もちろん誹謗、中傷、捏造、あれこれ集まるだろうがそうしたサイトはこれから役にたつと思う。それにwikipediaがちゃんと機能しているところを見ると、成立性に関してそれほど悲観的になる理由はないように思う。
あるいは「信頼の連鎖」を作るのもいいかもしれない。私の考えでは、おそらく信頼できるジャーナリストとそうでない人はそれぞれのクラスターを作っていると思うのだ。
いつの日か年をとって会社から引退したらこういうのを作るかな。。
2013-11-06 06:47
今のInfinite loop campusに存在しているらしい「謎のEjectボタン」について、表のブログに書きました。
Newtonの失敗については、おそらく多くのことが語られていると思うし、これからも語られるだろう。(もちろん「失敗していない!」という言説もたくさんあると思う)
Newtonの失敗の理由で一番わかり易いものは、表のブログに書いた「新しいものを一度にいくつも製品に盛り込んだこと」である。開発言語とそれを使うアプリを同時に作り出す、というのはエンジニアにとってみれば悪夢のような状態だ。
しかしここでは別の事について書きたい。
Newtonが試みそしてその後何度もトライされ結局物になっていないコンセプトに「手書き入力」というものがある。私の考えではこれは「音声入力」と同じ「嘆きの壁」にぶつかる方向性なのだが、そのことに気がついていない人が多いようだ。それについて少し書いてみたい。
No UI、掲げるのは簡単だ。
たぶんこれまでの歴史で、無数のエンジニアが、デザイナーが、「シンプル」を突き詰めた形としての「No UI」というコンセプトにはたどり着いただろう。
誰だってシンプルにしたい。
UIなんか、できるだけ自然な方が良い。
via: Fly me to the enchantMOON 僕がenchantMOONと出会った日 - UEI shi3zの日記
「UIなんかできるだけ自然な方が良い」
これは力強い言葉だ。そして「自然」という言葉について深く考えない人は
「そうか!じゃあ人間の思考を手書きや音声で入力させれば自然なUIが実現できるね!」
と喜ぶ。実装を始めるとなかなかうまくいかない。しかし
「いや、これはまだ実装の精度が高まっていなからで、精度を高めればこれはいいものになる!」
と言い続ける。そしていつのまにかその製品はどこかに消える。そうしたことはもう過去に何度も繰り返されている。
手書き認識や、音声認識の精度は高まり続けているのになぜこうしたことが繰り返されるのだろう?
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画面にボタンを配置し、それをタップさせる。これは偉大な発明である。(誰がいつしたかの議論についてはよく知りません)しかし人間は突拍子もないことを思いついたり、メニュー階層のかなたにある機能を使いたい、と思ったりする。では◯◯認識を使いましょう。
しかし
◯◯認識を使って「自然なインタフェース」を実現する
という言葉には実は2つの問題が潜んでいる。
問題その1:人間の入力をコンピュータに認識させる
問題その2:認識させた結果からコンピュータに「人が望む動作」を行わせる
「精度を上げればいいものになるんです!」と言い続ける人はこの「問題その2」に気がついていない。やっかいなことに問題その2は問題その1よりはるかに難しく、かつ誰もその「嘆きの壁」を突破する方法を見いだせていない問題なのだ。
具体的に書こう。画面からGUIを除き、「なんでも書いてください」「なんでも声で言ってみてください」と言う。一見ユーザインタフェースが消えたように見える。
しかしそうした認識は間違いだ。実はユーザインタフェースは「何もない画面」の向こうにおいやられただけで、GUIの時と同じように存在している。どういうことか?つまりコンピュータは依然として予めプログラムされた命令しか認識出来ない。
GUIはその「この命令を受け付けることができますよ」というのを画面にちゃんと表示している。だからそれを押せば対応する動作が行われる。
しかし◯◯認識に頼った瞬間、ユーザは「どういうコマンドならコンピュータに受け付けてもらえるのか」ということを知っているか、あるいは推測しなければならなくなる。つまりUIはなくなったのではなく、隠されただけだ。例えばAppleのSIRIは「新着メール」と言えば「未読メールはありません」と答えてくれるが「新しいメールは?」と聞いても「誰に送信しますか?」と言ってくる。ここでユーザは「新着メール」という言葉を推測、または記憶し、正確に発音する責任を負わされたことになる。
