私が考える良い研究

2011-04-28 07:01

これについては本家の方に文章としてまとめつつあるのだが、なかなか公開できるところまでいかないので、考えたこと+最近読んだ本の引用でお茶を濁す。

私が考える良い研究とは

「よくできたSF」

である。では引用。

私は学生によく、研究についてこう言い聞かせている。「これができた、というとそれを聞いた人が「そうかそれを使えばあれもできるようになる」「なんだ、そんなことだったら自分にもできる」「それがうまくいくのなら、自分はこうしよう」などと驚いたり、触発されたりと心が動かされるような研究をしろ!それがメッセージのある研究なのだ」

素人のように考え、玄人として実行する P59-60

「私が考える」研究とは、今世の中に存在していないシステム、あるいは知識について探求を行い、現実化するものである。したがって、多かれ少なかれFictionであるわけだ。

しかしFictionといっても、つまるところは物語である。それが「よくできている」と思わせるためには、それが描く世界が読者の心に触れなくてはならない。

だから「物語の構成力」が問われることになる。

私は、よくできる人は研究や仕事を始める前に、これをやったらこんなものができる、こんなふうに社会の役に立つだろう、さらに、人に「いいでしょう」という、その言い方まであらかじめ決めているのではないか、という感じがする。(中略) 私がいつも使う言葉で言えば、自分の中に「研究と応用のシナリオ」がきちんと出来上がっているわけである。

素人のように考え、玄人として実行する p62-63

そう考えているので、このシナリオに偽りがあったり、シナリオ自体に同意できない研究を見ると文句をつけたくなる。

「幼児向け」と書いておきながら「幼児に使ってもらったことがない」システムとか、「栄養バランスだけを考えた献立推薦システム」とかだ。それらにどんな高度なアルゴリズムが使われていようが、私にとっては「良い研究」ではない。

今後もこのブログで、他の研究についてあれこれ勝手なことを書くと思うが、根底にあるのはこうした考え方である。


EXEC_BAD_ACCESS

2011-04-27 07:43

というわけで最近iOSでごりごり何か作っているわけだが。

長年Javaでいいかげんなことばかりしていたので、やたらとEXEC_BAD_ACCESSという文字を見る。それしか言ってくれないので困る。

こういうときはGoogle先生にお伺いをたてる。するといろいろなサイトに

NSDebugEnabledとNSZombieEnabledとMallocStackLoggingをYESにしておきます。

と書いてあるが、やり方がXcode3以前用のものばかり。Xcode4ではどうやるの、と少し迷ったのでGoogle先生の目の届くところに書いておく。

メニューバーからProduct->Edit Schemeを選ぶ。
表示されたダイアログの中では、Run(アプリ名)がハイライトされている。
Argumentタブの中のEnvironment Variablesから+ボタンを押して前記の変数を追加する。

さて、実行してみよう。画面下部のgdbのエリアに

message sent to deallocated instance

となっている。そのmemory addressをコピーして、gdbのプロンプトの後に

info malloc-history

と打ち込む。するとそのアドレスがどのようにアクセスされたかが表示されるので、どこが悪いかなんとなくわかる。


『ソニーらしさ』を最も表現する製品

2011-04-27 06:51

昨日ソニーがタブレットを発表した。この標題は、PC Watchの記事のものだが、私も全く同感だ。この製品はまさに今のソニーを象徴している。インタビューから引用しつつ私が感じた理由について述べる。

開発の根底にあるものが、今までとはまったく違う考え方なのです。「スペックシートで勝つ」製品づくりではなく、「顧客体験」で勝つ製品にすることを目指している。ハードとソフト、サービスが一体化して提供できる顧客体験とはなにか。そうしたことを実現できるチームが開発に取り組んでいます。「未体験の体験ができる製品」。これがSony Tabletの目指すところなんです。

via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 Sony Tabletは『ソニーらしさ』を最も表現する製品 ~業務執行役員SVPの鈴木国正氏に、ソニーのタブレット戦略を聞く

スペックではなく、ユーザエクスペリエンス重視というわけですか。それはすばらしい。それではソニーはどんなユーザエクスペリエンスを提案しているのですか?

2画面タブレツトト端末の魅力については、まさに未知数ですから、その分楽しみですね。

via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 Sony Tabletは『ソニーらしさ』を最も表現する製品 ~業務執行役員SVPの鈴木国正氏に、ソニーのタブレット戦略を聞く

「未知数?」ということはSony Tablet上ではどんな「未体験の体験」ができるのかソニーも知らないということですか?

2画面を利用したユーザーエクスペリエンスについては、我々が気がつかないようなものをサードパーティーが開発してくれるはずだと期待します。

via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 Sony Tabletは『ソニーらしさ』を最も表現する製品 ~業務執行役員SVPの鈴木国正氏に、ソニーのタブレット戦略を聞く

ソニーには「未体験の体験」が何かわからないが、きっとサードパーティーが開発してくれるでしょう、という他力本願ですか....

ソニーが持っている資産をすべて生かすことができる製品であり、ソニーらしさを一番表現する製品が、このSony Tabletだといえます。ソニーの全部が詰まっている製品、あるいは、ソニーユナイテッドコンセプトの製品がSony Tabletとなります。

via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 Sony Tabletは『ソニーらしさ』を最も表現する製品 ~業務執行役員SVPの鈴木国正氏に、ソニーのタブレット戦略を聞く

これを使えばソニーの資産が全部使えます!みなさん、ソニーに思いつかないような素晴らしいソフトを作りばんばん公開してください!

もうこの口上はうんざりだ。

PS3というコンピュータの上で、トップガンの(プログラマの)人が腕をふるってもらいたい。

via: 後藤弘茂のWeekly海外ニュース

まだこの文章を読んだときは

「ひょっとしたら誰かがCELLのすごい使い方を作り出すかもしれない」

と思っていたが、未だにそんな話は聞かない。

最近発表されたNGPも

「入力デバイスはてんこ盛り、だけどどう使うかは知りません」

そしてこのSony Tabletだ。

目指すところは遠大だが

--価格設定はどうなりますか。

【鈴木】価格は、まだ未定です。

via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 Sony Tabletは『ソニーらしさ』を最も表現する製品 ~業務執行役員SVPの鈴木国正氏に、ソニーのタブレット戦略を聞く

値段も決まらず

--通信キャリアとの連携はどう考えていますか。

【鈴木】これからいろんな形で考えたいが、そこはまだ議論中です。

via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 Sony Tabletは『ソニーらしさ』を最も表現する製品 ~業務執行役員SVPの鈴木国正氏に、ソニーのタブレット戦略を聞く

キャリアとの関係も決まっていない。

というわけで「残念ながら」実にソニーらしい製品としかいいようがない。ああ、15年前だったらなあ。このニュースにどれだけわくわくしたことだろう。そうかあ、いよいよソニーがTableに参入か。どんな製品を出してくれるだろう。いや、ソニーがCLIEを出す、と聞いたときは本当にそう思ったんだよ。


