罪は星野監督一人のものではない

2008-08-29 00:00


「平成の牟田口」との評判を確固たるものにしている星野仙一氏である。


オリンピックでの試合を一回も見ていないので(正確にいえば、米国戦の最後の場面だけはみたが)彼の采配がどうの、とは言うまい。



ここで言いたいのは



さて、今日の課題です。この状況で星野氏を弁護するとすれば、どのような方法が適当でしょうか?



である。いや、こんなこと考えても何の得にもならないんだけど、私が考えることのすべては得にもならないことだから。



古来こうした「誰がどう見ても弁護できない状況」におかれた人は多い。幼いころに見た「イノキ対アリの世紀の対決」はその中継を見たものにとっては「どうしようもない凡試合」だった。


しかし試合のVTRを封印し、梶原某が大幅に脚色したマンガを何度も繰り返し描いたことで、私より10ばかり年下の従兄弟などは


「えっ?猪木対アリの試合みたの!すごいなあ!」


と目を輝かせて言った。つまりかの凡試合はいつのまにか伝説へと変貌していたのである。つまり必要なのは「凡試合をやってしまった」と嘆くことではなく、想像力である。


ーーーー


さて問題を星野氏に戻そう。問題は今が2008年だということである。マスメディアを適当にコントロールしておけば、皆が


「日本の野球は強いけど、審判にやられた」


と納得していたころは時代が違うのだ。なんといっても民は直接情報にあたり、会話をするようになってしまったのだから。記録もインターネットのどこかにいつまでも残り続ける。情報操作は難しくなっている。


というわけでハードルはあがったがまだいくつも方法はあると思う。一つの方法は


「罪を散らす」


というものだ。


本家牟田口にこのテクニックを使った例を紹介しよう。



↑の本の中では伊藤 正徳氏が「インパール作戦の敗因分析」と称してこの方法を用いている。敗因は、後方の補給、人事、上部たる大本営にもある、というものだ。いくつかの章をついやして書かれたそれらの分析を読んでいるといつのまにか


「あの時、あの状況であれば、ああしたこともやむ負えなかったのか」


という気分にさせられることに驚く。結局誰がどう悪かったのかあいまいになっていくのだ。インパール作戦中には3人の師団長全部がさまざまな理由で交代してしまった。これを


「部下を掌握できなかった軍司令官である牟田口の責任」


とはかかず


「人事は本来難しいもの。人事で失敗した例は我が国だけにとどまるものではない。人事の妙を得なかったところに悲劇の一因があった」(確か↑の本にはこういう書きかたがしてあった)


と書けば、誰がどう悪いかわからなくなる。



というわけで



「平成の牟田口」を弁護しようとすれば、このテクニックが有効ではないかと思うのだ。誰の目にも惨敗は明らか。しかし


「責任を監督一人に負わせるのは適当ではない。国際試合で成果をおさめようとすれば、関係者全員の密接な協力が必要とされる。(このあと韓国がいかに一丸となって努力したかをさらった書く)今回日本チームの監督、上位組織たるNPB,選手、それぞれが金メダル目指して懸命に努力したのは確かだが、それらの連携に一分の隙がなかったか今後十分に検証する必要がありそうだ。」


と書けばなんとなくどこに問題があったかわからなくなる。をを、我ながらなかなかの名文だ(なんのだ)




あるいは


星野氏が記者会見の時にこれくらいの芸をみせていたらなあ、とも思う。



D



「監督一言どうぞ」


「申し訳ない。その一言です。ベイベッ」



これで何もかも無茶苦茶になり、誰も責任を問おうなどとは思わなくなっただろうに。



ニコニコ動画にみる多様性

2008-08-28 00:00


少し前の話になるが、とあるシンポジウムでこういう発言を聞いた。


「ニコニコ動画は新しいものなど生み出していない。ただコメントをつけるだけで新しくもない」


こうした「よく知らないものに対する決め付け」は私の得意技だ。前にも書いたような気がするが


「声優の声で歌ってくれるパッケージソフト発売」とかなんとかいう見出しとともに、初音ミクの絵を見たとき、同じようなことを考えた。ああ、またこういうくだらないソフトが、と。


ーーー


幸いだったのは、私にしては珍しく「きめつけ」のままで終わらなかった点だ。何かのきっかけで見始めてからはあれよあれよ。ニコニコ動画に爆発する多様な才能には驚かされ続けている。


なぜ改めてこんなことを書いているかといえば、この動画



D


正直に書くが、「ワールドイズマイン」も最初の30秒聞いただけで、放り出していた。そのあとランキングで一位になったのを知り、改めて聞いてみる。ああ、私のバカバカ。なんでこんないい曲を聴き逃していたのか。


この動画はその名曲に、初音ミクをベースのリアルな「女の子」の絵柄をのせたもの。私が安っぽいと感じるアニメーションには非常に形式化された女性の描き方がある。目がと胸と尻が巨大で、二の腕は申し訳程度に存在している絵柄だ。


この動画はそのような絵とは全く異なる。「女の子」の揺れる感情を表しており素晴らしい。


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ニコニコ動画のように、「少しゆるい場」には様々な人が、才能があつまり、それらが触発し合うことによって新しいものが生まれていく。パリに集まった画家たち、あるいは他にもそうした場は過去に存在したのだろう。


ニコニコ動画がそれらと異なるのは、私のような野次馬が非同期かつ勝手にその様子を見ることができる点だ。


いやいや、踊るなんとかに見るなんとか、というではないか。だいぶ前にアップロードした「歌ってみた」だが、ポツポツと再生してくれる人がおり、コメントを残してくれる人がいる。やっぱり見ているだけじゃねえ。


     底辺コラボ計画中


え?何もいってませんよ。幻聴じゃないですか?



