まず問題

2012-05-31 07:08

問題が先か、技術が先かという議論は何度も何度も繰り返され、双方にもっともな理由がある。

何度か書いたことがあるが、私にとってより関心をひくのは「問題」である。この観点からして「むき出しのテクノロジー」にはあまり興味を持てない。具体的に言うと

「こんなすごい入出力インタフェース作りました。誰か使い方考えてください!」

という論文には多分2をつけることだろう。

具体的に言えばこれ

夢いっぱいのアプリケーション例

動画では5つのアプリケーション事例が紹介されています。

最初はフードトレーニング。赤ちゃんの教育ですね。

via: ディズニーの開発したタッチセンサーの新技術「Touché」がまさにイノベーション | ihayato.news

技術を紹介するビデオの衝撃と比べて、この陳腐なアプリケーションはどうしたことだろう。

次は体をセンサーにしたミュージックプレーヤー。

スクリーンショット 2012 05 06 16 06 39

手を合わせたり、指で体を触ったりして操作できます。

via: ディズニーの開発したタッチセンサーの新技術「Touché」がまさにイノベーション | ihayato.news

こんな話は今まで100回くらい聞いたような気がする。

サービスがいかに良いかも重要だけれど、サービスによって解決される問題が大きいかどうかが重要だと。この技術が素晴らしい、このサービスが素晴らしいということだけでなく、それが何の問題を解決するためのものなのか。小さい問題を解決しても大きいビジネスは生まれない。

ファウンダー曰く、

「ソリューションと結婚しちゃダメだ。問題と結婚しろ。ソリューションがダメでも、問題が正しければ違う手法でチャレンジできる。」

と。サービスをつくる前に、それが解決する問題は何なのか、そしてその問題がどれほど大きな問題なのかを考える。色々なサービスを見てみると、Pivotしてソリューションが変わっても問題は変わらないケースが多い。マーケットポテンシャルに直接つながる話。

via: シリコンバレーの歴史、スーパー・エンジェルの誕生、日本企業との懸け橋を目指すNSVについて[後編] | Startup Dating [スタートアップ・デイティング]

最初に引用したビデオより、この文章に共感を覚える、ということは私はどこか「応用、事業」よりの視点で物をみているのかもしれんな。



人の不安をお金に換えよう!

2012-05-30 06:52

まあこれも商売の一つの方法なのだろうな。

PANTONE 5は、測定専用ボタンを搭載し、指1本で測定できるようにしたほか、測定した場所は自動的にマップ上に表示できる。「放射線測定機能を母親の皆様方に、しかめ面ではなく、日常の生活の中で毎日持ち歩けるよう思いを込めてつくった」とした。

 なお、測る高さなどによって測定結果が異なるため、「測った人による結果のばらつきが、風評被害などの問題になりかねない」とし、まずは自分用として測定結果を保存していくとしている。「人によるばらつきに解決できる目処が立てば、情報を共有することは検討しうる」とした。

via: 「やりましょう」とすぐに言えなかった--放射線測定付きスマホへの思い - (page 2) - CNET Japan

「測った人による結果のばらつきが、風評被害などの問題になりかねない」

ということを認識しながら、この製品を出す。校正もしなければ、測り方は使う人の「気持ち次第」。放射能の測定結果と称するデータを使った詐欺やら、恐喝やら、風評被害が増大する、、というのは考え過ぎかな?

宿に宿泊する。チェックアウトの時間に携帯を取り出し「こんなに高い値がでている。金は払わないぞ」といって立ち去る。こんな人が続出しても驚かないけどね。携帯用放射線発生源が合わせて販売されたりして。


「【超拡散希望】●●で衝撃的な放射線量!」という喜びのTweetがあふれかえる様子が目に浮かぶ。こちらはまあ間違い無いだろう。

しかし一点だけ確かなのは、これが売れればソフトバンクは潤う、ということだ。(多分「そうではない」という特別料金プランが発表されるだろうが)
人の不安、非難、そうしたネガティブな感情をお金に替える決断力には感心する。

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時々リアルの本屋に行くのだが、そこにあふれる

「原発関連本」

の多さには本当に驚く。京都大学のなんとか助教とかどっかの教授とか、この世の春を謳歌している人たちの誇らしげな顔が帯を飾っている。

昨今苦しいと言われる出版業界にとって、原発事故は神風たりえているのだろうか。あの本の数を見る限り、「神風になりうる」と判断していることは間違いない。
商売の基本というものはこうしたことであろうな。
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考えてみればメディアというのは、常に人のネガティブな感情に火をつけることで、注目を集めようとする。彼らにしてみれば

「読者の声に耳を傾けた結果」

ということになるだろうし、おそらくそれは間違いではない。

「天国の新聞は恐ろしく退屈だろうな」

というのはどこかで読んだセリフ。人間はネガティブなニュースが大好きなのだ。まあ「適者生存」の法則から言えば、ネガティブなニュースにきちんと反応して身を守ったほうが生き残りやすい、ということなのかもしれん

私にとってもっと不思議なことは、しばらくたつとそれを綺麗さっぱり忘れてしまうことだ。そう考えると今回の発表はいささか時期を逸していたのかもしれない。


いくつかの断片

2012-05-29 07:02

というわけで本日は小ネタをいくつか。

君が代、日の丸は侵略のシンボルとして使われたのでけしからん、という人がいる。

NHKが製作したマヤ文明の番組をみて、マヤを壊滅させたスペインの船の映像が映し出された。帆に大きな十字架が描かれている。
日本人は祝詞を上げて泥棒する、といったのは石原莞爾だが、ヨーロッパ人は十字架を掲げてありとあらゆる残虐行為を働いた。なのに「十字架はけしからん」という人がいないのはどういうわけだ。

これはどうも私が書いた文章らしい。「日本人は祝詞をあげて泥棒する」などという言葉をあまり聞いたことがないからだ。うまいこと書くなあ、と自画自賛の心に浸ればよいのか。その事実をすっかり忘れていたことに愕然とするべきなのか。

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親愛なるSonyが(おそらく)大金をかけて作ったPS VitaのCM.

何をどうしたらこんなCMを大金をかけて作ってしまうのだろう。

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科学くん「僕は万能じゃないし、君が求めてるような答えも出せないかもしれない。でも僕は君に対していつも誠実でいたいと思うんだ」似非科学くん「あいつ頼りないよね!ダメだよね!心配ないよ!俺がついてれば大丈夫さ!いつも君が正しいよ!君の問題は全部僕が解決してあげるよ!」

どっかのtweetより

というわけで、真実と健全は、適度な不安定さに宿る、ということがわかるのであった。「一挙解決」の安定を求める案を追いかけだしたら、その会社の衰退は第4段階に入っているとかなんとかは、この本に書いてあったな。

自戒を込めて。とはいっても、どうすればいいのだ。


語ることと行うこと

2012-05-28 06:49

今まで何度か言及したことだが、何度でも繰り返そう。おそらく私はそのことを忘れてしまうから。

この事実を私たちはあまりにもしばしば忘れてしまう。元カーネギー・メロン大学の教授、ランディ・パウシュは最終講義でこう言った。

Syl said, it took me a long time but I've finally figured it out. When it comes to men that are romantically interested in you, it's really simple. Just ignore everything they say and only pay attention to what they do

Sylは言った。ずいぶん時間がかかったけど、とうとうわかったの。男性があなたに気があるそぶりを見せた場合、「言う事」は全て無視して、彼が「何をするか」だけに気をつけなさい。

via: ごんざれふ

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私は家入一真という人は、おおくの人が批判するように欠点もたくさんあるのかもしれないけれど、彼が追い求めている価値に共鳴している点で全幅の信頼を置いています。


via: Twitter / sasakitoshinao: 私は家入一真とい

追い求める価値に共鳴する。いい言葉だ。追い求める価値を、佐々木氏はどのように判断しているのだろうか。おそらくは家入氏の「言葉」だろう。実態は言葉と異なっているからね。

そして家入氏の「行動」についてだが。



あなたのやろうとしたことは単なる詐欺紛いで、学費高高騰とは無関係です": このグラフを見て欲しい。バブルが弾けた後も学費は高騰し続けている。 これは日本に限らない。今後の、震災後の、日本を担うべき学生が、学びたくても学べない状況になっている。 "


via: Twitter / shi3z_bot: あなたのやろうと

このStudygiftに関係する人たちの「言葉の巧みさ」には本当に感心する。他の人はどうか知らないが、おそらく家入氏は自分が発している言葉を本当に信じているようだ。

その「言葉」に共鳴する人もいるだろう。私はランディ・パウシュの言葉により多く共鳴する。すなわち見るべきは「行動」だと。

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もう一つ、「良い言葉」を掲げよう。

うねりは起きている。まだ確かな流れではないが一点を突破すれば一気に流れ出すパワーを持っている。遅かれ早かれ起こることなら、自分で先導してしまおう。波にのまれるよりも、波に乗ってしまおう。コラボレーションを加速して、ムーブメント起こしちゃおうぜ!

