エキスパートシステム再び

2006-01-26 15:58



2007年問題をAIで解決するより


ここで、2007年問題に話を戻してみる。果たして、当時エキスパートシステムと呼ばれていた仕組みは、今話題になっている2007問題の解決の手段になり得るのだろうか。1980年代に比べ、コンピュータの性能は飛躍的に向上している。当時であれば難しかった大量な知識ベースも、現状のシステムであれば難なく運用できるであろう。推論エンジン部分の計算処理能力やメモリ空間も、当時の数千倍から数万倍のものを、安価に実現できるようになった。


 さらに、当時では難しかったマルチメディアデータを取り扱うことも容易だ。テキストデータだけで専門家の知識を表現するには限界もあったが、現在ならば、図やイメージ、音声、動画も含めて、知識のデータベース化によって2007問題の解決が可能かどうかを判断することができる。また、文章でルール化しにくいノウハウを、パターン認識などの方法で学習し、知識ベースに加えることも可能であろう。


えーっと。80年代にはやったエキスパートシステムが簡単にすたれたのは、果たしてComputing Powerが足りなかっただけの理由でしょうか?


この記事を書いた人は、何故昨今身体性を持たせることが必要という論がたてられているか、あるいは記号接地問題とかあまり考えていないのかな、、と考えてしまう。


当時若いエンジニアだった私は、新しいものだったら何でも好きだった。(今もその気はあるか)であるからエキスパートシステムについても勉強しましたよ。


でもってそれが何故挫折したかを考えるにつれ、記号処理型の人工知能と称するものには超えられない壁が有るという結論に達した。つまり容量とスピードを増やせば解決する、というわけではない問題が有る。


成長しつつある子どもを見ていると特に感じる。言葉をしゃべることはできなくても感情はあるし、行動も可能だ。そもそも言葉をどうやって学ぶのか、という問題自体とても興味深いものに思える。


そこに記号で記述した知識を山ほど詰め込めば問題解決、、といわれてもねえ。年をとった昨今では「人間が口にする言葉は一切信用しない。行動を観察してそこから結論を導き出すこと」と考えているくらいなのだが。


というかなんですね。若いころの経験を思い返すと、言葉を文字通り受け取ったがために自分がどれほど馬鹿なことをやっていたか身にしみて悔やまれるわけですよ。特に男女関係で。そういう人間の「知能」を記述するのにはたして記号処理型の人工知能は適しているのでしょうか?


人間というのは信じられないくらいいいかげんで、柔軟だ。多分この二つの性質は関連しているのだと思う。人間は自分の行動を説明することはできるが、私は最近そうした「説明」は全て(というかほとんど)後付のものではなかろうかと考えている。となるとますます言葉で書かれた知識なんぞをあてにするわけにはいかない。となると人間はどうやって柔軟な行動を可能としているんでしょうねえ。。。この記事が問題としている「ノウハウの継承」の「ノウハウ」なんてのは、それこそ記号処理型人工知能で扱い難いものだと思うのだけど。




Blog Keyword Visualizer

2006-01-26 07:48



Blog Keyword Visualizer


Goromiと似て非なるものであるなあ、、というのが使った感想。


どこが?といえば


・キーワードが多すぎて見づらい。


・キーワードがどのような文脈で使われているか知るためにはマウス操作が必要。


・あちこちでキーワードが生まれるのは、ぱっと見にはいいかもしれないが、人間の視点というのはそうあちこちに飛べるものではない。


・そもそもばねモデルって見やすいのか?ぐにょんぐにょん動いて見た目は派手だけど、いまだかつて一度も見やすいと思ったことはない。


Goromiでは表示要素をできるだけ削り、かつ移動方向を限定している。これは最初は面倒だから一方向に動かしていたものだが、その後あれこれやって限定したほうが見やすい、と気がついたからであった。


しかしながら学ぶ点も多々有る。いまやRSSを使っただけでこれほど多くの情報を手に入れることができるという点だ。やはりGoromi-TVにRSS検索機能を追加すべきか。。RSSの単語とTV映像が連動して表示される、というのが放送とネットの融合のあるべき姿(の一つ)ではなかろうか、というのは作成者の誇大妄想だが、一人で言っていることなのでいいのである。




4月1日に何がおこる

2006-01-22 11:08



Mac World @ San Fransiscoの基調講演。最後に「4月1日にAppleは創業30周年になる」とSteve Jobsは言った。


でもってその部分は実に尻切れトンボだった。だから何?という疑問をよそに講演はおしまい。となるといきおい「何かあるのか」と私のような野次馬は考えるわけだ。


順当なのは


・あっと驚く製品の発表:おそらくはiPodのように別分野に進出するための製品


なんとなく思っているのは


・Steve Jobs引退:全く根拠はないです。ただ基調講演での覇気が今ひとつだったことからそう連想しただけ。


おこりそうなのが


・何もない。:いつもの事だが期待を裏切るにはこれではなかろうか。そして数年後誰かが本を書くまで2006/4/1に何かが計画されていたのか、いなかったのかは謎のまま残るのであった。




