PS4でソニー復活!

2014-02-24 07:26

日本でPS4が発売されたのだそうな。ライバルとなりうるXBOX Oneにいたってはそもそも日本で発売されるのかどうかもわからない状態だ。

すごいぞ!ソニー。日本のゲーマーを独り占めだ!などとは誰も思っていないのだろう。

午前8時30分の段階で、列は約40名。そのうち30名が発売記念イベントに参加できることになっている。はたして、販売予定数100台に達するのは何時になるのだろうか。

via: 【PS4行列】始発組合流でイベント参加定員に到達 / 午後には販売分の100名に達する見込み | ロケットニュース24


結局誰も熱狂していないのである。いるのは報道陣とマニアだけ。最初に購入したのは「この人」だったらしいのだが、この異様な姿ははたしてソニーの宣伝になったのだろうか。それとも現在ゲームコンソールが置かれている状況を的確に表しているのだろうか。

さて、ゲームビジネスは隙間に押し込められた状況だが、携帯電話はどうだろう。サムソンがTizen搭載サムソンGear2を発表したのだそうな。

サムスンは、MWC 2014に合わせ、スマートウォッチ「 Gear 2 」と「 Gear 2 Neo 」を発表しました。昨年9月発表の Galaxy Gear の発表から約半年で登場する最新スマートウォッチは、Android OS からTizen OSへとプラットフォームを乗り換え、4月にも世界中で販売します。

via: サムスンがTizen搭載スマートウォッチ Gear2 を4月発売、カメラ非搭載の Gear 2 Neo もラインナップ - Engadget Japanese


こちらにもすさまじい「どうでもいい」感が漂っている。というか初代Galaxy Gearを買った人はたった半年で「死亡宣告」を食らったわけだ。まあ普通の人は買っていないだろうが。

いやいや、最近熱いのは、車の情報化だ。(そんな話はもう15年も前からでているが)その道の先駆者FordがとうとうMicrosoftに見切りをつける、という噂がでている。

Ford Motor Co., struggling with in-car technology flaws, will base the next-generation Sync system on BlackBerry Ltd.’s QNX and no longer use Microsoft Corp.’s Windows, according to people briefed on the matter.

via: Ford Sync Said to Drop Microsoft in Switch to BlackBerry - Bloomberg


こちらはまだ本当かどうかわからない。(というかQNXがBlackberryの持ち物になっているということを初めて知った)私見ではいずれにせよ車に搭載した情報機器は、車の制御に近いものだけに縮退すると思う。インフォテイメントとかはもはやスマートフォンが担う分野なのだ。

とはいっても、自動車メーカーはその現実から目をそらし続けるだろう。そして少なくとも数年は無駄な努力を続けるに違いない。自動車会社のそうした努力にうまくつけこめば、その間だけは大きなビジネスをすることができるだろう。彼らの意思決定は例えばGoogleやFacebookのそれとは全く違うプロセスで行われる。「ブレーキをかけ始めてから完全に停止する」間にものすごい額の金が撒き散らされるのだ。

今日は不思議なことに、こうした「緩やかな死」の話しをいくつか聞いた。「新しい分野の誕生」の話はいつ聞けるだろうか。


従業員50名の会社の価値:1.9兆円

2014-02-21 07:24

昨日私が見ているNews feedはFacebookによるWhatsAppの買収でうめつくされた。

その額がどうとか、Facebookの戦略がどうとかは好きな人に考えてもらえばよい。私が衝撃を受けたのは「4つの数字」だった。

Facebookが買収することが発表されたWhatsAppに関する4つの数字。
アクティブユーザ:4億5000万人
エンジニアの数:32人(エンジニア一人あたりアクティブユーザ数:1400万人)ちなみに社員数は50名。
ユーザが払うコスト:$1/year
マーケティングに費やしたお金:$0

基本方針
No Ads!(広告は表示しない!)
No Games!(ゲームは提供しない!)
No Gimmicks!(ギミックなし!)

Facebookが買収する金額:1兆6000億円(160億ドル)

引用元

上記は私が社内のSNSに投稿した内容。(1.6兆と1.9兆円と2つの数字があるが気にしない)

この数字が何を意味しているかわかるだろうか?

この会社にはマーケターもPR担当もいない。たった32名のエンジニアを含む50名の会社が1.9兆円の価値を持つと評価されたのだ。

第一にこれは「文字通り」一騎当千だということだ。この額はソニーの時価総額より10%程度大きいと言う。(引用元)まあ同じだとするとソニーの従業員数(関連会社含まず)は約15,000人。無茶苦茶な計算だが、WhatsApp一人の従業員はソニーの従業員300名に値する。(ソニーの関連会社も含めれば一人あたり4000人以上に相当)

そんな怪しげな計算をしなくても、アクティブユーザ4億人以上のサービスを32人のエンジニアだけでマネージしていると聞けば、IT方面の人は卒倒しかねない。NTTデータに派遣されていたときは、紙の仕様書を作るだけで、10名以上のエンジニアが座っていた。(そして半分以上遊んでいた)

これが先日書いた「プログラミング能力で世界で戦う」という意味だ。この会社にやとってもらう力があれば、世界中どこへいっても仕事が見つかるに違いない。

「Javaで書こうが、Cで書こうが、COBOLで書こうが、そこに価値の本質はないから。」

真顔で公言できるような人が働いている会社では雇ってもらえないだろうけどね。(ちなみにErlangを使っているそうだ)