映画評:スカイ・クロラ

2008-08-27 00:00


ネタがない日は本家から改変しつつ転載でございます。


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この映画には、プロペラ推進の軍用機がたくさんでてくる。それらは色々な軍用機のかっこいいところを切って貼ったような。 確かに見栄えはよい。しかし所詮それらは妄想の産物である。どうにも薄っぺらい。そして所詮切り貼りだから驚きはどこにもない。


この映画全般にもそんなイメージを持つ。映画の冒頭から、断片的な会話が飛び交い、観ている私は考え続ける。キルドレという言葉は何を意味するのか。この子供っぽいパイロット達は誰と戦っているのか。


映 画を見終わってしばらく考える。永遠に続けられるべき戦争に従事している彼らと彼女達は、年を取らず空戦以外で死ぬ事もない。記憶は次第にぼんやりしてい き、自分がいつからこんなことを繰り返しているのかもわからなくなる。その日その日をただ消費し続けるようになる。それは「老い」という変化がまだ 自分とは無縁のものと思っていた10代~20代の私の姿にも重なる。


しかし同じように繰り返される毎日、などということは決してなく、自らの姿勢によって、、とか制作者は言いたいのかもしれない。そのテーマ自体は共感できそうなものだが、特に斬新とは言えない。そしてその提示の仕方があまりにも稚拙なように思うのだ。


映画の後半私の目には涙が浮かんでいた。あくびがとまらなかったからだ。凝ったわりに迫力のないCG。断片的言葉の応酬が延々続いたかと思うといきなり説明的な演説でストーリーが説明される。その唐突さに唖然とすると、また断片的な言葉が飛び交いだす。


後から考えてみれば、私が考えるところの「この映画で言いたい事」はすべて台詞でペラペラと語られていた。残りは何かと言えば持って回ったやりとりと中学二年生が喜びそうなメカ、思わせぶりな人物、設定だけ。印象としては「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 」に一番近いが、あれより退屈でありながら、不思議な事に腹が立たない。


だから金返せ、とは言わない。しかし観ていて何かを感じたとか、面白かったとも思えない。見る価値は0円といったところか。


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この映画にでてくる「軍用機」-それは震電もどきだったり、FW-190D9もどきだったりA-10もどきだったりJu-388もどきだったりするわけだが-を見ていると、松本氏が書いていたマンガに時々でてきた「こんな飛行機があったらよかったのにな」といったスーパー軍用機を思い出す。


どちらもたしかにかっこうはいい。しかしどこか薄っぺらく見ていると気恥ずかしい思いになるのだ。いや、子供のころとか私も書きましたけどね。時速750kmで20mm,30mm,12.7mmつんで、航続距離は3000kmで、、とか。


そのあと、終戦間もないころに、技術者たちが書いた「航空技術の全貌」という本を読む。



今から見れば、そこに書かれている内容には事実誤認もあるし、間違いもある。しかしそこから感じられるのは、必死に戦った技術者たちの声だ。


そうした生の声をもとに書かれた、ガンダムの仮想解説などを読む。するとやはりどうしようもない気恥ずかしさを感じる。


ええっと今日はオチはありません。



「使う人」のデザイン

2008-08-26 00:00


ここ10-20年で町の風景というものは大きく変わったように思う。何が変化したかといえば「携帯電話」というものが時間でも費用でも日常生活の中で大きな比重を占めるようになったのだ。


f:id:grgr56:20071221115734j:image


文教日本史から引用


その昔「いつでもどこでも好きな情報が手に入れられる」ことが素晴らしいこととして語られたことがあった。実際に使ってみると確かに便利だ。


しかし


その「夢」を語っていた人は、それが町の景観にどのような影響を及ぼすか」考えなかったのだと思う。



猫背で手元をのぞきこみ、せわしなく親指を動かし続ける人たちの群れ。



これが


「豊かで明るい未来の街の姿」


なのだろうか?


iPhoneを使っていると、せわしない親指の振動は避けられる。しかし猫背になるのは相変わらずだ。


それでなくても情報機器を用いている時、思わず前のめりになってしまう姿というのは客観的にみて非常にみっともない。特にLexusなどの高級車に乗っている人が、前のめりになってカーナビを操作しだしたら、それだけで全部台無しだと思うのだが。


であるからして


「使用者の姿勢、それが置かれる風景」


もデザインの考慮に入れるべきである、と主張したい。そのためにも先日のエントリーで書いた


「あえて情報機器の姿を入れず、それを使っている人のイメージを用いる」


という手法は有効ではないかと思うのだ。



駄目なはてなブックマークつけかた講座

2008-08-25 00:00


さて、本日は「駄目な"はてなブックマーク"のつけ方」について学びましょう。おや、誰も出席者がいないようです。しょっぱなから駄目ですね。


今日の題材はこの記事です。


メダルを逃した野球日本代表の星野仙一監督は、「結果はそのまま受け止めないといけない。われわれに力がなかった。日本で金メダルを待っていたファンの方々に申し訳ないという気持ちでいっぱい。たまたまこの期間だけ調子が悪かったと思っている。日本の野球はこんなもんじゃない。選手は必死にやってくれた」と話した。

「この期間だけ調子が悪かった」"惨敗"に星野監督強がり? - MSN産経ニュース



この記事にブックマークコメントを書くのが今日の課題です。おっとさっそく手があがりましたね。(と自分で黒板に書き出す)





「指導者として一番言ってはいけないこと」




はい。良いですね。しかしよく考えてください。この講座は「駄目な"はてなブックマーク"」をつけることが目的です。「良い」ブックマークはお呼びじゃない。


この記事を読んだ人10人が10人考え付くことを書いても「駄目」と名乗ることはできません。


この題材のように「誰もが同じことを考えるであろう」記事はとても難しいのです。脊髄反射的に誰もが気がつく点を書くだけではいけない。それは「良いコメント」であってわれわれが目指すべき「駄目なコメント」からはかけ離れているのです。


では先生の考えたコメントを書いてみましょう。




「負けたのは海軍のせい。陸軍は負けていない。本土決戦になれば目にもの見せてやる!」




自分で言うのもなんですが、少しひねってはいます。しかしひねりが足りない。半回転ぐらいでしょうか。しかも帝国陸軍にあてこすることで、代表監督への批判も見え隠れします。これではまだ「駄目」とは言えない。誰もが考える批判をとおりすぎたところに着地してこそ「駄目なコメント」といえるのです。


では最も素晴らしいと先生が思うコメントを紹介しましょう。




「soylent_green あたしもここ30年くらい調子が悪い」




これですこれ。3回転ひねって、つっこみ、批判といったところから遠くに着地しています。これでこそ「駄目」の名にふさわしい。とはいっても「じゃあおれは35年調子が悪い」といった便乗コメントは「駄目」とは言えません。誰も足を踏み入れていない明後日の場所に着地してこそ駄目と言えるのです。


