2011-06-30 06:42
ニワンゴは、ソニーの液晶テレビ「BRAVIA」向けに、番組を見ながらコメントを楽しめる「ニコニコ実況」サービスを6月29日から始める。
via: ニコニコ実況をソニー「BRAVIA」で 番組見ながらコメント - ITmedia ニュース
調べると、同様の機能をもったユーザ作成のアプリキャストは以前から存在したようなのだが、まさかソニーお墨付きのアプリキャストでこうした機能を実現するとはなあ。。
2008/5に『近未来テレビ会議 sponsored by SONY』というイベントがあった。その時にアプリキャストの説明があった。(その時ブログを書いているのだが、以下に書く内容は大人の事情により消してしまっている)
その時誰かが「放送の内容に連動したものは出せないんですか?」と聞いた。ソニーの人はあれこれ言葉を並べていたが、結局のところ「できません」と答えていた。例えば日産がスポンサーしている番組の横で、トヨタの宣伝がでちゃまずいとかなんとか。同じ理由で誰もが分かっていた
「ニコニコのコメントを画面に出す」
もNGとのことだった。TV画面というのは神聖不可侵な領域で、そこにはスポンサー様、放送事業者様がご納得いただけるものしかだしてはいかん、とかそういう話だった。
つまるところTVとは既存権益の塊のようなもので、イノベーションなど望めない。
「ああそれね、わかっちゃぁ、いるんだよ。でもね...実際に製品にするとなると、ね...」
via: 直材費UPする新機能を既存商品に搭載する商品企画の通し方 - キャズムを超えろ!
というつぶやきばかり存在しているところだ、とそう聞いていた。
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であるから、このニュースには驚いた。できればニコニコ実況ではなく、2chの実況を流して欲しいが、まあ偉大な一歩というべきだろう。
ソニーの家電製品は孫子の代まで買わないぞ、と決めている私だがこの機能だけは正直ほしい。いろいろ面白い番組はあると思うが、私の一押しは箱根マラソンですよ。瀬古のあからさまな早稲田びいきとそれにツッコミまくるコメント。お正月のメインイベントになることまちがいなしです。
2011-06-30 06:35
学生さんがやることだから、内容云々よりも
印刷した紙の枚数は1000枚を超えた。SFCの学生は、学校に泊まったり深夜まで残ったりして課題や研究の作業を続けることを"残留"と呼ぶが、橋口さんは毎日のように研究室で"残留"したという。
via: Googleに負けないものを作りたい――女子大生が挑む日本独自の「かわいい検索」 - ねとらぼ
という努力を売りにするのもいいだろう。ただこれは誰かが言ってやるべきだと思うのだ。
via: Googleに負けないものを作りたい――女子大生が挑む日本独自の「かわいい検索」 - ねとらぼ
いい年して、いつでもどこでも「ピース」サインをしていると、私のように「バカか」と思う人もいるよ。
2011-06-29 06:36
今「豚イヌ」に関する本を読んでる。
誰の心にも潜んでいる豚イヌとは、「やめておこう」「できないにきまっている」「みんな難しいといっている」とかなんとか怠ける、先延ばしにする心のことだ。
この本の前半は「豚イヌはこうやってあなたにしのびよってきます」という内容。ありきたりだな、と思っていたが思わぬ記述が本の中盤にでてくる。
もともとこの概念は、ドイツの軍隊教育で使われていたものだからです。
1954年に発表されたある論文には、豚イヌについて次のような記述があります。
「突撃しなければならないのに、兵士が恐怖のために逃げたくなる、あるいはへたってしまうとき、誤りをもみ消す誘惑を感じる時ーつまり不安のために、われわれに本来すべきことをさせない、そういう気持ちを軍隊用語で"心のなかの豚イヌ"と呼んだ。軍隊教育では「豚イヌの克服」を重視していた。いずれにせよ、それは驚くほど成功したと言える」
おそらく「驚くほど」ではあったのでしょう。でもぜったいに「すばらしく」ではなかったはずです。このような考え方が、ヨーロッパを灰燼に帰しただけでなく、豚イヌを征服した何百万もの勇敢な兵士の命を奪ったことを考えれば。。。
豚イヌと上手に付き合う方法 p109
思うに
世界中の軍隊は、第2次大戦時のイタリア軍のようであるべきではないか。そうすれば、戦争による死傷者は減るに違いない。日独伊軍事同盟ではなく伊伊伊軍事同盟だったら第2次世界大戦も起こらなかっただろうし、何かの間違いで勃発しても3週間ぐらいで集結したはずだ。
真面目と勤勉さがひどい事態を引き起こす、というのはオウム真理教事件の時にも痛感したことではある。とかなんとかいって豚イヌは自分を正当化するわけだが。
2011-06-28 06:54
私自身はほとんどゲームというものをやらない人なのだが、任天堂のファンである。ポケモンの「お金を刷る」ような商売にはいささか辟易しているが、まあ許容範囲内だろう。
昨日こんな記事を見た。