好みと類似性

2006-01-20 10:28



音楽の類似性より


こうした論調の意見を読むたび、私は「細かい」ことを気にしだす。


この文章を作成した方が、どこまで意識しているのかわからないのだが


「プレイリストの自動作成」=「音楽そのものの類似性を検索する技術」


ではない。そもそも音楽の類似性を検索すると何がうれしいのか?逆の言い方をすればユーザは類似の音楽を検索することを望んでいるのか?という点についてもう少し考える必要が有ると思う。


もちろん「そういう場合も存在する」ことは間違いない。(多分。私はあんまり考えたことはないが)しかし「プレイリストの自動作成」には他にもいろいろな要素が必要なはずだ。


例えば私は同じ曲調の曲を何曲も続けて聞きたいとは思わない。もっと細かい話をすると何曲も続けて聞きたい曲調もあれば、そうでないものもある。RC-SUCCESSIONを愛してはいるが、3曲続けて聴きたいと思うことはめったにない。


もう一つの「細かい点」は何かと言えば、そもそも「類似の曲調」というのは人によってずいぶん異なるのではないか、という点だ。


音楽とはジャンルが違うが、「渋谷でお昼を食べる場所を探す」システムの試験をしたことがある。ある被験者は「こってり こってり」とつぶやきながら探していた。


しかし私はその選択を見ていて首をひねらざるを得なかった。私の考えでは「こってり」と思えないものが選ばれたり、「こってり」のきわみと思えるものが捨てられたりするからだ。平たく言えばその人がどういう基準で選んでいるのかさっぱりわからなかった。であれば、システムは何を手がかりに何を類似と判断すればいいのだろうか?


人によってはこういう点をすっとばし「とにかく類似検索だ。この特徴量を使えばできるんだ」とひた走る。しかし疲れた中年としては「細かい」事が大きな問題なのではなかろうか、と考えざるを得ない。




チンピラとエンロン

2006-01-20 07:18



また、事件の性質について、「(巨額不正会計事件を起こし経営破綻(はたん)した)エンロンとはまったく違う」と指摘。半導体や鉄鋼、自動車、家電製品の製造業が主要産業である日本において、ライブドアは「刺激的だが、小さな一部分を占めるにすぎない」とした上で、「今回の事件は、エンロンと比べるよりもむしろ、(「カリスマ主婦」と人気を集めながら株式のインサイダー取引にからむ偽証罪で服役した)マーサ・スチュワート事件と比較されるべきものだろう」


海外メディア、東証酷評 ライブドアショックより、英紙タイムズのコメント


全く同感だ。しかしながら二つ述べておきたい。


その1:マーサスチュワートについて詳しく知っているわけではない。しかしマーサと比べたとき、あまりに堀江がチンピラっぽく下品なのはいかなることか。


その2:マスメディアは何故堀江をマーサスチュワートのようにではなく、エンロンのように扱うのか。部外者の立場から見ると


「詐欺師まがいのチンピラが危うい橋を渡り金をもうけました。しかし年貢のおさめどきがやってきました」


以外の何物でもない。しかしそれに対して持ち上げる、にせよ、落とすにせよメディアの扱い方はちょっと常軌を逸している。


もっと信じられないのは、ギャンブルとして割り切る以外にライブドアの株を買う人間がいるという事実だ。


ちなみに東証に関して


「突然、誰も株を売ることができなくなり、大混乱に陥った。寛容に表現しても、東証のPRとしてはよろしくない。公平に表現するなら、まったくもってばかげている」


というコメントも全く同感。富士通にシステムを作らせたのがまずかったか。あるいは東証側の設計能力のなさか。いずれにせよ「まったく馬鹿げている」以外のなんともコメントのしようがない。




検索という名のドグマ

2006-01-19 16:33



 Gates:今日の検索は満足できるものではありません。検索には平均5分かかります。検索結果に表示された項目が、ユーザーの居場所から遠いのか、近いのかの判断もできません。「ピザ」と入力すると、1000マイル(約1610キロメートル)も離れた場所のピザ屋が検索される始末です。今日の検索は、ユーザーが製品の使用方法を調べようとしているのか、それとも購入前のアドバイスを得ようとしているのかを理解することができません。ユーザーは専門家なのか、過去のデータを調べようとしているのか、それとも最新のデータを求めているのか--こういったことを検索エンジンに理解させることは可能なはずです。


