カー・インフォテイメントはどうあるべきか

2013-02-27 07:06

トヨタ様とデンソー様の下請けをやっていた時には口が裂けても言えなかったことだが、今は彼らと何の商売上のつながりもない。従って自由にあるべき姿について語れるのはうれしいことだ。

というわけで先日こんな記事を見つけた。

カーナビゲーションや、車内エンターテインメントシステム、あるいは各種ユーティリティについて、今更自動車メーカーが頭を悩ませるようなことは、ほとんど存在しないのだということを認識すべきではないだろうか。自動車メーカーに採用される前に、すでに十分使えるものに仕上がっているのだ。たとえば自動車メーカーは、運転中に運転手の注意を削がないことが大事だと言う。しかし既存の車載システムを使ってもわかる通り、気を散らさないということがシステムの主目的であるわけではない。ドライバーの注意力を散漫にしないためにという議論は見当違いなものとなっているケースも多いように思う。

via: モバイル・ファースト世代が購入を考える車とは?!

この意見には全く賛成だ。走行規制がどうのこうのと既存カーナビメーカーは偉そうに言う。しかしそれがなんだというのだ?いくつかのガイドラインに後生大事に従い、使えないUIを量産しているだけじゃないか。

長らく言われてきたことだが、カー・インフォテイメントと車自身の間には大きなギャップが有る。一番大きなものは製品サイクルの差だ。AndroidもiOSも1−2年で大きく変わる。車は10年乗る。(国によってはそれ以上だ)

このギャップがあるがために、どれだけ金をかけて自動車と一体化した物を開発しようと、2−3年後には化石のようになる。これは問題として認識されてはいるが、既存メーカは目先のソフトのデバッグに忙しくあたかも問題が存在しなかのように振舞っている。だからまず第一の原則を大きく書いておく。

・カーインフォテイメントシステムは自動車と分離できなければならない


分離した上で、第2の原則を書いておこう。

両者のインタフェースを極限まで減らさなくてはならない。

お互いがお互いに依存してはいけないのだ。
では10年もつインタフェースには何があるか?一番確実なのは

・シガレットからとる電源
・アナログオーディオインタフェース

である。そろそろBluetoothもそれにいれていいかもしれない。

というわけでカーナビメーカーがやるべきことは

・モバイルデバイスへの「継続的な」電源機能の提供(コネクタが変わればすぐ対応製品をだせ、ということ)
・モバイルデバイスを快適にホールドする「素晴らしい」ホルダーの提供
・何かメーカー独自の機能を提供したければ、iOS/Android上のアプリとして提供する。それでも足りなければ、アプリ+補助ハードウェアを提供する。iOS/Androidデバイス自体には絶対にハード的な手を加えない。
・カーナビアプリ+データ無制限のSIMを最初から搭載したiPad中古品、あるいはAndroid tablet中古品を安価で販売する。

たったこれだけである。これで現在膨大な費用をかけて開発している多くの機器のコストを削減できる。(ついでにそれにかかっている膨大な人員もだ)なによりも車のユーザがハッピーになれる。

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上記で提案したことは非常に明快でかつ効果がすぐ期待できる。それ故大きな会社は絶対に受け入れない。何度か書いたことだが

「明快さは日本の大企業の最大の敵」

なのだ。

問題はもうひとつある。彼らは営々として築き上げてきたカーナビソフトをiTron以外に移植することができない。とにかくiTronが全てなのだ。彼らに

「今までのカーナビをiOS上で動かせ」

といえば、まずiTronをiOSに移植するところから作業を始めるだろう。あ、もちろんこれは冗談ですよ。

ユーザの誰もが馬鹿げていると潜在的に思っているが、全ての既存メーカーが「過去のしがらみ」から動かない分野というのは、新しい隙間がある場所だ。あの下品で使いづらいガラケー文化は一瞬にして消え去った。どこかやらんかな。こういうことを。


iPhone上でのMail プログラム変遷

2013-02-26 07:28

いや、そんなものApple謹製のMail.appでいいではないかと言われるかもしれないがそうはいかないのであった。

いや、もちろん最初はMailから使いはじめる。しかしそのうちあれこれ問題がでてくる。一番の問題は「複雑すぎる」ことだ。これはほとんど言いがかりに近い。しかし会社のメールシステムが外からアクセスできなくなった今、複数アカウントは必要ないのだ。GMailさえ快適にアクセスできればよい。

というわけでGoogleのMailを使い始めた。最初のバージョンは時々「ログインしてください」と聞いてくる。iPhone上でパスワードを入れるのは面倒だからまたApple mailに戻る。そのうち新しいバージョンが発表されその問題が解消されたと聞く。またGoogle Mailに戻る。しばらくは平和に暮らす。面倒なことしなくても通知も瞬時だし。

ところがそのうち

「通信中」

になったまま回復しない、という問題に遭遇する。一旦これに陥ると、本体を再起動しようが、アプリを削除して再インストールしようが回復できない。しかたないなあ、とまたApple Mailに戻る。そのうち「またためしてみようか」とやってみると動く。しばらく平和に暮らすが(以下繰り返し)


というわけでiPhone上で何を使うかはずっと問題だったわけだ。そこにあるアプリが紹介される。MailBoxというもので、一気に使用可能になるのではなく、長い長い列に並ばなくてはいけないらしい。私が登録した時点で私の前に30万人くらいいたと思う。アプリを立ち上げるたび、私の前の数字が減り、私の後ろに並んでいる人の数値が増える。不思議なことに両者の合計は常に80万程度だった気がする。

最近はこのアプリを立ち上げ、その数値をみるのが楽しみになっていた。思うに一番カジュアルなゲームとはこれではなかろうか。単に「行列待ち」をするゲーム。早くなったり遅くなったり、ユーザのアクセス頻度を見て進み具合を調節する。誰か作りませんか。ガチャを引くと待ち行列がぎゅーっと縮むなんてやれば、大儲けできるかもれしれませんよ。

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さて、先日アプリに何かバッジがついていることを知る。たちあげてみると、使えるようになっていた。既にして「待ち行列症候群」にかかっていた私はがっかりする。でもまあいいや。使ってみよう。

前の会社で、若いプロマネに「メールのIn boxをto do listにするといいですよ」と教わった。それ以来会社のメールはそのように使っている。つまり処置が必要なものはinbox に残し、それが終わればしかるべきフォルダに放り込むのだ。

このMailboxはそうした考えに基づいて作られている。通常メールアプリのバッジに表示される数値は「未読メール数」だが、このアプリでは未読、既読を問わずin boxにあるメール数が表示される。(最初は少し驚いた)気になるなら全部他のところに整理しと言っているのだ。

なんでもないメールはArchiveするのがこのアプリの作法らしい。だから最初はいきなり1300とか表示される。アプリのinboxから「in boxを空にする」というボタンを押すと、しばらくしてメールが全部そちらに移動する。

使い始めて数日だが、私はこのシステムが気に入っている。今のところどっかのGoogle mailのように「通信中」になったまま停止するということもない。

しかし問題がないわけではない。日本で悪名高き「半角カナ」の扱いがおかしいのだ。見事に文字化けしてくれる。しかし昨今半角カナなどあまりみかけないから欠点という程のことではないだろう。バグレポートを送ろうかな、、とまあ若い頃なら考えたな。

Facebookが普及して以来、会話のいくつかはFacebookのグループに移行している。確かにメールの重要度は減少しつつあるのだが、それでも日常生活で大きな比重を秘めている。まだまだメールの新しい使い方はあるはずだ、とそんなことをぼんやり考える。