さぁ 、世界を驚かそう!

via: 世界を驚かす覚悟はあるか? - Hacking My Way ~ itogのhack日記

そしてこの文章を掲げている会社の最新作。

コンプガチャ自粛をいち早く発表したKLabは、5月16日より、コンプガチャに代わる新しいガチャを、同社の「真・戦国BUSTER」にて導入した。

via: コンプガチャを失った、ソーシャルゲームの「次の一手」は - ねとらぼ

「世界を驚かす覚悟」ねえ。。

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最後に明和電機、土佐社長の言葉を。

ソーシャルビジネスを見ていて「おや?」と思うのは、「プレゼンテーションしかなく、背景がない」場面がときどきあることです。「これからわたしはこんなモノを作ります。だからお金をください」。という言葉。

でも僕は逆だと思うのです。たとえ拾った木片を削って作ったものでもいいから、「僕はこんなものを作りました。買ってくれませんか」の方がしっくりきます。そこで得たわずかなお金で、道具を買って、もうすこし立派な彫刻を作る。それを売ってまたかせぐ。これがどんどん大きくなって、自分への自信と、モノを生み出す技術力になっていく。

いきなりモノも、コンテンツも作らずに、プレゼンだけでたくさんのお金が集まってしまうのは、長い人生でコツコツと学んでいく大事なことを、なんだかすっとばしてる気がします。

まあ、この考えは、いまのソーシャルネットワーク社会からすると、ひとつ前の古い考えだと思いますが、芸術家も、製造業も、本質はそこだと思います。

via: ~明和電機 社長ブログ~: 学生時代、味噌の訪問販売のバイトで学んだこと

覚えておこう。少なくともこの言葉を胸にとめておけば、チープな詐欺にひっかかる危険性は減らせるのではないか。


子どもと公園にいく

2012-05-25 07:12

子供がサッカーの練習がしたいという。じゃあ一緒に公園にいこう。

子供は公園までの最短距離を通ったりしない。あちらにいき、こちらにいき。寄り道し、道端に怪しげなキノコが生えているのを見つけて大騒ぎする。

頭が仕事モードのままの時は、「さっさと行こう」といいたくなる。しかし楽しそうな子供を見ていて、これは考え方が全く違うのだ、と気がついた。


仕事モードの父親にとって、公園までの道のりというのは「コスト」でしかない。であればそれを最小化するのが正しい。最短距離を最短時間で移動する。目的は「公園で行うサッカーの練習」なのだ。

しかし子供にとってみれば、(願わくば)「父親と歩いてあれこれすること」自体が楽しいことであり、目的の一部なのだ。そこにふと気がつけば、子どもと一緒に「なんだ、このへんなキノコは」ということで騒いだほうが楽しい。別に忙しい一日じゃないし。

あるいはあなたは小学生の登校風景を観たことがあるだろうか。特に1年生の男どもは、なかなか前に進まない。ふざけあい、時には逆方向に進みながらいつまでも遊びつつ歩いて行く。時間に余裕があるのだからそれでも問題はない。死んだ魚のような目をしながら下を向いて会社に向かうお父さんとは大違いだ。

なぜこんなことを言い出したかといえば、この文章を読んだから。

基本的に大人がやる行為には「目的」があって、そのために手段がある。はさみを使うのは、切って何かをつくるのが「目的」だし、お風呂でお湯を汲むのは、体を流すのが「目的」。けれど子供がやることの多くは、大人にとっての手段自体が目的だったりする。ただ、はさみで紙を切る。楽しいから。お風呂で、延々とお湯を汲んでは流し、流しては汲む。楽しいから。目的はないので、どこにも行き着かず、終わりもない。大人はそれらを「遊び」と読んでいるらしい。

子供にとっては、この世のあらゆる体験が初めてのことに近く、新鮮に感じられるはずだ。だから、はさみを動かしたら紙が切れた!積み木を縦に積み上げられた!自転車に自分ひとりで乗れた!そういう一つひとつの「手段」を習得した時、その喜びのあまり、手段自体を繰り返し楽しんでしまうのだと思う。

via: こどもは手段が目的 - kobeniの日記

この「プロセスをコストとみるか、目的とみるか」というのはなかなか深いものがある。最近よく聞くのが

「下手に報酬を与えてしまうと、それがコストになる」

という図柄だ。楽天レシピに投稿するとカネになる。じゃあ金をかせぐために、レシピをどんどん投稿しよう!そして死んだ魚のような目をしてレシピを投稿し続ける。この場合最小コストで最大数のレシピを投稿するのが「正しい行為」になるわけだ。

じゃあ子供っぽく「プロセスを楽しめればいいや!」というわけにもいかない。

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しかし、今回はむしろ炎上して良かったんじゃないですかね。これが綺麗にそのまんま終わったら、発案者の好きな女性へのプレゼント企画にみんなの奨学寄付がまんまと流用されたという事態になっていたわけですから。

via: 僕秩ヨシナガさん、自身が想いを寄せる女性への寄付を募る目的でStudygiftを立ち上げたということでFA: やまもといちろうBLOG(ブログ)

この一件を企画した人たちはみな「プロセスを楽しんでいる」と思う。結果を、自分たちが何をやっているか考えず、徹夜してがんばったことを誇りに思う。そして

まじで嬉しい。坂口さんもスタッフも喜んでます。まだまだこれからだけど。最初のケースとして出てくれた坂口さん、支援いただいた皆さんには頭があがりません。応援、意見してくれたみんな、徹夜で対応してくれたスタッフのみんな。本当にありがとう。そして、ごめんこれだけは言わせて...ざまーみろ!

via: Twitter / hbkr: まじで嬉しい。

そうだねえ。子供だったら余計な「ざまーみろ!」を言っちゃうよねえ。親がいればたしなめたり、代わりに謝ってくれたりするけどね。

この一件で更に驚くのは、集まった寄付だか支援の件数と金額である。いろいろな背景が明らかになる前でも

「あきらかにおかしいだろう」

という呼びかけに195人が応募し、総額は975,000円にもなっているのだ。これには正直驚いた。世の中から「振り込め詐欺」が消えないわけだ。というか私が反社会的な仕事をしている人だったら、絶対この線での商売を企画すると思う。

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まあしかし私のような人間がどう考えようが、関係者が幸せそうなことは確かだ。こうした神経は率直に羨ましいと思う。よく目にすることだが、どんな批判を受けようが、どんな結果をまねこうが

「本人が認識しなければどうということはない」

のである。皇帝もこう言っている。

*自分は損害を受けたという被害者意識を取り除くとよい。そうすればその損害というものも消滅するから。

via: 文藝散歩47  「自省録」

皇帝はこう自分に言い聞かせている。つまり言い聞かせなければならなかった、ということだ。家入氏のように「自然にできている」のとは次元が違う。しかし目指しているところ(家入氏にとっては到達している場所)はおなじである。

そしてつまるところ

そもそも、人生の目的って何なんでしょうね。
人生って手段なのかなあ。
とか書いて、めいっぱいお茶を濁しつつ、終わり。うちの猫にも聞いてみます。

via: こどもは手段が目的 - kobeniの日記

ということなのだ。人生について深く考えた皇帝もこう言っている。

それゆえ、なんらかの瞬間を人生の目的と考えてはならない。過ぎ去った巨大な深淵のごとき時を振り返り、無限に続く未来に思いを馳せるとき、人生が三日しか続かなかろうが、三世代にわたって続こうが、少しも差はないと知るだろう。

運命によってわれわれに割り当てられたこれらの瞬間、瞬間を正しく認識し、満足をもって世界を眺めよう。熟したオリーブの実が枝から自然に離れて地に落ちるときのように、われわれを育んだ土壌を、木を讃えようではないか。

-マルクス・アウレウス・アントニヌス 自省録

via: スティーブ・ジョブズの逝去に関するApple取締役会の声明


追記:
かの人物からはいろいろな発言がでているようだが、5/25時点で、Google+のプロファイルがこのようになっている時点で、すべての「弁解」は無意味ではないか。というか「子供だまし」という言葉以外私には思いつかない。

SafariScreenSnapz003.png


サービスの非対称性

2012-05-24 07:02

言葉はややこしいが、つまるところ

「サービスを作った人間が自分で使うか」

ということである。漫画では「ヤクの売人は、いずれ自分でヤクに手をだす」とか読んだことがある。とはいえ、そうなると商売が続けられないから、非対称性を保ったまま利益を上げ続ける人もいるのだろう。

インタラクションの研究でも、サービスの開発でも

「自分が使いたいものを作れ」

とはよく言われるところではある。それは一つの方法ではあるが、DeNAやGREEは

「カモを大量捕獲する」

ことで業績をあげ、一部の人からは「日本の新しい成長産業だ」と絶賛された。彼らの信条は、(「奇妙な論理」にあったセリフと思うが)


「世の中には2種類の人間がいる。取る奴と取られる奴」

というところであろう。

先日DeNAからうまく「勝ち逃げ」した南場氏の言葉を目にした。

世界金融の中心にいる専門家たちがそういう目で見るビジネスで、果たして世界的なネット企業へと昇華できるのだろうか。

 今年4月中旬、DeNAの創業者で社長を退任した南場智子取締役に疑問をぶつけた。すると、昔から米グーグルを超えたいと言ってはばからない彼女は、こう言って笑った。「ははは。確かにガチャでグーグルやフェイスブックには、なれないわな」

via: 続・行き過ぎたソーシャルゲーム 依然残る「射幸心」  :日本経済新聞

私は「コンサルタント」という職業にかなりの偏見を抱いている。いや、良い人は多いんですよ。しかしこの言葉には、コンサルタントという職業が持つ聡明さ、傲慢さ、そして無責任さが凝縮されているように思う。

1.外向的な人
2.批判的な人
3.自分の得意な分野について語っている人
が挙げられている。これ、コンサルタントの3つの得意技、とも言えます。

via: On Off and Beyond: コンサルタント:頭が良いフリをする方法

こう公言してはばからないのがコンサルタントという人種である。そして彼らと彼女たちの倫理観では、彼らと彼女たちが「取る奴」で、クライアント、コンシューマは「取られる奴」なのだろうな。

こうまで言われてもGREE,DeNAに金を貢続ける人はもちろん多いのだろう、というかそういう人達はそもそもこうした発言を読まないか。


【嘘】デジカメにも日食網膜症が頻発

2012-05-23 07:27

「撮った写真になんか白い輪がはいるようになっちゃったんですけど」

日本全国をわかせた金環食フィーバー後からこんな相談が家電量販店に持ち込まれるようになった。それまで太陽などとったこともなかったユーザが日食を撮影しようとしたために発生した「日食網膜症」のデジカメ版とみられる。