月額課金制のビジネスは、娯楽には向いていないと考えています。われわれのお客さんは、小さなお子様やあまりITリテラシーの高くない方と幅広い。その人たちにとって、気がついたらおカネがたくさんとられているという状況にならないようにこれまではやってきました。
少なくとも(月額制の課金スタイルを)任天堂は今後もやらないでしょう。ただ、ソフトメーカーさんがそういったビジネスをしたいと考えたときに、それができるプラットフォームは作っておくべきだとは考えています。
via: WiiUは、一家に一台・家族全員が遊ぶデバイス、ソフト会社との連携も強化――岩田聡・任天堂社長インタビュー (東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
「ITリテラシーが高くない人たちが、気がついたらお金をたくさんとられている」ことで成り立っている会社が羽振りを利かせているのも世の中というものであるが。
2011-06-27 06:35
昨日見た記事
民主党の安住淳国対委員長は26日午前、菅直人首相との24日の会談で、首相が(1)赤字国債を発行するための特例公債法案(2)平成23年度第2次補正予算案(3)再生エネルギー特別措置法案-の3案が成立すれば、退陣条件が整うとの認識を示したことを明らかにした。安住氏は「3つを仕上げることが区切りになると私も思っており、首相もそのことをしっかり話していた」と都内で記者団に語った。
via: 「特例公債・補正・再エネ法が退陣条件」首相が国対委員長に示唆 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
歴史的に有名なコメント
チェコスロバキアのズテーテンラントにすんでいる同胞(民族ドイツ人)を守るためなら,戦争も辞さないという,強硬な姿勢で臨んだ。ただし,これが最後の領土要求であり,要求が聞き入れられるなら,矛を収め,平和を守るとした。
(中略)
ミュンヘン協定は,1年たたないうちに破られる運命にあった。
via: オーストリア併合・ステーテン危機・ミュンヘン会談:鳥飼行博研究室
菅直人の
「総理大臣の座にとどまるためならなんでもする」
執念には感嘆せざるを得ない。人としての誠実さとかそんなものは全部かなぐりすて、とにかく総理大臣であろうとしている。彼がそれによって何を目指しているかはよくわからないが、彼には彼の理由があるのだろう。
鳩山前首相は、そりゃ「ルーピー」としか評しようのない人だったが、それでも他人を「ペテン師」と呼んだことはない。ここまで菅直人という人間の実像が明らかになればなぜ与野党一致して彼を退陣させようとしているか皆理解するだろう、、と思ったのは甘かった。関東地方で500人に聞けば4人に一人は「菅が首相でよい」と答えるのだ。
さて、数少ない「腹心の部下」がかたった「最後の領土要求」を信じる人は何人くらいいるのだろうね。
2011-06-24 06:34
いささか言い尽くされたトピックではあるが、昨日こんな記事を見つけた。
少なくない人のご意見が、「そんなこと(背面カバーを射出成型してから内側を削ること)をやるはずがない」というものでした。何人もの専門家と称する人たちが、いくつも理由を挙げて、アップルが別な理由でそうしていることを説明しようとしました。日本の技術者のモノ作りの常識では、そんなことを許してもらえるはずがないので、これは工程に不具合があってやむを得ずそうしたものだと説明したりします。もちろんそれは筋が通ったものではありません。そんな、いかにも場当たり的な説明をわざわざ書き込んでまで、アップルがあえてコストをかけて、ここまでやっているという事実そのものを、否定しようとします。そういう日本の技術者達の書き込みを見たときに、変えなきゃならないのは技術ではなく、彼らの頭の中身なんだと思いました。
via: 分解してわかった、アップルの"常識"はずれなこだわり| nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
覚えている人がいるかどうかわからないが、少し前の日本は「家電大国」であった。そういう人たち相手にGoromi-TVを何度かデモしたことがある。
非常に興味深かったのは、現在のTVに近いところにいる人ほど反応が悪かったことだ。そりゃ「TVの専門家」からみればダメダメなコンセプトだよね。
金出教授の「素人発想、玄人実行」の逆、「玄人発想、素人実行」を「日本の技術者」の態度に見ることは難しくない。いや、射出成形後、NC機械で削るなんてのは「常識」ではありえない、と言って
「美しさをコストより優先させる」
という「素人発想」を頭から否定する。それで顎が外れるほど安くてよいものができればいいのだが、今や品質でも価格でもApple+中国のEMSに手も足もでない状態だ。
などと
他人ごとのように否定している間は楽なのだが、自分がつくっているiPad用のソフトを改めて見直し
「全然美しくない」
ことに愕然とした。これはいけない。良いものから学ばなければ、と思いいろいろなiPadアプリをあさる。
VOGUE Germany iPad App from chris on Vimeo.