企業として成功する方法

2013-02-25 06:48

企業として成功する「秘訣」を語る人は多い。

長年に渡ってそうした「秘訣」を観察した結果、私はある結論に達した。世の中の多くの問題と同じくこの問には解答が無数にあるのではないか、と。

たとえばこういう記事は一般的にウケが良い。

最高な会社は、最高な人々を引きつける賢く野心的な創業者によって創られる。自分が働きたい会社を創り最高な人材を採用して彼らに自由と権限を与えるべきである。

http://hiromaeda.com/2013/02/20/buildyourcompany/

じゃあそれだけが真実かと言われれば、Appleには素晴らしい才能が集まっているかもしれないが、社員にはおそらく自由がない。Amazonも同様である。そしてこんな会社の名前を最近あちこちで聞く。

 そういった環境だから、とうぜん社員の離職率も高く、外部から雇われてきた上級幹部でさえ長くは続かないケースが少なくない。とりわけ創業者のアーゲンが良くも悪くも曲者で、従業員を単なる人手と見下している風もあり、他の人間がいるところで部下を大声で叱りつける姿が目撃されることも珍しくはない。

via: 「アメリカでいちばん意地悪な会社」ディッシュ・ネットワーク - (page2) - ZDNet Japan

しかしこの会社は「成功」しているのだ。

というわけで、少し違った目でこれらの「成功」をみてみよう。社員に自由を与える。与えないは全く異なる。しかし共通しているのは

「創業者が自分がどんな会社を作りたいか明確にしている」

という点ではなかろうか。

それに同意すれば働けばよいし、同意できないなら「今までの貢献に感謝します。幸運を」ということになる。実にわかりやすい。

それに対して日本的な大企業ではそこが実に曖昧だ。「なりたい姿」は美しく抽象的で意味が無い。本当に経営陣が求めているもの(多くの場合何も求めていないのだが)を探るためには、「否定の積み重ねから消去法」で探るしか無い。当然動きは遅くなるしバカバカしくなる。結局のところ

「まあおとなしく暮らしてれば首にはならないや」

というところに落ち着く。

多くの日本企業にとってこの「わかりやすい」というのは敵であるということに気がついたのは最近のことだ。企業の本質は、戦前の天皇のようなもので神聖にて不可侵。わかりにくい密法のようなものでなくてはならない。

じゃあそうした「密法」で成功できないか、と言われれば20年くらいまえは成功していた。最近は不調な企業が多いが、将来復活しないとは誰にも言えない。

といったところで「企業成功の秘密」なんて記事は斜めに読むのが正しいという結論に達する。日本マクドナルドの社長のように、得意げに自分の成功の秘訣なんか語っていると落ち目になった時に言い返されるだけだからねえ。


先の見えない「すごいデバイス原理主義」

2013-02-22 07:09

昨日Play Station 4の発表があった。

予想どおり、SonyはSonyだった。しばらく復活の目はないのだろう。(もちろんKDDIのような例もあるが)

[ツイート訳: どのゲームもパーティクルレンダリングの技術的デモみたいだね。もしかして、名前もParticleStation 4に変わったんじゃないの?]

via: PS4でSonyは土俵際に立つ, くたびれた戦略と変化への盲目

しかし私は一つの事について書きたい。Sonyはここ数年重症の「すごいデバイス原理主義」に罹患している。それはどのような病か。

「ものすごいデバイスを作れば、すごい使い方を誰かが考えてくれる!」

というものだ。PS3自体その一つの頂点だったし、

2画面を利用したユーザーエクスペリエンスについては、我々が気がつかないようなものをサードパーティーが開発してくれるはずだと期待します。

via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 Sony Tabletは『ソニーらしさ』を最も表現する製品 ~業務執行役員SVPの鈴木国正氏に、ソニーのタブレット戦略を聞く

誰からも相手にされなかった2画面タブレットなどもその例だ。

多分彼らは「これが問題だ」とは考えていないのだと思う。

積み重ね型でハードウェアを作り込んでいくのではなく、その上で、ユーザーになにをしてもらいたいのか、動くアプリケーションはどんなものになるのか、ユーザーの使い勝手はどうなるのかといったことを先に考えた製品です。

via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 Sony Tabletは『ソニーらしさ』を最も表現する製品 ~業務執行役員SVPの鈴木国正氏に、ソニーのタブレット戦略を聞く

ほら、我が社だって、ハードのスペックじゃなく、ユーザエクスペリエンスを重視しているんだ、と口では言っている。実態は別だが。

そして昨日のPS4もまさにその例だった。

――その楽しみかたを変えるもののひとつに、タッチパッドが備わったDUALSHOCK 4もあるかと思います。どういった使いかたになるのでしょうか。

河野 可能性をいろいろ追求しているところです。具体的なことは、今後、明らかにしていきます。

via: SCEJ河野弘プレジデントに直撃「PS4でゲームの楽しみかたが変わってくる」【PS Meeting 2013】 - ファミ通.com

要するに、コントローラーに「はやりの」タッチパッドをつけたのだが、使い方は全然考えてません、ということだ。そもそも

「今存在する問題を解決するためには、ゲーム専用機はどうあるべきか」

を考えぬいたWii Uの画面つきコントローラとはえらい違いだ。

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こうした会社では

「言っていることとやっていることの間にどうしようもないギャップが有る」

ことを理解できる知能をもって「いない」ことが幸いになる。組織が持っている文化には所詮勝てない。自分たちが愚かだということに気が付かないほうが人生を幸せにおくれると思う。

PS3の頃は、疑念を持ちつつもインパクトだけはあった。今やそれすらもなくなった。しかしおそらく社内は活気に満ちているのだと思う。


顧客の声を聞いて無視する

2013-02-21 07:06

顧客が声をあげている、という事実は直視しなければならない。しかしその言葉に従うのは間違いだ。何度か書いたことだが、何度も書こう。

顧客フィードバックとは、自分たちのやり方の「どこが間違っていたか」を教えてくれる点では非常に参考になるでしょう。しかし、「次にどんなものを作ったらよいか?」を知る手がかりには、全然ならないのです。

via: 顧客の声を素直に聞いてはいけません:日経ビジネスオンライン

これは真理だ。真理なのだが、「組織の理論」には適合しない。かくして「正しいサラリーマン」はこう発言する。

ここはしっかりと最先端の機種をつくりあげる必要があると考えました。これは、販売の現場からさまざまな意見をいただいたことが影響しています。

via: 「ELUGA X P-02E」担当者インタビュー

というか改めて読んでみるとこの発言はそれ以前の問題だ。そもそも「顧客の声」ではなく「販売店の意見」しか聞いていないのだ。

どうもこの「販売店の意見を最も尊重する」というのは、日本の家電メーカーが長年患っている持病のようなものらしい。

携帯電話の商品企画は携帯電話事業者向けに企画を練る。テレビは量販店で売ってもらえるように企画する。どちらもユーザのことなど二の次。

 こんな機能ぜったい使わないよな~、とか思いつつも、量販店からOKが出れば成功と。

via: そういえば携帯電話とテレビの商品企画はよく似ている: 無指向な嗜好

私パナソニックの株持っているし、弟はパナソニック系統の会社に勤めているから、「パナソニックの御用ユーザー」と呼んでもらってもいいような立場なのだが、どうもネットでみかけるパナソニク関係者の発言を聞くと、その「環境への適応ぶり」にげんなりする。ソニーよりもひどいのではないかと思える。

ではどうするか。

ではどうすればいいのか。「これさえやっていればOK」といった正解はありせんが、少なくとも違ったアプローチが必要です。我々が今実践しているのは「行動観察」です。行動観察では、点でとらえるというよりも、流れとその文脈(コンテキスト)でとらえます。

via: 日本企業の「ものづくりの病」を打破する方法:日経ビジネスオンライン

つまるところ正解はないのだ。ないのだが、↑のような記事をよむにつけ、AppleがiPhoneという1つだけの機種でものすごい利益を挙げていることに改めて驚く。同じ人でも昼と夜ではニーズが全然違う。しかし多くの人がiPhoneを買うのだ。