未来はいつも悪夢

2011-04-26 06:57

昨日こんな動画を見つけた。

いつものことながら、Microsoftの「未来のコンセプト」は退屈だが、今回はそれに加えていくつかの感慨が頭をよぎる。

もう一つ動画を紹介しよう。

これは1995年に発表された「2005年」の未来像である。無駄なシーンが多いが2:05あたりから見てほしい。

ハードウェアが小さくなり、インタフェースの動きがiPhone風になったほかは基本的に何も変化していないことに気がつくと思う。

つまりMicrosoftのビジョンはこの15年間ほとんど変化していないのだ。考えて見れば製品も大して変化してないよね。

「不便をなくす=マイナスを0にする」ことと「幸せを作り出す=+を創りだす」ことの間には深くて長い溝がある。というか基本的にはそれは別物なのだ。

いい加減に「便利さ」以外のFuture Visionを見せてもらえんかな、と思う今日この頃、とか言っている場合じゃないよね。私も今は「新しいものを作る」立場なのだから。


世界はたった50人

2011-04-25 06:57

というわけで「20歳の時に知っておきたかったこと」から引用。

世の中にはたった50人しかいない、ということです。もちろん、実際にそうなのではありません。ただ、行く先々で、知り合いや知り合いの知り合いにでくわして、ほんとうに50人しかいあにのではないかと思えることが度々あるのです。(中略)

それだけ世間は狭いのですから、怒りにまかせて、取り返しの付かないことはしないのが鉄則です。どうしても好きになれない人もいるでしょうし、自分もまた誰からも好かれるわけではないのですが、だからといって敵をつくることはありません。

20歳の時にしっておきたかったことP163

私の経験からもいえるが、これは本当だ。

「人間が年を取るにつれ賢明になるかどうか私にはわからないが、ひどい間違いを避けることをある程度覚える」

とは「羊たちの沈黙」の中でのセリフ。自分の頭の中は17くらいからあまり変化していないことを痛感することが多いが、数少ない「経験から学んだこと」は

「全ての人を好きになる必要も、尊敬する必要もないが、不必要な理由で怒らせるのは愚かなことだ」

ということである。本当に世の中には50人しかいないのだ。

最初に転職してからというもの、相手が新入社員かどうかにかかわらず「さん」付けで呼んでいる。年齢が上か下かで呼び方を変えるのは変なことだ。そういえばフジ三太郎にもあったなあ。ヒラ歴の長い男は、新入社員をずっと「さん」付けで呼ぶと。今にしてみればあの意味がよくわかる。


トヨタの「なぜ」

2011-04-22 06:51

トヨタ自動車では「なぜ」を5回繰り返すのだそうな。

なぜなぜ5回は、トヨタ自動車の改善活動を語るうえで欠かせないキーワードの1つだ。発生した問題に対して、その原因をとことん追究し、真の原因である「真因」を探り当てる。その過程において、「なぜだ?なぜだ?なぜだ?なぜだ?なぜだ?」と5回繰り返して問題の核心を突いていく。

via: トヨタ流が「なぜなぜ5回」なら、リコー流は「TTY」 - 記者の眼:ITpro

いや、たしかに米国に住んでいれば、HondaかToyotaを買おうと思う。中古の値段もさがらないし、砂漠の真ん中で車が停まるのはいやだから。

しかしこの「なぜ」を称揚する以下のような文章に出会うと私は「ふーん」と思う。(ちなみに以下の文章ではトヨタと明示的に言っていません。これはただの私の想像です)

たとえば某自動車会社。
 企画書をつくるときには、上司や同僚から「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」と、理由を何百回も問われます。企画はA3用紙1枚にまとめることになっています。ロジックがすっきりしていれば、A3一枚で、まとまるのです。

via: NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: パッションとロジック

ロジックが通っている。それがなんだというのか。またまたこんなことを言い出したのには訳がある。


via: Toyota Entune and Prius V hands-on -- Engadget

Toyotaが米国で今年中にサービス開始する情報サービスだ。正直に言うが、一月初めまで「中の人」だったので以下の文章にはそうしたバイアスがかかっていると思ってほしい。

この記事にはいくつかコメントが寄せられているが、その中で一番印象に残った物をいかに引用する。

Thomas Potaire 1 day ago
We are in 2011 and interfaces in cars are still coming from 2000... ugly arrows... ugly icons... empty spaces... I guess it's the Prius' way of doing it.

via: Toyota Entune and Prius V hands-on -- Engadget
我々は2011年にいるというのに、車の中のインタフェースは2000年から来たかのようだ。醜い矢印、醜いアイコン、空っぽのスペース。これが「プリウス流」ということなんだろう。(訳:私)

「なぜ」の繰り返しは有意義だろう。A3一枚にスパッと計画をまとめるのも大いに結構だ。しかしその結果がこれである。

ロジックが通っている。それがなんだ?

------------------

いやいや、物事をネガティブに捉えてはいけない。何事もポジティブシンキングだ。この製品の素晴らしいところに着目しよう。

この製品を「革新」著しいSmartphoneと比べるからいけないのであって、過去20年間、車載情報機器のインタフェースがどのように「改善」されてきたかを見れば、このサービスが十分「革新」に値することがわかるだろう。

って消費者はそんな物の見方しないんだよ。


街に響く募金の声

2011-04-21 07:34

街に響く募金の声が嫌いだ。一定の調子で

「東日本大震災の、、募金を、、、よろしくお願いします」
「よろしくおねがいしまーす」

という声が繰り返される。道行く人をなんだかいやーな気持ちにさせる。いますぐ駆け寄り、箱に金をいれなくてはいけないような気分になる。

しかし声をはりあげている人たちの善意を疑う理由はない(本当はそうでもない。年をとるにつれ、該当で知らない人に募金することがいかに危険かを学ぶようになったからだ。しかしそれはここの本題ではない)

なるほど、募金をしようという気持ちは「良い物」だろう。

しかし

そんな方法は私が幼い頃から何十年と繰り返されてきた方法だ。もっと違った方法はないのだろうか?

ここで課題をこう変えてみる。

10名のスタッフがいます。元手10,000円(10名が1000円づつだしたのだ)を5時間で、できるだけ増やし、東日本大震災への義援金としてください。

こうしたとき、はたして街頭に立って声を張り上げることだけが解決方法だろうか?

先日読んだ本にこんなことが書いてあった。Stanfordで実際に行われた課題である。(文章は要約)

課題:いま、手元に5ドルあります。2時間でできるだけ増やせと言われたら、みなさんはどうしますか?

(中略)

タイヤの空気圧を無料で調べる。必要なら1ドルで空気を入れます、というサービスを提供したグループがあった。2時間の制限時間が半分ほどすぎた時点で、料金を請求するのをやめ、寄付をお願いする作戦にかえた。これで収入が一気に増えた。

(中略)

いちばん多くを稼いだのは別のチームでした。自分たちが使える資源はなんなのか?まったく違うレンズで見て、650ドルを稼ぎ出しました。もっとも貴重な資源は、5ドルでもなければ2時間でもない。月曜日の三分間のプレゼンテーションこそが一番貴重だ、とひらめいたのがミソでした。そこで、クラスの学生を採用したいと考える会社に、その時間を買ってもらうことにしたのです。

20歳の時にしっておきたかったこと P10-13

最後の解決方法は、Stanfordならではだがここではそれは本質的な点ではない。見方を変えれば設定されたリソースを使って義援金を増やす方法はいくつもあるのだ。

私が学生だった頃に比べれば、起業とかイノベーションという言葉はずっと学生にとって身近な物になっていると思う。今回の災害に対して何かをしたい、という気持ちを形に剃る方法はいくつもあるのではなかろうか?