今のところ一番のお気に入りは、上記のVogueドイツ版だ。私などはファッションという言葉から一番遠いところに生きているはずなのだが、このアプリの動きには感嘆せずにいられない。よくみると、既存のiosのパーツをうまく利用して実にユニークな動きを実現していることがわかる。
批判ばかりしていないで、自分でもやらなくちゃ。もっとよく出来るはずだ。
2011-06-23 06:45
先日NTT研究所のオープンハウスに行った。そこで長谷川 眞理子という人の講演を聞いた。
最初は「ふーん。プログラミングでもするか」とか思いながら聞いていたが、途中からぼこぼこTwitterに書き込み始めた。それらを引用+補完する。
類人猿は明らかに絶滅しつつある種族。
→やたら数と生息範囲が増えているのは人間だけで、他の霊長類はのきなみ「絶滅危惧種」だ。であればたしかに霊長類とは「ちょっと現れてあっというまに絶滅する」種族なのかもしれん。
言語=文法規則、意味、他者との思いの共有。チンパンジーは意味が理解できる。文法規則を理解したという証拠は無い。他者との思いの共有は薄い。世界を描写しない。子供は沢山描写する。
→言語をたくさん理解できる研究における「スター」というチンパンジーがいるのだそうな。しかしそうしたチンパンジーは、自分の欲求に関することしかしゃべらない。
逆に人間の子供は、自分が感心を持ったものに関してうるさいくらい周りの人に言って聴かせる。チンパンジーはそうしたことを一切しないとのこと。
振り返ってみると、なぜ人間は、自分が感心したものについて他人に聞かせたがるんだろうね。「思いを共有したい」という願望が遺伝子のどこかに書いてあるのか。
悲しみの表現は文化毎に異なっておりわかりづらい。そもそもなぜ悲しみを表現するのか?他者の同感を得るため。そうした同感をえるための感情表現は言語が生まれる前からあった。
→人間が様々な感情を表現した写真をとり、それをことなる文化圏の人にみせて感情を推測させるのだそうな。すると「悲しみ」の表現が一番推測しづらいとのこと。
自閉症は、他者の感情理解が弱いこと。統合失調症は逆に他者の感情推測が暴走している状態ではないか。他者が自分を攻撃するという妄想等
→というわけでまとめなおしてみると、講演の後半は「他者と感情を共有すること」についていくつかトピックが並べられていたことに気がつくわけだ。この言葉の裏付け研究などは紹介されなかったから、未だ仮説の段階かもしれん。
しかし考え方としては興味深い。他者との感情の共有という機能が脳の中でどのように実現されているかわからないが、その部分が機能しなかったり、あるいは異常に機能することで、自閉症や統合失調症が引き起こされるのではないか、という仮説かな?
IT技術の発達により、対面情報抜き、実証抜きでの言語情報伝達が異常に広まった。もともと人間対人間の情報伝達はそうしたものではなかった。そこに危惧を感じる。
実態としての人間から切り離された、断片的な言葉はTwitter空間上に飛び回っている。私から見ると、そこはかなり醜悪な空間だ。もともと醜悪な人間の考えが可視化されただけだろうか。あるいはIT技術の発達によりそうした要素が「花開いて」しまったのだろうか。
2011-06-22 06:46
これも何度か書いたネタだが気にしない。
ヒューマンインタラション関係のあつまりで心理学の人が講演をすることがある。実験とは条件を統制しなければならない、ということを
「実験のイロハもしらない阿呆共が」
と半ば見下したような口調で語っている、と感じるのは私のひがみ目だろう。
さて、「ユーザビリティ専門家」にも私はどことなく似た雰囲気を感じる。昨日こんな文章を見つけた。
オファマティカは、過去のデータを元に数字をはじく社内分析屋だけでなく、大学の研究室ですさまじい対照実験を行う「ユーザビリティ専門家」とも対決することになる。ユーザビリティ専門家は、実験室で確立されたいくつかの原則に大いに自身を持っている-たとえば「人々はまず左上の隅を見る」とか「人は青より赤に注目する」とか。
ロシュは反論する。「現実の世界では、広告はものすごい数のその他の入力と競合しています。対照実験なんてものは存在しません。ユーザビリティ専門家は、他の情報の津波が押し寄せているのに砂でできた真実の城にしがみついているんです。」
その数字が戦略を決める P103
つまるところ条件の統制なんて現実世界では無理だ、という主張である。であれば全く条件の統制されていない「実世界」でランダム試行を試みるべきだ、という主張につながるのだが。
これは、ヒューマンインタラクションにおける「評価」の問題ともつながるように思う。多くの「グラフ」がついている論文は多いが、できたものを見たとき「それがなんだ」となるのはいつものことである。
であれば「世の中にだしてみて反応を見る」以上の評価の方法はない、とも言える。それができないシステムはどうすればいいんだ、、とまたも議論は迷走するのだが。
2011-06-21 06:36
このネタ前にも書いたような気がするがまあ気にしない。
霊魂やら、偽医学やらに反論するとき
「そんなことは科学的にありえない」
という言い方を聞くことがある。
私の考えではこの言い方は間違っている。(経験則的には正しいと思うが)見る人間がどんなスピードで走っていようと、光のスピードはいつも同じである。こんなことが「科学的にありえる」と思うだろうか?むちゃくちゃである。しかし無茶苦茶なのがこの世の成り立ちというものらしい。
昨日こんな記事を見た。
関東大震災が1923年に起こった後、地震予知研究の方向性として、2つの考え方が示されました。ひとつは、地震のメカニズムを科学的に解明し、その知見をもとに予知の方法を探していこうというもの。もうひとつは、科学的な理由づけはできなくても、実用的に予知につながる方法を何でも探そうというものです。
最終的には、前者の考え方が採用され、東京大学に地震研究所ができました。この経緯から分かるように、地震学として力学的なメカニズムを明らかにする研究にずっと力点が置かれてきたのです。地震のメカニズム研究の中から地震予知につながるものは結局出てくることなく、1995年に阪神淡路大震災が起きました。