もう一つ。Steve Jobsが言っていたと言われる「少しのことを徹底的に上手に行う」戦略の成功をこれほど雄弁に物語っている数字はないと思うからだ。「付加価値」を提供しようなどという寝言はこの会社に存在しないのだろう。

貼ってある標語

引用元

ただメッセージングサービスを磨き上げる。それだけで彼らはこれだけの価値を作り上げたのだ。マーケティング戦略がどうとか、広告宣伝戦術がどうとかM1層がどうとかは一切関係ない。

誰もが日常使っていながら、誰もが(無意識のうちに)不便を感じている。そうしたサービスを徹底的に上手く行う。それだけのことがこれだけの価値を生む。この買収劇が意味するところは巨大だ。

書いていてぼんやり思い出す。2000年頃、いろいろな検索エンジンを使ってあちこちの情報を集めていた。(当時はいろいろな検索エンジンがあったのだ)そのうち一つの検索エンジンが妙に良い結果を返してくることに気がついた。ただその検索エンジンの名前をどう発音するのかわからない。問い合わせ窓口に聞いてみたら

「グーグルです。みんなに宣伝してくださいね」

とメールが帰ってきた。そして当時も「検索エンジン競争の時代は終わり、これからはポータルとしてどれだけ付加価値をつけられるかが勝負だ」と声高に主張していた人もいた。


iPad-mini-miniに関する初めての情報

2014-02-20 07:17

次のiPhoneが4.7インチと5.5インチになる、という情報はそこかしこにあふれている。しかしそもそも

「なぜAppleは2種類の画面サイズで、次のiPhoneを出そうとしているのか」

については碌な考察を観たことがない。一週間前、そうした疑問について書いたが、今日初めてそれに関する噂を目にした。

What is much less likely, is what the Economic Daily News says next. It claims Apple will not name the larger ~5.6 inch device an iPhone. According to their information, Apple will treat this form of iPhone as an ‘experimental’ product and not use the iPhone name.

via: Taiwanese report reiterates 4.7 inch and 5.6 inch iPhones incoming, claims larger model will not use iPhone branding | 9to5Mac


Econimic Dailyが次に伝えたことはあまり信じられない。Appleは5.6インチのデバイスをiPhoneと呼ばないとのこと。情報によればこのサイズのiPhoneは実験的な性格を持つものであり、iPhoneという名前は使わないらしい。


9to5 Macは「こんなことはありそうにない」といくつも理由を述べている。しかし「じゃあなぜAppleは2種類の画面サイズを出そうとしているのか」という疑問には誰も答えられない。該当記事のコメント欄を見ると

・iPhone Air

・iPhad

・iPod Pro

・iPodTouch

・iPad Nano

とかネーミングの案があれこれでている。(こういう時に自分のネーミングセンスのなさを痛感する。iPad-mini-miniよりiPad nanoのほうがはるかにそれらしいじゃないか)

仮にAppleがiPhoneにはより大きなディスプレイが必要だと判断したとしても、それが5.5インチ以上になるとはとても思えない。それ故仮に5.5インチディスプレイをもった「何か」があるとしてもそれがiPhoneと呼ばれない、という説には説得力があると思う。じゃあそれはなんなのか?自分のセンスがないのを承知でいくつかあげてみよう。

iNote

iMemo

iBook(すいません)

iBag

iMan(ほれ、某JobsはiMacをMacManにしろとか言っていたようだから)

しかしあれだよね。現在7インチのiPad miniがあり、iPhoneが4.7インチになるとする。その中間点にある製品はなんのために存在し、何を売りにするんだろうね。



大企業がベンチャーに会うとき

2014-02-19 08:12

あまり知られていないことだが、日本の名だたる大企業はベンチャー企業への投資に「積極的」である。昨年行われたTechcrunch Japanでもこんなセッションがあった。

トークセッショ「先駆者が語る『大企業はなぜスタートアップに出会いたいのか?』」
江幡智広氏(KDDI 新規ビジネス推進本部 戦略推進部長 兼 KDDI∞Labo長)× 種田慶郎氏(フジテレビジョン コンテンツ事業局 ゲーム&インキュベーション事業部長)× 西田隆一氏(B Dash Ventures シニア・インベストメントマネージャー)

via: タイムテーブル | TechCrunch Tokyo 2013 | TechCrunch Japan


正直このセッションを聴くまで、あのフジテレビがこんなことをやっているとは知らなかった。とはいえ驚きはそこまでで、セッションの自体は実に退屈だった。全く聞かないで議事録を書いていたと思う。そう考えたのは私だけではないようで、この時間帯にこういうTweetがあった。

Half of the audience is asleep

via: Twitter / Mona: Half of the audience is asleep ...


日本の大企業とベンチャーはあまりにも目指しているもの、文化が異なる。NTTソフトウェアと一緒にするとフジテレビとKDDIから怒られるかもしれないが、2000年のITバブル絶頂期にいくつかの米国のベンチャーと会った。その時の電電公社社員の態度は実に印象的だった。

どう印象的だったか?国は少し異なるが「とても懐かしい」例を見かけたので以下に引用する。

Encircled by 20 Samsung executives, Rubin pitches the Android idea relentlessly, but instead of enthusiasm and questions, the only response he gets is dead silence. Then, Samsung’s team of high-ranked executives voices what seemed obvious then:

“‘You and what army are going to go and create this? You have six people. Are you high?’ is basically what they said. They laughed me out of the boardroom. This happened two weeks before Google acquired us,” Rubin later recollects.

via: Did you know Samsung could buy Android first, but laughed it out of court?