「あまり知られていないことですが、デジカメにも日食網膜症があります。太陽に向けて長時間露光すると、その映像がCCDに焼き付いてしまい、その後に撮る写真全てに太陽の映像が映り込むことになります」と関係者は語る。

「買ったばかりの携帯なのにどうしてくれる」

このようなクレームが多く持ち込まれているようだが

「そもそもデジカメは素で太陽を撮影するようにはできていません」

と担当者も困惑気味だ。カメラ部品を作っているメーカーの関係者はこう語る。

「快晴であれば、誰も太陽にデジカメを向けようとはしなかったと思うが、今回は薄曇りでなまじ肉眼で金環が見えてしまったことが原因。人間の網膜と異なり、新しい部品に交換していただくことで、元通りの写真が取れるようになります。(わなわな)」

語っているそばから思わぬ神風的需要に沸き上がる笑顔を隠すのに必死の様子がうかがえた。関係筋の情報によると業績不振に悩む某家電メーカーでは

「日食神社」

を社内に設置し、日食の今期中の再来を祈願しているとのこと。

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でもってこの写真だ。

確かに可愛い。しかし

「何がどう可愛いのか」

と言われると答えにつまる。こちらのサイトを見ると、同じように溶接用のマスクを使っている人たちの写真が載っているが、この写真の可愛さの足元にも及ばない。

ああ、「可愛い」研究の道は奥が深い。研究しているわけじゃないけど。

しかしなんだね。iPhoneのカメラ用に、溶接マスク型のフィルタとか誰か作らんかな。

「これが"かわいい"フィルタだ!」

とか言って。私にフォトショップを使う技があれば、そういう嘘写真を作るのだけど。


今そこにあるフレーム問題

2012-05-22 06:43

今日は短く。私はほとんど使わないのだが,WindowsとかMacで何もない画面の部分をデスクトップというのだそうな。

でもってこれは「机のメタファー」である、とかなんとか。時々そうした前提にたった学生さんの研究を目にする。

しかし

いいかげんこの「メタファー」というのは忘れてはどうかと思うのだ。iOSをみてもらえばわかるが、Appleはあのアイコンが並んだ画面を「デスクトップ」とは言っていない。iOSでは基本的に「ファイルアイコン」を目にすることはない。フォルダだのディレクトリとも無縁だ。

私はこれは正しい選択だと思う。どうしたってフォルダはフォルダじゃないし、デスクトップはデスクトップではないのだ。

先日こういう記事を読んだ。

わたしがこれまで最も感心した話は、オヤジBさんがワープロソフトを使っているとき、削除したい部分を範囲指定し、ドラッグしてゴミ箱に捨てようとした話だ。もちろん、ゴミ箱に捨てられるのはファイルとフォルダだけで、文字列は捨てられない。Bさんは何度も試し、たびたびPCを再起動したが、らちがあかない。だれかが「それは無理だ」と教えてあげたのだが、Bさんは「文字を小さくしたのに」とフォントサイズを下げたのにゴミ箱に入らないことが許せなかったようだ。この話を20世紀末に知人から教えてもらったとき、MacとWindowsの別なくGUIの致命的欠陥を知った。メタファーは難しいのだ。

via: 本当にあった脱力PC話: 論駄な日々

この場合どう「常識的」に考えても正しいのはオヤジBさんである。なぜゴミ箱があるのに文字が捨てられないのか。内部的にどうのこうのといいだすくらいなら、そもそもゴミ箱という「メタファー」なんぞ使わなければいいのだ。

おそらくメタファーを使うとき、「記号接地問題」もいっしょに抱え込んでしまっているのではないだろうか。このオヤジBさんにとってみれば、「実態のあるもの」がなぜ捨てられない、と思う。それはつまるところ、対象物が接地していないからなのだが、そんなことを書いてもあまり何の役にもたたんな。


遙かなる女子会

2012-05-21 06:50

昨今「女子会」なる言葉をよく聞く。ホテルとかレストランも「女子会プラン」なるもので集客を試みているようだ。

存在は知っているが、その内容は私にとっては謎のままである。ところが先日この内容を垣間見るチャンスが訪れた。

かつての同期生が集うFacebookのグループが存在する。そこで女子会が催されたのだ。そろそろ宴たけなわか、と思いグループを見ると

「女子会で出された料理」

の写真がアップロードされている。しかしこの料理はなんだろう。先日男同士で居酒屋に行き

「鯖の水煮缶」

がでてきたので歓喜したのは私です。しかるにアップロードされるのはフレンチだかイタリアンだかの観たことも聞いたこともない料理だ。

さて翌日、参加者からいろいろな感想が書き込まれる。●●ちゃんのスーツ素敵だった!食事もワインもおいしかった!時間が足りないくらいでもっとおしゃべりしたかった!

それを読み私は沈思黙考する。まるで別世界だ。男性と女性をホモ・サピエンスとしてまとめるのは間違っていて、それぞれに違う学名をつけるべきではないか。

それにこの楽しそうなコメント。同期会といって男女混合で話すのもの楽しいが、女子だけで集まるほうがもっと楽しそう。割合は1:3くらいで女子会を多く開催するのが正しいのではなかろうか。

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なぜ唐突にこんなことを言い出したかと言えばこの記事を読んだからである。

「宴会」とは、もともと農耕社会のひとつの共同体における季節事の祭祀に端を発し、共食・共飲・遊興(芸能)を主軸とした祝祭空間であると言われています(小林 1995)。
  その目的は、共同体の構成員の紐帯の確認、帰属意識の強化をめざすものであるということです。故に、共食・共飲・遊興等によって、意識的にハレをつくりだすそうです。

 つまり、「宴会」とは、「メンバーの選択拘束性が強く、目的志向性が強い集い」であり、めざすところは「主従盟約」なのです(井上 1995)。そういう目的のもとに集うことが、「宴会」であるわけです。

via: NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 「宴会」でも「パーティ」でもない「第三の集い」:今の組織に必要な「集い」とは何か?

会社というところが概ね男性優位の社会であった間はこの「宴会」でも十分に機能したと思う。しかしあの「楽しい女子会」のコメントを見ていると、宴会に出席するということは私達鈍感な男達(お前が代表するな、という意見もあろうが)の想像以上に女性にとって苦痛なのではなかろうか。少なくともそれは彼女たちが目指す社交の姿ではない。

逆を考えてみればいいのだ。女性優位の会社で「部署の宴会」を行うとすれば、きっと女子会のようになるのではなかろうか。そしてそこに一人紛れ込んでしまった男性がどのように感じるか、と。

でもってアメリカにいるときには時々パーティーなるものに行った。

「パーティ」は「宴会」に比べて、「祝祭性」は弱く、それはあくまで「日常」の延長上にあります。目的は「共同体の帰属意識強化」をめざす宴会とは明確に異なっています。「パーティ」は、プライベートな人間関係を発達させることをめざすそうです(小林 1995)。

 つまり、パーティとは「選択自由性・プロセス志向性が強い集い」であり、めざすところは「一期一会」なのです(井上 1995)。そこは、「共同体」というよりも、むしろ、「アトム化した個」が単位の空間であるということです。

via: NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 「宴会」でも「パーティ」でもない「第三の集い」:今の組織に必要な「集い」とは何か?

そこでの主役はあくまでの個と個の会話である。であるからして、英語と英語で交わせる話題に乏しい人間にはつらい空間である。米国滞在1年して出席したパーティーで初めて

「ちゃんと会話できた」

時のうれしさは未だに忘れていない。

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さて、話はずれていく。合コンである。無駄に合コンの回数だけ重ねたことには自信がある。その観察結果から合コンの会話は

・宴会的な集団で話すパターン
・パーティー的な1対1で話すパターン

が流動的に存在するという結論に達した。

この合コンというのは、「場を共有することによる親密感の醸成」も目的だし、「アトム化した個」が会話する場でもある。どちらも有効だし、必要なのだ。そりゃ狙いが決まっていればその人とお話したいし、そうでなくても、いろいろな話が聞けるのは面白い。一番つまらないのは誰かの演説を延々聞かされるパターンだが、それが相手に受けていれば「親密感」が醸成される、、、のかな?

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話しを戻そう。遙か彼方に存在しているのは女子会である。
ある友達(♂)は女子会の感想をよみ

「世の中に女子会という言葉はあるが、男子会という言葉がない理由がよくわかった」

と書いていた。私も同感である。まあオヤジは、鯖の水煮缶でも食べて安酒すすってろということだ。


スマートTVに必要なたった一つの機能

2012-05-18 06:42

いいですか?皆さん一度しか言わないから(嘘)よく聴いてください。

それは...


スイッチをONしたら、映像が流れる

これがないものはダメです。これができないものを製品化するとすれば、それは「売り手」の立場にたっている。残業で疲れて家に帰った時、リモコンをかちゃかちゃ操作して画面上野使いにくいボタンを何度も押したい人はいますか?

これが圧倒的な普及台数を誇りながら任天堂がTVサービスに失敗ばかりしている理由だ。

このたび、2012年4月30日をもちまして『Wiiの間』のサービスを終了させていただきました。
サービスをご利用いただいていた皆様にお詫びを申し上げるとともに、
三年にわたるご愛顧に心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

via: 「Wiiの間」ホームページ

任天堂が 3DS用の映像配信サービス『いつの間にテレビ』を今年の6月20日をもって終了することを告知しました。『いつの間にテレビ』は、フジテレビや日本テレビが提供するオリジナルの短い3D番組を無料で視聴できるサービス。昨年の6月21日から提供されており、ちょうど1年をもって終了することになります。

via: ニンテンドー3DS『いつの間にテレビ』は6月20日で終了。『ニンテンドービデオ』は継続 - Engadget Japanese

理屈の上ではこの構想は完璧だ。圧倒的普及台数を誇るWiiとDSの上で、無料で視聴する番組を放映する。収入は広告モデル+視聴者の行動データ。

しかしこれらはいずれも失敗に終わった。なぜか。動画にたどり着くまでの長い長い道のりは、あれは冗談ですか?