といったところで時間がきたようです。今日はここまで。来週の課題は次の記事です。


お笑いコンビ、ダイノジの大地(おおち)洋輔(36)がエアギター世界3連覇を逃した。

asahi.com(朝日新聞社):ダイノジ大地、エアギター3連覇の夢散る - 日刊スポーツ芸能ニュース - 映画・音楽・芸能



イグアナの夢

2008-08-23 00:00


日テレを含め、北京五輪期間中はテレビ地上波で巨人戦の中継は一切行われない。だが、星野ジャパンが帰国する翌日の25日から、日テレが満を持して巨人-中日戦を地上波中継する。しかも最近ではすっかり珍しくなった「延長あり」という熱の入れようだ。

プロ野球の視聴率を語るblog


おそらく誰かが



北京オリンピックで感動の金メダル獲得!その効果もあって、巨人戦の視聴率も急上昇!延長しても大丈夫!



というストーリーを考えたのだろうな。


またフジTVもその「金メダル確実!」ストーリーにのり試合の放送予定をたてたのだろう。決勝戦を午後6時半から延長もありで放映!


オリンピックの野球は良好な視聴率を出していたからこの判断は誤りではなかったと思うのだ。



もし日本が決勝に進出してさえいれば。



それもこれも「今度こそ金確実!」という予想に基づくものだった。



結果は韓国、米国と2回対戦し、それぞれ2敗。



「日本のプロ野球は、米国の3A以下の実力」ということが誰の目にも明白になってしまった。


それでも銅メダルを獲得していれば先のオリンピックと同じように




「金と同じと書いて銅と読む」


「プロとして最低限の仕事はできた」




とうそぶけただろうが、それすらもできない。


そしておそらくは



「星野ジャパン。金メダルへの軌跡」



とかいう特番をつくるため、膨大に撮影されていた映像も日の目を見る事はあるまい。監督の


選手たちはたまたまこの期間に調子が悪く、力が出なかったと思っている。日本の野球はこんなもんじゃない、このレベルじゃないということを、今後見せてくれると信じている。

力がなかった=星野監督一問一答〔五輪・野球〕(時事通信) - Yahoo!ニュース


という言葉は、同じくイグアナの夢を見ていた帝国陸軍の負け惜しみそっくりだ。



「海軍が負け、補給が続かなくなっただけ。陸軍は負けていない!本土決戦になれば目にもの見せてやる!」



帝国陸軍がそう言ったのは、一つには「自分たちの得意フィールドで戦えれば」という理屈でもあっただろう。彼らは確かに中国大陸では勝ち続けていた。(個々の戦闘では)自分たちの本領は、広大な大陸での野戦。ちまちました島での戦いでは本領が発揮できないのだ。


しかし「環境に適応すればするだけ、適応力を失う」というのも事実だ。


「平成の帝国陸軍」は言う。国際試合では、ストライクゾーンが異なっていたと。


ストライクゾーンがまったくほかの世界でやっているような感じだった。それで戸惑った感じだった

スポーツナビ | 北京五輪 | コラム|星野ジャパン、屈辱の北京五輪



しかしアメリカの選手はこういう。


制球に苦しむ日本の投手陣とは違い、四回以降完全に立ち直った先発アンダーソンは「ストライクゾーンには対応しないと」と、日本をあざ笑うかのようにさらりと言った。

中国残留の覚悟だった! 日本を撃破した米国 - MSN産経ニュース



また、異なるフィールドでの戦いに実績を残している監督の言葉を聞こう



敗因はいくつもあるだろうが、私はオールプロの彼らが、最後まで「箱庭」から抜け出せなかったからだと思っている。プロの彼らは整った環境下で、年に140回ほども同じ相手と繰り返し戦う。だが、五輪は違う。異なる野球文化で知らない相手と戦わねばならない。自分の庭でいかに秀逸な技能を誇っても、それを五輪でも発揮できるかとなると、話は別だ。

「プロ感覚」抜けず…審判も敵に回していた (2/2ページ) - 野球 - SANSPO.COM


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ガラパゴスのイグアナがみた夢は単なる妄想だった。


かつては繁栄を極めた「プロ野球」には膨大な数の人が関わるようになっている。それゆえ、イグアナは現実に適応した進化をとげるよりは、夢をみるようになった。そして変化する現実に適応するより、夢を維持するためにほとんどの労力を費やすようになった。



長い間、東京ドームで行われる巨人戦の観客は常に55000人だった。


人々がプロ野球からそっぽをむき出しても、スポーツユースの中心はプロ野球だった。



夢が現実から乖離するほど、その夢は変えがたくなり、かつ夢の維持に多くの力が必要とされる。



変化を食い止めたり和らげたりしようとして幻想を作り出すと、変化はますます起こりやすく、また受け入れにくくなるものだ


G.M.ワインバーグ著 「コンサルタントの秘密」より




「現実」が明白になった後も「イグアナの夢」を現実と思わせるために様々な努力がなされるのだろうか。


それとも



一気に崩壊が起こるのだろうか。



あるいは


何事もなかったのように、イグアナの存在すらなかったことにされるのだろうか。


TV、マスメディアについても言える事だが、こうした「イグアナの夢」が崩壊する様はなぜか私の興味を刺激して止まない。



オリンピックを観ていて思ったこと

2008-08-22 00:00


・日本のプロ野球は米国の3A相当とは私が子供の頃に聞いた話だった。であるからして、大リーグに挑戦するためには魔球の開発が必要とされたのだ。


その後野茂をはじめとして日本の様々なプレーヤーが大リーグに挑戦し、その中の何人かは活躍するようになった。距離は縮まったのかな?と少し考えた。


このオリンピックで3Aの選手で構成されたアメリカに日本のプロ野球選抜は負けた。やはりレベル的には米国3Aということなのだろう。トップの選手は「上のリーグ」である大リーグにあがっていく。確かに3Aだ。