勝手な訳:20人のサムソン役員に取り囲まれ、RubinはAndroidのideaについて情熱的に語った。しかしその反応は「情熱的で、かつ多くの質問」ではなく「冷たい沈黙」だった。そして高位の役員がこう言った。
”どんな軍団がこれを作ってくれるんだね。君たちたったの6人だよね?”
彼らは我々を笑い者にして会議室から追い出した。その2週間後Googleは我々を買収した。


プレゼンをするために遠くから呼び寄せ、その上で笑い者にする。そんな光景を何度か観たような記憶があるが定かではない。しかしこの文章を読んだ時まず頭に浮かんだのは電電公社のエライさんたちのベンチャーに対する態度である。考えようによっては、サムソンは小さなAndroidチームのプレゼンを役員で聞こうとしただけ「素晴らしい」と言えるのかもしれない。大企業とベンチャーの接点ではこんなことが日常茶飯事なのだと思う。



プログラマーに必要な英語力

2014-02-18 07:14

その昔、私がOSF Motif(知ってます?)でGUIをごりごり書いていた時、一冊の本を頼りにしていた。何がわからないことがあれば、すぐその本を開いた。

今や世の中はすっかり変わった。今の会社に来てから、iOSのプログラミング及びWindows WPFでのプログラミング、Rubyでのちょこまかしたプログラミングに手を染めることになったのだが、本を一冊も買っていない。ほとんどの情報はインターネットから得ている。

正直言えば本を買ったほうがいいと思える場面もあるのだ。しかしそもそもその本が最新の情報を載せているかどうかわからない。つい先日も

「何?Mac OS, iOSに形態素解析機能が標準でついたって?」

と驚いたばかりである。(Gorotteなるものを作っていた時には、Mecabとプログラムをつなぐだけで一週間は格闘したものだが)かくのとおり使っている技術の進歩は激しい。であれば、情報の鮮度を確認できるインターネットに頼ることになる。

さて、いきなり話は英語に飛ぶ。英語くらいしゃべれなくちゃね、という人は多いし、未だに電車の広告で英会話学校は大人気だ。では実際仕事でどの程度英語を使うか?プログラミングを除けば、年に一回あれば多い方である。つまりほとんど使わないのだ。じゃあ(英会話学校の宣伝文句は別として)なぜ英語を学ばなくてはならないのか?

この問題に今なら回答することができる。私は確信している。プログラムを書く人間にとって

「Stackoverflowの内容を理解できる英語力は必須。質問を書いてある程度の文章での会話ができる能力もあったほうが望ましい」

であると。

それくらいStackoverflowの内容というのは、多岐にわたっている。何か変なことに突き当たった場合、まずstackoverflowで検索をかける。それででてこなければ、多分こちらが何かとんでもない間違いをしているのだ。それくらいほとんどの「問題」は網羅され、回答が記載されている。しかも信頼できる人たちのレビューシステムが完備しており、Yahoo知恵袋のように、聴く方もゴミなら、回答者もゴミ、などという状態がはびこり続けることはない。ゴミのような回答は点数がどんどん下がるのだ。

先日そのStackoverflowがダウンしたらしい。その時のプログラマー達の言葉を聞こう。

Stack Overflowダウンのニュースは、日曜日の西海岸時刻午前11時頃からTwitterやHacker Newsで広がり、1時間ほど続いた。予定していた日曜のコーディングセッション中にサイトをアクセスできなくなったプログラマーたちの、うろたえた(かつユーモアに富んだものも多い)コメントの数々は、同サービスがいかに多くの人々にとって重要であるかをものがたっている。

via: Stack Overflowのダウンで世界中のプログラマーがパニック(復旧済み) | TechCrunch Japan


でてくる言葉は

「Stackoverflowがダウンした。今日は仕事やめ」

「日曜日に出勤したのに、Stackoverflowがダウンしている。パニック!」

「Stackoverflowが復旧した。また働かなくちゃ」

これくらい現在のプログラマーにとって必須の情報が満載である。

であれば、Stackoverflowを「僕英語苦手なんで」とかいう人間はプログラマーとして失格。何かの理由でプログラムを書くとすれば、Stackoverflowが読めるだけの英語力は絶対に必要。会話能力はまあどうでもいいです。



常識と付き合うこと

2014-02-17 07:11

常識というのは偉大な代物だ。子供の様子を見ていると、大人になるとは定義の曖昧な常識というものとのつきあいかたを覚えることではなかろうか。

いろんな世界に常識が存在するのだが、年をとるとその常識があっというまに覆ることを何度も目にすることになる。確かに常識は大切だが、それが間違っている可能性にも常に目を向けておかなくてはならない。

これは1932年の冬季オリンピックの様子。一分すぎあたりからみると当時のジャンプ競技の様子をみることができる。

この頃のジャンパーはほとんどが着地後に転んでいる。しかし私が指摘したいのはそこではない。誰もが手をぐるぐる回していることに気がつくだろう。

私が小学生の頃よんだ「冬季オリンピックの秘密」とかいう本には、「ジャンプには2つのスタイルが有り、踏切後に手を前に伸ばすスタイルと、体の横につけておくスタイルだ」と書いてあったと記憶する。このころは「手をぐるぐる回さないと飛べない」と誰もが「知って」いたのだ。