ではiPhoneは「一機種Only」でこれからもいくのか?「事情通」はこぞって「安価な機種を新興国マーケット向けに出すべきだ」と主張する。

それはつまるところAppleが何を目指すかによるのだと思う。

In other words, a blockbuster new Apple phone that more than doubles unit sales and blows a hole in the middle of the Android market might only add 20% to Apple's profits. 

via: The cheap Apple phone problem -- Benedict Evans

ここで挙げられた試算によれば、Appleがより安い機種を出して仮に出荷台数が2倍になったとしても、Appleにとっての利益は2割り増しにしかならない。

逆にそうした機種をサポートするための「コスト」はかなり大きなものになる。そもそもAppleは「最高の製品」しか作らないと何度も公言している。性能を落とし単価をさげた製品を、フラッグシップモデルとどう共存させ「両方共最高だ」と主張するのか?もし処理能力、メモリ量などからアプリの互換性が失われれば、Androidの二の舞になる。

The iPhone 5 has tipped the scales in Apple's favor by beating Samsung's Galaxy S3 to become the world's best-selling smartphone model for the first time in the fourth quarter of 2012.

via: Apple's iPhone 5 overtakes Samsung as best-selling smartphone in Q4 2012 | ZDNet

2012 Q4において、世界でもっとも売れたスマートフォンはiPhone5で、2位がiPhone 4Sだったのだそうな。というわけで、Appleは型落ち機種であっても十分競争力があり、結構な台数売れている、、と見ることもできる。これがGoogleであれば狂ったように台数を増やすだろう。なぜなら彼らの目的はAndroidプラットフォーム上でGoogleのサービスを使ってもらうことであり、ハードを売ることで利益を挙げることではないからだ。

というわけで、Appleが次に何をするかは要注目。とはいっても

「販売の現場の意見を聞き、全部入りを作りました!」

なんてことをやらないことだけは確かだが。


つまるところは「がんばれ!」

2013-02-20 07:03

ビジョンやミッション・ステートメントが重要だとは多くの人が言う。そしてそれらを掲げている会社も多い。

私の考えではそうした行為は、結局なんらかの「狂気」に結びつくのではないかと思う。Googleのそれをみてみよう。

googleのミッションステートメントは

1.「世界の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする」

2.サービスをすべて無料にする

3.収入は広告収入に限る

via: Takaaki Murakami Blog:ミッションステートメント

これは「和を持って尊しとなす」の日本企業がかかげるそれとはかけ離れている。まず具体的である。次に「やらないこと」を明確にしている。そしてGoogle MapとかStreet Viewとか「そんなことやって何がうれしいんだ」ということを本当にやってしまう。これは彼らのミッションステートメントから見れば正しい行為だが「常識」で考えれば馬鹿げている。嘘だと思うなら日本の会社で

「世界中の町の風景を撮影し、Webで無料でアクセスできるようにしましょう!」

と提案し、その企画を実現させてみてほしい。

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さて、こうした行為が有名になったので我が国でも「ビジョン」やら「ミッションステートメント」を掲げる企業は多い。今朝目にしたのはこういうものだ。

「スマートフォンのモノ作りにかける思いは、SMARTPHONE IS MEDIAS──、これぞスマートフォンと呼ばれるものにしたい。迷ったときはこのメッセージに立ち返り、道しるべとして価値を提供していく」と、商品企画部 部長の辻宏和氏は意気込む。

via: "スマホ=MEDIAS"目指す--NECカシオが2013年春スマホにかける意気込み - CNET Japan

これは実に日本企業らしい。まず第一に聞こえが良い。第二に何も言っていない。だからどんな意見でもこれに載せることができるし、社内において摩擦も産まない。やっぱりあれですよ。角をたてちゃいけません。みんななかよく。

というわけでこのメッセージを「道標」にすると意気込んでいるらしいが、意味不明なセンテンスをどう道標にしろというのか?

「それを考えるのは君の仕事だ」

と彼らは部下に向かって言い放つ。ちなみにこれは私がNTTの末端子会社で働いている時に学んだことでもある。NTTべったりのNECはきっと同じ文化を学んだのだろう。

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これと形は違うが、同じ心根に基づくであろう事例をもう一つ。

そうです。2012年のパナソニック製スマートフォンは、LTE非対応だったり、赤外線やワンセグなどの日本向け仕様に非対応だったりしていました。薄型でデザインに注力した機種も、当社としては自信を持っている機種でしたが、販売実績という面では苦労した部分がありました。2011年には価格を抑えた機種も投入しましたが、これも厳しい結果でした。こうした実績から、現在のスマートフォン市場は、「全部入りが当たり前。その上で特徴を打ち出す」という側面があり、そこに向けた機種を提供する必要がある、と考えたのです。

via: 「ELUGA X P-02E」担当者インタビュー

全部入りとは程遠いiPhoneが日本で最も売れている携帯電話、という些細は事実は無視しよう。Appleは信者がいるから参考にはならないのだ。

というわけでつまるところは「機能の多寡」が売上を決める!そう信じて走るのは実に頼もしい姿であり、日本企業そのものだ。「当社としては自信を持っていた」が間違っているとは思いもしないのだろう。ひょっとして「薄型でデザインに注力した」ってこれのこと?

女性がAndroid端末の購入をためらうのは、もちろん不満点があるからで、一方でiPhoneを購入するのはその不満点を超えた満足するポイントがあるからだと予測し、それらを分析していくことで、女性向けの良い端末ができるのではないかと予測しました。

── 製品には、女性ユーザーのどういった意見を盛り込んだのでしょうか?

池田 女性にスマートフォンのニーズを聞くと、まずはデザインに対する訴求がトップに来ます。

via: ASCII.jp:アラフォー男子開発陣がホンキで取り組んだ女性向けスマホ|開発者の情熱! スマホ&アプリ、サービスの生みの親に直撃!

こうした姿勢は「判断を放棄した」姿勢にほかならない。とにかく全部の機能を搭載し、最先端にするんだ!これはとてもわかり易い。社内的に、という意味でだが。そして「がんばれがんばれ」と担当者や「下請け業者」を叩きまくる。

デバイスメーカーさんとの連携を強化して、「この時期にはこれが最先端」というデバイスを先行して採用したことが効を奏したのだと思います。ただ、開発途上には仕様変更・追加もあって、技術陣には頑張ってもらいました。デバイスも、ギリギリまで最新のものを搭載できるよう取り組んでいたのです。

via: 「ELUGA X P-02E」担当者インタビュー

「信念」を持つということは「やることを決める」だけではなく、それ以上に「やらない事を決める」ことだと思っている。いや、「やらない」なんて言っちゃいけませんよ。全部の機能で一番になるんです!

いや、もちろん市場で何がうけるかは誰にもわからない。1つだけ提案。

「効を奏した」

というのは、市場で売れてからにしてはどうかな?


大統領選という「戦争」

2013-02-19 06:58

何度か書いたことだが、アメリカでの「競争」というのは基本的にルールを決め、それを守った上で妥協なく相手を叩きのめす。Winner takes allという言葉はアメリカに一番よく当てはまる。(もちろんそれだけじゃないけどね)

そうした観点からすると、大統領選挙というのは実に面白い。そして彼らが戦争のために編み出す戦術というものも。

「たった160人のサンプルで実施した調査の結果をもとに、リソース配分に関する重要な決定を下すなどまったく馬鹿げたことだ。しかし、これまで何十年もそういうことが行われてきた」

via: 世論調査の限界を超えろ--オバマ陣営のデータ戦略は「有権者を一人ずつ数える」 - (page3) - ZDNet Japan

オバマの選対は、従来よりもはるかに細かい単位で有権者を把握し、そして戦術を編み出していったのだそうな。その様子は以下の言葉で表されている。

データをめぐる軍拡競争

via: 世論調査の限界を超えろ--オバマ陣営のデータ戦略は「有権者を一人ずつ数える」 - (page2) - ZDNet Japan

そう考えれば、大統領選挙はデータ分析の実験と活用の場でもある。こうした話と、会社で聞こえてくる

「十年一日のごとく繰り返されるぼんやりとした分析と称する何か」

について考えるとき、漠然とした危機感を禁じ得ない。大統領選挙という「戦場」で鍛えられた技術、手法、ノウハウは他の産業にも応用されうるかもしれない。そうした時我が国に対抗ができるのだろうか?