つまりこうした◯◯認識を用いたUIは無茶苦茶に不自然なのである。ユーザはコンピュータがどのコマンドを、どういう言葉で受け付けるかについて事前に知識を持っており、かつそれを正確にコンピュータにわかるように出力(手書きでも、音声でも同じことだが)しなければならない。それはあたかも「ひらけゴマ」と正確に発音しないと開いてくれない洞窟のようだ。
人間はこうした◯◯認識の観点からすると、コンピュータにとても及ばない能力を発揮する。音声認識で有名な例だが食事をする場所で「僕はウナギだ」と発音した場合、「あなたはウナギなのですね。人間かと思っていました」とはいわない。コンピュータにこういう応答をさせよう、という試みは多いが、今のところ超えられない「嘆きの壁」となっているようだ。そしてそれを超える「聖杯」をみつけたという話は聞かない。
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この「問題その2」の存在に気が付かない(あるいは学ばない)人は何度もこういう試みを繰り返す。そうした試みは傍からみていてあまり興味深いものではない。
足りないのは熱意でも、資金でも、与えられた課題をとくためのプログラマの腕でもない。そもそもの考え方が間違っている i.e. 問題2の存在に気がついていない。
こうした試みはクリミア戦争における軽騎兵の突撃や、フレデリックスバーグの戦いのようなものだ。正面から何の工夫もなく突進しても虐殺されるだけ。帝国陸軍じゃあるまいし、そうした行為に価値を見出すことは難しい。もっともこれは私の考え方であり、そうした突撃が「勇壮で勇敢だ」と賞賛する人もいるだろう。あるいはそうした「難しい問題に全力で取り組む自分って素敵!」と満足感を得られる人もいるかもしれない。
もちろん「問題その2」の問題が存在することにちゃんと気が付きそれを越えようという試みも(あまり多くはないが)ちゃんと存在している。そうした挑戦にはいつも興味を覚える。最近そうした試みの数が減っているように思うのだが、きっとこれは私の勉強不足のせいだろう。
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というお話を、いつまでたっても「電子自費出版」のめどが立たない「ユーザインタフェース開発失敗の本質」に書いてるんですけどね。。いつになったら表に出せるんだろうか。
2013-11-05 06:56
飛行機にのると、必ず出発前に安全上のインストラクションが行われる。それは完全にルーチン化しており、初めて飛行機に乗った人以外誰も見ていないと思う(私は結構好きだが)
しかし義務だからやらなければならない。ビデオがあればよいが、ビデオがついていない機体ではキャビンアテンダントが実演しなければならない。きっと何十回も何百回も練習したのだと思うが、義務だからやっている感ありありである。
こういう「誰もが当たり前だと思っている」ところに気がつけば、いろいろとイノベーションのネタがある、、と他人ごとのように書いてみよう。いや、このビデオがとても気に入っただけなのだけど。
いや、楽しい。あるいはこのビデオをみてエンターテイメント分野における日米の絶望的な実力差に思いを馳せるのもいいだろう。日本だったらまず間違いなくどっかのお笑いコンビがでてきて、つまらないギャグを交えた説明をして終わりだ。(あるいは私の感覚がずれているだけかもしれない)
ミュージカルビデオが即ち顧客サービスのレベルの高さを意味するわけではない。しかし乗客を単に利益をもたらすものと考えていて出てくる発想でないことは確かだろう。
Virginのやり方は、顧客との新たな関係性を求める企業の動きの一例と考えることができる。同様の動きを見せている企業としてはTesla Motorsがある。(中略)Teslaは第一に「人々が運転したくなる車」の実現を目指している。何よりも「顧客へのアピール」を最重要課題として考えているのだ。
via: Virgin Americaが制作した機内安全(ダンス)ビデオがYouTubeで人気上昇中 | TechCrunch Japan
こう聞くと、働いたことがない人は「当たり前のことだ」と思うに違いない。しかし少うとも私にとってこれはとてつもなく難しいことだ。短期的な収益は数字ででてくるし、わかりやすい。かくして
「そんなビデオ作成に大金をはたいたとして、どれだけのリターンがあるか合理的に説明してくれ」
という言葉の前にイノベーションは消えていくことになる。
その企業が「どんな企業か」というのはコーポレートスローガンが語るものではなく、その会社が提供しているサービス、製品からにじみ出てくるものだと思う。少なくとも私なんぞはこのビデオを見ると
「機会があればバージンに乗ってみるか」
と思うのだが。