 Ballmer:そもそも、現在の検索の半分はユーザーが求めている情報を提供していません。


 Gates:今日の検索はパーソナライズされていないのです。検索に関しては、当社はいくつかの進歩を成し遂げました。ユーザーが求める情報との適合率はどんどん上がっています。サードパーティの専門能力を取り入れ、検索をプログラミングすることも可能になりました。


ビル&スティーブ:「いつでもかかって来い」より。


GatesとBallmerが話している「検索」という行為には、暗黙のうちにある前提がなされている。それは


「ユーザは自分が何をほしいか知っている。現在の検索の問題点はそれを察することができず、ユーザに余分な操作を強いていることだ」


というもの。


しかし彼らは間違っている。というか「仕事のためのインフラ」たるWindows+Officeを作っている会社の人間の言葉としては正しい。しかしそれはいまやどこにでも存在しいつでもONであるPCの使い方の一部でしかない。


多くの場合、人間は何も考えていない。あるいはただぼんやりと「なんかおもしろいことない?」という曖昧模糊とした欲求を持っているだけだ。


こういうユーザに対してBillとSteve(Ballmer)は何を提供してくれるだろうか?彼らの力点の置き方は間違っている。


Nothingまたは曖昧模糊とした人間が考えることは、目にしたもの、あるいはそこから想起されたものに従ってあちこち飛び回る。学習原理主義者は「それすら学習して個人適合できる」と主張する。しかし私はそれが実際に動いたのを見たことがない。山のような


「嗜好適合」


研究がありながら、それが商品価値を高める技術になりえないのはなぜか。そのことについて誰も真面目に考えないのか。


BillやSteve、それに多くの学習原理主義者は人間の合理性に過大な幻想を抱いている。人間はそんなに合理的なものではない。和定食をいくつも見た後でたまたま目に入ったそばを注文する。あるいはTVで放映されていた名物メニューめあてに店に行きながら、結局違うものを注文する。


そのように行き当たりばったりの行動をとりながら、それを直視することができず、あたかも自分の行動に理由があるように考えるのが人間というものだ。


私が裏で作っているものは、このような考え方に基づいている。




時価総額再び

2006-01-18 07:49



一日で1500億円がふっとんだといっても、そもそもそんな金がなんだというのか。


というわけで株価というものほどあてにならぬものはない、と素人投資家でもない私は勝手に言い切ってしまうわけだ。しかし特に米国では株主を設けさせることが経営者の役割、と明確に言い切ってしまうことも多いと聞く。


となるとあてにならないものでも無視はできない。というわけでこんなところに落ち着くのか。


Team, it turned out that Michael Dell wasn't perfect at predicting the future. Based on today's stock market close, Apple is worth more than Dell. Stocks go up and down, and things may be different tomorrow, but I thought it was worth a moment of reflection today


Jobs suggests Dell should eat his words


そもそもはといえば、1997年、JobsがCEOに返り咲いた直後,DellのCEOが「Appleを立て直すにはどうすればよいか」と問われ


「私だったら会社を閉鎖し、株主に金を返す」といったところからだそうな。


ではJobsがDellよりすぐれているか、と問われれば話はそんなに簡単ではない。Jobsが書いているように株価は上がったり下がったりするし、明日になれば何がなんともわからない。


理不尽なAppleファンの私としては、株価が安かったときに買っておけばよかったなあ、、と思う次第でございます。買収が本気で考えられていたときに株を買うなんてのは頭のおかしいファンと本当に優秀な投資家にしかできないことだろうから。




Niftyserveの思い出

2006-01-17 13:49



何故こんなことを書き出すかといえばこのニュースを見たからだ。


@nifty、MT設置が可能な容量2GBの新ホームページサービス「lacoocan」


この記事での(私にとっての)ポイントはここ


@niftyがすでに提供中の「@homepage」サービスも引き続き利用が可能なほか、lacoocanへのデータ移行も可能。ただし、データ移行時にはホームページアドレスがlacoocan固有のものへと変更になる。


少し前まで@niftyはメール及びホームページの容量が20MBだった。(最近光ファイバー利用は100MBになったらしいがADSLは20MBのままである)1GB無料で使用できるサービスがごろごろしているこのご時世にである。


Niftyserveを使い始めたのは1989年。それからずっと愛用していたのだが、当時使っていたURLが新しいサービスに移行するに従い、強制的に変更となる、と知ったのをきっかけにNiftyから足を洗った。


それから時々サイトを見ては「ああ、まだ20MBだよ」と思っていたところにこの知らせだ。またURL代えろってさ。(最初は移行が任意だが、そのうち「旧サービス終了に伴い。。」とか移行を強制されることは目に見えている)