それがハードの軍事技術のように、簡単に民生に転用できないものなら問題はない。しかしこのマイクロターゲティングは容易に他の分野に応用出来るはずだ。

とかお国の事情について憂いている場合ではないか。とりあえず自分の心配をしないと。


インタラクション-インタフェースが重要なわけ

2013-02-18 06:37

苦戦が伝えられる任天堂だが、先日こんな記事を読んだ。

任天堂 岩田社長による煽り文句は、『(...) 体験したことのあるサービスも、出力デバイスが変わり、インターフェイスが変わるとずいぶん印象が変わると実感しています。(...)』(Twitter @Nintendo)。

『社長が訊く』では、米国の Google 本社でプレゼンしたところ一日目で評判が広まり二日目には会議室が溢れるほど技術陣が集まって多数のアドバイスを受けたといったエピソードに触れています (Google 河合氏いわく、会議嫌いのGoogleエンジニアが一部屋に集まるのはめずらしいこと。「その場にいた人間はみんな大興奮でした。「地図とストリートビューって、 こうあるべきだったんじゃないか?」というくらい、最初からとてもマッチしていましたから」)。

via: Wii Uで見るストリートビュー Wii Street U は5月末まで無料提供、『社長が背負う』も公開 - Engadget Japanese

こうした「事実」に気がついている人はあまり多くない、というのが実感だ。それは「インタラクションの研究者」であっても同様。

インタフェースは、常にHTMLという人たちは、インタラクションが一定の範囲に閉じ込められているということに気がついていない。同じコンテンツ、同じロジックであってもインタラクションを変えた途端、全く違う体験になり得る。
(最近気がついたのだが、私はインタフェースとしてのHTMLがかなり嫌いだと思う)


逆に背後に存在するべき、コンテンツ、アルゴリズムを考えずにただインタフェースだけ作っても、それは「インタラクションシステム」にはなりえない。いくらCHIshな評価なんかつけても無駄。

とかなんとか文句を言っていると、そこから逆に「じゃあお前は何がいいというのか」というのが明らかにならんかなあ、とぼんやり考えている。それって自分でもよくわからんのだよね。


ある研究室の展示会

2013-02-16 14:37

一つの研究室が単独で展示会を開くことはままある。先日そうしたものの一つに行ってきた。

その結果「研究室が展示会を行うとはどういうことか」についてあれこれ考えることになったので、書いておく。きっかけは次の記事を読んだことだった。

そのためか、展示作品も、ちょっとゆるい雰囲気がある。来場者自身がどんな印象を受けるかも人それぞれかもしれない。

引用元:【森山和道の「ヒトと機械の境界面」】日常の「ネットワークデザイン」 ~首都大学東京 システムデザイン学部 渡邉研の2012年度卒業・修了制作研究展から

思えば森山氏のこの「慎重に書かれた言い回し」から何かを予期しておくべきだった。まずは見た物の感想から買いいこう。

・見る人の空間認知能力に合わせた地図提示方法:
普段道を探す時にどうするか、といった質問にまず20答える。質問は「場合による」としか言いようがないものが多いが、とにかく答える。
するとタブレットに地図がでる。やたら落ちるがまあそれは問わないことにする。上下に全体地図と詳細地図がでて、片方だけがノースアップになったりいろいろするのだそうな。

とても論理的だが、「だから何?」といった感想が拭えない。

・「コトバノキ」
単語を入力すると、TwitterとGoogleで検索を行い、そこから単語を抽出して根っこと葉っぱという形で提示する。

どっかで何度か聞いたような話だが、担当者がいなく代理の人が説明してくれたので、先行研究との差分はわからない。こうしたインタフェースにありがちな問題として、単語が重なりわけがわからない。単語にマウスオーバーするとなんらかの関連がある単語が強調表示されるのだが、それが何を意味するかもわからない。(代理の人に質問をしたが答えはなかった)こういう
「情報量が多い時」には情報をひたすら流せばいいではないか、という提案をGoromiでしたわけだが、どうして他の人はこう静的に重ねたがるかなあというところを聞きたかったのだが(以下同文)

・パーソナルファブリケーション作品らしきもの
担当者、説明者ともにおらず、内容はわからなかった。

・Emotion Effecter
担当者がおらず代理の人が説明してくれた。同じ動画を見ている人の間で「ノリ」を共有するため、Wiiリモコンであれこれ入力する。すると画面が揺れたりする。正直画面が見づらい。説明者によれば
「表現方法はともかく、こうしたノリを共有するという点が新しい」
ということだが、そうした観点は去年から既に存在する。こうした調査はどうしているのだろうか?ドヤ顔で「新しい」と言い切られてもこちらは困惑するばかりだ。

・MMM ARアーカイブ
担当者がおらず代理の人が説明してくれた。現代アートの展示会は終わってしまうと跡形もなくなる。その記憶を残すため、過去に現代アートの展示会が行われた場所にいくと、セカイカメラのようなエアタグが表示される。そのタグをタッチすると詳細に画面が遷移する。
やろうとしていることは解るのだが、問題は「画面を見ても全く面白くない」点にある。実風景と重なった画面に映るのは、吹き出しだけであり、そこからいちいち遷移しないと目的の情報にはたどり着けない。おまけに全部重ねて出してしまうので、仮に複数回に渡って現代展が行われたらごちゃごちゃするだけだ、、と代理の人に言ったが今いち反応は薄い。まあそうだわな。

・TimeLine Player
簡単に言うと、Twitterのタイムラインの情報を、音楽に変換しよう、という試み。使う情報はTweetがどのタイミングででるかとそこで使われている単語がポジティブなものかネガティブなものか。

こういう「音楽を自動で生成する」試みをするとき、非常に多くの人が「人間が聞き続けられる楽曲を自動で作成する」難しさを過小評価している。デモをきかせてもらったが「ああ、そうですか」以上の感想を持つのは難しかった。人間の感情をポジティブかネガティブかに2分する強引さも気になるが、それは音楽自動生成という難問に比べればたいしたことではない。

説明を聞き終わって「これは何が売りですか?」と聞いたらまた「こうやって音楽を生成しています」という説明を繰り返された。再度聞きタイムラインを見ずに様子を知ることができるためのAmbient Display的な使い方を目指していると解った。それならばなおさら「聞き続けられる」ことが重要になる。例えば自分が持っている楽曲から、TimeLineの状況に合わせた(それはかなり強引な解釈だが)音楽を選曲して鳴らしては、とかそうしたほうがまだ使えるシステムになると思うのだが。

・network-mobile
展示してあったらしいのだが、存在すら気がつかなかった。

・Color Branch
担当者が説明をしていたが、私がいる間は、他の人に説明をしていたので残念ながら聞けなかった。

・START ON AIR!
Blended Wing Bodyの飛行機を研究している研究室との共同研究とのこと。なんだか飛ぶような視点でGoogle Earthを俯瞰できるらしい。担当者もおらず、説明者もいなかった。そもそもBWBとなんの関係があるのか、など謎は深まるばかり。

・他に数点展示があったが、作成者、説明者不在のためよくわからず。

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私がこうした展示会を見る時何を期待しているかといえば、展示しているものの完成度とか実用性ではない。問題発見、手法、あるいは作った結果、どこでもいいから一つでも「なるほど、これはおもしろい」というものが見られないかと期待している。