そのあとニッカネンというのがでてきて、彼はスキーを前方でクロスさせていたように記憶している。ニッカネンはほとんど無敵でそのころは「なるほど、こうしなければ飛べないのか」と思っていた。そして多分真面目な顔で、「スキーをこの様に交差させるんだ!」とか指導していたのだろう。

そして最近は先端を開き、かつ少しスキーをひねるのがよいことになっている。かくのとおりコーチがどれだけ真面目な顔をして「常識」を説こうがそれが正しい、という保証はない。

しかしスキーのジャンプにおいてこのように「常識」が覆ってきたのは、その「成果」が飛距離という客観的な指標で計測でき、かつ誰の目にも明らかだからに他ならない。そうした客観的な指標が存在しない世界では狂ったような常識がいつまでも生き続ける。そしてその常識を身につけた人間はそうでない人間をそれ故にののしることすらできるのだ。

そうした世界では上司は「お前のジャンプは、手の回し方が足りない!」と怒鳴っているのだろう。そんな光景がぼんやりと思い浮かべられる。


iPhone6に関する様々な情報

2014-02-16 10:08

というわけでiPhone6である。私はiPhone4Sでとても幸せにくらしているが、それとは関係なく新しいiPhoneは毎年登場する。表のブログにも少しそのことは書いた。

iPhone5で大きくなった画面だが、iPhone6では再び大きくなることがほぼ確定事項として語られている。未だに私を困惑させるのは、大型画面が2種類のサイズで登場する、という噂だ。たとえば画面のサイズだけ今のiPhoneデザインにあてはめるとこんなようになる。

想像図

引用元:MacRumoros

こうなると5.5インチのiPhone6はiPad miniと区別がつかなくなってくるし、なんのために存在しているのかよくわからない。サムソンが切り開いた「ファブレット」なる名前をAppleが使うとは思えないし、これは一体なんなのだろう。iPad-mini-miniのような存在なのか、それともあくまでもiPhoneなのか。4.7inchとの差はなんなのか。

例えば「iPad-mini-miniはバッテリが24時間持ちます」とかだったら話はわかる。携帯性は劣るけど、丸一日バッテリが持つことでポケットにはいるiPhone6とは違う使い方ができる、とかそういうのであれば。

さて話しを戻そう。画面を大きくするためにはどうすればよいか。しかし一方でサイズを制約する要素が2つあり

・大画面すぎると親指が届かない

・大画面を搭載すると全体が大型化する

論理的かつ技術的に可能と思われるのは、ディスプレイ以外の領域をできるだけ少なくすることだ。

スクリーンの比率

引用元:9to5 mac

このように並べてみると、iPhoneはAndroidのスマートフォンと比べ、全体の中で画面の占める面積が少ないことに気がつく。

iOS7のデザイン指針に従えば、重要なのはコンテンツであり、他のコントロールはできるだけ少なくすべき、ということになりハードウェアの面で意味するのは

「全面ディスプレイ化」

となる。とはいえホームボタンとタッチIDをなくすことはおそらくできない。また耳に当てた時のスピーカーとフロントカメラもなくすことはできないだろう。

じゃあどうする?

一つの方法は、左右のベゼルと上下のエリアを極限まで小さくすることだ。LG G2は既にディスプレイの比率が72.2%になっているという。どんなにかっこいいのだろう、と見てみたがあまりかっこよくない。実は今のiPhone5のままでもなんとか4.7inch画面はおさまるのだが...

やっつけ

引用元:MacRumorsのイメージを元に合成

こんなんである。上部のスピーカーはなんとかなるだろうが下部のTouch IDがなんともならない。というわけでいくつかクレージーなideaを並べてみよう。

・ホームボタンを裏面に配置する。だってどっちにしたって持って使うんだから、裏でもいいじゃないか!

・ディスプレイを横からみたとき、上方向に湾曲させる。スピーカー、ホームボタンなどは、湾曲したディスプレイの上に配置する。

・全面ガラスのディスプレイにして、スピーカー、カメラ、ホームボタンはそこに穴を開けて配置する。アプリ製作者は、ホームボタンを避けてデザインしてね。

とか並べてみたところで、やはりうまくいきそうにない。結局は「偽物」と識別されたこの写真のような外観になるのではなかろうかな。

偽物iPhone6

しかしこれでも5.5inchの存在意義は謎のままである。さて、何かが判明するのは6月か9月か?


学生にプログラミング教育をする意味(絶望編)

2014-02-13 07:01

さて、私は以前「大学でプログラミング教育一生懸命やっているかもしれないけど、会社では”ソースを一行も書かない人間”が”ソフトウェアシステム”を開発して、しかもソースと格闘している人間より高い給料をもらっていることが多い」と書いた。過去の話については聞く価値のあるこの人もこう言っている。

特に理工系の修士号取得者。日本では大学を出て大手企業に入ると、そこではほとんどプログラムを書かない。仕様書は作り、ドキュメントも書くけど、実際のコードを書くのは子会社や外注やその下請けの人たち。僕はこういうのを「ゼネコンスタイル」と呼んでいます。

via: 未明の2時間半。一心不乱にコードに集中 ──中島聡流プログラミングの流儀 #OpenGL|CodeIQ MAGAZINE


なるほど。日本で碌なソフトウァが作られない理由はこのゼネコンスタイルにあるのか。ではやっぱり大学でプログラミング教育をちゃんとしなければ!となるかといえば話はそれほど単純ではない。

米ケンタッキー州議会上院がコンピュータプログラミング言語の単位を外国語の必修単位として認める法案を可決しました。

via: これはアリ?ナシ? プログラミング言語を外国語の必修単位として認める法案、米州で可決 : ギズモード・ジャパン


このニュースがもつ意味がわかるだろうか?