via: 【Interview】今後の地震予知について/早川正士[電気通信大学 名誉教授] - Case#3.11 地震≫原発≫復興 科学コミュニケーターとみる東日本大震災
現代の科学は「理由付け」を後回しにして、「振る舞いを説明する」ことに徹したところから進歩し始めたという。ニュートンがなぜ引力が働くかについてどう説明したか知らないが、彼が発見した「法則」は多くの場面で活用される。「法則」はふるまいを記述してはいるが、理由については何も述べていない。
であれば
前掲文書で「後者」の考えたのほうが実りが多いのではないかとも思うのだ。引用記事の後半にもあるが、ナマズを観察して地震が予知できるのだったら、それは立派な実用的な研究だ。もう一つ例を挙げよう。
ウィーン中央病院の助産部門における助教授だったゼンメルワイスは、検死解剖室をでてきたばかりの医師見習いが診察した女性は死亡率がきわめて高いことに気がついた。
(中略)
そして診療所の医師や看護師が、患者を見る前に塩素入り石灰水で手を洗えば、死亡率は12%から2%にさがることを発見した。
この驚異的な結果は、やがて病菌の原因が最近だという理論のもとになるものだが、猛反発をくらった。ゼンメルワイスは他の医師たちにバカにされた。なぜ手を洗うと死亡率が減るかという説明を十分に提示していないから、その理論は科学的根拠を欠いていると考える人もいた。医師たちは患者を殺しているのが自分たちだと認めるのをいやがった。そして一日になんども手を洗うのは、自分たちの貴重な時間の無駄だと文句を言った。やがてゼンメルワイスはクビになった。そして神経衰弱となり、精神病院に入れられて、そこで47年の生涯をとじた。
その数字が戦略を決める P150
哀れなゼンメルワイスは見事な「振る舞いの記述」を行ったがその理由付けができなかったがために精神病院に入れられた。他にはどんな例があるかな。
2011-06-20 06:48
私は、仕事で作る資料で「論理だてて筋道だてをして」と言われると「はーそうですか」と思う。
某自動車会社がやたらと自慢する「なぜを5回」を嫌悪するのと根は同じだと思う。長年サラリーマンをやってきた経験から、
「上司がなんというかは所詮感情次第」
ということをみにしみて分かっているのだ。昨日こんな記事を見た。
実験のビデオで本当に明白になったことは、被験者たちは理由を言うということです。ある理由が成り立たなくなると、別の理由を持ち出します。新たに出した理由が成り立たなくなると、また別の理由を持ち出します。そして、ポケットの中を探しても持ち出せる理由がなくなったら、"倫理ダムファウンディング"の状態になります。被験者たちは理由が見つかると思っていたのですが、理由が見つからないことに驚くのです。そしでビデオの幾つかでは、被験者は笑っています。それはおかしくて笑っているのではありません。当惑・困惑の笑いです。そして、「倫理的に悪いとわかっていること」について、悪いことを証明する理由がないという認知状態になります。それで、被験者たちは何が悪いかについての考え方を変えるのではなく、「わかりません。説明できません。でも、それは悪いことです」と言うのです。
via: 忘却からの帰還: 善悪判断とその理由付けは全く別
これは「兄と妹が◯◯した。ただし避妊はちゃんとしたし、もう2度としないと誓い合った」話を聞かされた被験者たちの反応についての分析である。
以前働いていた会社で、やっていた研究にわけのわからないクレームを付けられることが続いた。そのたびに丁寧に説明をしたつもりだが、さらにわけのわからない文句が飛んでくる。(そのクーレムの「独創性」には正直感心したものだが)
数週間後にわかったのは、親会社から片道飛行で落ちてきた社長が
「お前の研究は嫌いだ」
もっと正確に言えば
「お前は嫌いだ」
と言っているということだった。つまり「理由付けが明確でない」というクレームはそうした感情的な叫びの上辺を取り繕うためのものだったに過ぎない。
先ほど引用した例は、被験者と調査する人なのでやりとりは冷静だが、これが感情だけでものごとを判断している上司と部下の間ではこうはいくまい。全ての理由をつぶしたりすれば、状況は悪化する。
私は言葉の上っ面にこだわりすぎ、人間は所詮感情の動物だという事実をまだ理解していない。そのため、未だにこうした間違いをやる。
2011-06-17 06:56
ほら、題名を読んでブックマークしたくなったでしょ?(うざい)
というか
いろいろな事情で職種ががらりと変わることがあるわけだ。前と関係あることをやったり、全然関係ないことをやったりする。
とはいえ役立つ能力というのはいくつかあるわけなのだが、今日はそのなかでもとっておきのやつを。
「くだらない仕事を最低限の時間で片付ける能力」
どこの会社にいっても、くだらない仕事というのはついてまわる。たとえば「なんの役に立つのかわからない特許書き」とかだ。某企業の出向者は
「お前たちはまだ特許書きを仕事だと思ってるだろう」
と謎のセリフを吐いた。仕事じゃなかったらやらなくていいんですか、じゃなくてそれは仕事より当然の義務だ、といいたいらしい(これでもまだ訳がわからないが)。某企業の出向者は何言っているかわからない人ばかりだったので、これくらいで戸惑ってはいけない。
どうせ文句を言ってもしょうがない、というときはさっさと終わらせる。悲憤慷慨したり、酒を飲んでくだをまくのは自由だが、どうせ意味のない仕事なのだから、早く終わらせることが肝心である。こうした能力を身につけておくとどの職業についても必ず役に立つ。
気を付けなくてはならないのは
早く終わらせたから、といって早く提出してはいけないことだ。締切り直前に出さなくてはならない。どうでもいい仕事は早く終わらせても評価アップにはつながらない。逆に早く提出してしまうと
「じゃあもう一件お願い」
とか言われかねない。
2011-06-16 06:51
最近「その数学が戦略を決める」という本を読んでいる。
内容としては「回帰分析、ニューラルネットで未来予測をすると専門家よりずっとすごいよ!最高裁判事の判決からワインの値段から教育の効果から、映画がヒットするかまでなんでもわかるよ!」