その点からすると今回は全く収穫なしだった。
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しかしこれはあくまでも私の物の見方だ。私がどう考えるかなどというのは展示を考えるほうにしてみれば全くコントロール外のこと。だからそれについては正直な感想以外何も言うまい。

問題は

そもそもこの展示会を行う事で、彼らが何をしたかったのかが理解できないこと。前記の説明通り

・作成者が説明してくれたもの:2件(+私が聞けなかったもの1件)
・代理の人が説明してくれたもの:3件
・説明無しで、展示のみ:3件(+数件)

という状況。つまり作った人間がそこにいないのだ。もちろんアート作品のように

「説明をするのではなく、観た人がそのまま感じればいい」

というものもある。しかし展示されている内容を見る限りそうしたものとは思えない。

作成者が見に来てくれた人からのフィードバックを期待してるわけではなし。では何がしたかったのか?こちらにしてみればわざわざ足を運んだのに「ああ、この点について聞いてみたい」というフラストレーションだけがたまった。

唯一想像できるのは彼らと彼女達はとにかく展示会がしたかった、というものだ。確かにその場にいる学生さん達はとても楽しそうだった。

学生さんが無料で行う展示会だから、そんなものだ、という意見もあろうし、そう解釈するしかないのだろう、と思っている。

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展示されていた作品全般にいえることだが、「理屈はわかるけど、そうですか」というものが多かった。例えばTwitterを音楽にするものでは、

「確かに音がなっているけど、それが何?」と感じる。つまり「それを使った人間はそもそもうれしいのか」という点が欠落している。

展示会自身もそうした位置づけかもしれない。来た人に驚いてもらおうとか議論をしてもらおうとかいうF/Bまで含んだ系を想定していないと感じた。つまり「がんばって作りました・開催しました!」で終わっており、オープンループなのだ。
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まあこういうこともあるさ。いつか行った美大の卒業展示会では、その後の研究の方向性を決めるようなすごいコメントをもらった。打率が100%なんてのは誰も期待していない。また面白そうな展示会があったら顔を出してみる事にしよう。


4月から働き始める人たちへ

2013-02-15 07:10

昨日こんな記事を見つけた。

大手SIer入社する新人は本当に皆優秀な人が多い。
勉強ができて、物覚えが良く、人も良い。
素晴らしい人達だと思った。まるで敵わないと思った。
こういう人達と切磋琢磨していける環境は最高だと思った。
自分がダメで情けなかったけど。まだまだみんなの方が優秀だけど。

でも、そんな優秀な人達がいつの間にかに丸投げを覚え、技術は身に付かず、管理者という名の糸電話になってしまう。

協力会社がやったことを「管理」して、プロジェクトマネージャーに報告する。
プロジェクトマネージャーからのフィードバックを協力会社に伝える。

詰める文化を学び、「下」から上がってきた成果物にイチャモンを付ける。
イチャモンを付けることが自分の存在価値だと思い始める。自分で手を動かすのはマネージャーの仕事じゃないと言って、技術的な要素は協力会社任せになる。
それはきっと、正しい努力ではない気がしている。

via: 【雑談】運が7割。選択が1割。残りは努力。 - 感謝のプログラミング 10000時間

私もこうした例を数限りなく見てきた。日本社会の面白いところは、大学から企業にはいった瞬間「一旦リセット」を要求されるところだ。君たちはこれから社会人なのだから、というわけで「一から」基本を教えようとする。

そして入社した会社が「メールと会議が仕事」と思っているようなところだとこういうことになるわけだ。前にも書いたと思うが、私は一時NTTの末端子会社で働いていた。その会社で一度だけ素晴らしいことが起こった。新入社員の「ナマの声」を社内報に掲載したのだ。

そこには

「学生時代は徹夜でプログラミングもあたりまえだったが、この会社じゃそんな技はなんの役にもたたないな」

という言葉があったのを覚えている。そりゃそうだ。ある事業部の仕事は、NTTドコモに「高級派遣」としてはいり、「低級派遣」会社から来た人を「管理」することだったから。

そうした「ホンネ」に対しては、いろいろな意見があったが所詮末端子会社だ。一番収益がよく(そしてメンタルのアンケートでは常に最下位だったのは)NTTデータへの人材派遣をやっている事業部だった。そしてその事業部長はこの「ホンネ」に対して「何を甘いことを言っているんだ」と一喝していた。

会社と幹部はゴミだったが、新入社員には優秀な人がたくさんはいってきた。しかし日本特有の「会社にはいったらリセット」文化に従えば、そうしたゴミ幹部を見習わなければいけないことになる。そして3年もたてば立派な「生ゴミ」になる。(生きのいいゴミという意味ね)

どうしてあんな人柄もいい(本当に良い人ばかり)優秀な新人たちが「詰める管理者」なるかというと、そういう文化を見て育っていくからだ。
赤ん坊が身の周りの言葉を吸収して覚えていくように、新人は身の周りの文化から仕事を吸収する。それがどんな仕事であろうと。周りに見えるものから精一杯吸収する。
何もわからない、「はじめての会社生活」だから。はじめに目に見えるものがすべてに思える。
生まれたばかりのアヒルの子のように。

via: 【雑談】運が7割。選択が1割。残りは努力。 - 感謝のプログラミング 10000時間

今不振を極めている、あるいは「栄華を極めている」企業でもこうした「優秀な学生をゴミにする」ことは極めて広範囲に行われているのだと思う。

もう一つ例を挙げておこう。デンソーから出向してきた(片道飛行じゃないよ)有望な若手社員が、グループを仕切ろうとした会議での出来事だ。

彼はひたすら派遣できた社員に対して「ここでどうする?」と聞き、その人が何か答えるとそれに対して文句をつけていた。自分からの提案は0である。それはあまりに典型的で見ていて思わず笑ってしまうほどだった。デンソーからはそんな人間ばかり来ていたからその時やっていたプロジェクトが崩壊したのは不思議でもなんでもない(そしてその後始末は、プロパー社員である私に降ってきた。彼らはそうした状況から身を躱すことにも極めて熟達していた、と知るのは後のことである)

天下のデンソーの社員だから、きっと優秀な学生さんだったのだろうなと思う。彼らは今何をやっているのかな。

ちなみに全てのデンソー社員はこんな人ではない。9割はそうだが、1割はとても優秀な人がいる。自分でコードも読み書きし、難しいプロジェクトを仕切り、一日21時間働き、「外注さん」とも人間同士の会話が可能で転職など夢にも思わない人だ。大企業はこうした人が1割いれば回っていくのだよね。ある程度は。

-------------

そうした状況は変わらないのだが、私が入社した頃にくらべれば状況ははるかによくなっていると思う。私が若い頃は、会社で接する人が社会の全てだった。(家族を除く)だから仮に自分が疑問をいだいたとして、それがどういう意味を持つのかわからなかった。

しかし

今では、そうした会社の垣根は少し下がっているように思う。いろいろな立場の人の話しを聞くのはずっと容易で、そうした機会もある。もちろんゴミ箱に安住する人もいるだろうが、自分が望めばそこから外に触れることはずっと容易になっていると思う。

というわけで4月から働き始める人、もう働いている人は、そして何よりも自分はこの60代男性の言葉を噛み締めるべきだと思う。

ともあれ、私たちは均すと7割を仕事以外の自分として生きています。

 つまり消費者である、というのはそんな7割側の自分なのです。消費者側の自分は、新しい時代にどんどん適応していきます。ところが、生産者側の自分というのは、ほんとうに保守的なんですね。ここにズレが生じます。つまり、生産者側の自分がマジメであるほど、時代についていけなくなる。市場についていけなくなる。

 そう考えると、仕事以外の7割の自分が、次の自分の仕事を創るんだ、ということ、おわかりいただけるんじゃないでしょうか?