プログラミング言語は「世界共通言語」になりうるのである。もっと言えば

第一外国語:英語

第二外国語:Objective-C(しつこいようだが、私はApple原理主義者なのだ)

これが何を意味するかわかるだろうか?

上記の条件を満足する人間は、世界中に存在しうる。であれば、上記のスキルはいやがおうでも「世界での競争」にさらされる。生活費も給料も高い日本に住む人間はこの点で大きなハンデを背負っている。自分がベトナムで同じプログラムを書くスキルを持っている人間に対して、3倍の給料を要求することを正当化できなくてはならない。

こう聞けば日本のSI屋はこう言うだろう。

で、お客からしたら技術の中身なんかぶっちゃけどうでもいいんです。Javaで書こうが、Cで書こうが、COBOLで書こうが、そこに価値の本質はないから。

via: コーディング技術にこだわり過ぎるとITエンジニアの地位は向上しない - プロマネブログ


「技術の中身なんかどうでもいい」と公言できるSi屋はすごいなあと思うが、一つの方法はこの人が言っているような「ビジネスを作り出す力」という虚構にすがって高い給料をふんだくるやり方である。あるいは「仕様書さえちゃんと書けば、ソフトウェアは外注すればいい」とも言える。価値があるのは仕様書なのだ。

引用先の文章は見事なもので、何を言っているかさっぱりわからないが、なんとなく「すごい事を言っている」と(人によっては)だますことができる。こういう才能に磨きをかけることは一つの方向ではある。

そうでなければ

日本でプログラムを書く人間は常に「3倍の給料を正当化するだけの技量」を念頭に置かなければならない。第2外国語にObjective-Cを選んだ時点で、世界の土俵に立っているのだ。

となると

結局日本でソフトウェア関係の仕事をしてご飯を食べようと思えば

・日本特有の「大企業」あるいは「上流工程」(笑)で書類を量産し虚言を振り回し「ソフトウェアを作ってます」と言う。

・世界で戦えるコーディング能力、もしくはコーディング能力と結びついた解析、提案、デザイン能力を身につける。

のいずれしかないことになる。となると大学でプログラミングを教える意味ってなんなんだろうね。もちろんそのうちの数%はプログラミングの力で世界で戦っていけると思う。残りの90%以上の人には何の意味があるのだろう。


Windowsがモデルにするべき製品

2014-02-12 07:34

最初は災難と思えることでも、いい側面は必ずあると信じよう。Apple原理主義者の私だが最近はWindows8.1上でプログラムを書く時間が長い。XAMLというやっかいな発明に付き合うのはつらいが、自分が使ってこそWindows8がなぜこれほど評判が悪いのか実感することができるし、ブログのネタにもできる。

しかしながら、もうそうした日本法人側の努力でなんとかする段階は過ぎてしまったのかもしれない。ソニーという、Appleと並んでイノベーティブなPCを世に問うてきたブランドを失うことの意味は、改めて筆者が指摘するまでもないだろう。もはやこれは、レベルレッドの非常警報が両社の本社内で鳴り響く段階だと筆者は思う、

via: 【笠原一輝のユビキタス情報局】ソニーがMicrosoftとIntelに突きつけたレッドカード - PC Watch


しかしながら、日本語で読んでいる限り、こういう狂ったような文書にしか出会えないのが残念だ。というわけで最近私のRSSリーダーの一覧画面は英語のものが半分以上になっている。その中で面白いものがあったので紹介したい。

Everyone likes to compare Apple or the Mac to BMW and, you know what? Fair enough, and if that's true then Windows is obviously GM, the overly-big messy GM of a decade ago. But Microsoft can't afford for Windows to be like GM anymore—just like GM couldn't, for whatever that's worth. Maybe Windows needs to be more like GMC, the part of GM that only makes trucks (and truck-based SUVs). After all, while many people choose to use a truck for basic transportation, they're really designed and optimized for work. You know, as should be Windows.

via: What the Heck is Happening to Windows? | Windows 8 content from Paul Thurrott's SuperSite for Windows

てきとうな訳:AppleやmacをBMWに例える人は多い。それは妥当だと思える。もしそうなら、WindowsはGMである。一昔前の巨大化しすぎて複雑になったGMだ。そしてGMのようなWindowsはもう持たない。GMがもたなかったように(訳注:GMは破綻した)
WindowsはGMCのようになるべきだ。GMCはトラックやトラックベースのSUVだけを作っている。多くの人がトラックを物を運ぶのに使っているが、トラックは仕事をするために最適化されている。そしてWIndowsもそうあるべきだ。

Windowsは仕事を片付けるためのOS。そう徹するのが正しいと主張する。このWindowsはGMCたるべき、という主張は実に正しく思える。

Microsoftの収入


少し前に話題になったこの図だが、Microsoftがどこから収入を得ているか示すチャートである。ほぼ半分がWindows Server,あと企業向けWindows + Officeのボリュームライセンスからの収入である。

Surfaceを作ることで、MicrosoftはAppleの成功モデルに習おうとしているようにも見える。しかし問題はここだ。

The reason this happened is that while Sinofsky had the maniacal power and force of will of a Steve Jobs, he lacked Jobs' best gift: An innate understanding of good design.

via: What the Heck is Happening to Windows? | Windows 8 content from Paul Thurrott's SuperSite for Windows

シノフスキーはJobsのような気違いじみたパワーを持っていた。しかし彼にはJobsが持っていた最良の才能:良いデザインを理解すること:が欠けていた

おそらくはソニーにも存在した暴君、久夛良木の失敗も同じ言葉で説明できると思う。暴君が強大な権限をもつことは話の半分以下でしかない。問題はその暴君が正しい判断をすることなのだ。

さて、トロイカ体勢になったAppleは次の画期的な製品で「正しい判断」をしてくれるだろうか?