実質は3Aでありながらもらっている給料は比べ物にならない。しかしこれもあと何年持つかわからない。ここにも「パラダイス鎖国」があったということか。



・スケートを題材とした少女漫画を書いていた作家が「夫は全く畑違いのラグビー出身なのだが、スケート選手の顔とふるまいを観ただけで”この人はうまい”とか”これは駄目だ”と言い当てる」と書いていた。




・柔道を観ていて一番すばらしかったのが、女子の一番重い階級。自力に勝る相手に一歩も引かず、ポイントをとった後も攻め続けた。


結果は残り11秒で逆転負けだった。すばらしい試合だった。


女子の一番軽い階級は全く駄目だった。審判がどうのこうのではなく完敗。



・女子レスリングは観ていて実力通りの結果と感じた。もう「大本営発表」は卒業しようじゃないか。メダルの数を競うなんてのは、他に誇る事のない国にまかせておけばよい。



・いつの日か日本のスポーツ中継が「うるさく」なくなることがあるのだろうか。スポーツはそれ自体で何かを語る。言葉は興ざめだ。アメリカのスポーツ中継を観るとその感を強くする。カットの切り替え、スタジアムに響く歓声、それだけで十分視聴者に感動を届けられるのに。


こちらも「パラダイス鎖国」が崩壊しない限り無理かな。



「あわせて読みたい」で広がる地平線

2008-08-21 00:00


このブログにあれこれパーツをつけては外したりしている。その中でいつも設置しているのが「あわせて読みたい」(左側にでてます)


私はこれを愛用している。なぜか。


たとえばソーシャルブックマークを見ていれば「メジャーな」ブログに比較的容易にたどり着くことができる。



問題は


それだけでは徘徊する範囲が限定されてしまうことだ。メジャーではない、しかし読むに足りるブログはたくさん存在しているはずなのだ。それをどうやったら知ることができるだろう?


どのようなアルゴリズムを用いているか知らないが、「あわせて読みたい」はその期待に応えてくれる。でてくるサイトの中にはメジャーなものもあるが、そうでないものも多い。「おや、こんなブログがあったか」というものから「おや、こんなブログの”分野”があったか」と知ることもある。


とはいえもともとあまり期待しておらず、暇なときとか現実逃避したい時に使うものだから「精度」は気にしない。スパムの類が表示されなければよいのだ。



また自分がブログに書く分野によって微妙に表示されるブログの傾向が異なるのも面白い。映画評を書けば、それに類したものがでてくる。コンピュータ関連について書けば、、以下同文。



こういうのも、ちょっと変わったかたちの「フィードバック」と言えるのではなかろうかと感じ始めている今日この頃。


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というようによくできたサービスなのだが、インタフェースがもう少し私の好みにあっているといいのにな、と思うことがある。たとえば、表示されているサイトを一気にタブで開く、とか。飛んだ先からさらに別のブログをたどるとか。


いや、APIが公開されているからいやなら自分で作ればよい、ってのはわかってるんですが。いや、最近おうちでapacheやらtomcatをいじりまわしていて余裕がないんですよ、、とはいいわけですね。そちらのほうは近日公開(願望)



Experience Designのための一つの手法

2008-08-20 00:00


昨日会社からの帰り道に考え付いた


User Experienceが大切だ、とはだれもが言う。


でもって


よくあるパターンというのが




目標:すばらしいユーザエクスペリエンス


そのために


早いCPU,リッチなグラフィックス、操作しやすいリモコン、、、、




となってしまうことだ。


つまり目標があまりに抽象的であるにもかかわらず、次のステップでいきなりハードやらソフトの話になってしまう。そりゃそうだ。ハードやソフトはもうあるし、性能とか論じやすいしね。


これを防ぐにはどうすればいいだろうか?


今任天堂のサイトを見てもみつからなかったのだが、一時「Wiiのある生活」というキャッチフレーズとともに、


「TV画面の側からみたユーザの姿」


を掲載していた。


この写真には(リモコンを除けば)Wiiの画面、本体は一切表示されていなかったのである。


それでいながら、この写真は任天堂が目指した「素晴らしいユーザエクスペリエンス」を雄弁に物語っている。体を動かして、家族が楽しそうに何かに興じている姿。


これが何を意味しているか、分かりづらければ、仮にPS3で同じような写真を撮ったらどうなるか考えればよい。


ちらかった部屋のなかに一人座るゲームオタ。そして「やっぱ、Blue Ray最高だよな。このフレームレートはCellでなきゃだせない」とつぶやき続ける。


ソニーが意識していたかどうかは別として、PS3はこうしたユーザの姿を目指して作られたもののように思うのだ。


つまり


最終的にはハードやソフトのデザインにつなげるにせよ、あえて、その姿を隠し、「それとともにあるユーザはどのような姿だろうか」を考えてみてはどうだろう。


これは先日のエントリーで少し書いた「情報機器をデザインする際に、それを使っているユーザの姿を考える」という話にもつながるのだが、それはまた後日。



現在使っているiPhoneアプリ

2008-08-19 00:00


というわけでiPhoneユーザになってからほぼ一か月が経過した。


その間にアプリをいれたり、削除したり。というわけで、使用頻度の高い(と思われる)ものから、順番に書いてみよう。(Webページもはいってます)









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ここから下は、入れはしたもののあまり使わず。とはいえ残っているアプリ








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さて、というわけで「文句を言うなら自分で作れ」コーナー。


オセロゲームは、外出時に大活躍である。レストランでまたされる時。長い間電車に乗っている間、子供はきゃーきゃーいいながらやってくれる。もちろん全然分かっていないのだが、それなりに操作が可能で、適当に白黒つくのがいいらしい。


というわけで


世の中のお父さん、お母さんのために、「子供の気をそらしておける」ゲームができないかと考えているのだ。もちろんゲーム製作には多大な才能とノウハウを必要とすると思う。しかし私が考えているのはもっと単純なものだ。対象は幼稚園児以下。


子供の反応を見ていると、何よりも楽しいのが「瞬時のフィードバック」であるかのように思える。実際iPhoneのスクロール機能自体、子供にとっては楽しいおもちゃになっているような気がする。


というわけで




といったゲームができないだろうか、と考えている。これにGPS+Web検索を組みあわせれば、移動した場所ごとに違う情報がでてきてなんだか楽しいものが、、


と妄想だけ膨らませてもだめですね。作りましょう。作りましょう。


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正直に書こう


i4U - beauty image viewer


疲れた時に見ます。何か問題でも?