というものだ。
非常に面白い本なので、本を読んだ直後は「絶対計算」の信奉者になっても無理はない。しかし「訳者による付記」はもっと面白かった。以下引用する。
通常、この手のモデルを作るときは、もっともらしい変数をいろいろ選んでみて、いちばん統計的にうまくあてはまっているものを選ぶ、というプロセスを経る。で、なぜその変数がうまくあてはまるのか、後付けであれこれ理屈はこねるが、通常は「とにかく統計的にうまく出たんだもーん」という以上のものはない。
その数学が戦略を決める P407
つまるところ、モデルは複数存在し得て、そのどれが正しいか議論が必要な場合もあるということだ。あるいはデータの取り方によっても結果は変わる。
包皮切除とエイズ感染との関係も、もとデータのサンプリングを変えると結果がかなり変わり、有意とはいえなくなってしまうという批判があるとのこと。
その数学が戦略を決める P407
また当然のことながら、回帰分析は、データを得た過去のシステムと未来のシステムに連続性がなければならない。システムが変わればそこでおしまいである。
こうした限界とかなんとかをちゃんと理解していれば、その活用がちゃんとできる、ということなのだろう。原発事故に関するデタラメな「分析」やら「予想」が飛び交っている昨今では特にその思いは強くなる。
逆に本書に書いてはあるが、日本では聞いたことがないのが「医療診断に絶対計算を活用する」システムのことだ。このシステムが医師に
「これまで検討していなかった大きな別の診断を指摘したケースが10%くらい」
とのこと。逆に言えば大金を払ってシステムを構築しても医者が「大間違い」をしている確率は10%ということもできる。
しかしそれが家族の健康に関わることであれば、ぜひともこのシステムを日本でも普及させてほしい。1万1000種にものぼる様々な病気があり、その診断、治療技術も日々進歩しているのだと思う。街で営業しているお医者さんがいかに勉強熱心でもその進歩についていけるとは思えない。
しかしなあ誰かが言った「先生、と呼ばれる職業はろくなもんじゃない」との言葉によれば、日本三大ダメな職業の「教師、医者、議員」の領分だからなあ。。
とかなんとかいいつつも本書は面白い。私が一番感心したのは、著者が「体重を減らし、維持した」グラフを載せている点だ。
ご様々な分野で高説を述べる人は多いが、いつも私は
「それであなたの体重は?」
と聞きたくなる。体重減少のための方策は自明。であれば、自分の体重を管理できないのに高説をたれる人間の言葉を信用する気にはならない。
2011-06-15 06:55
とういわけで、「なぜ」を5回問い、A3一枚に企画書をまとめることを誇りにしているトヨタ自動車の「日本の新しい才能が、クルマをアォードを応援する」企画である。
リンク先ページ
この
「クズども。こういうもんみせときゃ、喜ぶんだろ?」
という上から目線の醜いページはトヨタ自動車でなければ創り上げられないと思う。全く見事だ。2chではこんな感想もでているようだが全く同感。
いや、若者を馬鹿にするトヨタの社風が良く出ているじゃないか。
これ見て買ったとか思われたくないから、買うのやめるわ。
via: トヨタ自動車企画「TOYOTA SOCIAL APP AWARD」がヤバイwwwwwwww:ハムスター速報
ニコニコ動画に存在する魂がこもった「踊ってみた」と、この嫌悪感溢れる宣伝の違い。作り手の魂がこれほどまでにWebページに現れるというのは驚きである。
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先日本を読んでいてこんな一節を見つけた。
子供の頃、ある夏の夕暮れに、叔父のロスコウが運転するくたびれきったフォードのピックアップトラックの荷台に乗って家に帰ったことがある。八歳になる二人の従兄弟が一緒だった。泳ぎに行った帰りで、私たちはスペア・タイヤに腰掛けて、古いキルトを肩にはおり、年老いた犬に体をすりよせて温まった。そしてチョコレート・クッキーを頬張り、メイスンの魔法瓶からおいしいミルクを飲み、みんなして「壁にビールが九十九本」という詩をありったけの声で際限もなく歌い続けた。月がのぼり、星降る空から紙が私たちを見守っていた。家に帰れば道はそのまま夢路へと通じている。
そう、これが車にのるということだ。こうでなくては楽しくない。
人生で必要な知恵は全て幼稚園の砂場で学んだ P97
この言葉と、先程の「宣伝」を比べてみよう。いや、比べるのも失礼か。
2011-06-14 06:52
というわけで映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」をみてきた。期待値0だったのだが、これが意外に気に入ってしまった。
ちゃんとした感想はそのうち本家にアップロードされると思う。キック・アスの監督だそうだが、途中ちょっとだれたところはあったが、最後まで楽しく見ることができた。元ミサイルエンジニアとしては、
「キューバ危機の時に、ハープーンやらトマホークやらあるわけないだろ」
とツッコミたくもなるが。
しかし本日書きたいのはそのことではない。
産総研の後藤さんである。いやね、X-MENのプロフェッサーXことチャールズ・エグゼビアと完全に一致なわけですよこれが。映画を観ている最中、エグゼビアの顔がアップになるたび「あ、後藤さん」と思う。いや、それがどうしたと言われても困るのですが。
Vocaloid3には「ぼかりす」が搭載されるとのこと。それを使った「思いも寄らない」作品が発表されると思うと今から期待が高まる。それはそれとして、後藤さんはチャールズ・エグゼビアに(以下省略)
2011-06-13 06:45
いや、本文ではそれに答えようとは思っていない。あまりに漠然とした言葉であって、それぞれの人がそれぞれに好き勝手な意味で使っているように思う。
先日こんな文章を見つけた。
HAIヒューマンエージェントインタラクション(Human-Agent Interaction)は,人間とエージェント,ロボット間のインタラクション設計に関する新しい研究開発分野です.ここでは,HAIの背景,目的について,わかりやすく説明していきます.