via: 20代の社員に「アホは出口さんです」と言われました:日経ビジネスオンライン

仕事をしている時間は生涯の3割でしか無い。しかしそれを「10割」と勘違いすると間違いなくゴミになる。「外注」を管理しているからといって、それは自分が偉いせいでもないし、あるいは逆に駄目になっている印かもしれない。7割の自分が生きていればそうした事に気がつく、と。


日本の誇る「品質」って

2013-02-14 06:47

なんのことだろう、とこの記事を読んで考える。

そこで一度、富士通の幹部に「スマホの品質面での改善について、どう取り組んでいくのか」と直撃したことがあった。彼によると「日本メーカーとして、スマホの世界で差別化していくには、いち早くCPUに高性能なクアッドコアを載せるなどのチャレンジが必要だった。そのため品質の方が追いつかない面もあったが、改善するよう努力している」と語っていた。

via: 次こそiPhone...品質でつまずいたAndroidスマホとドコモの憂い:日経ビジネスオンライン

ガラスマの「品質」がお笑いものだったことはよく知られている。こうした質問に対して何の意味もなさない回答を返すところは、さすがに大企業と幹部と思うが、そこは問題の本質ではない。

「日本製」=「高品質」と思われてた時代があった。もちろん今でもその図式が成り立っている部分が多いのだが、それでも国産スマートフォン、あるいはドコモのシステムの品質には驚かざるを得ない。よくこんなものを市場に出してくるなあと呆れる。

そういう事象を観察していると

「日本企業の考える品質ってなんのこと」という疑問が頭を駆け巡るわけだ。いや、多分富士通社内にも怖い品質保証部門はあるんだと思うよ。でもそれが消費者からみると機能していないように見える。

これは想像だが、彼らが考える品質とは、あくまでも「作り手のこだわり」としての品質ではなかろうか。端的に言えば自己満足的な品質。多分ハードの部品に関する要求とか無茶苦茶厳しいのだと思う。下請けに厳しく品質指導するのは日本の大企業のお家芸だ。

問題は

それが「ユーザから観た時の品質」に全くリンクしていないことにある。今やスマートフォンの「ユーザから観た品質」を制御しているのはソフトウェアなのだが、21世紀になって10年すぎた今でも彼らはそれを理解していないのではなかろうか。

あるいはこう言えるかもしれない。「商品力」という点に関しても、彼らは同じような穴に落ちていると。つまり彼らが誇らしげに語る「商品力」とは「作り手のこだわりとしての商品力」なのだ。クアッドコアにチャレンジしました、なんてのはユーザにとって何の意味ももたない。しかし作り手にとってはそれはチャレンジなので、ユーザ体験よりも優先される、と。

結果として

「品質への要求が世界一厳しい」日本の消費者が一番選んだのは、iPhoneでした、という一昔前では信じられないような事態が起こっている。

複雑な規制があり、またWeb対応フィーチャーフォンの人気が根強い日本の携帯市場は、海外企業にとって難攻不落だった。しかしAppleはついに、その市場のトップに登りつめることに成功した。Counterpoint Researchの調査報告が、そう告げている(出典: The Next Web

via: 日本の携帯市場占有率2012年の首位は...なんとAppleだった!

あのAppleがなあ。Iivi,IIvxはひどいもんじゃったが、、(以下年寄りの昔話が10万行続く)

っていうかこのニュース日本のメディアでは驚くほど取り上げられてないよね。かなりあやしげなこのニュースはあちこちで見るけど。

調査会社OnDevice Researchが米国時間11日に発表したモバイル端末の満足度調査結果によると、米国のスマートフォン・タブレット端末利用者の間で最も満足度が高かった端末はモトローラ(Motorola)の「Atrix HD」であったという。また第2位から4位にはモトローラの「Droid Razr M」、HTCの「Rezound 4G」、サムスン(Samsung)の「Galaxy Note 2」が続き、これまで高い顧客満足度を誇ってきたアップル(Apple)の「iPhone 5」は5位にとどまったという。

via: iPhone5の顧客満足度は5位 - 米国モバイル端末ユーザーの満足度調査 - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

Bill Gatesの蹉跌

2013-02-13 07:05

いろんな記事を読むと、確かにとんでもなく頭が良い人だということは間違いないようだ。それに「お前にMicrosoftが作れるのか」と言われたら「すいません」と答える。

しかしこのエピソードは彼の限界(誰にでも限界はある)を示しているように思う。

Q: What one Microsoft program or product that was never fully developed or released do you wish had made it to market?

via: Bill Gates' biggest Microsoft product regret: WinFS | ZDNet

Microsoftで日の目を見なかった製品のうちで、一番惜しいと思ったものは何か?という質問に対し、彼はWin FSと答えたのだ。

「なかったことに」にされたWindows Vistaが大いに宣伝されていたころ、ファイルシステムがWin FSになるという噂が流れていた。ではWin FSとは何か?記事から引用すれば

「データベースをWindowsのファイルシステムに統合したもの」

となる。では何故それがボツになったのか?

一番の理由はこのように解説されている。

Welcker noted that no two members of the WinFS team seemed to be able to answer the question "What is it?" in a succinct, cohesive way.

via: Bill Gates' biggest Microsoft product regret: WinFS | ZDNet

当時Microsoftで働き、Win FSの誕生からボツまでを「隣で」目撃した人はこう述べている。「Win FSとは何か?」という質問に対して、全ての人が違った答えを持っていたと。

つまりそれが何か誰にもわからなかったわけだ。そしてそのような状態ではプロジェクトが迷走するのを止めることはできない。

Because no one could identify the essence of the project, it made it really hard to make any decisions about what should or shouldn't be included.

via: Bill Gates' biggest Microsoft product regret: WinFS | ZDNet

自分たちが何を作っているのかわからないから、何を入れるか、何をいれないかが決められない。私の考えでは、プロジェクトを成功させるために一番必要なのは「何をいれないか」をちゃんと判断できることではないかと思う。

Gatesが.NETについて語った時も「何のことだ?」と思った。Windowsでアプリケーションを動かすときに、.Net Frameworkを要求されることがあるのは知っている。しかしそもそも.NETとはなんだったのか?

そもそも、「Microsoft .NET」とは何なのか?

 「Microsoft .NET」とは、マイクロソフトが2000~2005年ごろまでに目指していた「構想」「ビジョン」である。つまり、このビジョンがすでになくなってしまっているのである。

via: .NETとは何か? - @IT

それは当時もよくわからなかったし、今とはなってはライブラリ群でしかない。.NetではないがGatesが使った有名なスライドに彼の頭の中がよく表されていると思う。

Bill Gates explains the big picture (but can he explain that picture behind him?).