フェルメール展をやっているらしいのだが

2008-08-18 00:00


ハンニバルを読んで以来、フェルメールのミーハー(ひょっとしてこの言葉は死語だろうか)ファンである。



その展覧会が上野で行われているらしい。宣伝文句を借りれば


国内にいながら7点もの作品を一度に見られる展覧会は、おそらくこれが最初で最後と言われている。

【レポート】史上最大規模のフェルメール展--公開される作品全7点を一挙紹介 | ライフ | マイコミジャーナル


なのだそうだが。


しかし腰は上がらないままである。公開されている作品のうち、3点はすでに見たことがある。いや、それは理由ではない。よいものは何度でも見たい。


まったく素人の感想なのだが、今回の展覧会は「質より量」を重視したように思える。確かに枚数は多いのだが「どうしてもこれを見たい」を思えるものがない。


というか私が読んだ唯一のフェルメールに関する本では「フェルメールの作品とは思えない」とされているもの2枚を含んでいるのだ。



この本から得た知識だけで書くが、絵画の作者を「推定する」ことははかなり困難なものらしい。たしかに科学的な分析は有効だろう。しかしそれだけでは決められない作品も多く存在する。


というかかつて「フルートを持つ女」がフェルメール作とされていたというのは素人目には理解がしがたい。




  • フルートを持つ女


  • この作品を見たとき、そのあまりに粗雑な描き方に唖然とした。しかしどういう理由*1からかこの作品は一時フェルメール作とされていたのである。


    さて、今回展示される作品中の「ヴァージナルの前に座る若い女」である。




  • ヴァージナルの前に座る若い女


  • 前掲の本では「フェルメールのどの時代の描き方にも合致しない。18世紀ごろの作品ではないか」とされている。


    展覧会の説明を読めば、使われている顔料の種類、あるいは手法がフェルメールのものと完全に一致することからフェルメール作とされているとのことである。*2いわば科学的に検証された状況証拠から、作者を推定しているわけだ。


    しかし前掲本で挙げられている疑問は私の中で消えない。フルートを持つ女ほどではないが、他のフェルメール作品と作風が異なるように思うのだ。フェルメールの弟子が師匠と同じ材料を用いて描いたといわれれば納得する気にもなるが。


    同じ画家が違うタッチの絵を描こうとして、何が変わり何が変わらないままなのか。などと考えていくと、「絵画の作者を推定する」という道にもいろいろ興味深い話があるのだろうな、、と興味をもちはじめているところである。




    *1:前掲本に書いてあったことから記憶で書くと、誰か権威が「あれはとても美しいものに思える」と言ったから、、となるがさすがにそこまで単純な話ではあるまい


    *2:その判定がされたのは2004年。前掲本はそれ以前の出版



    「日本のケータイはすげー便利!」らしい

    2008-08-13 00:00


    私が最初に携帯をもったのは10年前。米国に幽閉されていたときだ。Motorola製のそれは、どうみてもiPhoneの3倍は体積があった。おまけに待ち受け状態でも電池は8時間持たなかったと思う。


    それから何度か携帯を持とうと考えたが、結局未だに個人では持っていない。iPhoneは会社から支給されたものだ。その前にはInfobar(初代)を支給されていたが、ほとんど使わなかった。


    さて、仕事でauとかdocomoの携帯を触っている。あちこちで名前を聞くモバゲーとか日本のケータイサイトとか「どんなものか」とみている。こういうことを書く人もいるわけだし、どんなものかと興味はあったのだ。


    まぁなんていうか、皆色々期待感ある発言してるけど、もうそろそろわかってきてるんでしょ? やっぱ日本のケータイはインターネットマシンとして見てもすげー便利だ、ってことに。

    キャズムを超えろ!


    実のところ私は実用的な意味で使っていないので「便利か否か」についてはコメントしない。


    ただ一つだけ驚くのは



    日本のケータイサイトのチープさ、見た目の下品さだ。(iPhoneで見るサイトに比べての話)



    下品な絵を配したバナー広告がでかでかと表示され、ドットが手に取るようにわかる絵文字がちかちかしている。絵文字だけではなく、文字もすべて


    「コンピュータの上ではドットを集めて絵を作ります」


    という仕組みが○若里奈(まるわかりな。おもしろいので残しておく)もの。


    文字にエリアスがかかっていないだけで、こんなにも違うものか。。いや、内容自体も私がiPhoneで見ているサイトとは大きく違うように思う。


    こんな記事をみてふーんと思っていたのだが、実態はまさに書かれているとおりだった。


    Yahoo!でもいいですし、au oneでもいいですし、モバゲータウンでも結構です。バナーが貼られていると思いますが、どんなものが貼られていますか? 「BL(ボーイズラブ)やTL(ティーンズラブ)の電子コミック」、もしくは「消費者金融」だったりしません? リニューアルされたドコモのiメニューでも、週刊iガイドではそこそこBLやTLが出るんじゃないかと思います

    コンテンツ業界の底辺でイマをぼやく:第1回 ニュースのバナーが“BL”!?──ケータイポータルのバナーにぼやく - ITmedia +D モバイル


    身なりに気を使い、大枚払ってプラダ携帯使っていても、こんな画面を映した瞬間にすべてはおしゃかになる、と思うのだが。。。日本の携帯電話ユーザってそういうこと気にしないんですか?


    仮に個人でケータイを持つことになり、実生活で使って見れは意見もかわるのかもしれないが。。。


    ---


    これに限らず


    ケータイでもカーナビでもそうなのだが、「画面の中に何がうつるか」ということに関して驚くほど無関心な例をあちこちで目にする。


    「外装」に関しては細かいところまで気を使うのに、なぜ画面の中を気にせずにいられるのだろう。さらにはそれを使っているユーザの姿に関しては、気にする声を聞いたことがない。(私の耳が悪いだけですか?)