この10年間で,一般の家庭に,擬人化エージェントとロボットが普及し始めました.言うまでもなく,その代表格は,MicrosoftエージェントとAIBO, そしてRoomba(ルンバ)でしょう.オフィスアプリケーション上にイルカの擬人化エージェントが現れるの見た方は多いでしょうし,残念ながら生産中止になったAIBOもエンタテイメントロボットが一般家庭に普及する礎を築いたことは,誰も否定できないすばらしい功績です.また,お掃除ロボットRoombaは,世界で売り上げが200万台以上あり,現在も製品開発が続けられている一般家庭に最も普及している実用的ロボットです.
via: HAIシンポジウム2010 (HAI-2010)
いや、この10年の輝かしい成果が
- 入力される質問文が「お前を消す方法」ではないかと思われるほど悪評高いオフィスのイルカ
- 生産中止になって久しいAIBO
- たしかに役立つロボットだけど、これがあなたたちの言っていたエージェントなの?のRoomba
これは高度な自虐的ギャグなのか、あるいは現実を無視しているのか判断に迷う。
これらのうち、前者二つは、現在のエージェント技術の成果というより問題を表していると思う。
・エージェントの情報推薦は、的はずれであり(少なくともユーザはそう考える)、しょっちゅう言われても鬱陶しいだけ。
・AIBOといえば、以前務めた会社で部屋の中を歩きまわっていたのを思い出す。ドイツからきたインターンの学生は喜んでいたが、他の人間は無視していた。パターンを入力された機械に持続的な興味をもつことは難しい。
先日も某研究所のオープンハウスで
「自然性と満足度を最大化する聞き役の行動パターンを学習」
について熱く説明されたが、なんだかなあ、という感想しか持ち得なかった。人間が持つ抽象的な感情に「満足」とか「悲しい」とかラベルをはられた研究で、その後につながるものを見たことがない。(いや、そうした研究同士は互いにreferして孤立したクラスターを形成しているようなのだけどね)
あるいはこうした研究を行う人達から専攻分野反転の法則を導き出すべきなのかもしれん、とかそういう考え方もあるのだが。
2011-06-09 06:44
我が家にサンタさんがWiiを持ってきてくれたのが6ヶ月前。昨日任天堂がWiiの後継機を発表した。たとえばこんな評価があるようだ。
任天堂によるWii後継機の発表は投資家の関心を引くことができなかったようだ。同社はゲーム市場がソーシャルネットワークにシフトしていることを見落としているとして、株価は過去五年で最低にまで落ち込んだ。
via: 「Wii U」は投資家の関心を引かなかった? 「ソーシャルへシフトすべき」との指摘も - ITmedia ニュース
私はひねくれものだし、友達が少ないので「猫も杓子もソーシャル言ってんじゃねえよ」と思うわけだが、任天堂の考え方は少し違うようだ。以下任天堂のサイトから引用。
いつも思うんですが、
「物事のアイデアの筋がいいかどうか」って、
新しい構造を提案した瞬間、
「あ、あれにこう使える、これにこう使える・・・」
というのがさあっと広がるときに、わかるんですね。
それこそDSのときに、
「1画面にタッチスクリーンがね・・・」って
宮本さんが話してくれたときに、
「ああそれなら、あれができてこれができて・・・」
という話がさあっと広がったので、
おもしろい構造になるだろうなと思っていたんですね。
via: 任天堂 E3 2011情報 | 社長が訊く
今回提案する新しい構造で、
自分たちの身の回りで長年感じていた、
「こういうことを解決したいんだけど」っていうことを
たくさん解決できることがわかったので、
私たちは「これは筋がいい」と感じているわけですね。
via: 任天堂 E3 2011情報 | 社長が訊く
最近はソーシャルが流行りだからソーシャル。そんなソニーのような考え方では何も達成することができない。
今回のカンファレンスで逆に目立たなかったのは、ソーシャルなどスマートフォン&携帯電話を意識したキーワード。1月にSCEがNGPの概要を発表した際には、ソーシャル型のサービス「near」について時間を割いて説明した。しかし、今回はゲーム機能の説明にフォーカスした。ゲームのトレードショウE3での発表ということもあるが、PS Vitaを純粋にゲームに絞り込んだ紹介することで、ゲーム機としての印象を強めた。
via: 【後藤弘茂のWeekly海外ニュース】 SCEがE3で発表した次世代携帯ゲーム機「PS Vita」の戦略
今回任天堂が提案した「構造」は岩田氏や宮本氏が「長年問題と思っていた物」を解決するための提案である。それは
「今はBlackberryが売れているから対抗機種はこのスペックで」
ではなく
「Smartphoneなんていうけど、全然スマートじゃないじゃないか」
とiPhoneを作ったAppleの姿勢に通じるところがあると思う。
こうした発想は所詮「それができる人間」からしか生まれてこない。A3一枚に綺麗にロジックをまとめました、と誇りに思うような人間はトヨタグループか、コンサルティングファームに行けば良い。「それができる人間」が事業の上での意思決定権限を持っているところ、またそれが代をついて受け継がれているところが任天堂という企業の強さ。「代をついて受け継がれている」という点においてはAppleより上だと思う。
投資家がどう判断するかなどどうでもいい。WiiUがどんな「問題解決」をみせてくれるかとても楽しみだ。
2011-06-08 07:00
NHKで放映された東洲斎写楽の番組を見た。