自分が身をおく環境について考えること

2014-02-10 07:12

少し前に読んだこの文章。

良いデザインは集団で生起する。 15世紀のフィレンツェには、 ブルネレスキ、ギベルティ、ドナテルロ、マザッチョ、フィリッポ・リッピ、 フラ・アンジェリコ、ヴェロッキオ、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、そしてミケランジェロがいた。 その当時、ミラノはフィレンツェとほぼ同規模の都市だった。 あなたは何人のミラノ出身のアーティストを挙げることができるだろうか。

via: 良いデザインは集団で生起する。 15世紀のフィレンツェには、... - nakano.tumblr


それと最近読んだこの文章

これを、僕は、「育ち」と呼びたいのだ。そして、それを優性な成分と認識して、クリエーティブ・パースンにとって貴重なものと考えたいのだ。ここで言う「育ち」とは、当然、家が金持ちとかは1ミリグラムも関係ない。

今までの人生で、どれだけいいものを見て、どれだけいいものを聴いて、どれだけいいものと接してきたか。

今までの人生で、どれだけ自分のアタマで考え、どれだけ自分のコトバで話してきたか。

今までの人生で、受けてきた愛情の質と量の総体。

というような意味内容を「育ち」と謹んで呼びたい。話がだんだん感じ悪くなってきてるが、ひとつめも、知識・勉強のようなことだけを指すのではなく、年中一緒にいる人、なんとなく近くにいる人、初めて出会うリスペクトできる人、いわばコンテンツとしての人々が決定的な作用を及ぼすことを指す。

via: 彼女は何と何と何と何でできているのか | AdverTimes(アドタイ)

この2つの文章は長年自分の中に潜在的に存在している不満に火をつけてくれる。つまり私はもっと居心地の悪い状況に自分を置くだけの努力をしなければならない、と思うのだ。

今回の都知事選にはいろいろな人が立候補した。どうもそれぞれの人は、それぞれの居場所を持っており、そのコミュニティの中でとても快適に暮らしているように見える。それらが「都知事選」という横一線の環境におかれたとき、人々は様々な判断をするわけだが、そういうことがなければ、彼らはそれなりに幸せなわけだ。

どうなのかなあ、と思っているような人でも多分周りには賛美者がたくさんいるのだろう。その姿を見て何か批判的な事を言いたくなるのであれば、まずは自分の姿を鏡に写してみる必要がある。(いや、私の周りに賛美者なぞいないけどね)

年をとるに従って、ほとんどの場合人は他人の話なんぞ聞いていない、ということに気がつく。聞くことがあるとすれば、それは自分の中に(潜在的な顕在的かにせよ)ある意見を他人が言った場合なのだ。であれば、元から考えているところがかけ離れている場合、会話はほとんど成立しない。というわけでニコニコ「そうだねえ」といって暮らすことになる。平和だ。しかし多分それは間違っている。

自分の何かに不満を感じるとすれば、それが存在する責任も、それを解消する責任も自分にあるのだが、今のところどうすればよいのかよくわからない。



Sonyに関する報道に関して

2014-02-07 07:26

昨日SonがPC事業を売却する、というニュースが流れた。TVも分社化するのだそうな。

そのときの彼によると、Sonyの未来はデジタル画像技術、ゲーム、そしてモバイルにある、と言われた。しかしこの三つのジャンルですら、スマートフォンのXperiaシリーズをはじめとして革新的な製品を次々と出すものの、その業績はライバルのSamsungやAndroidほどには伸びなかった。

via: SonyはVAIOを売却してPC部門のない企業に生まれ変わる | TechCrunch Japan

こうした発表があったときから、これは既定路線だったのかもしれない。

4ヶ月前私はこう書いた。

私は今後ソニーはゆるやかな解体と、家電消滅(カメラ部門は独立して残る)と思っているが、この記事を読んでその確信が高まった。

via: ごんざれふ


誰もがこうした成り行きは想像できたわけだが、いざ現実のものになるとある種の感慨がある。

back in 2001, " Steve Jobs and another Apple executive were waiting for us at the end of golf course holding VAIO running Mac OS" recalls Ando;

via: The tales of Steve Jobs & Japan #02: casual friendship with Sony | Steve Jobs and Japan | nobi.com (EN)