    これに関してはまた別の機会に書こうと思う。



    「崖の上のポニョ」という悪夢

    2008-08-12 00:00


    「夢」という言葉は肯定的な意味で用いられることが多い。しかし私がここで話題にしたい「夢」は




    ああ、宝くじがあたったら、さっさと引退して好きなことするのになあ




    といった類の「自分に都合のよい非現実的な妄想」ではない。寝ている間に見聞きする夢のことである。


    私が聞いてみた人は例外なく「夢のなかでは変なことが、困ったことがおこる」という。たとえばこんなたぐいだ。




    しまった遅刻してしまった。急いで電車に乗ろうとすると財布がない。家にとりに帰る途中で友達に会い(その友達はここ数年あったこともなかったはずなのに、なぜかいきなり親しく話し出す)山道に登り始める。途中でトイレに行きたくなったが、なぜかバーのカウンターの中がトイレになっている。。友達(いつの間にか別の友達になっている)は平然と「ここですればいいよ」という。



    さて、いきなり話は「崖の上のポニョ」である。この映画についてはいろいろな人がいろいろな感想を述べている。私も本家に脊髄反射的な感想を書いたが、そのあといろいろな文章を読み、今回の標題のような結論に至った。すなわち


    「崖の上のポニョは、宮崎氏が映像化した「夢」の世界である」


    私があの映画で一番恐怖を感じたのは、嵐が過ぎ去ったあと、水位が異常に上昇した町の光景である。水の中には古代の生物がゆっくり泳ぐ。子供をつれた夫婦はあたかもそれが当然であるかのように悠然と漕いで行く。船団を組んだ人たちは、青い空の元、とても落ち着いてホテルに避難しようとする。ポニョとソウスケ(だったっけ?)はぽんぽん蒸気船でひたすら進む。


    この非現実的な状況と、その風景の中におかれた人たちの平静さ。このアンバランスさはまさしく「夢」の中でしか体験できないものだ。この映画は宮崎氏が映像化し、現実世界にぶちまけた「夢」-悪夢といってもよいが-の世界なのだ。


    夢の中で、見も知らないちょっと素敵な異性に「○○好き!!」とひたすら迫られたことはないだろうか。恥ずかしながら私にはある。そしてそれはこの映画に出てくるポニョの姿でもあるのだ。


    であるから、やれ筋がどうだとかつじつまがどうだとか言うのは私の考えでは的外れである。そもそも「夢」につじつまも筋もない。あるのはその場その場で噴き出すイメージ、それに感情の起伏である。


    この映画にでてくる様々な設定にやれあれはなんとかの象徴だとか、なんとかを意味している、と理屈をつけるのも個人の自由だが、私にはそれはフロイト流の夢分析のようなものに思える。


    ----


    私は宮崎氏の作品を全部見ているわけではない。ラピュタとかもののけ姫とかはいまだに見ていない。しかし少なくとも「千と千尋の神隠し」以降、宮崎氏の作品は、特定の筋を持たない、それでいながら印象的という世界を狙っているように思える。それを竹熊氏は


    もう、つじつまとか整合性とか、わしゃ知らんの! 今回は無意識のリミッター全面解除して作っちゃうんでよろしく!

    たけくまメモ : パンダとポニョ(3)


    と評した。私が敬愛する映画評を書くm@stervision氏は(ハウルの動く城についてだが)こう述べている。


    すなわち、観客に「物語の目指すところ=終着点」を示す意思が最初から無いのだ。もういいじゃないそーゆーの。ただキャラクターの感情のおもむくままに描いていけば、背景とか因縁とか伏線とか そんなのいちいち説明しなくたって映画は成立するんだよ──という宮崎駿の自信(というか開き直り)がありありと聞こえてくる。いまや100%の創造の自由と、それを保証する技術力/財力を手にした宮崎駿はどうやら「夢」以降の黒澤明と同じ段階──すなわち年寄りの手慰みの時期に突入したといってよいだろう。えらく国民的なスケールの「手慰み」だが。これだけメチャクチャな構成で、それでも圧倒的に面白いという実例を観せられてしまうと、いつもインターネットの個人ページで脚本がどうの伏線がどうのとチマチマと難癖つけてる自分が阿呆みたいに思えてくるよ。まさに「天才に適う努力なし」ですな。

    m @ s t e r v i s i o n | archives 2004d


    会社の底辺ではいまわり、ブログでつぶやくのが精一杯の人間にとって、こうした



    誰にも文句を言わせず、自分が考えたものを形にし、世の中にぶちまける権利




    というのはとてもうらやましいもののように思える。



    芸人

    2008-08-11 00:00


    赤塚不二夫が亡くなった。葬儀ではタモリが弔辞を述べた。



    D


    この動画を見、そして弔辞の全文を読み「ああ、ここに芸人がいる」と思う。*1



    あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。

    タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに(スポーツニッポン) - Yahoo!ニュース


    これは彼の心からの言葉だと思う。しかし日本の葬儀でイグアナのまねをするわけにもいくまい。弔辞で芸を見せるためにはどうすればよいか。


    その答えが「白紙を前に弔辞を”読む”こと」だった。真面目に心からの弔辞を読みながら、一味違うところをみせる。他人の顰蹙を買うこともなく、気がつく人には気が付いてもらう。見事だ。それがアドリブだか事前に暗記しておいた文章かなどとは問うべきところではない。


    ---


    彼が読み上げた言葉の中に、私が覚えておくべき言葉がある。


    あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

    タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに(スポーツニッポン) - Yahoo!ニュース


    マルクス・アウレリウスは何度も「思考を現在だけに限れ」と言っている。言っているということは、彼にとってそれは難しいことだったということだ。


    ここでタモリが述べているのも同じことだと思う。時間の前後関係を断ち放ち、その場、その時を前向きに、明るく生きるためにはどうすればよいか。「思考を現在だけに限る」ためには出来事、存在を前向きに肯定し、受け入れることだというのだ。


    これもまた困難な事。しかし私はこう思いたい。タモリは赤塚氏への弔辞という形をとりながら、数多くの「参列者」に呼びかけているのだと。赤塚氏の生き方から彼が学んだことをTVや新聞を通じて読むであろう多くの人たちに伝えようとしているのだと。