それをみて、私が知っていた「写楽」の作品とは、第一期のものに限定されていたことを知る。第二期から第四紀までは第一期の大首絵とは全く違う、私から見れば凡庸な作品を作っていたらしい。
私が知っている「写楽」はこれで
これが第二期
今から何がその変化を引き起こしたのか知ることはできないだろう。できるのは想像力を膨らますこと。いや、もう映画化されているのは知っているけど、「ロックの魂」をもったワキしかできない能楽師を誰か真面目に映画化してはくれまいか。
私がミーハーファンであるところの、フェルメールも最晩年には変化をみせている。
こうした「変化」の背景に何があったのだろうか。写楽とフェルメールの「画力の衰え」には共通する因子があったのかなかったのか。
2011-06-07 07:14
Mac OS X Lionを発表する際、Jobsは"Back to Mac"という表現を使った。iPhone, iPadで成功した要素を母艦であるMac OSに取り入れようというわけだ。
先日概要が発表されたWindows 8も似たような戦略をとっているように思える。
待機状態のWindows 8はスマートフォンの待受ウィジェットのような、時刻などが表示された「ロックスクリーン」の状態であり、画面をタップすることでホーム画面が表示される。ホーム画面のUIはタイル式デザインで、ここにSNSや電子メール受信などの最新アップデート状況が逐次表示される仕組みだ。Windows Phone 7のUIに似たものである。
via: COMPUTEX TAIPEI 2011:Windows 8がタイルUIを採用する意図、そして"面倒な制約"とは──ここまで判明、「Windows 8」詳報 (1/4) - ITmedia +D PC USER
画面はまるでWindows Phone7である。もう一つ驚いたのは、この説明。
アンギウロ氏はHTML5で記述されたWebアプリケーションがWindows 8におけるメインのアプリケーション実行環境であり、今後はネイティブコードよりもWebプログラミングが中心になると示しているためだ。問題はWindows Phone 7のメインの開発環境が「Silverlight」であり、こちらの今後の戦略の変化が気になるのだが、Microsoftとしてはもう"Webプログラミング"に主軸を置くよう開発者らを誘導しているように思える。
via: COMPUTEX TAIPEI 2011:Windows 8がタイルUIを採用する意図、そして"面倒な制約"とは──ここまで判明、「Windows 8」詳報 (4/4) - ITmedia +D PC USER
Webアプリケーションは、まだまだ。ネイティブアプリにFeelingで劣る、と主張している私としては、巨艦Microsoftがこちらに舵を切ったことに正直驚いた。しかし上記記事でも引用されてるけど、Windows Phone7でSilverlightを使え、という主張との整合性はどうするんだろうね。またはOffice のWeb版を出すとか。
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さて、かのように私が驚く急激な方向転換を見せたWindows8ではあるが、「どうでもいい」と感じているのも確かである。
会社で使っているのは未だにWindows XP。企業で働く私にとってWindowsは下水道のようなインフラであり、その価格はいわば「税金」のようなものである。
そのような状況にあることはもちろんMicrosoftも認識しているのだろう。しかしWindowsを進化させなければならない。そこから生まれたのが今回の大きな変化なのだろうが、その成否については数年後までわからない。多分そのころも私はXPを使っているだろうが。
2011-06-06 06:44
某学会の全国大会に行っていた。
世の中には「プレゼンを上手にやるコツ」みたいな記事が溢れている。そう書くからには
「多くの人はプレゼンが上手にできず困っている」
という前提があるわけだが、それとは真逆の人をたくさん見かけた。「しゃべるの大好き!しゃべってる自分が大好き!」という人たちである。プレゼンは最低にヘタなのだが、別に困っていないのだろう。
朝から晩までいろいろな発表を聞いている。例えば一件あたりの時間が20分だと、発表は15分で、質疑応答5分とかそんな決め事があるわけだ。
あるセッションにでる。私が聴き始めたときにしゃべっていた人は、時間を告げるベルの音を無視して質疑応答の時間まで発表を続けそのまま壇上から降りた。
次の人はものすごい早口でしゃべり始めた。何を言っているかさっぱりわからない。ということはこの人はあそこで何をしているのだろう。我々に何かを伝えようという気はないようだ。「しゃべるの大好き!しゃべっている自分が大好き!」と20分叫び続けたかったのか。
この人も質疑応答の時間はなしである。其の次の人も20分きっちりしゃべり続けた。
またいろいろな発表を聞いていると
「何よりもこの人は自分のしゃべりに酔っている」
という雰囲気を感じ取ることができるようになってきた。そうしたオーラを発散させている人がだらだら演説を続ける。途中で時間が足りなくなったことに気が付き、結局何をいいたかったのかわからない演説は終わった。
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目標を立てる際は自分でコントロールできるものにしろ、という文章を読んだことがある。「今月は契約を◯件とる」というのは、所詮相手のある話なので、達成可能かどうかわからない。「飛び込みで◯件営業に向かう」というのはできなければ本人がサボった、ということだ。