認めたくないことだが、今回の災害から立ち直る戦いは長期戦になる。であれば、「我慢」と「善意」だけをもって長く継続することは難しい。参加する人たちに全てにとって周り続けるような方法を考えなくては、と思うのだ。

実際「街頭募金」は前述の課題でどの程度の「成績」を収められるのだろうね?


キャリアをデザインするのだ

2011-04-20 06:51

何かとお世話になっている、フュチャーラボラトリーの橋本社長という方がいる。

この人は、法政大学のキャリアデザイン学部というところで講義を担当されているらしい。時々主催してくれる飲み会にいくと、そこの学生さんとお話しする機会に恵まれる。

そこで何度か聞いたのだが、未だにわからない問が

「キャリアデザイン学部ってなにやるの?」

という点である。サイトから引用すれば

キャリアデザイン学部をひとことで言えば「生き方・働き方・学び方の設計について考え、自分が育ち、人を育てる能力をつける学部」です。
仕事や人生と関連して自分を高めながら他者の能力を引き出すための考え方・専門的知識・技能を学びます。学問が細分化し過ぎる傾向が強い現代にあって、キャリアデザイン学部では総合的な人間研究を重視しています

via: 法政大学|学部・大学院|学部|キャリアデザイン学部|学部紹介|キャリアデザインとは

ということなのだが、何度読んでもさっぱりわからない。

というわけでキャリアについて書いてみようではないか。最近読んだ本「20歳の時にしっておきたかったこと」からいくつか引用する。

後からみると、ほとんどの出来事や発見は、焦点があったように明確になります。自分のキャリアは、フロントガラスではなく、バックミラーで見ると辻褄があっている、とランディ・コミサーは行っています。 20歳の時にしっておきたかったこと p132

キャリアデザイン学部の存在意義を無にするような言葉だが、同じことは有名なSteve Jobsの演説でも述べられている。Jobsがカリグラフィーに心を奪われていた時、それがPC上で使用可能な多彩なフォントに結びつくと、誰が前もってデザインできたというのか。(1984年にMacintoshを見たとき、驚愕した要素のうちの一つが"フォントが自由に変えられること"だった。)

なぜ将来のキャリアをデザインできないか?第一に現実世界というのは不確定要素が多すぎる。センサーを使って周りの状況を綿密に把握し、計画的に歩を進めるロボットよりも、その場その場でばたばた足を動かすロボットのほうが結果としては確実に前に進むものなのだ。水も漏らさぬキャリアをデザインしたところで、それをふっとばす不確定要素は必ずなんども訪れる。

第二に、ほとんどの人は自分が何に夢中になれるかを知らない。やってみて初めて「机に座っていない時もそのことを考える」ものに出会えるのだ(仕事の恐怖に始終おののく、というのではないよ)

逆に論理的に考えてとてもいい仕事についていながら、どうにも幸せでない、という状況が続くこともある。そうした場合にはどうすればいいのか。

では、どうすればやめるべき時がわかるのでしょうか。これは哲学的な大問題です。成功させたいという願望と、実際に成功する確率とを分けて考えるのは、とてもつもなく難しいものです。もちろん、資源を投入すれば、成功する可能性は高まります。でも、時間やお金をどれほどかけても、あるいは、どれほど汗をかいてもうまくいかないときはうまくいかないものです。私がたどりついたもっとも科学的な結論はこうです。

「心の声に耳を傾け、選択肢を検討しなさい」

まずは、自分自身と正直に話し合わなければなりません。成功するまでトコトンやる覚悟はあるのか、それとも別の道を選んだほうがいいのか、自分に聞いてみることです。

20歳の時に知っておきたかったこと。 P100

この「心の声に耳を傾ける」というのはとても難しい。ともすれば「給料がよい」「安定している」「転職先も決まっていないのに辞めるのはいかがなものか」とか合理的な声に打ち消されるからだ。

しかし結局物をいうのはこの「心の声」である。これがNoと叫んでいれば、どんなに合理的な理由があろうと生活の大部分を占める仕事として選ぶべきではないのだ。

面白い事だが、職場や、現在の仕事について延々と愚痴を言い続ける人がいる。聞いているとこれ以上同じ仕事を続けてもその人のメリットはないように感じる。

じゃあやめて他の仕事を探せばいいじゃないか、といえば多くの場合なんだかんだと理屈をつけて結局辞めないことを選ぶ。

私は人の言葉に惑わされることが多い。言葉というのは上辺の姿で、本当の姿はその人の感情に潜んでいる、といことを未だに学んでいないからだ。だから上記のような人に出会うたび首をひねる事が多かった。

今はその人の「心の声」が少し聞こえる気がする。

「自分にかまってくれ。」

という叫びなのだ。その叫びがなぜ発せられるかは私にはわからないが、とにかく人にかまってほしいようなのだ。だから「合理的に考えた結論としてのキャリアチェンジ」を選択せず、そのままの仕事で愚痴を言い続けることを選ぶ。

さて、「かまってほしい」人はおいておいて、キャリアデザインに戻ろう。将来を計画することはできない。ではどうすればいいのか。

ランディ・コミサーはどうやってキャリアを築いていくのか、膨大な時間を使って考えました。そうして得られた知見は説得力があります。ともに働く人の質が最適になるようにキャリアを考えなさい、とランディは言います。そうすれば巡ってくる機会の質が上がると言うのです。出来る人達は、お互いを応援しあい、貴重なネットワークを築いていて、たえず新しいチャンスを生み出しています。

20歳の時にしっておきたかったこと p132

これには気がつかなかった。いろいろな会社、いろいろなポジションにいると一見均一なように見えるこの社会には実にいろいろな文化が存在していることに気がつく。

上記文章では「ともに働く人の質が"最適"になるように」といっているのであって「最高になるように」とはいっていないことに注意する必要がある。何が"最適"かはその人が何を目指しているかによって変わるだろう。

多数存在している文化のうちどれがその人にとって「最適」なものか。これまたジタバタしてみないことにはわからない、というのが私がたどり着いた現実の姿なのだが。

Steve JobsはStanfordでの演説の最後にこう述べている。

Don't be trapped by dogma - which is living with the results of other people's thinking.
他の人々の考え方と共に生きていくというー教条にとらわれる必要はない。
Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice.
あなたの心の中の声を他人の意見の騒音の中にかき消されないようにしなさい。
And most important, have the courage to follow your heart and intuition.
そして大切なことは、あなたの心や直感に従う勇気を持ちなさい。
They somehow already know what you truly want to become.
そうしたわけか、それらは、あなた方が本当になりたいことを、すでに知っているのだ。
Everything else is secondary.それ以外のすべてのことは二の次でよい。

via: スティーブ・ジョブスのスピーチ 

Stebe Jobsがこう強調し、多くの人がそれに感銘を受けるのは、一見当たり前のようなことでありながらそれを忘れる事が多く、気がついたとしてもそれを実行することが難しいからだ。