というわけで一時のトラフィック低下をしのんでもNiftyを見放した判断は正しかったことであるなあ、と感慨にふけるのであった。




時価総額

2006-01-17 13:24



というわけでチンピラを最初はまつりあげ、上昇方面で使い道がなくなると今度は落とす、といういつものパターンである。堀江君もTVとかたくさんでたからいいでしょう。


六本木ヒルズ騒然、子会社元幹部「いつかこうなると」


この記事で印象深いのは以下のコメント


「株価イコール市場の判断と思われがちだが、実は違う。人為的につくられるものだ。時価総額に合理性なんてない」


そもそも「市場」ってなんなのか。時価総額になんの意味があるのか。


米国のITバブル絶頂期に、ウォールストリートの人気者だったベンチャー企業とつきあったことがある。日本でジョイントベンチャーを作らない?といえばかならず「うちは5bilion companyだから」と話をごまかしていた。


でもってバブルがはじけその会社の株価はいまや$1あたりをうろちょろしている。初値はたしか$50くらいだったかな。。(その後何度か株式分割をしているが)


思えばはかないお祭りであったな。


でもってそのFive Billion に何の意味があったのだろうか。と疑問はいだきつつも、株価に何ごとかの意味を見出す人は後をたたない。


さあ、これからは個人も株式投資の時代です、、というCMもよく見る。「時代」ってなんなんだ。


株式市場で株を売り買いする、ということは配当を除けばゼロサムゲームだ。つまり誰かが儲かっているときはそれだけ損をしている人がいる(証券会社は動けばとにかく儲かる)前述のCMは


「カモさん。ネギしょってお集まりください」


という呼びかけのようにも聞こえるのだが。




ブログを書くこと

2006-01-16 08:42



何の気なしに書き始めたブログである。本家の日記にはできるだけ意味のないこと。mixiにはまあ知っている人に読んでもらえばいいことを書く。それ以外に仕事関連で思いついたことを書いておきたい。ひょっとすると人の役にたつかもしれん、そんなことを考えていた。


でもってまたLife is beautifulからなのだが就職・転職活動にブログを利用すべき時代が来ている


読んで二つのことを考えた。


就職の面接というのは難しい。弊社のシステムだとたかだが1時間の面接、しかも私が発することができる質問は二つか三つで相手を選ばなくてはならない。明らかにダメな人は簡単にわかるのだが、そうはっきり白黒つけられない人の方がはるかに多い。


でもって結局一緒に働き始めて「あらまあ」(両方の意味がありえる)ということになるわけだ。よい驚きの場合はいいのだが、逆もありえる。そして日本の会社では簡単に「合わないようだね」とは言えない。


となれば、情報はできるだけ多く欲しい。mixiのほうで同じ会社に勤めている人間の文章を読むと普段の仕事で交わす会話とは異なった面が見えて面白い。


言葉というのは曖昧かつすぐ過ぎ去ってしまうもので、理論的にデタラメなことを言っていてもべらべらしゃべられるとなんだか丸め込まれることもある。しかし文字にしてもらうとそれが何かは明白になる。


というわけで今度面接するときは「ブログかサイトか持ってます?」と聞くことにしよう。


考えたことその2は。。


表のサイトはまあいいとして、このブログは、誰か他の人が読んでくれたときに私という人間への興味をかきたてるものだろうか、否か、という点だ。


これもうれしくない結論がすぐにでてしまう。私が他人のものとしてこのブログを読んだとしたら「こいつは文句ばかりが多い。ダメ」と思うに違いない、ということだ。


かといっていつ誰が読んでくれるかもしれないところに自分を装った姿を書いてもしょうがないし、だいたいそんなことは長続きしない。


となれば、自分が書いた文章を読み(少しは)反省し、自分の考え方を改める、というのが唯一の道のような気がしてくる。おれはいつもこんなに文句ばっかり言っている人間なのか。同じ事から前向きな考えを引き出すには、、、


最近少しそんなことを考えている。




Steve Jobs基調講演

2006-01-14 09:59



風邪気味だったのか?それが理由かあるいは他の理由もあるのか「現実歪曲フィールド」はいつもの3割減だったような気が。


たぶんそう考えたのは私だけではないだろう。


Steve Jobs CEOによる基調講演は、当初予定していた製品が一部省かれていて、それはMacBook Proの別液晶サイズ製品ではなく、もっと素晴らしいものだったらしいと伝えていました。


http://wiredblogs.tripod.com/cultofmac/index.blog?entry_id=1385976


日本語記事 http://www.tcp-net.ad.jp/danbo/


こんな噂もあるくらいだから。


しかしIntel CEOはあのかっこうして、チップを渡すためだけに出演したのであろうか。。そこでの拍手と歓声は大きかったが、このCMの時はもっと大騒ぎだった。


Intel TV Ads


DELLのPCとApple Macintosh。チップが同じになった今、それぞれに消費者がいくら金を払うかが見物だ。というかチップが同じになったことで、より違いが明確になった、という気がする。仕事にはDELL + Windowsを使わざるを得ない。使いたいのは新しく、ずっとPowerfulになったMac。少なくとも私にとっては。