    ---


    米国のドラマとか映画でよく見る葬儀では、故人の関係者が教会でスピーチをする。その時向く方向は、故人の遺影ではなく、参列者の方向である。


    葬儀というものは、基本的に生きている人間のために行うものだと思っている。しんでしまったものは覆しようがない。しかし生きている人達が、故人をどのように記憶するか、思うかは変化しうる。そう考えれば、私にとっては米国式の葬儀のほうが好ましいもののように思える。




    *1:「いい人なのに」参照



    メモをとること

    2008-08-08 00:00


    というわけでいつでもどこでもメモをとりたいと思うのだ。ネタは思いついた時に書いていないと、すぐどこかへ消えてしまう。


    まず使い始めたのがEvernote


    iPhoneの専用クライアントもあり、機能も結構充実している。


    昨日某サイトで、紙copi Netなるサービスがあることを知った。


    使ってみると、こちらは「とにかく書くこと」に特化しいる。タグがない、とか最初は思った。しかし考えてみれば、フォルダわけと、全文検索で十分なのかもしれない。


    一行目が自動的に題名になる、自動的に保存される、などよく考えられて機能を削っているところに美しさを感じる。とにかく動作が軽く、早い。この「速さ」は正義なのかもしれない。Evernoteをしばらく使ったあとではそう思う。


    さて、問題です。今後はどちらを使いましょう。紙copiがAPIを公開してくれたらなあ、と思わないでもない。そうしたら



    が作れるのになあ。


    やっぱり無理を承知で自分で作らなくちゃだめかなあ。。



    はてなブックマークをする時こころがけていること

    2008-08-07 00:00


    はてなブックマークという仕組みがある。「これが何か?」という問いに対する答えは人によってさまざまだろう。私自身がどうやって使っているかを顧みるとおおよそ以下のように分類できる。






    最後の場合ついては慎重になる必要がある。この場合には、つけるコメントはたぶん著者が読むであろうし、同じページにブックマークした人たちも読むことになる。つまり上二つと違い、この場合のコメントは他人が読むことを意識する必要があるのだ。


    ではどうする。


    私が心がけている(ということは実践が追い付いていないということだが)のは


    「ひねって変なところに落とす」


    ことである。*1


    むき出しの賛辞、あるいは批判は自分の日記に書くことにしている。それはそれで自分の心の内を知る上で重要な情報と思うのだが、私は見栄っ張りなのでそうした顔を見せたくないのだ。


    とはいえ、もってまわった批判もなんとなくいやだ。前に本家サイトに書いた内容に対して「このような表現はあなたの品位を傷つけるので残念です」とメールをもらったことがあった。私からすれば素直に「あなたのこの書き方は不愉快です」と書けばいいのに、と思う。あたかも見も知らぬ人のことを気遣っているような言い回しで批判をする、というのは単細胞な私の良くするところではない。


    ではどうする。


    ひねるのだ。自分の主張は奥深く隠しておいて、ひねってひねって人が予想もつかないところに落とす。100文字という制限の中での


    「後方2回宙返り、3回転ひねり。着地はなぜかマットの外側」


    というのが私の理想である。そこから私の「意見」がそこはかとなく読み取れるようであれば完璧。


    とはいえ、これは「理想」であり言うだけならタダである。今自分のブックマークコメントを読み返してみて、この基準に当てはまりそうなものは60個のうちひとつくらいしかない。ええい、いいのだ。とにかくこれが私が目指すブックマークコメントの姿だ。




    *1:ちなみにこの表現は、某氏がエレメンタルノートを評したときに使った言葉である。



    iPhoneのある日常風景

    2008-08-06 00:00


    昨日は会社の宴会だった。予約したのは屋外のビアガーデン。


    とはいっても昨日の関東地方は大荒れ。これはキャンセルしたほうがいいか、とだれもが思う。しかし弊社の営業担当兼宴会部長は勝負にでた。きっと大丈夫だと。


    みんなでてくてく向かう。傘を使う必要はない。これは勝ったとおもった瞬間、何かがおかしいことに気がつく。


    「悪天候のため本日休業」の文字が。


    がびーんとなる。店長と思しき人がでてきて連絡に齟齬があったことを謝ってくれる。さて問題です。ここからどうしましょう。


    iPhoneを取り出す。GPSで現在地を表示させ、検索窓に「飲み屋」といれれば、赤いピンが何本か立つ。この近辺にも数件飲み屋があることがわかる。みんなに見せて回ると、じゃあとりあえず駅まで歩きましょう、ということでぶらぶら歩く。


    結局行ったのはiPhoneに表示されなかった飲み屋だった。本当はもっと高いのだが、悪天候でがらがら。本来の値段よりも2000円も安く、貸し切り状態にできた。


    ---


    というわけで直接情報が役に立たなくても「こちらのほうに何かがありそうだ」ということで行動を起こせる。今いる場所の周りがどうなっているのかすぐ知ることができるのは大きなメリットだな。


    などと思っているところにこんな記事を読む。


     「iPhoneを使う前と使った後で、人生観が本当に変わった。毎日が楽しくてしょうがない」――ソフトバンクの孫正義社長は8月5日に開いた4~6月期の決算発表会で、時間の大半を使って「iPhone 3G」を賞賛し、自分のiPhoneを使ってさまざまな機能を使ってみせた。

    「iPhoneで人生観変わった」と孫社長 2990円プランでライトユーザーにも拡販 - ITmedia News


    この記事を読むと孫社長が本当に自分の手でiPhoneに触り、ほれ込んでいることが伝わってくる。Docomoのなんとか部長だかが舌打ちしながらありきたりのことをしゃべりまくるのとは大違いだ。



    人を仕事に駆り立てるもの

    2008-08-05 00:00


    先日第二次大戦中のソ連人航空宇宙技術者に関するドキュメンタリーを見た。


    ドキュメンタリー一本みただけで、何か書くのは軽率かもしれない。しかしヒストリーチャンネルのドキュメンタリーだからある程度信頼してもよかろう。


    スターリンは、航空宇宙技術者を弾圧し続けた。いつ秘密警察がドアをノックし、全く身に覚えのない容疑で拘束されないとも限らない。


    そしてソ連はドイツによる攻撃にあい、「余計なこと」をしていると見なされれば、たちまち収容所に放り込まれる可能性があった。


    その状況下で、ソ連人技術者たちは


    ・独自のジェットエンジン、ロケットエンジン、ラムジェット


    ・全翼機


    の開発に取り組み続けた。


    結果からいえば、それらの技術は大戦中に実用化されることはなかった。ドイツに比べ着手時期は早かったものの、基礎的な技術が追い付いていなかったように思える。


    しかしたとえば同時期の日本と比べてみよう。確かに日本にもガスタービン(ジェットエンジン)に取り組んでいる技術者はいたが、その取り組みは遅々としたもので、かつ規模も小さかった。ロケットに至っては火砲用の個体ロケットを除けば、ドイツから情報がもたらされるまで何の動きもなかったのだ。