しかし

年をとるとわかるのだが、その人の「心の声」はいつしか顔に現れてくる、と最近考えている。といきなり話をねじまげたところで、次号に続く。


イノベーションのジレンマPart2

2011-04-19 07:00

破壊的イノベーションを起こした企業は、いつしか持続的イノベーションに移行し、新たな企業からの破壊的イノベーションによって滅ぼされることになる。

しかしこのような展開を誰が予想しただろう。

米携帯ゲーム市場では、iOSおよびAndroidがニンテンドーDSのシェアを大きく侵食していることが、米調査会社Flurryが4月15日(現地時間)に発表した調査報告で明らかになった。

【拡大画像や他の画像】

 Flurryが独自に分析した調査結果によると、米AppleのiOSを搭載するiPhoneおよびiPadと、米GoogleのAndroid搭載端末向けのゲームの2010年の売上高は、米携帯ゲーム市場の34%を占めた。同市場では任天堂のニンテンドーDSが圧倒的な首位に立っているが、2009年の70%から2010年には57%へとシェアを大きく落としている。ソニー・コンピュータエンタテインメントのプレイステーション・ポータブルも2009年の11%から9%にシェアを落とした。携帯ゲームの総売上高は2009年の27億ドルから24億ドルに減少した。これは、比較的低価格なゲームが多いiOSおよびAndroidの台頭によるものとFlurryは指摘する。

via: iOSとAndroid向けゲーム、ニンテンドーDSの覇権を脅かす――米Flurry調査 (ITmedia News) - Yahoo!ニュース

持続的イノベーションの権化、PSPに対し、破壊的イノベーションをもたらしたDSが圧倒した。任天堂の岩田社長は一貫して

「任天堂の敵は、ソニー、Microsoftではなくゲームの無消費」(当方の意訳)

と訴えてきた。つまり今までゲームを敬遠してきた人たちにゲームをプレーしてもらうのが目的だったわけだ。これは破壊的イノベーションの性格にぴったりあてはまる。実際岩田氏はこのような講演も行っていた。

昨日東工大大岡山キャンパスで岩田社長の講演会がありました。

テーマは「ゲーム業界におけるイノベーションのジレンマからの脱却」

via: 任天堂岩田社長講演会@大岡山のメモ - Unchained Life

さて、DSとWiiにより、任天堂はゲーム機の中で大きな成功を収めた。ところが思わぬところから敵が現れた。スマートフォン上のゲームである。

スマートフォンは定義によってネットに接続されている。したがってゲームをダウンロードだけで使用することになんの問題もない。ゲームソフト、ハードの小売チャンネルがどうとか気にする必要は全くないわけだ。またハードの投資もいらない。スマートフォンを所有している人であればそのままゲームをすることができる。

また携帯電話というのは、いつでもどこでもユーザとともに存在し、一瞬で起動することができる(というかどうでなくてはいけない)スキマ時間をつぶすのにはぴったりだ。

加えて、ソフトの価格が安い。3000円だのというパッケージの価格や、月315円(黙っていればいつまでも金を取られる)のガラケーゲームと違って、無料か105円買い切りである。これではゲームメーカーの経営が、とか言っている間にDSやWiiが目指したものより

「もっとカジュアル」

なゲームがシェアを伸ばしているのだ。

実際我が家では、一時期iPhoneがゲーム機として十分機能していた。今はケータイを一切持たない生活に戻っているが、そのうちiPadがゲーム機として活躍するようになるだろう(iPad2早く売ってください)となると我が家にDSの出番はないかもしれない。

さて

野次馬として興味深いのは、今後ゲームメーカーがどちらに向かうかだ。ゲーム廃人をターゲットとした隙間産業に縮退するのか。あるいは新たな

「岩田マジック」

を見ることができるのか。任天堂の株を持っているわけでもない気楽な観察者としては後者を希望するところだが。


iPhoneの異常性について

2011-04-18 06:53

長年訴え続けてきたのだが、昨日ようやく同じことを指摘してくれた文章を見つけた。

良く日本の企業がiPhoneをつくることが出来なかったのは、技術力がなかったからではなく、iPhoneのある未来を描ける経営者がいなかったから、という話をする人がいる。僕はこれは完全に嘘っぱちだと思っている。

たとえばタッチパネルのレイテンシ一つをとってもiPhoneに匹敵するデバイスをiPhoneができるまで作れた日本の企業がいただろうか。少しタッチパネルをかじったことがある人ならわかると思うが、iPhone 3Gがあの時期に到達したタッチパネル技術のたかみは本当にすごい。iPhone 3Gの時期にあのタッチパネルの精度、レイテンシを実現したのはタッチパネルベンダーを巻き込んだデバイスの研究開発と、描画バッファを複数持つことによるレイテンシを極力排除したOSレベルでの最適化された描画システムが必要となる。

この点だけ見ても、当時日本の企業であの滑らかさとレイテンシを実現するタッチパネルを作れるものはいなかった。だから、僕らは認める必要がある「そもそも突き抜けたものを作る技術力がなかった」ということに。なので、もう一度きちんと考える必要がある。

via: 「1000人の凡人が一人の天才に負けるエンジニアリング」ではなく「凡人1000人で本当に良いプロダクトを作るエンジニアリング」を指向したい - Future Insight

端的に言って、日本のモノづくりはiPhoneに大して完膚なきまでに敗れたのである。もちろん「iPhoneにも日本製の部品が」とか「F社の画像エンジンはすごい。iPhoneのカメラはゴミだ」とかなんとでもいいようはある。しかしそれは終戦後に

「空戦フラップは云々」

と威張っているようなものだ。

これも何度か書いたことだが、iPhone発表の後「頭のいいUIの専門家」から

「文字入力がタッチパネルでできないことは証明されている」

とか

「すでにある機能を組み合わせただけで何も新しいものはない」

とかいうコメントを聞いた。私は無知なので、基調講演で示されたiPhoneのタッチパネルの反応をみて顎が外れていたのだが。

Apple以外の企業から、あのiPhoneのタッチパネル(ハード+ソフト)が生まれなかったのはどうしてだろうね。ひとつには「頭のいいUIの専門家の適切な意見」もあるだろうが、それだけではないような気がする。

それまでのタッチパネルはどう贔屓目に見ても使いやすいものではなかった。

「こんなゴミが使えるか。もっといいものを作れ」

と本気で考えた人がリソースとむすびつくところにあの結果が生まれる。そもそもそう言い出す人がいなければ、それまで、ということなのだろうか。


質疑応答

2011-04-15 07:48

というわけで



を読んでいる。スティーブ・ジョブズのプレゼンを例にとりながら、効果的なプレゼンのテクニックについて述べている。内容の多くはすでに知っていいたり、漠然と考えたことがあるものだったが、以下の「バケツ方式」には少し驚いた。

「十分な準備をした」と言われるスピーカーも、想定される何百もの質問についてその解凍を記憶しているわけではない。質問をカテゴリーに分け、各カテゴリーに対する回答を用意しているのだ。聞かれ方に大きな意味はない。(中略)