発表の経験が浅いうちはありとあらゆる「どこかに書いてる」間違いをやる。経験をつんでもやっぱり間違いをやる。違いは「経験をつむと間違いからの回復が上手になる」ことくらいか。つまり間違いは不可避、コントロール不能なのだ。
それどころか最高のプレゼンをやったところで聴衆に耳がなければ相手は寝てしまう。これはプレゼンターのコントロール範囲を越えている。
しかし
「時間を守る」
というのはコントロール可能な事柄だ。
それをしないと何がおこるか?全体の時間は多くの場合決まっているのだから、かならず他人に迷惑がかかる。発表時間を短縮される人がでてくるかもしれない。次の予定に参加できなくなる人がいるかもしれない。そして何よりも超過した時間×観客の数だけくだらない話で他人の時間を無駄にすることになる。
だから「はてなブックマークを集めるエントリー」風に言えば
「プレゼンを行う際、覚えておくべきたったひとつの事柄」
は
「時間を守れ」
だと思う。
2011-06-03 07:59
某学会で、自動翻訳システムのデモをみた。Android端末に向かってしゃべればそれが翻訳されて表示+音声読み上げされる、というものだ。
こうしたシステムの常としてデモは見事に動く。しかしいつまでも実用化はされない。「絵年に未来にあるシステム」である。聞けばフィールドで「与えたタスク」をどれだけ達成できるかをテストしたところ、「タスク達成率7割程度」とのこと。
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その説明を聞いた後ふと考える。手書き文字認識の話だ。手書き文字認識もあらゆる技術を駆使しながら結局はそうした水準にあった。
そこでPalmは従来と異なるアプローチをとった。人間が自由に文字を書くのではなく、人間がコンピュータに歩み寄った文字を書くようにしたのだ。それによりPalm上での文字認識は実用化できる程度にまで精度が高まった。
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先ほど私が述べた中で「言語の翻訳」と「実場面におけるタスク達成」とは一対一に対応しない、というのが一つのヒントではないかと思うのだ。つまり手書き文字をそのまま認識する必要がなかったように、人間が自由に発生した言葉を認識し、翻訳する必要はないのではないか。
英語圏にいくと、ものすごいBorken English(というか2/3日本語)をしゃべりながらタスク達成率は高い人、あるいは英語の試験であればかなりの点数をとれるのにタスク達成率が低い人がいることに気がつく。
翻訳におけるGraffitiのようなものを考える事が、旅行者用翻訳システムを実用化する一つの方法なのではなかろうか。
2011-06-02 07:16
というわけで本日はいくつか細切れに
最近「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」を読んでいる。
井上ひさしの作文教室に、文章を書く上で重要な事は
「誰にでもわかる文章で、あなたにしか書けないことを書く事」
とあった。この本を読んでいると何度かその事が頭をよぎる。要約できる本ではない。何かについて書かれた本、というわけでもない。しかし短い一つの章を読むだけで少し気が軽くなる。これは誰にでも書ける文章ではない。
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多くの場合転職を繰り返すのは良くない事とされる。そう頭では理解していたし、学校を卒業する時は「これから首になるまでこの会社で働くのだなあ」と決めつけていた。なのに気がつけば勤務する会社は5社目だ。
同期や同じくらいの年代に入社した人間の圧倒的に多くはまだその会社で働いている。仮にあのまま辞めなかったらどうなっただろう、と思う事がある。多分今頃窓際の管理職になっていたか。(いや、古い会社だから未だに窓際管理職がいると思うんだよ)
仮にそうだとしても、生涯賃金は今より間違いなく高かったと思う。数千万円の規模で。しかし「やりたいことがあったような気がするのに何もしなかったな」という後悔とともに定年を迎えただろうこともまず間違いない。
多くの間違いを含め結局いつも決断していたのは自分、ということを考えればso far so goodとも思える。
思えば仮にそれが経済的に恵まれ、安定し、かつ身体的負担が小さい職であっても疲労困憊することが何度かあった。何故そうなるのか不思議だったが、最近このような文章を見つけた。
あなたが疲れ果て、死んだような気持ちになってしまうのは「役割を演じている」からだろう。上司に求められる役割、親としての役割、明るく優しいキャラという役割、デキるやつの役割、仲良しクラブの中の役割などなど。
残念ながら役割を演じているうちは、何をしても報われることはない。
何かを演じて手にした成功の手柄は「役割」 ―― 八方美人のあなた、会社に尽くすあなた、お金のために働くあなた ―― が全部かっさらっていく。
「仕事だし当たり前」「お金をもらっているし当たり前」「旦那だから当たり前」「妻だから当たり前」本当のあなたはちっともうれしくない
人は心からやりたいと思ったことでしか、報われない。
100%満たされた気持ちで毎日を過ごしたいのなら、勇気をだしてその仮面をかなぐり捨てるしかない。
ヘコみ回復力アップ!「ネガティブな感情の対処法まとめ」 : earth in us. から引用
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などと突然自分語りを始めたのは何故か、といえば最初に挙げた本を読んだからなのですよ。