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私が知る限り、このことに真正面から取り組んだのは、かつてはてなが提供していたRimo

ネットに情報があふれた結果、自分で情報を探し、そこから取捨選択の判断をするという使い方は限界となりつつある。このような調査結果やユーザー動向から、スマートフォンやタブレットのように、アクティブに情報に接するだけでなく、受動的にインターネットを楽しむことが求められていると判断。「徹底的に受け身でインターネットを楽しめるように作られたのが光ボックス+です」(清水氏)。

via: 本田雅一のTV Style:受動的なネット利用がカギ? NTT西日本「光ボックス+」の戦略(1) - ITmedia +D LifeStyle

だけである。特に後者は興味深い。

「NTTとは思えない」というと、清水氏は苦笑いしたが、光ボックス+はデザインやコンセプトが利用者サイドに立って考えられており、なおかつストレートに意見を反映するのではなく、ユーザーがどうやってインターネットを使っているのか? に立ち返った作りになっている。官僚的なイメージがあるNTTブランドからすると、光ボックス+の自由な発想は、良い意味で異質だ

via: 本田雅一のTV Style:受動的なネット利用がカギ? NTT西日本「光ボックス+」の戦略(1) - ITmedia +D LifeStyle

今後はYouTube映像のソムリエ的存在としてキュレーターを用意し、何人かの著名キュレーターの選定するYouTubeチャンネルを展開する。

via: 本田雅一のTV Style:受動的なネット利用がカギ? NTT西日本「光ボックス+」の戦略(1) - ITmedia +D LifeStyle

このキュレーターの存在など興味深いではないか。あれこれやってわかったことは

「所詮コンテンツをフィルタリングできるのは人間」

ということだ。自分がフォローしているキュレーターの番組が、スイッチONで流れる。これでいい。これしかやってはいけないのだ。

難しいのは「機能を実現すること」ではなく「機能を削ること」。つまるところそれは

そもそも、"Insane Simplicity"(常軌を逸したほどの単純性)とは、何だろう。本誌のニューヨークスタジオに来たSegallに、まずそれを聞いてみた。彼の答はAppleのファンボーイたちを喜ばせ、Androidユーザをいらだたせるだろう。それは結局、無駄を排除する経営プロセスがある、ということに尽きる。

via: Appleの成功をマーケティングの側面から分析した本: Insane Simplicity

経営プロセスによるのだ。そうでなければ、仮に担当者が「シンプルにしました」という製品を提案したところで、「あれもつけろ」「これもつけろ」とごてごて機能が肥大化していく。そしてこれができあがるのだ。

ロボット家電「COCOROBO」<RX-V100><RX-V80> ●<RX-V100>の写真はイメージです。

 シャープは、「人工知能」「音声認識※3」「センサー」「スマートフォン連携※4」などの先進機能により、快適で安心感のある暮らしを提供する「ロボット家電」を提案します。

via: ロボット家電「COCOROBO」を発売 | ニュースリリース:シャープ

ダメな製品を貶すことは簡単だが、NTT西日本が提案してきたこの面白いコンセプトはどうあろう。日本の大企業をみくびってはいけない。表にはでてこない面白い人がうようよ存在しており、何かの「隙間」があればそうした人がでてくるのだ。

日本から再び面白い、画期的な製品がでてくるとすれば、それは大きな企業の傍流からでてくるのではないか。そんなことを考えさせてくれる製品だ。


Docomoの夏モデル

2012-05-17 07:39

私が使っている「ネット端末」iPhoneの画面左上には

JP Docomo

と表示される。しかし私が使っているキャリアはDocomoじゃない。

昨日Docomo様が夏モデルを発表したのだそうな。いくつか面白い点があったので書いておく。

・発表をUstream配信するのはいいが、発表と同時(あるいはもう少し早くか?)に製品情報をWebサイトで公開するのには驚いた。いや、私はApple原理主義者だからこんなこと言うんだけどね。発表の間は、発表を見てもらい、その後に製品サイト公開したほうがいいんじゃなかろうか。でないとだれもUstreamなんか見てくれないよ。

・とうとうラインナップからガラケーが消えた。
先日NFLでドラフトがあった。一番指名のStanfordのQBがFlip phone(つまりはガラケー)を使っていたことが話題になっていた。そして今日はこんな記事を観た。

Anyone Using a Flip Phone Is Probably a Serial Murderer or a Drug Dealer


Are we entering a new age when a flip-phone is the mark of either drug trafficking or hired assassination?


via: Anyone Using a Flip Phone Is Probably a Serial Murderer or a Drug Dealer

いやはや。世の中の移り変わりは激しい。
この急激なスマートフォンへの移行は、必ずしもユーザニーズだけによるものとは思われない。メーカーの思惑としては

「どっちでもいいから統一してくれ。ガラケーとスマートフォン2種類作るのはかなわん」

ということだろうし、おそらくキャリアにはスマホへの移行を歓迎する理由があるのだろう。月6,755円(Docomoの場合)も「最低でも」入ってくるのは、そりゃうれしいだろうな。キャリアとしてのコスト増は知らんよ。

「らくらく・パケホーダイ」なんてのも発表されたが、そもそもらくらくホン使っている人がそんなにパケットを使っていたわけがない。これに切り替えることで、ARPU大幅アップ、という構図にはめようとしているのだろう。

・それでもってその「らくらくスマホ」だが


Google Playは利用できず、Googleアカウントの設定も不要。dメニュー経由でのみアプリをダウンロードできる。


via: 「ドコモクラウド」も本格展開:GALAXY S III、新型Xperia、クアッドコア搭載機、らくらくスマホも――ドコモが2012年夏モデルを発表 - ITmedia +D モバイル

とのこと。Androidをプラットフォームではなく、OSとして使うDocomoの意図がかなり明確に現れている。

「通信事業者としては土管化を回避したい」。6月に退任する山田社長は、発表会でドコモクラウドについてこう説明した。単にデータトラフィックを輸送する「土管」と化すのではなく、高品質なネットワークに多彩なクラウドサービスで付加価値を付け、「ドコモのお客はドコモの中で全部そろう」(山田社長)という囲い込みを図っていく狙いだ。

via: 「土管化は避けたい」──「ドコモクラウド」の狙いと「iPhoneは難しい」理由 - ITmedia ニュース

この「Google Play使用不可」OSがDocomoのなかで今後広がっていっても私は驚かない。ユーザにしてみれば払った金が100% Docomo に行こうが、そのうちの何割かがGoogleに行こうが知ったことではない。であれば何かあったとき

「とりあえずDocomoに文句が言える」

Docomo Worldのほうがいい、という結論になってもおかしくない。

Docomoから離れられない人にとっては気の毒だが、これで

・iPhone/iPad=Softbank
・土管だったらまかせて頂戴のau
・Docomo Worldだけで生きてねのDocomo

という図式が明確になったのではなかろうか。

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しかしそれなりに儲けているキャリアはいいとして、携帯電話メーカーはこれからどうするんだろうね。


Among the other six vendors, only HTC managed to eke out a profit, taking 1% of the total industry profits. Research in Motion, LG, Sony Ericsson, Motorola, and Nokia each failed to turn a profit on their handset businesses.

via: Apple and Samsung Claim 99% of Profits Among Top Mobile Phone Vendors - Mac Rumors

作っても作っても利益はでない。結局儲けているのはAppleとサムソンだけだ。

「へへー。キャリア様の行く所どこまでもついていきます」

という路線をいつまで続けられるんだろう。



モチベーションを高めよう

2012-05-16 07:08

昨日録画しておいた「らららクラシック」という番組を見ていた。

母の日にちなんだ特集ということで、「大作曲家」とその母についてあれこれやっていた。例えばモーツァルトの母は、息子(つまりモーツァルト)が22歳の時一緒にパリに行き、彼の「営業活動」を見守っていたのだそうな。息子の方はいろんな人と楽しくやっている時に「邪魔しちゃいけない」と独りでひっそりしていたのだとか。

後に大作曲家となった人の、何人かは両親から強烈な反対を受けている。そりゃ今も昔も芸術の人の生活は不安定だしね。ある男は、母の支援でこっそりバイオリンを練習していることが父親に知れ、バイオリンを破壊されたとか。

印象に残っているのは作家である石田氏のコメント。

「でも反対されたほうが、自分のなかで意欲が固まるじゃないですか」

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結局のところ大成するのはこういう人×こういう分野なのではないかと思う。切っても切っても金太郎飴のごとく(本当は同じ顔がでてきちゃだめなんだけど)めげない分野で無くてはダメなんじゃないかな、と。

先日こんな記事にでくわした。

  • 10. 作ったらクソゲー前提:「ゲームのおもしろさは、仕様書では表現しきれない」 作ったばかりのゲームはすべからくクソゲーである ゲームデザイナーなら価値ある仕様を作れるべき、という過 度な期待を下げてくれる言葉。こねくり回して改良していくプロセスこそ価値逆に言えばこねくり回せない組織はクソゲーしか作れない
  • 11. 組織でこねくり回すのは難しい他人の仕事を無にしてしまうコミュニケーションを、積極的に取る必要がある 「UIがクソだからやっぱこうする」 → プログラマ・アーティスト「えー」(中略)
  • 12. チームとして全力で会話する「この部分はクソなのでやっぱこうするわ」 これを、自己否定になっても言えますか? 怒り、呆れ、諦めをあらわにせずに受け取れますか? 予算、トップの企画承認など、既に決まったことに対して も、ダメであることを認めて積極的に取り組めますか?
  • via: クソゲーを作る組織とそうでない組織 2012 05-12