Mac互換機路線をつぶしたJobsが自らVAIOにOS Xを搭載してデモまでしたそのVaioはもはや消滅しようとしている。

Sonyがゲームとモバイルを切り売りするのも遠い先のことではなかろう。今我々はかつて一世を風靡した企業の崩壊を目の当たりにしているのだ。


任天堂へのアドバイス

2014-02-06 19:21

任天堂が3期連続の赤字になったことで、「任天堂へのアドバイス」がネットにあふれている。「俺だったら任天堂の豊富な資源を利用してこうするのに」と誰もが思うらしい。

先日行われた任天堂の「経営方針説明会」は実に興味深い。まず岩田社長は「任天堂が今後も変えないこと」について話した。そもそも任天堂とはなんなのか。マリオやポケモンのIPを持っている会社、とは彼は考えていない。質疑応答ではこう答えている。

一方で、「世の中であれが儲かっているから任天堂もあれをするべきだ」ということを、たった2年ほど前にかなり多くの方がおっしゃっていましたが、今は誰もそのことをおっしゃらなくなったように、今日、「スマートデバイスのゲームをなぜつくらないんだ」とおっしゃっている方が、3年後に同じことをおっしゃっているかもしれないし、おっしゃっていないかもしれません。これに対して、「私たちは違う形で答えを出す努力をいたします」というのが私たちの中期展望の決意表明であると考えていただきたいと思います。

via: 2014年1月30日(木) 経営方針説明会 / 第3四半期決算説明会 - 質疑応答


よそはあれで儲かっているから、と言われても「それは任天堂がやるべきことか」と考え、そうでないと判断すれば手をださない。無責任な「アナリスト」やら評論家やらと経営者はここが違うし、違わなくてはならない。2年前、この世の春を謳歌しこんなことを言っていた会社と人がいる。

DeNAの南場社長がCEDECの基調講演で「任天堂やソニーは、人間でいうと還暦を過ぎている」と挑戦状をたたきつけたそうだ

「日本で過去30年間に生まれた企業が、世界のリーダーに上り詰めたケースはまだないが、その歴史を変えていく」とも述べ、ゲーム業界のリーダーを目指す姿勢を見せたとのこと。

via: DeNAの社長曰く「任天堂やソニーは、人間でいうと還暦を過ぎている」 | スラッシュドット・ジャパン


でもって今日観たのがこのニュース。

ディー・エヌ・エー(DeNA)は2月5日、2014年3月期通期の業績(IFRS)は、営業利益が前期比31.0%減の530億円となる見通しだと発表した。国内「Mobage」でのソーシャルゲーム利用が、利益率の高い内製・協業タイトルを中心に低迷したことが主因。

via: DeNAの今期、営業益3割減に Mobageの内製・協業タイトル低迷 - ITmedia ニュース


というわけで社長業から逃げ出した南場君はどうでもいいから、岩田社長の「次の一手」に期待をしたいわけだ。それが売れるか売れないかは別として「なるほど。そう考えてきたか」と思えるような手がでることだけはあてにしてよいと思う。


MicrosoftのCEO

2014-02-05 07:52

はい。次のMicrosoftのCEOはElopだと自信満々に書いたのは私です。申し訳ありませんでした(誰も読んでいません)

とうわけで次のCEOはナデラなのだそうな。こうやってみるとなかなかふてぶてしい面構えをしてMicrosoftのCEOに相応しく見える。そのプロフィールを紹介するMicrosoftのページも美しくデザインされてい


今からみてわかることがだが、彼が従業員向けのEmailで言っていることは、このSuperBowl2014で流されたCMと符合している。

Why am I here?
I am here for the same reason I think most people join Microsoft to change the world through technology that empowers people to do amazing things.

via: Meet the new CEO: Satya Nadella's email to Microsoft employees | The Industry Standard - InfoWorld


なぜ私がここにいるか?:それはほとんどのMicrosoft社員と同じ理由だと思う。人々が驚くようなことを成し遂げるのを可能にするテクノロジーを通じて世の中を変えたいからだ。

彼が内定するよりずっと前にCMは作成されていただろうから、これは誰かが決めた新しいテーマなのだろうな。というか見返してみたら、バルマーの引退メールにも"empowering customers in the activities they value most"という表現があった。最近のMicrosoftの標語であるか。

いずれにせよ新しいCEOの前には困難な仕事が横たわっている。デバイスの分野でAppleと、サーバーを中心としたサービスの分野でGoogleと競合せねばならず、少なくとも今のところ分が悪い。だからこれくらいは大目に見ようじゃないの。

Satya Nadella in an email to Microsoft employees:

We are the only ones who can harness the power of software and deliver it through devices and services that truly empower every individual and every organization. We are the only company with history and continued focus in building platforms and ecosystems that create broad opportunity.

Sweet Jesus, it only took him a few hours to say something completely insane.

via: Microsoft’s new CEO’s first stupid comment


従業員向けのプロパガンダだからね。


初めてMacに会った日

2014-02-04 07:35

昨日はスーパーボールだった。試合自体は、特にDenverに住んでいる人たちにとってはひどいものだった。開始12秒でSeahowksは得点を入れていた。悪夢というものがあるとすれば、Denverファンにとって昨日のSuperbowlはまさにそれだっただろう。

しかし失望する必要はない。Superbowlは試合がひどくても、ちゃんと楽しめる。各社が大金と長い期間を費やして準備したCMを見ればいいのだ。今年は特に期待が持てた。有名なディレクターが「今年のSuperbowlはいいよ。Macが30週年を迎えることだし」とtweetしていたのだ。

さて、試合が終わりいろいろなサイトに「今年のSuperBowlでの広告」が掲載される。ところがAppleのものがない。これはどういうことだ。しかし失望するにはまだ早かった。前述のディレクターはこうTweetしていたのだ。

Ok so it wasn't a great Super Bowl. Tomorrow's another day.