     Complexity_bill


"...this slide really pulls it all together" Bill Gates said of the slide above.


via: Presentation Zen: Bill Gates and visual complexity

おそらくWin FSも彼の頭のなかではこんな様子だったのではないかな。であるからして、私から見れば「最初から成功する見込みのなかった」プロジェクトが「一番惜しかったプロジェクト」になるわけだ。ここらへん、

「当然のことだが、私自身の中には、ネットワークと融合させて楽しむプレイステーション4、5、6というビジョンがある」

via: 久夛良木健 - Wikipedia

この言葉とどこか似通った点があるように思う。とはいえGatesも久夛良木氏もすばらしい成功を成し遂げたことに変わりはない。私のような凡人が一瞬たりとも夢見ることもしないような成功を。そして常勝である必要はないのだ。


進化した猿に携帯を与えると

2013-02-12 06:56

人間は猿の進化したものではない、というツッコミは軽く聞き流そう。
先日こんな記事を観た。

病院では電気を私用に使う現地スタッフが多くて困ったという。「自家発電しているが、現地スタッフはコンセントが空いていると、すぐに自分の携帯電話の充電に使う。やめろ、ともなかなか言えない」(同)。多くの乳幼児が亡くなっている現実の一方で、その施設内では貴重な電気がこんなことに使われているのだ。

via: 「国境なき医師団」の厳しい現実 (東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース BUSINESS

別の記事で読んだが、インドでは下水道はないが携帯を持っている人がたくさんいるのだそうな。

マズローのなんちゃらには批判も多い。携帯電話で何をするかと言えば、よくわからない。メールを受け取ったり友達とチャットしたりするのだろうか。それはどう考えても

所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
生理的欲求と安全欲求が十分に満たされると、この欲求が現れる。
情緒的な人間関係・他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚

via: 自己実現理論 - Wikipedia

所属と愛の欲求より下にはない。にもかかわらず他人とおそらくは自分の「生理的欲求と安全欲求」を犠牲にしてまでそれを満たそうとするのだ。

あるいは単に「そうした行為が安全欲求を危険にさらしていると理解することができない」のかもしれないし「他人の生理的、安全的欲求は自分の所属と愛の欲求より下」というありふれた定義に落ち着くのかもしれない。

こうした人間の行為にはいろいろ考えさせられるものがある。学会に行くと

「人間同士のコミュニケーションをもっと密にしましょう!」

という脳天気な前提に基づく研究を見ることが多い。21世紀も10年以上たった今であればそんな「暗黙の前提」はいい加減見なおして欲しいと思うのだが。

というか「現水道よりも携帯電話」を優先させる人間の「知能」は環境への適合を考えた時どう理解すればいいんだろうね。私は他人とのコミュニケーションに問題を抱えた人なので正直よくわからない。


勝者のジレンマ

2013-02-08 06:58

何のことかと言えば、Microsoft Surfaceである。VergeというサイトでSurface Proのレビューをやっていた。

Surface Proのレビューを読むのは面白い。概ね意見は一致していて

「ハードとしてはよくできている。しかし

Which leads me back to the same question Josh asked about the Surface RT: who is this for?

via: Microsoft Surface Pro review | The Verge

そもそも誰がこれを欲しがるのか?という疑問だ。

なぜそうなってしまうのだろう?多分こんな図式ではなかろうか。

・iPad成功してるよね。Microsoftもタブレットだそう!
・とはいえ、iPadとくらべて何がメリットかな?それはもちろんWindowsに存在する膨大な既存アプリだ!
・タブレットとしての用途には、タッチ操作。既存アプリは今までのWIndowsと同じような環境でサポート。これで勝利間違いなし!

これはとっても説得力がある図式である。ところが実際におこったことは

・タッチのアプリ全然ないよね。やっぱりWindowsだから今までのアプリ使おう。
・あれ?これ今までのアプリ動かないの?(ここでSurfaceRTが脱落)
・こっちなら動くのか。(Proのこと)でも今までのアプリを使うならUltrabookでよくね?だって、Surfaceって机の上でしか使えないし、机の上で使うとUltrabookよりスペースとるし。。今までのアプリ使うなら結局マウスが欲しいし。

タッチのアプリがほとんど無いことを除いてもSurface RTの評判は悪い。そのうちの一つは「そもそもCPUが非力」というものだ。しかしそれは「ノートPCとくらべて」という言外の前提を持っている。

つまりSurface RTはタブレットではなく、ノートPCの代替として見られている。Surface Proも同等だ。iPadに対する最大のメリットとして「既存アプリの利用」を掲げた時点で、Surfaceはノートとみられてしまっているのだ。誰もiPad上のKeynoteがMac上で使う時と比べて力不足だなんて言わないでしょ?それはそもそも別物と思われているからだと思う。

-------------

というわけで、Microsoft社内ではSurface2(もしくは3)に向けて路線の見直しが行わているのだと思う。(というかそうでないとまずい)おそらくそれは「そもそもこの製品はなんなのか」にまで遡るものだろう。

今のままではSurface RTは消えるだろう。しかしそうなるとますますUltrabookでよくね?という話になる。つまるところはWindows7に戻り、MicrosoftブランドのUltrabookをMicrosoft税を含まないダンピング価格で売り出すのであった、、というのが一番確実なシナリオと思える。

とはいかないのであれば、、Windows Phone OSをタブレットに搭載しますか?今更その路線はない、というのであれば、、どうしましょうね。というわけでMicrosoftの次の一手に期待である。(野次馬)


事業計画なんてものはゴミだ

2013-02-07 07:02

と私は信じている。そもそもその製品が何台売れるかなんて誰にわかるのだろう。そんな数字はいくらでも創りだすことができる。

おまけに「計算できる未来」というのは、所詮現在の延長線上にしかない。今あるすべての変数が連続的になめらかに変化する、という無茶苦茶な想定でのみそれは成り立つのだ。

なぜこう書くかといえば、過去に何度も「机上の空論」を作ったし、それが予測しなかった非連続的な変化にふっとばされたからだ。そしてそのことを正直に告白する人は少ない。

僕はデコメールサイトに関わっていたことがある。事業計画を作り、会社から資金を貰い、サービスを立ち上げた。後発ながらそれなりの規模まで成長させ、他の者に引き継いだ。

立ち上げる際、適当なグラフを作る。ここで言う「適当」は難しいのだけれど、同じスピードでキレイな曲線を描いていくグラフなんて基本的に無く、市場変化だったり、サービスのアクションだったり、何かしらグラフを最低2ヶ所は曲げさせる。

数字なんて実際は誰にも分からず、「意思」を反映した方が良いと思っている。もちろん、精度を高めるため、あらゆる数字を集めて、根拠は作る。

(中略)

今、現在どうなったのか。

LINEというアプリが大流行し、デコメールの変わりに「スタンプ」が流行っている。現在もデコメールを使っているのは、ガラケーを使用しているわずかなユーザーのみ。今後デコメール市場は更に縮小されていくと思われる。

何が悔しいかといえば、僕はLINEを全く思い浮かばなかった。本当に「全く」だ。正直、こんなに悔しいことはない。

via: デコメール死亡 「LINEの登場」を予測できなかったプロデューサーのお話 | サイプロ ~とあるサイトプロデューサーのブログ~

あらゆる数字を集めたところで未来に発生する非連続的な変化は誰も予想できない。くだらない数字を集めてあれこれ議論するのが好きな人はやればいいと思うが、そうした会議に私を呼ばないでほしい。

この記事はもうひとつ面白い点を提示している。すなわち

「業界の事情に詳しい人が進歩を妨げる」

というやつだ。

キャリアメールのアドレスは変わるわけ無いよ、というそれまで正しかった「業界の常識」が簡単に覆ってしまったわけだ。

「スマホ使いにくいな。。。」と思っていて、ガラケーからスマホへの移行が遅れたことで、発想を妨げる原因になったと思います。

via: デコメール死亡 「LINEの登場」を予測できなかったプロデューサーのお話 | サイプロ ~とあるサイトプロデューサーのブログ~

おそらくこの人はガラケーが育んでいた特殊な生態系に安住していたのだろうと思う。そりゃ「詳しい」人はそう思うよね。私みたいにあの下品さを毛嫌いして触らなかった人と違って。たとえばこの人もそうだけど。

iPhone3Gを弄繰り回してみてたどり着いた結論が『やっぱニッポンのケータイインターネットマシンとして見てもすげぇよくできてる』だ。まぁなんていうか、皆色々期待感ある発言してるけど、もうそろそろわかってきてるんでしょ? やっぱ日本のケータイインターネットマシンとして見てもすげー便利だ、ってことに。

via: iPhone 3Gはインターネットマシンとして見ても微妙? ガラパゴス・ケータイはやっぱりすごかった - キャズムを超えろ!