    ダメなものはダメ。これをちゃんと言えるような組織でなくてはまともな製品は作れない。
    こうしたダメ出しにおいてSteve Jobsは実に強烈な人間だったと聴く。それでも優秀な人間がAppleには集まり、結果としてすばらしい結果を出した。

    アップルの幹部チーム(executive team)が優れていることを否定するひとはいない。一方、彼らは単なる操り人形に過ぎないと信じたがっているひともたくさんいるようだ。しかしこの二つの考えは相容れないものだ。Jobs は正しい。優れたひとびとは優れたアイデアがいつも負けることには耐えられないのだ。彼らは去って行くだろう。幹部チームが比較的長続きしているのには理由があると思う。彼らは、年功序列や社内政治により沈黙させられたり、失敗を生み出したりせず、一貫して勝者であることが好きなのだ。

    via: もしもジョブズがいなくなったら・・・ « maclalala2

    であれば、「部下のモチベーションを高めるしかり方」なんてのも少し別の角度から考えることができるのかも、と思ったりする。「結果」に対してダメ出しをするのであって、それに関わった人間にダメ出しをするのではない。この区別を言葉にすることはできるが、実際にはほとんどできない。(できる人間を観たことがない)

    それでもめげない。じゃあこれはどうだ、と出してくるくらいでないとダメなのだろうなあ。そして根っこの部分で

    「誰が言ったか、より何を言ったかを重視する」

    でないとこうしたことはできないのだろう。実際には多くの組織がその反対の原理で「評価」を行なっているのだが。


    革命の作法

    2012-05-15 06:49

    さて、ようやくしかるべき扱いを受けるようになりつつあるカードゲームである。電車の吊り広告には

    「TOKIOカードを集めてイノキングを倒せ」

    とかなんとか宣伝が残っている。あの幼稚な絵柄のカードに大金を払う人は私が思っているより多いのだろう。TOKIOという人たちは金さえ貰えればなんでも出る、というわけでもなかろう。今のところは彼らの出演基準を満足している、ということなのだろうが。

    昨日こんな記事を観た。

    ベンチャーが出発するときには、既存のシステムに挑戦するがために、法律的にはグレーだったり網の目だったりするところを通るのもある程度仕方ない。グーグルだってフェースブックだって、今でもプライバシー問題などで、年がら年中戦っている。(中略)

    そして、そういう新興勢力をけしからんから潰そうという人たちがたくさんいるのは所与である。過去のリクルートやライブドアの件を見てもわかる。「だって、役所がー」と泣き言を言っても始まらない。過去から教訓を学ばなければいけない。

    そして、一方では儲けなければいけない、という点もこれまた仕方ない。

    何が正しいとか正義とかは相対的なものだ。線の引き方は人によりけりだし、なんとでも言える。ただ、この一連の事件を通して、ベンチャーが陥りがちな穴と、その危機管理対策というのも見える。

    ぶっちゃけた言い方をすれば、そういった敵に負けないぐらいの「味方」勢力を作っておけばよい。やり方はいろいろあるが、王道は「お客さん」を味方につけることで、このお客さんがメインストリームに十分な数存在し、その人達が「このプロダクトがなくなったら困る」と心から支持してくれるようになれば、メディアもサポートするようになり、そう簡単には潰されなくなる。

    via: 「コンプガチャ問題」に見る新興勢力の危機管理と矜持 - Tech Mom from Silicon Valley

    この世のありように文句をつけることはできるが、現実に何かを起こそうとする人は、それと折り合いをつけていく術を身に着けていなければならない。

    「出る杭は打たれる」

    のは我が国特有の現象ではない。そもそも「革命」というのは定義からして常に「今ゴキゲンに過ごしている人たち」の大迷惑なのだ。後知恵で考えれば、そのご機嫌さは長く続くわけがなく、

    「痛みを伴う革命」

    をする必要がある、と言える。しかし渦中にある人々の多くはそんなことを考えない。どう考えてもなりたたないネズミ講のような民主党の公約をみて、多くの人が投票するのがこの世の姿というものである。

    であれば

    「革命」にも備えるべき作法がある、ということなのだろう。人の世の中は所詮感情で動いている。法律にのっとっているからと開き直っていても何かあれば、人々の感情は一気に吹き出す。

    「役所やマスコミの圧力に対する危機管理」というと功利的に聞こえるが、みんなはバカじゃないので付け焼刃ではダメ。儲かったお金を震災対策に寄付するとかいう一時的な話ではなく、本業における自分たちの強みを活かして、どうやって社会に役立てていくか、ということを本気でやらないと、短期的には儲かるかもしれないが、長期的に生き残ることは難しい。

    シリコンバレーはそういう文化があり、日本ではそんなキレイゴトをバカにする傾向がある。でも、日本でもホンダやソニーやソフトバンクは、それなりのキレイゴトを本気で心に持ってやってきている

    via: 「コンプガチャ問題」に見る新興勢力の危機管理と矜持 - Tech Mom from Silicon Valley

    GREE,DeNA,村上ファンド、それに堀江某はこの「キレイゴト」を軽んじていた。おそらくは彼らに

    「知識と能力」

    はあったが、

    「知恵」

    がなかったということになるのだろう。それゆえ



    射幸心だのなんだのと難しい言葉がありますが、それだけ夢中になってしまうエネルギーは前向きに活用できないかなーとも思うわけで、思うにソーシャルゲーム各社におかれましてはそういう要素投入しまくった学習ゲームを作っていただけるとよいのではないでしょうか。


    via: ソーシャルゲームが胸を張って「世の中の役に立っている」と言うために - カイ士伝

    ということは彼らに期待できなかったということになる。何度も書いているが、その昔、DeNAが発足しBiddersやっているころは応援していたのだけどなあ。所詮コンサルタントだから数字が第一か。

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    ちなみに世の中にこうした「教育カードゲーム」は既に存在しています。我が家にあるやつだと

    毎号、藤原カムイ氏が描き下ろした9枚の「世界史人物カード」が付いてくるほか、2号では専用のバトルスタンドが付録として登場する。

    via: ジョブズもそこに:朝日新聞出版、歴史上の偉人を漫画で紹介した「週刊マンガ世界の偉人」創刊 - 電子書籍情報が満載! eBook USER

    ラムセス2世とかアメンホテップとかモーセが戦う姿は面白いんだけどね。いつのまにか子供の興味はポケモンに戻っていくのであった。

    過去にこうした「子供の遊びに対する異様な興味を教育に!」と考えた人は多いのだと思う。そしてなぜそれが大々的な成功を収めないのか、について分析するのは面白いことかもしれん。


    テレビ事業を立て直すために

    2012-05-14 06:50

    というわけで昨今どちらを向いても

    「TV事業は大赤字」

    「TV事業の立て直しが急務」

    「TVは基幹だから捨てないよ」

    のオンパレードである。

    課題事業となる薄型テレビについては、モデルの絞込み、大画面へのシフト、スマートテレビのグローバル展開などとともにセット事業の黒字化を目指す。一方で、非テレビ用途への展開を図ることで、パネル事業の収支改善に取り組むとのこと。

     従来までの薄型テレビについては「結果として過剰投資になったと判断している。大規模投資を実施した後で、リーマンショックや円対ウォンの問題が起こり、結果として目指したような台数を作っても収益を上げられなかった。反省をしている」(大坪氏)との認識を示した。

     ただし商品的な位置付けについては「テレビは社会の変化をリードしてきた代表商品の一つ。テレビの必要性は変わらない」と話す。有機ELテレビへの取り組みについて尋ねられると「すべて自前で投資してという可能性は極めて低い。ベストパートナーと手を組んでやっていきたい」と話した。

    via: パナソニック、2012年度事業方針を発表--成果問われる年、V字回復実現へ - CNET Japan

    たまたまパナソニックから引用したが、ソニーもシャープも以下同文である。

    そこに根強く存在しているAppleTV(今でているやつじゃないよ)の噂。先日その関連でこんな企業を知った。

    Loewe

    Word of the negotiations was exclusively revealed to AppleInsider, and although the offer has yet to be accepted, a source claims that Loewe "has been advised by its financial advisor to accept the offer and a final decision is scheduled to be announced internally before 18 May 2012."

    via: Apple Interested In Acquiring German Television Maker Loewe? [Updated: Company Denies] - Mac Rumors

    多分本当にApple TVが発表された時には全く違う形となっているだろうが、それでもこのTVは美しい。Appleがこれを売りだしたと聞いても驚かない。

    企業のサイトを見てみると、「これは欲しい」と思えるような製品がずらずら並んでいる。iPadとの連携も見事なものだ。

    今やコモディティとなっている、と言われて久しいTVだがこんな攻め方もある。恥ずかしながらこの会社の存在をそれまで全く知らなかった。

    というわけで、日本の家電メーカーの皆様。こんなの作ってみてはいかがでしょうか。家電チェーン店においてもらえないですか?だったらネット限定でもいいじゃないですか。

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    これを見ていて思ったのだが、TVはこれまでAppleが作ってきた製品とは一つ大きな差異がある。

    Mac, iPhone,IPodはいずれも明確に「個人が使うもの」なのだ。それ故旦那が「これ買う」といってお小遣いが存在していれば買うことができる。iPadはボーダーラインにあるが、まあ支出の額からいけば似たようなものだ。

    問題は、TVは家族で所有し使うものである、という点にある。それ故旦那は発言権を持たない。大蔵省が賛同しない限り購入は実現しないのだ。そしてこの美しさを大蔵省が認めてくれるものだろうか?これが杞憂であることを祈るのだが。
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    TV事業を立て直すための一つの考え方はこうである。TVは家庭に存在している40インチの液晶ではない。TVはクラウド上に存在している。そして窓がスマートフォンだったり、40インチディスプレイだったり、iPadだったりするわけだ。戦場をクラウドに移すことで、サムソンの正に対し奇をもって当てる。