Lee Clow (@_clow) February 03, 2014 via: Apple continues Mac anniversary celebrations with movie shot on iPhones, edited on Macs [Now live] | 9to5Mac


そして今日このビデオがAppleのサイトに掲載されていたことを知る。

あれから30年が経ったのだ。研究室に先輩が持ち込んだMacを見た日の衝撃は今でも覚えている。電源をいれると、笑った顔のMacが現れるのに驚いた。フォントが変えられるのに驚いた。Mac Paintのなげなわツールに驚いた。何よりも驚いたのは何かの操作をしようとしたとき、ディスクを入れ替えろとMacが何度か表示し「ペロッ」とディスクを吐き出した。言われた通り入れ替えながら先輩がこういった。

「システムが言ってくる通りに操作してれば問題ありませんから」

これが最大の衝撃だった。それまで黒画面に白い文字が表示されるコンピュータばかり使っていた私は、「コンピュータが何故機嫌を損ねているか」を一生懸命推測し、ごきげんをとるのがあたりまえだと思っていたから。

それから30年。今やAppleマークはそこら中に存在し、文字通り人々の生活の一部となっている。

「使いたければ、使い方を一生懸命学んでください」

と言わんばかりのコンピュータはここまで姿を変えたのだ。

This film doesn’t just document the power now in everyone’s hands — it demonstrates it. Every frame was shot with an iPhone, using the same camera millions of people around the world shoot with every day.

via: Apple - Thirty Years of Mac - “1.24.14” Film

このフィルムはただ全ての人の手に(コンピュータの)パワーがあることを示しただけではない。実際にそれをやってみせたのだ。この映像は何百万人もの人が日常使っているのと同じiPhoneで撮影されている。

30年前こんなことが可能になるとはとても想像できなかった。Appleはテクノロジーと現実世界の接点に存在し、現実を世界にインパクトを与える会社だったし、今もそうあり続けている。

過去の全ての時点においてAppleがそうした会社であったわけではない。Detroitの家電量販店で、PC棚の片隅に置かれていたPerformaシリーズの姿は今でも覚えている。そして将来そうした状況がまた訪れないとは限らない。

しかし「素晴らしいテクノロジーを現実世界に開放した時何が起こるか」を示した事は疑いようがない。仮にそれがAppleという会社でなくてもその精神は受け継がれていくに違いないと信じよう。

ここで少し我に帰る。その時私はどこで何をしているのか?評論家のように脇にたってブログを書いているのか?


健康になりたい

2014-02-03 07:04

最初Appleのまだ見ぬ新製品、iWatchの目玉機能は「健康」になると聞いても「ふーん」という感じだった。論理的ではある。今身に付けるデバイスで意味を持っているのは健康志向のものだからだ。

Appleは来(きた)るべきiOS 8で、モバイルデバイスによる健康チェックに革命をもたらす。そのiOS 8でやってくるマーキーアプリケーションは”Healthbook”と呼ばれ、健康とフィットネスとトレーニングに関するすべての情報をモニタし、iWatchがモニタする生命徴候信号も読み取る。9to5Macの筋によれば、大量のセンサを搭載したiWatchは目下、“順調に開発が進められている”そうだ。

via: iOS 8とiWatchでは健康チェックが最大の機能に, Appleの役員とFDAが会談 | TechCrunch Japan


だからといってそれを書いたいか?正直言えばノーだ。人間は確かに健康になることに多大の金を費やす。しかしそれはなぜかといえば

「不健康なことが大好き」

だからだ。歩きながらスマホをいじるのは大変危険なことだが、なぜ人間はそれをやる。背中を丸めてDSの画面を覗きこむのはどう考えても健康的な行為とはいえないが、人間はそれに多大な金と時間を注ぎ込む。

それはどこか日本の家電メーカーがすがっている「エコ」と同じ響きを感じる。つまり政治的に正しいのだが、誰も心の底ではそんなことを望んでいない、という意味において。ただ私にはそれがどの程度の市場規模になり、事業として成立するのか否かまではわからない。

ところが、任天堂まで同じ事を言い出した。

もちろん、疾病になられたみなさんは医療を受けられますから、私達が事業領域とするのは、未病のみなさんに、いかに健康をモニタリングし、適切なご提案ができるか、というものになります。
ただ、健康に良いことは、総じて、何らかの努力が必要である場合が多く、継続は簡単ではありません。多くのみなさんが経験されたことがあるのではないかと思いますが、健康に良いことは分かっていても三日坊主で終わってしまう、ということが起こるのが普通です。ここに任天堂の娯楽企業としての楽しく継続していただく能力、娯楽企業としてのおもてなし能力、そして今回の大きな特徴であるノン・ウェアラブルという構造と、日常に溶け込むユーザー体験によって、この継続の難しさを乗り越えていただけるようにします。

via: 2014年1月30日(木) 経営方針説明会/第3四半期決算説明会 任天堂株式会社 社長 岩田聡


こうなってくると、少なくとも「ブログで取り上げてみるか」ぐらいには感じる。大勝利を収めたWiiが発売されたのは、iPhoneの発表の少し前だった。この両社はまた同じ「成功」を繰り返すことができるのだろうか。

というかあれだね。任天堂がこんなに変わったことを言い出したのに、IT関連のニュースで全然見ない、というのはどういうことだろう。私が見ているニュースソースが間違っているという可能性が一番高いが。