つまるところは「変化を見通す力のない"事情通"の意見は、有害だ」ということになる。iPhoneが出た時に、どういう反応を示したか。LINEが勃興しつつあるときに私みたいに「Skypeあるじゃん」とか馬鹿なことを言わなかったか。そういう観点で"事情通"を採点すると面白いんじゃないだろうか。

いや、しかし今あらためて和蓮和尚氏という「事情に詳しい人」の未来予想を見ると、大変興味深いものがあるな。というか「革新」を殺すのはこういう「事情通」ではないかと真面目に考えているのだ。

最後にちょっとビジネスの視点から。まぁ日本は一旦この状況(コンテンツまで含めてガラパゴス最適化)が出来上がってしまったので動きはほとんどないと思うのだが、諸外国でどういう動きになってゆくのかが興味深い。

via: iPhone 3Gはインターネットマシンとして見ても微妙? ガラパゴス・ケータイはやっぱりすごかった - キャズムを超えろ!

今年のSuperBowl ads

2013-02-06 06:50

愛するSan Fransisco 50-1'sがでていたので、どっかの「リアルタイムでSuper Bowl観戦しようイベント」に行こうか、と一瞬考えたがいかなくてよかった。っていうか途中でリアルタイム中継見るのやめたんだけど、最終的には接戦だったのね。

でもって

関心はCMにうつるわけだ。まだ全部見終わってないけど、簡単な感想を。

これには正直驚いた。Super BowlのCmだから子どもとみていても大丈夫だろうと家のPCでみていたが、こんなのアメリカで放映していいのか?

子供は「気持ち悪ーい」と言っていた。もっともGo Daddyにとってこうした炎上は計算のうちだったようで、

The company on Tuesday reported that the Monday after the game was its biggest sales day in company history

via: Go Daddy Posts Biggest Sales Day in History After Super Bowl Ads Run

なのだそうな。

これは気に入った。古典的なプロットだけど、最後のAudiからのメッセージとうまく合っている。ここらへん、やっぱりアジアの自動車メーカーはよく考えたほうがいいと思う。

同じく自動車関連でよかったCM.最後のThat is the power of German engineering.が効いている。

去年までは、どうにもダサかったが、だいぶ頑張ったのがこの東アジア企業。

いいんだけどね。途中に自分たちの製品の良さをいれちゃうところが惜しい。
とはいえ、今や存亡の危機に瀕しているこの企業にくらべればいいか。

Go Daddyの趣味の悪さの対局にあるのがこのCM.


最先端の金融工学で一攫千金。そんな人達にも

To the farmer in all of us

という文字はぐっとくるのだろうかな。

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考えてみれば、2000年のITバブルの時には、ひどいSuperBowl CMがたくさんあったなあ。とかなんとかの騒ぎの影で、こんな決定もなされた。

先月のうわさどおり、デルが株式非公開化を正式に発表しました。創業CEO 兼 会長のマイケル・デル氏と投資会社の Silver Lake がLBO方式で株を買い取ることで、成立すれば米DELLはデル氏が株式の過半数を所有する非公開会社になります。非公開化後もCEOは引き続きデル氏が務める予定。

via: デルが株式非公開化を発表、マイクロソフトからは20億ドル調達 - Engadget Japanese

新しいDELLはどんな会社になるんだろうね。うちの母親もWindowsに見切りをつけてくれるといいのだけど、こればばっかりはなあ。


天道是か非か

2013-02-05 06:42

身を清く保つ人が餓死し、人を殺すことをなんとも思わぬ盗賊がはびこる世の中。人間の長い歴史を見れば、そうした状態のほうが「正常」だったのではなかろうかな。

この2つのニュースを見ればそうした感慨が浮かぶのをおさえようがない。

グリーの面接官は「任天堂の倒し方知らないでしょ? 俺らはもう知ってる」と言う発言が先日話題となった。倒し方とは相手の物をパクって顧客を奪うことだったとは......恐れいった。

via: GREEが早速『どうぶつの森』をパクる! これが任天堂の倒し方?(ガジェット通信) - IT - livedoor ニュース

任天堂の岩田聡社長(53)は31日のアナリスト向け説明会で、平成26年3月期に1千億円以上の営業利益を目指すことについて、「コミットメント(公約)」と説明し、達成できない場合は辞任を含め経営責任を取る可能性を示唆した。

via: 任天堂・岩田社長、業績不振で辞任も示唆 ゲーム機開発部門を一本化へ (産経新聞) - Yahoo!ニュース

私は岩田氏の言動について常々感心することが多い。子どもたちが車座や歩きながらDSをプレイしている姿はあまり見たくないのだが、それでもGREEよりは任天堂を応援したい。

しかし現実には、現代の盗賊あるいは阿片窟とも言えるGREE,DeNAは隆盛を極め、確固たる信念をもってゲームを作り続ける任天堂は赤字だ。

岩田氏がインタビューに答えるときかならずこうした文章が付いている。

波がない娯楽ビジネスなんてないですから。波がないってことは流行がないっていうことです。そういう意味では、あまりそのことで一喜一憂しているわけではないですね。もちろん、今の業績でいいはずはありませんから、なんとかしますよ。

via: 昔楽しんだゲームの最新作を、親になっても安心して 子どもに与えてもらえる、そんなビジネスがしたい ――岩田 聡・任天堂社長インタビュー|コンテンツ業界キャッチアップ|ダイヤモンド・オンライン

それほどゲームに対して信念を持っていると同時に、会社に対する責任を感じているのだろう。仮に任天堂が1000億の利益を達成できなかった場合、誰が社長をやるのか。そして任天堂はどこへ向かうのか。盗賊たちは「俺達の勝利だ!」と声高らかに宣言するのだろうか。


我が家におけるiPadの使い方

2013-02-04 07:00

とはいっても、なめこ栽培のおかげで、iPhoneの使用頻度のほうがはるかに高いのだけどね。

我が家においてiPadがどのように使われているかを列挙しよう

・私がWikipediaを見る
・私がInternet radioのストリーミングを聞く
・私がGoromi-Tubeで音楽を流し続ける
・子どもたちがゲームをやる
・子どもたちがYoutubeを見る

だいたいこんなところか。

でもって本日この記事を見つけた。

私たちの Death of the PC プレゼンテーションに含まれる、このチャートで、それを確認できる。 つまり、このタブレットの利用頻度は、家庭内において 90% 以上ものレベルに達しているのだ。

People need to stop calling the iPad, and other tablets, mobile devices. They're home PCs that are a little easier to carry around.

私たちは、iPad などのタブレットを、モバイル・デバイスと呼んではいけないようだ。 それらは、持ち歩くことが少しだけ容易になってた、Home PC なのである。

via: iPad は Home PC と呼ぶべきだ : それを示す1枚のチャート « Agile Cat -- in the cloud

我が家の使い方はまさにそのとおりである。過去何十年にもわたって「Home PC」なるものが何度も発表されてきた。そしてそれらはiPadを除いて全く普及しなかった。

家で手軽に持ち運び、そして使うには(今から見れば明白に見えるが)従来型のPC用OSではなく、iOS、それが提供するインタラクションが必要だったのだ。そしてiPadとアプリの組み合わせは他の機器をどんどんお払い箱にしている。

我が家にはまだサンタさんが来てくれる。今年息子にくれたのは、シャープ製の電子辞書+いろいろな学習ソフトという専用機だった。

去年の間は子どもたちも喜んで使っていた。しかしどうもあきてしまったようで今年になってからは全く使われていない。触ってみると、ソフトを作った人間の声が聞こえてくるようだ。なかなかよくできているが、iPad上で利用できる様々なソフトの多様さ、質の高さには抗うべくもない。というわけで結局iPad上であれこれやっている。

というわけで、あれこれ宣伝されていたHome PCというものは、それと意識しない間に家庭に入ってきた。こんなシナリオを誰が予想しただろうか。