    と思いつきを文字にしてはみたが、あんまり面白くないな。。


    コンプガチャと原発の間にあるもの

    2012-05-11 07:24

    世の中「コンプガチャを非難するな!東電よりましだろ!」とわけのわからないことを言っている人もいると思う。

    多分この境界線について考えてみるのは興味深いことだと思う。例えばこんな意見がある。

    普通のガチャはOKでコンプガチャはダメだというのも理論的でない。すべて確率で計算できるのだから、揃えるのが10枚のカードだろうが、1枚のカードだろうが、揃える難易度つまり必要な金額はあくまで計算で求まる値でしかない。

    via: メカAG

    多分この人はわかっていていっていると思うのだが、コンプガチャの場合はその「確率」が不透明なところが、、とか、ギャンブルは法で規制されているが、コンプガチャは野放しとかまあそういう話は脇においておいてだ。

    コンプガチャの規制はけしからん。なぜなら日本が生み出した数少ない「稼げる」プラットフォームだからだ、という意見がある。それに対して私は「コンプガチャは何も生み出していないではないか」と考えたりする。

    じゃあ情報処理関係で何か生み出しているものがあるか、という問をすることができる。普通のゲームはどうなんだ。画面上のアイテムをゲットしたり、面をクリアしたりして何の役に立つのか。任天堂の岩田社長はそこらへんについて悟りとも言える意見を持っていると思う。

    「ネットワークを通じてコンテンツを配信することで、さらにお客様に長く、深く遊んでいただくために、追加コンテンツ販売を行っていくが、この際には、あくまでお客様に提供するクリエイティブなコンテンツを制作したことに対する対価として、お客様にお金を支払っていただけるようにする」

    via: 2012年4月27日(金)決算説明会 任天堂株式会社 社長 岩田聡

    任天堂がやっていることは、あくまでもエンゲル係数にカウントされるようなことではなく、「ゲーム」である。その「不要な支出」を正当化してもらうためにはどうすればいいか。そうしたことをちゃんと考えているように思える。

    じゃあTwitterはどうなんだ。Facebookはどうなんだ、と考える。時価総額がどうだとか議論することもできるが、それは世の中の何の役にたっているのか。単に「井戸端会議」をより深化させただけではないのか。そうした批判も成立すると思う。私はiPhoneを愛しているが、それがあったからといって私が少しでもまともな人間になったのか、と問われると自信がない。(Gorotte作ったりしてるけどね)

    例えばこんな言葉がある。

    「空飛ぶクルマを望んでいたのに、手にしていたのは140文字だ」。こんな言い方でツイッターを揶揄するのが、いったいどんなソーシャル嫌いの反テクノ主義者かと思いきや、これがFounders Fundのマニフェストの冒頭の一文だというから驚くじゃないか。Founders Fund は、天才と呼ばれた投資家ピーター・ティールが率いるヴェンチャーキャピタルだ。

    via: 不機嫌な「天使」、かく語りき from 『WIRED』VOL. 3 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

    金はもうかるかもしれないけど、それが貧困の撲滅やら、伝染病の撲滅やら、そうしたことにつながるのか、と言われれば誰もが首をひねると思う。もちろんそれに役だってはいるのだが、「言うほどデカイ」効果をあげているのだろうか。

    情報社会は、雇用を増やしてもいないし、製造や生産性向上において革新をもたらしてはいないというのが彼の言い分だ。組み立てラインや高層ビル、飛行機やパソコンを生み出したアメリカは、ある時期から未来を信じることができなくなってしまったと嘆き、彼はその様相を「テック・スローダウン」と命名する。

    via: 不機嫌な「天使」、かく語りき from 『WIRED』VOL. 3 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

    ある時期から、日本人は携帯電話に毎月異常な額の金を払うようになった。それで携帯電話各社は大変利益を上げている。しかしそれで日本は良い国になったのだろうか?

    そして題名にある原発である。昨今原発といえばなんでも悪いことの代名詞として使われる。しかし特に関東地方に住人は、電力が途切れなく供給されることのありがたさを身をもって知ったはずだ。そして原発はその貴重な電力を生み出している。風が止まろうが、雲がでようが夜間だろうが変わらずにだ。

    「安定性」は評価されにくい尺度だ。それが失われて始めてその重要性が認識できる。退屈な朝の通勤電車。しかしそれは安定して運行されているから退屈なのであり、退屈さのありがたさは、それが止まった時に始めてわかる。

    コンプガチャであぶく銭を稼ぎだす人間が胸を張り、地道に社会のインフラを支え、改善している人たちが肩身の狭い思いをしている。

    というわけで標題のようなことを考えるわけだ。この疑問は時々頭を過る。じゃあシニア海外協力隊に、とは今は思わない。何かで読んだ言葉だが

    The best way to contribute to the world is to be your best.

    幸いにして、私はコンプガチャを作ったり、マネーゲームをして金を儲けることがBe my bestではない。であれば、上記の命題を正にできる方法があるに違いない、と考えている。


    TVの暗号を解読すること

    2012-05-10 06:59

    「テレビ好き」

    従業員を雇うなら、テレビ好きな人を雇え。どうにでもなる。お前が相当馬鹿でも、馬鹿だとばれない。

    via: 強面の社長が教えてくれた人たらしテク | Commte.net - コムテ

    そういう人間を雇って意味があるかどうかは別として、TVをだらだら見ている人間に対する評価としては妥当だと考える。

    今日こんな記事を見つけた。

    LGエレクトロニクス・ジャパンは5月9日、5シリーズ計14モデルの「LG Smart TV」を6月初旬から販売すると発表した。VODやゲーム、SNSなど多くのネットワークコンテンツに対応し、新しい「マジックリモコン」で操作性の向上を図ったスマートテレビだ。発表会に登壇した同社マーケティング統括の李起旭常務は、「スマートテレビは近い将来、ライフスタイルを変える"窓"になる」と胸を張った。

    via: マジックリモコン採用:LGエレ、日本向けスマートテレビを5シリーズ一挙投入 (1/2) - ITmedia +D LifeStyle

    まあメーカー名がLGだろうが、シャープだろうがソニーだろうが似たようなものだ。(作っている人たちには悪いが)なぜTVというのはこうも退屈なのだろう、と思う。

    携帯電話の商品企画は携帯電話事業者向けに企画を練る。テレビは量販店で売ってもらえるように企画する。どちらもユーザのことなど二の次。

     こんな機能ぜったい使わないよな~、とか思いつつも、量販店からOKが出れば成功と。

    via: そういえば携帯電話とテレビの商品企画はよく似ている: 無指向な嗜好

    既存の価値体系が行き詰まった時、打破する案は絶対にその価値体系の中からは出てこない。パラダイムを変えるということは、ゲームのルールを変えるということであり、簡単にいえば

    「今いい思いをしている人に大迷惑をかける」

    ことなのだ。
    そうわかっていても、サラリーマンにできることはない。量販店においてもらえなければ価値がない、と言われれば量販店さんに良いと言ってもらえるものを作るだけだ。

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    おそらく間違っていない事実として

    「TVから番組を売ろうとしても売れない」

    ということがあげられる。

    何人かの関係者に話を聞いたところでは、業界関係者が試しに買うことも多かったであろうサービス開始第一週の売上げは3万円に届かず、翌週はそれをさらに下回ったという。

    via: 本田雅一のTV Style:"ノット"や"もっと"について考える、いくつかのお話(その3) - ITmedia +D LifeStyle

    DVDの旧作が100円で借りられるご時世に、新作ドラマ一本みせるために400円とる神経には感服する。感服はするが、誰もそんなものに金は払わないのだ。


    というわけで期待はいきおい「他人の迷惑かえりみず」のAppleに向くわけだ。Steve Jobsが解いたと言っていた「TVの暗号」とはなんだったのか。

    Continuing a long string of recent exclusives that quote un-named sources, CultofMac today claims that someone who saw the Apple HDTV says it looks like a bigger Cinema Display with an iSight camera and Siri, according to the post.

    via: Rumor: Apple HDTV looks like a Cinema Display with iSight and Siri says anon source | 9to5Mac | Apple Intelligence

    Siriが統合される。多分、そうだろう。TVはリビングに置かれた巨大な鏡であることを理解すれば、iSightをつけるのも理にかなっている。

    ではそれだけだろうか?個人としてはそうでないことを祈りたいが。

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    映像を制作し、配信し、ユーザが視聴する。この図柄の中でどこにお金が溜まっているのだろうか。映像プロダクションというのは大変な仕事だと聴く。世の中に売れなくて困っている役者はたくさんいる。となると儲けているのは誰だろう。

    この図柄を「他人の迷惑顧みず」変えようとすればどういう手立てがあるだろう。既存の映像サプライチェーンに頼らない「独自に配信、コントロールできる映像製作システムの確立」なんてやってもらえないだろうか。
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    と、投げ出したところで話はTVと同じくらい進歩のない業界、車の中に移る。先日こんなサイトが公開された。





    アルペジオは施設検索や音楽再生などといったスマートフォン用のアプリケーションを、スマートフォンの操作感を維持しつつ、車内で安全に据置型カーナビゲーションシステムのディスプレイ上で操作できるようにした車載連携情報サービスです。



    via: カーナビ連携スマートフォンアプリ ARPEGGiO(アルペジオ)

    リンク先HTMLのソースを見てもらうとわかるが、5/8用とフル公開用というコメントが存在しており、多くの機能がコメントアウトされている。

    全く関係ないお気楽な消費者としての私なら

    「こんなにComing Soonが多いサイトは観たことがない。こんな状態で公開する見識を疑う。そもそもデンソーはB2Bの企業であり、、、」

    とか書くところだが、元中の人としては

    「いろいろ苦労があったのだろうな」

    と涙せざるを得ない。これだけのシステムの仕様を決め、アプリを揃え、各社の了解をとり、などと考えただけで気が遠くなりそうだ。そしてその苦難の道は今も続いているのだrと思う。

    とはいえ、TVを作っている人たちも同じような苦難を乗り越えているのだと思う。作り手がどんなに苦労したかなど全く関係なく、消費者というものは買いたいものを買う。応援してます。頑張ってください。


    弱い者はますます弱く(今日もソニーじゃないよ)

    2012-05-09 06:55

    なぜ世界に冠たる日本の家電メーカーにルンバが作れないのか?