しかしなんですね。Virtual PC が遜色ない速度で動いてくれたら絶対買いますぜ。OSXの中に小さなWindowsの画面だけ開いておけば十分仕事はできるのだ。




自動車+Google

2006-01-12 09:28



Billの言葉によれば昨今話題を集めるIT関連企業の一位はGoogleで2位はAppleだとか。前世紀に


「このGoogleとかいう検索エンジンは使いやすい。人にも教えてあげたいけど、なんと発音するんだろうか。グーグルだろうかそれともゴーグルだろうか」


と悩みメールを出して質問したのも今は昔である(ちなみにすぐ丁寧な回答が返って来ました。それには「みんなに宣伝してください」ともあった)


でもってこの記事。


CES2006】Google Earthの展望を語り,「家電業界へのお願い」を伝えたGoogle基調講演


最近Googleのやることには何でも深い意味があると思われている。しかしながらどの企業も万能ではないし、後から振り返れば「あれは馬鹿げていた」と思う事だってある。


 写真2と写真3が,無人ロボット・カーにGoogleの技術が搭載されることによってもたらされる未来像であるという。ドライバーはお腹が空けば車のダッシュボード上の「ハンバーガ・ボタン」を押すだけでよい。「ハンバーガ店の場所を知らなくても,ロボット・カーが教えてくれる」(Page氏)。


とはいっても冗談に真面目なリアクションをするほど私もおろかではない、と願いたい。このジョークスライドをネタにあれこれ考えたことを。


今の情報機器は使い難い、ということでスイッチ類を単機能にする、というのは時々見られるアプローチだ。しかしここで問題になるのは


「人間って結構わがまま」


ということである。ハンバーガスイッチを押せば教えてくれる。ところが寿司が食べたいというやつもいれば、そばとか言っているやつもいる。


ではメニュー項目を増やすか。その途端に階層がでてきて時間がかかる。50音(英語ではアルファベット)入力も車の中では苦痛だし(キーボードないし)では音声入力だあ、と短絡的にさわぐ人間は一度ユビキタスホームに住んでみるとよい。(参照:http://gonzaref.sblo.jp/article/136975.html


というわけで結局どうどうめぐりの議論になる。ある人は


「座っただけで”好み”のメニューがでてくる」


などと気軽に語ってくれるが果たして「好みのメニュー」なんぞ存在するのだろうか?というかこれだけ「好みのメニュー」について研究している人はいるが、それが存在することを証明できた人間は(私が知っている限り)いない。


というわけでGoogle様は確かにハンバーガーショップの場所と経路を教えてくれるかもしれない。しかしインタフェースの問題は以前として残るのであった。




話かわってこのGoogle Earth in Vehicleは結構使えるかなあ。。使えないかなあ。。衛星写真を使ったナビゲーションが見やすいのか否かはちょっと使って見ないと解らない。


現時点での「憶測」としては「見たい要素を強調して情報量を減らしたほうがいいのではないか」だけど、これが正しいという確証はない。ここでも問題は


「見たい要素って人によって千差万別」


なのではないか、ということだ。




阿木山麗子

2006-01-11 16:16



謎のカウンターマウス“阿木山麗子”発売より。


何が謎なのか。それはこんな製品を出す同社の思考のことである(最大級ほめ言葉)。


ほめ言葉には大いに共感するが、これは結構使えると思う。あるいはキータイプの数とか出すと面白いかもしれん。


何故こう書くかというと、ほぼこれと同じアイディアの発表を去年聞いたからだ。


ライブカメラ画像を用いたプレゼンス情報の表示手法@WISS2005by高橋 伸 (筑波大)


言葉は堅いがやることは以下の通りである(自分の発表が近かったので緊張してあまり耳にはいっていなかったが)


例えば研究室の模様をライブカメラで撮影する。それに、各自のキータッチとかマウス操作の様子に合わせて「さぼっている」「燃えている」という表示を漫画のように重ねる。


馬鹿みたいと思うかもしれないが、これがデモ映像を見ると結構面白いのである。この場合阿木山某と違い、本人がフィードバックを得るのではなく、ライブカメラを見ている誰かがその様子を知るのだが。