    昨今会社員のモチベーションを高めるためにはいろいろなことが言われている。やれ楽しみを見つけなければならない、やれ労働する環境が重要だ。


    しかしこのソ連人技術者たちが置かれた環境はその正反対だ。モチベーションを挫くためにつくられたような環境下で、彼らはどうやって「新技術」に取り組み続けたのか。


    私が子供のころは「謎の国」だったソ連にはまだまだいろいろな物語が埋もれているような気がする。息が続いているうちになんとか調べておきたいものだ。



    映画評-ハプニング-The Happening

    2008-08-04 00:00


    本家より転載+ちょっと加筆


    ---


    Q:この映画をみるべきでしょうか?


    A:時間と金を使って不愉快かつチープな映像を見たいというなら止めません。そうでなければ見ない方が賢明です。


    Q:とはいってももう見始めてしまいました。途中退場したいのですが、映画の結末がどうなるか気になります。


    A:迷わず退場しましょう。終わりまで見ても何もわからないし、楽しくもありません。同じ調子で不愉快な映像が続くだけです。


    Q:なぜシャマラン映画が公開され続けるのでしょう?


    A:謎です。おそらく映画会社とシャマランの間で「X本の映画を作成し、公開する事。どちらの側からもキャンセル不可(ただし興行収入がY$を超える限りにおいて)」という契約をしたのではないでしょうか。


    とはいうものの、シャマランはもう映画を作りたくないのだと思います。そのため前作「レディ・イン・ザ・ウォーター」では話の筋をめちゃくちゃにしました。観客に「もうこないでくれ」と言いたいがために。


    そ れでもまだ自分の映画をみる人間がいる。どうしよう、というわけで作ったのがこの映画。映像からは「観ている人間を不愉快にしよう」という声が聞こえ てくるようです。


    ある日突然人々が謎の行動をとったあげく自殺する。その死ぬシーンを不必要にグロテスクに、何度も何度もしつこく映し出します。ではなぜ人々がそんな行動をとるかは結局最後までわか りません。暗示された答えは


    「植物さんは意思をもってるんだよ」


    「人間は地球環境を破壊しているよね」


    というよくきくお話。得意の


    「ドラマチック(と監督が判断したシーン)ではスローモーション」


    も使ってますが、あのシーンをドラマティックと思う人はあまりいないと思います。アメリカで、人の家の扉をひたすら蹴っていたら、吹っ飛ばされても文句は言えんわな。


    と いうわけで監督の意図は明瞭(多分)なのですが、気の毒なのは出演させられた役者さん達です。ちょっと情緒不安定気味な奥さんはまあ好演と思いますが、主 人公の男性は間抜けな台詞&顔アップの連続。まあ脚本が脚本だからどんなに演技力があっても間抜け顔に見えてしまうのですが。


    とまあこれ以上なにか書く気も起こらないような映画ですが、一番愚かなのは米国での評判最悪、という事実を知りながら観た私というのは確かです。


    ---


    いや、本当にシャマラン映画が公開され続ける理由を誰か教えてくれないだろうか。そんなにいやなら作らなければいいと思うのだが。



    iPhoneのある日常風景

    2008-08-01 00:00


    家族で某博物館にでかけた。


    帰り道。電車の中で奥様が「●●というところによりたい。なんだか評判がよかった」という。


    iPhoneをとりだしさっそく検索。その場所の公式サイトはもちろん携帯用のコンテンツなんかない。PC用のサイトだが、大丈夫。Safariはよく落ちるが、必要な情報は手に入る。場所はここだな。


    電車をおりて、歩き出す。そのうち不安に襲われる。本当にこの方向であっているのか?


    iPhoneを取り出し、GPSで現在位置を表示させる。あっているようだ。(方向がわかればもっといいと思うけど)


    まもなく目的地が見えてきた。しかしおなかがすいたので、隣にあるレストランでお昼を食べようという話になる。


    結構こんでいるので待たされる。ダウンロードしたオセロゲームをやりはじめる。


    ↑までは普通のケータイでできることばかりだろう(やる気になるかどうかは別として)違うのはここから。


    家族みんなでわいわいいいながら好き勝手なところにコマ(?)を置いていく。タッチパネル万歳である。つまりキーでかちゃかちゃやっている限りにおいてはケータイは個人用デバイスでしかない。タッチパネルだと、「みんなで楽しめるデバイス」になる、というわけだな。



    ちなみに昼食後行った●●はいささか期待外れであった。まあこういうこともあるわな。


    ---


    今のところはiPhoneをもっぱら「ブラウズ」目的に使っている。そうした使い方をしている限りほとんど不満はない。ただし日本語入力が遅いのはなんとかしてほしい。というかなんとかするだろう。他ならぬ増井さんが作ってるわけだし。iPhoneをリセットすると改善されるということはソフトのつくりのどこかがおかしい、というこtだろうし。


    最初にiPhoneが発表されたとき、Steve jobsは三つの側面があるといった。


    ・タッチ機能をもったワイドスクリーン付iPod


    ・革新的な電話


    ・インターネットコミュニケーションにおけるブレークスルー


    それぞれの項目をアナウンスしたとき、一番歓声が小さかったのが最後の"Breakthrough internet communication device"だった。


    しかし今のところ一番よく使い、かつありがたみを感じているのはまさにその側面である。電話はほとんど使わないし、iPodは確かにうれしいが、まあ前から使ってもいたから。


    しかし三つ目の点は確かにブレークスルーだ。これから多くの人が、この側面でのポテンシャルを試すことになるだろう。と人ごとのように言っていてはいかんのだが。