    「技術はある」。パナソニックの担当者はこう強い口調で話しながらも、商品化しない理由について「100%の安全性を確保できない」と説明する。

     例えば、掃除ロボットが仏壇にぶつかり、ろうそくが倒れ、火事になる▽階段から落下し、下にいる人にあたる▽よちよち歩きの赤ちゃんの歩行を邪魔し転倒させる-などだという。

    via: 【ビジネスの裏側】日本の家電各社が「ルンバ」を作れない理由 国内製造業の弱点はそこだ!!(1/2ページ) - MSN産経west

    さて、例によってこれは「嘘」のようだ。東芝は仏壇にぶつかるリスクを恐れずスマーボを出した。もっとも

    VC-RB100 Smarbo(スマーボ)は2011年10月1日に東芝から発売となる、国内有名メーカーで唯一のロボット掃除機です。
    幾つものサイトで言及されていますが、これは韓国のSAMSUNG(サムソン電子)SR8855という機種のOEMです。東芝に確認しましたが、何と社内でも直接関係ない人は自社開発品だと思いこんでいる状態で・・・。本来のSR8855では高性能フィルターのHEPAフィルターが採用されているようですが、スマーボでは省略されています。その割に、イギリスでの定価は約5万円で、日本の89,800円(建前はオープン価格)とは、大違いです。しかも、その価格でもイギリスでの評価はイマイチ・・・。

    via: VC-RB100 Smarbo(スマーボ) 【初心者の掃除機選び.com】

    まあパナソニックには技術があるが、東芝にはない、ということで納得しておこう。次にお掃除ロボットを出してきたのはシャープである。

    第一弾として、掃除機能と「高濃度プラズマクラスター7000※2」を搭載し、お部屋をキレイにするロボット家電「COCOROBO(ココロボ)」<RX-V100>を発売します。
     本機は、人工知能「ココロエンジン」を搭載し、充電量や掃除の状況に応じた多彩な反応が楽しめ、音声認識※3「ボイスコミュニケーション」機能による対話操作も可能です。また、無線LAN※5と接続し、内蔵カメラで撮影した画像をスマートフォン※4で確認でき、例えば、ペットやお部屋の様子などを外出先から観察できます。

    via: ロボット家電「COCOROBO」を発売 | ニュースリリース:シャープ

    うわー、すごい機能が満載だー!こんだけルンバにない機能がついているんだから

    推定市場価格は、RX-V100が13万円前後、RX-V80が9万円前後となっている。

    via: シャープ、関西弁ほか4言語を話せるロボット掃除機「COCOROBO」 | 家電 | マイナビニュース

    ちょっと高くなるのは当たり前だよね!ちなみにiRobotで一番安い機種は米国で$349.99(訳28000円)日本では48,800円。ふーん。廉価機種で、ルンバの2倍かー。

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    賭けてもいいが、シャープは消費者を見て物を作っていない。彼らは「社内」を見て物を作っている。おそらくこんなロジックではあるまいか。

    私が子供の頃、日本は米国からこのように言われて非難された

    「日本人は新しく物を作ることをしない。他の国の製品の模倣が巧みなだけだ」

    今にして思えば、これは「褒め言葉」だった。オリジナル製品を脅かすほど質が高く、安い模倣品を作ることができたのだ。その頃の日本は。こんなことやっていたら、買収されるのも無理はない。もう書いていて情けなくなる。

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    さてこちらも「弱い者」のBlackberryである。オーストラリアのアップルストア前で行ったPatheticなキャンペーンの結果が

    このサイト

    なのだそうな。サイトにいくと、

    「ビジネスをするならBlackberry!」

    といった文章を延々と読み上げられる。多弁にして印象に残らない。「弱い者はますます弱く」というのは古今東西共通の現象なのだろうか。


    巧みに世を渡るということ

    2012-05-08 07:21

    今朝こんな記事にでくわした。

    そして、日本はその失敗を既に経験していることを忘れてはならない。それはNTTドコモのi-modeである。

     携帯のネット接続の仕組みを世界で最初に作ったのはi-modeである。そして、i-modeもソーシャル・ゲームと同様に日本発のプラットフォームであった。しかし、i-modeが世界標準になることはなかった。

     その理由としては、海外展開やスマホへの対応などの戦略面で失敗したことが大きいだろう。ただこれに加えて、i-modeの全盛時における世論の批判も影響した面があるのではないだろうか。実際、今になって思い返してみると、例えばドコモの独占性に対する批判や、課金手数料の高さへの批判など、様々な批判があった。

     それに対して、これも明確な証拠がある訳ではないが、明らかにi-modeを研究して進化させたと考えられるアップルのiTunes Storeを中心としたエコシステムやグーグルのAndroid Storeの仕組みが、今や完全に世界を制覇した。i-modeのお膝元である日本市場も席巻しているのだ。

    via: ソーシャル・ゲームで繰り返してはならないi-modeの失敗 - ヒット研究所 - 日経トレンディネット

    もうどこから突っ込んでいいかわからないくらいなのだが、今日書きたいのはそのことではない。この著者の肩書である。

    慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授、エイベックス・マーケティング取締役。1962年生まれ。一橋大学経済卒、コロンビア大学ビジネススクール卒業(MBA)。86年通商産業省(現・経済産業省)入省。

    via: ソーシャル・ゲームで繰り返してはならないi-modeの失敗 - ヒット研究所 - 日経トレンディネット

    いや、実に輝かしい経歴ではないか。この人自身は絶対に語ってくれないと思うが、これだけの「知性」を発揮しながら、このような経歴を作り上げる技というのは驚嘆に値するのではなかろうか。

    もちろんここのポジションにおいてこの人がどのような役割を担っていたかは別問題である。しかしこうした人に出会う度

    「渡世術」

    というものは存在するのだ、と実感する。名前で検索すればいろいろ興味深い記事がでてくる。別に今に始まったことではなく、こうした無茶苦茶なロジックはこの人の得意技なのだな。そしてそうしたロジックを必要としており、金を払う人もいる、ということなのだと思う。

    考えてみれば、GREEやDeNAがやっていたような方法で金を儲けることもできるし、地道に汗をかき、世のため人のためと思って金を失うこともできる。勧善懲悪を好むのは私のような凡人の常だろうが、世の中はもう少し複雑にできているようだ。

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    さて、岸氏にとっては噴飯ものだろうが、ようやくDeNA、GREEがやってきた虚業に幕が降りようとしている。

    電車の中では吊り広告を読む。ここ数ヶ月目についたのは、「カードゲーム」の宣伝だ。今日もTOKIOなる人達がカードになって広告の向こうから我々に呼びかけている。もっと金を使えと。

    Facebookで、友達の友達をたどっていき「DeNAに勤務してます」とかいう人が子供をだいた写真を見る度とても複雑な気持ちになった。この人は自分の子供に自分がやっている仕事について誇りをもって説明できるのだろうか、と。

    ちなみに私ミサイル作ってましたけど、他人に自分の職業説明するのに躊躇したことはなかったよ。相手が引こうがなんだろうが、公明正大にやっていた仕事だから。そして自分が作った製品が使われないことが、一番の願いだった。

    ここ2−3年でそれらの企業に入社した人たちは、そうした実態を知って入社したわけだから、まあ自業自得。しかしDeNAが「ビッダーズ」を地道にやっていたころに入社した人たちには同情を禁じ得ない。あの頃は志のある企業だ、と陰ながら応援していたのだけどなあ。

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    もう一つ、このニュースに対してどのような反応を示すか是非Twitterを分析したら面白いのではないかと思うのだ。

    ミログを「前途有望な若者を潰すのはけしからん」と言っていた人たちと重なるのか重ならないのか。あるいは他の問題に対するスタンスはどうなのか。そうした相関関係をとっていくと個人にとってとても面白いデータがでるのではないかと想像するのだが、とか書いているくらいなら自分でやれ、ということですね、すいません。


    人工知能の研究はどこにいったのか

    2012-05-07 06:51

    話しを元に戻そうではないか。人工知能の研究とはいわばHAL9000を作るための研究だったはずだ。

    それはどこに行ったのか?Human-Agent Interactionとか言って、

    「人間をエージェントでどれだけ動かしたかが勝負」

    とか問題をすり替えている場合ではないと思うのだが。

    私が知るかぎり、この「転進」について公に認めた文章はそれほど多くない。これは不誠実な態度だと思う。


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    最近あれこれ考えているのだが、結局のところ「フレーム問題」と「記号接地問題」がどこにでも顔をだしてくるのだな。

    「人工知能」のデモシステムが見事に動き、そして現実世界で一歩も動けないのは、デモにおいては人間がフレーム問題を解決しているからだ。それ故その中では「人工知能」が見事に動く。しかしフレーム問題だらけの現実世界に放り出された瞬間、それは一歩も動けなくなる。

    でもって

    実は人間の「意識」なるものも、この「人工知能」と似たようなものではなかろうか。すなわち膨大な「フレーム問題」を解決しているのは、「無意識」の領域なのだ。そこが処理した問題だけを「意識」は解決している、、というか本当のところは解決したような「意識」を持たされているだけかもしれない。実は「無意識」がほぼ全ての判断、決定を行っており、意識とは、それがつじつま合わせに創りだしたようなものではないのか、と。