しかしこのマウス真面目に使えると思うけどなあ。毎日の変化や、時間ごとのっクリック数なんかをグラフにするとそれなりに面白い傾向がでるやもしれん。




カンブリア紀の飛行機たち

2006-01-10 07:50



世界の仰天機―常識を打ち破る偉大なコンセプトという本を眺めている。


なぜ「眺めている」で「読んでいる」ではないかといえば、あまりにも文章が下手だからだ。頭の中にある「知識」をとにかくぶちまけよう、という意図だけで書かれており、まともに読めたものではない。誰からプロのライターにRewriteしてもらえないだろうか。


しかし掲載されている飛行機の図面は面白い。どんな製品でも生まれてしばらくの間は実にさまざまな形態が生まれる。パソコンだっていろいろなOSがあったし、テープドライブを搭載したもの、キーがとても押し辛いもの、いろいろなものがあった。


ところが有る程度業界が落ち着いてくると、形態もいくつかの形に収斂してくる。使うほうにとってはその方が安心なのだが、野次馬にとってはいろいろな形が有るほうが面白い。


航空機もこの本のころ、あるいはそれ以前にはいろいろ無茶な計画があったが、現在実際に飛ぶものはだいたい固まってきてしまった。


人によってはどの業界でも、「形態の大爆発」を起こしているフェーズが面白い、という人もいるだろう。現にそうしたポリシーで分野をどんどん動いていく研究者もいるようだし。


考えてみれば携帯電話も少し前まではいろいろなものがあったなあ。。コンパクト型の入力キーボードとか。




トラックバックというものについて

2006-01-09 05:46



記事を読んだので、少し勉強した。


http://slashdot.jp/askslashdot/article.pl?sid=06/01/06/034240


ブログを使い始めたのが最近なのだが、「トラックバックってなんだろう」というのは謎のままであったが、なんとなく分かった気がした。


というか他の人の記事にトラックバックを送るとき、「なんで相手の記事へのリンクが自動的に生成されないのだろう」と不思議に思っていた。世の中には逆に全く記事への言及がないトラックバックを意図的に送りつける人もいるのだなあ。。


そういう事をやるのはSPAM業者ばかりだろうと思っていたが。。勉強になりました。


あと最近このサイトのアクセス解析を観ていて「をを、本当に読んでいてくれる人がいるんだ」感動しております。って書いておいて感動もなんなのだが。




Microsoft @ CES

2006-01-08 04:52



古川氏のブログ経由で、CESでのBill GatesのSpeechを観た。(最初の30分だけ)


http://www.microsoft.com/events/executives/billgates.mspx


↓のページで指摘されたからではないだろうが、Billは簡単な絵がかかれただけのスライド(http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0106/ces3_01.jpg)を前に一生懸命しゃべっていた。


http://presentationzen.blogs.com/presentationzen/2005/11/the_zen_estheti.html


しかしなんというか。。あれとこれがつながるだろう。Business の生産性がどうの、、と言われても、、まあこれはビジネス向けインフラを作っている会社のことだからいいか。


でもってデモも実際に観ることができた。。えーっとやっぱり便利だともうれしいとも思えませんでした。壁にCNNの動画がでる。家族のいる位置が表示される、、って。しかしまだBillの部分は良かった。


途中から別の人間がWindows Vistaのデモを始める。タスクスイッチが斜めに表示されたウィンドウ間で行われるって、、(http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0107/hot03.jpg)ユーザーなめてます?


ブラウザのデモでは(よく聞き取れなかったけど)リンクをつぎつぎタブでひらいて、ほらこのようにサムネイルを一覧できるんだ、ってTab Expose(http://forums.mozillazine.org/viewtopic.php?t=333782)のことですか。それがそんなに新しくてExcitingなんですか。いや、まだここはよかった。


Windows VistaではゲームもExcitingになるんだ。ほらこれはMicrosoftのフライトシミュレータだけど、、、といってヘリコプターがぷるぷると飛んでいく。えーっとやっぱり観客なめてます?