報道関係者からの質問をどう処理したのかと聞かれたとき、元国務長官のヘンリー・キッシンジャーは「私の回答に対しどのように質問するか、だ」と答えた。回答はすべて用意されていたのだ。

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン p333-336

自慢じゃないが私は質疑応答が下手である。頓珍漢な受け答えをして相手を呆れさせ、プレゼン終了後にそのことについて情けない思いをする。

このバケツ方式を自分が活かすことができるかどうかわからないが、ひとつの方法ではある。バケツは7つも用意しておけばいいらしい。相手の質問から、それがどの「バケツ」に当てはまるかだけを考え、質問の枝葉末節にこだわらず、用意してきた回答を堂々と述べればいいのだ。

そう言われてみれば、たしかに質問と応答が(正確には)かみ合っていないことは多い。しかしここで必要なことは、厳しいと思われる質問に対しても、臆することなく、堂々と答える。そうしたプレゼンターの姿なのかもしれない。

もし私が人前で発表し、質疑応答をする機会があれば、この「バケツ方式」を試してみよう。問題はその「機会」を創りだすことができるかどうか、だ。


そもそもプレゼンテーションはなんのためにするのか

2011-04-14 07:43

聴衆を退屈させるため、とか予算案を通すためには必要だとかいろいろあるわけだが、人前にでてしゃべる理由はなんなのか。

少し前のことになるが、こんな記事を見つけた。

今回は色んな「師匠」に教わりながら、私なりにいつも意識してプレゼンに取り組んでいる「6つの誓い」をご紹介したいなと思います。一部「それは違うんとちゃうの」というご指摘もあろうかと思いますが。。。


via: 私が考えるプレゼンを良いものにする「6つの誓い」 - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談

この6つの誓いのうち、最初の二つを読んで私はこう思った。

「事前に資料を配布し、しかも"しゃべり"とプレゼン資料が一致しているのであれば、そもそもプレゼンを行う意味がないではないか」

その疑問に対する答えがポストされた。以下に引用する。

また、「聴く必要がないのでは」ということに関しては、こう考えています。

例えば1時間のプレゼンとして、1日8時間働いている方の1時間を頂戴するというのは非常に重いことです。ですので、その方がもし「この資料さえあればプレゼン聴く必要ないな」と思われたら、プレゼンは聴かずに資料だけ読んで頂き、「1時間を別のことに使って頂いたほうがその方のためになる」と私は思うんですね。

via: 良いプレゼン「6つの誓い」に頂いたコメントに回答してみます - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談

つまらないプレゼンをする人は多いが、その人達がこれくらい徹底した考え方を持っていればと思う。時間を無駄にしないですむからだ。資料を送付しておいてください。メールをゴミ箱に捨てる。一分もかからない。

プレゼンテーションというものに対してはいろいろな考え方が存在する。「プレゼンに対するアドバイスをください」といわれ「君がやっているのはビル・ゲイツ。スティーブ・ジョブズ型を目指してみてはいかが」と人に言ったことは何度かある。しかし一度も聞いてもらえたことはない。

これはそもそも「プレゼンとは何か」という根本に関わっていることなのだと思う。それがおそらく食い違っているので、議論にならない。その「食い違い」をうまく言語化できなかったのだが、先日こんな一節を見つけた。


これらの事の本質は実にシンプルで「自分のいいたいことが相手に伝わり、共感してもらえなければ、そもそもプレゼンする価値がない」という至極当たり前のことである。その観点にたてば、それまでの自分の説明というのはおおむね「聞いて理解しようと努力してくれる人にたいして、各種データを提供していただけ」といことを、その後ベインでいろいろなプロジェクトに関わり、たくさんのプレゼンをこなす中で、徐々に理解するにいたるのであった。

スティブージョブス驚異のプレゼン P386 解説外村仁氏

冒頭引用したブログを書いた人の意図を私なりに要約すると

「資料を送っただけでわかるのなら、聞く必要はありません。」

である。これはまさしく「聞いて理解しようと努力してくれる人にたいして、各種データを提供する」ことなのだ。

私が目指しているのは「相手の共感を勝ち取る」こと。そもそもの目的が違うのだから、方法論が違って当然だ。

例えば書いてあることをそのまま読むのは「相手のため」を考えたとき親切な方法ではない。

「口から出てくるのと同じ情報を文字でスライドに載せてもいいことなどない。それどころか伝えたい事が伝わりにくくなるといいかげん気づいてもいいはずだ」

スティーブジョブス 驚異のプレゼンp164

私はめったにそういう事はしない。しかし送っただけで理解してもらえる資料を作るのであれば、しゃべることをそのまま書いておくのは当然だ。

--------
もとに戻ろう。プレゼンを行う意義は「自分の主張を理解してもらい、相手の共感を勝ち取る」ことにあるとしよう。自分を「聴衆」の立場においたとき、相手を理解しよう、共感できるかどうか見極めようとしたときに何に着目するか。

広告の専門家で著書もあるポール・アーデンは、プレゼンテーションを聞きに来る人は、プレゼンターに会いに来ているのであって、プレゼンターの言葉を読みにきているわけではないとして、次のようなアドバイスをしている。

スティーブジョブス 驚異のプレゼン p189

「プレゼンターに会いに来ている」これは重要である。あくまでもプレゼンの主役はプレゼンターなのだ。聴衆はプレゼンターを見ている。セールスマンとどこか相通じるところがあるかもしれない。セールスマンが売っているのも結局は「自分」なのだ。

友達が指摘してくれたことだがプレゼン資料はあくまでもVisual Aidであり、「助け」でしかないのだ。

なのに大画面に表示されるのはプレゼン資料だけ。これは何かおかしいと思いませんか?といったところで以下次号。


訴訟大国といいながら

2011-04-13 07:09

人間の世界だから、それほど杓子定規ではない、というおはなし。

ニューヨーク(CNNMoney) 大手交流サイト米フェイスブックの創業をめぐる裁判で、サンフランシスコの米連邦高裁は11日、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)にアイデアを盗まれたと訴えていたハーバード大学の元同級生3人の訴えを退ける判決を言い渡した。

(中略)

連邦高裁のアレックス・コジンスキ裁判官は、フェイスブック側が株価を実際よりも低いように見せかけたとする3氏の主張は認めながらも、弁護団と専門家の助言を得て法的拘束力のある和解合意に応じたものであり、その合意には従わなければならないとした。