    それ故「意識」が創りだした人工知能は決して世の中で動くことができない。フレーム問題を解消することができない、と。

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    すいません。ここらへんもうちょっと考えてまとめて出なおしてきます。


    弱い者はますます弱く(今日はソニーじゃないよ)

    2012-05-02 07:05

    数日前AustraliaのApple Store前で、奇妙なデモンストレーションがあった。

    黒塗りのバスにWake Upという文字がでかでかと記載されている。そして同じく黒いTシャツをきた人々が口々にWake Up!と叫んでいる。

    丁度Galaxy の新型が発表されるタイミングだったこともあり、当初は「サムソンか?」という観測が流れた。しかしサムソンは「関係ないよん」と否定した。

    次に上がったのはRIMの名前。サイトのソースコードを読んだところ、Doubleclickの識別子があり、それを検索するとRIMのサイトがひっかかるのだそうな。

    そしてとうとうRIMは「自分達のキャンペーン」であることを認めたらしい。

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    このキャンペーンのセンスのなさは、ウォークマン(カセットじゃないほうね)発売の際に行われた情けない「ファッションショー」を思い出させる。ちなみにこの頃はまだ

    「ソニーは半年でiPodを追い越す!」

    といえるだけの元気があったんだよ。

    そして今やソニーと同じく、崩壊が秒読みと思われているRIMである。誰も注目していないが、Blackberry worldというのが開催されているのだそうな。
    #bb10jam ; Breakfasting with @b3ll  on Twitpic

    そこで、「次世代プラットフォーム」であるところのBlackberry10のビデオが披露された。

    日本の家電メーカーと比べると、RIMの先進性は際立っている。少なくとも興味深いキーボード+文字入力の提案は存在している。まだビデオしかないから、それが実際にどう動くのかはわからないが。

    しかし

    問題は今や「日本の家電メーカーより進んでいる」ことが何の意味も持たないことだ。敵はAppleであり、サムソン。RIMはこの2社にどう挑んでいくのだろう。

    そして皮肉なことだが、とうとうRIMの製品から物理キーボードがなくなった。唯一残っていたRIMのアイデンティティが。iPhoneが発表された時

    「タッチパネルでキー入力ができないことは証明されている」

    と断言していたUIエキスパートもいたのだが。。米国ベンチャー企業のCEOと食事をしたことがある。彼はあれこれ話しながらも、時々机の下でBalckberryを触っていた。そういう用途に物理キーボードは欠かせないと思うのだが。

    このビデオにでてくる製品は、Androidの別バージョンのように見える。(付け加えるなら「よくできたAndroid」だが)

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    しかし私は年寄りなので、「これは前にも観たことがある」ということができる。Steve Jobsが復帰する前のAppleはまさにこうした状態だったのだ。Windows3.0すごいって?いや、MacOSのほうが優れている。そうした細かい点をいくつも列挙していた。

    だから将来についてうかつな事を言うのはやめておこう。しかし現時点で次の質問は誰の頭にも浮かぶに違いない。

    The only question that remains is which will die first: Junk bond Nokia or RIM?

    via: BlackBerry 10 features interesting keyboard and camera apps, neither will save the platform | 9to5Mac | Apple Intelligence

    そしてもう言及すらされない日本の家電メーカー。


    携帯/タブレット/PCで何を共通化するか

    2012-05-01 07:31

    先日少し面白い記事を見つけた。

    ―― アップルはスマートフォンとタブレットを1つのOSに統合していますよね。だから、iPhone用のアプリケーションがiPadでも動作します。iPhoneとiPadはタッチパネルで動作し、利用シナリオに沿ったアプリケーション設計を行うという点でよく似ていますから、この設計はとても合理的に思えます。

     しかし、マイクロソフトはPCとタブレットのプラットフォームを統合しています。確かに最新のタブレット端末はパフォーマンスも上がっていますが、なぜこのような判断の違いがあるのでしょう?

    シノフスキー氏 この部分はなかなか面白い視点なのです。スマートフォン、タブレット、PC。これらを区別している要素は何か? と考えると、これが実は2つしかありません。キーボードとマウスの有無、それに画面サイズ。この2つだけです。

    via: スティーブン・シノフスキー氏インタビュー:開発責任者に聞くWindows 8の世界――「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」 (2/3) - ITmedia +D PC USER

    なるほど。確かにAppleとMicrosoftは対照的なアプローチをとっている。

    Appleは携帯とタブレットでOSを共通化し、PCでは別のOSを使っている(今のところは)
    MicrosoftはタブレットとPCでOSを共通化し、携帯で別のOSを使っている(次バージョンで)

    それに対するMicrosoft担当者の答えには半分だけ同意できる。彼の答えの続きを見よう。

    アプリケーションの設計、特にフロントエンドのアプリを書く際に最も設計に影響を与えるのは画面サイズです。画面の物理的なサイズが大幅に変化すると、ユーザーインタフェースの設計は大幅に変えざるを得ません。

     1つ前の質問に立ち返って考えると分かりやすいのですが、今のアプリケーションはサービスの動作モデルを決め、フロントエンドのアプリケーションを別に設計します。このため、画面サイズが近いPCとタブレットのほうが親和性が高いのです。

    via: スティーブン・シノフスキー氏インタビュー:開発責任者に聞くWindows 8の世界――「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」 (2/3) - ITmedia +D PC USER

    一年前から我が家にはiPadが存在している。そして最近私はiPhoneユーザになった。(Softbankでもauでもないよ)以前は会社から支給されたiPhone4を使っていた。久しぶりに触ってみると、確かにiPhoneだ。画面が小さいなと思っていた。

    そして使うこと数日。シノフスキー氏の議論には2つ欠陥があると信じるに至った。

    その1.まず彼は自分がふたつあげた要素のうち、「キーボードとマウスの有無」という観点を完全に無視している。画面サイズの差異より入力デバイスの違いのほうがインターフェースにとっては大きな差異を生む。これは、iPhoneアプリを開発していて文字入力をキーボードから行う際にも実感できる。誰がどう悪口を言おうと、キーボードの有無はそのデバイスが

    「情報を閲覧するためのものか、生成するためのものか」

    に決定的な影響を与える。そう考えると、画面サイズより、入力デバイスの差異でOSを分けるAppleの選択の方に分があるように思える。この記事の一番最後にこんなコメントがある。

    タブレットに最適化されたユーザーインタフェースを持ち、バッテリー持続時間も長くなり、軽量で持ち歩きやすいコンピュータが、Windowsの持つすべての機能とともに提供されるようになります。

    via: スティーブン・シノフスキー氏インタビュー:開発責任者に聞くWindows 8の世界――「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」 (3/3) - ITmedia +D PC USER

    問題は、「Windowsの持つすべての機能」を使おうと思えば、どうしてもマウスとキーボードが必要だ、ということだ。となると結局Windows8 tableが持つWindowsとしての機能は全く無駄、ということにならないだろうか。


    その2.画面サイズが違うということは、そのデバイスが「パーソナルな、常に携帯するものか、あるいはある程度パブリックな家庭内だけで持ち運ぶものか」という差異をうむ。結果として、OSが共通であったとしても、そこで動作するアプリケーションは異なる性質を持つ。これは私がここ数日実感していることだ。つまり「画面サイズが変わるから、アプリの設計を変えなくては」ではなく、「個人が持ち運ぶものと、家族で使うもの」ではどちらにしても、アプリケーションは別物になるのだ。シノフスキー氏にはこの「アプリがどのように使われるのか」といった視点が欠けている。


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    いずれにせよどちらが「正しい」かはWindows8が市場にでてみないと分からない。今の時点では「PCでは、今と同じスタイルの画面を使い、タブレットではMetroインタフェースが使われる」という同じOSでありながら、2つの異なる顔が使われるのではないか、と予想するが。

    前掲記事のインタビューアーもそうした指摘をしている。

    タブレット型のコンピュータに用意されているアプリケーションは、その多くが利用シナリオに応じて機能を実装し、タッチ操作で一直線にゴールへと向かう設計になっていますよね。

     しかし、もっと自由にアプリケーションを切り替えながら、クリエイティブな作業にコンピュータを使いたい、コンピュータはツールに徹してほしい、と思うユーザーには、かえって使えいにくくなりませんか? デスクトップ型のよさもあるのではないでしょうか?

    via: スティーブン・シノフスキー氏インタビュー:開発責任者に聞くWindows 8の世界――「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」 (2/3) - ITmedia +D PC USER

    之に対する、回答が長々としたもので、要約する気もおきない。最後は以下のような文章で結ばれている。

    デスクトップが生まれたのは、もう25年も前の事です。25年をかけて今のGUIになってきました。対して、タッチパネルを使ったユーザーインタフェースの歴史はまだ浅いものです。道具は用意したので、次はアプリケーション開発者たちに、「デスクトップ」という概念の垣根を越えて、アプリケーションの「再創造」を期待したいと思います。

    via: スティーブン・シノフスキー氏インタビュー:開発責任者に聞くWindows 8の世界――「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」 (2/3) - ITmedia +D PC USER

    これは私が「インタフェースの必敗パターン」と称するもののうちの一つ

    「仕組みはつくったから、すごい使い方をみんなで考えてね!」

    というものだ。いやさ、MicrosoftはOSとその上で動くすごいアプリを持ってるんだから、

    「をを、Metroなら、こんなにすごいOfficeの使い方ができるのか!」

    ていうのを示さなくちゃだめだよ。自分で。

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    しかし何だよね。考えてみれば、タブレットに関して言えばMicrosoftが先駆者だったのだよね。当時少しだけ使ってみたが、それはどう努力しても

    「使う気が起きない」

    代物だった。何をするにも中途半端だったのだ。私はApple狂信者だからこう書くのだが、AppleがiOSで成し遂げたことは、それほど異常だったのだ。