いやいや、こんな風に文句を言う私が間違っている。昨日も書いたことだが、Windowsは下水道のようなものだ。つまらずに流れて、かつ美観をそこなわなければ、それで十分。下水道は前から存在していたけど、それが全地域に普及する、ってのはすばらしいことじゃないか。




Windowsがあたらしくなるよー。

2006-01-07 07:31



Windows Vistaを見ているとこの記事を思い出す。


ソウル(魂)のあるもの作り


Microsoft Researchがとても真面目に研究をしているのは知っている。(昨日も書いたか)しかしWindows Vistaの機能を見ていても、少しも楽しくなったりわくわくしたりはしない。ただ


「そうか。そのうちこれを使うのだな」


とぼんやり考えるだけだ。


最近の会社はMicrosoftに税金を払うことが義務化されている。彼らがOSをアップグレードすればそれに従って税金を払う。Officeも必須だから税金を払う。でも個人で使いたいとは絶対に思わない。



マイクロソフトのカルチャーは、ビル・ゲイツそのままで、その一番の目標は「勝つ」ことにある。マイクロソフトにとって、「良いものを作る」のはそれ自体が目的ではなく、「市場で勝つ」ための手段である。(中略)マイクロソフトはOSとブラウザーの両方の市場を制覇したわけで、「勝ち負け」という評価基準で考えれば、どちらもプロジェクトとして大成功である。



彼らの目的は「金をもうけること」であり(これは悪いと言っているのではない。企業は金をもうけなくては存在し得ない)他の事はあくまでもその手段である。だからNetscapeを打ち負かした後はIEはさっぱりアップデートされない。それはビジネスという観点からは実に正しい。


そして税を徴収する役人に何か新しいことを期待する人間はいない。巻き上げた税金を正しく使ってよりよい社会を作ってください、とぼんやり言うだけだ。Windowsは社会的インフラなのだから、穴が開いていたり、時々停電したりするのでは困る。別に下水道を見て感動しようとは思わないからさ。


そして個人としての私は数日後に迫ったMac World Expo @ San Fransiscoを心待ちにしている。今年は何がでるのだろう。Steveは何を見せてくれるのだろう。




Windows95がビートルズだって?

2006-01-07 07:14



http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0107/hot401.htm


まあどういう意味で使いたいかはわかるのだけど。。それでも



Windows 95は、結果的にコンピュータを変え、それは社会を変えた。もう変化は起こってしまったのであり、元には戻らない。そういう意味では、Windows 95はビートルズに似ているかもしれない。ビートルズは音楽シーンを変える存在であり、実際に変えてしまった。だからこそ、第2のビートルズは(少なくともその後40年間あまり)現れなかったのである。



この「たとえ」に感情的な反発を覚える人は多いと思う。


しかしよく考えればこの意図も汲み取れるというものだ。Steve Jobsのように"WindowsはMacの単なるコピーだから”と言うこともできる。しかし広く普及し、Windows以前にコンピュータ雑誌上で見られた「GUIよりもCUIが使いやすい」という馬鹿げた論争を過去のものとしたのは確かにWindows95だったのだ。


ビートルズの音楽は他のもののコピーではなく単に普及したから偉大なのではない、って言いたくもなるが、まあ抑えて抑えて(と自分に言い聞かせる)




Often Imitated, Never Duplicated

2006-01-07 07:09



とはその昔雑誌の広告で見たコピーだが(そこにあったのはポルシェの写真だった)


iPodについても同じことが言えるのだろう。


http://pcweb.mycom.co.jp/articles/2006/01/06/ces4/


iPod nanoより機能を詰め込むことはできる。傷をつけなくすることもできる。価格だって十分競争力がある。


しかしiPod nanoを生み出すことはできない。


例えば今働いている会社で、iPod Nanoを作ろう、と提案したところで


「どこに技術があるのか」といわれておしまいになる。彼らは彼らが「技術」と呼ぶものにしか価値を認めないのだ。


そしてデザインなどは真似すればよい、と思っている。


彼らには何故AppleがiPodで信じられないような成功を収めたか理解できないだろうし、そもそもiPodは成功だとも思っていないだろう。彼らは彼らのレールの上にあるものしか認識できないのだ。




Bill @ CES

2006-01-06 09:09



私はここ数年ユーザインタフェースの研究業界に接する仕事をしている。そのせいだろうか


http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0106/ces03.htm


ここの「Microsoftが見せる近未来のコンピューティング」のようなネタは正直見飽きてしまっている。いや、Microsoft Researchがとても優秀な人材をそろえ、真面目にこういう研究をやっているとは思うのだけど。


この記事の最後にこういう一節がある。



また、スピーチ冒頭で行ったデモと、今回見せた製品や技術の間にはまだ距離があり、道未だに険しという感じもした。



そうなのだ。こういうデモは数年前から存在している。しかしそれらはいつまでたってもデモにとどまっており、少しも日常生活に近づいて来てない様に思うのだ。


これは何故だろう?コンピューターの中の美しいモデル環境から外に一歩も出ることができなかった記号処理型の人口知能と同じく、これらも本質的にデモ環境から外にでることができないのだろうか?もしそうだとすれば何が問題なのだろう?