さらに「訴訟はどこかで終わらせなければならない。今がその時だ」と述べ、「競合相手に敗れ、市場で達成できなかったことを訴訟を通じて達成しようとしたのはウィンクルボス兄弟が初めてではない」とも指摘した。

via: CNN.co.jp:フェイスブック訴訟でザッカーバーグ氏勝訴、元同級生の訴え退け

映画「フェイスブック」にもでてきた「自分たちのアイディアを盗まれたとザッカバーグを訴えた」リア充兄弟の訴訟に決着がついたとのこと。

映画の中でもハーバードの学長に

「アイディアを盗まれたというのなら、もっといいアイディアを自分たちで事業化すればよい」

と軽くたしなめられる。この高裁判事が言っていることも同じことだ。

日本円で65億という和解金は末代まで遊んで暮らすには十分な金のように思える。しかしこの兄弟はそれを帳消しにするような物を得た。

「競合相手に敗れ、市場で達成できなかったことを訴訟を通じて達成しようとした」

という評価だ。しかも世界中にそれが知れ渡ってしまった。

酔っ払えば「リア充は敵だ!」とか叫んでいる私としては、このようなエピソードを聞くと多少気が楽になる。とはいえ、私が何も作り出していないことにはかわりがない。


ネット上の「店舗」に欠けている物

2011-04-12 06:45

昨日こんな記事を見つけた。

ロンドン大学の研究によると、IKEAで買った商品のうち、60%が本来は購入する予定が無かったものだそうです。

via: 買った商品の60%が本来は購入する予定が無かったもの...これぞIKEAマジック : ギズモード・ジャパン

インターネット上の「店舗」では以下の3種類の情報提供を主に行なっている。

・検索
・階層型メニュー構造
・情報推薦

この中で、階層型メニュー構造を主に使う人はあまりいないと思う。情報推薦の開発は盛んだが、その効果は「補助的」でしかない。

残る「検索」だが、今の(狭い意味での)「検索」主体の情報アクセスというのは狭い。理想の検索の姿として

「ユーザがほしい物が瞬時に見つかる」

と言う人がいるが、こんなものは理想の検索ではない。

ユーザがキーワードを考え、それによってたどり着くことができる情報など、IKEAからみればたった40%にすぎない。(この%が品数ベースなのか金額ベースなのかは考える必要があるけどね)大塚家具に行った時も、(本当かどうかしらんけど)隠れたベストセラーは羽毛布団と言っていた。羽毛布団買いに大塚家具行く人はいないと思うから、これも「ほしいとは思っていなかった」買い物なのだろう。

同じような調査を、楽天でも、Amazonでもやってみると面白いと思うのだ。最初にほしいと思った物と、実際に買ってしまったものの比率を調べればこれとは対照的な数字が出ると思う。


もちろんIKEAにいくということは、物理的時間的にある程度拘束されるということでもあるから、ワンクリックで他のサイトに行けるのとは訳が違う、という事情もあるだろう。

しかし

こういう「本来の目的とは違う買い物」を誘発することをもっと真面目に考えてもいいと思うのだけどねえ。誰も聞いてませんか。


「無敵」は素敵

2011-04-11 07:50

というわけで最近目についた記事を二つ。

これぐらい巨大になると、もうそれだけで無敵だ、と人は思うかもしれない。しかし、今はどうだろう。今朝(米国時間4/6)のニュースでは、Dish Networkが、破産したBlockbusterの資産を約2億3000万ドルで買い取るという-キャッシュで。かつてViacomが84億も払った(そしてその後数十億ドルのIPOで分離独立させた)会社と同じ会社だ。それが失墜するなんて、信じられないぐらいだ。

(中略)。

Microsoft、Google、Apple、などなど。この連中はみんな、無敵に見えるかもしれない。彼らが何かの分野に人や金を投資するときは、われわれ小者はその分野を避けるべきである、...そうだよな? でも、Reed Hastingsが1998年にNetflixを始めたときは、まさにそれをやったのだ。彼はただ、一人の客としてBlockbusterがアタマにきていた。とくにあの、ばかみたいに高い延滞料金にむかついていた。そして、映画のレンタルはもっといいやり方があるはず、と考えた。

via: 居眠りをして倒産へ: Blockbusterの失敗談に学ぶ

Blockbusterといえば、レンタルビデオの代名詞だったが、今や倒産してしまうのだな。
この

「もっといいやりかたがあるはずだ」

というのは、成功したスタートアップに共通するキーワードという気がする。大部分の人は文句をいうだけで自分で作り出すことができない。ほんの一握りの人がそれに成功して新しい会社を成功させる。

さてこの記事でも取り上げられているGoogleである。

New Google CEO Larry Page, who stepped into the job this week, believes that Google needs to go "social" to compete.

To that end, he sent out a company-wide memo last Friday, alerting employees that 25% of their annual bonus will be tied to the success or failure of Google's social strategy in 2011

via: Google: Larry Page Ties ALL Employee Bonuses To Social Strategy's Success (Or Failure!)

Google社員のボーナスのうち、25%はSocial分野での成功にかかっているのだそうな。

おそらく数年前まで誰も予測できなかったことだが、今やGoogle最大の敵はFacebook,Twitterになっている。(Googlezonって覚えてる?)
このGoogle v.s. Facebookの興味深い点は、あれほどまでに人材と資金を有するGoogleがSocialの分野になると、Twitter, Facebook相手に手も足もでないことだ。この記事のリンク先には、GoogleがSocial 分野で積み重ねてきた失敗が列挙されている。Orkut, Buzz, Wave,,

何もSocialだけがGoogleの不得意分野ではない。(Nexus Oneとかね)しかしGoogleの特異な文化と、それが得意な分野、不得意な分野について考えてみることはなかなか興味深いのではないかと思うのだ。

「開放性」という点では全く逆の文化を持つAppleは別な面からネットサービス、Socialで失敗を積み重ねている。なんども大幅リニューアルが予想されながらいまだパッとしないサービスにとどまっているMobiel Meとかね。圧倒的なiTunesのインストールベースをもとにSocialサービスを立ち上げるというアイディアもあまり成功してないようだし。

とはいえ、

こういう「無敵」企業が10−20年単位で入れ替わる状況というのは健全かもしれないなあ。


自分は特別

2011-04-08 07:08

というわけでまたもや「アイデアの力」から引用。

ある会社が、業績目標を達成した従業員に1000ドルの特別手当を与えると発表したとする。特別手当を従業員に提示する方法は三つある。

1)1000ドルの持つ意味を考えてみてください。ずっと夢見ていた新車や住宅リフォームの頭金が手に入るのです。

2)銀行口座にこの$1000があれば、それだけ安心感が増すか考えてみてください。

3)1000ドルの持つ意味を考えてみてください。あなたが会社の業績に重要な役割を果たしていることを、会社が認めてくれるのです。会社は無駄なものにはお金を出しません。

個人的にひかれるのはどれかと尋ねると、たいていの人は3番目だと答える。(中略)他人をひきつけるには、どれがベストか、と尋ねると一番目を挙げる人が最も多く、次いでに二番目だった。

(中略)

つまり、たいていの人は、他人は、皆マズローのピラミッドの底辺にいると思っているのだ。自分は最上階の住人だが、他人は皆下の階の住人、というわけだ。

アイデアの力 p251−252

多くの人は自分は特別だと思っているらしい。他人はいわば犬のようなもので、餌を投げればしっぽをふる、と思っているわけだ。この実験が示すところによると。

この「自分は特別」という意識は多くの場合コミュニケーションを阻害する要因と成り得る。他人からみればその「特別」な自分は、餌を投げられるとしっぽを振る犬なわけだ。

------
同じ本からもう一箇所引用。Stanfordで行われた心理学実験なのだそうな。実験には「叩き役」と「聞き役」が登場する。叩き役は、誰もが知っている音楽をリズムを刻むことだけで「聞き役」に伝えようとする。叩き役が机を「こつこつ」たたき、それを聞き役が聞いてなんの曲があてるわけだ。