(ちゃんと現実世界に出てこれる形の研究をしている人たちもちゃんといるのだが)




もう一つの問題、それは仮にこのデモがいつかは「技術的進歩」(こういうなんでも押し込めてしまう言葉が私は大好きだ)によって現実のものとなったとして、それは果たして「夢のような生活」なのだろうか?壁にうめこまれた巨大なTablet PCでニュース動画や家族の居場所を表示することが楽しいことなのか?Digital WorkStyleというが空港で働けることがそんなにうれしいのか?私にとってそこら中で仕事ができる未来は悪夢以外の何物でもないのだが。




世界遺産とISO9001

2006-01-05 07:30



前提:私は世界遺産の登録を申請したこともないし登録されたこともないので、どのくらい手間がかかることで、どれくらいメリットがあるのかなんも知らん。ISO9001はどのくらい面倒か、と表くらいはなぞったことがある。メリットは知らん。


主張:世界遺産とISO9001は似ている。


Because..


1)なんだか権威のあるものとして世の中に宣伝される。「これからはこれ」「これがないと商売できません」と強迫観念をうえつけられる。


2)とりあえず取得しておこうとみんなで列にならぶ


3)とれる人もとれない人もでてくる。先に取得した人が誇らしげに宣伝する。多くの人が金と時間をつぎこんで取得を目指す。


4)いざ取得してあたりを見回すと、実は結構いろんな人がとっていることに気が付く。とっているからといって偉いわけではないないことにだんだん皆が気が付く。ちなみに構造強度偽装で倒産した木村建設の外壁にもISO9001取得、と誇らしげに書いてありましたな。


5)もうけるのは胴元だけ。


こういう類の「意味無いけど権威付けされた資格取得ビジネス」って昔からある手口のような。。




ケネス・アロー

2006-01-04 07:22



を一度だけ、ほんの短時間観たことがある。


一緒にいた友達が


「アローだ。ノーベル賞を取った人だよ」


と教えてくれたからではなかろうが、何かとても印象的な人だった。容貌は思い出せないが、そのとき受けた感じは覚えている。


ベルリンフィルの指揮者、ラトルも駅のホームにいるだけで何かあたりに明かりを振りまくような人だったとのこと。


これがオーラというものだろうか。ちなみに全盛期のモーニング娘もオーラ発しまくりだったそうです。


私はと言えば、、まあどんよりとした空気を身にまとって登場というところか。




再び駅伝

2006-01-03 19:04



箱根駅伝の中継は実に真面目で良かった。


最近民放のスポーツ中継というのは聞くに堪えないものが多い。わけのわからないタレント呼んできて意味のないコメントを言わせるわ踊らせるわ歌わせるわ。


そうした風潮は「幼稚」としか形容のしようがない。そうした物を見て喜ぶ視聴者が悪い、という意見もあろうが、私は作り手が必ずしも視聴者の本当のニーズにあったものを作っているとは思わない。


個人的にはアメリカのスポーツ中継を大変好んでいる。コメントは滞りなく「気合い」だの「気持ち」だのという言葉を使わずに合理的に分析する。そして何よりもいいのは実況が喋りすぎないことだ。Super Bowlなんかだと、実況の最初の声がはいるのは放送開始後かなりたってだ。


TVで放映するスポーツはそれ自体で見事なショウであるべきだ。あれこれくっつけてもゴミはゴミ。良い物にもゴミをつければゴミになる。


駅伝だけはそのゴミを尊ぶ風潮から逃れているのは何か訳があるのだろうか。




駅伝を見ながら

2006-01-02 11:20



駅伝で何が面白いといって、やたらと抜いたり抜かれたりがあることだと思う。


どのチームも10人すごいランナーを揃えることはできない。というわけで一人が走りきるマラソンと違い、10人抜き、10人抜かれがあるのが面白い。どうせ我々素人には走りがどうだとかわかんないから順位変動が楽しいわけだ。


というわけで凋落著しいプロ野球の振興策を考えついた。


一シーズンを5区に分け、区間事に選手を全部入れ替えるのだ。どんな金満チームでも5チーム分エースを揃えることはできない。というわけで一区で首位を走っていたチームも3区あたりで最下位に沈んだりするわけだ。5区にエースを集めていても、それまでの無茶苦茶ゲーム差が開いているとやる気がなくなって区間賞だけに走り出すとか。


選手の雇用も5倍に増えるし、なんなら区間が終わったところでトレードを有りにしてもよいと思う。ああ、あの野郎、あっちに行きやがった。そんなにビールがけがやりたいか、とか。


5区に渡ってその時々の首位チームを渡り歩いた男には「こうもり男章」が与えられる。賞金の授与式はすべて超音波でアナウンスされるので、普通の人には分からないのが難だ。