では練習問題。これはなんという曲でしょう。

「ター タタタタッタター」

答え:巨人の星

ではまともな実験の結果を

聞き役が正しく曲を当てたのは全体の2.5%だった。
それに対して、叩き役が予想した正答率は50%だった。

-聞き手が「星条旗よ永遠なれ」のリズムを聴いて「ハッピーバースデートゥーユー」と答えると「何でわからないんだ。馬鹿じゃないか?」とでも言いたそうな顔をした。

つまり「知っている側」は「知らない側」に情報を伝えることの難しさを正しく認識していない。

アイデアの力p30

自分が分かっているんだから、相手も当然わかるはずだと思い込んでいるわけだ。

人間世界における問題の多くは、「相手」にレッテルを貼ることで悪化する。鬼畜米英と言えば、アメリカ人、英国人みんな鬼畜。しかしそもそも人間は自分以外の人間に

「他人」

というレッテルを貼り、自分とは違う、と思い込んでいるのかもしれん。


隙間を埋めるのだ

2011-04-07 07:04

というわけでいきなり引用。

1994年、カーネギーメロン大学の行動経済学者ジョージローウェンスタインは状況的興味をきわめて包括的に説明した。その内容は驚くほどシンプルだった。好奇心が生じるのは、自分の知識に隙間を感じたときだというのだ。 ローウェンスタインによると、隙間は苦痛を生む。何かを知りたいのに知らないというのは、どこかが痒くて掻きたくなるのと同じだ。その苦痛を取り除くためには、知識の隙間を埋めなくてはならない。くだらない映画を見るのは苦痛なのに、我慢して最後までみるのは、結末がわからない苦痛の方がはるかに大きいからだ。

アイデアの力 p118−119



というわけで、インターネットの普及により人間は「隙間」に取り囲まれることになったのではないかと思ったわけだ。

mixiで足跡があった。読み逃げは許さない。Twitterで情報が流れてくる。チェックしなくてはならない。Facebookでコメントをもらったらコメントし返さなくてはならない。2chのスレッドをチェックしなくてはならない。etc..

これらはすべてかつてはリーチできなかった情報にリーチ出来るようになったがために生まれた「隙間」である。そしてその「痒み」をのぞくため、人は情報にアクセスし続ける。隙間が埋まると少しの間安心するが、また足跡が、 Tweetが、コメントが、、

かくして人は隙間を埋め続ける。その様子はプチプチをひたすらつぶしている人となんら変わるところはない。つまり何も生み出していない。小さな不快感を「つぶす」ためにプチプチしているだけだ。

もう少し有効な情報との付き合い方はないものだろうか?ネットの普及により、リーチできる情報は爆発的に増えた。隙間をつぶす強迫観念も生まれた。とにかく入ってくる量は増えた。しかしそれで幸せになったのだろうか?

最近考えているのは

「Web上に晒している自分の顔を鏡で見る」

ことである。つまり自分の発言、考えたことを見返すのだ。くだらない情報を追いかけ続けている自分。それに自分がどう反応しているか、何を考えているのか。

いや、これすごいですよ。自分がいかにつまらない人間かよくわかる。鏡を見ない間は

「これでも私はなかなかなもので」

と思ったりするのだが、鏡の威力は恐ろしい。


震災に関する海外メディアの報道

2011-04-06 07:33

震災が起こって以来、海外メディアの報道にはヒステリックなものが多かった。日頃軽蔑してやまない日本のメディアのほうがましに見えたほどである。(朝日は"世界水準"だが)

これまで日本のメディアに対する反発から、海外メディアに信をおいていた傾向があったのは否めない。ニューヨーク・タイムズは

「ああ、またニューヨークタイムズね」

と思うようにはなっていたが。

しかし昨日こんな記事を見た。

──「迷惑ボランティア」という言葉もあるが。

 阪神淡路大震災のときはボランティアが大勢来たが、被災者はちっとも邪魔とは思わなかったはずだ。迷惑に思っていたとすれば、登録したり名簿を作ったりするのに、一度に来られたら対応しきれないという行政だろう。

via: 「ボランティアは押し掛けていい」 (ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

「迷惑に思わなかったはずだ」と想像だけでモノを語る姿勢には嫌悪感を感じずにはいられない。しかし問題はこの妄想と思い込みとしか言い様がない発言を掲載したメディアだ。日本版とはいえ、ニューズウィークなのである。

そこにこのような文章を見つけた。

これまで、日本には外国メディアに対するある種の尊敬の念があった。ジャーナリズムの理想とあがめ、その権威に頼ることさえあった。新聞などが日本に関する論評を求める際、今でも頻繁に「米紙ワシントン・ポストによると......」といったくだりが登場する。

 東日本大震災で、その神話は崩れ去った。この未曾有の大災害において、残念ながら多くの欧米メディアは本来果たすべき使命を全うできなかった。ニュースを報道する側がニュースにのみ込まれてしまい、冷静さを失ってしまったのだ。

 当初は地震と大津波による甚大な被害を報じていたが、福島第一原発事故が発生すると、外国メディアはこの事故を「チェルノブイリ級」と決めてかかった。放射能が見えない恐怖であることに違いはない。だが、今回は平静さをなくしたケースが後を絶たなかった。

via: そのとき、記者は......逃げた<全文> | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

この記事を読み、海外メディア発の異様な報道に合点がいった。

私自身、メディアに対する狭いものの見方をしていたことを反省せねばならない。それであればどうすればいいのか。これから心がけようと思うのは、記事を書いた人間の個人名により着目することである。

前掲の記事によれば、私が「東スポ並」と評価していたニューヨーク・タイムズはいまやその体制を入れ替えたとか。記事を書いている個人名により着目することで、より良好な情報に触れることが可能だろうか。今後試してみる価値はあると思っている。


Androidなどという単一のPlatformは存在しない

2011-04-05 07:00

従って、AndroidのシェアがMacを抜いたなどというのは、無意味だ。

あ、ちなみに私Apple原理主義者なので、「またApple信者が馬鹿なことを言っている」と思ってください。

もちろんこういうデータもあるわけですが

Android Is Destroying Everyone, Especially RIM -- iPhone Dead In Water

via: Android Is Destroying Everyone, Especially RIM -- iPhone Dead In Water

そもそもAndroidは単一のプラットフォームではないのだから、トータルの数字比べても意味がない、といいたい。アメリカと「アジア」のGDPを比較するようなものである、と。

なぜ突然こんなことを言い出したかといえばこの記事。

Source: Baird

via: Android is a mess, say developers - Apple 2.0 - Fortune Tech

"56%のAndroid開発者が、様々なデバイス上で動くAndroidの"分断化"が大きな問題、あるいはMeaningful Problemと考えている。この割合は過去3ヶ月間に増加している"

画面サイズが違えば、端末によってOSのバージョンもあれこれ。開発者の苦労もさることながら、QA担当者にとっては悪夢のような状況だろう。

いや、Androidには画面解像度に依存しない仕組みがあるから大丈夫だ、とか数ヶ月前にはそんな心強い意見を聞いた気もする。しかし多くの開発者はその意見に同意できないようだ。

これが「大丈夫」ではないことを示す事象は、Google発である。

Google tightening control of Android, insisting licensees abide by 'non-fragmentation clauses'?

via: Google tightening control of Android, insisting licensees abide by 'non-fragmentation clauses'? -- Engadget

まだこの動きは

"Bloomberg's Businessweek spies have received word from "a dozen executives working at key companies in the Android ecosystem"

というものだが、今後の動向に要注目である。特に私のような野次馬にとっては。

追記:日本語の記事がこちら

Bloombergによれば、グーグルはここ数ヵ月Androidを使うパートナー事業者への制限を強めています。グーグルはAndroidのライセンスを与える事業者に対し「非細分化条項」にサインさせており、それによってグーグルがプラットフォームの変更に決定権を持つことができるようにしています。パートナー側はこの変化に納得していませんが、これはユーザーにとっては有意義なことだと思われます。というのは、グーグルはこれによって「Android」プラットフォームを一貫性のあるものにして、ユーザーにとってわかりやすくすることができるからです。

via: Androidのバージョン乱立問題に対してグーグルが動いた! 一貫性重視の方向へ : ギズモード・ジャパン

ふふふ。家族のみんな気がついていないようね。。

2011-04-04 06:47

シークレット奥さん
シークレットシューズ・あるいは大仏にシークレット蓮華などをこっそり取り付けたりし、何となく違和感を覚える周囲の人を見てはほくそえむ主婦
初期は上記のような「シークレット○○」での登場が多かったが、のちにカブトムシの斎藤さんの大家として登場するようになった。
夫と長男との3人家族。

via: 伝染るんです。 - Wikipedia

というわけで、家族が帰省している間に家の白熱電球を3個LED電球に取り替えておいた。ふふふ。誰も気がついていない。。。

これが結構苦労したのですよ。
LEDのほうが節電になる。初期費用は高いが、今や

「進め一億節電だ」

の状況である。最初は奥様にお伺いを立てたが

「LEDは高い」

の一言で却下となる。最近飽きたようだが、少し前までは

「電気消しなさい!」

と怒鳴りまくっていた人なのだが。

まあいい。これは想定内の反応だ。奥様たちが帰省している間にすり替えておけばばれないだろう。

問題は「光の色合いが違うとばれる」

ということである。Amazonで安いLED電球を見つけた。



あれ?今みたら値段が上がっている。私が買ったときは1000円だったのだが。
まあいいや。これを2個注文した。届いたのでさっそく取り替えてみる。そして愕然とする。電球色なのだが、私の家の電球より色が白いのだ。

前にLED電球を買ったときに、色を白にしてしまうとどれほど違和感があるか、というのを実感した。しまったこれではばれてしまう。

というわけで、電球の配置をあれこれ変更する。洗面所には二つの電球がある。そのうちの一つだけをこれに変更するとあら不思議。全体として違和感がない。おそらくほんの少し白いだけなのだろう。調子にのって二つとも変更するとこれは白い。

トイレの電球ならばれないか、と思い変更してみる。何度か自分をだまそうとするがだませない。しかたがない。スーパーで1680円の東芝製LEDを買う。


これをトイレにつける。ふふふ。これなら誰も気がつくまい。
今回LED電球を探し、その値段に幅があるのに驚いた。調光器対応のものが高いのはわかるが、なぜこれほど差があるのか。おまけに種類が沢山ありすぎて、どれを選べばよいのかわからない。

これで我が家からはほとんど白熱電球が駆逐された。まだいくつか残っているが、滅多に使わないところだから気にしないことにする。

今回電球を交換していて気がついたが、白熱電球は少しの間つけただけでも触れないほど熱くなる。暖房器具としての役割は期待していないから、熱になった電気はすべて無駄ということだ。

さて、次の野望は「シーリングライトのLED化」である。これは電球の交換よりもハードルが高い。値段も高ければ、間違いなく奥様にばれてしまう。しかしなんとかならんかなあと思って家電コーナーを見て回る今日この頃である。

----
配電技術がどうのこうのはよく知らないのだが、夏に電力供給能力が足らなくなるのであれば、一律に停電させるのではなく、「あんたの家はここまで」としてもらえないかなあ。そうしてもらえれば

「なんとか停電を回避しよう」

と工夫のしがいもあるものだ。今のように「連帯責任」だとこちらがちまちまLED化など進めていてもパチンコ屋が湯水のように電気を使っているのを聞くと気持ちが萎える。

それよりも

「冷夏乞い」

踊りでもしたほうがいいかな。


iPad2を待ちながら(その2)

2011-04-01 07:51

というわけでiPadに関する記事の引用その2である。

そもそもなぜiPadはこんなに売れているのか?

If it's not a necessity, doesn't do many things as well as a notebook and lacks the portability of a smartphone, what's the key to its success?

via: Nobody Needs a Tablet. So Why Are We Gobbling Them Up? | Gadget Lab | Wired.com

(iPadは)ノートPCほど沢山の機能を持っていないし、スマートフォンのような携帯性も持っていない。ではなぜこんなに成功したのか?

----
たいていの大企業で、iPadのような製品を提案すれば、間違いなくこんな反応を(最もおい場合で)うけたことだろう。製品のポジショニングをちゃんと検討しているのかね?

では現実をどうやって説明するのか?
----

Perhaps the best gadget to compare with the iPad is the microwave oven, says tech writer Matthew Guay. Succeeding the conventional oven, the microwave oven could heat food faster and use less energy. Even though it wasn't as good at cooking as an oven, and it wasn't obvious why anyone would want a microwave, the microwave became a staple in practically every home, because people kept finding new ways to use this technological wonder.

via: Nobody Needs a Tablet. So Why Are We Gobbling Them Up? | Gadget Lab | Wired.com

多分iPadと比較するべきは電子レンジだろう。電子レンジを使うと、少ない電力で早く食べ物を暖めることができる。調理器具としてはオーブンほどよくない、そしてみんな電子レンジを使うほど明確なメリットがあるわけではない。なのにほとんどの家庭に電子レンジがある。なぜなら電子レンジの新しい使い方が発明され続けているからだ。

------
持続的なイノベーションではなく、飛躍的なイノベーションを扱うときに注意すべき点はいくつも明らかになっている。

-「今の」消費者行動を浅く分析しても無駄。
-「今の」消費者に「何がほしいか。こんなものがあったら欲しいか」聞いても無駄。

こういう製品を作り出すためには

「こんな製品があれば世の中楽しくなるんじゃないか」

という「正しい妄想をする力」

それに投資をする判断を行う人間

の両方が必要なのではなかろうか。このどちらが欠けてもこの種のイノベーションは生まれない。これは「新市場型破壊イノベーション」の例ということになるのだろうか。

クリテンセンは「破壊型イノベーションは多くの企業で一回しか起こせない。複数回起こした希有な例が80年代までのSONYだ」

と書いていたが、今だったらAppleをその希有な例に挙げるのかな。